咲-Saki- 天元の雀士   作:古葉鍵

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文字数制限の関係上、変則的ですが分割します。


東場 第二局 四本場 ①

放課後、染谷先輩を除いた部員全員が部室に集合して間もなく。

竹井先輩がキュポン、と小気味の良い音を立ててマーカーペンのキャップを外し、軽快な動作でホワイトボードに大きくキュキュキュッと文字を書き込んでいく。

ほどなくして書き終えた竹井先輩が、バン! と威勢良くホワイトボードを叩いた。

そこにはでかでかと「目指せ 全国高校生麻雀大会 県予選突破!!」と書いてある。

皆が竹井先輩の派手なアクションと、その大きな音に驚いて注目する。

 

「はいっ、ちゅーもーく! 全員集まれ~」

 

号令をかけた竹井先輩の意図を読んだ俺は、余計な口出しかなと思いつつも彼女に声をかける。

 

「あ、部長。それ昨日俺がやりました。大会の件については1年全員に説明済みです」

「あら、流石に手回しがいいわね白兎君。それじゃ、必要なことだけぱぱっと説明しちゃうわね」

 

俺の気がかりは杞憂だったようで、竹井先輩は陽気に頷いて諒解すると、今日の活動とこれからについてテキパキと説明を始める。

 

「今年の大会、目標は勿論、県予選突破です! あ、そっちは県内の強豪校と主な牌譜ね」

 

竹井先輩は両手に腰をあて、胸を張って宣言すると、ホワイトボード脇の小さな丸テーブルの上に置いてある書類を手振りで示す。

先ほど俺が竹井先輩に指示されてプリントアウトした他校の牌譜である。

 

「それからこっちは予選のルール。パソコンにも入ってるから、各自目を通しておくように」

 

説明しながら、竹井先輩は皆に予選のルールが記載されたプリントを1枚ずつ手渡していく。

皆がそのプリントに目を落とす中、

 

「パソコン使うじぇー」

 

と優希がPCへと走り寄って行く。

 

「全員で10万点持ち……?」

「5人で交代? なんだこれ」

 

プリントを読み込んだ咲と京太郎が早速疑問の声をあげる。

 

「それは団体戦のルール。詳しいことは後でまとめて答えるから、各自確認しといて」

 

紅茶で満たされたカップを手に取りながらそう言った竹井先輩は、優雅な仕草でカップを口に付けこくりと小さく喉を鳴らして一口啜る。

 

「団体戦と、個人戦……」

「うわっ、男女別だから、俺が出られるのは個人戦だけか……」

 

プリントを手にしながら何やら考え込んでいる様子で独り言を呟くのどかと、男子は人数不足から団体戦に出られない事実を再確認して落胆した様子の京太郎。

 

「えっと、去年の団体戦の優勝は……龍門渕? ――ちょ、白兎や咲ちゃん並みにワケわかんないんですけど、この人」

 

マウスをカチカチ操作しながらデータを確認していた優希が、驚きと疑問の中間、理解できないといった感じの声をあげる。

優希の奴、なかなか良い所に気付いたな。物言いの失礼さには一言言ってやりたいが。

俺と同感だったのか、竹井先輩は優希の疑問に満足そうな表情を浮かべて目を細めると、背後から声をかける。

 

「ああ、龍門渕高校の天江衣か」

「もしかして、白兎や咲ちゃんと同類だったりするのか?」

 

最初の驚きが過ぎれば、いい加減非常識な打ち筋というか麻雀には俺や咲との対局で慣れきっている優希は平静に戻り、俺へと顔を向けて質問してくる。

事前に龍門渕高校の牌譜を確認していた俺は優希が危惧し、竹井先輩が名指しした「天江衣」の打ち筋について一応の結論を出していたため、優希の問いかけに即座に頷いた。

 

「恐らくそうだな。多分、咲と同じレベルくらいには強いと思った方がいい」

「うわぁ……」

 

それは勘弁とばかりに呻いて、顔を歪ませる優希。

大幅に負け越している咲の実力を引き合いに出され、強敵であることを理解したのだろう。

俺の見立てから言えば、優希の実力はセンスユーザーとして相当強力な部類であることは間違いないが、能力的な相性も含めて、天江には恐らく太刀打ちできまい。

とはいえ先鋒でぶつかったとして、流石に10万点全て削りきられるほどの差とは思えないが……

ただ、他の対局者の牌譜も同時に確認して見えてきた可能性としては、天江はかなり強力な支配系の能力者で、その上妨害系も同時に発動させている節がある。

なぜなら、天江以外の対局者のツモが異常なくらい不都合に過ぎるからだ。一人二人運が悪くてテンパイに漕ぎ着けられないという程度ならともかく、天江以外3人が一向聴から10巡ほど手が進まなかったりする局面が何度もあった。

これは少々……いやかなり異常にすぎる。どう考えても天江の能力が悪さしているとしか考えられない。

強力な支配系能力が及ぼす効果は、別の側面から見れば妨害系能力にも見えなくはないが、時折見られる副露で他対局者のツモ牌を操作しているのであれば、それは即ち知覚系能力を所有、活用しているという可能性にも繋がる。

天理浄眼で判別するまで厳密にどういった能力を持つのかは断定できないが、支配系能力の強烈さ、それ以外に複数の能力を発揮してそうなあたりからして、ギフトホルダーであることはほぼ間違いないだろう。

 

「そうね。それまで6年連続県代表だった風越女子が、去年は決勝でその天江衣を擁する龍門渕に惨敗したのよ」

 

俺の分析に同意を示した竹井先輩が、天江衣、引いては龍門渕高校の実力を裏付ける根拠として過去の実績を告げる。

その話に、「へぇ……」と俺の隣に立っている京太郎が畏怖を帯びた感嘆の声を漏らす。

 

「龍門渕の選手は、天江を筆頭として全員が当時の新1年生だったけど、その5人にあの風越が手も足も出なかったの」

「1年生……」

 

竹井先輩の語り口に不気味さを感じているのか、のどかもまた畏れを帯びた声音で小さく呟く。

 

「てゆーことは、今年も全員……」

「5人とも2年生で、出てくるってことね」

 

竹井先輩の話から推測される当然の可能性を京太郎が口にし、台詞を引き継いで竹井先輩が結論を述べる。

 

「だぁがっ! 今年はのどちゃんと咲ちゃんを擁するうちの1年がそいつらを倒す!」

 

暗く沈んだ空気を払拭するかのように、優希が突然椅子を後足立ちさせて振り返ると、大声で前向きな意見を口にした。

珍しく良いことを言ったなと感心しつつ、俺は優希に同意して頷く。

 

「そうだな。確かに天江は頭抜けて強敵だし、他の龍門渕メンバーもなかなかの実力者たちだが、総合力から言えばウチ(清澄)の方が強い。それに咲なら天江と互角以上にガチれるだろうから問題ない」

 

俺は故意に明るい声を出して請け負った。

それは嘘でも誇張でもない。しかし、「去年の天江や龍門渕に較べて」という但し書きが付くが。

つまり、去年よりは今年の方が当然強くなっているわけで、その成長次第では現時点でウチの方が強いとは言い切れなかったりする。

指導者としてあるまじき無責任さかもしれないが、前向きな展望を与えておかないと、いざ龍門渕と当たった際、相手が強いからと萎縮したのでは実力の半分も出せなくなるからだ。一種の方便である。

ただ確実に言えることは、普段俺と打っている咲なら、自分と同等レベルのギフトホルダーである天江と戦ったところで萎縮もしなければ気負いも感じないだろう。

咲の性格上、相手を侮ることはないだろうが、どうしても俺と較べてしまって「こんなものか」という安心感を抱く可能性すらある。

間接的に自分が強いって自慢したいだけだよねそれ、とか寒々しい突っ込みを貰いそうな分析かもしれないが。

それはともかく、咲と同様、格上な相手である俺や咲と打っている他の面々も多少相手が強かったところで動揺は皆無か、少ないに違いない。

俺の断言に、京太郎は「おぉ!」と明るい声をあげ、間接的に褒められた咲は「が、頑張ります」と面映そうに頬を染める。

 

「歴史は繰り返すんだじぇ!」

 

俺の支持を得たこともあって、優希が自信たっぷりに気勢を上げる。

指導者の立場で言うと、優希の存在はムードメーカーとして非常にありがたかったりする。

そんな1年生たちを、竹井先輩は微笑ましいといった眼差しで見つめている。

 

「あれ? そういえば、染谷先輩は今日は来ないんですか?」

 

大会絡みの話題がひと段落したこともあり、京太郎がふと気付いたように、竹井先輩へ顔を向けて疑問を口にする。

これから今日の活動について話をするつもりだった俺は、ちょうど良いタイミングだと判断して竹井先輩にアイコンタクトを送り、代わりに京太郎の疑問に答える。

 

「ああ、染谷先輩には頼み事をしてあってね。とある場所に先に行ってもらって、準備してもらってる」

「先に……ということは、私たちもこれから染谷先輩のいる場所へと向かう、ということですか?」

 

察しの良いのどかが俺の意図を正確に汲み取った質問をする。

 

「その通り。今日の部活動はちょっと趣向を変えた内容を企画したのでね。とりあえずこれから、部長を除いた1年全員である場所へと向かう予定だ」

「なるほど、わかりました」

 

俺の回答にのどかは素直に納得し、他の1年生3人も「ほぅ……」と関心を寄せている。

 

「はいはい。それじゃそういうことだから、みんなは帰り支度の準備をしてから移動開始ね。出先での活動が終わったら今日は解散、そのまま直帰していいから。行き先は白兎君が知ってるから案内してくれるわ。私は用事があるからここでお別れ。よろし?」

 

竹井先輩はぱんぱんと拍手を打ち、俺の語った今日の活動内容の説明を引き継いで簡潔に述べる。

特に異論や質問が出ることもなく皆が「はい」「わかったじぇ」と頷き、早速俺たちは鞄や通学用ショルダーバックを手にして部室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆★☆★

 

 

 

 

 

 

 

 

カララン

 

入り口のドアを開けると、来客を知らせるカウベルの音が店内に響く。

 

「いらっしゃいませ、ご主人さ……おっと、おんしらか」

 

カウンター席を拭いていた染谷先輩が来客に気付いて入り口へと笑顔を向け、営業用の挨拶を口にするも、それが部活の後輩たちであることに気付いて地の喋りになる。

俺が染谷先輩に会釈を返して店内へと足を踏み入れると、背後にいるのどかや咲たちも俺に続いて続々と店内へと入ってくる。

 

「喫茶店……ですか」

「ふわっ、涼しいね~」

「あれ、染谷先輩がいるじょ」

「おわっ、染谷先輩なんてカッコしてるんですか。それ、メイド服?」

 

入ってくるなり、皆が店内を見渡しながら思い思いの所感を口にする。

カウンター拭きの作業を切り上げて、カツカツと軽快な足音を響かせながらこちらへと歩み寄って来る染谷先輩の姿は、京太郎が指摘したとおり、シックな黒の長袖ワンピースドレスの上に白いフリル付きエプロンを羽織り、同じく白いヘッドドレスを頭に載せたメイドの外見そのものだ。

 

「よう来たの、皆の衆」

 

面食らってる皆の反応を面白がっている表情で、俺たちを歓迎してくれる染谷先輩。

そんな彼女に困ったような表情の咲と、好奇の色を瞳に宿したのどかがそれぞれ質問を投げかける。

 

「なんでそんな格好を……」

「コスプレ?」

 

染谷先輩は俺に視線を向け、「説明してないんけ?」と小声で訊ねてくる。

俺は首を振った。皆が事情を把握していない理由は、ここに来る道中で目的地や活動内容について質問を幾度も受けたが、黙っていた方が面白い反応が見れそうだと考えてのらりくらりとかわしてきたからだった。

俺の否定に染谷先輩は「しょうがないのう」といった表情で口を開く。

 

「これはのう……見たまんま、メイドじゃ。そして、この喫茶店はわしの実家での。今日は皆にバイトを頼もうと思って来てもらったんじゃ」

「え……えぇー!?」

「アルバイト……ですか」

「ほぇー」

 

驚く咲、落ち着いているのどか、何も考えてなさそうな優希と、1年生の女性陣がそれぞれらしい反応をする。

そんな女性陣の反応を横目に、京太郎が何かを期待するような表情で染谷先輩に問いかける。

 

「てことは、のどかや咲も染谷先輩みたいにメイドの格好をするってことですか?」

「そうじゃの。皆にはメイド服に着替えてウェイトレスをやってもらいたいんよ。ああ、京太郎は雑用じゃけぇ、着替えんでええ」

「わかりました。――それにしても、のどかのメイド姿かぁ……」

 

鼻の下を伸ばして妄想の世界へと旅立つ京太郎。またこのパターンか。

 

「染谷先輩、そうなると白兎は一体何をするのだ?」

 

えへえへ呟きながらにやけている京太郎に汚物を見るようなジト目を向けていた優希が、何かに気付いたように表情を真顔に改めると、俺を一瞥してから染谷先輩に顔を向けて質問する。

俺の役割について本人に訊ねなかったのは、道中の経緯から考えて、また回答をはぐらかされるとでも判断したからだろう。

 

「ん? 白兎はおんしらの監督役じゃ。特に店を手伝うっちゅうことはない」

「てことは暇なのか?」

「そうかもしれんの」

「染谷先輩、そこは否定してくださいよ」

 

名目上とはいえ、一応俺にも役割があるのだし、優希に余計な言質は与えて欲しくなかった。

思わず突っ込んだ俺に優希は顔を向け、ニヤリと邪悪な笑みを浮かべる。

一人だけ働かなくていいとかズルイ、なんて単純な不満でも言うのかと思いきや、何やらろくでもないことを考えてそうだ。

 

「でも、喫茶店でアルバイトすることと麻雀部の活動に、一体何の関係が……?」

 

染谷先輩のメイド姿が衝撃的だったせいか、本来最初に抱くべき疑問が今頃になってのどかの口から発せられる。

優希が何かを言い出す前に話を進めて誤魔化してしまおうと考えた俺は、背後にいるのどかへと半身振り返って視線を合わせ、答える。

 

「アルバイトは副次的な目的というか、ついでかな。ここへ来た主目的はこの店で麻雀を打ってもらうことだよ」

「え、でも……ここは喫茶店ですよ?」

 

喫茶店で麻雀を打つという行為にぴんと来ないのだろう、不思議そうな表情で聞き返すのどか。

 

「ああ、それはの。そっちを見てみい。雀卓があるじゃろ?」

 

回答を引き継いだ染谷先輩が手振りで右、俺たち側からすると左手の方を指し示す。

皆が示された方へと顔を向ける。それは事前に店の概要を竹井先輩から聞いていただけで、詳しい内情は知らなかった俺も同様だ。

そちらには俺の胸ほどの高さのレンガ塀による仕切りがあり、塀のてっぺんには20cm程度高さの生垣が植えられている。

塀によって区切られたスペースは2段ほどの階段による段差があり、床がやや高くなっている。

俺の身長でかろうじて上から塀越しにそのスペースに全自動雀卓が設置してあるのが見えるくらいだから、女性陣の身長では塀に遮られて雀卓が見えてなさそうだ。

入り口付近の位置からだと椅子とその脇に置いてある小型3段式扇形テーブルしか見えないこともあり、一見では趣向を凝らした普通のテーブル席にしか思えなかっただろう。

女性陣は入り口付近から少し前へ出て、段差のついたスペースを覗き込み、「あっ」と小さく声に出して驚く。

 

「ウチはの、単なる喫茶店ではのうて麻雀を打ちながら飲食できる店なんじゃ。といっても雀卓が一台あるだけじゃけぇ、オマケ設備みたいなもんじゃがのう」

 

染谷先輩は少し照れの含んだ表情で説明を続ける。

家業を知り合いに解説することに気恥ずかしさがあるのだろう。

意外と言っては失礼だが、普段飄々としている染谷先輩の歳相応の少女らしい素直な表情を見て微笑ましい気持ちになる。

個人的な感想を言えば、喫茶店で麻雀を打てるというアイデアはコロンブスの卵というか、なかなか良いコンセプトだと思う。

近所の麻雀好きな人にとっては、同好の志と気軽に打つことのできる憩いの場となり得る。

 

「で、客が対局を希望した場合に人数(メンツ)の不足を店員が埋めるんじゃ。それが今日の部活動ということじゃの」

 

「へぇー」とか「なるほど」とか納得している後輩たちに、染谷先輩は表情を一転させ、

 

「ほいじゃあ、よろしくな」

 

唇の端を釣り上げて、にまーっと邪悪そうに笑いかける。

眼鏡がきらりと光を反射したのは言うまでもないお約束だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

☆★☆★

 

 

 

 

 

 

 

 

 

喫茶店の制服(メイド服)に着替えた女性陣がスタッフルームから姿を現すと、中年層を主とした男性客数名から注目と「おお~」という歓声が彼女らに集まる。

訂正、「我が人生に悔いなし!」とか大げさに喚きながら鼻の下を伸ばしている京太郎もそこに追加だ。もちろん視線はメイド服姿ののどかへと注がれている。

女性陣の外見は、シックなメイド姿の染谷先輩とは対照的に、現代的メイドコスプレ衣装というか、カラフルな色彩のツーパースドレスで、上半身は純白のハイネックとパフスリーブのトップ、下半身には白のサロンエプロン付きピンクのミニプリーツスカート(咲と優希は水色)だ。

加えて腰を白のサッシュで締め付け、腰背に色違いの大きなリボン、手にはショーティ、頭にはメイドの象徴ともいえるヘッドドレスといった装飾類を装備している。

腰が締め付けられているせいではちきれんばかりの胸がいつも以上に強調されているのどかは勿論のこと、咲や優希もそれなりにドレスを着こなしていて可愛らしい魅力が引き立っている。

場慣れしているのか、満更でもない様子ののどかに、異性の視線を集めて恥ずかしそうな表情の初々しい咲、腰に手を当て小悪魔めいた笑みを浮かべている優希と、それぞれが意外とも、らしいとも言える反応を見せている。

 

「皆、なかなかよう似合(にお)うとるねぇ。とりあえず、今日一日限りの見習いバイトじゃけぇ、わしの見よう見まねで働いてくれたらええ」

 

そう言って、早速客のオーダーを取りに少し離れたテーブル席へと向かう染谷先輩。

 

「じゃ、俺は倉庫整理してくるから」

 

のどかたちが着替えている間に染谷先輩に連れられて倉庫へ行き、整理の仕事を申し付けられていたらしい京太郎が再び倉庫へと向かうべく、スタッフルームへと姿を消す。

ちなみに京太郎はどうしてものどかのメイド姿が見たいと駄々をこねて倉庫から一度こちらへ戻ってきていたのだ。

 

「先輩はスカート長くていいなぁ」

「あれも着てみたいですね」

「うぇっ、あれも……?」

 

「コーヒーとオムライスですね」とてきぱきと客の注文を伝票に書き留めている染谷先輩を眺めながら、咲がぼそっと感想を口にする。

その言葉にのどかがややずれた反応を返したことで、咲がびっくりしてのどかへと顔を向ける。

一方俺は、染谷先輩標準語も話せるんだな、とか失礼な感想を頭の片隅で考えながら、この後に来るであろう客――今日の活動のために竹井先輩が渡りをつけてくれたある人物について思いを馳せる。

その人物とは、なんと現役のプロ麻雀プレイヤーである藤田靖子(ふじたやすこ)だ。そんな大物と繋がりのある竹井先輩の人脈には驚きの一言に尽きるが、それはともかく、今日の部活動の趣旨は「大会前の中間テスト」といったところだ。

ある意味県予選で相手をする誰よりも難易度の高い対局者を用意するあたり、竹井先輩はなかなか良い性格をしている。

とはいえ、優希や染谷先輩ではプロ相手はきついだろうが、咲やのどかならかなり良い勝負をするんじゃないかと思っている。

恐らく竹井先輩も後輩たちをそれくらいに評価、期待しているから故の人選かもしれない。

ちなみに俺はあくまで監督役、互角~格上の相手と対局した際における皆の実力や打ち筋を測るための試験官を務めないといけないが、時間があったら藤田プロと打ってみようと考えている。

学生の立場ではプロと打てる機会なんてそうそうないしな、強敵と打てるチャンスを逃したくない。

などと期待を胸に躍らせていると、いつの間にか俺の側に近づいてきた優希がとんでもないことを耳打ちしてきた。

 

「白兎はメイド服を着ないのか?」

「……何言ってんのお前?」

 

こいつ頭大丈夫か?

などと正気を疑った俺に、優希はとんでもない提案をしてくる。

 

「昨日の貸しを忘れたか? のどちゃんに例のWikiの存在をばらされたくなかったら、白兎もメイド服を着て働くといいじょ」

「…………」

 

悪魔かこいつ。

 

「ざけんな。何が悲しくて俺が女装せにゃならんのだ。断固断る」

 

必要性や理由があって女装するならともかく、脅迫に屈してメイド服を着るとか俺の沽券に関わる。

これまでの女装歴を鑑みれば他人に変態と言われても抗弁できないが、それでも自分なりのこだわりというか、矜持というものを保ちたいからだ。

 

「そう言うと思ったじぇ。――のどちゃーん、咲ちゃーん、染谷先輩ー!」

「ちょ!?」

 

俺の反発を予想していたらしい優希が、突然大声を出して他の女性陣に声をかける。

こいつの魂胆は多分、「白兎の女装姿を見たくはないか」などと皆に働きかけ、同意を得て自分の企みを正当化するつもりだろう。

そうはさせるかと口封じをする暇もあればこそ、優希は持ち前の敏捷さを発揮してのどかへと駆け寄った。彼女の側でなら俺が無体な行動にでないだろうと考えてのことだろう。

俺の危惧を裏付けるように、なんだどうしたとばかりに集まってきた咲と染谷先輩も交えた女性陣に優希は提案をぶち上げた。

 

「みんな、白兎のメイド姿見てみたくはないか?」

「えぇ……?」

「そ、それは……」

「ほほぉう」

 

予想外の提案に、咲は目を白黒させ、のどかはどこか期待感の篭った眼差しで俺の方をちらりと覗い、染谷先輩は顎に手を当ててにやりと笑う。

……やばい、雲行きが怪しいというか、突拍子もない優希の提案に女性陣の皆は概ね満更でもない様子だ。

深刻な事態になる前に収拾を図ろうと、俺は女性陣たちに近づいて話しかける。

 

「いやいや、本人が全く乗り気じゃないから。大体、ウィッグとか女装のための小道具がないでしょ?」

 

すっぴんでも服装次第で十分女性に見えるという俺にとっては都合の悪い見解はないものとして扱い、女装に必要なアイテムの欠如を指摘して話を諦めさせる方向に誘導するつもりだったのだが……

墓穴った。

 

「あるよ」

 

染谷先輩が右手の人差し指を立て、得意気な表情であっさりと答えた。

 

「ぇえ? ちょ、ちょっと待ってください、どうして喫茶店にそんなものが……」

「ん? そんなの必要だからに決まっちょる。メイドのイメージと言ったら長い髪の美人じゃろ? 最近は髪の短い子も多いけぇ、長髪ウィッグはバイトの子に結構好評なんよ」

 

何そのピンポイントな偏見。世界中の短髪メイドさんに謝れ。

予想外の成り行きにどう反論すべきかと俺が迷っていると、

 

「あの……白兎さんは不本意かもしれないですが……正直に言えば、私はもう一度、白兎さんのメイド姿を見てみたいってずっと思ってました」

 

素直というか無邪気というか、優希と違って一片の悪意もないであろうのどかの一言が見事に俺の退路を塞いでくれた。

 

「わっ、私も……実を言うと白兎君ならこの格好も似合うんじゃないかなぁ、とちょっぴり考えちゃった」

 

のどかの発言に咲は苦笑しつつ、控えめながらも追従する。

 

「そうじゃのう。白兎の女装姿にゃあ、わしも興味あるの」

 

竹井先輩に似て愉快犯的志向を有している染谷先輩もあっさりと同意する。

これで俺の進退は窮まった。

とはいえ元々の予定にあったことではないし、常識的に言ってろくでもない優希の提案を強引に拒否したところで責められる謂れはないのだが、のどかや咲の期待に背くのは少々気が引ける。

俺はしばし逡巡してから覚悟を決め、「はぁ……」と大きくため息をついて肩を落とす。

 

「仕方ない、やりますよ。ただし、スカートの中を見られるのは色々まずいので、染谷先輩と同じロングスカートの衣装であることが条件ですが」

「承知した。それならわしと同じ服でいいじゃろ。ああ、胸パッドは使うか?」

 

俺が諦めた口調で請け負うと、染谷先輩は気軽に了承し、なおかつ変な気まで回してくる。

ありがた迷惑とまでは言わないが、男である俺にとっては非常に返答に困る申し出である。

胸パッドを使わなければ体型が平坦過ぎて見た目の魅力に乏しくなるが、かといって嬉々として使いますって答えた場合、ただの女装好きな変態か、などと疑われかねない。

 

「はぁ……それは別にどっちでもいいです」

 

俺が頬をやや引き攣らせて答えると、染谷先輩は「ん、わかった」と鷹揚に頷き、衣装等の準備をしにスタッフルームへと向かう。

俺ものどかたちに背を向けて染谷先輩の後を追う。

(なま)の女装白兎ついに解禁だじぇ」などとろくでもない発言をしている元凶(優希)をいつかイワしてやると強く決意しながら、俺はスタッフルームの入り口をくぐった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆★☆★

 

 

 

 

 

 

 

 

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ある意味私の初恋の相手とも言える、女装姿の白兎さんに再び会える。

優希の提案は白兎さんにとっては多分に迷惑な話だったであろうけど、私にとっては思いもかけなかった天佑であった。

心の中で白兎さんに謝罪しつつも、私や宮永さん、染谷先輩もまた優希の提案を支持したことで、白兎さんは折れてくれた。

染谷先輩と白兎さんがスタッフルームへと姿を消してからしばらく、私は気もそぞろに客の対応をしつつ働いていた。

今か今かと待ち侘びる心境で数秒おきにちらちらとスタッフルームのドアへと何度も視線を向けてしまう。

集中力散漫で動いていたために、ブレンドコーヒーを運ぶ際にテーブルに腿をぶつけてしまい、危うく零しそうになったり、お客様が来店した際に「お帰りなさいませ、ご主人様」という挨拶をし忘れたりと散々な有様だったが、宮永さんと優希がフォローしてくれたおかげで事なきを得た。

白兎さんが着替えていた時間はせいぜい15分程度だと思うけれど、私にとってはそれ以上の長い時間に感じられた。

そして遂に白兎さんがホールに姿を現す瞬間がやってきた。

ガチャ、とドアを開けて店内へと姿を見せた白兎さんの容貌は、かつて私を救ってくれた出会いの日と同じように、知らなければ男性だとは思いもよらぬだろうほどの怜悧さと可憐さを同居させた、非凡な美しさを湛えている。

染谷先輩と同じシックなメイド服を着ているために、華々しい美しさを纏っていた文化祭の姿とは趣きが違い、清楚な雰囲気を見る者に与えている。

その美しさと纏う雰囲気による存在感はこの場にいる誰よりも大きく、親しき者として誇らしさを抱くと同時に、女性として微かな嫉妬をも覚えてしまう。

そんな二律背反な感慨を抱きながら、私は給仕の仕事を忘れ、白兎さんにしばし見惚れていた。

 

「うわぁ……綺麗……」

「現物は写真よりも美人だじぇ……」

「同一人物とは思えんのう」

 

その麗人ぶりに他の皆もまた感嘆の声をあげ、男性客しかいない店内のあちこちからも「こんな美少女初めて見た」「新しいバイトの子か?」などという声が漏れ聞こえる。

白兎さんは衆目を集めることに慣れているのか、特に気負った様子も見せず、私の方へと足音を立てずに歩いてくる。

格好だけでなく、気品すら感じさせる楚々とした歩き方をしていることに気付いた私は、こんなところまで徹底しているのかと、少しばかりおかしな感心をしてしまう。

実際、文化祭のときは女性だと思い込んでいたために違和感など感じようもなかったけれど、男性としての所作を見知っている今となっては、立ち居振る舞いがこうまで女性らしい白兎さんからはまるで別人のような印象を受ける。

それが気持ち悪いとかは全く思わないけれど、一抹の怖さというか、得体の知れなさを感じてしまうのはどうしてだろうか。

私の目の前にまでやってきた白兎さんは、不安を滲ませた小さな声でひそひそと私に問いかけてくる。

 

「のどか、俺の見た目はおかしくないかな?」

 

その声だけは変わらず白兎さんのもので、奇妙な安心感を覚えた私はつい「くすっ」と微笑ってしまう。

 

「あれ、やっぱ変?」

 

焦りを感じさせる口調の白兎さんに、私は「ごめんなさい」と笑ってしまったことを謝罪してから台詞を続ける。

 

「どこもおかしくありません。とても綺麗です」

「綺麗……か。男としては喜ぶべきか悩むとこだけど、褒め言葉として受け取っておくよ」

 

私の褒め言葉に、少し困ったような表情で苦笑する白兎さん。

私としては本心から「綺麗だ、美しい」と感じての言葉なのだけれど、男性にとっては女装姿をそう評価されることはいささか複雑な感慨をもたらすのかもしれない。

本心から女装を趣味として楽しむような性的倒錯者なら、あるいは素直に喜ぶのかもしれないけれど。

しかし、好意を抱いている男性(白兎さん)がもしそういう人物だったら、と仮定の状況を想定すると、なるほど、それは嫌というか、正直あまりお近づきになりたくない男性という気がする。

白兎さんの女装姿を見ることができて喜んでおきながら、本人がそれを迎合していたら嫌悪感を抱くかもしれないなんて、酷い矛盾というか、身勝手極まりない思考だろう。

罪悪感に苛まれつつも、白兎さんから目を逸らせないでいると、

 

「ね、ほんとに白兎君なんだよね?」

 

興味津々といった様子の宮永さんがこちらへと早足で近づいてきて、白兎さんに声をかける。

興奮のためか、彼女の頬はやや紅潮し、潤んだ瞳で白兎さんに熱い眼差しを向けている。

……これはちょっと面白くないというか、危険な兆候かもしれない。

普段、オカルトを否定している私が「乙女の勘」だなどと言ったら失笑されるかもしれないが、ふとそんな気がした。

 

「そうですよ、お嬢様」

「わわ、声は白兎君のままなんだね」

「そりゃね」

 

恐らくはユーモアのつもりで白兎さんが気取った口調で答えると、宮永さんは先ほどの私と似たような感慨を抱いたようだった。

宮永さんは近くで白兎さんの全身を上から下まで「へぇ~」と感嘆しながら眺め、観察する。好奇というよりは尊敬の眼差し、好意的な感情を伴った視線だ。

もしかしたら宮永さんは、綺麗な女性に弱いのかもしれない。

 

「なんていうか……顔が綺麗、ってだけじゃなくて、腰や手足が細くてスタイルもいいから、どこからどう見ても女性にしか見えないね」

「男としては手足が細いってのは結構コンプレックスなんだけどな。あと胸はパッドだぞ」

「あ、そ、そうだよね、さすがに胸はないよね。わ、私ってば何変なこと言ってるんだろう……」

 

白兎さんの冷静な突っ込みに、失言だと思ったのか、カーッと顔全体を紅潮させて慌て俯く宮永さん。

そんな様子が可笑しくて、つい「くすっ」と笑ってしまった私は宮永さんをフォローする。

 

「無理もないです。私だって初めて白兎さんとお会いしたときは男性だなんて疑いもしませんでしたし、再会するまで半年以上、ずっと女性だと思い込んでいたくらいですから」

「そ、そうだよね。これだけ綺麗なんだから、そう思うのも仕方ないよねっ。……あれ、でも半年以上って、原村さんも高校の部活で知り合ったんじゃないの?」

「あ、いえ、私は……」

 

私の台詞に違和感を覚えた宮永さんが、的確なポイントを突いた質問をしてくる。

そういえば宮永さんには私と白兎さんの馴れ初めを話したことはなかったし、多分そのことを知っている他の部員からも聞かされていなかったのだろう。

わざわざ吹聴することではないけれど、特に隠し立てするつもりもないので素直に答えることにする。

しかし私が口を開く前に、白兎さんが簡潔に説明してくれる。

 

「俺とのどかが知り合ったのは、去年の秋だよ。俺の母校の文化祭にのどかが客としてやってきてね、クラスの出し物の関係で女装していた俺とそこで出会ったってわけ」

「へぇ~、そうなんだ…… じゃあ、白兎君と原村さんって、その時から親交があったんだね」

「いえ、違うんです。そのときはお互い、名前を言わずに別れてしまって…… 清澄に入学して、先月麻雀部で再会するまでは全く交流がなかったんです」

 

私が宮永さんの自然ともいえる解釈の誤解を訂正すると、彼女は驚いた様子で目を見開いた。

 

「えっ。それってつまり、高校で偶然再会したってこと?」

「はい、そうなります」

「はー…… そんな偶然ってあるんだね。お互い縁があったと言えばいいのか、部活動まで一緒になっての再会だなんて、まるで赤い糸で結ばれているみたい」

「そ、そんな…… 偶然は偶然ですし……た、確かに私も運命的な再会だったと思いますけれど……」

 

羨むような口調の宮永さんの感想が恥ずかしいやら嬉しいやらで、台詞の後半は消え入るような声となってしぼみ、私はそのまま俯いてしまった。

すぐ隣で白兎さんが私たちの会話を聞いているかと思うと、感情を持て余してしまってどう反応したら良いかわからなかったから。

 

「再会が偶然じゃなかったら、白兎ストーカー説が濃厚になるじぇ!」

 

突然、ひょこっと私と白兎さんの間に割り込むように優希が現れる。

気配を感じさせない登場に、私は「きゃっ」と思わず声に出して驚いてしまう。

 

「さすがは優希、斬新な説だな。――とでも言うと思ったか。だ・れ・が、ストーカーだこの悪魔」

 

白兎さんはにこりと優希に微笑みを見せたかと思うと、即座に形相を厳しくして瞬時の早業で優希のこめかみを両の拳で挟み、ぐりぐりと締め付ける。

確かウメボシ? とかいう一種の肉体的懲罰だ。なんだか最近この光景を良く目にするようになった気がする。

 

「いただだだ! ごめんなさい冗談です離してぇ!」

 

優希は表情を「><」という感じにして必死に謝罪する。

元より本気ではなかったのだろう、ほんの数秒程度で白兎さんが手を離すと、優希は脱兎の如くというか、素早い動きで私の背後へと隠れる。

怯えた小動物のように私の背中から半分くらい顔を出した優希は涙目になっていた。

 

「うぅ…… 小粋なネタを振っただけなのに、全く白兎は大人げないじょ……」

「毎度毎度人のことをディスるからだ。少しは反省しろ」

 

弱々しい反駁に、白兎さんが目を細めて優希を叱る。

女装姿の白兎さんがそういう表情をすると、いつもとは違う、言い訳や嘘を許さないような冷たい迫力があった。

 

「まあまあ。優希ちゃんも悪気はなかったと思うし、許してあげよう?」

 

そんな二人のやりとりに苦笑しつつ、宮永さんが仲裁に入ってくれる。

白兎さんはふぅ、と軽くため息をつくと、こめかみを右手の人差し指でぐるぐると回しながら揉む。

そうやって気分を切り替えたのか、肩の力を抜いたように見える白兎さんは宮永さんの頭上越しに店内を見渡し、

 

「とりあえず、お客様の視線も少々痛くなってきたことだし、油売るのもこれくらいにして働こうか」

 

会話にのめり込む私たちに現状を認識させようとしてか、そう告げる。

言われて気付いたが、確かに私たちは客の注目を集めているようだ。

しかも私たちの落ち度はそれだけでなく、会話の間、店内の客対応を染谷先輩一人に任せっきりにしてしまっていた。

そうだ、ここは部室じゃない。雑談や白兎さんの女装姿に舞い上がるのはこれくらいにして、勤めを果たさなければ。

そう私が反省したところで、白兎さんの背後、スタッフルームのドアがガチャッと音を立てて開く。

 

「染谷せんぱーい、頼まれてた倉庫整理終わりましたー。……あれ?」

 

ドアをくぐってホールへと出てきたのは倉庫整理をしていた須賀君だった。

染谷先輩のところまで近づく手間を惜しんだのか、その場で大声を出して呼びかけた須賀君の視線が、私たち――いや、正確には白兎さんの姿を捉えてぴたりと止まった。

そしてわなわなと全身を震わせたかと思うと、興奮した面持ちでこちらへと駆け寄ってくる。

それほど広くない店内のこと、あっさり彼我の距離を詰めた須賀君は、白兎さんの目の前で停止したかと思うと、両手で白兎さんの右手をがばっと掴んだ。

呆気に取られてる白兎さんや私たちを置き去りにして、須賀君は掴んだ手を胸の高さまで持ち上げると、唇の端を歪めてにやりと笑った。

多分、ニヒルに決めたつもりなんじゃないかって後にして思ったのだけど、須賀君に失礼ながら、正直言って好色そうなにやけ顔、って印象だったと思う。

 

「アルバイトのお嬢さん…… 俺は染谷先輩の後輩で、須賀京太郎と申します。どうぞよろしく」

「…………」

 

手を握られたまま、白兎さんは胡乱な眼差しで須賀君を見つめている。

これはもしかして……所謂ナンパ行為、なのだろうか。

展開についていけず、硬直している私は頭の片隅で須賀君が誤解しているんじゃないかという可能性に思い至る。

ある意味無理もないが、目の前の女性が白兎さんだと気付いていないのだろう。

須賀君は確か前に文化祭のときのメイド姿を撮影したポラロイド写真を見たことがあったはずだけど、同じメイド服でも方向性がかなり異なっているせいか、ぱっと見では気付かなかったのかもしれない。

どうやら白兎さんも同様の結論を出したのだろう、その表情が段々と険しくなっていく。

限界まで目を細めた白兎さんは、これ以上ないってくらいに侮蔑の表情と視線を須賀君に向けながら、底冷えのする声で告げた。

 

「死ね」

 

短くも鋭い言葉の刃で心臓を貫かれた須賀君が「ひでぶっ」と謎な呻き声をあげて膝から崩れ落ちる。

膝を着いた須賀君を絶対零度の眼差しで見下ろしながら、白兎さんは更なる追撃を浴びせる。

 

「あとキモいから手を離せこのド変態」

 

未だ白兎さんの手を握ったままの須賀君が「あべしっ」と再び謎な呻き声をあげてその手を離す。

だらん、と離れた両手が力なく床に落ちる。脱力して座り込む須賀君の姿はまるで、「燃え尽きた人」という形容がぴったり当てはまりそうな印象だった。

 

「つか、いい加減気付け」

「――え?」

 

初めて侮蔑以外の台詞を耳にして、須賀君はゆっくりと顔を上げる。

目元を幾分和らげた白兎さんは、「はぁ……」と深いため息をつくと、気落ちした表情の須賀君に再び声をかける。

 

「白兎だよ。……京太郎お前、いくらなんでも()にモーションかけるとか、見境なさすぎるぞ」

 

須賀君にとってはその台詞が予想外すぎたのか、すぐには思考が追いつかないようで「へ?」とわからない顔になる。

白兎さんは物わかりの悪い須賀君にイラッとした表情を一瞬浮かべるものの、怒りを吐き出すように再び「はぁ」とため息をつく。

 

「だから、俺には京太郎()に手を握られて喜ぶ性癖はないって言ってるんだ。ユーアンダスタン?」

「あ……あぁ、お前! まさか白兎か!?」

 

そこまで言われてようやく瞳に理解の色を宿した須賀君が、勢いよく立ち上がって白兎さんを詰問する。

 

「だからそうだって言ってるじゃん」

「な……なんてこったーー!!」

 

思わぬ事実に相当な精神的ダメージを受けたらしく、両手で頭を掴んだ須賀君が勢いよく天井を仰ぐ。

そこに私たち女性陣からの追い討ちが入る。

 

「須賀君はもう少しよく考えてから行動した方がいいと思います」

「京太郎のニブチンさは筋金入りだじぇ」

「ま、まぁ、京ちゃんが誤解するのも無理ないかなって気はするけど…… いきなり手を握るのはないよね」

「京太郎はバイじゃったか」

 

あまり好意的とは言えない女性陣からの批評と視線を受け、須賀君は額に汗を浮かび上がらせて「うっ」と唸り、半歩後ずさる。

 

「し、知らなかったんだ! まさか、俺の親友がこんなに可愛いわけがない、って思うじゃないか。それに男なら可愛い子がいたら自己紹介くらいするだろ?」

 

言い訳して、須賀君は縋るような表情を白兎さんに向ける。

しかし白兎さんは眉根を寄せ、蔑みきった眼差しで須賀君を見つめ、

 

「俺に同意を求めるなこのセクハラ野郎」

 

「ケッ」と背後に悪態の擬音がつきそうな態度で痛烈に吐き捨てた。

よほど素で女性と間違えられたことが腹に据えかねたのか、それとも同性に手を握られたことに生理的嫌悪感を抱いているのか、いずれにせよ須賀君が白兎さんの逆鱗に触れたであろうことは間違いない。

 

「四面楚歌すぎる!?」

 

誰も味方してくれない状況に絶望したのか、須賀君は再び膝から崩れ落ちて「orz」の格好で項垂れた。

そんな須賀君を優希が座り込んで頭をつんつんと指先でつつき、宮永さんが同情と呆れの混じった表情で見つめている。

染谷先輩、白兎さん、私は顔を見合わせて苦笑し、状況に見切りをつけて仕事に戻ろう、と解散の意志を視線で共有する。

そんなタイミングで、来客を知らせるカウベルが店内に鳴り響く。

入り口の方へ視線を向けると、20代くらいの若い女性の二人組みが店内へと入ってきたところだった。

私は出迎えの挨拶をすべく入り口へと小走りで駆け寄る。宮永さんも「あっ」と声をあげ、私の後ろに続く。

私と宮永さんは二人組の女性客の1mほど前に並んで立ち、深々とお辞儀をしつつ下品にならない程度の大声で「お帰りなさいませ、お嬢様」とテンプレートの挨拶を唱和する。

すると、二人組の女性客のうち一方、細く鋭い目元が印象的なストレートロングヘアーの女性が挨拶に面食らったようで、「なっ……?」と驚きを露わにする。

しかしもう一方、凛々しい表情にミディアムヘアーの女性客は全く動じた様子を見せず、上着の黒コートを無言で脱ぎ始める。

真夏日というわけではないが、初夏も半ばに差し掛かったこの時期に長袖コートは暑くないのだろうか、などと我ながら少々ずれた感慨を抱きながら、お客様からコートを受け取ろうと踏み出した瞬間。

いきなり、その女性客がコートを私の頭越しに奥へと投げる。

 

「いらっしゃい」

 

突然のオーバーアクションに、「きゃっ」と驚く私の背後で染谷先輩が親しげに挨拶する。もしかしたら顔見知りなのかもしれない。

振り返ると、染谷先輩が両手でキャッチしたらしいコートを手際よく折り畳んでいる。

 

「あら、今日のバイトは可愛らしいわね」

 

コートを投げた女性客は私や宮永さんを一瞥し、染谷先輩に顔を向けて揶揄するような物言いで話しかけた。

その女性客の無遠慮な視線に怯えたのか、「つっ……!?」と宮永さんが隣で警戒の表情を見せている。

いくら無礼な相手とはいえ、お客様に向ける態度ではない。

しかし女性客は違和感ある宮永さんの態度に全く頓着した様子も見せず、染谷先輩に引き続き話しかける。

 

「いつもの。特盛でお願い」

「はい、いつものですね」

 

やはり常連客なのだろう、女性客の端的な注文で内容を諒解したらしい染谷先輩が頷く。

染谷先輩にツーカーな注文を済ませた女性客は、連れの髪の長い女性客に水を向ける。

 

「久保はどうする?」

「私はブレンドで」

 

久保と呼びかけられた女性客は出会い頭な驚きが過ぎ去って落ち着きを取り戻したのだろう、短く答えながら冷たさを感じる無表情で店内を見渡している。

 

「ところで、藤田さんの目的地ってもしかしてこの店ですか?」

「ああそうだ。そちらに雀卓があるだろう。今日はここで麻雀を打つ」

 

藤田さんと呼ばれた女性客は雀卓へと顔を向け、顎でその存在を久保さんに指し示す。

 

「なるほど、なかなか変わった喫茶店ですね」

 

台詞の内容とは裏腹に、喫茶店に麻雀卓という異色の組み合わせにもさして感銘を受けた様子もなく頷く久保さん。

そして女性客二人は染谷先輩に促されるまま雀卓の椅子に座る。

私と宮永さんが並んでその様子を眺めていると、そこに白兎さんがやってきて藤田さんへと声をかけた。

 

「ようこそいらっしゃいました藤田さん。今日はよろしくお願いします」

「よろしく」

 

相手を見下すような、どこか尊大さを感じさせる声音で挨拶を返す藤田さんの印象は、正直良いとは言い難い。

しかし白兎さんは全く気にしたふうもなく、顔をもう一方の女性客、久保さんに向けながら藤田さんに尋ねる。

 

「そちらの方は?」

「知り合いだ。面子は多い方がいいと思って連れてきた」

「何の説明もなく、ね。私も暇じゃないんですから、酔狂に付き合わせるのは程々にして下さいよ」

 

両腕を組み、「はぁ」と小さくため息をつきながら不満を言う久保さん。

話を聞いている限りだとどうやら藤田さんの方が目上の立場のようだ。同じ会社の上司か何かだろうか。

二人の仲の良さそうなやりとりに、失礼に当たらない程度に微笑を浮かべた白兎さんが「なるほど」と納得を口にする。

 

「いいじゃないか。それに、お前にとっても利益のあることだと思うぞ」

「藤田さんと打てるから、ですか?」

「いいや。まぁ今はわからなくていい。いずれ解る」

「はぁ……」

 

第三者にとって意味不明かつ意味深なやりとりを交わしている二人に背を向けた白兎さんがこちらへと顔を向ける。

 

「優希、最初はお前と染谷先輩で対局よろしく。その間はのどかと咲で客の対応を頼む。サボるようですまないが、お……私はここで監督役として対局見てないといけない」

 

気が付けば私の側で雀卓の方を興味深げに注視していた優希が、声をかけられて「ほぇ?」という顔を白兎さんに向ける。

些細なことだが、一人称を「私」に言い直したのは、男性であることを客に悟らせないためだろうか。

 

「最初に説明しただろ? 今日はここで麻雀を打ってもらうと。ああ、接待麻雀じゃないから本気でやるように」

「そういえばそうだったか。承知したじぇ」

 

この喫茶店に来たときの経緯を思い出したのか、優希は素直に納得し雀卓の椅子に着席する。

白兎さんに指定されたもう一方の染谷先輩は既に席に着いていた。

 

「お姉さん方、よろしく頼むじぇ」

「よろしゅう」

「「よろしく」」

 

お客様で、年齢的にも明らかな目上である藤田さん久保さんに対していつもの口調で挨拶する優希に、どちらも特に気を悪くした様子はない。

内心で大丈夫そうだと胸を撫で下ろした私は、そのまま対局を観戦したい気持ちを抑えて宮永さんに声をかける。

 

「宮永さん、私たちは仕事をしましょう」

「あ、うん。そうだね、お客様ほっとけないし、優希ちゃんたちの分も頑張ろう」

 

前向きな台詞とは裏腹に、やはり対局が気になるのか、宮永さんはちらちらと雀卓を見やりながら定位置である店内の奥へと歩いていく。

私もまた、次は自分の番だといいな、と考えながらその後に続く。

そこで私はあることに気付いて宮永さんの背中に訊ねる。

 

「そういえば、須賀君は?」

「京ちゃん? 今の女性客が来店した直後に染谷先輩にホールから追い出されてたよ。多分、また倉庫整理を頼まれたんじゃないかな」

「なるほど……」

 

須賀君が女装した白兎さんに見せた態度から、女性客のいる場所で働かせることに不安を覚えたのだろうと容易に想像がつく。

やや酷な言い方かもしれないが、自業自得だった。

 

 

 

 

時折対局の様子をさりげなく観察すると、最初は調子が良さそうだった優希は時間の経過と共に徐々に苦戦を強いられてるようだった。

有利不利いずれでも比較的無表情で淡々と打つまこ先輩はともかく、優希は余裕のあるなしが表情に出やすいため、ぱっと見でわかりやすい。

雀卓の側まで行って点数を確認できたわけではないので、具体的な点数はわからないが、焦燥に歪んだ優希の表情を見る限りでは芳しくない状況なのだろうことが容易に想像つく。

まこ先輩にイニシアティブを取られているのか、それとも女性客二人の方が優勢なのか。

藤田さんと久保さんの雀力が未知数なだけに、どのような展開になっているのか状況が想像できない。

気にしても仕方ないとわかっていつつも、「リーチ」「ロン」「ツモ」などと雀卓の方から声が聞こえる度、関心がそちらに向いてしまう。

微妙にやきもきする時間がじりじりと過ぎてゆき、藤田さんの「ロン、タンヤオ三色ドラ1。8000だ」という出和がりを告げる声と、優希の「じぇぇぇ……終わった……じょ」という力尽きたような声が聞こえたことで終わりを告げた。

対局が終わったからと仕事を放り出して結果を見に行くわけにもいかず、焦れる気持ちを押し殺してしばし労働に専念していると、白兎さんから「のどかー、咲ー、おいでー」と、待望のお声がかかる。

たまたま近くにいた宮永さんと一瞬顔を見合わせて頷きあった私たちは、逸る心を抑えながら足早に雀卓へと向かう。

そしてカウンターの端を過ぎて見えたそこには、燃え尽きて雀卓に突っ伏す優希、キセルで煙草をふかしている藤田さん、静かにカップを傾けてブレンドを飲んでいる久保さん、そして白兎さんと何やら話している染谷先輩の姿があった。

背後をちらりと一瞥し、私と宮永さんの姿を確認した白兎さんが突っ伏している優希に何やら声をかけ、立ち上がらせる。

その間に染谷先輩が白兎さんの脇をすり抜けて雀卓スペースから出てくると、すれ違いざま私たちに「選手交代じゃ」と告げて店内の奥へと歩いていった。

優希もまた一拍遅れで出てくると、浮かない顔を私たちに向けて「あとは任せたじぇ……」と呟いてとぼとぼと通り過ぎて行った。

 

「優希はメンタルに問題ありだなー」

 

手招きで私と宮永さんを雀卓へと誘いながら、白兎さんは苦笑気味な表情で聞こえよがしに言う。

優希の消沈した様子も含め、対局の結果が気になっていた私は席に座る前に白兎さんに訊ねる。

 

「対局はどんな様子だったんですか?」

「んー、詳しい内容は後で話すよ。結果だけ言うと、1位が藤田さん、2位が染谷先輩、3位が久保さん、4位が優希かな」

「そうですか……わかりました」

 

優希が最下位……まこ先輩は優希と勝ったり負けたりだから上位であっても驚きはしないが、藤田さんがトップを取ったのは少々意外だった。

麻雀は運の要素が強い競技だけに、相手が例え素人であっても敗北することはままあることだ。

だけど、今回がそのケースだと安易に決め付けるのは危険だ。藤田さんがそれなりの実力者である可能性を考慮して、油断せずに打つべきだろう。

何より宮永さんも一緒に打つのだ。彼女には負けたくない。私は気を引き締め、雀卓の席に座る。

 

「「よろしくお願いします」」

「「よろしく」」

 

奇しくも店員二人と客二人の挨拶が対になって唱和し、新たな対局が始まった。




オーラスの咲を含め全員の手牌状況は、原作アニメ四話での対局状況を
参考にしたというか、ほぼ同じにして描いてます。
咲とのどかが原作とどれだけ乖離した実力になっているのか?
アニメと比較して読むとその差が具体的にわかると思います。

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