ヒストリアの兄でございます。   作:ヒストリアの兄

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訓練兵編
1話


 

 その日、一人の男が狂乱していた。

 目頭には涙を浮かべ、身振り手振りで何かを喚いていた。

 男の声は終始荒げており、嗚咽が混じっているせいか言葉はよく聞き取れなかった。

 分かることと言えば、何か懇願しているような雰囲気が伝わるということぐらいだった。

 

 一人の女がそんな男を諭すように、ゆったりとした口調で丁寧に語りかけていた。

 慎重に、男の感情を読み解くように言葉を選んでいるようだった。

 そんな女の後ろには家族がいた。

 子供から大人まで幅広い年齢層の男女が、諭す女の背後で怯え切った目をしていた。

 

 女に諭されたせいか、取り乱していた男は絶望していた。

 膝をつき、首を垂れ、醜く地面に伏せていた。

 よく見てみれば、男の手には小さなメスのようなものが握られていた。

 もしかしたら、あれで女を殺すつもりだったのかもしれない。

 

 女はそんな男を憐むように見下ろした。

 彼女の家族は男を侮蔑するような目をしながら罵っているようだった。

 まさに阿鼻叫喚という言葉が似合う光景。

 これ以上の地獄絵図は存在しないのではないかと思えるほどだった。

 

 絶望していた男が、突然、顔をあげた。

 先ほどまで憔悴しきった表情は見る影もなく、代わりに何かに堪えるよう歯を強く食いしばっていた。

 男は握ったナイフを力強く握りしめ、そのまま己の右手を貫く___。

 

 次の瞬間、光が破裂した。

 蒸気が辺りに満たされ、熱量を帯びた風が吹き荒ぶ。

 普通の人間が至近距離で浴びれば、間違いなく大火傷を負ってしまいそうなほど高熱な暴風だった。

 

 煙の中から二体の怪物が顔を出した。

 一人は黒い髪に黒い髭、中年の男性を模したような体。

 もう一人はふっくらした胸に髪の長い女のような巨体だった。

 男性の怪物が女の巨体を投げ倒し頸を食らった。

 肉と骨を美味しそうに頬張っていた。

 ガリガリと噛み砕く音はリアルで、とても耳障りな音であった。

 

 男性の怪物が、噛みちった女の頭部を気色の悪い瞳で見つめていた。

 微動だにしない死体。

 興味が失せたのか、男性の怪物は次に、女が守ろうとしていた家族を見た。

 家族は女が死んだことを察し、必死に何か喚いていた。

 

 二人の人間はぷちぷちと踏み潰された。

 頭の骨や、体の骨は砕かれており、柔い内臓などは薄っぺらに広げられていた。

 二人の人間はぱあんと叩かれていた。

 腕や足が反対方向に曲がり、口から内臓が飛び出している人がいた。

 一人の人間はクシャりと握られていた。

 口からはドロドロの血を流し、白い歯が真っ赤に染まっていた。

 体の節々からは、何か見てはいけないものが飛び出していた。

 

 気がつけば周りには死体が溢れていた。

 血生臭い匂いと、妙に熱を帯びた蒸気が空気に霧散している。

 青白い空間には、似つかわしくない真紅の液体が至る所に飛び散っていた。

 だらしなく口を開け、首だけになった女型怪物の死骸も転がっていた。

 そんな時、一人の少年はようやく気がついた。

 殺されたのだ、目の前で。

 自分の大好きだった人。自分が愛していた人。

 ___フリーダ・レイスが、その日確かに殺されたのだ。

 

 

 昔の事を思い出していた男は、静かにため息を吐く。

 あの光景を見てからおよそ2年が経過し、現在847年。少年だった彼も、今ではすっかり背丈も伸び、それなりの風貌になっていた。いまだ、顔には少年のようなあどけなさは残るものの、中性的だった顔つきはより男性的に成長していた。

 男は教官が新兵を恫喝する風景を他人事のように眺めながら、小さく身動いだ。別に立ち続けていることが苦になったとかではないが、何となくそうした。

 男は「どうせ自分のところには来ないのだろうから、早く終わって欲しい」と考えていた。彼の中で自分は教官に恫喝される人間ではないと感じていたからだった。見たところ、いまだ気持ちが浮ついた連中しか教官は怒鳴っていない。貧弱そうな顔、気の抜けた顔、恐怖で強張った顔と、目を付けられそうな最大の要因はその者が覚悟できているか、できていないかの差であろうと断定した。ならば、やはり己のところへ教官が来ることはないと思った。

 こうして余計な時間を浪費することは彼にとって、この世で最も苦行であった。無駄な時間が過ぎ去るくらいならば、教官に目を付けられ、先ほどの芋女(通過儀礼中に蒸した芋を食べていたためついた渾名)のように罰則を受けた方が良いのではないかとすら思える。死ぬ寸前まで走る事になるが、自分を強くするためだと思えば、有意義な事ではないかと感じた。

 そんな気持ちが彼の中で先行する中、 男の前の列が一斉にこちらを向く。どうやら次は自分たちの番らしい。

 予想通り、男の前を教官は何も言わず過ぎる。この恫喝に何の意味があるかなど、男はさして考えていなかった。ただ、何も言われないのであれば、それはそれで良いことだと思っている。現に、隣にいる少女の近くで声をあげる必要が無くなったのだから、男からしたら儲け物であった。

 教官が隣にいた金髪の少女の目の前で止まる。どうやら、彼女は教官に目をつけられたらしい。

 

「貴様は何者だ!?」

 

 広間一面に響く声が木霊する。教官という人種はみな声が大きいらしい。

 

「はっ!クリスタ・レンズです!」

 

 金髪の少女がそう名乗った。

 教官は予想に反して威勢の良かった返事に目尻をわずかに上げると、クリスタの顔にグッと近づく。

 

「何しにここに来た!?」

「じ、人類の役に立ちたいと思い志願しました!」

「そうか。ならば精々巨人の注意を引くための餌として役立ててもらおう。お前のような小さい女はさぞ食いやすいだろう」

 

 教官はそれだけを言うと、クリスタから離れ、次の訓練兵に怒鳴り始めた。覚悟していたとは言え、予想以上の悪言を吐かれたクリスタは、少し泣きそうな顔をしていた。

 男はそんなクリスタを一瞥することもなく、ただ茫然と前を眺め続ける。まるで隣にいる少女とは無関係であるかのように、何も声を掛けてやらない。そんな無機質な男の対応に、クリスタはさらに涙が溢れそうになった。

 これが、およそ二年間続く冷え切った二人の関係性。現在、男が妹に対して取っている、冷酷なまでの徹底された拒絶である。

 

 

 恫喝の儀式が終わり夕食の時間。男は食堂へと足を運んでいた。

 食堂の入り口を見ると、複数の男女が談笑しながら芋女の走り姿を眺めている。男は邪魔だなと思いながらも、食堂に入るため後ろを黙って通ろうとした。

 

「なあ、そう言えば君も出身を聞かれなかったけど、どこから来たんだい?」

 

 複数人の男女の内、そばかすの男がそんなことを聞いていた。男は一瞬、歩行スピードを緩めるが、自分に聞かれたわけではないのだろうと思い直し、そのまま彼らの後ろを通り過ぎようとする。が、そんな男の進行を阻止するように、坊主頭の男が彼の肩を掴んだ。

 

「お前だよ、お前に聞いたんだ」

 

 男はそこでようやく自分に聞かれたことなのだと分かり、体を坊主頭達の方へと向けた。

 

「すまない。俺の名前はフリーダ。出身はウォールマリア南部の都だ」

 

 男は事前に用意していた偽装の出身地を話しながら、そう自己紹介した。

 坊主頭も素直に謝った事で機嫌を良くしたのか、自分のことを「コニー」と教えてくれる。人懐っこい笑みを浮かべるところを見ると、案外良いやつなのかもしれない。

 

「じゃあ、僕たちと近いね。僕たちは最南部に位置するシガンシナ区の出身だよ。あ、僕はアルミン。こっちはエレン。さっき君に出身地を聞いたのがマルコ。よろしく」

 

 中性的な顔が目立つアルミンはそう言ってにこやかに笑みを浮かべると、フリーダに手を差し伸ばした。しかし、フリーダはその手を握ろうとせず、ただ黙って見つめる。流石のアルミンも、握られない手に気まずくなったのか、そのまま何も言わず恐る恐る引っ込めた。

 フリーダはそこで「ああ、握手という意味だったのか」と気付く。普段そういうことをしないため、相手の意図を掴むことができなかった。

 

「なあ、ウォールマリアの南部ってことは、お前も鎧の巨人を見たのか?」

 

 コニーがフリーダへ喜色の声音をさせながらそう尋ねる。巨人を見たのか聞くなど、随分無礼な奴だと思ったが、フリーダは特にその点を気にすることはしなかった。

 フリーダは自身の経歴詐称を押し通すため、少しばかり思い出す素振りを見せるが、鎧の巨人なんて当然見ているわけない。なので、この場は適当にはぐらかすことにした。

 

「いや。俺はその時、門の近くにはいなかったな」

 

 見ていないということがわかり、コニーはあからさまに残念そうな顔をするが、マルコはどこか納得したように頷いてくれる。

 

「じゃあやっぱりちゃんと見たことあるのはアルミン達くらいなんだね」

 

 マルコにそう話を振られたアルミンは、遠い目をしながら「ああ、そうみたいだね」と呟くだけであった。

 アルミンの様子が少し気になったのか、マルコがそろそろ配膳も始まるということで、一旦食堂に入り、その後、話の続きしようというと提案した。フリーダもコニーに誘われたため、ひとまず同じテーブルに着く事にする。何気に、フリーダは同年代の男子から誘われることが初めてのことであった。

 しかし、それで調子に乗ったのがまずかった。どうやらエレンやアルミンの語る超大型巨人達の話は、自然と人を集めてしまうらしい。気がつけば、いつの間にかフリーダ達の周りには同期の連中が押し寄せていた。

みんな、見たことのない巨人について興味があるのだろう。どんな見た目をしているのか、どれくらいの大きさだったのか、どのように人を食べるのか。実際に、巨人の恐怖を味わったことのない人間たちは怖いもの見たさでエレン達の話を聞いているに違いはなかった。

 フリーダは落ち着いてスープを飲めない事に少し憤りを感じながらも、黙ってエレン達の話に耳を傾けていた。普通の巨人について興味はないが、逐一コニーが反応を求めてくるため、聞かずにはいられないのである。

 

「巨人なんて、実際大した事ねえな。オレ達が立体機動装置を使いこなせるようになれば、あんなの敵じゃない!」

 

 エレンが得意げな顔で啖呵を切った。同期のみんなは、エレンの決意のようなものに圧倒されていたが、フリーダだけはそれを横目で見ながら「こいつは早死にするな」と何となく思った。特に死相が見えたとかそういうのではないのだが、こういう己の命を蔑ろにする奴に長寿の道があるとは思えなかったのだ。

 エレンが豪語していると、馬面の男が茶化すように横槍を入れる。エレンの志が高い分、鼻につくのは仕方がないと言えば、仕方がないことではあるのだが。それでも、調査兵団に行くと主張する男なんかにわざわざ構いにいくところ見ると、この馬面も相当捻くれた性格の持ち主ということが分かる。

 

「正直なのはオレの悪い癖だ。気い悪くさせるつもりは無い」

 

 少し険悪なムードになっていたが、どうやら無事馬面の男とエレンは仲良くなれたらしい。最終的に手を打ち合って仲直りしていた。

 あれが男の友情というものなのだろうか。今まで友達が出来たことのないフリーダからすれば、馬面の男が最初やたら喧嘩腰だった意味が分からなかった。

 初めてみるコミュニケーションの仕方に首を傾げていると、カンカンと晩食の終わりを告げる鐘が鳴る。フリーダはその音を聞いて、食器を片し割り振られた自室へ戻ろうと食堂を出た。

 少し歩いていると、目の前に見覚えのある金髪の少女が歩いてくる。昼間、教官の怒号に涙していたクリスタであった。

 フリーダはそんなクリスタのことをまるで認知していないかのように、横を通り過ぎようとする。開拓地ではいつもこのようにして接していた。しかし、今日のクリスタは珍しく服の裾を掴んでまでフリーダを止めた。

 

「兄さん、なんで何も話してくれないの……。昔はあんなに仲が良かったのに」

 

 今にも泣きそうな瞳で彼女はそう言う。クリスタがこうなっているのも無理はなかった。 

 まだ、彼女がクリスタではなくヒストリアと言う名の少女だった時。目の前にいる彼がフリーダという名を名乗り始めていない頃。彼らはとても仲の良い兄妹であった。

「兄妹」と一口で言っても彼らに血の繋がりというものはほとんどない。クリスタはロッドとその使用人から生まれた子供であり、フリーダはロッドの兄ウーリ・レイスの隠し子である。血縁上で言えば、兄妹ではなく従兄であった。

 そんな二人の関係がガラリと変わったのは、クリスタ達が開拓地へ送られた時だった。クリスタはロッドによって都合よく追い出されはしたものの、最愛である兄と暮らせるのであればと喜んでいた。しかし、実際に生活を初めてみれば、フリーダからは以前のような明るさは消え失せ、代わりに酷く冷たい視線だけがクリスタに与えられるようになった。その冷たさの正体が何かはクリスタには分からない。ただ分かることがあるとすれば、それは自分を投げ飛ばした母親に似ているということだった。

 あの日以降、クリスタの体には常に寒気が纏うようになった。誰かから与えられていた温かみが消え、今にも凍え死んでしまいそうな感覚に陥っている。今も、大好きな兄の服を掴んでいなければ真面に立てそうも無かった。

 

「ねえ、兄さん。何か言って、お願い、だから」

 

 縋り付くような声。

 フリーダは今にも死にそうな顔をしているクリスタを見ると、裾の部分をそっと離させる。久々に触ってくれた兄の手はクリスタに確かな温かみを与えた。

 ついに兄が何か言ってくれるのかと歓喜し見上げるクリスタ。しかし、そこにはいつも通りの鉄仮面が鎮座しているだけであった。

 

「っ、何も、言ってくれないの……」

 

 クリスタが目を伏せる。兄の冷たい眼差しがとても怖かった。

 フリーダはその言葉に否定も肯定もせず、クリスタを置いてそのまま自室へと歩き出した。その行動が意味するものとは一体何なのか、クリスタには分からない。

 

 

 次の日からは訓練が始まり出した。最初は立体機動装置の適性検査を兼ねた姿勢制御訓練であったが、フリーダは難なくクリアしていた。

 当然、することの無くなったフリーダは暇を持て余す。何かすることがないものかと思い、あたりを散策していたら、金髪でガタイがいい男が座っているのが見えた。

 

「おう。お前も余裕組か」

 

 金髪の男もどうやら暇をしていたらしく、声を掛けてくる。彼の名前はライナーというらしい。

 

「ああ、簡単だった」

 

 愛想無い様子でフリーダが返すと、ライナーは笑い返した。

 

「確かに。あれはぶら下がるだけだからな。できるやつからすれば、何でできないのか分からないぐらいだ」

 

 そう言って、ライナーが見るのは上体をひっくり返してぶら下がるエレンの姿である。「あればダメだな。明日には開拓地送りだ」

 男の言う通り、兵士になるには巨人と戦うため立体機動装置を扱えることが最低条件になってくる。その適性を図るための姿勢制御訓練であそこまでの体たらくを晒してしまったエレンは、早い段階で除隊する事になるだろう。力無きものは去るしかない。それが、この訓練兵団の掟である。

「お前上手かったらしいじゃ無いか。何かアドバイスでもしてやらないのか?」ライナーがそう言ってフリーダを見る。

「下手くそならば、帰ればいい」とフリーダはそう素っ気なく答えながら、空中で反転しているクリスタを見た。

 教官の叱責が遠くから聞こえてくる。どうやら、エレンの有様を目にしてしまったらしい。

ライナーはほんのり苦笑いを浮かべると、違う話題を振り始めた。

 そこからはライナーと談笑した。どこから来たのか、好きな食べ物とかあるのか、訓練兵で可愛い子は見つけたか、と言った世間話が中心であった。同年代とあまり話したことのないフリーダからすれば、どれも目新しい話題ばかりだったが、元々そこまで喋るのが苦手でもないため難なく受け答えする。昔、クリスタにせがまれ多種多様な本を読み聞かせていた経験がここで生きたらしい。

 会話に一段落ついた頃には、いつの間にか姿勢制御訓練が終わっていたらしく、周りにいた人は少なくなっていた。ふと空を見上げれば、青い色だったはずの空が黄金色に変色しつつある。

 フリーダは自分が割り振られている武器庫の整理を思い出し、ライナーにそれを告げた。彼は手伝おうかと聞いてくれたが、フリーダはそれを断る事にする。武器庫の整理は重い荷物の移動があるので、筋肉を鍛えるのに丁度良かったからだ。

 ひとまず、ライナーと別れ武器庫へと向かう事にしたフリーダ。ふと姿勢制御装置の方を見てみれば、未だ教官から認められていない訓練兵が何人か自主練に励んでいた。そこには当然、エレンとクリスタもいる。

 

「まだだ、俺は巨人どもを駆逐するために、力を得なければいけねえ!こんなところで挫けてられねーんだよ!」

「気持ちは分かるけど、これ以上は危険だよ。何度か頭を打ち掛けているし、今日はもう休むべきだ……」

「エレン。頭の損傷は下手をすれば後遺症が残る。ここで無理をしてはいけない」

「うるせー!そんなことにビビってたら、出来るもんも出来なくなる!俺は、“俺の目的のために力が欲しんだ!”」

 

 周りを気にせず大きな声で喋る三人組。フリーダはそれをじっと眺めていた。自分が無茶をするとき、ああ言う風に、いつも一人の妹と姉が宥めてくれていたのを思い出す。

 とても懐かしい記憶。もう何十年も昔のように感じる。

 少しの間考えた後、エレンの失敗具合を思い出しながら、フリーダはクリスタに構うことなくエレン達の方にだけ寄る事にした。

 

「あ、フリーダ」

 

 アルミンがフリーダの接近に気がついたのか、声をかけてくる。エレンともう一人近くにいる女も、その声でフリーダに気がついたのか、一斉にそちらへ視線が向けられた。

 

「よ、よう。何の用だ、フリーダ」

 

 姿勢制御ができ無い事に焦りを感じているのか、エレンの声は妙に上ずっていた。目は大きく開き、唇を忙しなく震わせているところを見ると、心此処にあらずと言った有様なのが見て取れる。

 フリーダはそんなエレンの様子に構う事なく、アルミンが握る取手を見つめた。

 

「アルミン。あげてくれ」

 

 フリーダの申し出に困惑を見せるアルミンは逡巡した。「え、でも。まだエレンの準備が……」

 それに続くように、隣で見ていた女もアルミンに同調する。「これ以上は危険。少し休んでからの方が良い」

 

「エレンの失敗している原因が分かるかもしれん。できれば時間をかけずに教えたい」

 

 フリーダは二人の意見を一笑に付すと、エレンの方を見る。結局のところ、やるかやらないかを決めるのはエレン自身でしかない。エレンがやりたくないと言うのであれば、こちらへ眼を飛ばしているクリスタが絡んでこない内に、フリーダはそのまま武器庫に行くだけであった。

 

「いや、構わない。オレはいつでもいける。アルミン上げてくれ!」

 

 覚悟を決めていたのか、エレンはアルミンに吠える。

 アルミンもエレンの覚悟が伝わり決心がついたのか、気前よく「分かった」と言って取手を回し始めた。

 女の方はあたふたした様子でそれを見守っているが、フリーダは注意深く、ある一点の場所を見つめる。

 二、三回取手を回せば、エレンの足が地面から離れ体が持ち上がり始める。

 徐々に、徐々に。上へ、上へ。

 一番高いところまで持ち上げられた上体は、姿勢を綺麗に保てたかと思うと、何の拍子もなく前傾に回転した。

 だが、フリーダはそれをあらかじめ予想していた。すぐさま、地面にぶつかりそうになったエレンの頭を足でキャッチする。

 

「エレン大丈夫!?」

 

 女が回転したエレンを心配する。

 フリーダはエレンをそのままゆっくり地面へと下ろし、エレンから装備を外させると、ベルト部分を見つめた。

 

「やはり破損しているぞ」

 

 フリーダはそう言って、エレンに分かるように破損している部位を指差した。そこは、昨日フリーダが細工した場所によく似ている。

 アルミンや女もフリーダが指し示す場所を見てみれば、確かに一部装備が破損しているのが見えた。

 

「あ、本当だ。これが原因だったのかな。でも、こんな所破損するなんて聞いたことが……」

 

 アルミンの言うとおり、この部分は誰かが故意に壊さない限り、破損しない場所であった。

 そのため、装備点検の欄からも外れており、この部分を点検する人間などほとんどいない。

 それなのにフリーダは一発で、その部分が壊れていると見抜いた。それは一重に、彼がその部分を壊すとどのようになるのか知っていたからである。

 エレンは心底恨めしそうな目でベルトを見つめると、誰にも聞こえないくらいの大きさで小さく舌打ちをした。

 

「まじかよ、そうだとしたら、何回やってもうまくいく訳ねえじゃねーか」

 

 エレンはそう愚痴を溢すと、早速、「体格の似た誰かからベルトを借りてくる、フリーダありがとな」と言って走り出した。

実に愚直な彼らしいと言えば彼らしい行動なのだが、その周りにいる人間からしたら迷惑極まりない。エレンの妙なせっかちさに思わずアルミンと女がため息を吐くと、フリーダに向かって深々とお辞儀をする。フリーダも、そんな事を望んでいたわけではないため、手を振ってそのお辞儀をやめさせた。

二人がエレンを追っていくのを見届けると、そそくさとフリーダはその場を後にする。後ろから感じる目線に気づかないフリをしながら。

 武器庫に着くと、どうやら先客がいたらしく一人の女が椅子に座っていた。そばかすが特徴な女である。

 本日の作業は自分一人が担当のはずなので、フリーダは彼女のことを無視して武器の整理を始めようとする。最初は軽いものから運ぼうと考えた。

 

「なあ、あんたクリスタの兄貴だって?」

 

 突然、女がそんなことを尋ねてくる。

 クリスタとの関係をフリーダはまだ誰にも言っていないはずなので、女はクリスタの友達かなにかだろうと決めつけた。

 

「そういうあんたは?」

 

 フリーダが名前を聞き返した事がそんなに可笑しかったのか、女は眉毛をぴくりと上げると驚いた顔をした。

 

「お前喋れるのかよ。クリスタからは無口って聞いたんだけどなー」

 

 女の言うとおり、フリーダは確かに寡黙な方である。自分から喜んで喋らないし、あんまり誰かと笑いあったりはしない。けれど、喋る時は喋るし、別に話すことが嫌いというわけでもなかった。その証拠に、今日の訓練時はライナーと談笑する程度にコミュニケーションを取っていた。

 フリーダが無口になるのはクリスタの前だけである。

 

「私はユミルだ。お前の妹と結婚する者と思ってくれよ」

 

 一部変なセリフが聞こえたが、フリーダは彼女の名前を聞いて、目を細める。

 ユミルという名前にとても聞き覚えがあったからだ。

 

「ユミルだと?」

「何だ?私のことを知ってたのか?」

「いや、知らん。だが、その名前はすごく聞き覚えがあるな」

「……まあ、別に変な名前ではないだろ?」

 

 ユミルがそう言うので、確かに珍しくはないかとフリーダは思う事にした。それに、聞き覚えがあったとしても、それはただの偶然だと考える。

 

「で、話があってきたんだよ。お前さ、クリスタの装備破損させたろ?」

 

 ユミルがからかうような顔をしながら言う。

 フリーダはそれに動じる事なく、頷いてみせた。

 

「あれ、あっさり認めるのか」

「他人に隠す事でもない」

「ふーん。何であんなことしたんだ?」

 

 先ほどのような戯けた顔ではなく、真剣な顔つきでユミルが聞いてくるので、フリーダもため息を吐きながら己の心中を吐露した。

 

「あいつは何かになれる器じゃない。その辺の器量の良い男を捕まえて、腐る程ガキをこしらえて、馬鹿みたいに笑っている方が似合っている」

 

 これが、フリーダがクリスタを冷たくあしらっている“表面上”の理由である。

 

「思ったより口悪いな、お前。何でそれを本人に言ってやらないんだ?」

「言うだけ無駄だ。どうせ言うことを聞かない」

 

 ユミルは面倒くさそうに頭を掻いた。もう少し複雑そうな話であれば、何か解決の糸口でも出してやる気でいた。しかし、ユミルから見たこの兄妹の問題はただのすれ違いである。原因がシンプルすぎて、ユミルもどうしたらいいか戸惑っていた。

 

「悪いが、多分クリスタはそれを望まない。あいつはお前と一緒にいるためにどんな手を使っても努力し続けるはずだ」

 

 事実、先ほどエレン達に装備破損を教えてやった時、クリスタは心底恨めしそうに見ていた。あと数分もすれば、あの場へクリスタは飛び込んでいたことであろう。

 

「ベルトの破損については私から教える。お前の努力は全部水の泡だな」

 

 ユミルが愉快そうにそう笑うので、「そうか」とだけフリーダは素っ気なく返す。

 その返答が気に食わなかったのか、ユミルは顔をぐしゃっとしかめた。

 

「なあ、本当にクリスタと話す気はないのか」

 

「ない」と即答する。フリーダは今後一生クリスタと話す気がない。

 

「それでも兄貴かよ」

 

 ユミルから批判の声が聞こえるが、それでもフリーダは止めるつもりがなかった。

 最早、兄として、一人の男として、自身が行っている行為が最低なことは自覚している。

 

「ああ、そうかい。じゃあ良い。精々、妹を苦しめるんだな」

 

 苦しめる、という言葉がフリーダの中で引っかかるものの、それを無視する。

 自分の成すべきことを成すためには、クリスタという存在は邪魔でしかないのだ。

 フリーダは己の目的のため、クリスタを、自分の妹を捨てていく。それは自分への戒めなのかもしれない。ただ、それをしなければいけないとフリーダは考えていた。

 何をしてでもやり遂げなければいけない。例え、自分が死んでもやり遂げる。

 そんな強い意志で彼は今も生きている。

 フリーダの生きる目的。それは“最愛の姉を殺した、あの巨人になれる人間を殺すこと”であった。

この小説の雰囲気について

  • 原作同様沢山人殺す(世界は残酷だルート)
  • みな生存ハッピー(世界は美しいルート)
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