しばらくシュート練習をしていると、雪ノ下と由比ヶ浜が切り上げてこちらにやって来た。
「ゆきのん、もう帰るんだって。あたしもそろそろいい時間になってきたし……」
由比ヶ浜のその言葉を皮切りに、次々とみんな帰る雰囲気になる。俺も帰ろうと、身支度を整えていると、雪翔に声をかけられた。
「比企谷、ちょっといいかな。この後時間ある?聞きたいことがあるんだけど
この後家に帰っても大したことはしないだろう。俺は二つ返事で了承した。
近くの公園のベンチに座り、自販機で買ったマッ缶を飲みながら雪翔が話し始めるのを待つ。
「比企谷は、雪ノ下さんといつから知り合ったの?」
聞きたかったこと、というのは、雪ノ下のことなのだろうか。
「高2の春だな。生活指導の教師に無理矢理奉仕部に連れて行かれて、そこで会った」
あの時のことはよく覚えている。あの部屋で、初めて彼女を見たとき、俺の全てが止まった。あの光景を、絵画だと錯覚した。ただ少女が本を読んでいるだけだったのに。そして――思わず見惚れてしまった。
「そんなに長い付き合いじゃないんだね」
「まぁ、そうだな。それに、最初は相性最悪だったし、全然仲良くなかった」
会うたびに皮肉を言い、言われ、罵られ、バカにされ、蔑まれ……今思えばかなり最悪な関係だったな。それでも確かに今は居心地の良い環境になった。
「比企谷はさ、大学に進学したら雪ノ下さんとは疎遠になるよね。そしたら、どうするの?そのまま会わなくなって、思い出の中の人になるの?それとも、なんとか関係を維持できるようにする?」
「難しい質問だな。疎遠になるのは…正直嫌だ。けど、しょうがないとは思う。ぶっちゃけ、俺は関係を続けたり、そういうの、苦手だからな。多分、由比ヶ浜とかに頼りっきりになって、申し訳なくなって、それで結局、いつか疎遠になると思う。雪ノ下も、そんな風に思ってるんじゃないか?」
だから多分、今日はバスケの練習に来たのだろう。本当は忙しかったはずだ。あいつにとっては、貴重な勉強時間だったはずだ。それでも、由比ヶ浜が頑張って俺たちと雪ノ下を、卒業するまで、なんとか繋ごうとしてくれている。そのことに雪ノ下は気がついたのだ。
「聞きたかったことは、それだけか?」
もしそうなら、雪翔の意図が読めない。なんのためにこんなことを聞いてきてのだろうか。
「うん…」
頷いているものの、あまり満足はしていなさそうな態度。まだ何かあるのだろうか。
「まだ何かあるのか?変な質問じゃなければ答えれるが」
「ううん、大丈夫。なんとなく聞いてみただけだから。ちょっと気になっちゃって」
照れたように笑う雪翔。その笑顔の裏に、何も隠れてないといいな、なんて、少し失礼なことを考えてしまった。人を疑ってばかりは良くないな。反省反省。
「今日はありがとう。ごめんね、時間取らせちゃって」
「いや、別に用事があるわけでもないし全然大丈夫だぞ。むしろ新しい友達が増えて嬉しい…なんてな」
さっきの罪悪感から、すこし余計なことまで口走ってしまった。言ってからなんだか照れくさくなってくる。
「友達…うん、そうだね。比企谷とはいい友達になれそうだよ」
飲み終わった缶をゴミ箱に捨て、俺達はそれぞれの帰り道へ歩き出した。帰りながら、さっき雪翔に聞かれたことを思い返す。
来年の今頃、俺と雪ノ下と由比ヶ浜はきっと全然違うところで生活している。全然会うことがないような関係で、いつまで彼女らは俺のことを覚えていてくれるのだろうか。由比ヶ浜はなんだかんだいって俺達を繋ぎ止めてくれるのではないだろうか。これもただの願望、若しくは甘えかも知れないが、そこまで間違っていないのではないかと思う。
それなら雪ノ下は。彼女が自分から連絡を取ってくれる未来が浮かばない。会おうとしてくれる姿が想像できない。むしろ、こちらから繋ぎ止めようとしても上手くいかない気がする。明確な根拠はないが、そんな風に思ってしまう。
俺はここで初めて大事なことに気が付く。手放したら二度と掴めないものを、俺は手放してしまったのではないか?
放課後いつも通りみんなで集まって部室で勉強をする。俺は数学を半泣きになりながら1Aからやり直しているところだ。
「はぁ無理かも待って辛い」
前回の模試で一番悪かったのは勿論数学なんだった。次回こそはと数学の勉強を頑張ってみた…が、まず1年の頃にやったことなんて覚えてない。加えて苦手な単元はただでさえ復習から逃げてたから殆ど初見に思えてくる。もういっそ、数学使わないとこ受けようかな…。
手を動かすのさえ億劫になってくるが、周りをみれば嫌でも勉強しなければ、という気持ちになってくる。
黙々と難しそうな問題集を解いている雪ノ下。苦手なりに頑張ってうんうん唸りながら手を動かし続ける由比ヶ浜。生徒会関係の仕事を何故かここでやっている一色。まだ一年生で遊びたがってもいいのに課題を持ってきて解いている小町。さらさらと流れる様に軽く問題集を解き進めている雪翔。
なんだかんだ言ってもここにいるのは半数以上が受験生。今までみたいに呑気に紅茶飲んでお話ししてる時間なんて無いことを実感する。
辛いなぁ、勉強やだなぁ。てか数学やだなぁ…。
なんだかんだ考えながら数学と格闘していると、あっと言う間に下校時刻がきた。
「うー、今日も沢山勉強した!」
由比ヶ浜が立ち上がって伸びをする。俺も机の上を片付けて帰る準備に取り掛かった。
「それにしても先輩たちよくそんなに集中して勉強出来ますよね」
一色がパソコンで疲れた目をこすりながら感心したように言う。
「うん、私は勉強好きじゃないけど、やっぱりゆきのんが頑張ってると私もやらなきゃってなるからね」
雪ノ下の方を見ながら微笑む由比ヶ浜。雪ノ下もその視線に気づき、照れたように微笑む。つられて小町や一色も笑顔になり、暖かな空気が充満する。そんな光景をただ一人、雪翔は訝しげな目で見ていた。
「どうしたんだ?」
声を掛けると、雪翔はびっくりしたようにこちらを見る。
「あ、いや。雪ノ下さんと由比ヶ浜さんって仲良いんだなと思って。あんまり知らなかったから…」
そうか…。そんなこと、この部活に居ればすぐ気付きそうなものなのにな。まあ、去年までと違ってみんなここで勉強するのが目的になってきてるし、仕方がないといえば仕方ないのだろう。せっかく雪翔に奉仕部に来てもらったのに、結局勉強ばかりで雪翔的には来た意味があったのだろうか。申し訳なく感じてくる。
「前までは、色んな活動があったんだかな。今年からはもう前とは同じように出来ないみたいだ。せっかく来てもらってるのに、ごめんな」
俺がそう言うと、雪翔はキョトンとした顔をして、ふっと破顔した。
「そんなこと気にしないでよ。僕はここでみんなと一緒に居られるだけで楽しいよ。転入する前は友達が出来るか不安だったしね」
雪翔はそう言って笑う。でも、違うのだ。本当は俺が残念に思っているのだ。見てほしかった、何か言ってほしかった。あの俺達の過ごし方を、そして、関係性に。変わってしまった今の俺達ではなく。歪んでいて、歪だったあの頃を。
俺はきっと後悔しているのだ。あの頃は歪んでいたかもしれない。けど、歪んでいるなりに一緒に進んでいけた。
でも今は、正しい関係で正しい位置付けで。これから先きっと待っている別れに向かって、真っ直ぐ進んでいる。
それは、抗うことを止めたからだろうか?