提督を辞めたい提督   作:神楽 光

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白露型二番艦駆逐艦『時雨』

 彼を初めて見たときは、なんの感情も抱かなかった。特に感じるものはなく、存在すら認識していなかった。

 ただ周りが彼を殴り、蹴り、罵り、蔑む行為を見送っていただけだった。

 日に日に窶れていく顔。初めは消えていた青痣がいつしか消えなくなり、腕を捲ればクッキリとその暴力の痕が窺えた。でも、それを見ても僕の感情が揺れることはなかった。むしろ、怒りが湧いた。艦娘達にではない。()()()()()()()に、だ。

 彼は艦娘達にどれ程酷いことをされようとも、耐えて、堪えて、たえるだけ。憎悪を向けることもなければ、怒りを向けることもしない。罰することすら、いや、興味を向けることすらもしない。ずっと遠くを見つめて、()()()()()()()()()

 それが更に彼女らの神経を逆撫でたのだろう。暴力や暴言は止まるどころか、過激さを増していった。

 

 だけど。妖精さんは違った。

 

 妖精さんだけは彼が傷つかないようにと、艦娘を止めていた。

 それを見たのはつい最近の事だった。

 艦娘は常に妖精さんを連れている訳ではなく、妖精さんを自由にさせている。だから、妖精さんが今までその行為に介入した所は見たことが無かった。

 

「止めないでください!」

 

 僕が何となく散歩をして、鎮守府内の廊下を歩いていた時。提督の執務室の中から叫び声が聞こえた。

 止めないで。その言葉が妙に頭に残った。執務室の中からだから暴力や罵詈雑言を浴びせていたのだろう。それを誰かが止めようとしている。何故?そんな艦娘がここに居ただろうか?

 疑問に駆られ、ソッと扉を開ける。そこには横たわり、意識を失った提督。その向かいに怒りの形相で涙を流しながら空中を見つめる夕雲さんがいた。その他には誰もいない。

 誰だ、と一瞬部屋を見渡してはたと気づいた。

 空中を見つめている。即ちそれは向かい側に誰かがいるか、もしくは()()()()()()()()()()()()()()がいるかだ。

 そしてこの鎮守府にはその存在がいる。

 僕はジッと目を凝らして夕雲さんが見つめる先を見た。そこには可愛らしい妖精さんが必死に両手を伸ばして、真っ向から夕雲さんに相対していた。

 

「何故ですか!」

 

 夕雲さんが妖精さんに大きな声を出しながら聞く。

 

「……」

 

 妖精さんは首を横に振るのみ。何も答えてはくれなかった。

 その様子に夕雲さんはギリッと歯を食いしばり、執務室から出ようとした。つまりはこっちに向かってきた。急いで執務室の扉から離れ、近くの角まで退避した。夕雲さんは下を向いていたので、恐らく気づかれてはいない。

 夕雲さんが出ていった後の執務室が気になったので、もう一度覗いてみる。そこには驚くべき光景があった。

 

 妖精さんが他の妖精さんを呼び、提督を介抱していたのだ。遠くて彼女たちの顔を見ることは出来なかったが、一様に不思議な力で提督の傷を癒し、何処かへと運んでいった。

 それは衝撃的だった。何故妖精さんが彼を庇うのか。助けるのか。まるでわからない。

 この話はみんなに話すべきだろうが、誰にも話すことは無かった。と言うよりも出来なかったと言う方が正しい。ずっと考え込んでいて、誰かに話すということが頭から離れていた。

 

 ───僕は、僕が今までしてきたことは正しかったのだろうか。

 

 僕は彼を一度だけ殴ったことがある。理由はわからないが、殴らなければいけない気がしたからだ。でもまぁ、それは彼にとっては理不尽な暴力の一つだっただろう。

 無視してきたこともそうだ。それは共犯者でしかない。イジメと同じだ。見ているだけのやつも、同じイジメっ子だ。

 妖精さんが彼を守っていた。彼の傷を癒していた。違うじゃないか。僕がしたかったことはこんなことじゃない。何で僕はこんなことをしているんだ。

 

 僕は……彼に何をした……っ!彼は、僕たちに何をした……っ!僕は……僕は!

 

 その日から、僕は彼の為に動き出した。

 

 彼に危険が及ばないように、周りを諭し。

 

 彼の負担を少なくさせようと、陰ながら書類仕事を手伝い。

 

 もしかしたら彼が自分たちを嫌っているかもしれないということを考え、彼の視界に映らないようにした。

 

 それでも彼の顔は日に日に窶れていく。

 

 何でだろう。何故なんだろう。僕だけの力では何もできないのだろうか。

 

 同じじゃないか。僕を幸運艦たらしめた数々の戦いで見送った仲間達と。

 僕には、見てるだけしか……できない……の?

 

 ポンっと頭に手を置かれた。そしてヨシヨシとでも言うかのように優しい手つきで頭を撫でられた。

 大きかった。安心感があった。……嬉しかった。

 「ありがとう」そう声をかけられて、涙を零した。彼はそれに焦り、心配気な表情で僕の顔を覗き込んだ。

 

 ドキリと胸が高鳴った。

 

 僕は彼のことをしっかりと見ていなかった。薄気味悪い?全然そんなことはない。今は頬もこけていてお世辞にもカッコいいとは言えないが、しっかりとした綺麗な眼差しをしている。ちゃんと、僕を見ていた。

 彼は何事かを言うと、プレゼント包装された小箱を差し出してきた。

 開けて良いか聞くと、できれば俺のいないところでと返ってきた。

 わかった、と返事をして急いで部屋に戻る。何故だかこの顔をあまり見て欲しくなかった。

 夕立にどうしたのか、と問われたが大丈夫だと言うことを話し、洗面所に向かって顔を洗う。

 鏡を見ると、少し目が赤くなっていた。

 僕は勘違いしていた。見ていなかったのは僕の方だった。その事実にまた涙が溢れそうになったが、我慢して貰った小箱の包装を開ける。

 少し長細くて、どんなものかは想像できなかった。

 箱から現れたのは───、お洒落な髪飾りだった。

 

 

 もう、涙を抑えておくことは難しかった。

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