硝子の魔女 作:黒皮の手帳
―――愛してる。
愛してる。愛してる。愛してる。愛してる。愛してる。愛してる。愛してる。愛して……
「これと、それ、あとこれも貰おうかのぅ」
小銭袋を握りしめて豊富に揃えられた果物を指差す、巨人を思わせる大柄な男。
それに愛想良く返事してりんがにみかんとテキパキと品物を積めては小銭を受け取り、袋一杯に詰められた果物を見て男は機嫌よく頷いて踵を返していく。
「傷の姉ちゃん、靴を売ってくれ!」
「……いいよ。少しだけ待っててね」
そう呼ばれてぎこちない笑みを浮かべる。
背を向けて少女の足のサイズに見合う靴を探しながら僅かに窪みとざらつきのある鼻先に手を伸ばして『私』は小さく息を漏らした。
顔に傷のある女と云えば皆が『私』のことを言う。
―あの子、ほらあの竜車で果物とか雑貨売ってる子―
―美人なのに顔に傷跡があるなんて可哀想な娘だね―
―名前は……はて?なんと言ったかな―
貧民街より幾ばく離れ人の波が絶えない路上の端。
あの雪の日から一年の時が経ち、行商人オットーから晴れて一人前の太鼓判を推された私は、一人で切り盛りしてみないかと提案を受け、貯蓄を崩してボロの竜車と若い地竜を買い、この場所でお店を出す許可を貰って少し前から露店を開いていた。
思いの外それが成功してちょっぴり有名になってしまったが、それでも私の名前を知る人はいない。
「ほら、これでいい?」
「サンキュー!!」
記憶喪失という理由。
私自身、元の記憶を取り戻すまでの仮の名を決めかねていた。
「そこな愚物。これは何という?」
紅色の唇が舌を覗かせる。
彼女が視線を上に向けると妖艶に微笑む美少女がりんがを指差していた。
「これは《りんが》です」
「……《りんが》それは白い実の果実のことを言っているのか?」
少女は綺麗な手で真っ赤なそれを一つ掴み取り、興味深そうに眺める。
ドレス姿。従者を連れていないので不確かだが傲慢な態度に教養の感じされる言葉使い、高貴な身分の御方であることを伺わせる。
蝶よ花よ育てられたお嬢様にはりんがを剥いた後の姿でしか知らぬのかと……流石に妄想が過ぎるか。
「――宜しければ、味見いたしますか?」
「ふむ、殊勝な心がけじゃな」
こういう相手には
彼女の手にある《りんが》を有り難そうに受け取った私は腰みのにくくりつけていた果物ナイフを取って、クルクルと手際よく皮を剥き、ついでに兎の形に切り分けた。
「おぉ!」
反応がよろしい。
この顔でも一人前に仕事をこなせるように客寄せとして覚えた妙技だが、どうやら彼女のお眼鏡にかなったらしい。
シャクリと水水しい音を立ててりんがを咀嚼し、「確かにりんがじゃ」とお嬢様はお言いになった。
「この時期のりんがは甘くて美味しいんですよ」
この手の上流層は個人で財布を持ち歩かないので、いくら宣伝しようと無駄になる可能性は高いが一応お客様ではあるわけで、一度サボるとダメになるという言葉がある。
貴賤なく丁寧に接客するのがオットー商会の誇りですといわんばかりに、笑顔を作って言葉を紡ぐ。
「ふむふむ」
聞いてるようで聞いてない。シャクシャクとお嬢様は《りんが》を食べていた。
どうやらよほどお気に召したようだ。
「…………なら」
手持ち沙汰になった私は余った材料を擂り潰し砂糖と蜂蜜を混ぜ混んだ果実水を作ってみた。
喉が渇いていたのでちょうどよかった。
そしたらお嬢様に取られた。
………………こういった時はどうするのが正解なのか。
帰ったらオットーさんに聞いてみようと思う。