俺がフォークを下ろすと、どこか気まずい沈黙が周りを支配する。……扉越しで直接見えている訳ではないが、相手が恥ずかしがっているんじゃないかなぁぐらいは雰囲気で何となく察する。
さて、この状況で俺が取るべき行動は。
「……とりあえず中に入って良いですか?」
「えっ!? そ、そんな……困ります」
「腹の虫が鳴いている人の前で自分だけバクバク食えるかいっ! 腹ペコに『勇者』だろうが何だろうが関係ないっ! 良いから早くここを開けてくれ」
「は、はい~っ!」
こうなったら『勇者』の腹の虫を宥めた上で余り物だけでも頂いてやるっ! ガチャリと扉から音がするのを聞いた瞬間、俺は素早く扉を開けて突入する。勿論我らが昼食達も一緒だ。
部屋の中には俺とそんなに歳の違わなさそうな女性が一人。この人が『勇者』か? まあ良い。今はそれよりもまずこっちだ。
「昼食デリバリーですっ! さあさあ食事を広げるから場所を開けて開けて。おっ! そこのテーブルの上なんて良いな」
「えっ! 男の人っ!? あ、あの……ちょっと」
部屋は中々に豪華。少なくとも俺の用意された部屋の倍……いや、三倍は広いな。俺の部屋もあの爺ちゃんが気を利かせて他よりちょっとだけ良い部屋だが、それに比べてもとても良い部屋だ。
……なんかちょっと家具が倒れてたりカーテンが破れたりと荒れているようだが、そんなのは昼飯の前には些細なことだな。
俺は丁度良さそうなテーブルを見つけると、軽くナフキンの一枚で拭いてその上に昼食を手際よく並べていく。食事の配膳なら手伝いで教わったこともあるからな。多少偉い人向けであろうとも何とかなる。……と思う。
「お待たせしました。ちょっとスープが冷めちゃってるけどそこは勘弁な。さあ。椅子にどうぞ『勇者』様」
ひとまず見た目だけなら何とか整い、ついでに何故か倒れていた椅子も起こして『勇者』を座らせる。
「あの、だから私……食事は」
「あれだけ盛大に腹の虫が鳴っていて、腹が減っていないなんて言わせないですよ。さあ食えっ! そして余った分を俺にくださいお願いしますっ!」
「ですから、このまま食事を持っていってもらえば差し上げますから」
「だから腹ペコの人から食事をぶんどれないんですってっ! せめて腹の虫を宥めるくらいには食べてもらわないと俺の精神衛生上良くないのっ!」
我ながら変なテンションになっている自覚があるが、普段はもうちょっと紳士的かつ穏やかな方なんだ。……ホントだぞ。少し腹が減って気が立っているだけだ。
だというのに、『勇者』は食事をじっと見つめるっきりで手を出そうとはしない。これはいったいどうしたことだ?
腹が減っていないという事はない。さっきの腹の音もそうだけど、それは『勇者』の食べたそうな目を見れば分かる。これは腹が減っていないんじゃなくて、
じゃあ何故手を出さない? まさか給仕をしてもらわないと食べられないとか? それならメイドさん達が来た時頼めば良いだけだしな。
「凄い猫舌ってことはなさそうだし、食べられない物とかは事前に言っておけば避けてくれそうだし……一体どうしたら食べてくれるんですか?」
「…………ベてください」
「何ですって?」
その時彼女はこちらに向き直り、どこか暗い瞳と口調で言った。まるで見定めるかのように。
「どれでも良いから先に食べてみてください。……毒があるかもしれないですけど」
つまりは俺は毒見役か。そこで俺は『勇者』のことをよく見る。……身体はほんの僅かに震え、表情から何となく読み取れるのは疑念と、恐怖と……それらと同じくらい大きな申し訳なさ。それなら、
「じゃあ遠慮なく。いただきま~す!」
俺は椅子をもう一つ持ってきて座ると、猛然と料理達に襲い掛かった。まずパンをナイフで二つに割って中にサラダを軽く敷く。勿論たっぷりとソースを絡ませてからだ。次に鳥のローストを乗せ、もう一つのパンで挟み込む。
これでお手軽だが高級なサンドイッチの完成だ。俺はそれに大口を開けてかぶりつく。……おぅ。一噛みごとに口の中に幸せが拡がる。
肉のギュッと凝縮された旨味も、野菜の瑞々しくシャキシャキとした食感も、そしてそれを引き立てるソースの味も。……どれもがそうそう味わったことの無い逸品だ。
「美味いっ! これは絶品だ。こんなのを毎日食べれるってのは贅沢だぞ」
俺がムシャムシャと美味そうに食べているのを見て、『勇者』は少し不思議そうな顔をしていた。どうしたのだろう?
「……ためらったりはしないんですか? 普通毒があるかもしれないなんて言われたらすると思うんですけど」
「そりゃあ入ってないって分かっていたからさ。それに信じているからな。いろんな人を」
俺はこれまでいろんな場所で働いてきた。当然『勇者』の食事を作ったであろう厨房の面々も知っている。
あそこの人達は皆料理人として誇りを持って働いていたからな。自分の作った食事に毒を盛るなんてことは考えられなかった。味見も出す前に済ませるから、毒を入れたらすぐにバレる。
じゃあ運んでいる途中に毒を入れる? それもまずない。さっき運んでいるメイドさん達を見ていたが、何かを入れたりする様子は見られなかった。俺が来る前に毒を入れたとしたら、そもそも俺に運ぶのを手伝わせたりしないはずだし。
まあ最大の理由としては、サンドイッチを作りながらこっそり足元に貯金箱を出して料理を査定して、毒の有無を確認していたからなんだけどな。使わなくても九割方大丈夫だけど、最後の一押しとして確認しておくに越したことはない。
……出てきた値段に一瞬ビビったのは内緒だ。使用人用の食事の十倍近くって何さっ!
「さてと。こうして俺が飯が美味いことを証明したわけだし、もうそろそろさっきから鳴ってるその腹の虫を宥めたって良いんじゃないか? それとも今度はスープやデザートも頂こうか?」
「…………いえ。ありがとうございます。……そうですよね。毒なんて入っているはずないんですよね。……いただきます」
『勇者』はどこか意を決したような顔でスプーンを手に取り、スープを掬い取って口に含む。……そしてごくりと音が聞こえたかと思うと、先ほどとは打って変わって凄い勢いでスープを飲み始めた。
これならもう毒見は必要なさそうだな。……ちょっと名残惜しいけど。
「……ふぅ。ご馳走様でした」
「お粗末様でした。しかし綺麗に平らげたなぁ。全然余ってない」
静かに両手を合わせる『勇者』を横目に、ほぼ余さずさっぱりなくなった昼食の皿を見てそうぼそりと呟く。
『勇者』は聞けば昨日からまともに食べていなかったようで、その分を埋めるかの如く凄い勢いで食べていき、もう果物の欠片くらいしか残っていない。
「あの……すみません。全然余らなくて」
「ああ別に良いって。元々貰えたら良いなぁ位で考えてただけだから。……それにサンドイッチはとても美味かったし。ありがとうな」
とは言ってもサンドイッチ一つではやはり物足りない。本当にとても美味かったのだけどね。仕方が無いので残った果物の欠片を口に放り込んで少しでも腹の足しにする。
これは後で厨房に行って何か分けてもらった方が良さそうだ。
「今から誰かに頼んで、お代わりを用意してもらいましょうか?」
「いやそれは良いよ。元々これは『勇者』様のためのものだし、さっきは毒見役ってことで先に頂いたけど、本来は余った分を貰えればそれで良かったわけだしな。……あっ!? いつの間にかタメ口になってた。申し訳ございません『勇者』様」
「いえ。良いんですよ。むしろ今のままで。……皆私達のことを『勇者』様って呼んで、どこか線を引いている感じがしますから」
それはこの国だとしょうがないかもしれない。やっぱり国教に『勇者』のことが絡んでいると、どうしたって敬われたりするわけだ。本人のせいじゃなくてもそういう扱いになるんじゃもうどうしようもない。
「そっか。じゃあタメ口でいっか。……この分だと『勇者』様って呼ぶのも避けた方が良いかな? なんて呼べば良い?」
「普通に名前で。私は……ユイ。ユイ・ツキムラと言います」
「月村だな。……俺は時久。よろしくな月村」
これが……『勇者』のスペアである俺と、正しく『勇者』である月村の初めての出会いだった。
このルートでは優衣の精神がやや不安定になっています。理由は……まあ頼れるあの人が居ないからという奴です。