オツキミやまは、御月見山。
古くから月見の名所として知られる山で、とくに山の中腹にあるオツキミ広場の池にうつる水月が美しく、他の地方からもやってくるポケモントレーナーがいるほど。
しかし近年は化石発掘のために立ち入り禁止になることがおおく、観光客は10年前とくらべて激減してしまった。
最盛期の40年前と比較すれば、現在は客入りなんてなきにひとしい。
むかしはニビシティとハナダシティをむすぶ唯一の道であったけれど、今はとりポケモンをつかったそらとぶタクシーも普及しているから、わざわざ山中をのぼりおりする必要もない。
かつて主要なルートとして整備されていたオツキミやまの登山ルートも今は寂れ果て、わずかなポケモントレーナーや化石発掘スタッフ、まれに月見の観光客くらいしかいなかった。
「……はー……」
そんなオツキミやまのニビ登山口に、レッドがいた。
右手には探検用の懐中電灯、左手には観光パンフレット。
肩の上にはピカチュウがのり、ベルトにおさまったボールの中にはフシギダネ、スマホロトムは配信にそなえて待機中。
今日はオツキミやま登山配信の予定だ。
ポケモントレーナーがこういう場所から配信することもめずらしくなく、洞窟の奥から雑談配信していたトレーナーがラプラスと遭遇した話や、深夜に釣り配信をしながら寝落ちしてしまったトレーナーが色違いコイキングを逃がしてしまった話など、話題にことかかない。
もちろん、配信できる場所もかぎりがある。
といってもイワヤマトンネルやオツキミやまなど、人通りがあるところや、作業のために電波がひつようなロケーションであれば、たいていは内部でも電波がとどくように整備されていた。
オツキミやまは発掘調査の関係で、快適とまではいわないけれど、洞窟の中にしては電波の入りがいい。
「ぼくが調べたかぎりでも、たまにタイムラグはあってもネットはとぎれない……はず?」
うーん、とパンフレットをみるレッドが小首をかしげる。
パンフレットには「問題なく通話が可能です」とかかれているけれど、生配信となれば電話よりもずっと大量の情報をやりとりするから、どうなるかよくわからない。
動画サイトでオツキミやまからの配信動画のアーカイブをしらべても、映像がとぎれとぎれであったり、タイムラグはあってもふつうに配信できていたりと、だいぶムラがある。
「通信プランのみなおしと、スマホロトムの機種を更新してもらえたから、だいじょうだとおもうけど……」
母親への直談判や、オーキド博士と無言赤スパチャおじさんなどの支援により、以前とくらべて配信機材は格段にレベルアップしていた。
トキワのもりで活動していたころがレベル5のマダツボミなら、今はレベル35のドードリオほどもちがう。
機材といってもスマホロトムしかないのだけれど。
けれど身ひとつで配信する身軽さがウリの個人配信トレーナーとしては上等だ。
そこをこのレッドが戦略的に考えられているかはあやしいけれど、ポケモントレーナーとしての直感と経験則で「たくさん道具があってもバトルの邪魔になる」といって、最初から今までずっとスマホロトムひとつだけ。
「よし。いくよ、3・2・1……」
【#ポケバト生放送】REDのダンジョン配信中!
チャンネル登録者数 7.5万人
きみの声援がぼくの力!
もっと見る
配信までに飲み物とってくるわ
こんばんわ
こんばんわー!
わいの地元やんけ
なっつ 遠足で行ったわ
「予告したとおり、今日はオツキミやまにきています。ほんとは閉山中で立ち入り禁止だけど……じゃーん!」
レッドが臨時調査員の入山パスを、スマホロトムにかかげる。
個人情報のところは指やテープでかくしつつ、それが正式にオツキミやまを管理する団体が許可・発行したことをしめすハンコをみせた。
「これであらかじめ注意された危ないところ以外は入れます!」
入山パスを首から下げたレッドは、それがよくみえるように堂々と胸を張った。
ピカチュウは思った、「ぜったいに危ないところもいく気だろうな」と。
ほとんどの視聴者は思った、「ぜったいに危ないところもいく気だな」と。
一部の青少年は、パスではなくその後ろにあるものをみつめて「……おおきい」と生唾を飲みこんだ。
娘の配信をはじめてリアルタイムで視聴しているカオリは手で顔をかくし、後輩の安否を心配するグリーンは頭を抱え、入山パスを手配したオーキド研究所の面々は苦笑いやひきつった笑いをこらえようとしたり、思い思いに困惑していた。
レッドだけが、なんの悩みや心配もなさそうな、かがやかんばかりのドヤ顔をしている。
ドヤ顔たすかる
スクショした
ちょうどきらしてた
あとでREDちゃんを守り隊とREDちゃんを理解らせ隊のお兄さんお姉さんたちがこの笑顔を壮絶な議論の的とするが、それはまた別のお話。
山中に入る。
「……想像してたより、ずっと明るい」
観光ルートが整備されているのもあるけれど、動画でみるよりも、オツキミやまの中は明るかった。
むかしは〝フラッシュ〟を使わないと一寸先も見通せない暗闇が広がっていたけれど、地震などの災害時には避難ルートとする可能性があり、発掘調査団体がひんぱんに山を利用する関係から、ひでんマシンがなくても問題なく通行できるようになっている。
〝フラッシュ〟いらずといっても山の内部だから、足元に気をつけないと転ぶし、ルートから外れたらあたり一面が真っ暗だ。
うっそフラッシュいらないの!?
せやぞ
またおじいちゃんが変なこといってるー!
わりと最近だぞ
ここ10年か?
おじいちゃんじゃなくておとうさんだったな……
コメント欄もわいわいとやっている中、レッドはスキップでもしそうなほど足取りも軽やかにすすんでいく。
これでピッピでもでてこようものなら、輪になって踊りだしかねない。
「広場の池をかこんでピッピが躍るって、ほんとかな」
レッドがぽつりとひとりごちた。
都市伝説じゃない?
ただのうわさでしょ ミュウと同じ
変なポケモンだしありえるかも
「ぼくは踊ってくれたら嬉しいな」
なんで?
「一緒に踊れたら楽しいよ、ぜったい!」
この薄暗がりでも白い歯がみえる満面の無垢な笑みをうかべ、レッドが夢物語を口にする。
大人になったらめったに言えなくなることを。
あまりのまぶしさにいくらかの人々に反感を抱かせるだろうけれど、その何倍もの人々を魅了させてやまない。
その時。
「ピカチュウ」
調子に乗りはじめた
「ご、ごめん……まじめにやります……」
ほおを尻尾でぐりぐりやられながら、レッドがあやまる。
パパさんお疲れ様です
子育ては大変だな……
そう思ったスマホロトムの思考は配信画面のテロップにそのまま流れた。
このチャンネルの恒例行事となっているけれど、やっている本人たちも視聴者たちもよくあきないものだと感心する。
こういった調子で一行はしばらくすすむ。
休んでいるイシツブテを踏むこともなく、ズバットやサンドパンの群れを怒らせることもなく、とくにこれといってなにもなかった。
けれども、近ごろカントー地方でも流行しているというアローラ地方のマラサダやパイルジュースをはじめにとりとめのない話を視聴者たちと喋っていたら、レッドが不意に足を止めた。
「んー?」
「ピカチュー?」
きれいな石でもみつけたのかな、とピカチュウ思ったけれど、そうではないみたい。
「あの横穴、マップにはなかった」
彼女の視線の先には、きれいにくりぬかれた大きな横穴があった。
「自然にできたものじゃないね。でも発掘なら、ちゃんと地図にのってるはずなのに」
よくみれば穴の入り口には、穴を掘る際にでたらしい岩石と土くれがたまっている。
なのに、立ち入り禁止を告げるテープや標識もなにもない。
「ルートからかなり外れているけど……あやしい」
普通ならこの横穴をみつけても、とくに気にもとめずに先へすすむだろう。
「ピカ?」
ピカチュウだって、いぶかしむレッドを不思議そうにみている。
スマホロトムと視聴者たちも頭上にハテナマークを浮かべていた。
レッドの言葉を疑問には思うけれど、たしかにあやしい。
オツキミやまは遭難対策もふくめて、その内部はすべて正確な地図として公開されていた。
普通ならあの横穴は地図に書かれていないといけないし、工事中なり発掘中ならきちんと警告するはずだ。
けれど、地図になければ警告もない。
レッドがオツキミやまの公式HPで公開されている最新マップを確認しても、やっぱりのっていなかった。
「ぜったいなにかありそうじゃない?」
「ピカー」
ピカチュウもそう思うけれど、あやしげな横穴ではなく目の前のレッドに嫌な予感を覚えて止めようとする。
「なにかあってからじゃ遅いよね」
「ピカ」
その言葉はブーメランになっているとピカチュウは教えたかったけれど、あいにくと人間の言葉を話せないし、言ってもこの相棒の耳には届きそうにない。
「……行こうか」
「ピ、ピカチュ……」
こうなったらどうしようもない。
このあとめちゃくちゃ
……すぞ。
理解らせ隊と守り隊も大変やな
ピカチュウがまだピチューだったころに草むらに連れだした時も、母親に隠れてはじめて配信した時も、トキワのもりがおかしなことになっていると聞いて突撃した時も、このひとりと一匹は同じようなやりとりをした。
みんなが止めても、こうと決めたらやってしまう時がある。
そしてなによりも、ピカチュウもスマホロトムもそしてほとんどの視聴者が知らないことを、レッドは知っている。
この世界には悪の組織がいるのだ。
だから、あやしいなら行かないといけない。
それが
レッドの「あやしい」という言葉は、横穴に入ってから数分で正しかったと証明される。