「白兎が大活躍するはずの手に汗握る麻雀バトルパートだと
思っていたらいつの間にかハートフル日常会話パートだった」
(中略)
後書き詐欺だとか作者迷走しすぎだとか、
そんなチャチなもんじゃあ、断じてねえ
もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……
「な……!」
それは誰の声だっただろう。
この場にいる皆が皆、驚愕の表情と共に絶句し、息を飲んでいる。
シーン……
沈黙による静寂が部室をしばし支配する。
「はく……と、さん……その目は、いったい……?」
衝撃から立ち直りつつあるのか、のどかが漸うといった感じで声を絞りだした。
「驚くよな、やっぱり。この瞳は俺のちょっとした特異体質で、頭を普段より使おうとするとこうなるんだ。症状としては目の充血みたいなものかな。以前医者に見てもらったけど、病気じゃないし健康や日常生活に差し障りもないから見た目意外は何の問題もないってさ」
とはいっても、それこそ見た目が一番の問題というか、インパクトありすぎというか。
「そ、そうですか……」
案の定、俺にとっては半ばテンプレとなっている説明、異常はありませんよアピールにも、衝撃冷めやらないのどかはどう反応していいかわからないという感じの生返事だ。
天理浄眼を初めて見た人は大体皆、気味悪がって引いてしまう。
無理もない。
長い期間を経て瞳の色が変わった、とかならまだしも、ほんの数秒でここまで劇的に色が変わるのを目の当たりにしたら、最低でも何らかの病気を疑うか、場合によっては「同じ人類ですか?」なんて笑い話にもならない疑いすらもたれかねないだろう。
目の充血です、なんて言い訳が通用するどころの話ではないのだ。
まぁ瞳が蒼くなったからと目からビームが飛び出すわけじゃなし、自分にとって害になるような変化じゃないとわかれば落ち着いて対応してくれるだろう。
そうなるまでしばし待つしかない。
「――白兎君の目……綺麗ね」
誰しもが押し黙る中、竹井先輩がぽつりと呟いた。
動揺を一切感じさせず、澄んだその声は本心から言っているとわかる。
竹井先輩へと視線を移せば、その表情もまた好意的な微笑を浮かべて俺を見つめている。
「知ってる? 蒼いサファイアは、紅いルビーと同じ素材の宝石なのよ」
そして、竹井先輩らしい、少し気取った詩的な表現で俺の瞳を褒めてくれた。
その言葉に、ジーンと胸に暖かい感情が灯る。
俺の瞳を気味悪がらずに、こんなふうに言ってくれた人は初めてだ。
やばい、今のはかなり嬉しいかも。
俺の中で竹井先輩への好意がぐんと高まった瞬間だった。
「ありがとう……ございます、部長。正直、褒めてもらえるとは思ってなかったので、なんだか嬉しいです」
竹井先輩の不意打ちに感激していた俺は、お礼を言おうとして途中でつっかえてしまう。
後半は滑舌を取り繕えたが、俺にしては珍しく動揺を見せてしまった。
やはりこの人は侮れない。
てらいのない俺の感謝の言葉を受けて、竹井先輩は「どういたしまして」とにっこり笑った。
くいくい。
ん?
左腕の袖を引っ張られる感触にそちらを振り向けば、のどかが右手で俺の袖を掴んでいた。
そして頬を赤らめながら俺を見つめ、
「わっ、わたしも……白兎さんの瞳はとても美しいと思います……」
と、少し恥ずかしげな口調で囁いた。
それはもしかしたら乙女の嫉妬的な竹井先輩への対抗心ゆえの行動だったのかもしれないが、彼女の白く明るい色のオーラが見えている俺には彼女の言葉が本心であると疑いを持つことはない。
「うん、のどかもありがとな。俺、この瞳のせいでのどかに引かれたりしないかって正直心配だったから、そう言って貰えて安心したよ」
実際、天理浄眼をカミングアウトするにあたって懸念してたうちの一つが、のどかに引かれたりキモがられたりしないかってことだった。
他の部員からならいいの、というわけでもないんだが、心寄せている異性の反応にナイーブになってしまうのは仕方ないというか、至極当然のことだろう。
安堵と感謝の気持ちを込めてのどかに微笑みかける俺と彼女の視線が絡み合い、しばしの間見つめ合う。
「い、いえ……私がそれくらいのことで貴方を嫌うなんて万が一にもありえません……」
そこまで言って恥ずかしさが限界に達したのか、表情を朱に染めて視線をふい、と逸らすのどか。可愛いさすが天使ちゃん可愛い。
「はいはい。そこの二人、イチャイチャするのは後でも出来るから、今は自重して頂戴。ほら、宮永さんも二人に中てられて顔真っ赤にしてるじゃない」
竹井先輩がぱんぱん、と拍手を打ち、注意なのか冷やかしなのか微妙な台詞で俺とのどかをたしなめる。
俺は公衆上等の覚悟でのどかとイチャついてるが、それが他人に対しての免罪符になるとは思っていない。
俺とのどかは正式に付き合っている恋人同士というわけではないが、さすがにこんなやりとりを続けていてはバカップルの謗りを免れないだろう。
てかあれだ。こんな傍目にも露骨にイチャついてる俺とのどかはどうして恋人同士になってないんだろう?
清澄高校麻雀部七不思議の一つだ。
というのは冗談で、単にお互い告白とか関係を決定付ける契機が今までなかったからなんだけど。
まあこんな友達以上恋人未満の甘酸っぱい関係も結構気に入ってる。10代の青春期だからこそ味わえる特権ですよ。
これがお互い20代を過ぎると、男女の関係には立場だの収入だの結婚を前提としたお付き合いか否かだのと、しがらみや打算的な心理が多分に介在してくる。
前世の経験からそれを知っている俺は、お互いの気持ちだけで恋愛できる今がどれほど貴重で大切な時間なのかを、ここにいる誰よりも深く実感しているかもしれない。
「そ、そんなんじゃ……」
そんな俺の物思いを余所に、部長の指摘に言い訳をしようとした宮永さんの声が尻すぼみに消える。
その指摘が図星であることを隠せないと思ったからかもしれない。
実際宮永さんは竹井先輩の言うとおり顔を真っ赤にして俯きながらも、ちらちらと上目遣いでこちらを観察している。
宮永さんはどうやらとても純情な子のようで、露骨に直視はできないけど興味はそれなりにある、という感じだ。
個人的には、高校生にして既にスレてたり、恋愛経験豊富ですって子よりはずっと安心できるというか、好感が持てるな。
「のどちゃんと白兎のバカップルぶりはもはや鉄板だじぇ」
「独り身にゃー目の毒じゃのう」
俺が入部してからこれまでの1ヶ月で、こういった俺とのどかのイチャコライベントは既に何度も発生していたりする。
それだけでなく、日を重ねる毎にその度合いが悪化してきているので部員の皆もいい加減慣れてきたというか、対応ぶりが堂に入ってきた。
「神は死んだ!」
神の子たる俺の目の前で何たる不遜発言をするのだ、京太郎よ。神にチクって天罰食らわすぞ。連絡先知らんけど。
のどかと再会できた一件で、俺はマジで神の子かもしれないという痛い妄想を半分くらい……いやいや、ほんのちょっぴりだけね? 信じちゃってたりなんかして。
とまぁ、冗談はさておくにせよ、これまでの付き合いで京太郎は元々麻雀には興味がなく、のどか目当てで麻雀部に入部したという動機と経緯を知っている俺としては申し訳ないという気持ちがないでもない。
欧米人のように恋愛は戦争だ、どんな手段を使ってでも勝った者が正義、みたいな肉食系恋愛観は持ち合わせていないのだ。
ただ、のどかに関しては俺が先約だし、それに見たところ、俺がいなかったとしても京太郎がのどかの心を射止めることが出来たとは正直思えん。
京太郎の外見の良し悪しはさておいても(酷)、二人の性格的な相性が良いようには見えないし。
そういう意味では優希との相性は良さそうなんだけどな……俺が入部する前から既にツーカーな感じだったし、京太郎にその気があれば案外春は近い気がする。
とはいえ、のどか狙いが明け透けだからこそ優希は京太郎に対して安心してちょっかいを出している感もあるし、その前提が崩れたらどうなるか読めない部分もある。
いずれにせよ、優希は顔の器量は良いし小柄で可愛いし明るく元気で一緒にいて楽しいしで、付き合える可能性があるなら十分特攻する価値はあると思うんだけどな。
なんてこと、当人じゃないから無責任に言えるが、好きだの惚れただのは理屈じゃないしね。
京太郎が今後誰とどういう関係を築くのかを俺が心配するのは余計なお世話というものだろう。
「あの……もしかして、原村さんと発中君はお付き合いされてるんですか?」
ド直球キタコレ。
俺とのどかの微妙な関係に大胆にメスを入れる宮永さんの一言に、「えっ、あっ、なっ!?」と超動揺するのどかさん。
いやー、初々しくていいねぇ。
って他人事じゃなかった。
どもって声の出ないのどかに代わり、もう一方の当事者である俺が答える。
「いやいや。仲が良いから誤解されやすいけど、恋人同士ってわけじゃないよ。俺たちの関係を正しく言うなら「友達と書いて想い人と読む」かな」
うん、即興で考えた割にはなかなか的確な表現だ。
「友達以上恋人未満」なんて割とありがちな表現より具体的かつ正確に関係性を表していると思う。
文学的にロマンチックというか、情緒のある表現は圧倒的に後者だが……
「そ、そうなんですか……」
俯いた視線の先で両手を擦り合わせながら、苦笑気味に言う宮永さん。
……あれ、俺の回答を聞いて、宮永さんは何かにがっかりしてるみたいな……?
彼女のオーラに
それらの感情の意味する答はなんだ? 単純に考えれば俺に好意を抱いたが、既に良い仲ののどかがいることを知って失望し、のどかに嫉妬したとか?
自意識過剰な推測かもしれないが、そう考えれば説明はつく。
だが、天理浄眼を発動させてから今に至るまで、短い間とはいえ俺に対する好意の感情は特に視えなかったんだよな。
むしろ若干の警戒、怯えが視えたくらいだ。まぁそれは俺の瞳を初めて見た人間のわかりやすい感情の発露なんだが……
経験上、好きとか嫌いとか、嬉しいとか悲しいといった感情はオーラに顕著に表れやすい。
サトリとかいう妖怪ほど具体的に心が読めるわけじゃないが、天理浄眼を発動させた俺から感情を完全に隠し通すのは不可能に近いと言っていい。
人間より精神規模の小さい動物の感情すら読み取る天理浄眼から心の動揺を完全に隠しとおせる輩がいるとしたら、それは仙人とか聖者とか、悟りを開けるレベルまで強固に精神性を高めた超存在だろう。
ちなみに何故そんなこと(悟り云々)を知ってるかというと、俺の天理浄眼のことを把握している祖父が昔ちらっと言ってたからだ。
さすがは日本有数の大企業のトップ、オカルト知識にまで精通してるとか博学さがまじぱない。
そういや、祖父からは他にも、まっとうな人間として生きたければその目の存在を隠せとか、少なくとも心が読めることだけは絶対誰にも知られるな等と注意されたっけ。
……いや、あれはむしろ警告だな。
前世の知識というか、真っ当な大人としての分別と判断能力を天理浄眼と同時に手に入れていた俺は、祖父の危惧するところの意味を理解し、当時からしっかりと弁えることができた。
心が読めるとかチートすぎるだろ……
他人がそんな能力を持ってると知ったら、俺だったらそいつには絶対関わりたくない。
だから日常生活では余程の事態(例えば、のどかがかつて不良に襲われた際、トラウマを軽減するための精神的な事後フォローを適切に遂行する為、とかね)でなければ使用しないし、麻雀においても通常は心を読んでまで勝負しようとは思わない。
まぁギフトホルダーや強力なセンスユーザーを相手取る場合は能力解析や能力妨害を目的として使わざるを得ないということはあるが。
だってさ、センスなら地力の差でまだなんとか捌きようもあるが、きちんと自分の特異性=ギフトの使い方を弁えてるレベルの打ち手だと、素でやりあうには土俵が違いすぎるってか無理に対して道理で戦う、という状態になるからね。
雀力というか麻雀の総合的強さをゲーム的デジタル表現で書き表すと、ギフトを使ってない俺:100 割と強いセンスユーザー:50(+30) 割と強いギフトホルダー:50(×4) みたいな感じになる。
なお、カッコ内の数値がセンスやギフトによる補正値ね。
数字にするとそのチートっぷりが一目瞭然である。
そしてゲームといえば家庭用の麻雀ゲームではありがちな、必殺技などと銘打った積み込みやガンパイといったレベルのインチキを地で使ってくる相手=ギフトホルダーに馬鹿正直に戦えるかアホらしい、って結論になる。
目には目を、歯には歯を、だ。昔の人はいいことを言った。
ま、なんだかんだ言っても結局はギフトを麻雀に使う自分の正当性を主張してるだけで、五十歩百歩の見苦しい言い訳だと言われればそれまでなんだが。
話を戻そう。
天理浄眼によって知り得た宮永さんの感情についてだが、結論するとよくわからん。
俺が好き+のどかに嫉妬、だと俺に対する好意が視えないし、しかしそうなると一体誰に対して嫉妬してるんだって話になる。
いや、のどかに嫉妬じゃなければ、消去法的に俺に嫉妬してるってことになるんだが、一体何に対して俺に嫉妬する?
トリガーは「俺とのどかが良い仲であることを知った」だよな。
そこから導き出される答えとしては……白兎好き&のどか恋敵、じゃなくて、のどか好き&白兎恋敵……か?
…………。
いや、まさかね!
それだと同性愛じゃん。
……違うよね?
デリカシー云々以前にとてもじゃないが怖くて聞けない。
「それにしても白兎君はこういう話題に強いわねぇ。からかわれたり冷やかされたりしても全く動じないし。ま、その分のどかが楽しませてくれるけどね」
新たなヒロイン候補かと思いきや、
そんな超展開を思わせる成り行きに戦慄してる俺をよそに、竹井先輩がいつもの調子でのどかと
「ぶ、部長! 冗談にしても酷すぎますっ!」
「あはは、ごめんごめん。慌てるのどかが可愛くて、ついね」
いやまて。ここは俺が限界ギリギリまで可愛く女装して宮永さんの前に姿を現せば、彼女の好意を得ることができるのではないか?
そしてそのままのどかと同じパターンで、ある程度好意を育んだ後にカミングアウトすれば、彼女を人として正しい道に戻してやることもできるのでは……
そう、これはカウンセリングであって決して邪な動機の行為ではない。いわば善意の人助けだ。
「可愛い子ほどつい虐めたくなる法則だじぇ」
「のどかを虐める……だと。(ピンク色の妄想中)――イイ! すごくイイ!」
「京太郎の鼻の下がえらいことになっちょるの……(汚物を見る目)」
だがまて。女装はいわば諸刃の剣だ。安易に実行して失敗したらダメージが色々と洒落にならない。
うっかり途中で女装バレして「白兎君チョーキモイんですけど。10m以内に近づかないで。このド変態!」とか
のどかにも「やっぱり女装して私の気を引こうとしたんですね。キモいです。この救いようのない変態糞虫が」などと、どこぞの吸血忍者ばりの罵倒を受けてしまうに違いない。
「あのぉ…… 麻雀の続き、しないんですか?」
……あ。
☆★☆★
view shift of side-N
「いや、ほんと失礼した。みんなにも申し訳ない、なんか俺のせいでグダグダになってしまって……」
「い、いえ…… お話はちょっと楽しかったですし、おかげで緊張も解けましたから気にしないで下さい」
宮永さんはそう言って、少し困った表情で右手を扇ぐ。
勝負の続行を失念して雑談に耽るなど、雀士のマナーとして最もしてはいけない行為だ。
それなのに麻雀部の部員全員よりも部外者である宮永さん一人の方が冷静だったというのは、あまりにも情けない話。
決して白兎さんだけの責任というわけじゃない。
せめてもの救いは、宮永さんの言ったように緊張が解けたこと……か。
白兎さんが蒼く染まった両の瞳を皆の前に晒したとき、直後に流れた空気は決して良いものではなかった。
驚愕、不安、怯え……不穏な空気一色だったと言っていい。
白兎さんに信頼を好意を寄せている私とて、正直に言えば最初から好意的に受け入れられたわけではない。
もっとありていに言えば、驚愕と怯えが6割、瞳の色が瞬時に変わるという現象に対して気味が悪いと生理的な嫌悪感を抱いてしまったのが3割、そして外見的にはとても綺麗だと、そのサファイアの双眸に吸い込まれそうな魅力を感じたのが1割。
それが掛け値なしの本音だった。
つまり好意的に感じたのは1割だけで、残り9割はネガティブな感動しか受けなかったのだ。
恐らく麻雀部の中で最も白兎さんに対して強い好意を抱いている私でさえこうなのだ。
他の部員や白兎さんと知り合ったばかりの宮永さんの抱いた感慨がどういった類のものであるかは容易に想像がつくといえよう。
もちろん私個人としては、それくらいのことで白兎さんに対する好意が薄くなったり、見損なったりすることはない。
それに身体的特徴で他人をあげつらう無神経さがどれほど人の心を傷つけるか、私は身を以って経験してきたが故に良く知っている。
驚きはしたけれど、今はもう、白兎さんの瞳は彼の個性、何ら差別する謂れのない外見的特徴であることを受け入れている。
だけど、それも言い訳。少なくとも、私に皆を責める資格はない。
でも、たった一人だけ、私たちを弾劾できる人がいる。
部長だ。
いや、そういう言い方は良くない……
部長は私を、皆を、白兎さんを、ひいては麻雀部そのものを救ってくれたのだ。
きっと、白兎さんは何の覚悟もなく蒼の瞳を晒したわけではない。
誰彼構わずに見せているとは思わないが、その瞳が他人からどう思われるかということを理解した上で、親しくなった人、近しい人には隠さないという態度を貫いてきたのではないか。
私の予想が正しければ、白兎さんはその度に大なり小なり苦い経験をしてきたと思う。
私が日常的に男性に胸を注視されるという経験を重ねて何年かを過ごしてきても、慣れるどころかトラウマになったのと同じで、白兎さんも覚悟や経験があるからといって心に痛みを覚えないということはないはずだ。
部長の一言がなかったとしても、時間を経れば私を含む皆が落ち着き、偏見や色眼鏡を捨てて白兎さんに接することができるようになっただろう。
だけどそうなるまでの短い時間で、白兎さんは疎外感と失望感、私たちは罪悪感というしこりを大きく育ててしまったはずだ。
そうならずに済んだのは全て部長のおかげ。
だから私は心から感謝している。
しかし同時に、最初から本心で白兎さんの瞳を綺麗だと感じ、素直に伝えることのできた部長に、私は苦々しい嫉妬を覚えずにはいられない。
醜く浅ましい感情と、彼に嫌われまいという焦燥があって、私は部長の二番煎じのような追従を白兎さんに言ってしまった。
「美しい」と思ったことは本心だけど、それ以外にもネガティブな感情を抱いたこと、嫉妬という発言の動機、そうした諸々が後ろめたい気持ちになって私に重くのしかかる。
それでも、「ありがとう。安心した」と白兎さんが答えてくれたときは心底安堵したし、嬉しかった。
――浅はかだったと思う。
今になって思えば、他者の心情に察しの良い白兎さんのことだ、私の欺瞞など見抜いた上で、内心の苦い感情を押し隠してそう言ってくれたに違いない。
やさしいひと。
白兎さんのことが好き。大好き。
きっと白兎さんも私と同様の気持ちを抱いてくれてると思う。
でも、ときどき白兎さんが見せる不思議な……そう、まるで親ががんぜない幼子を慈しむかのような保護者めいた眼差しが……私をとても不安にさせる。
異性として見られていないのではないかと……妹のような存在に思われているのではないかと……そんな想像が脳裏を掠め、どうしようもなく怖くなるのだ。
「白兎君だけのせいじゃないわ。私もかなり悪ノリしちゃったしね。とりあえず、勝負を再開しましょう」
「そうですね。時間も結構使ってしまったし、あまり遅くまで宮永さんを拘束するのは申し訳ないし」
部長が音頭を取り、白兎さんが実務や細部をフォローする。
この1ヶ月でもはやお馴染みとなったパターンは、こういう場面にさえ反映されている。
部の指導層という意味で立場が近く、また性格もどこか似通っているせいか、白兎さんと部長は出会って1ヶ月とは思えないほどの連携を時折発揮する。
そんな二人の距離の近さを目の当たりにする度、私の胸がちくりと痛む。
――ダメだ、一度ネガティブな感情に捉われるときりがない。感傷はよそう。後悔するのも後回し。
今はやるべきことをやらないと。
せっかく、白兎さんも協力してくれたおかげで実現した、宮永さんへの雪辱の機会。今日3度目の東風戦。
もしかするとこの勝負が宮永さんと打つ最後の麻雀になるかもしれないのだ。
大事に、真剣に、全力で向かい合わなければ後で必ず後悔する。
何より私は。
――
そして、静かな戦いが再び幕を開けた。
東場第二局二本場。
理牌し、手元に並んだ13個の牌を確認する。
【手牌】三九①①⑤48東東西北白中 ドラ指標牌:四
字牌多めの六向聴(七対子狙いで四向聴)……か。
私には偶然はいらない――などと、普段から運不運による有利不利など関係ないと公言している私でも、勝負に賭ける意欲も新たに臨んだ直後にこの巡り合わせは正直きつい。
まさに出鼻を挫かれたような気分になる。
だが、この程度で意気消沈してはいられない。
むしろ、こういう状況だからこそ合理的な打ち方で打開する意味があると言える。
幸い、場風牌である「東」の対子がある。
これを鳴いて役を作れば、テンパイ自体は何とかなるだろう。
問題は、この形から最速でテンパイを作ったとしても安い役にしかなり得ないことだ。
トップの宮永さんとは30000点以上もの点差がある。
この差を即座に覆すには、役満か3倍満をツモるなり宮永さんに直撃させるしかないが、あまり現実的な可能性とはいえない。
となれば、安い手でもいいから和了を積み上げていくしかないのだが……問題は、これが東風戦だということだ。
私が親になった際に最低3回程度は連荘しないと逆転するまでの尺が恐らく足りない。
ましてここまでに1度も和がれていない私が、絶好調の宮永さん、実力者の白兎さんや部長を相手にそれだけの結果を出せるのか、という問題もある。
決して諦めたいわけではないが、私の常の倣いで計算的思考をしてしまうが故に、ここから逆転して勝利できる可能性の低さをどうしても意識してしまうのだ。
……何を考えている、私。
泣き言や不利な要素ばかり並べ立てても状況は改善しない、今は、私にできる最善を尽くしていくしかない。
最速の組み立てを検討する。
といっても、それほど多くの選択肢があるわけではない。
一か八かの国士無双……は、流石に無理だろうし、そもそもデジタル派の私にとって役満は半ば考慮の前提にない。
検討するとしたら、せめて最初の配牌時点で二向聴以上じゃないと可能性が低すぎて非現実的にすぎる。
ここは「東」と「①」の対子を鳴いてでもいいから刻子に取り、チャンタ狙いでいくのが理想か。
和がることを前提としたいので、「東」の場風牌さえ成立させてしまえば、最悪チャンタを諦めてでも和了優先だ。
まずは安手でもいいから和がって宮永さんの親番を奪う。
通常なら、この状況であれば私は高めの手を狙うだろう。
なりふり構わない安手で和がっても、勝敗的にはトップに利するだけなのだから。
しかし、もう1度宮永さんに連荘されたら、それこそ勝負が決まってしまいかねない。
デジタル派である私にとって認めたくはないことだけれど、「勝負の流れ」というものがもし本当にあるのなら、それを今掴んでいるのは他ならぬ宮永さんなのだ。
「流れを引き寄せたかったら、時にはセオリーを無視してでもとにかく和がった方が後々良い結果を生む場合もある」
白兎さんが私に教えてくれたことの一つだ。
でもその台詞のすぐ後に「もっとも、のどかには向かないやり方かもな」なんて、苦笑しながら言ってましたね……
多分、私がいつものデジタル論で反発する前に予防線を張って中和しておこうなんて意図があったのだと思うけど。
嶺上開花という稀な役を連発する不思議な打ち手、宮永さんに対抗するためには、同じ非論理的根拠の白兎さんのアドバイスに従ってみるのが良い結果を生むんじゃないかと、ふとそんな気がしたのだ。
普段の私なら決して認めることのないオカルト論を許容するかのような思考に、「らしくない」と内心で自嘲する。
手元の牌を眺めながらそんなことを考えていると、左隣の宮永さんが小さく「あれ……」と呟いた。
「……? 宮永さん、どうかしましたか?」
「うひゃ!? あ、いえ、な、なんでもないです……」
私に声をかけられて、何故かびっくりする宮永さん。
何でもない、と答えた割には、どこかそわそわした様子で目も泳いでいる。
「咲、もしかしてトイレでも我慢してるのか?」
宮永さんの背後で須賀君が著しくデリカシーに欠けた発言をする。
私は呆れた。まったく、須賀君は悪い人じゃないけれど、女性に対する配慮や気遣いが足りない。
そんな聞かれ方をされたら
「そっ、そんなんじゃないよっ! 京ちゃんのバカっ!」
案の定宮永さんは激昂し、顔だけ背後に振り向いて怒鳴る。
「うわ!? す、すまん」
宮永さんの剣幕に驚いて、慌てて謝る須賀君。
憤懣やるかたない表情で「まったくもう、京ちゃんたら……」とぶつぶつ呟く宮永さんに、私は少々意外の念を禁じえなかった。
宮永さんのこれまでの態度から、大人しい女の子と思っていたというか、異性に対して声を荒らげるような激しさをもつ人だとは思っていなかったのだ。
それに、宮永さんの慇懃丁寧な言動から私となんだか似てるなと思っていたけれど、案外親しい人には気安くなる性格が彼女の「地」かもしれない。
私にとっては正直、そちらの
「ま、他人の心なんて親しくてもなかなか見えないものだよ。そういう意味じゃ麻雀もね。
「えっ……?」
まるで須賀君をフォローするかのように、白兎さんが宮永さんに声をかける。
話の流れに沿ってはいるが、白兎さんのどこか違和感のある迂遠な言い回しにわからない顔をする宮永さん。
私も白兎さんが何を言いたいのかよくわからない。
いや、言っていることそのものは別段、何もおかしなことではなく、気取った内容であるものの疑問に思うような部分はない。
ただ、なぜそんなことを今に言うのか、発言の意図が読めないのだ。
皮肉のつもりではないが、まさしく白兎さんの言うとおり「
そんな薬にも毒にもならないことを考えていると、
「あの…… もしかして、発中君は私の――のことを知ってるんですか?」
と、宮永さんがどこか切羽詰ったような表情で白兎さんへと問いかけた。
発言の半ばが小声で聞き取れなかったけれど、宮永さんは何を言いたいのだろう?
二人のこれまでの様子から初対面だろうし、お互いのことを事前に知っているという素振りはなかったが……
「いや、今日会ってから知りえた以上のことは知らないよ? もちろん、できればこれからも宮永さんとは親交を深めてお互いのことをよく知っていきたいと思ってるけどね」
白兎さんは気障にならない程度に爽やかな微笑を浮かべて、まるで告白めいたことを宮永さんに言う。
男女関係の機微に疎い私でも、これが宮永さんをナンパしてるとかモーションをかける意図ではないことは解る。
要するに、甘いマスクと言葉で宮永さんを麻雀部に
入部だけならまだいいが、私のように心まで取り込まれてしまわぬよう、彼女の為にも私の為にも切に祈る。
「そそそそうですか……」
滑稽なくらいどもりながら、顔を真っ赤にして俯く宮永さんも満更ではなさそうだ。
……彼女に勝たなければいけない理由が一つ増えた気がする。
「宮永さん」
「ひゃい!?」
これまで会話に加わっていなかった部長が宮永さんに声をかける。
ちょっと動揺しすぎでは? 文字どおり椅子から数cmは跳ね上がったんじゃないかってくらいの劇的な反応をしつつ部長へと顔を向ける宮永さんの様子はやはりどこか普通じゃない。
「白兎君との会話には私も興味があるけど、さっきみたいにならないように、麻雀を始めましょう?」
「あうう……ごめんなさい、私が打牌しないと進まないですよね……」
「うん、よろしく」
部長は冷静に現状の問題点を指摘し、ゲームの再開を宮永さんに促した。
いけない、私もついつい会話に引き込まれて日和ってしまっていた。
もう一度気を引き締めつつ、脳内シュミレートに従って私も1巡目の牌を捨てる。
紆余曲折があったものの、無事再開された勝負はしばし平穏に過ぎていく。
幸い、宮永さんのこれまでの和了パターンである早和がりは鳴りを潜め、8巡目で白兎さんの出した「①」をポンしてようやく一向聴に漕ぎ着けた。
【手牌】一二三九九⑤78東東 ①①
しかし、問題はここから。
老頭牌を晒した以上、チャンタは間違いなく警戒される。
同様に、チャンタと組み合わせやすい役牌も警戒されるだろう。
まして「東」は生牌である。そろそろ中盤であることを鑑みると捨てられる可能性は低いと言わざるを得ない。
かといって「東」を捨ててジュンチャン狙いに変えたところで根本的な解決にはならない。
テンパイ流局を視野に入れて、「東」を自力でツモれるように祈るしかない。
しかし、宮永さんは私の思惑より一手先に進んでいた。
「リーチです」
9巡目、宣告と共に場に千点棒を置く宮永さん。
これまでに較べれば早いとは言えないが、オリるべきか悩む程度には手が出来上がってしまっている。
そして私が今ツモってきた牌は1ソウ、ここは宮永さんに対する現物として残しておいた⑤ピンを切って一発を避け、次に賭けるしかない。
「チー」
これまで全く何の動きも見せず、ずっと静かだった白兎さんが初めて鳴いた。
副露牌は
私の捨て牌を手元に持ってきて、代わりに捨てた牌は「東」。
「! ポン」
張った――! 「東」が場に出ることは半ば諦めていたけれど、白兎さんのおかげでテンパイすることができた。
ちらり、と私が白兎さんを一瞥すると、視線に気付いた白兎さんが唇の端を歪めてニヤリと微かな笑みを浮かべる。
リーチのかかった中盤で、危険の高い生牌の字牌なだけでなく、宮永さんのダブル役牌を成立させてしまうかもしれない「東」を切るのは正直ありえない選択だ。
白兎さんほどの人がそれを理解していないはずもないが、むしろ白兎さんだからこそ宮永さんの手の内を読みきって安全を確信して捨てたのかもしれないと、常人に対してであれば絶対に抱かない「まさか」を疑ってしまう。
いや、もしかしたら私のために……?
宮永さんの手の内を読むことが出来るのならば、私の手の内が読めないということはないはずだ。
まさかの可能性を疑いつつ、宮永さんの和がり牌じゃないことを祈って1ソウを河に捨てる。
「チー」
「「「 ! 」」」
幸い宮永さんの当たり牌ではなかったが、またしても白兎さんが鳴く。
先ほどと寸分違わぬ手つきで私の捨て牌を手元に持っていく白兎さんの男性とは思えないほどの白く華奢な繊手を目で追いながら、彼の意図がどこにあるのだろうかと考える。
新たに成立した副露牌は
残る可能性は役牌か三色程度しかない。
しかし三元牌は「白」「中」が河に2枚ずつ捨てられているし、白兎さんの自風牌である「西」は3枚捨てられている。
となると、現実的には「発」による役牌和がりくらいしか……
容易に結論の出ない推測に頭を悩ませる私をよそに、対局は進んでいく。
私も宮永さんも当たりがないまま、11巡目で私に転機が訪れる。
手元にツモってきた牌は「東」。今更といえば今更だが、これは……
通常ならここで安易な加カンをして不用意にリスクを高めることは選択にない。
だけど、この状況でドラ牌を増やして手を高めることができれば、逆転の為の大きな光明となる。
「!」
そのとき、私の頭にある仮説が閃いた。
もし白兎さんが私のために「東」を捨ててくれたのならば……あの謎めいた副露も私の為という仮定が生まれないか?
あまりにもありえない前提だが、白兎さんが王牌や山の牌の伏せられた裏を全てわかっていたとしたら?
副露の目的が、私に
あまりにも都合の良い、いや、仮定に仮定を重ねたこれはもはや妄想といっていいレベルの仮説だ。
普段の私なら、いや、恐らく誰が聞いても一笑に付すだろう。
「
かつて白兎さんがアドバイスしてくれた言葉を思い出す。
脳裏でリフレインするその声が決意の一押しを私に与えてくれた。
「カン」
「!」
私の宣告に、宮永さんがぎょっとした表情で私へと顔を向ける。
王牌のドラ指標牌の隣をめくる。裏返った牌は「⑨」、まさかのドラ3追加……!
そしてリンシャン牌を手に取る。牌の凹凸を親指の腹で盲牌する――
ゾゾゾッ!
瞬間、私の全身を悪寒が走り抜けた。ありえない。こんなことはありえない!
私が掴んだリンシャン牌は……
「ツモ。嶺上開花、場風牌チャンタドラ3、3200・6200です……!」
私の和がり牌である、9ソウだった。
【和了:原村和】一二三九九78
「う……嘘……!?」
宮永さんが呆然とした面持ちで、私の晒した和了牌を見つめている。
その気持ちは良くわかる。和がった当の本人でさえ、あまりのことに頭が真っ白なのだ。
むしろ、平然とした表情をしている白兎さんや部長の方がどこかおかしい。
まして、宮永さんの十八番である嶺上開花を和がったのだ。
これで衝撃を受けないわけがない。
白兎さん……貴方はなんて……なんて規格外の人なんですか……!
オカルトを疑うというレベルの話じゃない。
正真正銘オカルトと断言していい結果に私は戦慄する。
本来ならいいところ二飜・2600点の役が六飜・12600点に化けたのだ。
私の想像が正しければ、それを脚本、演出したのは間違いなく白兎さんである。
空恐ろしい気持ちを抱きながら、震える手で差し出された宮永さんの点棒を、私もまた震えを隠せない手で受け取る。
「さてと。お膳立ても整ったし、そろそろ――
対局中は滅多に余計なことを口挟まない白兎さんが、何でもない口調でそう呟いた瞬間。
ゾクゥゥッ!
背中に氷柱を突っ込まれたかのような、とてつもない悪寒が背筋を走った!
「なっ!?」「ひっ!!」「くっ!」「じょ!?」「なぁ!?」
ガタタッ!!
私は思わず床を蹴って立ち上がっていた。宮永さんもだ。
部長も立ち上がりこそしなかったが、こめかみに冷や汗を浮かべ、怯えの孕んだ表情で白兎さんを見つめている。
そして、目に見えない水の中に取り込まれたかのような、奇妙な圧迫感が全身を包む。
「ウッ……プ」
宮永さんが吐き気を堪えるかのように、口を手で押さえてえづく。
「さ、咲ちゃん大丈夫か!?」
「おい咲! どうした!?」
「部長とのどかも変じゃ。一体何が起こっちょる!?」
優希が慌てて駆け寄り、少し椅子を引いて猫背な姿勢でえづきを我慢している宮永さんの背をさする。
宮永さんは激しく震え、瞼を閉じた両の目から涙が溢れて零れ落ちる。
一体何が起きた――?
突如勃発した不可思議な事態にフリーズしていた頭を再起動させる。
原因というか、元凶はなんとなくわかる。いや、感じると言った方が正しいか。
白兎さんだ。彼が口を開いた直後……測り知れぬ「何か」がこの場にいる皆を襲った。それは恐らく間違いない。
私が白兎さんへと顔を向けたのと同時に、
「白兎君。――貴方、一体何をしたの?」
部長がこれまでに一度も見せたことがないような、冷たく厳しい声と表情で白兎さんを詰問する。
「……特に何も。強いて言うなら――本性を見せただけです」
能面のように硬質な無表情、そして抑揚のない口調で白兎さんは答えた。
「ごめん宮永さん。予想はしてたけど、君が一番影響を受けたね。体調に影響が出るほどとは思ってなかったんだけど……いや、言い訳か。本当にすまない。今緩めたからすぐに落ち着くはず」
続けて、ところどころ理解の及ばない内容が混じった釈明を白兎さんが言った途端、全身の圧迫感が消える。
これは一体どういうことだろう。
白兎さんが私たちに何らかの危害を加えていた……?
正直考えたくないことだし、そもそもどのような手段によるものなのかもさっぱりわからないのだが。
「なるほど。宮永さんは単に
どこか自嘲するような口調で、解ったような、しかし本人以外には意味不明なことを言う。
そこに白兎さんを責めるような響きはない。
私は白兎さんに事態の説明を求めたかったが、それを聞いたら何かが決定的に変わってしまう気がしてならず、そんな益体のない恐怖に負けて声を出すことができなかった。
「こん……な、の……わ、私の……お姉ちゃん、より、何倍……も、ヒドい……」
えづきの衝動のせいで呂律が上手く回らないのか、息も絶え絶えといった感じの声を口を押さえた手の隙間から漏らす宮永さん。
「こがぁ事態は初めてじゃの……白兎が何かしでかしたっちゅうことか?」
「したといえば、したわ。ただ、それはただ「気合を入れた」「本気になった」という程度のことで、白兎君が私たちに特に何かをしようとしたわけじゃない。まぁ事故のようなものかしら」
「気合を入れただけで咲ちゃんがこんなになるなんて、ちょっと信じられないじょ」
「それは受け取る側の個人差よ。宮永さんはここにいる誰よりも白兎君の
部長は染谷先輩や優希の疑惑と不信に、一人訳知り顔で答えると、宮永さんへと優しく声をかける。
「宮永さん、少しは落ち着いた? もし、まだ気分が悪いようなら今日はここまでにするけど……どうする?」
「…………」
部長に声をかけられても、宮永さんは無言のまま俯いている。
きっと続行するかどうかを考えているのだろう。
ようやくえづきの衝動と震えが落ち着いたのか、たっぷり10を数えるほど経ってから宮永さんは顔を上げた。
「……大丈夫です。続きをやります。いえ、やらせてください」
大丈夫だと、気丈な答えを口にする宮永さんの表情は未だやや青ざめているものの、口調はしっかりしている。
「本当に、体は大丈夫なんですか?」
「うん。心配してくれてありがとう、原村さん」
「い、いえ…… 当然の配慮ですよ」
律儀にお礼の言葉を口にする宮永さんの儚げな笑みを見たら、なぜか胸がどきまぎしてしまった。
この感情は一体……?
「申し訳ない宮永さん。俺の配慮が足りなかった」
「いえ、発中君は気にしないで下さい。私が勝手に驚いちゃっただけだから……」
真摯な表情と口調で、再度の謝罪を口にする白兎さんに、宮永さんは恥ずかしそうな表情でそう答える。
「それじゃあ、勝負を再開しましょうか。宮永さん、体調が悪くなったらすぐに言ってね。さすがに次また同じことがあったら対局は中止するわ」
「は、はい……」
部長が再開の宣言と共に、再び宮永さんに気遣いの声をかける。
同様のことが起きた場合に対局が中止となるのは残念だが、宮永さんの体調を鑑みればやむを得ない、妥当な対応だろう。
もっともこれは、ある意味白兎さん次第と言えるかもしれないが……
開始からこれまでで、波乱万丈に満ち満ちた対局がようやく後半を迎えようとしていた。
書いててgdgdに……じゃなくて順調に長くなったのでまさかの3部構成に。
次章をもって所謂「第1部・完」みたいな区切りとなります。