咲-Saki- 天元の雀士   作:古葉鍵

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東場 第二局 五本場

敵を知り、己を知れば百戦危うからず。

ある程度教養を身に付けた現代人なら、この諺を知らない人の方が少ないだろう。古代中国における兵法の天才、孫子の名言だ。

血で血を洗うような実際の戦争や殺し合いだけでなく、およそ人間社会のあらゆる分野で通用する法理と言っていい。

それは麻雀という遊戯においても例外ではない。

要するに何が言いたいのかと言うと、勝負に勝つには自己鍛錬だけでなく、敵情把握も必要だってことね。

 

清澄高校麻雀部の合宿を明日の土日に控えた金曜日の夕方頃、俺はとある建物内の長い廊下を一人歩いていた。

初めて歩く場所に、視線をぐるりと周囲の様子を改めれば、まるでどこぞの迎賓館のような立派な内装と、一定間隔で配置されている高価そうな美術品が否が応にでも目に付く。

そうした諸々の要素が形成する内部の雰囲気は、成金的とまでは言わないが、いささか趣味が悪いと言わざるを得ない。

裕福層の生まれで、華美絢爛な装飾や美術品を比較的見慣れている俺でさえそう思うのだ。決して見下す意図ではないが、経済的に中流以下の生活を営んでいる人にとって、この高級感溢れる建物内ではさぞ居心地が悪いだろうと想像がつく。

放課後とはいえ、比較的時間が遅いせいか、廊下には自分以外、生徒の人影がない。

長い髪を靡かせ、カツカツと規則正しい靴音を立てながら颯爽と歩く俺は、白を基調としたとある高校の女子用制服に身を包んでいる。

先日の喫茶店での部活動といい、今日といい、最近こんな役回りばっかりだな…… などと内心で小さくため息をつきながらも、表情にはおくびにも出さず前だけを向いて歩を進める。

端的に今の俺の状況を説明すると、県内最強校であり県予選優勝候補の龍門渕高校に女装して潜入(スニーキング)中、である。

なぜそんな真似をしているかという動機についてだが――喫茶店の一件で、幸いにも藤田プロから龍門渕高校のエース、天江衣についていくつか有益な情報を仕入れることが出来た俺は、検討の結果、現在の彼女の力量を上方修正したことによる。

要するに警戒を強めたわけだが、だからといって部員の指導は今以上強化できないし、大会まで残された時間も僅か。また、公式戦の牌譜といった間接的に得られる情報には限りがある。

ならばどうしたらいいか? その結論が、「自分の目で確かめればいい」だった。実に短絡的だが、他に有効な手段がない。

龍門渕への潜入案について竹井先輩に相談したところ、最初は難色を示された。理由は単純、失敗したときの弊害というか、問題が大きいからだ。いわゆるハイリスクミドルリターンな感じ。

他校に不法侵入した上、性別を偽って女子の部活に潜入……バレたらスキャンダラスな問題に発展するのは想像に難くない行為だ。

不法行為に頼らず、練習試合でも申し込めば? なんて穏当かつ真っ当な意見も出てくるだろうが、大会直前のこの時期に、優勝候補である龍門渕が無名である清澄の練習試合を受けてくれる見込み(メリット)がないし、試しに申し込んで断られました、という流れだと、警戒されるというか、その後に潜入工作を試みる場合の正体バレリスクが跳ね上がる。

そんなわけで、竹井先輩には「女装して天江衣を一目見てくるだけです」と言ってなんとか偵察の許可を貰った。

失敗した場合は責任者的な意味で竹井先輩を巻き込んでしまうが、最悪、俺個人の独断ということにして自ら退部して麻雀部との縁を切れば、女子部へのダメージは少ないだろうし、中学生のときに同級生()と二人で白糸台高校に潜入した経験もあるから大丈夫だと、あれこれ口説いてようやくGOサインをいただくことが出来たのだが。

また、竹井先輩からは、一目見る為だけに犯すリスクが吊り合わないと当然の指摘をされたが、俺には相手を一目見るだけで大体の雀力を把握できる能力があると説明して納得してもらった。

普通に考えれば合理性どころかリアリティの欠片もない愚かしい言い分だが、俺がこれまでに積み上げた信頼もあってか、竹井先輩はその点について疑うことはなくあっさり信用してくれた。持つべきものは理解ある上司、ということかもしれない。

ともあれ、ミッションコンプリートの自信はある。

白糸台潜入のときと違い、単体による潜入とはいえ、麻雀部室に顔を出して「一言大会に向けて激励を言いたくて来ました」と建前を口にしつつ、天理浄眼で天江衣を一目見ればいいだけなのだから。

直接対局するわけでもなし、万が一、他校の生徒であることが露見しても、女装バレさえしなければいくらでも言い逃れや追及をかわす方法はある。最悪、実力行使で逃げ切る自信もあるしな。

裏ルートで手に入れた女子用制服を着て、俺は無事龍門渕高校への潜入を果たした。

その後は1年生のフリをして麻雀部部室の場所を上級生から首尾よく聞き出すことが出来、今に至るというわけだ。

なお、その際に窺った話によると、麻雀部には龍門渕の名を持つ学園創設者一族の子女が在籍していることがあり、様々に露骨な特別扱いをされているのだという。

なまじ好実績を出しているため、生徒的にはえこひいきに不満があっても表立って文句を言い辛い、という状況のようだ。

俺や清澄高校麻雀部にとってさして関係のある話ではないが、龍門渕高校内部において麻雀部への風当たりは結構強いらしい。出る杭は打たれるというが、良い意味でも悪い意味でも目立ちすぎなんだろう。

もっとも完全な他人事とはいえない。

ウチ(清澄)の麻雀部は今のところ悪目立ちしてるということはなく、現学生議会長である竹井先輩が部長を務めていることもあってか、生徒感情としてはむしろ好意的に見られているが、県予選で結果を出せた場合でも、調子に乗ったり傲慢な態度を見せたらあっという間に嫌われ者に転落、という可能性もある。龍門渕を教訓に、というわけではないが、身を慎む謙虚さを常に弁えておくことは大事なことだと痛感させられた。

 

やや物思いにとらわれつつも長い廊下を踏破し、ようやく麻雀部と思しき部屋の前にたどり着く。

清澄の麻雀部部室に負けるとも劣らぬ威容を誇る、立派な両開きの木製ドアの前で俺は立ち止まった。俺は小さく深呼吸の後、コンコン、と入室のノックをする。

 

「はい、どうぞ」

 

3呼吸ほどの間があって、部屋の中から入室許可のお声がかかる。そしてそれが若い男性の声だったことに、おや、と意外の念を抱く。

 

「失礼します」

 

入ればわかると俺は定型句の挨拶の後、ドアノブを掴み、ゆっくりと内部へ押し開く。静かな校舎に「ギィィィィ……」と、軋む音が響いた。

いよいよ正念場だ。俺は気を引き締め、入室しながら部屋の内部を素早く観察する。

部室の内部は相当広い。ガラス張りのドーム型バルコニー状態になっている奥まで30M弱はあるだろう。左右を見渡せば幅も10M以上ありそうだ。ちょっとしたスポーツくらい出来そうな広さがある。数十人も部員がいるというならともかく、文科系部の部室としては明らかに過剰というか、不相応なだだっ広さだ。上流階級の子女が通う私立学校とはいえ、流石にこれは行き過ぎだろう。特別扱いされている、という一般生徒の感想も頷ける。

広さだけでなく、備品類も相当だ。ごてごてと備え付けられているわけではないが、高級そうなアンティーク家具が必要なだけ揃っている。

部室(面積)にせよ設備にせよ、ウチ(清澄)も相当恵まれていると思うが、龍門渕は大概だな…… まぁ余所は余所、ウチはウチなんだが。で、肝心の部員だが……

まず、入り口にいる俺に一番近い位置、右斜め前に立っている20代前半ほどの男性。驚いたことに、黒の燕尾服を着ており、明らかな執事ファッションだ。室内に他に男性はいないようだから、入室許可の声はこの男性のもの、ということになる。

奥には数人の女生徒がいて、こちらに視線を注いでいる。

一般的な学校なら、校長室や理事長室、もしくは来客室にしかなさそうな立派な椅子から立ち上がった姿勢でこちらへとやや険のある眼差しを向けている、髪の長い制服姿の女生徒。事前に調べた容姿からすると、部長の龍門渕透華(りゅうもんぶちとうか)だろう。

足を組んで椅子に座り、ややだらしない姿勢でハンバーガーらしきものをパクついている背の高い女子生徒……体格の良さもあって、一見すると男子生徒にも見えなくもない中性的な容姿の女生徒は、井上純(いのうえじゅん)

眼鏡をかけていて髪が長く、上品な姿勢で椅子に腰掛けながら、膝上の小さなモバイルPCをいじくっている女子生徒が、沢村智紀(さわむらともき)

頬にタトゥー(シール?)の入ったポニーテールの小柄な女子生徒、国広一(くにひろはじめ)

正統派なメイド服を着てテーブルの奥に控えている両脇お下げ髪の女の子……誰?

段々説明というか描写がおざなりになったのは決してめんどくさくなったからではないが、ともあれ部室内に存在する人物は以上の6人で全てである。

残念無念なことに、肝心要の天江衣は不在のようだった。

そういう可能性もあるとは覚悟していたが、どうやら運が悪かったらしい。小さくない失望を抱くも、落胆の色を表情に出さないよう気をつけながら、せめてこの場にいる4人は天理浄眼で能力確認しておこうと心に決める。

 

「ご多忙のところお邪魔してしまい申し訳ありません。私は1年の藤木と申します。来週の県予選に向けて一言麻雀部の皆様に激励の言葉を差し上げたいと思い、立ち寄らせていただきました」

 

俺は天理浄眼を起動させつつ、極力不審を抱かれぬよう、予め考えておいた建前を口にして至極丁寧に頭を垂れる。名乗った藤木というのは勿論偽名だ。佐藤の藤、鈴木の木をくっつけただけのあんイズム全開なネーミングである。(全国の佐藤さん鈴木さん藤木さんごめんね!)

好意的な来訪目的を告げられて、警戒を解いたのか、透華が表情を和らげて応じる。

 

「これはご丁寧にどうもですわ。せっかくおいでくださったのですから、一言とは言わず、お茶でもいかがかしら?」

 

口調は丁寧だが、どこか尊大さを感じさせる態度で滞在を提案してくる透華。恐らく育ちのせいだろう、本人に悪気はないのだろうが、天然な傲慢さといった印象を他者に与える様子からして友達少なそうだなこの子。

――ってちょっと待て。この子……ギフト持ち(ホルダー)じゃまいか。読み取った透華の能力が紛れもないギフトだと、天理浄眼が俺に告げている。

え、何このイレギュラー。計算外ってレベルじゃねーぞ。俺が確認した過去の透華の牌譜では、それらしき徴候は窺えなかったのに。能ある鷹は爪隠すって言うけど、公式戦でまで隠す意味があるのか?

いやまて……もしかしてこの子、未覚醒の(・・・・)ギフトホルダー、なのか?

それならば公式戦でもギフト活用していない理由に説明がつくが…… さすがにそんな情報までは天理浄眼は見抜いてくれない。

ともあれ、これは大きな発見、有益な情報だ。事前に把握できて良かった。目的は天江衣だったが、ある意味それ以上に重大な事実を知り得たのは望外の収穫と言っていい。

内心でほくそ笑みながら、さてどうやってさりげなく断ろうかと考慮したところで、思わぬ陥穽が俺を待ちうけていた。

 

「その前に一つお尋ねしたいのですが…… 藤木様、貴女は当学園の生徒ではありませんね? どのような理由で身分を詐称し、不法侵入を果たしたのかは存じませんが、事と次第によっては、貴女を拘束させていただきます」

「「「「なっ!?」」」」

 

いきなり俺の正体を見破る執事らしき男性の爆弾発言に、奥にいるお嬢様方にさっと緊張が走る。

俺も危うく気色ばんで絶句するところだったが、自制心を極限まで振り絞り、危ういところで平静を取り繕う。

とはいえ、疑惑を持たれただけで致命的だと絶望感が湧き上がってくるも、何とか釈明してこの場を一刻も早く去るしかない。

 

「それは聞き捨てなりませんわね。ハギヨシ! 今言ったことは(まこと)ですの!?」

「はい。お嬢様」

 

緊張ゆえか、透華の切迫した声による質問に、俺の一挙手一投足を見逃さないとばかりに視線をこちらに固定しながら、簡潔に応答するハギヨシという名の青年。

二人の言動からすると、どうやら本当に彼は執事らしい。

 

「あの……何を根拠にそのような疑いを持たれたのか私にはわからないのですが……」

 

内心の焦燥を押し隠し、俺はできるだけ表情を変えず、小首を傾げ、さりげない口調で問う。

生徒手帳のような証拠を見せろと言われたら即座に窮する程度の苦しい言い訳だった。

案の定というべきか、危惧した点を指摘される。

 

「物証はありまして? 生徒手帳を見せていただければ疑いは晴れますわ」

「申し訳ありません、生徒手帳の入った鞄は教室に置いてありまして……」

 

それなりに妥当性のある言い訳だが、一度疑惑を持たれた状況ではより疑いを深める結果にしかならない。

透華(と他の面々)は表情に警戒の色をより濃くしながら、こちらに厳しい眼差しを向ける。

ここは多少不自然でも、無理矢理に会話を切り上げてこの場を去るのが得策か。

 

「お疑いのようですし、身の潔白のため教室に一旦戻って生徒手帳を取ってきます」

 

ブラフである。この場を辞したら即座にとんずら作戦だ。

しかしそんな俺の浅はかな思惑などハギヨシには読まれていたらしい。

 

「それには及びません。私は保安上の理由から、この学園に在籍する全ての学生の氏名と顔を記憶しております。今年度入学した1年生の中に藤木という姓の女子生徒はおりません」

 

小憎たらしいほど冷徹な鉄面皮を維持しながら、淡々と疑惑の根拠を語るハギヨシ。今の言葉が事実なら、使用人の鑑というか、なかなかハイスペックかつ油断のならない執事だ。

それはともかくまずい、ハギヨシがどの程度信頼を得ているかはわからないが、透華らは見知らぬ顔の1年生より知己である彼の言に重きを置くだろうことは明白だ。

進退窮まった。やむを得ない、ここは実力行使してでも逃げの一手しかないか。

直接的な行動に出ようと決意したことで、僅かに表に出た緊張や闘気といった俺の意志を感じ取ったのだろう、突如ハギヨシが先んじて行動に出る。

武術的素人では動き出しを感知できないほどの身のこなしで俺との距離を瞬時に詰めたハギヨシが俺の手首を掴もうと手を伸ばす。恐らく合気道か柔術によって俺の体を崩し、腕を捻って背後を取るか、床に押さえ込んで無力化するのが狙いだろう。そうはいくか。

俺は右腕を掴まれる瞬間、半身を引くと同時に左腕を伸ばしてハギヨシの腕を逆に掴もうとする。合気道には合気道、素人相手ならいざ知らず、一定レベル以上の実力者同士なら待ち受けた方が基本有利だ。

しかしハギヨシは只者ではなかった。刹那の攻防で己の不利を悟るや否や、俺に掴まれる寸前で手を引っ込め、同時にバックステップで距離を取る。

 

「……やりますね」

 

ハギヨシのこめかみに一筋の汗が伝い落ち、初めて表情が苦渋に歪む。

彼もまた俺が一筋縄で行ける相手ではないと認識したらしい。

 

「何のことでしょう? いきなり近づかれてびっくりしましたが……」

 

いささか白々しい物言いだが、実際ハギヨシ以外は事態を正確に把握できていないだろう。

ぱっと見では、ハギヨシが突如女生徒()に近寄り、驚いた女生徒が半身を翻したらハギヨシがなぜか距離を取った、という流れにしか見えていまい。

 

「ハギヨシ、いくら疑いありとはいえ、女性に突然不埒な行為に及ぶのは主として感心できませんわ。何か理由がありまして?」

 

客観的にはハギヨシが過剰なまでに不審者かもしれない俺に警戒を露わにしているという状況だ。職務に忠実と言えば聞こえはいいが、傍目にはか弱い女生徒に対して暴力で事を為そうとしたように見えた一幕。

状況の本質が理解できてない透華が僅かに苛立った、たしなめるような口調になるのも無理はない。

 

「申し訳ございませんお嬢様。しかし、私の動きを見切れるだけでも彼女が常人ではない証左です。お嬢様たちの安全を図るために、警戒を怠ることはできません」

 

実に的を射た指摘で警戒の必要性を説くハギヨシ。頭が切れるだけに弁も相当立つようだ。

 

「私、護身術として合気道を習っておりまして。突然近寄られて咄嗟に反応してしまっただけです」

 

ハギヨシは無理だろうが、透華たちならまだしも誤魔化せる余地があるかもしれない。一縷の望みに賭ける心境で俺は平常を装いつつ言い訳する。

俺の釈明に一理有りと考えたのか、透華の表情に迷いが浮かぶ。

少なくとも今までの経緯において、ハギヨシの記憶による根拠以外、明確な矛盾や破綻を俺は見せていない。ゆえに疑いは依然晴れぬにせよ、どこまで断固たる態度を取るべきか決めあぐねているのだろう。

少しずつ状況が改善しつつあると展望を抱いたところで、またしてもハギヨシが決定的な一言を口にした。

 

「貴女があくまで自分が当学園の生徒だと主張するのでしたら、端末で貴女の在籍を確認させていただくまで、ここに居てくださることに異論はございませんね?」

「…………」

 

単純だが、確実な証明手段であり、現状で主張するには尤な論陣だ。

元々疑いを持たれた時点でほぼアウトだったのだ。事ここに至って言い逃れできないのはもはや仕方ないだろう。

俺はハギヨシから視線を外さないよう気をつけつつ、「はぁ……」とこれ見よがしにため息をついた。

 

「ここまで、か…… ハギヨシさんと言いましたか、貴方のご慧眼には恐れ入りました。まさしく、私はこの学園の生徒ではありません」

 

ハギヨシの挙動に注意しつつ、俺は小さく肩を竦めてからしおらしく白状した。

 

「わ、私たちを騙していたんですの!?」

「へ~、白昼堂々不法侵入か。可愛い顔してやるなぁ」

「暢気な感想言ってる場合じゃないよ純くん。彼女が強盗だったりしたらどうするのさ」

「もしくは、誘拐犯……」

「はっ、犯罪者さんですかっ!?」

 

俺のカミングアウトに、気色ばむ透華のみならず、その背後にいる女の子たちもそれぞれ反応する。

言動に伴う彼女らの様子を窺うと、面白がっていたり冷静だったり無表情だったりおろおろしていたりと、なかなか個性豊かな連中だなという印象だが、共通しているのは程度に差があれ一様に危機感や切迫感が欠如していることだ。

不法侵入者が外見的に無害そうな女学生でしかない上に一人きり、またハギヨシという頼れる男性の存在もあるのだから危険を感じろという方が難しいのだろう。

 

「観念した……と、いうわけでもなさそうですね」

 

殊勝な言動とは裏腹に隙を見せない俺の様子からして、諦めたわけではなく開き直っただけ、と判断したのだろう。

ハギヨシは気を抜く素振りなど微塵も見せず、俺の挙動を逃すまいと目を光らせたままだ。

 

「あゆむ、警備員を呼びなさい!」

「はっ、はい!」

 

対峙したまま動こうとしない両者を見かねたのか、透華が現状対処に当然の指示を出す。

事前に仕入れた龍門渕高校の部員名にはない、「あゆむ」という呼び名に反応したのはメイド姿の女の子だった。

さすがに警備員を呼ばれるのは拙い。大事に発展する前に逃走すべきか。その際に多少の実力行使は止むを得ないが、最大の障害になりそうなハギヨシは恐らく、不審者の捕獲より主である透華たちの護衛を優先することで結果的に俺を見逃してくれるだろう。

いささか希望的観測も含むも、そう分析して行動に移す決意をしたところで、ハギヨシが予想外の待ったをかける。

 

「お待ちくださいお嬢様。事を荒立てる前に彼女の目的を聞いておくべきかと存じます。私見ですが、状況から判断して犯罪目的という可能性は低いと思われますので」

 

実に寛容的な物言いだが、そう口にした動機は温情ではなく、(ひとえ)に俺への警戒心からだろう。

不用意に警備員を呼ぶことで俺を刺激し、万が一暴力という名の実力行使に出られた場合、彼女()らの身の安全を維持する確信が持てないからに違いない。

一度の交錯で俺の力量を僅かなりとも把握したことで、一息での制圧は困難な相手だと認識し、穏便に対応してご退場願えるならそれに越したことはないという判断だと思われる。

というか、明るいうちに(傍目には)女の子一人が施設に不法侵入したくらいで警備員呼ぶとか、ぶっちゃけ対応が大げさすぎるだろ常考。

いやまぁ、アメリカみたいに不審者がいきなり銃を取り出して乱射、などというバイオレンス展開の可能性もゼロじゃないから、慎重論が間違っているわけじゃないんだけどさ。

 

「確かに一理ありますわ。藤木……さんと仰いましたわね。貴女は当学園、いえ、ここへはどのようなご用事でいらしたのかしら?」

 

ハギヨシ(執事)の提案を受け入れた透華が、冷静さというか、余裕を取り戻した表情で質問してくる。

事を荒立てたくない俺としてもこの流れは好都合なので素直に迎合する。

 

「正直に答えても信用されないかもしれませんが、ここへ来た目的は龍門渕高校麻雀部の皆さんに会いたかったからです。あなた方のファンなものですから、大会前に激励の一言を述べさせていただこうかと。この学園の生徒を装ったのは、見咎められずにここまで来るためにそうしただけで、それで皆さんに不審を抱かせてしまったのは申し訳ありません」

 

俺はできるだけ真摯な態度と口調で説明する。

虚実入り混じったというか、動機はともかく行動そのものに嘘はない。少なくとも客観的に見て俺の行動に犯罪性はほとんど窺えないはずだ。物盗りだの誘拐だの、一般的な犯罪行為を疑うには行動や状況に合理性や妥当性がなさ過ぎる。

強いて言うなら、単に顔を見て話をするためだけにここまでするのか? という疑問というか、不自然さを覚えるくらいだろう。

案の定、透華は腑に落ちない、といった表情で問いを重ねる。

 

「そのためだけにわざわざここまで?」

「はい。――納得できませんか?」

「……正直に言えばそうですわね。ただ私たちに会いたいだけなら、正規の手続きで面会の許可を得ることもできたはずですわ。生徒を装い不法侵入してまで果たしたかった目的、と納得するにはいささか不自然ですわね」

 

俺の回答に、透華は腕組みしてやや考え込んでから己の見解を述べる。それは俺が危惧したとおりの疑惑だった。

ちなみに、透華の言うとおり、正規の手段で面会することを選ばなかったのは、申し込んでも断られると思ったからだ。

素性も知れぬ他校の男子がいきなり会わせてくれなどと抜かしたところで、激励だの応援だの、好意的な理由があったとしても、学校側にせよ当人側(透華達)にせよ、普通に考えて断るだろう。

かといってわざわざ女装して申請したとしても、許可が下りるとは限らないし、そこまでするなら生徒を装って侵入した方が確実だし手っ取り早いという結論になる。

 

「確かに、そう考えるのも無理ないですね。であれば……去年の全国高校生麻雀大会県代表である龍門渕高校を偵察しに来た、とでも言えば納得してくれますか?」

「「「!!」」」

 

言って、俺はニヤリと透華へ挑戦的な笑みを向ける。

不敵ともいえる俺の告白に、透華のみならず、この場にいる他の面子の表情にも驚きの色が浮かぶ。

しかしそれも僅かな間だけで、すぐに平静を取り戻した透華が鋭い眼差しで俺を見据えながら口を開く。

 

「なるほど、それならば納得がいきますわ。県予選出場校なら、昨年の優勝校である私たちの情報を得たいと考えるのは道理ですものね?」

 

問うような透華の口調に、俺は一計を案じて挑発めいた台詞を口にする。

 

「ああ、勘違いしないで下さい。偵察と言いましたが、目的は本当に激励をしに来ただけですよ。少しでも大会が楽しめるよう、皆さんには全力で頑張って欲しい(・・・・・・・・・・)、とね」

「なっ、なんですって!?」

 

見下すような物言いと視線にプライドをいたく刺激されたのか、激昂した透華の眦が釣り上がる。

多少頭の回転は速いようだが、この程度の安い挑発に露骨に反応するようじゃ精神力はもとより、心理戦も大したことがなさそうだ。内心で透華の人物評にそう書き加える。

 

「おかしなことではないでしょう? 右も左もわからぬ場所に部外者が単身やってきたとして、どれほどの事ができると思うんです? 容姿や性格程度なら解るかもしれませんが、それを知ったところで麻雀対局にはさして関係ありませんし、そもそもその程度の情報ならわざわざ足を運ばなくとも手に入ります。貴女の言うように合理論を用いるならばメリットとリスクが余りにも吊り合わないことは明白で、それこそ不自然というもの」

「…………」

「信用できないのは無理もありませんが、本当に激励したかっただけなのですよ。去年の優勝者たちがどんな人物か見てみたかった、という興味本位もありましたが。まぁ、偵察というよりは見学ですね」

 

俺の理路整然とした解説に透華はやや苛立たしげな表情を見せるものの、内容の妥当性は認めたのか、視線から疑るような色は薄まった。

代わりに敵意を帯び始めている。挑発もそうだが、自分のホームグラウンドで不法侵入者()が余裕ぶった態度を見せているのが気に食わないのだろう。

 

「……いまだ釈然としない部分もありますが、貴女の事情はひとまず理解しましたわ。大会も近いこの時期に敵をわざわざ激励しに来るだなんて、ずいぶん余裕がおありですのね?」

「ええまあ。好奇心を満たすための酔狂が許される程度には」

 

透華は俺の言動や態度から、遠まわしに「お前たちは偵察する価値もない」と受け取ったはずだ。

表面上は慇懃冷静さを取り繕ってはいるが、胸中は屈辱感と敵愾心に満ち満ちているに違いない。

 

「どうやら自信が相当おありのようですし、よろしければ後学の為に貴女の本名と学校名を教えていただけませんこと?」

 

当然といえば当然の質問。当初に俺が名乗った藤木という姓が偽名であることはわざわざ問い質す必要もなく確信しているのだろう。

俺としてもここからが勝負所だ。

 

「招かざる客の私としてはせめて本名くらいは教えて差し上げたいところなのですが……教えろと言われてあっさり正体を明かす悪役はいないでしょう? なので、一つ勝負をしませんか?」

「勝負……ですって?」

 

唐突な俺の提案に胡乱げな表情で問い返す透華。

 

「ええ。何、簡単な勝負です。今から私と貴女方で東風戦を一局打ち、私がトップを取れれば私の勝ち、取れなければそちらの勝ち。単純でしょう?」

「なるほどですわ。しかしそれだと3対1の勝負になりましてよ?」

「問題ありません。ちょうど良いハンデでしょう」

「なっ……!?」「ほぅ」「へぇ~」「…………」

 

俺の侮辱とも取れる回答に、透華はくわっと目を見開き、絶句する。同様に、俺との交渉を透華に任せて成り行きを見守っている背後の面々もそれぞれ反応するが、彼女らの表情は感心したり面白がっている様子のそれで、直情的な印象の透華とは対照的だ。

怒りによってか、二の句が告げられずわなわなと震えている透華を見据えながら畳み掛けるように続きを話す。

 

「そちらが勝った場合は私の身元を正直に明かしましょう。逆に私が勝った場合は今回の不法侵入を不問にする。――いかがです?」

「…………」

 

怒りよりも現状対処を優先するだけの冷静さと分別を残していたのか、透華の様子から剣呑さが消え、沈思黙考といった表情になる。

俺の提示した条件を吟味しているのだろう。

 

「……妥当な条件、と言いたいところですけれど、一つ付け加えさせていただけるなら勝負に乗っても良いですわ」

「それは、どのような?」

 

訊ねる俺にやや険の篭った眼差しを向けながら、髪をかきあげる仕草で僅かな間を取った透華は唇の端を吊り上げ、強気というか挑戦的な笑みを浮かべる。

 

「こちらが勝利した場合、私たちを侮辱した事、きっちり謝罪していただきますわ」

 

なるほど、プライドの高そうな透華らしい提案だ。

県内最強校という自負もあればそれを裏付けるだけの実力がある透華にとって、正体不明とはいえ、恐らく無名と思われる輩に侮られた事は許しがたい事態なのだろう。

 

「はい、構いませんよ。私が負けたときは誠心誠意、皆さんを侮っていたこと謝罪いたします」

 

俺は不敵に微笑みつつ了承する。

あくまでもふてぶてしい態度を崩さない俺を不愉快だと言わんばかりの表情と視線でしばし睨んだ透華はくるりと振り返り、静観していた部員たちに声をかける。

 

「交渉は成立しましたわ。はじめ、純、打ちますわよ!」

「りょーかい」

「へーい。ま、たまには部外者と打つのもいいか」

 

気の抜けた返事をしつつ立ち上がる小柄な女生徒と背の高い女生徒の二人。言うまでもないかもしれないが、前者がはじめで、後者が純だ。つか、立ち上がってはっきりしたが、純は明らかに俺より身長高いぞ…… べ、別に羨ましくなんてないんだからねっ。

地味に傷心しつつ、部屋の奥に設置してある麻雀卓へと向かう透華らの背中を視線で追いながら、対局の方針について考えを巡らせる。

今後の事も考えるなら、元始開闢は使わない方が無難だろう。

俺のギフトに感化されていきなり急成長を果たした咲の例があるため、必要以上に透華に刺激を与えるべきではないという判断ゆえだ。どうかこのまま己が才能(ギフト)には気付かないでいてくれ。

手加減して透華らの実力を見つつ、とりあえず控えめに行こうと決めた俺は、雀卓へと向かう前にハギヨシに声をかけた。

 

「ところで、ハギヨシさんはこの勝負に関して思うところはないんですか?」

 

会話の主導権が透華に移った後は不動の姿勢で俺への警戒を続けていたハギヨシの意向はどうなのだろうと気になったためだ。

麻雀対局という少々変則的な状況だが、距離が近くなる分、不法侵入者である俺に害意あれば主人である透華に危害が及ぶ可能性は今よりずっと高まる。

また、俺の立場から言っても、対局中に警備員を部屋の外に召喚されたりするのは拙いし、それどころかもっと直接的に、対局中ハギヨシに背後から襲われたら対処が非常に困難である。

易々と思惑を語ってくれるとは期待できないが、牽制くらいにはなるだろう。

果たしてハギヨシは、営業スマイルとも言えるにこやかな表情で答えた。

 

「私はお嬢様のご意向に従うまでです。それと、先ほどは失礼いたしました。可能性があったとはいえ、いささか性急な振る舞いでございました。無論、疑いが全て晴れたわけではありませんが、不埒な動機によるものではないと考えを改めましたので」

 

存外、ハギヨシの反応が友好的だったことに心証を良くした俺は、それならばこちらもと真摯に言葉を返す。

 

「誤解を招く行動を取ったのは事実ですから、気にしないで下さい。私の言う事を信用してくださいと頼めた立場ではありませんが、決して害意や悪意があってのことではないと約束します。もっとも、ハギヨシさん(貴方)の主を挑発しておきながら悪意がない、などとは白々しい物言いかもしれませんが」

 

くすり、と台詞の後半に悪戯っぽい微笑を添え、ハギヨシから奥の雀卓へと視線を移すと、場決めを終えてそれぞれ椅子に腰掛けた透華たちと目が合った。

彼女らの視線に「早く来い」と催促の色を感じた俺は僅かに苦笑しつつ奥へと向かう。

5、6歩ほどの距離をおいてついてくるハギヨシの足音を背後に意識しながら雀卓の側までやってきた俺は、卓上にある四つの風牌のうち、表が伏せられている最後の一枚をめくりながら透華たちに声をかける。

 

 

「お手柔らかに」

 

 

そして対局が始まった。




またしても女装白兎 in 龍門渕高校。
今回の女装は単なる舞台装置でしかなく、会話やシチュエーションに大して絡んではきません。割とシリアスなので女装展開2連続とかもうおなかいっぱいと忌諱している方も許容の余地が……あるといいのですが(汗)

正直今回の話は必要かどうか悩みました。
前編で天江衣は登場しませんが、出不精な彼女と違和感なく遭遇できる話の展開を考えるとこういう形にせざるを得ませんでした。龍門渕のテコ入れがどうしても必要だったもので。

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