久々に登校したシンジを見て、クラスメートの幾人かが声をかけて出迎えてくれた。
三日前、入院したその日に風邪で休むとミサトを通じて連絡を入れてもらったので、クラスのみんなの反応は普通の部類に入るだろう。
「碇くん、大丈夫?」
「おまえがプールに飛び込んだ次の日、えらく寒かったからなあ…」
気づかいの言葉をかけてもらえるのが素直に嬉しい。
ただ、遠くからこちらを見てくる生徒の中に奇異な視線が混じっているのは否めない。
あの日―――つまりは四日前になるのだが、いわゆるカラスによるアスカの略奪事件。
形振り構わない自分の行動が、人によっては驚愕を通り越して見えたのに違いない。
いくら人形を取り戻す為とはいえ、三階の窓を伝って階下へ飛び降りたのだ。
過日のゴタゴタと重ね合わせれば美談と解釈できなくもない。
が、事情を知らないものはいざ知らず、事情を承知しているものにとっても、これではあまりにも偏執が過ぎるのではないか。
たかだか一体の人形に対して、この執着は異常ではないのか。
このくすぶり続ける疑惑に、シンジ自身、なんら反論する術は持たない。
翌日に生徒指導室へ呼び出され、奇行の理由の説明を求められた際は、カラスが奪っていたものは大事な金時計だと嘘こそついたけれど。
模範的とまではいかないが反抗的でもないシンジは、たっぷり絞られこそはしたが、具体的なお咎めは一切なしで解放された。
このような事態になってしまったことに、シンジは後悔こそしてないが満足もしていない。
とにかく目立ってしまったことを不本意に思う。
そもそもは穏便な高校生活計画していたのだ。
元来、人の目に晒されたり注目されるのは好きではない性格。
でも、それはアスカが完全復活する一ヶ月後までの間だけに過ぎない。
アスカも同じ学校に登校するようになれば、それこそ奴隷や馬車馬の如く顎で使われるのは目に見えている。
お弁当を運んだり、雑用を肩代わりしたりとか。おそらく、とんでもなく目立つことになるだろう。
そして、むしろシンジはそれを待望していた。その献身が贖罪となるかどうかは別として。
しかし、少なくとも彼にとって最も理想的な形ともいえる。
なぜならその関係こそが、一番自分たちの仲の良かったときのそれと重複するから。
漠然と思い浮かべていた近未来。
そうなることを望んでいたことは間違いない。
なのに。
小さなアスカが鞄に忍んで登校してきた挙げ句、事態をかき回してくれたのは周知の通りである。
ゆえに、シンジの望む未来へ、かなりの修正が加えられた。
小さなアスカを恋人を模した人形と公言してしまった。
もうしばらくしたらみんなも会えるよ、と宣言してしまった。
僕と『恋人の』アスカが一緒に登校? …クラスのみんなはどんな反応をするだろう?
元は苦し紛れの言い逃れだった。それは重々承知している。
それでも、自分に口にしてしまったその台詞に、微かな優越感を抱かずにはいられない。
金髪碧眼の美人。わずか13歳で大学を出た明晰な頭脳。
そんな才媛が、僕の恋人。
…アスカ本来の性格は熟知している。
それら彼女の過激な部分も全て引っくるめて、恋人であって欲しいと夢想したことも皆無ではないのだ。
もっともその資格は自分の手で損なってしまっていたけれど…。
直後、激しい鬱に苛まされるのも承知で、そのような空想に身を委ねる代償行為は、シンジにとって密かな楽しみだったりする。
罪悪感はあれど、想像自体に罪はない。そう、『想う』ことくらい許されると思う。
とにかく例の『恋人宣言』以来、授業中や折に触れて、シンジはこのような甘やかな未来のヴィジョンを、よりハッキリと胸中に思い浮かべていた。
一人で赤面したりしたのも一切ではない。
だが、今やそのヴィジョンは思い浮かべられない。
胸中には黒い染みが落ち、あらゆる未来の展望を灰色に浸しつつある。
理由は自分でも明白だった。
あの晩―――自分が熱で昏倒した夜。
熱に浮かされていなかったという保証はない。
でも、確かに見た。
自分の部屋の引き戸の隙間から覗く、蒼い瞳。
あの瞳の持ち主は、この世に二人といない。
あの時と同じ瞳の色と相対したのも自分しかいない。
間違いなく、あれはアスカの瞳だった。
凍るような瞳がひたすら悲しく見えた。酷く辛そうにも見えた。
翌日、自分の容態が安定して、初めてシンジは昨夜の出来事に思いを馳せる。
まるで自分を守るかのようにフォークを煌めかせていた小さなアスカの姿。
『季節はずれの豪風のせいで大規模な停電が起きてね。連絡も取れない中で、アスカ頑張って看病してくれてたみたいよ…?』
見舞いに来てくれた葛城ミサトの弁。
朧気ながら記憶が残っている。
倒れていた自分にベッドに行くように急かしたり、体温計を渡してくれたアスカ。
これは間違いなく夢じゃない。
薄い記憶を更に掘り下げる。
小さくなったアスカに対し、扉の隙間から覗いたアスカの瞳は通常の大きさだった。
つまり。
大小二人のアスカが存在する………?
シンジは混乱した。
そもそも、なぜアスカが複数存在するんだ?
弐号機からサルベージされたのは小さくなったアスカだけではないのか。
更にもう一人の存在を仮定したとしても、通常の大きさというのにも疑問が募るし行動様式も理解できない。
なぜにあんな真夜中にやって来たのだろう?
やはり、夢なのだろうか。
シンジの中にも、面倒なもの、奇態なもの、理解できないものをかりそめの結論で封じ込め、思考停止しようとする心理傾向が存在した。
そう、夢。
全て夢であると結論づけてしまえばその先は考えなくても良い。
再実験まであと10日ほど。
なあに、実験が成功すれば、全部元通りさ。
だから、全て夢だと思え。忘れてしまえ……。
………………………。
―――できなかった。できるはずもなかった。
決して夢なんかじゃない。
それでもなお否定するということは、アスカが小さくなってしまった現実をも否定することに繋がるとシンジは思った。
つぶさに見てきた。二人で暮らしてきた。
その中に点在する、小さなアスカの行動。奇異な言動。
それらを抽出し、現在起きている出来事と組み合わせたとき。
新たな推論がシンジの中で確立されていく。
アスカは、もう一人の自分の存在を知っていた…?
では、いつから?
シンジとて馬鹿ではない。
学校に無理矢理ついてきた時のことは除外して、アスカが不可思議な行動を取った日のことはハッキリと覚えている。
急に日中寝て過ごすようになったアスカ。
朝起きると、自分の部屋の前で転がって寝ているアスカ。
フォークを持ち出して、こっそり隠すようになったアスカ…。
実のところ、このフォークは、自分を害する為に用意されたと思っていた。
何の為に? もちろん僕への復讐のためだ。
あの時、赤い海の記憶がまだアスカの中にたゆたっているのなら。
小さいサイズながらも再び同居している今。自分の首を絞めて殺そうとした相手に仕返す絶好の機会に違いない。
そう予想していたからこそ、嵐の晩の光景を脳裏に浮かべたとき、シンジは大いに誤解していたことに気づく。
あれは武器だったのだ。
小さなアスカが、もう一人の自分へと対抗するためのささやかな武器。
…シンジは改めて情報を整理することにする。
アスカが部屋の扉の前で朝になると寝こけているのは、寝ずの番の証。
そしておそらく、寝ずの番を始める以前にも、もう一人のアスカの来訪があったはず。でなければ、武器を用意して備えている理由と整合しない。
いつ訪れるか分からないもう一人の自分に対し、アスカは独り黙然と立ち向かっているのだ。
―――その理由が、シンジには分からない。
なぜもう一人の自分の来訪を妨害する必要がある?
そもそもう一人のアスカの来訪の目的は一体?
その理由を、小さなアスカは知っているのか?
どうして、どうして、どうして―――?
だから、訊いた。
病室で、付きっきりの看病をしてくれたらしいアスカに訊ねた。
『昨日の夜の、あのもう一人のキミは、いったい………?』と。
小さなアスカは笑って答えた。
『何寝ぼけているの? あたしは一人しかいないじゃない!』
語尾の震えを、本人は気づいていただろうか。
それ以上追求できず、曖昧に笑ってその話題は終わりだった。
退院してきてからはその話題にはお互いに触れていない。ある意味、その暗黙の了解こそが何よりの存在の証明となっているのだが。
今日、アスカは鞄に忍んで登校してきていない。
四日前の騒動のほとぼりを冷ます必要があったからだ。
シンジも、人形の安否を尋ねてくる女生徒たちには、メンテナンスの必要があるから、と適当に誤魔化している。
内心では、家に残してきたアスカの様子が案じられて仕方ない。
だからといって戻って問いつめたところで、彼女の態度は軟化するどころか硬化するのは目に見えている。
彼女が秘密を話してくれないのが、とても寂しく、悲しく、悔しい。
―――もう一人の、アスカ。
口中でつぶやき、シンジは頭髪をかき乱す。同時に内省する。
どうして『小さなアスカ&自分』VS『もう一人のアスカ』という対立構造にしてしまっているのか。
もう一人のアスカが存在するなら、直接話を聞いてみたかった。
また、なぜ夜にしか現れないのか。サルベージされているはずなのに傷ついている瞳の理由も不明だ。
しかし、会おうにも探そうにも手がかりは皆無ときている。
ならば、また来訪を待つしかないのだろうか?
盛大に机に突っ伏し、シンジはため息をつく。
もうお昼休みの時間だ。
きっとクラスの女子の中には、僕がため息をついているのは人形がいなくて寂しがっているからに見えるんだろうな…。
弁当を取り出すのも億劫で、シンジはただぼんやりと机にもたれている。
なにげなく耳を澄ます教室の喧噪。
飛び込んでくる他愛もない会話の断片。
聞き慣れた言葉。予想できる話の流れ。
雑多な情報の中で、不意に何かが噛み合う。
「ごめん! その話、もっと詳しく教えてくれないかな!?」
食べかけの弁当片手の男子生徒こそいい迷惑だったろう。
普段は大人しいはずの碇シンジが、ただならぬ剣幕でこちらに身を乗り出して来ている。
「あ、ああ…。別にいいけど…」
戸惑いながらも素直に会話を繰り返してくれたのには理由がある。
人形にまつわる幾つもの突飛な言動と行動を踏まえ、碇シンジは一見大人しいがキレると何をするか分からない人格、との風評が確立されつつあったのだ。
そんなことなどつゆも知らず、話を聞き終え丁寧に礼を述べるシンジの頭の中で、パズルの断片が急速に組上がっていく。
見え始めた輪郭。
組み上がる幾つのも推論。
シンジは軽い興奮を覚える。同時に冷たい戦慄も。
もし、この予想が正しいのであれば………!!
それでも幾つかのピースが欠けていた。集めるには一人では心許ない。
目前で硬直している男子生徒を見つめ、シンジは柔らかい物腰で頭を下げた。
「ちょっと頼みたいことがあるんだけど、いいかな……?」
気づかれた。シンジに気づかれてしまった…。
リビングに仰向けになり、高すぎる天井を見上げたまま、アスカの心情は曇りきっていた。
もう一人の自分の存在。
おそらく、シンジに仇なすためだけのもう一人のあたし。
シンジを憎みきっている、醜いもう一人のあたし……。
耳の奥に病室での言葉が甦る。
『昨日の夜の、あのもう一人のキミは、いったい………?』
あの時は曖昧に誤魔化しはしたけれど、どうにかしなければ。
しかし、この期に及んで、アスカは他の関係者に相談するのをまだ躊躇っている。
醜い自分の存在を肯定したくないから?
それも確かにあるだろう。
だが、小さなアスカの予想は更に飛躍を遂げている。
人間とは、個人とは、唯一無二の存在だ。
あたしという人間も唯一無二の存在であるはず。
しかし、どうやらそれが複数存在するらしいこの現実。
アスカの恐怖は、まさしくこの一点に集約される。
あちらの自分の存在を偽物と断じるのは簡単だ。けど、同時に、今のあたしが偽物ではないという保証もどこにもない。
今、自分の身体は、自然上あり得ないサイズだ。
サルベージ途上の何かしらの失敗が原因とはいわれても、詳細は不明である。
不明。不分明。自分でも把握しかねる自分の身体。
不安が鎌首をもたげてくる。
もしかしたら。
背筋を伝う汗が冷たい。
本当の自分は、向こうのほうではないのだろうか?
こんな小さい身体のあたしこそがファンタジーなのではないか?
少なくとも、向こうの身体の大きさは普通だった…。
「くっ………!!」
なぜか涙がこぼれそうになる。
シンジが退院してきて以来、またぞろ夜の寝ずの番を再開していた。
訝しがられないように、一旦は素直に寝床へ入る。
夜中の12時にセットしたスマホをマナーモードにした上で、アスカはそれを傍らに抱いて眠る。
振動に起こされてからは翌朝5時頃まで、頑張って扉の前に立つ。
夜が白み、窓の外にスズメの鳴き声を感じる頃になってから、こっそり寝床へと戻る。
そのまま眠ってしまう場合もあったが、シンジが起きてくるまで気合いで起きて、朝食を一緒にすることの方が多い。
寝ずの番をしていることを気づかれぬようシンジを送り出し、昼は寝て過ごして夜に備える。
この態勢に移行して都合三日経つが、今のところ異常はなかった。
あの恐怖の一夜以降再来訪がないことに胸をなで下ろしつつも、アスカの中にも疑問が募る。
というか、薄々アスカも気づいている。
そもそも、初めてもう一人の自分を見たのはいつだった?
嵐の夜の丁度一週間前ではなかったか。
更に初来訪の日から一週間遡れば、エヴァ弐号機の再起動を行った日に辿り着く。
つまり、小さなアスカがサルベージされた日を基点とした場合、一週間の間隔を置いて都合二回の来訪が行われているのだ。
むろんこれは仮定である。
たった二回のデータで結論づけるわけにはいかない。次の七日目まで来訪がないと判断するのには早すぎる。
ゆえにアスカは、こっそりながら厳戒態勢を解いていないのであるが…。
上体を起こし、アスカは顎先を指でつまむ。
この仮定を元に考えた場合、腑に落ちる部分もあるが疑問は更に多い。
とにかく原因は、あのサルベージ計画にあるに違いない。
結果として、あれは失敗といかないまでも不十分だった。
1/8サイズに再生されたのは仕方ない。問題はその解釈にあるとアスカは思う。
すなわち、1/8というのは圧縮なのか。それとも分裂なのか。
後者であれば、残り7/8が存在することになる。
そして、もう一人の自分が7/8を担っているという可能性も否定できない。
だがしかし、それならそれで、なぜ分裂しなければならないのか。
また、どうして一週間のスパンで訪問してくるのだ?
あんな傷だらけの格好で。しかも真夜中に。
自分と同じ自意識を持っているなら、知り合いに電話をかけてくるなり、いくらでも選択があるはずだ。
おまけにあんな格好で、人目につかないというのも考えにくいわけで、そうなると昼間はどこに潜んでいるのやら。普通の人が見かけたら、間違いなく警察か消防署に連絡するはずだし…。
実のところ、これらの諸々の疑問を解消する仮説がないわけでもない。
すなわち、あの存在をこの世のものでもない、いわゆる怨霊……とか呼ばれるものではないのだろうか?
嵐の夜に耳にした呪詛の声。冷たい響きもその予想に拍車を掛ける。
でも、もう一人のあたしが幽霊ってのも、なんだかしっくりこないわね……。
幽霊なら幽霊にせよ、律儀に一週間置きにやってくる理由が理解できない。
再びアスカは床にひっくり返った。
どうにも噛み合いそうで噛み合わない。
いや、もしかしたらそもそもの前提が間違っているのかも知れない。
いくら考えても分からない。
でも、誰かに相談するわけにもいかないし…。
ジレンマにまみれ、ゴロゴロするアスカから眠気は飛んでいた。
昼寝をしなきゃ夜が辛い、と思ってはいても、どうしても思考を重ねてしまう。
結果、文字通り寝食を忘れて考えに没頭したアスカは、部屋に夕日が差し込んできてようやく時間の経過に気づく。
「ただいま~」
折しも、丁度シンジも帰宅してきたところ。
その声に安堵すると同時に、激しく空腹なことも思い出す。
暗い思考をリセットする。心の奥底を低空飛行していた意識を一気に成層圏まで浮上させた。
二、三回ホッペタを叩き気合いを入れ、顔の険を吹き飛ばせば完璧。
思い切り陽気な声で出迎えてやった。
「おかえり! 今日の夕飯はな~に!?」
その日の夕食のミートグラタンは上出来だった。
デザートのフレッシュチーズケーキもとても美味しかった。
いつもと変わらないシンジの態度。
当たり障りのない話題を重ねて、談笑すらこぼれる普段と変わらない空気。
食後もリビングでまったりと過ごす二人。
しかし、アスカがその違和感に気づいたのは当然かもしれない。
頻回に自分のスマホに手を伸ばすシンジの姿。
本来、人付き合いが良くないシンジである。電話帳に名前を連ねているのは、旧ネルフ関係者と中学時代の同級生だけのはず。
なのに、このひっきりなしに着信を伝える電話の数は一体?
会話の内容を察する限り、ミサトとかリツコとかではなさそうだ。
でも、「うん」「なるほど」「そうなんだ」「ありがとう」って会話しかしないって相手って誰よ?
不審そうな表情が顔に出ていたかも知れない。シンジは微笑しながら教えてくれた。
「ええと、クラスメートなんだ。明日の授業についての連絡だって」
「…ふーん?」
「ほら、僕って、学校の作った連絡網に入ってなかったらしくて、心配したみんながかけてきてくれてたんだよ」
なるほど。それなら頻繁に着信が入るのも納得がいかなくもない。なにせ、入学してこの方、アスカ絡みで早退を繰り返したりととにかくドタバタしているシンジである。
でも、それはそれで疑問というより、不満が出た。
「アンタって、そんなたくさんのクラスメートに携帯の番号教えたんだ……?」
「え!? あ、そ、そんなことないよ!」
見事に狼狽するシンジに、アスカは俄然面白くない。
こんな唐変木の馬鹿のお人好しに、わざわざ電話連絡してくれるヤツがいるなんてね。
まあ、コイツに、自分から女の子と番号を交換するような甲斐性はないだろうけど。
そう考えても、アスカの頭のモヤモヤは晴れない。
…まさか、わざわざ番号を調べてまで連絡をくれる女子とかもいるわけ!?
自分で勝手に思考を進めてに、ますますエキサイトするアスカ。
何よ、何よ! みんなして人形好きの変態に認定したくせに!
ウジウジバカのシンジなんかを気に掛けたりしてんじゃないわよっ、ふん!
自分でも妬心と分かっているのに、今のアスカはその心の動きを制止する術はない。
勢いそのままにそっぽを向いたアスカを、シンジはどうにか宥めようとするがとりつくしまもない。
だから彼女は、とうとう気づかなかった。
シンジが嘘をついていることに。
お腹一杯で眠気には勝てず、いつもより早めに床についた夜。
ふと目を覚ましたアスカは、視界の違和感に少しの間だけ戸惑う。
どうにか意識を覚醒させ、迷わず声をかけた。
「なによ、シンジ。その格好は!?」
「あ、ごめん、起こしちゃった…?」
電気の落とされたリビング。なのにパジャマではなくジーンズにパーカーを着たシンジの格好が不釣り合いだ。
どう見てもよそ行きの格好。
「ちょっと買い物するの忘れちゃったものがあってね。コンビニいってくるよ」
パーカーの肩を竦めてシンジはいう。
チラリと寝床の傍らに置いたスマホへ視線を走らせてアスカは思う。
あまり眠った気がしない。精々眠っても一時間くらいだろう。
タイマー付きのバイブレーションもまだだ。日付は変わってないはず。
ならば、まだ大丈夫…。
「うん、気をつけてね。いってらっしゃい…」
ふああ、と欠伸をして手を振り、小さな枕に顔を埋めた。
「じゃ、ちょっといってくるね。アスカもちゃんと布団掛けて風邪ひいちゃダメだよ?」
「あんたこそ寄り道しないで帰ってきなさいよー。お土産もよろしくー…」
さあて、タイマーが作動するまで眠ろうっと。
気持ちよく再度眠りの沼に沈もうとしたアスカであったが、それを中断したのは虫の知らせか、はたまた第六感か。
何か、気になる。
念のため、片目だけを開けてスマホの小さなディスプレイを覗きこむ。
即座にアスカは跳ね起きた。その顔色は完全に変わっている。
ディスプレイの表示が消えている。慌てて開いてボタンを押しても反応はない。
この展開、いやでも嵐の夜の晩を思い出す。
あの日の充電不備に懲りたアスカは、日中に酷使したスマホを眠る前に充電器に接続することを忘れていない。
だから、バッテリー切れは考えにくい。となると、まさか壊れた―――?
青い顔でコネクト部分などを弄りまわすアスカは、間もなく違和感に気づいた。
追求すべく、充電器のコードを引っ張る。
本体がコンセントに刺さっていなかった。
…シンジ!!
アスカは、歯噛みと焦りと怒りの表情をいっぺんに端正な顔に浮かべた。
二人しか暮らしていない部屋。
意図的にコンセントから脱着できる人物は一人しかいない。
思えば、さっき目を覚ました時。
もう、シンジがあたしのスマホが充電切れなのを知っていたんだ…。
では、なんの為にそのようなことをする必要がある?
シンジの目的は、はっきりいって分からない。
確かに分かるのは、その目的を妨げられないように、あたしのスマホを使えないようにしたこと。
現状の身体サイズでは単独での外出もままならないアスカにとって、スマホはまさに生命線。
それが機能しなければ、マンションの一室とて陸の孤島に等しい。
寝床から跳ね起きたアスカは、リビングの壁掛け時計に視線を飛ばす。
とうに12時を過ぎて1時近かった。
駆け出したアスカが向かったのは、自分専用の小物入れ。
病院に行ったとき、電池切れに懲りたアスカは、ミサトにモバイルバッテリーの購入を依頼したのだ。
特に告げる必要もなかったので、シンジにも教えていない。知らないはず。
案の定、真新しいバッテリーが、マヤ手製の着替えの中に埋もれていた。
バッテリーを抱えて舞い戻ったアスカは、ほとんどタッチダウンの勢いでスマホに接続。
初めての使用だったが、半分ほどある電源が、スマホへと電力を供給してくれた。
電源が入ったのを確認して、0.5秒だけ考え込んだのは、リツコとミサト、どちらにかけるか迷った為。
それでもミサトにかけたのは、いまはなによりも必要なのは機動力であることをアスカも承知していたからだろう。
人影もなく寂しい夜道を、シンジは一人歩く。
そんな彼の右手にはスマートホン。
ぼんやりとしたディスプレイの灯りが、少年の顔を下から照らしあげた。
闇に浮かび上がるシンジの顔は、常にない覚悟の色が浮かんでいる。
果たして、のディスプレイには何が表示されているのだろうか?
シンジの浮かべる表情の意味は?
全ての答えを夜が包み、東雲はまだ遠く、闇はなお濃い―――。
NEON GENESIS EVANGELION AFTER
“ MY LITTLE LOVER ”
りとらば!
嘘の道行き ~了