私は夜が好きだ。
何で好きなのかわからないけど、夜になるといつもワクワクする。
この世界に再び現れて、ヒトガタとして夜を満喫できると、そう、思ってた。
酷かった。
ただ、その一言に過ぎた。
私には何の力もなくて。私には誰かを庇うこともできなくて。ただ、人形のように仕事をこなすだけだった。
夜も、いつの間にか怖いものに変わってしまった。
怖くて、怖くて。それでも行かなければならなくて。
仲間が死んで。私には───何が残ったのだろう。
新しい提督が来た。興味は……これといって無かった。私にあったのは、ただ『怖い』という感情だけ。上司の区別なんてついてなかった。同じものとして見ていた。
神通は攻撃的だった。それはきっと、私を守ろうとしてくれたのだろう。手を出される前に、手を出す。自己防衛の一つでしかなかったそれは。いつしか八つ当たりになっているように見えた。
夜は怖い。提督も怖い。でも、私の可愛い妹が、誰かを理由も無しに傷つけている方がずっと嫌だった。
なら、理由を作ってしまえば、きっと私は妹を嫌わなくて済む。その時の私はそう考えた。
壊れていた。今ならわかる。私はあの時、いや、
彼はそれを、壊れた私の心を、一つ一つ丁寧に組み上げ、直してくれた。
私はある時、彼に会いに行った。もちろん、夜だ。とても怖かった。妹たちに内緒で夜の廊下を歩き、執務室へと向かった。
ガタガタと震えながら執務室へと辿り着いた。少し開いた扉から、ほんの少しだけ光が漏れていた。
その時は夜中の0時だった。まだ、寝ていないのか。私は何をしているんだろうかと、好奇心に導かれるままに扉から部屋の中を覗いた。
彼は、一心不乱に書類を睨みつけ、それを捌いていた。彼の右横には幾つもの紙が積み重なった塔ができていて、左横には一つだけ残っている紙の塔があった。
私はその光景を見て何を思ったのか。扉をゆっくりと開け、執務室の中へと入った。
「ん……? 川内……か? どうした」
彼は見ていた書類から顔を上げ、私の方を見た。彼の顔は酷かった。頬は痩け、目の下の隈は隠せていない。目は血走っていて、整えていないのか、似合わない髭も伸び放題だ。
私は、何も言えなかった。ただ、俯いた。
「用が無いなら……あぁ、そうか」
いつまで経っても話さない私に痺れを切らしたのか、咎めようとする声を発した。しかし、彼はその途中で納得したような声を出した。
「川内。そこに座って待ってろ。これ終わらせるから」
彼はソファを指差し、次いで手に持つ紙をヒラヒラと動かし、私に示す。
私は彼の言う通りにソファに座る。無意識に下座に座っていた。
「よし、終わり。さて……川内は紅茶とコーヒーどっちがいい?」
「え?」
彼は紙を執務机の脇に寄せ、立ち上がり棚の方へ行った。そして私に聞いてきた。
何を言われたのか理解できなくて頭が真っ白になる。
「ん? どうした、川内」
「あ、いや。えっと、こ、ココアでお願いします……」
動揺しすぎて彼が聞いてきたものと違う飲み物を欲しがってしまった。
私はそれに気づいて慌てて訂正しようとした。
「あ、いや……「ココアか……」」
彼が真剣に考え始めてしまった。
「たしか奥の方にあったと思うから持ってこよう。すまないが少し待っていてくれ」
あるんだ……。いや、そうじゃなくて。
私がコーヒーでいい、と言う前に彼は奥の部屋に行ってしまったので、訂正することはできなかった。
暫くして彼は両手に湯気が立つカップを手に持ってやってきた。
それを私の目の前に置いて、自分のカップも私の向かい側に置いた。
それから彼は棚から茶菓子を取り出し、机の中央に置く。
「……あれ。ココア?」
私は彼のカップの中を見て、コーヒーでも、紅茶でもない茶色の液体を見て言った。
それは紛れもなく、私と同じココアだった。
「あぁ、最近飲んでないし、糖分補給にもってこいかと思ってな」
苦笑しながら彼はそう言った。何故だろう。原因はわからないけど、心に温かいものが広がった。
「んで。夜戦か?」
ビクリ。思わず体が震える。元々、そのつもりで来たわけではなかった。彼に害される事によって、私が妹を嫌いにならないようにするというなんとも利己的な考えだった。
さっきの暖かさによってほんの少し戻った理性が、冷静に考えだした。
「すまないが、余裕がない。君たち艦娘には十全な余裕はあると思う。だが、本当に申し訳ないが、俺に余裕がないんだ。だから……」
彼は心底申し訳なさそうに。それでいてどこか怯えるように私に言った。
それは、どうしてだろうか。加賀や長門が彼に強いてきたことだからだろうか。
私の狂った部分が囁き出す。今ここで、悲鳴をあげればきっと、妹たちや他の艦娘が来るだろう。
でも。でも。それで、良いのだろうか。
彼に襲われたと言うウソをついて。私はこの先、胸を張って生きていけるだろうか。
いや、私は兵器だ。ならば胸を張って生きるなんて『ニンゲン』みたいなこと……。
「あぁ、そうだ」
再び彼は声を上げた。
それが突然で、少し驚いた。
「お詫びと言っちゃあなんだが、これ」
そう言って差し出してきたのは、薄い小さな機械と、それに繋がれた何かだった。
「MP3プレイヤーって言うんだ。で、こっちの白いのがイヤホン」
彼は指差しながら名前と、そして使い方を教えてくれた。
「実は探していたら二つ見つかってな。二つもいらないし誰かにあげようかと悩んでたんだ」
苦笑いしながら彼は言う。
「俺の好きな曲しか入ってないけど……いるか?」
さっきまでの思考は全部吹っ飛んで、私の意識はMP3プレイヤーに釘付けだった。
彼に試しに聴いてみろと言われて、彼に手伝ってもらいながらイヤホンを耳に入れる。
そして教えてもらった再生ボタンを押して───世界が、塗り替えられた。
楽しげな曲調が耳から頭にかけて突き抜け、私に衝撃を齎した。
私の頭は曲に塗り潰され、彼のことも、妹のことも、何もかもを忘れて、聞き入った。
数分して一曲目が終わり、少しの間を置いて二曲目が始まった。
一曲目と一転して静かな曲。しかし、心の裡が熱く煮えたぎるような曲だった。今にも体を動かしたい。そう、思わせるような曲。
提督が何かを言っていた気がするが、曲に気を取られていた私は気づかない……と言うよりも聞こえていなかった。
楽しくて、楽しくて、いつの間にか寝てしまっていた。
起きた時は、執務室ではなく川内型の部屋だった。
「大丈夫でしたか、姉さん」
神通が、心配そうな顔をして私を見た。
その日から私は、夜な夜な彼のいる執務室に行ってはMP3プレイヤーを借りて曲を聞いていた。彼はそれをやるからどうか部屋で聞いてくれと何度も言っていた。けど私は執務室に通った。それはいつの間にか彼の人柄に惹かれていたからかもしれない。彼に
だけど、それも短い間だった。
それを見たのは偶然だった。
妹は私と提督を離すために、彼を殴っていた。
艦娘の力は人に耐えられるものではない。だと言うのに、私の妹は彼に暴力の嵐を降らせていた。
見るに耐えなかった。すぐさま自室に帰って自分を責めた。
「あぁ……だから、持って帰ってくれって言ってたのか……」
泣きながら、彼が何故そう言ったのかがわかった。
私が、彼を追い込んでいた。
それを知ってからは彼とは距離を置いた。
彼を傷つけない為に、私の妹にこれ以上罪を重ねさせない為に。
それからは平穏無事な生活だった。深海棲艦の侵攻は散発的で、私たちは基本的に護衛任務に着いていた。
あれから彼とは一切話していない。
────何でだろう。とても……寂しい。
「あ、川内」
彼に名前を呼ばれて、体が一瞬硬直する。
パニックになったけど、彼から早く離れた方が良いということだけ考えが先行して、走り出そうとした。
「待て待て」
腕を、掴まれた。
私の力ならすぐさまふり解けるだろう。だけど、そうした場合彼は怪我を負う。最悪、死ぬ。それじゃあ意味がない。私が彼を助けようとした意味が。私が傷つけてしまったら───。
「もう、聞きに来ないのか?」
「───え」
「なんか突然来なくなったじゃないか。だから、ちょっと心配した」
「……」
どうして?
「まぁ、俺の心配なんかいらないよな。ほれ、これ」
ぽんっと渡され、両手に握らせられたのは私が聞いていたMP3プレイヤーとイヤホンだった。
どうして?
「お前のなんだからしっかり持っとけよ。海に出る時には使えないが、それ以外の時はずっと聞けるはずだ。あ、ちゃんと電池の確認はしろよ? 無くなったら俺に言えばいいから」
「どうして?」
「ん? 何が?」
何も、何もわからない。私は貴方がわからない。
何故こうも簡単に私と接触できるの? 貴方が傷ついている元凶は私だ。それは貴方にもわかっているはずだ。だと言うのに。
「どうして、私に関わろうとするの?」
「うーん……そりゃあ───」
彼はあっけらかんと言った。
「───俺の艦だからだろ?」
「───っぁ」
何かが弾けた。止めどなく溢れる。
彼の言葉で、私は強く納得した。
それは私が元々軍艦だったからか。今の私だからかはわからない。けれども、確実なことが言える。
私は、彼の艦であり、それを誇りに思っても良いのだと言うことが。
「姉さん」
「ん。何?」
「雰囲気、変わりましたね」
「───え」
「ごめんなさい。姉さん」
「な、何が?」
「私、姉さんの為って言いながら、自分の為に行動していました。姉さんを利用していました。ごめんなさい」
「……」
「───解体の申請を出してきます」
「いいよ」
「はい?」
「いい。別に良い」
「で、でも───」
「私も、似たようなことしようとしたから」
「………」
「だから、別に良い」
「私は、誰にも許されないことをしました」
「うん」
「私は私自身が許せません」
「うん」
「きっと、誰も許しはしないでしょう」
「うん」
「それでも、ですか?」
「うん。私の妹は、神通は。貴女だけだから」
「……ッ!」
「……謝りに行こう? あの人も、きっと許してくれると思うから」
「───はい……」
私は夜戦が好きだ。
ううん。夜が好きだ。
だってあの人に会えるから。
だってあの人と話せるから。
だってあの人と2人きりになれるから。
夜は、私と彼の世界になるから。
因みに提督は泣きながら頼み込んではいません。川内の認識改変です。
「もうお前のなんだから自分で持っておけばいいのに」提督が言っていたのはそのくらいです。