ちょっとゴタゴタがありまして、それに向けての解決と私の精神の安定をするために次の投稿も長くなる可能性があります。
申し訳ございませんm(_ _)m
しんどい。辛い。苦しい。
助けて。助けて。
誰か。イクたちを助けて。
怖い。怖い。怖い。怖い。
海なんか、嫌いだ。
イクがあの人と相対してから、イクたち潜水艦は休みなく出撃していた。
燃料、鋼材、弾薬、ボーキサイト、
同じことを繰り返して、怒鳴られ、殴られ、また繰り返す。それに精神が耐えられなかった。
心を壊した子が多かった。その度に新しい子を入れ、心が壊れた子は解体される。
そんな生きにくい日々は唐突に終わりを告げた。
明かりもつかない暗い部屋に、突如とした外の光が舞い込んだ。
私たちの部屋のドアが開かれたのだと数瞬して分かった。でもきっと、あの人が指令を言いに来ただけなのだろう。そう思って光から逃れるように目を背けた。イムヤもハチもゴーヤも同じだった。
「なんだここ……って潜水艦の部屋か」
その時聞こえた声は別の男の声だった。それに少々驚きながらも、どうせあの人の繋がりだろうと思い、何もしなかった。
それがいけなかった。
何度悔やんでも悔やみ足りない。
何故イクはあの時彼に声をかけなかったのだろう。それさえしていれば、違う道を辿れたはずなのに。
「ふむ……伊号潜水艦8、19、58、168か。聞きたいことがある……と言いたいがそんな状況では無いな」
彼の言葉を聞き流しながら、束の間の休息を堪能する。
そう久々に休暇が得られたのだ。理由は分からないけど。休暇を、得た。……だからと言って何をすると言う話でもない。ただ部屋の中で蹲っていた。
「………まずは、掃除からだな」
そう一言呟くと、その男はどこかへと去っていった。何だったんだろうと頭の片隅で考え、すぐにどうでもいいと切って捨てる。
しかし、数分もすれば再び扉が開いた。
「今からここを掃除するぞ。始めは換気だ」
なにかしらの道具を持って、彼は言った。ズカズカと部屋に入り、窓がある場所まで辿り着く。ゴーヤはそれを迷惑そうに見ていて、ハチは恐れるように彼の反対側へと逃れる。イムヤは興味無さそうに宙空を見ていた。
シャッと閉じられていたカーテンが開き、次いで窓が開かれる。閉じ切られていた雨戸も開き、部屋の中を明るくした。
惨状。壁には己の血で「死にたい」「殺して」「休みたい」と書かれ、爪痕や赤いシミ、黒ずんだシミでいっぱいだった。初めからあったものはボロボロになり、そこら辺に転がっている。
「……こりゃ酷い」
彼はそう言うと、手に持っていた道具を置き、ブラシをバケツに付けて壁を磨き始めた。
「……なに、してる」
ゴーヤが始めて声を上げた。「でち」と言う口癖はいつの間にか消え、あの人以外には威圧的な口調に変わっていた。イク自身も、もう随分と変わってしまったと思う。
「何って掃除だよ」
彼はその口調に憤るでもなく、ただ淡々としていることを話す。
「……そんなの見たらわかる。お前は誰で、何故私たちの部屋を掃除してるのかを聞いてる」
「俺か? 俺は新しくここに着任した提督だ。さっきまでは鎮守府の構造把握のために歩き回ってたんだが……ここがどこよりも汚れていてな。他は綺麗なのにここだけが。だから俺が掃除を───」
「……出ていけ。今すぐ出ていけ!」
ゴーヤが叫ぶ。彼はそれに対してため息をついた。
「……わかった」
そう一言だけ呟いて、扉が閉まる音を聞いた。イクはその間、一切顔をあげずただ音だけを聞いていた。
それから毎日彼は訪れた。その度にゴーヤは彼を刺々しい言葉で突き放し、彼は律儀に帰っていく。
流石に何度も来られて鬱憤が溜まったのだろう。ゴーヤは遂に「来るな」と言った。しかし、彼はその言葉だけに対しては「無理だ」と言った。ハッキリと、重い言葉だった。ゴーヤもそれを感じとり、もう言わなくなった。それでも突き放してはいるんだけれども。
ある時、ゴーヤがイクに話しかけてきた。
「……イク。どう思うでち」
いつの間にか口調も戻っていて、極力平坦な声に務めているものの期待しているかのような喜色が滲み出ていた。
「……」
「……」
静寂が場を支配する。イクにはまだ彼が分からない。何者で、なんの為にいるのか。ただ、部屋を見渡すと随分綺麗になったように思える。
埃は払われ、壁にあった血の文字も消え、シミも無くなった。……爪痕はどうしようもないのか、残ったままだけど。
部屋を飾るようなものもいつの間にか増え、生活感溢れる部屋になったように思う。
「……どう、だろ」
イクはそれだけ絞り出せた。今のところ、疑問しかなかったから。
「次、アイツが来たら顔を見てみるといいでちよ。何かあったら、ゴーヤがアイツを殴るでち」
ゴーヤはそう言って、ハチやイムヤの所に行った。
顔を見る。どうしようもなくそれが怖かった。
あの人の顔を思い出す。醜悪に歪んだ顔。欲望まみれの、気色の悪い笑み。あの人によって恐怖を植え付けられた。人の顔を見るのが、怖い。
その日の夜。イクは肩を震わせながら、彼が用意したベッドの中に潜り込んだ。とても暖かかった。
………そう言えば、彼が来てから1度も遠征に出ていないし出撃もしていないけれど、どうしてだろう?
何度も彼は来た。その度にゴーヤに言われた事を思い出し、顔をあげようと試みる。
喉が急速に渇く。鼓動が早くなり、冷や汗が絶えず流れる。呼吸も荒くなり、急激に勇気が萎んでゆく。
また明日でもいい。まだ。まだ。
そうやって何度も何度も機会を遅らせて、遅らせて。
ハチは既に彼に心を開いていた。
イムヤは既に彼に興味を示していた。
ゴーヤは既に彼を認めていた。
イクだけはまだ、恐怖に震えていた。
また来てくれる。いつかは顔をあげられる。そんな在り来りな期待をして。
彼は唐突に来なくなった。
ゴーヤはまた裏切られたと嘆いた。
ハチは彼もそうだったと悲しんだ。
イムヤはため息をついて諦めた。
イクは。
イクは何も出来なくて、
絶望した。
ゴーヤが衝動的に外に出て、数時間して帰ってきた。その足音は、なんとも言えない寂しさだった。
ゴーヤが聞いてきたのは、彼が重症を負ったこと。だからこの部屋に来れなくなったこと。
裏切られたわけじゃなく、他と同じになったわけでもなく、諦める必要もなかった。
「失ってから初めて気づくものがある」
その言葉通り、イクは彼を「信じて」いたのだと気づいた。
また明日も来てくれる。いつも通り笑顔で部屋の掃除をして、可愛らしい小物を置いていく。
そんな明日を、イクは信じていたのだ。
歯を食いしばる。
イクの感情を優先して、今まで勇気を出してこなかった事に憤る。
今回は救うことができた。でも次は? 次も助けられるとは限らない。
だから、だから今度こそ彼を見る。そう決めて。イクたちは彼のお見舞いに行こうとした。だけど行くことが出来なかった。どうしてと嘆き、その理由を聞いて愕然とした。
彼は何一つとして悪くなかった。彼は嘘をついていなかった。悪いのは、イクたちの方だった。
どうしてあの時顔を上げなかったのだろう。どうして機会はいつでもあったのに。どうしてイクたちは癒しになろうとしなかったのだろう。どうして。
それから何日もして、ようやく彼と会うことが出来た。でもイクは顔を上げることができなかった。それは恐怖からじゃない。イク自身の、自責の念だった。
「お? なんだ、出てこれるようになったのか」
イクの耳朶を打ったのは、そんな軽い声だった。
「ご、ごめんなさ───」
「ん? なんで謝るんだ?」
「だ、だって。イク、何もしてな───」
「そうか? 今まで頑張って来たんだから 別にやんなくていいだろ」
ポンポンと頭を優しく撫でる。パチリと何かが鳴った。一瞬だけ、何かが見えた。だけどそれよりも、彼の優しい手がどこまでも気持ちよくて、堰き止めていた涙が決壊した。
「────なーに。これからもまだ長い人生があるんだ。気楽に行けよ」
心の準備をする。
深呼吸をして整える。
記憶が呼び起こされる。
大丈夫。怖くない。
だってこの人は、
底抜けに優しいから。
その顔は。
顔をあげ、真正面からその瞳を見た。
「ッ!?」
衝撃を、受ける。
まさか、こんな偶然が。あの人と同じだなんて。
最上級の驚きのせいで流れていた涙が止まってしまった。───しかし、結局はすぐに流れる。それは意識しなくても、自ずとわかることだった。
ありがとう。提督。
イク、この世界で生まれて良かったの。
だって─────、
────また、イクの大好きな提督に会えたから。