硝子の魔女 作:黒皮の手帳
あまりにも爽やかな朝の訪れは前日の憂鬱な空模様から一変させ、ぽかぽかと暖かい陽日と肌を撫でる春風が快適な目覚めを運んでくれた。
「……んっ。よく寝た」
ひとひとと草木から伝う朝露を見て私はほっと息を吐く。
「…………うぅむ」
草原を突き抜ける一つの街道。
メイザース領と王都間の距離でいえば半分ほどにあるそこで、円弧に囲んだ石囲いにあらかじめ用意していた薪を敷いて火を焚き、小鍋で食材と香辛料をふんだんに混ぜ混んだ茶色の液体を静かに煮込ませる女の姿があった。
(これくらいかな?)
ポニーテールにまとめられた黒い髪が左右へと揺れる。
おたまで掬ったスープというには粘り気の強すぎるそれを舌をなめとり、味が満足いかなかったのか口を八の字に歪めて三白眼の大きな瞳を小さく細める。
「おいしい……けど、やっぱり何かが足りない。ハーブ、それとも具材なのかな?」
その言葉から何度も同じものを自作したことがあるのだろう。いずれも食えなくはないが失敗作に変わりなく、やはり今回も駄目であったと彼女は小さく肩を落とした。
「お、今日は朝から“かれー”なんですね!」
そんな彼女とはうって変わって鼻をくんくんと鳴らし小鍋の中身を見た途端に黄い悲鳴を上げたのはオットーという年若い行商人。
「おはようございますオットーさん。もうすぐ出来上がりますので少々お待ちください」
「美味い!やっぱり貴方の“かれー”は天下一品ですよ!」
過ぎたお世辞は嫌味に聞こえると人は言うが、ここまでストレートに誉められると背中がむず痒くなって顔を背けたくなる。
「…お褒めに預かり光栄でございます」
照れ隠しに仰々しい言葉使いで微笑んだ。
それがあまりにすんなり頭に浮かんだものだから、一瞬オットーさんがいつの日か言っていたように、記憶を失う前の自分はやんごとなき身分の御方であったかもと考えて、
『オホホホホッ』
自分が一番可愛いと思い込んでいる痛々しい性格をした私が頭に浮かんだ。
…生活が安定したこの頃になってやっと昔の自分について考える余裕が生まれてきたとはいえ、このような過去ではあってほしくないと思う。
卑屈な引きこもりや空気の読めないお調子者の方がまだ救いがある。
だが、どうしようもない馬鹿というか、どこまでも痛いヤツといえばいいのか、もし自分の過去が目も当てられない自意識過剰のお嬢様であったのなら――人はそれを黒歴史と呼び、恐らく私は正気ではいられないだろう。
「ほら、お食べ」
余り物の雑穀を啄む地竜の子。
早朝から暴飲暴食は健康にはよろしくないが、オットーはかれーの魔獣と化してしまった。完食するまで止めそうにない。
食の細い私は暇を持てはやし、スーウェン家に代々受け継がれるこの子の餌やりとブラッシングを担当しています。
「ぐるルル」
「あ、ここが気持ちんですね」
「ぐるるる♪」
「これから一仕事ありますから、今はゆっくり体を休めてくださいね」
オットーが朝食を済ませるとメイザース領まで竜車を走らせることになる。
もう王都から半分は過ぎているので、三時間も掛からないだろうが積み荷の油を考えるとかなりの重量だ。
私の地竜も連れてこられれば良かったが、私の地竜はダイアナ種と呼ばれる気難しい性格をした雌の地竜であり、悪い子ではないのだが、他の地竜とよく喧嘩するので仕方なくお留守番させた。
よってこの重い竜車はこの子一人で牽引することになる。
頑張って貰う為にもブラッシングは丁寧に行った。
次回、青髪メイドの福音