午前3時22分37秒。戦闘開始から1分が経過。
推定被害規模ーー。
夜の闇を寸分するかのように置かれた街灯が、黒いローブを照らす。人の輪郭があるローブの肩と脚の部分には赤黒く滲んでおり、駆け抜けた後の道には同じ色のシミが延々と線の様に繋がって行く。線の先は、ここより20キロ離れた市民会館に繋がっており、その距離をローブは1分足らずで移動していた。常識的では無い速度は、しかしここで止まってみせる。
ローブの進行方向に照らされていた光はいつの間にか消えていた。それどころか、衛星都市を輝かせていた光が闇へと飲まれていく。そして不安げに揺れるローブに向かって、一筋の光が襲いかかった。
縄状の光はローブの周囲を何周か廻ると、急速に締め上げ先端は地面へと突き刺さった。
「姿隠しとはな。苦労したぞ」
闇へと続く光の先より声が響く。少年の純真さに大いなる気品が宿る声はローブへと近づいてくる。
一陣の風が吹き、ローブがはためくと、そこには血に汚れた老人の姿があった。逃れようと身を捩らせているが、縄は僅かな綻びもみせない。老人は解けないことを悟ると、一度眼を閉じ覚悟を滲ませた顔で口を開いた。
「……弟子たちは、どうした」
「殺した。皆、戦士として立派な最期であった」
闇の中から1人の少年が現れた。
所作の端々から溢れ出る気品に恐ろしい程隙の無い立ち姿。隠しようがない王の品格を醸し出すこの少年こそ、老人が必死に逃げていた相手であった。
苦虫を噛み潰したような顔で老人は息を漏らす。
「そうかい…お前ほどの男に褒められたなら、ボンクラたちも悔いはあるまい」
「そう願おう」
「じゃあ………まあ、早いとこ頼むわ」
そう言うと、老人は天を仰ぐ様に首を晒す。しかし、その眼は天ではなく少年を睨み、自分の戦意が少しも欠けていない事を示していた。
近づいて来たら一緒に吹っ飛んでやる。
そんな事を考えていた老人に、意外にも少年は首を振ると握っていた縄を離す。手から離れた縄は粒子となって消えていき、支えを失った老人は倒れ込んだ。怪訝そうな老人に少年は鋭い眼差しを向ける。
「誉ある戦士たちの師よ。卿には、協会への伝令となってもらう」
「…何を伝えろって?」
「宣戦布告である」
「……」
老人の眼に驚愕に染まる。
こいつは今、何と言った?あの魔術協会に宣戦布告だと?
混乱の最中の老人を待たず、少年は声を挙げる。
「不当なる魔術協会へ我らが主人に変わって告げる。
「主人への20年にも渡る正当性なき監禁、及びに強制的な魔術行使。更にはそれで得られる『聖杯』の徴収。これらは全て許されざる行為である。
「ゆえに我らは蜂起する。
「要求は2つ。
「1つ。聖杯錬成都市フユキとその周囲3つの衛星都市の魔術的独立の承認。
「1つ。我らが主人、ハルカ・フォン・アインツベルン及び『聖杯』への永遠の不干渉。
「万が一これらの要求が通らず、我らに弓引くその時は、「『聖杯』に呼び出されし『清貧の7騎』が諸君らを叩き潰す事を約束しよう」
老人の血の気が引く。混乱していた頭が落ち着きを取り戻し、冷静に分析を始める。
今少年が言った要求が通る事はない。この伝言を
聞いた協会の上層部は、冷笑に伏すだろう。世間知らずの妄言であり、大言壮語の塊であると言い、容赦無く刺客を放つはずだ。
だが、実際に彼らと闘い、言葉を交わした老人は違う。彼は7騎と言った。つまり、老人の弟子108名を無傷で殺し尽くした実力者が、少なくともあと6人は居るということだ。
陥る。いくら絶大な協会といえども初動を誤れば陥落しうる。それを回避する為に取れる手段は一つしか無いだろう。
協会の暗い未来を予想しながらも、老人の心揺れてはいなかった。
老人は確かに協会側ではあったが、それは金で雇われてのことである。大事な顧客である協会を失うのは痛いが、何も命よりも大切という事はない。所詮は金の繋がり、しかしーー。
「どうした。疾く行き、伝令の勤めを果たすがいい」
俯き、動かない老人に少年が声をかける。
「ああ…そうだな……」
老人はゆっくりと立ち上がり、胸元から1枚の紙を取り出した。真っ白な紙は掲げられた途端、端々まで文字に埋め尽くされ黒く染まる。そして、鳥の形へと折られていき暗い空へと飛び立って行った。
「伝令は行ったぜ」
「……そうか」
「ああ」
血に塗れたローブを脱ぎ捨て、老人は古風な杖を握りしめる。
所詮は金の繋がり。しかし、老人の弟子たちはその金の為に死んだのだ。ならば師である自分がここで投げ出してしまったら、あのボンクラたちに合わせる顔がないーー。
「『不死隊』のハーラルだ」
「『清貧』のセイバーである」
老人に応える様に、少年の手にも身の丈ほどの大剣が握られている。
圧倒的な神秘の奔流が老人を襲う。猫に睨まれた鼠。逃れられぬ死。しかし、老人は不敵に笑う。
『不死隊』の頭の首をくれてやる。せいぜい怯えてくれよ、クソったれの協会。
杖の先を青く輝かせ、戦士は駆ける。
王もまた、渾身の一撃を持ってそれを受ける。
そしてーー。
午前3時29分06秒。全戦闘終結。
推定被害規模。
主要物的被害ーーフユキ、ハルカゼ、ナツゾラ、アキハの4都市及び周辺の霊脈の損失。
主要人的被害ーー『不死隊』、計109名全滅。