りとらば!   作:三只

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りとらば! 12

 

 

 

それからの一週間は実に滞りなく過ぎた。

日中シンジは登校し、アスカは大人しく留守番。

夕方からはお互いに一緒の時間を過ごし、穏やかに談笑を交わすことさえある。

 

まるでずっと同じ日が続いていくかのように。

もしくは、今までずっと同じ日が続いて来たかのように。

 

しかし、何事にも終わりは来る。

 

ある日の夜。

一件の電話の着信が、静かにシンジへ終わりの始まりを告げた。

発信元は赤木リツコ。

セカンドチルドレン再生計画の総責任者は、至って事務的な口調で言う。

 

『全ての準備は整ったわ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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翌朝、ミサトの回してくれたルノーに乗り込み、シンジたちは一路第三新東京市を目指す。

助手席のシンジの抱えるバスケットの中には小さなアスカ。

はしゃいでこそいないが、アスカは平然としていた。むしろシンジのほうが緊張で身体を強張らせている。

 

「いよいよね」

 

ハンドルを握りながらのミサトの穏やかな声。

 

「そ、そうですね」

 

対して声を上ずらせてしまうシンジがいた。

これから行うこと、行われることを考えて会話が弾むのも妙な話だ。

準備は万端といえど、今度こそうまく行く保証もないのだから。

またしても黙り込むシンジを叱咤したのは、驚くべきことに主役であるアスカだった。

 

「なに不安そうな顔してんのよ? …大丈夫、アンタは今日中に無事な身体に戻ったあたしに会えるわ」

 

バスケットの中から見上げてくる穏やかな顔、青い瞳。

平素のシンジだったら違和感に気づいたかも知れない。

 

まるで他人事のような物言いに加え、あまりにも彼女の表情が穏やかすぎることに。

それはもはや諦観の域に達していたのだが、今日のシンジにはそこまで察する余裕がなかった。

 

「う、うん、大丈夫だよね、きっと…」

 

「あったり前じゃないの、そんなの。それともアンタ、小さいままのあたしの方がいいわけ?」

 

「そ、そんなことないってば!!」

 

そんな二人を横目で眺め、ミサトがからかってきたのは、元被保護者たちの緊張を解きほぐす意味もあったのだろう。

 

「そうよねー、シンジくんは学校のみんなにアスカのこと紹介しなきゃなんないから、大変よねー」

 

口の端を持ち上げて笑うミサトに、元被保護者の少年の方は尋常な様子ではいられなかった。

 

「ミ、ミサトさん、それって……!?」

 

「んふふ、『僕の恋人なんだ!』なんて、シンちゃん、やるじゃん♪」

 

「……ッ!!」

 

たちまち赤面、絶句するシンジに、ミサトは破壊的なまでに屈託がない。

 

「いいわね、青春よね、うふふふふ。わたしの高校生の頃なんてそりゃあ」

 

ミサトは朗らかな笑顔のまま首を捻ってから、

 

「…なんか段々腹立ってきたわ」

 

呟きとともに表情を一変させている。なにやら後ろ暗い過去を思い出してしまったらしい。

次の瞬間、噴かされるアクセル。スピードを上げるルノー。

しがみついてくる小さなアスカをしっかり抱きしめたシンジの悲鳴が、車窓の外へと飛ぶように流れてく。

 

「ちょっとミサトさああああああああんんん!?」

 

「いーのよ、わたしの青春は、公道最速理論に捧げたのよおおッ!!」

 

霞んで見えるほどの神速のシフトチェンジに続き、流れるようなハンドル捌き。

対向車も来ない山道を、凄まじい速さでルノーは駆け上って行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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久方ぶりのネルフ本部は、一ヶ月前の様相そのままにシンジたちを待ち受けていた

瓦礫を避けながら奥に進むのは、今回は傷ついたアスカではなく小さなアスカを抱えているので、楽といえば楽である。

巻き上がる埃やら淀んだ空気を吸い込みすぎないように、そろそろと奥へと進む。

薄暗い通路を歩く中で何かの機械の振動が感じられたのは、すでにあらゆる準備が出来ているという証左だろうか。

果たして、第三実験場コントロールルームでは、先月と寸分変わらぬ面子が出迎えてくれた。

 

「やあ」

 

片手を上げて青葉シゲルは薄く笑う。

 

「…二人とも、調子はどうだい?」

 

椅子から上体を乗り出すようにして、日向マコトは手の甲同士を擦り合わせる。

伊吹マヤはコーヒーカップを両手で包むような格好で微笑していた。

こちらも微笑で挨拶を返したシンジは、隣室の実験場へと視線を移す。

 

押さえられた光量の中でも浮かび上がる巨大な影。

エヴァンゲリオン弐号機。

 

…ここまでは、一ヶ月前と何も変わらない。なら、結果も同じに…?

 

慌ててシンジは頭を振って不吉な考えを追い払う。

そもそも僕がこんな弱気でどうする? 失敗することを考えてちゃ駄目だろ?

 

手元のバスケットを見下ろす。

見上げてくるアスカと目があった。

 

ん? と小気味よく首を傾げる彼女に、不安を窺わせる要素は一切ない。

 

シンジは感心すると同時に尊敬の念さえ抱いてしまう。

やはり、ここ一番の時の度胸と思い切りの良さはアスカのアスカたるゆえんだと思う。

 

「―――みんな、揃っているわね」

 

背後からの声にシンジは振り返る。

赤木リツコが立っていた。シンジの視線を受け止めた彼女は軽く頷いて、続いて白衣を翻す。

 

「さあ、シンジくん、ついてきて頂戴」

 

うながされ、バスケットごとアスカを抱えたシンジが白衣の後を追った先は、隣室となる実験場。

もっともコントロールルームからは、一旦階下から大きく迂回せね行けない。

まずは小さなアスカを弐号機にエントリーさせて、初めて実験は開始される。

決して長くない距離を歩き、シンジは弐号機のエントリープラグの前に立つ。

 

作業橋の上。

手元にはバスケットケース。

眼下には、蓋の開いたエントリープラグ。

中に満たされた黄色い液体。

LCL。

 

身軽な動作でアスカはバスケットケースからプラグの蓋の上に降り立っている。

今日の彼女は、マヤの用意してくれたブルーのタンクトップと花柄のフリルパンツという格好。

この衣服を身につけたままのエントリーとなる。小さいサイズのプラグスーツは流石に準備できなかったのだから仕方ない。

 

「それじゃ、行くね」

 

器用に蓋の上でステップを踏んで、アスカはシンジに向かって身を翻して見せた。

薄暗い照明の中で、長い金髪がクルリと綺麗な円を描く。

 

「うん。…じゃあ後でね」

 

シンジもそう微笑んで応じた。ここで、元気一杯のアスカの笑顔が返ってくることを期待して。

ところが、アスカは顔を伏せてしまう。

 

「…アスカ?」

 

返事はない。短い沈黙が降りた。

さすがに不自然に思ったシンジが更に声をかけようとしたその時。

 

「ねえ」

 

青い小さな瞳が、暗い照明の中でもはっきりと光彩を放っていた。

 

「あたしと一緒に過ごした一ヶ月…楽しかった?」

 

唐突な質問にシンジは目を見開いてしまった。

質問内容よりも、この期に及んでアスカがなんでこのような質問をしてきたのか。その方が気にかかっている。

 

それでもどうにか動揺を最小限に抑え、当然の返答をするために息を吸い込む。

なのにシンジが答えるより早く、否、彼の答えを遮るが如くアスカは次の台詞をまくし立てている。

 

「もちろん、あたしは楽しかったよ!? そう、色々、色々あったけどさ。それでも、楽しかったって胸を張っていえる」

 

真摯なアスカの表情と瞳がシンジを見ている。

シンジにとって、彼女がなぜそんな勢い込んで言ってくるのか理解できない。

なぜか不安な気持ちが沸き立ってきて、唇が無意識で言葉を紡ぐ。

 

「…アスカ?」

 

対してアスカは笑った。まるで大輪の華がほころびていくような、豪奢で可憐で儚い笑顔。

続いて彼女が顔を伏せる様子は、花が萎れていく姿に似ていた。

 

「だから、あたしのこと…………」

 

シンジの顔に焦燥が浮かぶ。

アスカが何を言ったのかよく聞き取れない。けれど、それはとてつもなく重要な気がする。

聞き直さなければ、と思わず身を乗り出すシンジだったが、その答えを与えられることはなかった。永遠に。

 

アスカは顔を上げていた。微笑んでいる。

そんな小さな彼女が最後にシンジへ向けた言葉はたった一言。

 

「…ばいばい」

 

反射的にシンジが伸ばした手は、何も掴むことは出来なかった。

代わりとばかりに素っ気ないほどの水音が室内に響く。

 

ぽちゃん

 

何か、小さなものが水面に没した音。

 

「アスカッ!?」

 

思わずシンジがプラグ内を覗こうとしたが、無慈悲にも機械音と共に一瞬で蓋は閉じられてしまう。

特殊金属の壁で遮られてしまった二人。

思わずこじ開けようと蓋に手をかけるシンジに、スピーカー越しの声が響く。

 

『離れて、シンジくん。機体内にプラグをエントリーするわ』

 

コントロールルームの伊吹マヤの声だった。

おそらく彼女はこちらの事情に気づいていない。気を利かせたのか実験場の音声はOFFにしている。

二人の会話を聞いていないので、単純にアスカがプラグに搭乗した風にしか見えなかったのだろう。

 

ほとんど泣きべそをかきながら抗議の声を上げようとするシンジの肩に、そっと手が置かれた。

振り仰ぐ視線の先には、赤木リツコがいた。

薄暗い上に逆光シンジの位置から表情は読めない。しかし白衣姿の博士ははっきりとこういった。

 

「戻るわよ、シンジくん。…アスカの意思を尊重しましょう」

 

シンジには従う他なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実験室を揺らす異音。強化ガラスを隔ててさえ響く絶叫。

何度聞いても決して慣れるものではく、積極的に聞きたいものでは勿論ない。

 

二度目の人為的な弐号機の過剰暴走。

加えて、弐号機本体の損傷具合もおそらく前回より進行しているだろう。いつイレギュラーが起きてもおかしくない。

 

それらを踏まえ、自我崩壊線を越えて小さなアスカが命の水へ還元されるまでの時間は、引き絞ぼられた糸を更に引き絞るがごとく、関係者各位の神経をヤスリにかけて止まない。

 

それでもどうにかその第一フェイズは終了した。

第二フェイズ―――アスカの身体の再構築データの打ち込み作業へと移行する。

 

前回と同じデータを流用するのはもちろんなのだが、状況に応じて色々と細かい修正をしなければならないので時間がかかるということ。

説明し、紙コップのコーヒーを渡してくれるミサトに礼の述べ、シンジは実験室を見やる。

 

―――あの中にアスカはいる。

 

きっと、もうすぐ、無事な身体で出てきてくれるはずだ。

僕は信じている。そう確信している。

 

…なのに。

 

頭の奥に張り付いたそれをコーヒーで流しこもうとして、シンジは失敗する。

小さなアスカが顔を伏せ聞き取れなかった台詞。

最後に口にした素っ気ないほどの別れの言葉。

この二つがシンジの脳裏に染みつき、焦燥感を炙って止まないのだ。

 

僕は…僕は……何かを見落としているのだろうか。

それとも読み違えているのだろうか。

 

チラリとシンジは視線を白衣姿の人物へと走らせた。同時に、ぎょっとする。

後ろを向いていたはずの赤木リツコは、少年の視線を真正面から受け止めていた。

反射的に視線を逸らしてしまうシンジに、リツコは近づいてくる。

 

「不安そうね…?」

 

リツコの声は図星だった。シンジはその台詞を視線を受け止めかね、身体ごと実験室の方を向いて即答を避ける。

 

そんなことありませんよ、と強がってもいいはずなのに、なぜか面向かって会話をしたくなかった。

無言のまま強化ガラスに片手を押し当て、起動中の弐号機を見つめる。

先ほどの暴走を終え、力なく項垂れているような赤い巨人。

 

あの中にアスカがいる。

直線距離で、およそ5メートルもないところに。

 

しかし、シンジは強い距離感を意識してしまう。

こんなに近くにいるのに、傍にいるのに、遠い―――。

 

いつの間にか隣でリツコも弐号機を見つめていた。

 

「…少し、お話をしましょうか、シンジくん」

 

シンジの返事も待たず、続けてミサトへと声を放るリツコ。

 

「ここをお願い。何かあったら教えて。隣の部屋にいるから」

 

頷くミサトに頷き返し、もう一度リツコはシンジを見てくる。

その佇まいは、言外にシンジへと問い掛けていた。

 

これから話をするわ。聞く気がないならこなくてもいい。強制はしない。シンジくん、貴方の思うままに…。

 

少しだけ迷ってから、結局シンジは窓際を離れた。

リツコが何かを知っているなら、語りたがっているなら聞きたかった。アスカに関わるであろうことは間違いないのだろうし。

 

シンジの足が動いたのを確認し、リツコも歩を進め始めた。

二人でコントロールルームを出ていくのを、残った誰もが声をかけようとはしなかった。

 

…ひょっとして、みんな知っているからだろうか? 

僕が知らないことを。僕が疑問に思っていることの答えを。

 

暗い廊下に出て間もなく、白衣の後ろ姿は隣の部屋のドアに手をかけている。

 

「さあ」

 

促され、シンジはドアを潜った。

灯りの点いてないその部屋は、元々は職員のロッカールームだったらしい。

整然と壁際に並ぶ長方形の箱が、リツコのペンシルライトの光によって照らしだされている。

 

空調も稼働していないらしく、空気が澱んでいる。

深く呼吸しないよう気を付けながら、シンジは手頃な椅子に腰をおろす。

リツコはロッカーの一つに背中を預けている。それから彼女はペンシルライトのスイッチを切った。

重苦しい空気と闇が二人の間に横たわる。

まるで闇がのしかかってくるような錯覚に襲われ息を詰めてしまうシンジの耳に、リツコの声だけが響く。

 

「煙草、いいかしら?」

 

「…どうぞ」

 

リツコの顔が闇に浮かび上がる。

ライターの火が消えるとまた闇が戻ってきて、赤い光点が一つ浮かんでいた。

煙草の先端に灯る小さな光。

その仄かな光源に、ぼんやりと闇に漂う白い霞のようなものが見える。きっと煙草のケムリだろう。

甘い刺激的な香りがシンジの鼻腔をくすぐった。もっとも、もともとの空気が澱んでいるため、混じってしまって今さら嫌悪感は催さない。

細く、リツコの息を吐く音が、室内の空気を対流させている。

鼻で浅く呼吸を繰り返すシンジに、煙草の光の方から言葉が投げかけられた。

 

「シンジくんは色々と訊きたいことがあるんでしょう?」

 

「………」

 

リツコの問い掛けは正鵠だった。

訊きたいことは、それほど山のようにあった。

一つ沸いた疑問が芋づる式に次なる疑問を生んでいってるといってもよいくらいに山積している。

自分の考えとリツコのそれを照会したいとの欲求もある。

それら諸々が頭のなかでぶつかり合い、または反目し合ってまとまらず、逆にシンジの口を閉ざさせている。

 

そんなシンジの内心を、おそらくリツコは理解していたのだろう。

だからこそ、彼女のこれからの台詞は、事前に用意されていたものに違いない。

 

「まず、始めにいっておくわね。あの小さなアスカは…」

 

顔を上げるシンジに、リツコは無慈悲に告げる。

 

「あのアスカは、アスカであってアスカではないわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NEON GENESIS EVANGELION AFTER 

 

“ MY LITTLE LOVER ”

 

 

 

りとらば!

 

 

…ばいばい ~了

 

 

 

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