りとらば!   作:三只

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りとらば! 11

 

 

 

 

 

碇シンジは目を覚ます。

 

ぼんやりと輪郭を取り戻す視界。

滲んでいた映像が鮮明になるにつれ、一番最初に目についたのは、金色の色彩だ。

それがアスカの髪であると認識すると同時に、シンジは疑問に思う。

 

あれ…? どうして天井がこんなに高いんだろ…。

 

軽い頭痛のする中で考えることしばし、シンジはようやく合点が行く。

単純な目の錯覚だ。天井が高いわけはない。アスカが小さいのだ。

 

そうアスカは小さくなっちゃってて…。

 

小さなアスカの顔に焦点を合わせる。

 

…? どうしてアスカはそんな心配そうな顔をしてるの…?

 

上体を起こした途端、シンジは喉に痛みを感じる。

同時に、細い雨の降りしきる暗い光景が脳裏にフラッシュバックした。

 

…そうだ。僕は、傷だらけのアスカに……。

 

シンジは左手で顔を覆い、右手を喉元に当てる。

包帯の手触り。柔らかい生地越しでも、痛みが走った。傷は深いのだろうか。

 

あれは、夢じゃないんだ。これが証。

やはりアスカはもう一人いて、僕は彼女に会って…。

 

「……シンジ…?」

 

傍らからの声。

ベッドの端に横座りをしている小さなアスカの姿がある。

 

「アスカ…。僕は一体?」

 

「………」

 

小さな頭は項垂れた。シーツをきつく握りしめる彼女の様子に、シンジはそれ以上言葉を飲み込む。

辛そうに黙り込むアスカから視線を周囲に移す。

 

今さらだが、どうやらここは病室のようだ。

額に手を当て、シンジは記憶の整理を試みる。

 

…あの時、僕は、もう一人のアスカに首を絞められ、意識を失った。

彼女は僕に復讐する権利がある。

僕に同じ痛みと苦しみを与える権利がある。

だから、殺されたって文句をいうつもりはなかった。

けれど、僕は今、こうやって病院のベッドの上にいる。

ならば……許して貰えたのだろうか?

 

分からない。

シンジは頭を一つ振る。

 

時間はどれほど経ったのか知らないが、どうやら夜の山道から誰かが運んでくれたのは間違いない。

おそらくそれは元保護者であるミサトだろうとシンジは見当を付けている。

 

すると…ミサトさんたちはどこまで見たんだ? どこまで知ったのだろう?

そこまで考えて、ハッとシンジは顔を上げた。

 

ミサトが現場に居合わせた以上、小さな方のアスカも一緒だった可能性は極めて高い。

そしてその推測はおそらく当たっているはずだ。証拠は、さっきからのアスカの態度。

 

一気にシンジは気まずさと罪悪感に襲われてしまう。

今回の独断専行は、もう一人の傷だらけのアスカの為に起こしたもの。

小さなアスカを置いて、傷だらけのもう一人のアスカに殺されてもいいと思った自分。

二人とも同じアスカだとしても、小さな方の彼女にとって、自分の行動は裏切りに等しいのではないか?

 

結果、言葉を失うシンジ。

ベッド上で互いに言葉をかけあぐね、うなだれる二人。

二人のものではない声が室内に響いたのはその時だった。

 

「どお、アスカ? シンジくんは起きた?」

 

ノックもへったくれもなくドアを開けて顔を出す葛城ミサト。

思わず顔を上げる二人の前に、元保護者はいやに陽気な表情で近づいてきた。

 

「あー、良かった目ぇ覚めたみたいね、うんうん」

 

しかも勝手に納得して頷いていれば世話がない。

シンジとアスカは、むしろミサトの後についてきた人物をこそ注視している。

 

「…大丈夫そうね、シンジくん」

 

柔和そうな笑みを浮かべている赤木リツコ。

彼女もいつも通りの白衣を纏った姿で、ベッド上の二人の元へやってきた。

 

「喉の裂傷は全治一週間ってとこかしらね。しばらくアザが残るだろうから、包帯をしておいた方がいいわ」

 

常ならぬ優しい眼差しに、シンジは戸惑ってしまう。

 

「その…ありがとうございます」

 

それでも、静かにリツコとミサトの反応を窺うシンジは、ある意味したたかだったかも知れない。

しかし、やはりというか何というか、大人たちのデフィンスは硬かった。

 

「今は午前六時よ。退院しても構わないけれど、今日一日大事をとって泊まっていく?」

 

「帰るなら、送ってってあげるわよん♪」

 

二人の表情から何も読み取れなかった。

つまり、自分が知りたい件について、ここでは語るつもりがないのだろう。

 

「…そうですね」

 

小さなアスカを見やるが、やはり沈黙を続けていた。

彼女をこのままにしておくわけにもいかない。

シンジは短い答えを口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数十分後。

 

「本当に、色々とありがとうございました…」

 

自宅となるマンションの前で、慇懃にルノーのドライバー席に頭を下げる碇シンジの姿がある。

 

「ああ、気にしないでね。またなんかあったら、いつでも力になるから」

 

あっけからんと手を振ってくるミサト。

 

「それじゃ、またね。アスカも、あまりシンジくんを困らせちゃだめよ?」

 

発進したかと思ったら、たちまち姿が遠ざかるルノー。

完全に見えなくなるまで見送って、シンジは手の中にいるアスカを見下ろす。

リツコらが用意してくれた巾着の中に大人しく収まっている小さな彼女は、病室からそのままのテンションを維持している。

つまり、明らかに精彩を欠いていた。

 

「…アスカ?」

 

シンジが声をかけるも返答はない。だからといって意図的に無視している雰囲気ではない。

なにか他のことに気を取られて、こちらの言葉が耳に入っていないような…。

更に何度か声をかけるも、やはり反応はなかった。

 

とりあえずシンジは自宅に戻ることにする。午前7時を回ったばかりの時間帯だが、ボチボチ人通りも増え始める頃合いだ。

 

当たり前だが誰も迎えてくれることのない1LDKの部屋。

自分でもよく分からない喪失感を覚えたシンジは、誤魔化すようにリビングのTVのスイッチを押す。

にぎやかにニュース番組が流れだしたが、何かが失われた感覚は満たされないまま。

ぼんやりとTV画面へ視線を這わせ、画面右端の現在時刻に注視する。

 

午前7時18分。

 

…どうしよう。学校へ行こうかな?

 

今から支度をすれば十分学校に間に合う時間帯だ。

深夜に出歩いて昏倒したにもかかわらず、疲労感も眠気もない。

病院で何かしら投薬されたせいかも知れないけれど、学校に行くには支障もなさそうだ。

どうせなら、先日の情報提供者たちに直接顔を合わせて礼を言いたかったし。

 

そう考え、ソファーから腰浮かしかけたシンジ。

卓上に置かれた巾着から出ても無言のままだったアスカが口を開いたのは、その時だった。

 

「ねえ、シンジ! あんた今日は学校サボりなさいよ!」

 

「…え?」

 

戸惑うシンジに、アスカは上目遣いで続ける。

 

「…だいたいね、アンタそんな首に包帯して学校いく気?」

 

その台詞に、シンジは首に手を当ててしまう。

かなり大仰に首筋に巻かれた包帯。

ただでさえここ数日、学校では目立つことをしっぱなしの上に、まるで大怪我をしたみたいになっているこの格好。

少なくともクラスメートたちからは、場合によっては担任からも問いつめられるだろう。

もちろん誤魔化せないこともないだろうけど、言い訳を考えるだけでも頭が痛い。

 

「…そうだね、今日はサボっちゃおうか」

 

しばらく迷ってからシンジはそう口にした。

別段出席日数が足りてないわけでもないのだ。風邪がぶり返したとか適当に言えば、それほど変に思われないだろう。

 

その上でシンジは、

 

「ねえ、アスカ疲れてない? 一眠りする?」

 

と提案しようとして、叶わなかった。

テーブルの上で、小さなアスカは胸を張ってこういったのだ。

 

「だから今日一日、あたしとデートしなさい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…アンタさあ、もうちょっと何とかなんないワケ?」

 

露骨に呆れた口調と顔で、小さなアスカはそう訴えてくる。

 

「だってさ…」

 

答えようとして、シンジは慌ててアスカの入ったバスケットの蓋を閉じる。

そのまま何気なさを装いながら歩くことしばし、対向からきた一般人をやり過ごした。

背中に刺さってくる奇異の視線を感じなくなってから、ようやく蓋を開ける。

 

「…やっぱりさあ、男がバスケット持って歩いているのって、不自然かなあ?」

 

そう小声で言ってくるシンジを見上げ、アスカはしみじみとため息をついている。

 

「それ以前に、アンタの格好が問題だと思うんだけどねー?」

 

「そう、かなあ?」

 

きょとんとするシンジの顔にはサングラス。

ハイネックの黒シャツで首筋を隠すのはともかく、黒いジーンズに黒いスニーカーで全身黒ずくめとなれば、嫌が応にでも目立つ。

ところがシンジ自身、黒色が一番目立たず、忍んで出かける時はこのスタイルが一般的だと頑ななまで信じ込んでいた。

たしかに、平日の真っ昼間から男子高校生が遊び歩くというのは褒められたものでなわけで、運が悪ければ補導されることもあり得る。

 

…にしても、これじゃあ逆に悪目立ちしてるだけじゃないの?

 

アスカの心配をよそに、アヤシイ格好のシンジは言う。

 

「とりあえず、駅前まできたけど…?」

 

時刻は9時を回ったばかり。デートを始める時間としては適当なのか。

 

「じゃあ、まずは映画館よ!」

 

というわけで向かった平日の映画館は空いていた。一回目の上映なので尚更である。

したがって、席は選び放題。

真ん中の中段という絶好席を確保したシンジは、上映ベルが鳴って館内の灯りが落ちてからバスケットを解放した。

隣席に這い出したアスカであったが、どうにも視界が確保できない。

座席の背もたれを這い上ったりと色々なポジションを試した結果、結局シンジの肩に定位置を確保。

チョイスした映画がアクション大作であることにいやーな予感を覚えるシンジ。

そしてその予感は間もなく的中することになる。

 

大音響に大画面の大迫力。小さなアスカにしてみれば更に倍率ドン!なわけで、一大パノラマで見ているに等しい。

興奮してボルテージが上がるのは、まあ仕方ないだろう。

全身を使って喜んでくれているなら、映画に来た甲斐があるというものだ。

 

―――だけど、僕の肩の上で暴れるのは、本気で勘弁して欲しい。

 

「そこよぉ!!」

 

興奮仕切りのアスカが思わず放つ右回し蹴り。

瞬間、シンジの左の耳朶には、千切れんばかりの激痛が走る。

 

「よーっし、よしよし!」

 

地団駄を踏まれれば、鎖骨を踏み砕かれんばかりの激痛が。

 

おかげでシンジは映画どころではない。

アスカの叫びと行動が、他の上映客に見えてやしないか気が気ではないのだ。

結果としてシンジの心配は杞憂で済んだ。が、肉体的精神的被害は甚大である。

肩は痛いわ耳はキンキンするわ映画の内容なんてちっとも頭に入っていないわ。

 

「いやー、面白かったわね!」

 

それでも、朝と比べれば雲泥の差のアスカの笑顔を見れば、仏頂面ではいられない。

 

「次はどこに行こうか?」

 

映画館を出て、明るい日差しに軽い眩暈を覚えながらシンジは訊ねる。

対してバスケットの中で自分のスマホを操作するアスカの姿があった。

 

「ほら、ここ! このレストランの限定50個のランチが凄く美味しいんだって!」

 

小さいアスカが抱え上げるディスプレイ。

表示されているのは簡略化された地図。ポップな文体と絵文字も踊っていた。

 

「そう…だね、そんなに遠くないね」

 

地図と同時にシンジはスマホの隅に表示されたデジタル時計にも視線を走らす。

午前11時半前だ。今から行けば十分間に合うだろう。

 

かくしてシンジたちは混み始めた駅前を歩き始める。

全身黒づくめの姿に怪しい視線が集中したが、シンジは許容範囲を主張。

並ぶこともなく無事レストランに入店した後、より一層訝しげな視線を集めたことに関しては、この店がお洒落だからとも主張した。

 

もちろんアスカの意見は異なる。

単にアンタのセンスがおかしいのよ! と一刀両断しかけて諦めた。

どだい、今の小さな自分じゃ、無理やり服を剥ぎ取ることも出来やしない。

 

そんなことより、限定のランチの方に、アスカは大いに興味をそそられている。

鹿肉のローストをメインに、パスタとサラダがついて980円。

なかなかにコストパフォーマンスは高そうだ。

当然頼んだのは一人前ぶんで、わざわざ一番奥の席へ案内してもらい、入り口に背を向けてシンジはせっせとランチに取り組む。

身体全体でアスカを隠すようにしながら、ナイフとフォークを動かすシンジ。

 

「もうちょっとパスタちょーだい!」

 

遠慮無く要求してくるアスカの声が周囲に聞こえやしないかとヒヤヒヤしながら、それでもシンジはフォークの先端に乗せた一片けを渡してやる。

アスカは行儀悪く鷲づかみでそれを口に運ぶ。

小さいサイズの彼女がパスタの欠片を貪る様は、なんだか齧歯類の小動物を連想させる。

思わず頬を弛めて眺めていると、パスタをくわえたままのアスカと目が合った。

 

「はにみへんおよ?(何見てんのよ?)」

 

「あ、うん、いや別に…」

 

「…ふん」

 

アスカはくるりとこちらに背を向ける。シンジがホッと胸をなで下ろしていると、振り返ったアスカはナプキンで手を拭いながら口をモゴモゴごくん。

それから、居丈高に指を突き付けてくる。

 

「お昼、終わり! さあ、さっさと次行くわよ!!」

 

「ええ!? ちょっと待ってよ、僕はまだ…!!」

 

慌ててランチをかきこむシンジを横目に、アスカはさっさとバスケットに移動している。

せかされた挙句、ろくに味わえずにシンジはレストランを後にする羽目に。

まだお昼を少し回ったばかりの時間にかかわらず、次にアスカの指定した場所が、高級そうなホテルの前なのは全くの謎だ。

 

「何ぼーっとしてんの? さっさとエレベーターに乗るわよ?」

 

アスカの指さす看板を見て、さすがにシンジも戸惑いを隠せない。

 

『スカイレストラン・ステーキランチフェア』

 

…先ほど昼食を食べたばかりなのに、梯子をさせる気なのだろうか。

 

「あの…アスカ、僕もうお腹いっぱいだよ…?」

 

小食ではないが決して大食漢でもないシンジは、おずおずとバスケットの中に囁く。

 

「はん?」

 

なのにアスカは不思議そうな顔。

シンジの顔とその視線の先を見比べることしばし、ポンと手と手を打ち合わせると、

 

「ああ、違う違う。あたしたちが行くのはその下の看板の方」

 

アスカの指摘に従って、シンジはそろそろと視線を下に移動。

結果、少年の顔は、先ほどと違う形で歪む。

 

『最上階レストランにて、ケーキバイキング開催中!』

 

「…えーと、僕、男なんだけど」

 

ヒラヒラと手を振りながら、アスカはケロリとした表情。

 

「さっきのランチにデザートなかったでしょ? 甘いモノは別腹っていうじゃない!」

 

「………」

 

微妙過ぎるシンジの内心に、アスカは気づいているのかどうか。

シンジの危惧は、男が一人でケーキバイキングの店に入るということにある。

その羞恥たるや、さっき単独でランチを摂った時のレストランの比ではない。

世の甘いもの好きの男性の中には単独で甘み処へ突撃を敢行する勇者もいるらしいが、生憎とシンジはその資質に欠けていた。

 

しかし、躊躇するシンジを、アスカは怒鳴りつけたりしなかった。

ただバスケットの縁を両手で掴み、上目遣いで見てくるのみ。

これは彼女にとって珍しく、かつ非常に似つかわしくない表情だった。

訴えてくる眼差しが、シンジの胸を揺さぶる。また、脳裏で今朝のアスカの台詞が再生されていた。

 

『今日一日、あたしとデートしなさい!』……。

 

一度ホテルを振り仰ぎ、シンジは覚悟を決める。

毒くらわば皿まで。大丈夫、そんなの一時の恥にすぎないさ…。

抱えなおしたバスケットの中では、アスカの「GOGO!」という無責任な囃し声。

受け付けのお姉さんの顔色一つ変えないプロの態度には救われたが、席に案内され、いざケーキを取りにいこうという段になってから、シンジは己の認識の甘さを悔いることになる。

 

平日の昼間である。

この時間帯にいるのは、OLか女子大生と相場が決まっている。

これが休日であればまだデートしているカップルや家族連れがいるのだろうが、本日の男性客は絶滅状態に等しい。

 

そんな中に、ぽつねんとシンジは一人。プラス黒づくめのサングラス。

目立つのは当然で、居合わせるその他大勢の女性客の想像力を大いに刺激したのは疑いない。

つまり、甘味もの好きの男の子が変装して食べに来ているのだろう、と。

 

―――可愛らしいバスケットを抱えているところを見ると、少女趣味なのかしら?

 

お姉様方のクスクスといった笑いとともに、沢山の視線が自分の顔の表面を撫でていくのをシンジは感じる。

 

元々線が細いシンジである。そんな彼も、まさか一部の視線の持ち主の頭の中で、自分が可愛らしい女の子の服を着せられているなど思いも寄るまい。

とにかく、注目を浴びるのにはどうやっても慣れない性分のシンジ。

それでも勇気を出して、中央の大テーブルに鬼のように並ぶケーキを取り皿に載せては、これまた一番隅の座席へと運搬する。

 

取ってくるケーキは純然たるアスカの指示によるもの。シンジの嗜好はこの際完璧に無視されている。

大喜びでシンジの持ってきたケーキにかぶりつくアスカの姿は、極めて幸福そうだった。

彼女曰く、巨大なケーキに齧り付くのは、乙女の願って果たされない夢の一つだとか。

 

ほとんど無邪気といっていい様相で、オレンジムースケーキとラズベリーのポワゾン、プレミアムモンブランにベイクドチーズケーキ、苺のミルフィーユとパンナコッタを貪るアスカの姿を見れば、さすがにシンジも喜びで羞恥を忘れた。

 

問題は、その直後にこそ訪れた。

 

「…けぷっ。うう、もう食べられないー…」

 

そういってバスケットの中に寝転がるアスカに苦笑したシンジだったが、テーブルの上に放置されたケーキの数々を見て顔を青くする。

 

確かにアスカは幾つものケーキに齧り付いた。しかし、その摂取量は、小さな身体に比して微々たるもの。ネズミが囓った程度に過ぎない。

となれば、卓上のケーキのほとんどは手つかずといっていい状態なのである。

 

青ざめた顔で大量のそれらを見回し、シンジは唸る。

 

…もしかして、これ、全部僕が食べるの?

 

見ているだけで甘さが口に溢れてきたシンジは、逃げるように視線を上げる。その先には、店側が用意したらしいプレートが。

 

『食べきれる分だけお持ちください。大量に残すのはバイキングのマナー違反です』

 

別段、残したところでペナルティはない。なのに、提示されたルールを遵守してしまうのが、碇シンジという少年の素直にして救われない部分であった。

 

「…ううっぷ…」

 

甘いものが食べられないわけではないけれど、これだけ大量には辛い。

一欠片でもいい、フライドポテトが食べたい、などと念じながら、強烈に甘いそれらを律儀に全部平らげるのに約三十分。

支払いを済ませ、フラフラとホテルのレストランを出れば、アスカは快復していてさっそく次の指示を飛ばしてくる。

 

「ほら、次! 次!」

 

「ごめん、ちょっと休ませて…」

 

思わず木陰のベンチに腰を降ろすシンジに、アスカは頬を膨らませている。

 

「ちぇ、これからジャンボパフェ食べに行こうとおもったのに」

 

「…お願いです、本当に勘弁して…」

 

寛大にもアスカが許してくれた。

どうにか気分を持ち直したシンジが次に足を向けたのは、大手玩具チェーン店である。

一般のデートコースでいえば意外かも知れないが、小さなアスカにとってはそれほど変な展開ではない。

現在、彼女が家で使っている家具は、シンジの手製か、オママゴト用のオモチャで賄われているからだ。

 

新しい家具でも買うのかな?

 

小首を傾げながらオモチャ売り場をそぞろ歩くシンジは、ここに至ってようやくサングラスを外すことを思い立つ。

さすがに平日の昼下がりのオモチャ店は閑散としているので、その分目立つことのこの上ない。

アルバイトらしき店員の視線も露骨に怪しんでいるじゃあないか…。

 

かくして胸ポケットにサングラスをしまったシンジがしゃがみ込んだのは、着せ替え人形のコーナー。

それなりに煌びやかな衣装が透明なケースに入れられて吊されていたが、伊吹マヤ手製のそれに比べると、縫製もなにもかも安っぽく見える。

 

なぜアスカは玩具屋のこのコーナーに来たんだろう? 家にはマヤさんの置いていった服が沢山あるわけだし。

 

小さなアスカは答えない。シンジの抱えたバスケットの中で片手を腰に当て、もう片手の人差し指を顎に当てて熱心に眺めている。

 

「…ねえ。マヤさんが教えてくれたお店にいこうか…?」

 

おずおずとシンジは提案してみた。

アスカの衣装を持ってきた時、伊吹マヤは教えてくれていた。この街にも、ドルフィーの専門店があることを。そこには同好の志が沢山いることも。

 

「別にそんなとこいかなくてもいーわよ」

 

こちらも見ずに、視線を衣装の棚を向いたままのアスカの返事。

 

「そう…なんだ」

 

イマイチ釈然としない気持ちを抱えながらも、シンジはなんとなくアスカの視線の先を追ってしまう。

小さな蒼い瞳はゆるやかに動いていたが、ある衣装に注がれて停止した。

棚の上。ショーケースに収められたそれ。

 

―――純白のウェディングドレスだった。

 

「もしかして、アスカ、あれが欲しいの?」

 

シンジの問い掛けに、残酷なまでに他意はなかった。単純に、女の子はそういう服を着てみたいんだろうな、という意識くらいしかない。

 

一方激しく狼狽したのはアスカである。

 

「なっ…はっ、はん! いらないわよ、あんなの!!」

 

叫ぶようにいうなり、バスケットの蓋を閉じてしまう。

 

「ちょ、ちょっと、アスカ? どうしたのさ?」

 

中から蓋を押さえているらしく、どうやっても開かないバスケットを抱え声をかけるシンジ。

気づいたときは、こちらを見ながら遠目にもヒソヒソと声を掛け合う店員たちの姿が。

年輩の店員が電話をかけるような素振りを見せているのを見て、シンジは全力でその場を離脱した。

 

店を出てじゅうぶんに離れたところで、バスケットの蓋も開く。

先ほどの態度もどこへやら。元気いっぱいにアスカは次の目的地を指示。

 

「あ、シンジ、ゲーセンいこ、ゲーセン!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

湖岸から吹き付ける風に、シンジは髪を嬲らせている。

彼の黒ずくめの格好を、今まさに暮れようとする太陽が橙色に染め上げていた。

 

「…アスカ、楽しかったね」

 

蓋を開けたままのバスケットの中へ、シンジは声を落とす。

 

「そうね、楽しかったわね」

 

負けず劣らず橙色に染まりながらアスカも答える。

 

…珍しく素直だなあ。

 

不遜にもシンジはそんなことを考えていたものだから、不意にアスカが腕をよじ登ってきたのにビックリする羽目になる。

 

「あ、アスカ、一体何…?」

 

「何よ、あたしも風に当たりたいのよ」

 

シンジの肩まで上ってから、アスカは直接耳に囁いてきた。

小さな吐息を頬に感じ、シンジは頬が微かに熱を持つのを感じる。

 

強い風に、アスカの髪が舞う。

すっとアスカが肩に腰を降ろした気配。

頬に重みを感じ、シンジは軽く狼狽した。

 

「動かないで。こっち向かれると落ちちゃうわ」

 

シンジの頬に寄りかかりながらのアスカの声。

事実がその通りなだけに、自然とシンジは前を向いたまま動けなくなる。

そのまま二人は黙って湖から吹き付ける風を浴びながら、沈みゆく夕日を眺めた。

 

一日が終わる。どこか寂しく切くなる夕暮れ時。

橙色に染められた二人の脳裏には、今日のデートの内容が反芻されていた。

 

映画に始まり、ランチ、ケーキバイキング、ショッピング。

その後に入ったゲームセンターではUFOキャッチャーのぬいぐるみを求めてアスカが景品口からの侵入を敢行したり、カラオケでは小さな全身でシャウトした挙げ句過呼吸をおこしかけたり。

そして最後の最後に、この湖の見える高台へとやって来た。

 

ほとんどの料金がシンジ一人分で済んだため、極めてコストパフォーマンスの高いデートといえるだろう。だけど、紛れもなく楽しかった。

 

…まあ、色々と恥ずかしかったけどさ…。

 

口の中で呟きながら、シンジは横目で肩の上のアスカを窺う。残念ながら表情は良く見えない。

 

…なんでいきなりアスカはデートしようなんていったんだろう?

 

自分がアスカに付き合うのに否応もないが、彼女の唐突な提案に至る心情が今ひとつ理解できない。

 

単純に気晴らしなのかな? うん、きっとそうなんじゃないかな…?

 

―――あえて弁護すれば、シンジ自身先日の疲れも残っていた。くわえて、今日一日ふりまわされっ放しでクタクタだった。

 

疲労のため、思考力も洞察力も減退し、単純な結論に落ち着いたのは、今のアスカの穏やかな態度からも仕方ないのかも知れない。

 

だから、とうとうシンジは気づかなかった。

自分の頬に身体を預けたまま、アスカが泣いていたことに。

また、彼女の小さな唇が紡いだ微かな呟きも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…これで、おしまい」

 

 

 

 

 

 

 

 

風に吹き散らかされ、夕闇に溶けた台詞。

 

それを聞き逃したことを、シンジは死ぬほど後悔することになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NEON GENESIS EVANGELION AFTER 

 

“ MY LITTLE LOVER ”

 

 

 

りとらば!

 

 

充たされぬモノへ ~了

 

 

 

 

 

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