「ここなら話を聞かれる事はないだろ」
喧騒から欠け離れた校舎の日陰。ここならば人の気配は存在しない。日常とは別離した闇に潜む者達が話すには妥協すべき所だろう。
そう納得した剣は振り返り、二人の少女───切歌と調に声をかける。
「さて、話をしようか。まずはお前達の番からだ。………何の用だ?」
わざわざ、何の意図もなくこの学校の祭りの中に来るとは思えない。何より彼女達は任務だの目的だの呟いてるのを剣は耳にしていた。その目的が、自分や響達に関することだという事も理解している。
二人は互いの顔を見合うと頷き合い、切歌という少女が剣に向けて指を指して告げた。
「─────決闘を、申し込むデス!」
自信満々に言う切歌の言葉を聞いた途端、剣は呆然としていた。当初は何を言ってるのか分からない、というよりも。正気か、と疑っていたのもかもしれない。
補足するように、彼女は言う。
「然るべき場所での決闘デス!けどやり合うのはお前とじゃなくて、その仲間とデス!」
「………俺とじゃ勝負にならないからか」
「ぐっ…………そうデス!お前相手にはマリアもいないと手強いデスからね!けど、倒せないって訳じゃないから勘違いするなデスよッ!!」
(────別に、アレがまだ全力じゃないんだがな)
負け惜しみのように言う切歌に、剣は口に出そうともせずに事実を思い浮かべていた。無空剣のロストギアには、強化形態が存在している。かつて見せたような【アビス・ドライブ】でもない、誰にも見せたこともない姿を。勿論、剣はそれを使うつもりはない、今のところは。
二人の少女は自信満々と言った様子で、続きの言葉を口にした。
「もし、私達が勝ったら─────」
「無空剣!お前のロストギアを渡して貰うデス!」
「……………はぁ?」
思わず、呆れてしまう。
本気で言ってるのか、そうとでも言いたげな眼で二人を見据えるが、彼女達に当たっても意味がないのは明白だ。
そんな最中、切歌という少女は剣を指差しながら、その要求の理由らしき事を述べる。
「『博士』が言ってたデス!聖遺物としての性質はロストギアの方が上だって!なら私達の計画にも使えるのは間違いない、デス!」
(…………『博士』)
その単語を耳にした途端、剣の脳裏からあらゆる感情が排斥される。すぐさま浮かび上がったのは、『博士』と該当されるのが何者か。彼女達の言う、計画の内容すら頭から抜けていた。
Dr.ウェルなどではないだろう。彼女達の呼び方も少し違うと思われるし、何より彼は自分のロストギアにそこまで詳しい訳ではない。むしろ、より詳しい人間ならば、予想できる者は、一人しかいない。
「どうしたデス?ロストギアを渡すのが怖いんデスか?」
「………それなら、貴方の仲間のペンダントでも良い。強制はしないから」
どうやら、自分が力を手離したくないからどうすべきか悩んでる、と思われたのだろう。挑発をしてくる少女達に、剣は一々食いかかる事なく、フードを脱いだ。
何をしているのか、と怪訝そうな二人の前で、剣の右目を覆う銀髪を内側から撫で上げた。当然覆われていた前髪が上がり、そこに隠されていた右目が露になる。
「───っ!?」
「…………え?」
途端、二人は思わず仰け反った。目を見開き驚愕している彼女達は、何を言うべきか分からないように絶句している。当然だ、誰だってこんなものを見れば驚くだろう。
なんせ、前髪に隠されていたのは右目なんかではないのだから。前髪をかきあげた剣は、それだけではなく自身のガントレットを外し、その手を見せつける。黒いグローブに包まれている彼の手だが、手の甲の部位に右目と酷似するものが存在していた。
「────これが俺に組み込まれた魔剣の断片、ロストギアのコアだ」
漆黒、黒曜石のような光を灯す結晶。それは右目の存在すべき眼窩と右手の手背部分に、それが埋め込まれていた。縦に伸びたひし形の形状のそれは人が作るものとは思えない程の美しさと異様な力を宿している。
「俺達とシンフォギア装者の違い、単なる性能差だとでも思ったのか?それもあるだろうが、前提が違う」
ガントレットを装着し直した剣は、落ち着いた声で話す。
「俺達魔剣士は魔剣との融合が行われている。その証明として、肉体の一部分に魔剣の断片が結晶として浮かび上がる。俺の場合、右目と左手の甲みたいにな」
融合の証であるこの結晶は、シンフォギアにとってのペンダントだ。だが、ペンダントのように聖詠は必要ない。
意思さえあれば、魔剣は適合者に力を貸すのだ。故に、ロストギアを纏うのは、シンフォギアよりも面倒ではない。
「ロストギアを纏うには魔剣をコアとして力を発動させる必要がある。お前達のペンダントのように聖詠を歌うことで纏うシンフォギアとは違う。この身体は、ロストギアという武装の組み込まれた肢体。つまり、俺の身体はロストギアそのものという訳だ」
だが、難点もある。それは魔剣、聖遺物との融合する事だ。魔剣士として戦うのであれば大前提として、聖遺物との融合が必須となる。認められるのは至難の技、大抵の者は魔剣から拒絶される。魔剣士としての及第点をクリアした融合症例である響を除いたシンフォギア装者は、その必要もなく戦えるからこそ、コストや扱いとしては魔剣士よりも人道的なのは間違いない。
人として扱うのならば、の事だが。
「さぁ、どうする?これでも俺のロストギアを望むか?まぁ、欲しいなら俺ごとやるさ………捕虜って形になるが、俺みたいな爆弾は好きで欲しいとは思わないだろ?」
先程の挑発の軽いお返しと、剣も皮肉を口にする。ほんの少しの意趣返しのようなものだ。
対して二人は、剣から少しだけ離れ、小声で話し合う。
(………し、調、どうするデス!?ロストギアって私達みたいなペンダントじゃないんデスか!?)
(…………でも、あいつ嘘ついてないみたいだし………きっと本当に融合してるのかもしれないよ)
(じゃあロストギアをネフィリムの餌にするには────アイツごと喰わせるって事、デスか?)
切歌と調の間に、長い間の沈黙が過った。ネフィリムの餌となる聖遺物、ネフィリムを成長させるのに純度が最も高いのは無空剣のロストギア。しかし彼の魔剣が、肉体に融合してるのであれば、どうやっても手に入れることは出来ない。
同時に、ネフィリムを成長させる為には、無空剣を餌として喰わせなければいけない、という事になる。世界を救うという大義名分があるとはいえ、誰かを好きで傷つけたいとは思っていない。ましてや喰わせるなど、絶対に有り得ない。たとえそれが自分達の敵であっても。
「…………お前達の話は充分に聞いたし、答えた。今度は此方の話に答えて貰うぞ」
少女達の密かな話し合いも一段落といった所で、剣がそう呼び掛ける。二人が振り返る瞬間に、核心とも言える事を問い質した。
「─────お前達の協力者は、エリーシャ・レイグンエルドという男で間違いないな?顔の半分を機械の仮面で覆った、科学者のような奴だ」
心当たりがあるどころではないのだろう。二人は合っていると言うように頷いた。剣の言った特徴は、映像越しであったが全て類似していたので間違いはない。
「悪いことは言わない────奴と手を組むことは止めておけ」
「………どうしてデスか?」
「ロクな事にならないからだ。少なくとも、お前達にとっても」
「悪いけど、敵である貴方の言葉だけじゃ判断できない。実際に、納得できる証明がないなら、私達も聞き入れられない。さっきの話もそう、だから証拠があるなら見せて欲しい」
断固として敵の虚言を疑わない少女達に、剣は数秒も睨みを効かせていた。しかし、すぐに溜め息を漏らすと、突然フード付きのパーカーを脱ぎ出した。
背を向けて、首筋を見せるように立つ剣。彼女達も、剣の首にあるものを眼にした途端────絶句してしまった。
「─────これが、証明だ」
うなじに埋め込まれた人工脊髄。表面、肌から露出した金属部品を指で撫でながら、剣はふと思う。かつて自分の正体を疑ったクリスにも、同じように見せたな、と。
そして、これが明白な証拠だ。
剣という魔剣士が魔剣と融合した存在であるということと、エリーシャという狂人とそれを御する黒幕による狂気の計画の。
「肉体の七割以上が元のものじゃない、身体の大半が切り開かれて臓器や神経を抜き取られ、改造された部品を組み込まれた。今の俺は定義上では人間に定義されるが、身体の全部を見ればサイボーグと言われても文句は言えないくらいだ。これも全部、奴によって行われた所業だ。勿論、俺もこうされるとは知らなかった」
「………………博士は」
ポツリと、調が呟く。思い当たる事があるのか、彼女はかつての話を思い浮かべていた。
「エリーシャ博士は、貴方を造ったって言ってた。なら造ったというのは、ロストギアじゃなくて────」
「俺という魔剣士を造った、という話だ。人間だった『俺』を素体としてな」
少女達の顔も真っ青へとなる。まさか自分達に協力してくれていた人が、そんな事をしていたなんて。怪しい人だとは思っていた、胡散臭いとも思っていた。
あの笑顔の裏に、そんな悪行があったとは思えなかった。だが、二人の考えはまだ甘かった。それだけが、エリーシャの悪行ではないのだ。
「…………およそ一万人以上」
噛み締めるようでありながら、冷えきった声で剣は言い切る。その人数は、どんな意味であるのかは彼女達には分からない。いや、分からない方が良いに決まっている。
自分とは違い、まだまだやり直せる立ち位置にいる。そう思った剣は、続きを最後まで述べた。
「奴が魔剣士を造り出す実験で消費した被験者の数だ。あくまで俺が確実に知ってるのは七千人程だが」
眼を細め、剣は何処か遠くの空を見上げる。何かを見ている訳だが、それが存在しているものではない。
忌まわしき宿敵、奴が隠れているであろう場所を見据えて。
「これは俺の予想だが、奴はこの世界でも何人もの命を脅かしている」
「…………」
「奴の目的、奇跡の解析の為ならば人殺しも辞さない男だ。老若男女を殺すどころか、国一つを滅ぼすことも気にしないだろう。どうせこの月の落下も、奴が仕組んだ作戦の一つなんだろうな」
「奴が、仕組んだ?」
「奴の事だ。どうせ月を落としてみて、どうするかを見たかったのかもしれないな。或いは、わざと人類を滅ぼすのも奴ならやりかねない」
より近くで、奴に造られた剣だから分かる。アレは単なる悪人や外道とは比べ物にならない。精神が人のそれを超越している。そんな輩が、世界を救うなどと言っても信じるわけがない。
「………意図が分からない、私達に教える意味が分からない」
「そう………デスよ!!エリーシャ博士は私達に月の落下を教えてくれたんデス!米国がその情報を誤魔化して、自分達だけでも助かろうとしてるって!それを教えてくれたから─────」
「─────なら、だ。俺みたいな魔剣士を造って、一万人の被験者を軽々と死なせた男が、善意で世界の終末を教えたとでも思うか?お前達の存在を利用したいと考えてるに決まってるだろ」
人々を救う?世界を守りたい?それはそれは綺麗な言葉だ。誰もがよく使うだろう。無論、奴も。同じような言葉を用いて、似たような煽動を彼女達にしたのだろう。
────同じような事を吐かれて、騙された剣だからこそ確信的に分かる。
だからこそ、被害者として出来ることはある。彼女達に、今も奴に乗せられて巻き込まれそうになっている彼女達を、少しでも奴から遠ざけることが。
「悪いことは言わない。奴から離れろ、奴の行動や言動全てを疑え。そうしなければ、全てが無意味になる。俺を疑うのなら、疑ってくれていい。だが、奴も同じように疑ってくれ。決して信じるな。
俺みたいになるな。大切な仲間を、失いたくないだろ。自分自身の手で──────」
剣がそれ以上言わずに、顔を伏せて口を閉ざす。彼の真剣な説得や発言に、二人は今度こそ否定的な事を言うことが出来なかった。
瞬間、大きな電子音が鳴り響いた。それは剣の所持するあらゆる電子機器からではなく、切歌達が所持していた通信機からであった。
「………っ!マム!?」
『アジトが襲撃されました』
「……………!!」
『幸いな事に、襲撃者は撃退できましたが、居場所を特定された以上、長居は出来ません。此方も速やかに移動をしますので、指示した場所で落ち合いましょう』
何とか聞こうとしたが、それより先にナスターシャ教授からの連絡は途絶えた。どうやら一々長話できない程の事情らしい。互いを見合っていた切歌と調であったが、剣の方に視線を向けると、彼はあからさまに肩を竦めた。
「…………決闘の場所はお前達に任せる。どうせ今は詳しく話してる暇もないみたいだしな。校舎の裏側かではなく、人混みを利用した形で行けば、難なく逃げられるだろう」
「……………切ちゃん」
「分かってるデス、癪デスけど今回は感謝するデスよ」
慈悲をかけた訳ではない。彼女達にはまだ無事でいて貰う必要がある。剣としては、今現在の二課の戦力では月の落下という事態は防ぐことは難しい。ならば考え得る範囲での策は、マリア達と手を組んで月の落下を止めることだ。
だが、その為にもマリア達を力ずくでも止めて、説得をする必要がある。彼女達の仲間も無事に、傷つけることも避けておきたい。
「────忠告したからな、気を付けろよ」
すぐさまこの場から離れる少女達から背を向け、剣もこの場から急ぎ足で立ち去る。こうして敵同士の密談は互いの仲間に覚られることなく、密かに幕を下ろした。
◇◆◇
そして、密かな語り合いが終わってから少し経った後。
体育館程かそれ以上ホールにて、秋桜祭の催しとしてカラオケ大会のようなものが行われていた。
立候補する少女達が、自身の歌を歌っていく、単純だがそれでも盛り上りの大きいものだ。因みにこれは余談だが、響達の友人である安藤達も参加したらしいが、結果は以下略しておく。
後日にそれを見たタクトが呆れきった様子で、「何でこれでいけると思った?」と聞き返すくらいの結果だったと、付け足しておく。
「さぁーて!次なる挑戦者の登場です!」
司会者の少女がマイクを片手に、乗り気マンマンながら声を上げる。そう言われるがままに、挑戦者となる少女がゆっくりと舞台へと姿を現す。
その名は、雪音クリス。
当初は乗り気ではなかったものの、多くの人からの推薦や話を聞き、とある相手との話にて、このステージに立つことを決意した一人の少女であった。
しかし、そんな彼女に一つだけ憂いてる事があった。
(…………ホントに来てるんだろうなぁ、アイツ)
クリスがやる気になった一因、彼女が歌う歌を、聞いて欲しい相手が、この会場にいるのか。不安になって周囲を見渡していた。暗転した客席に、自分が探している相手がいなくて不安になったが──────
「……………あ」
客席の一番後方にて、彼────剣はいた。椅子に腰掛けることなく、彼は扉の近くの壁に背中を預けている。
暗闇の中で、彼の口が動いた。集中して見つめていたクリスは、何を言おうとしているのか、すぐに読み解けた。
『────お前の歌を、聴かせてくれ』
「…………………あぁ、分かった」
瞬間、嬉しさが沸き上がった。恥ずかしいと思っていた感覚が和らぎ、結んだ口元が自然と緩まる。
彼の言わんとする言葉に応えると、クリスはそれからすぐに歌を口にした。
「─────誰かに手を差し伸べて貰って」
本当の歌よりも遅れた、途中からの歌であった。だが、誰もがそんなことを気にしようとも、指摘しようとも、しないだろう。
「─────傷みとは違った痛みを知る」
彼女の歌が響いた瞬間、誰もが心を奪われたようであった。魅了されたように、クリスの奏でる音色と歌に、聞き惚れている。
「─────モノクロームの未来予想図」
歌う前に、少しだけ羞恥に染まっていた筈なのに、歌い始めてからはそんなものが消え去ったように、歌う事が出来た。
「─────絵の具を探して──────でも、今は」
『学期の途中ですが、新しく編入してきた生徒を紹介します』
『雪音………クリス』
始まりの記憶は、この学校に編入された頃の思い出。自分に向けられる視線、それら全てが悪意なんてものが何一つない、好意のものばかりであった。
─────何故だろう、何故だろう?
─────色付くよ、ゆっくりと───花が、虹に!
─────誇って、咲くみたいに!
『雪音さん!』
『一緒に食べませんか?』
昼休み時に、同級生の数人がそう声をかけてきた。彼女達の事は知っている。クリスが紹介された際、彼女に好意の視線を向けていた少女達であった。
それが善意だと、優しさだと言うのはよく分かる。純粋無垢なものであることは、尚更。
『………悪ぃ、用事があるんだ』
だが、その善意を振り払うように。居心地が悪かったクリスは、逃げ出すようにその場を離れていく。
──────放課後のチャイムに、混じった風が吹き抜ける
『───一人で食事かい?こんな離れた場所で』
一人で、離れた場所で食事をしていたクリスは、自身を案じるような男性の声を聞いた。周囲には誰もいない。クリスはポケットの中から携帯を取り出す。声の主は、そこから通信を掛けてきていた。
『何してんだよ、博士』
『ふふふ、君の調子を見にきたのだよ。なんせ私からすれば君は三人目の子供のようなものだからね』
『………私情じゃねぇか』
『まぁね。剣クンの事だから今も暇してるから、気にするべき子が君だけだし──────どうせなら、私のことを
『…………』
『冗談だ。そんな眼で見ないでくれ、それだけで泣きそうになってくる』
この人、そういうところがあるのだ。
剣の方ならともかく、クリスや響達にもそんな風に言ってくる。冗談めかしてくる割には少し寂しそうだし、本心なのかよく分からない。
ただ、彼も大人の一人だ。自分の心境を、見透かすのなど容易いことなのだろう。
『どうせなら、さっきの子達と食べても………と言うのは
『…………』
『君からすれば、どうすればいいか悩むのは分かるさ。自分がこんな風に幸せになって良いのか、と思ってるんじゃないか?まぁ、単純に慣れてなかったのかもしれないが』
ほぼ、ノワールの指摘は間違いではなかった。雪音クリスは、ちゃんとした人付き合いが少ない。剣や響達と出会う前は、孤児として酷い扱いを受け、フィーネに手駒として回収されてきた。だから、日常や学園生活…………皆と共にある当たり前が、彼女にとっては不馴れなのだ。
何より、もう一つだけ、彼女の胸の内にある思いがある。
自分が、かつてフィーネに与して、被害を生み出した自分が、こんな風に平和に過ごして良いのかという疑問が。
『その考えも悩みも不要だよ』
そんなクリスの自問に、ノワールはキッパリと言い切った。言葉に出来ないクリスを気に掛けるように、ノワールは続ける。
思い耽るように、そして悔いるように。そんな風な感情をひた隠すように笑いかけ、クリスに語りかけた。
『幸せになって良いのかじゃない、なるべきなんだ。キミも、剣クンも。こういう日常を当たり前として受け入れて、
──────感じたことない居心地のよさに、まだ戸惑ってるよ
秋桜祭が始まる数日前。
同じ家で、クリスは自分の在り方を変えてくれた青年と過ごしていた。他愛もない世間話から、ふととある疑問を告げられる。
『────クリスは嫌なのか?皆の前で歌うのが』
『…………』
事の経緯は単純だ。あの時雪音に声を掛けてくれた女の子達から、ステージで歌うことを誘われたらしい。
嫌かと聞かれたクリスは、即答することはなかった。押し黙る彼女の本意は、安易に分かる。その真意を見抜くように、剣は話を続ける。
『嫌いではないだろ?歌は…………まぁ、俺もだ。何というか、心が落ち着くんだ。初めてこの世界に来た時、歌を聞いた時には──────心を奪われた』
少なからず、その本心を吐露するのは滅多にない事だ。仲間であった、信頼した人間でなければ、たとえ何より信頼していたノワールにも、この事を話した事はない。
落ち着きながら告げる剣に、クリスは驚愕したようであった。剣本人は知らないが、当然だろう。今の彼は、子供のような、純粋な笑顔を浮かべているのだから。
『荒んでた心が、俺自身が、ほんの少しだけ報われたように感じた。それからだ、自分のやりたいようにやろうと思い始めたのは。
俺がやりたいように、俺が好きな人達を守ろうって。自分の意思で誰かと共にいたいと思ったのは、久しぶりだったな』
それだけ言うと剣はハッとしたように顔色を変える。余計な事を言った、と彼は逸れた話を戻す。
『だから、もしクリスが歌いたいなら、歌うのが良いと思うぞ?正直、俺も興味がないという訳じゃないしな』
『…………分かった。けど、その前に聞いてくれるか?』
少しの間の沈黙の後に、クリスがそう聞いていた。剣も彼女がすぐに答えを出したのには驚いたが、彼女の言わんとすることに耳を傾けた。
『明日、大会の時に、歌おうと思うよ』
『あぁ』
そうか、と頷く。それから、恥ずかしそうに顔を俯かせていたクリスだったが、深く息を吸い込むと、大声で剣に向けて告げた。
『だから!聴いて欲しいんだ!アタシの歌を!』
『………分かった』
当然だ、等と宣うつもりはない。ここは素直に、純粋に受け入れよう。何より、クリスの歌う歌ならば、聴いてみたいとも思う。
『────お前の歌を、聴かせてくれ。心からの歌を』
─────ねぇ、こんな、空が高いと
─────笑顔がね、隠せない─────
「───────あぁ」
言葉が、出なかった。
しかし、彼の内側にあるのは落胆や失望などと言った負の感情ではない。そんなものは、決して生まれる筈がない。むしろその逆の想いが、彼の心に浸透していた。
魅了された。隻眼となった視線が釘つけになる。明かりに照らされた世界で一人、歌う白雪のような少女の姿が。彼女の心からの笑顔が。
──────笑ってもいいかな?
──────許してもらえるのかな
その笑顔を目にした途端、瞳から生じる違和感に気付いた。隻眼から流れる、一筋の涙。自身が泣いてる事にすら気付かず、剣はただ少女の歌に聞き惚れる。少女の笑顔に見惚れる。
どれだけ、自分の心が荒んでいたのかよく分かる。この歌に瞳を輝かせてる一同とは違い、心奪われた挙げ句に、言葉にも出来ない激情に駆られている剣には。
胸の内が、妬けるように熱くなる。心が、想いが、張り裂けそうになる程に高鳴っている。だが、それは苦しく感じない。この思いが、激情が、それを証明する。
「──────」
何事も口にすることなく、かと言って聞き逃している訳でもない。頬に伝う感涙の雫を拭うことなく、彼はただ立ち尽くしていた。
──────あたしは、あたしの
歌い出した歌が、止まらない。
胸に秘めていた想いが少しずつ溢れ出し、クリスにも止められない。でも、それでいいとも思えた。
この歌を歌えている間、この気持ちを解き放っても良いと。
──────せいいっぱい、せいいっぱいっ!─────心から、心からっ!
最初は迷っていた。
皆に勧められたとはいえ、自分がこのステージに立って、歌を歌っても良いのかと。
でも、剣の話を聞いて、決意が出来た。自分の望むように生きることを選んだ彼。ならば、自分も同じようにしようと。
剣が、あの青年が、好きだという歌を歌おう、と。彼が、それを聴いて、どんな風に喜んでくれるか。どんな風に聞いてくれたのかが、知りたいと思った。
何故なら、雪音クリスは、あの青年に─────
──────あるが、ままに!歌ってもいいのかな────!
瞬間、想いが一気に解き放たれた。
──────太陽が教室へと、さす光が眩しかった
笑顔を輝かせるクリスの歌によって、周囲の空間を別物へと幻視させていく。
藍色に染まる大空の下で、幾千も咲き誇る花に覆われた草原。まるで、人の世とは欠け離れた、楽園の光景であった。
──────雪解けのように何故か涙が溢れて止まらないよ
彼女の心の世界。そこにいるのはクリスだけではなく、彼女にとって親しい者達がそこにはいた。
響、翼、未来。そして、いつも自分に親しくしてくれた三人のクラスメイト。
──────こんな、こんなっ!暖かいんだ!
彼女達に手を引かれるように立ち上がるクリスは、もう一人の人物に眼を向ける。
クリスにとって、変わる切っ掛けを与え、共に歩もうと言ってくれた青年。この世界とは違う世界から来た、自分と同様に、それ以上に傷つき、挫折を味わってきた────だというのに、あのお人好しと同じように心優しい青年。
そう、彼等と一緒にいられるこの場所こそが────
──────あたしの帰る場所
──────あたしの、帰る場所
(…………本当はアイツに向ける為だけだったのに、こんなに喜んでくれるか………)
歌い終えた直後に、爆音のような歓声と喝采に包まれ、クリスはあまりにも落ち着きって、余韻に浸っていた。
クラスメイト達に応えた、たった一人に向けた歌であったが、大勢の人が嬉しそうなのが見えて、気持ちが高鳴ってきた。
(あたし、こんなに楽しく唄えるんだ………)
ふと、歌ってる最中の自分を思い出し、彼女はそんな風に考えていた。
その後、熱唱の余韻から一転、新生チャンピオンとして抜擢され、物凄い羞恥に晒されるクリスなのであった。当然ながら彼女は、数秒後先の未来なんて読めないので既にどうしようもない、詰みの状況だと後々理解させられるのであった。
クリスの歌が終わった直後、歓声が鳴り止まない座席の一番奥、出入り口の方に立っていた剣。彼は歌い終わった後も、クリスのよう余韻に飲まれていた。
ポツリと、呟きが虚空へと漏れ出す。
「良い歌、だな。…………クソ、もう少し言い方があるだろ」
そんな自分の単直な感想に、自分自身で呆れたように吐き捨てる。片目をステージの方にいるクリスへと向ける。
僅かな時間。黙り込んでいたが、ふーっ、と深呼吸をする。
「感想、ちゃんと言わないとな。………きっと、上手い事は言えないかもしれないが」
くしゃくしゃと髪を乱雑にかきながら、彼は自嘲するように呟く。そうやって影から踏み出そうとして、
足を止めた。踏み込むことも出来ず、彼はその場から背を向けて立ち去ろうとする。躊躇うように、踏み出そうとする足があまりにも重かった。それが自分の意思によるものだというのは、言うまでもない。
「…………………悪い」
背を向け、入り口から出た扉の横に背中を預ける。扉が閉まっているにも関わらず、未だ中から歓喜の声が聞こえてくる。
あそこは、光の世界だ。あのまま進んでしまえば、剣も更に皆の方へと歩み寄ってしまうかもしれない。それは嬉しい、望んでいることだ。
だが、まだ駄目なのだ。
「──────皆と笑い合う事は、俺にはまだ出来ない。まだ、やるべき事がある」
瞳に、隻眼に、憎悪が滲み出した。チリ………ッ! と空気が軋む最中、剣は己の決意を口にした。
「エリーシャを、奴を殺す」
しかし、その決意は憎悪によるものではない。いや、語弊がある。無空剣のエリーシャへの殺意は、未だ衰えていない。むしろ対面したらすぐに暴発しようになるほどに燻っている。
だが、エリーシャを殺すという意思は、単なる憎しみだけではないのだ。もう一つだけ、重要な理由がある。
「また俺の大切な人を奪われる前に、奴を必ず殺す。それから俺は、一人の人間として皆と共に生きることが出来る」
過去の因縁はどうなっても途絶えることはない。自分から奪い続けてきたあの狂人の猛威が、自分の大好きな人達に振るわれる可能性も少なくはない。
ようやく、確信した。
彼女達こそ、自分にとって最も大切な存在なんだ。いつの間にか、仲間以上の想いを秘めていることに気付いたが、その事実は、今はどうでもいい。
あの娘達と同じ世界で笑い合う事は、出来ることならしたい。だが、その前に。自分の大切な彼女達を奪い取ろうとする狂気を、自分達の世界から出てきた悪意の権化を、断ち切らなければならない。
確実に、自分の手で。奴の息の根を止めて、ようやく無空剣は人として笑うことが出来るのだ。
「──────俺が傷付こうが構わない。だが、あいつらだけは何としても奪わせない。護ってみせる。俺の大切な、世界よりも護るべき仲間を─────」
────例え、魔剣士という枠組みを越えた怪物に成り果てたとしても。
どす黒い激情と負の決意を胸に漲らせ、彼は顔色を切り替える。よく顔に出ることが多い。自分の事だ、皆を不安がらせてしまうだろう。そうならないようにするのが、剣のやり方だ。
そう考え、彼は入り口から静かに中へと戻っていく。そんな彼の抱える闇など知らない、少女達の元へと。
響達が知らぬように、無空剣も知らない。いや、知っていたが、予想の遥か上を越えることを。自分が宿敵として、怨敵として定めている男が、悪辣なんて言葉で止まる程度の男ではないと。
いずれ、身を以てその事実を知らされる事は。彼はまだ知らない。
コイツ面倒くせぇな(どの面下げて)
要するにエリーシャを狙う理由が増えた訳です。コイツ自分の望んだ通りにやるってクリスに宣言したから、「いや、これが俺のやりたい事だ」って言い訳つくからセコい。流石魔剣士。
それはそうと、クリスの回の奴は頑張ったよ!?僕は、僕達は頑張ったよ!?(某エミール風)なので少しは褒めてください(無茶振り)
ノワール博士については、言わないであげてください。最近、出番無い癖に女子にパパ呼びを求めるとか。何処のアラフィフですかね(知らぬ存ぜぬ)
お気に入り、評価や感想、質問などがあれば気軽にどうぞ! 次回もよろしくお願いいたします!それでは!!
…………こんなテンションなのは徹夜したからです。眠い筈なのに、何故かやる気があるわーー!!!