咲-Saki- 天元の雀士   作:古葉鍵

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移転のタイミングに併せて2ヶ月弱ぶりの新作投稿。長らくお待たせしました。
微妙なブランクのせいもありますが、初心に帰ってネタ多目を心がけたり徹夜進行で書いたり推敲改稿してなかったりと色々酷いので、クオリティはお察しください(汗)
休息取ってから見直すつもりなのでとりあえず暫定版どうぞ。

今回から3人称視点を採用しています。
《 episode of side-G 》が頭に来る章がそれに当たります。
なお、”G”は God(神)視点、の略になります。
Third(3)の”T”でも良かったんですが……
深く気にしたら負けです(汗)


東場 第二局 六本場

episode of side-G

 

 

 

 

 

少女は何かに気づいたように、ピクンと身を震わせた。

もはや夕刻だというのに、豪奢な寝台に気だるそうに身を横たえていた少女は上体を起こし、茫洋とした眼差しを虚空へと向ける。

照明が落とされ、分厚いカーテンで遮光された室内は昏く、少女の見据えた先にはうっすらと調度品の影と部屋の壁しか映ってはいない。

少女はしばらくその姿勢のまま、身じろぎひとつしなかった。もし余人が彼女の様子を覗ったのなら、眠りから覚醒したばかりで、寝ぼけているのかとでも考えただろう。

しかしそれは違う。目覚めた直後というのは事実だが、少女は寝起き然とした呆けた様子とは裏腹に、明晰な思考をもって己が内面に没頭していたのだった。

 

(胡乱な気配……怪異幻妖の類か? だが、この感触(・・)は……)

 

ざらつく空気に肌を撫でられているような未知なる感触。体の芯から溢れ出るような悪寒に背筋が強張る。

我が身の異常を何らかの凶兆かと疑った少女は、無意識に両腕で自らをかき抱いた。

 

「――?」

 

二の腕を掴んだ掌が普段とは違う肌触りを伝えてくる。

そして気付く。

少女の柔肌を襲った未知なる感触が、鳥肌を催している所為だったと。

その事実に気付いた少女は理解する。

体の芯から徐々に溢れ、全身に浸透してゆくようなこの感覚と、そしてその源泉なるものが――恐怖と呼ばれる感情なのだと。

 

「……面白い」

 

かつてない事態に興を昂ぶらせた少女は、薄闇に覆われた部屋の中で爛々と目を輝かせ、冴え冴えと嗤う。

愉笑とも、嘲笑とも取れる表情を浮かべた少女は、腰のあたりに身に付けている、アクセサリーと見るには無理のあるごつい(・・・)代物だと言わざるを得ない、少女の小躯からすればやや大きめの懐中時計を手に取り、現在時刻を確認する。

 

(申の刻…… いささか早いな)

 

申の刻というのは、通常時刻で16時頃を指す。

あと10日足らずで夏至を迎える今日びは昼が最も長い時期だ。宵闇の帳が降り、月明かりが支配する時間までまだしばらく間がある。

少女にとって、外が明るい時間帯が特別苦手というわけではない。ただ、己の宿す力の特性を良く弁えているが故に、本領ではない時間帯に事を成さねばならないのは、やや不本意でもあれば、もどかしさもある。

とはいえ、不惑の性強かな少女にとって、天啓のように訪れた奇貨ともいえる機会を躊躇して逸することなどありえない。

従って少女は、可憐な見た目とは裏腹に、並の大人ですら及ばぬほどの強靭な意志をもって行動に出る。

 

(鬼蛇と戯れ相果つるか、或いは魑魅共をまつろわす由縁となるものか……)

 

年齢にそぐわぬ語彙でもって、懸念と期待が混然とした思惑を脳裏で言葉にしながら、ベッドの上から床へと足を下ろした少女は獰猛に唇の端を歪めたのだった。

 

 

 

 

 

 

☆★☆★

 

 

 

 

 

さて、口先三寸で好都合な状況(賭け麻雀)にもってこれたはいいが、これからどうするか。

龍門渕高校麻雀部の偵察、という目的とのすり合わせを考えるなら、ひとまずは様子見に徹して各人の打ち筋をきちんと確認するべきか。

とはいえ、東風戦という尺の短い勝負のこと、日和見が可能なのはせいぜい2局程度だろう。そういう意味ではもしオーラスが俺であれば観察の時間が取れるという点で都合が良かったのだが……

残念ながら今回の俺は西家。まぁ起家や南家にならなかっただけ良かったと考えるべきか。

ちなみに天理浄眼でガンパイすれば場決めは任意に選べるが、サイコロの出目にまではさすがに干渉できないのであまり意味がなかったりする。

それはともかく、席の並びだが、東家(起家)が純、南家がはじめ、西家が俺で南家が透華の順になっている。

 

「さてさて、不法侵入者さんのお手並み拝見といくかァ」

 

俺に視線を遣りながらにやりと笑い、暢気な口調でのたまう純。

挑発とも、こちらを嘗めているとも取れる言動だが、彼女のオーラの色が見て取れる俺にはそれが本心でないことが解る。

純のオーラの色は濃い警戒色に染まっていて、鷹揚な言動とは裏腹に内心では微塵も油断していない。

本心とは真逆な表情や言動をここまで完璧に演出できるとは、純は相当な食わせ者というか、策士タイプのようだ。

打ち筋や雀力の評価以外にも注意が必要な相手だな。タイプで言えば竹井先輩に近い。

俺や竹井先輩、のどかにとってはそれほど対処が難しい打ち手ではないが、搦め手に弱い咲や優希にとっては純の能力(センス)も相まってすこぶる相性が悪そうだ。

もっとも、優希はともかく咲の場合は地力の差がありすぎて、多少の相性の良し悪しなど全く障害にならないだろうが。

 

「そんなに期待されると、緊張で牌が持てなくなりそうです」

 

まずは言葉の応酬による前哨戦。俺は小さく肩を竦め、韜晦して応じる。

純の本心を遠回しに指摘し、腹芸が見破られた場合の純の対応を測ることも考えたが、それによって必要以上に警戒されたり動揺されたりでは正しく実力を測れないし、どのみち本番でそうした状況にもっていけるのは清澄(ウチ)の中では竹井先輩くらいだろうから、サンプリングする意味合いは比較的薄い。

 

「四面楚歌の状況で余裕を失わないふてぶてしさは見事ですわね。その態度がどこまで続けられるか私も期待してますわ」

 

今度は右手から透華が俺を睨むように強い視線で見つめ、刺々しい口調で皮肉を投げかけてくる。

覚悟はしていたが、挑発によってプライドを傷つけられた透華のヘイトは相当高まってしまったようだ。

 

「ボクは相手が誰であれ楽しく打てればそれでいいかな。とはいえ藤木さん? をお客様待遇で歓迎しますってわけにはいかないけどさ」

 

他の二人に付和雷同、というわけではなかろうが、今度ははじめが対面で意見を述べる。

警戒心や敵愾心てんこ盛りな純と透華に較べ、はじめは言葉どおり幾分好意的に俺の存在を容認してくれているのがオーラの色からも確認できる。

だからというわけでもないが、卓を囲む3人の中では一番性格がまともそうだ。

体格も小柄で可愛いし、良い子なはじめちゃんにはおじさん癒されちゃうよ。

おっといけない、ついネット雀士しろっこの地が……

思わず緩みそうになる口許を慌てて引き締め、令嬢然とした体裁を取り繕いながら口を開く。

 

「いえ、そう言っていただけるだけでもありがたいですよ。はじめさんは良い人ですね」

 

台詞の後に俺がにこり、と微笑みかけると、はじめはぽかん、と小さな口を開いて俺の顔を見つめ、一瞬の間を置いて頬を桃色に染める。

そしてそんな反応を見せてしまったことに対する照れ隠しか、ぷい、と顔を横へと逸らした。

ふむ、どうやらこの子も百合属性持ちか……

真摯ならぬ紳士な心境で内心そう呟く。

はじめちゃんは咲と気が合いそうだ、とか下世話かつどうでもいい感想を彼女の評価に付け加えながら、俺は理牌を終えた手牌を確認する。

 

【手牌】二①②③③④⑥⑧⑨5白白中  ドラ指標牌:東

 

半ばピンズに染まった三向聴、一通からホンイツ、果てはチンイツまで楽に狙えそうな良手牌だ。

ちなみに元始開闢は今回使わない予定なので出力をほぼゼロに抑えているわけだが、それでもほんのわずかに漏れているギフト(元始開闢)の恩恵によって三元牌が手元に来てしまっている。

手牌の確認と狙えそうな役の検討(あくまで序盤は様子見のつもりなので実際に和がるつもりはないが)を手早く済ませた俺は、次に対局者たちの手牌に視線と意識を向け、天理浄眼による透視(リーディング)を行う。

今更フェアな勝負云々を論じるつもりも資格もないが、普通の状況で打つ分には対局者の手牌を視ることは基本ない。

しかし、俺にとって今回の対局は打ち筋や雀力を確認するための機会であり、何より敗北が許されない勝負だ。よって天理浄眼(チート)の使用に躊躇はない。

それはともかく、透視の結果判明した対局者の手牌は、詳細な牌分布の説明は省くが、透華が五向聴、純が四向聴、はじめが二向聴といったところ。

さて、それじゃあさくっと聴牌までもっていって、その後は予定どおり様子見に徹しますかね。

純の台詞じゃないが、県下最強校様(龍門渕高校)のお手並み拝見といこうか。

偵察に来た甲斐があったと思わせてくれる程度には、俺を楽しませてくれよ?

完全に悪役な台詞を胸中で呟きつつ、俺は最初のツモ牌を得るべく山に手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

☆★☆★

 

 

 

 

 

 

「ツモですわ! 3000・6000!」

 

威勢よく和了を宣言し、タン、と小気味良い音を響かせて牌を卓上に置く透華。

跳満を和がり、形勢が一気に透華へと傾いたところで東場第二局が終了した。

これで観察のボーダーラインである前半を終え、次は俺の親、東場第三局に突入する。

これまでの経緯だが、東場第一局は純が的確な副露センスを発揮して安手とはいえ速攻で和がって連荘したものの、続く一本場と今ほどの第二局は配牌の運にも恵まれた透華が無双して終わった。

ちなみに全てツモ和がり。俺基準で言えばそれほど固い面子というわけでもないが、テンパイ気配を読み、危険牌を避けるという基本が各々しっかり身に付いているからだろう。

3人の手牌と打牌をここまで観察した限りでは、中学時に観戦した全国最強校である白糸台高校麻雀部の2軍程度には強いと感じた。

個人別に評価するなら、純は知覚系センスの持ち主だけあって機を見るに敏、はじめは全体効果系センスの恩恵で配牌が基本良いし、透華はギフト未覚醒とはいえのどかに近いレベルでデジタルな闘牌を見せ、なかなかに侮れない実力者だ。

しかしそれでも――この程度ならば(・・・・・・)

能力や打ち筋による有利不利を考慮しても、十中八九清澄(ウチ)が勝つ。

未知数である天江衣の実力が余程突出してなければ、その予想は違えまい。

県優勝を果たした昨年はメンバー全員が1年生であった為、龍門渕は今年も全く同じメンバーで出場すると予想できる。

龍門渕高校一般生徒たちから聞いた話やこの部屋にいる面子から判断した限りでは、全く情報のない別の部員が存在し、出場するかもしれないという可能性はほぼ無視していいだろう。

そして、メンバーが全く同じだということは、オーダーも去年と同じ可能性が高い。

昨年の優勝校ゆえに研究されマークされているという自覚があれば、順番を変える程度の対策はするかもしれないが、天江衣に関してのみ言えば、去年大将だったところを先鋒に持ってくるかもしれない、といったところだろう。

もしそうなった場合は、ウチの先鋒である優希に頑張ってもらうしかないが、流石に10万点という持ち点全てを削られるほど天江衣が破格だということはあるまい。とはいえ調べた限りでは天江衣、かなりの高火力タイプなんだよな…… 詳細な能力傾向はわからんが、そこだけ見れば優希以上の攻撃力の持ち主と言えるし、であるならば、防御の薄い優希にとっては分が悪いといえる。

ま、優希が10万点全て失う前に他校の選手がトバされる可能性もあるわけだし、そうなったらもう、オーダーを誤ったと後悔するよりは天江衣が強かったと素直に諦めるしかない。

悲観論はともあれ、天江衣が大将据え置きなら咲に任せて問題なかろうし、大将戦を互角と見積もれば他4人の総合力の差でこちらの勝ちだ。

あとはその分析が皮算用で終わらぬよう、今日の偵察をきっちりこなし、明日から大会までの部員指導を緩まず、過たず差配すればいいだけ。

 

さて、大局的な見立てはここまでにして、目の前の対局に集中しよう。

現在の点数状況は 純:21900 はじめ:15600 俺:18600 透華:43900 となっている。

トップの透華と俺の差は約25000点、東風戦の短いスパンを考慮すれば、逆転するのは常考して難儀なはずだが、俺基準で言えば親で連荘すればいいだけの話であって微塵も難しいとは考えていない。

だが、もしこれが同等の実力を持つ打ち手による対局であったなら、優勢者は放銃を警戒しつつ安手でもいいから早和がりを狙うだけで勝利に近づく一方、不利な他3人は高い手を狙わざるを得ず、どうしても手が遅くなるからだ。

当然、透華もそれは理解しているだろうから、半ば詰みだとでも考えて内心ほくそ笑んでいるかもしれない。

 

「さあ、もう後がなくなってきましたわよ?」

 

そんな予想を裏付けるように、余裕を感じさせる表情で透華がのたまう。

 

「おいおい……透華はもうちょっと手加減してやれよ。いいか、世の中には接待麻雀ってもんがあってだなァ……」

「そういう純くんだって手を抜いているようには見えないけどね」

 

自身の勝利はともかく、趨勢がはっきりと3人組(龍門渕)側に傾いたことで安心したのか、オーラから警戒の色が薄まった純が透華の尻馬に乗って俺を揶揄する。

そして流石にそれは言いすぎだと思ったのか、窘めるような口調と表情でツッコミを入れるはじめ。

俺に気を遣ってというより、動機的には仲間(透華や純)を悪く思われたくない故のフォローなのだろう。コミュニティ内でマッチポンプが明確に機能しているところを見ると、彼女らの結束はそれなりに固いようだ。

それにしても、かつて淡と白糸台高校に不法侵入し、麻雀部1軍と対局したときと状況が被るな。

菫といい純といい、のどかのようにお淑やかに振舞えないものかね。それとも昨今の女子高生はこれくらい強気な女性がデフォなのだろうか。(←おっさん発言)

せめて少しでも可愛げがあればなァ……などと失礼な感想を抱きながら、俺は思惑と真逆の台詞を口にする。

 

「成程、皆さんお強いですね。とはいえ私も負けるわけにはいかないので、そろそろ本気で打ちますよ?」

 

何とも月並みな返しだが、もし洒落が通じる相手だったら、「俺は変身をあと2回も残している。この意味がわかるな?」と言ってニヤリと笑ってやるところだ。

(補足すると、これまで天理浄眼を和がる目的では使用していなかったという意味で変身(ギフト)1回分、元始開闢でもう1回分というカウント)

個々人の性格はともかく、龍門渕高校の学生である以上、社会的立場としては歴としたお嬢様方である透華らにネタを振る度胸はさすがになかった。

 

「あら、それは結構なことですこと。期待させていただきますわ」

「あんまり大口叩くと後が辛いぜ?」

「そうだね、まだ勝負の行方はわからないし、ボクもこのまま負けるわけにはいかない」

 

挑発とも取れる強気の発言であったにも関わらず、透華たちの余裕は崩れない。勝敗が確定したわけではないにせよ、未だ口ほどには実力を見せていない俺が何を言ったところで負け犬の遠吠えにしか聞こえないのだろう。説得力皆無だ。

俺はほんの少し元始開闢のタガを緩め、出力を上げる。とはいってもこれまで5%だったのが10%に上昇した程度の変化だが。

透華のギフトを刺激するリスクもその分増えるが、この程度で覚醒するようなら去年の大会で全国区の強者と対局した際に目覚めているはずだ。

まぁ判断基準が照さんや淡クラスなのがアレだが……

てかそれ以前にギフト覚醒のスイッチが何なのかなんて知らんし。今回元始開闢自重している件はあくまで咲のケースを当てはめての対処でしかない。

要するに何が言いたいかと言うと、何事もなるようにしかならんということかな。

以上、自己弁護(言い訳)完了。

さて、ここは一発、目に物見せてやりたいが、天理浄眼があるとはいえ元始開闢の出力10%、かつ短期で大三元狙うとか割と無理ゲーだしなぁ。どうしよっか。

あー、照さんみたく点数増幅縛りの連続和了でも狙うか。うんそうしよう。決めた。

割と適当に方針を決めた俺は早速勝利の実現に向けて邁進する。

 

「――ロン。1500」

 

純のお株を奪う副露を駆使して安手早和がりを当人に決め、

 

「ツモ。800オール」

 

「ツモ。1200オール」

 

安手だと地味に効く積み符含みの連続ツモでじわじわと切迫感を演出し、

 

「ロン、8600」

 

デジタルなダマメンゼンで役を作り、透華を狙って直撃させ、

 

「ツモ、4400オール」

 

和了を重ねたことによって高まった支配力により、はじめ以上の好配牌に恵まれ、まさかのダブルリーチから満貫を和がり、

 

「ロン、19500」

 

最後は再び純の放銃を引き出してトバし、対局を終わらせたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

☆★☆★

 

 

 

 

 

 

耳に痛いほどの静寂が場を支配している。

俺が三連続和了を決めたあたりから透華たちの顔から余裕が消え、四連荘で焦燥に変わり、五連荘の際には呻き声すらあげなかった。

そして…… 決着がついた今は表情が抜け落ち、茫然自失といった状態だ。

白糸台の一件と、経過も似てるなら結末も似てる。まるで予定調和な逆転劇。皆の白けた反応は無理もないが、いささか派手にやりすぎたか?

しかし勝ちを譲るという選択はできなかったし、いつものように大三元(役満)を繰り出して終わるよりは現実的な結末だと思うんだが……

まぁ悩んでいても仕方ない、勝者が敗者にかける情けなど不要だろう。彼女らに強者としての矜持があるならばなおさら。過程に納得はできなくても敗北は受け入れるはず。

 

「さて、賭けは私の勝ちですね。これで私は無罪放免……で、よろしいですか?」

 

俺は敢えて余計な感情を排し、平坦な声で事も無げに尋ねる。俺にとって勝ち誇るほどの結果ではないし、敗北感を煽って有望な打ち手の将来に禍根を残す必要もないから。

しかし俺の問いに透華らのいらえはなく、沈黙が引き伸ばされるだけに終わる。

仕方ない、少し待つか……

クッションの効いた椅子の背もたれに体を預け、待つことしばし。最初に再起動を果たしたのは透華だった。

 

「……ありえません、ありえませんわ。こんな……こんな打ち筋はまるで……インハイチャンピオン……宮永……照」

 

両手で雀卓の縁を掴み、うつむき加減の姿勢でぶつぶつ呟く透華の声に、聞き覚えのある単語を拾った俺はつい尋ねてしまった。

 

「あれ、照さんのこと知ってるんですか?」

 

冷静になって考えれば、同じ業界に所属する者として、宮永照ほどの有名人なら透華が知っていても何もおかしくはないし、当然それが個人的な知己である、などという可能性はまずないと判断したであろうが、そのときの俺は山場を越えていささか気を抜いていたことと、透華とのコミュニケーションの回復を急ぎたい心境だったばかりに、反射的な思考でもって不用意な発言をしてしまったのだ。

 

「照さん……ですって? 貴女、やはり宮永照の関係者ですの!?」

「ぇえ!?」

 

何気なく口にした俺の質問は透華から劇的な反応を引き出した。

ピクリと体を震わせて反応した透華がゆっくりと面を上げて焦点の覚束ない眼差しをこちらへと向け、まるで自分に言い聞かせるような口調でポツリと呟いた次の瞬間、ふらりと立ち上がったかと思うと、突如気勢を上げて俺に掴みかかってきたのだ。

一応、未だ背後に控えているハギヨシへの警戒は解いていなかった俺だが、ある意味一番直接的な行動力とは無縁そうな透華がまさか過激なアクションに出るとは露ほどにも予想しておらず、対応する暇もあればこそ、まんまと両肩をがしっ、と力強く掴まれて椅子の背もたれに押し付けられてしまった。

まさに鬼気迫るといった表現が相応しい透華の表情は、燃え尽きた様子の先ほどとは打って変わって恐ろしいほどの気迫に満ち溢れている。

お互いの鼻先がくっつきそうなくらいの距離で見詰め合う俺と透華。見ようによっては百合りんな美少女二人の愁嘆場に見えなくもない。ほんの少し唇を前に突き出すだけで熱いベーゼが交わせるだろう。これが少女漫画なら「貴女のおしゃべりな口を私の唇で塞いであげる……」とか殺し文句が発動するシーンだ。

乙女の園の中心で妄想に励む変態()がそこにいた。おまわりさんこちらです。

至近で拝見する透華の顔は、ややきつめな眦が好みを選びそうなものの、お世辞抜きでも整った顔立ちをしており、十分美少女だと言えるだろう。

緊迫した状況にも関わらず、妄想したり女性品評したりと、案外余裕あるな俺……などと頭の片隅で考えてると、口を割ろうとしない俺に焦れたのか、透華が重ねて詰問してくる。

 

「どうなんですの!? 答えてくださいまし!」

「い、いえ~……別に関係者というわけでは……」

 

透華の迫力に気圧されつつも、ようやく心理的な態勢を整えて返答する俺。

 

「関係者ではないというんですの? ではなぜ、”あの”宮永照と共通する打ち筋を見せ、あまつさえ親しげに”照さん”などと呼ぶのか、納得のいく説明をいただきたいですわ」

 

少しは落ち着いたのか、いささか声のトーンを落とした透華が事情の説明を求めてくる。

なんだか妙な展開になったな、と内心ぼやきながら俺は口を開いた。

 

「構いませんが、その前に少し離れていただけませんか? 別に逃げ出したりしませんので」

 

透華の青みがかった瞳に目を合わせながら、苦笑気味に告げる。

それでようやく透華は己の淑女らしからぬ行動に気が付いたのか、はっとした様子から頬を染めて恥じ入る表情へと変化させ、顔を背けつつ俺から手を離した。そして半歩後ずさってぽすん、と腰を下ろして自分の椅子に帰還する。

 

「……わたくしとしたことが、大変失礼しましたわ。どうかお許しくださいまし」

「いえ、これくらい、別に気にしていませんよ」

 

ばつの悪そうな口調でしおらしく謝罪する透華に、高飛車なお嬢様っぽいのに案外素直に非を認めるんだな、と、かなり失礼な感想を抱きながら応じる。

 

「――それで、実際のところどうなんだお前。さすがに宮永照本人ってことはないだろうが、全く無関係ってわけでもないんだろ」

 

なりを潜めた透華に代わってというわけでもなかろうが、今ほどの椿事の合間に復活したのだろう純が断定するような物言いで尋ねてくる。

 

「そんな言い方は失礼だよ純くん。負けてショックなのはわかるけどさ、もっと落ち着いて話そうよ」

 

攻撃的な口調の純を窘めるように、はじめがフォローに回る。

……この子苦労してそうだなあ。思わずそっと目頭を抑えたくなるのをなんとか我慢する。

 

「さて、そうですね。確かに仰るとおり全く関係がない、というわけではありません。別に隠すようなことではないので話しますが、単なる知り合いです。それも1度会って対局しただけの、ごく浅い間柄ですよ。それで、そのときに見た彼女の連続和了を先ほどの対局で試しに真似てみた、という訳です」

 

あえて黙秘する必要があるほどの事実でもないし、まさかこの情報を手がかりに俺の正体を暴くなどということも不可能だろう。

照さんとは性別どころか名前まで偽っての出会いだったわけだし、淡がきちんと対処してくれてさえいれば大丈夫なはず。大丈夫な……はず……。

いかん、よく考えたら淡が絡んでるという時点で非常に不安になってきた。あいつのことだから「照、私に勝ったら白姫の正体を教えてあげてもいい」とか勝負のダシに使ってたりしかねないし。

背中に嫌な汗がじわりと浮かんでくる。

陥穽の可能性に思い至り、いささか早まったことをしたか、などと後悔していると、

 

「なるほど、事情は理解できましたわ。しかしそれはそれで今度は別の事が気になったのですけれど、聞いてもよろしくて?」

 

一度は納得の表情を浮かべた透華が別の気になる点を見つけたのか、興味津々といった様子で食いついてきた。

毒食わば皿まで。気は進まないが、今更黙秘できる空気でもないので仕方なく了承する。

 

「……構いませんよ」

「わたくしたちを圧倒した貴女ほどの雀士と、あの宮永照の対局。それは一体、どちらが勝ったんですの?」

 

なんとなく質問の内容は予想していたが、やはり。

目を爛々と輝かせ、若干こちらへ身を乗り出すような前のめりの姿勢で尋ねてくる透華の姿がかつての咲とダブって見える。鼻先まで詰め寄られた経緯までぴったり共通してるし。

 

「あ、それは俺もすげー気になる。ウチ(龍門渕)にも衣みたいなの(同類)がいるからあーゆーヤバイ打ち手が余計気になるんだよな」

「ボクもそれについては同感だけど、みたいなの、なんて言い方、衣が聞いたら怒るよきっと」

 

純やはじめの言い分は理解できる。実際には会っていないのであくまで推測だが、天江衣が予想どおりの存在(ギフトホルダー)なら、普段彼女に接している純たちも照さんの特異性は良く理解できるだろう。まして県予選を突破できる実力を持ち、現実的に全国大会で相見(あいまみ)える可能性がある相手であればなおさらその存在を意識せざるを得ないはずだ。

咲の場合とは異なり、照さんとは完全に他人である第三者に勝敗のことを言い触らすのは彼女の威光を傷つけ、間接的に迷惑をかけるようでやや気が引けるが、照さんなら「勝利だろうと敗北だろうと事実を隠すつもりはない」とか言って気にしなさそうではある。

ありのまま答えてよいものかどうか刹那逡巡したものの、後で問題になるようなことでもないだろうと判断を下す。

 

「信じていただけるかどうかはわかりませんが、私が勝ちましたよ」

「「「なっ……!?」」」

 

何気ない口調でしれっと答えると、透華たちは一様に驚愕の表情を顔に貼り付けて絶句した。

まぁ無理もない。どこの馬の骨とも知らぬ無名の打ち手が、現役高校生最強の雀士に勝ったことがある、などと告げられたのだから。

まして照さんの実力は同世代の打ち手の中では隔絶したものとして世間一般に認識されている。なればこそ、彼女に勝利したという事実の重みは相当な衝撃となって透華たちを襲ったに違いない。

 

「そっ……それは真実(まこと)ですの!?」

「はい、事実です。……とはいえ、たかだか東風戦1回きりの結果ですし、照さんが手を抜いていた可能性もあります。いずれにせよそれだけで強い弱いを決められるものではありませんよ」

 

騒がれすぎても面倒なので、謙遜を装って釘を刺しておくことも忘れない。

 

「だからってなァ…… 俄かには信じらんねェ。あのバケモンに勝つなんざ、衣ですらできるかどうか微妙なくらいなのによ」

「藤木さんの言うことを疑うわけじゃないんだけど、ボクも正直あのチャンピオンが誰かに負けるところなんて全く想像できないな……」

 

透華に続いて不信を口々に言い募る純とはじめの様子に、よほど照さんは畏怖されてるんだなーと感心する。

たった一度の邂逅だったとはいえ、確かに照さんには麻雀の実力だけでなく、ただそこに居るだけで妙な存在感があったというか、一種のカリスマ性は感じた。もしくは王者の貫禄とでも言うべきか。

 

(同じ全国チャンピオンでも白兎とは大違いだじぇ)

 

あれ、どこからか優希の声が聞こえたような……しかも何だかイラッとすることを言われたような……

やばい幻聴か。とりあえず神からの啓示だと思って明日は優希を徹底指導してやろう。

 

「無理に信じてくださいとは言いませんよ。無名の私が勝利を主張したところで胡散臭いのは事実でしょうから。それに公式戦どころか、練習試合ですらない非公式な場での対局なので、証拠となるような牌譜も残ってないでしょうしね」

「「「…………」」」

 

受け取りようによってはお茶を濁すような内容の発言だった為か、どう反応してよいやら咄嗟に決めかねる、といった様子で黙り込む透華たち。

俺にとっては別に信じてもらえなくても構わないし、それならそれでむしろ好都合だとも言える。

大体、勝った勝ったと主張を続けたところで余計嘘くさく感じる一方だろうし、この話題はいい加減打ち切りたい。

それにそろそろ女性口調続けるのにも疲れてきた。

今まで女装はしても女性的な振る舞いを長く強制されるような状況は一度もなかっただけに、想像していた以上に気疲れが酷い。

反動で今日の夜は「おっさん雀士しろっこ」を起動させてヒャッハーしたくなる。麻雀を打つ為というよりRPG(本性解放)でストレス解消的な意味で。

そしてまたWikiの迷言集語録を増やして某掲示板で叩かれるんですねわかります。

お寒い脳内ノリツッコミをすることで己のアイデンティティー的なSAN値を回復させた俺は、話題を本筋に戻すべくやや強引な軌道修正を試みる。

 

「――で、照さんの件はさておき、先ほどは有耶無耶になったので改めて聞きますが、賭けは私の勝ち、従って取り決め通り無罪放免。この結果に依存はありませんね?」

 

会話の主導権を確立し、話題を明確にするという意図もあり、口調は丁寧なものの語調は強く問う。

俺の質問の矛先が自分に向いていることを察しよく理解した透華が、有名人・宮永照へのミーハー根性から浮ついていた雰囲気を表情から消し、きりっとした怜悧な眼差しを俺へと向ける。

透華はまるで瞳から心の裡を測ろうとでもしているかのように、じっ……と数秒ほど俺と目を合わせてから一度瞬きし、そして緩やかに口を開いて告げる。

 

「ええ。龍門渕を代表する者として、交わした約束に二言はありませんわ。貴女の身元はこれ以上問いませんし、この部屋から出て行くのもどうぞご自由に」

 

所詮は口約束、土壇場で揉める可能性もなきにしもあらずという懸念もあったのだが、それは杞憂に終わった。

しかし、透華からあっさりと約束を履行する旨の言質を与えられたことでほっと安心したのも束の間、

 

「――と、言いたいところですけれど、ここを去る前に一つだけ、教えて……いえ、確認したいことがありますわ」

 

前言を一部翻すような待ったをかけられる。

視線で「よろしいかしら?」と是非を問う透華の切実そうな様子を見て、断れる雰囲気ではないなと察した俺は、内心で嘆息しつつも「どうぞ」と頷いて続きを促した。

 

「感謝しますわ。それではお尋ねしますけれど、藤木さん――貴女は今年の大会に出場するんですの?」

「! それは……」

 

全く予想外のアプローチに、俺は即答できずに言い淀む。

なぜ今更そんなことを質問するのか。俺が偵察目的で龍門渕高校(ここ)を訪れたのはこれまでの経緯でわかっている筈。であればそんな人物が大会に出ないかもしれない、などとは普通思わないはずだ。

透華の意図に不審を抱いた俺が返答を躊躇していると、

 

「答えられないことなら答えなくて結構ですわ。というより、今の貴女の態度で答えが解ってしまいましたし」

 

何かに納得したような表情をした透華が思わせぶりなことを口にした。

俺は微かな動揺を覚えるも、鉄面皮を維持して透華の表情とオーラを観察する。そこからは揺さぶりをかけて俺を追い詰めようだとか、そういう類の小賢しい意図は読み取れない。

ただ、何かを哀れむような感情の色と、落ち着いた眼差しがあるだけだった。

いよいよもって透華の考えてることがわからなくなった。

答えを知られるのは別にいい。俺にとって秘すべき事実、それは女装してる(男である)こと、そして清澄高校の生徒であることの2点のみなのだから。

素直に真意を尋ねるべきかと思い始めたところで、透華が再び語りだした。

 

「貴女は大会に出ない――いえ、もっと正確に言えば出られない(・・・・・)のでしょう?」

「っ……!?」

「やはり図星のようですわね」

 

推測の域を超え、確信となって放たれた透華の言葉(指摘)は、これまでで最大の衝撃となって俺を激しく打ちのめした。

――まさか、俺が本当は男で、女子の大会には出られないことを見抜いた……!?

そんなはずはない、これまで性別を疑われるような素振りや仕草といった予兆は全くなかった……いや、ちょっと待て。

「大会に出場するか否か」――この質問の意図が、元から存在した”男かもしれない”という疑惑の確証を得るために、男だったら女子の大会に出られないはず(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)、という当然の論理的帰結を利用した迂遠なカマかけだったんじゃないか?

少なくとも外見は完璧な女性に見える相手に、ストレートに「貴女は男ですか? 女ですか?」なんて普通は聞けるはずもない。純あたりなら気にせず言いそうだが、お嬢様然とした透華であれば不法侵入者相手とはいえ、そんな著しくデリカシーに欠ける無作法を働くはずもない。何より、仮に色々犠牲にすることで質問できたとしても、それで相手()が素直に「はい、その通りです」なんて白状するはずがないのは馬鹿でもわかることだ。ならばどうするか? 簡単だ、俺が答えても構わないと判断する趣旨のものでありながら、間接的であっても疑惑の確証を得ることができる質問をすればいい。そして先ほどの質問はその要件を満たしてしまっている……

くっ、なんてことだ、まさか透華にこんな策謀を巡らす能力があったなんて。

安い挑発にあっさり乗ったことや、感情に素直な言動から、すっかり単純思考の箱入りお嬢様だとばかり思い込まされていた。

だが、まだ手遅れの事態には至ってないはずだ。俺が大会に出られないことを確信したとしてもそれで即座に、イコール男だから出られない、という結論に直結するわけじゃない。別の事情で出られないのだという可能性をさりげなく示唆できれば誤魔化せる余地はあるはずだ……!

俺は動揺を押し殺し、脳裏で必死に打開策を検討する。しかし、焦りもあってか良い案が全く思い浮かばない。時間だけが5秒10秒と過ぎてゆく。

表面的には落ち着きを取り繕えているものの、不自然なほど沈黙を続ける俺の態度を透華は訝しんでいるはずだ。

次に彼女が口を開くときは、疑惑を確信に変え、俺の犯罪行為や変態性癖を弾劾する台詞かもしれない――

などと戦々恐々していたら、当の透華がふと、表情を和らげたかと思うと、これまでにないくらい優しい声音で話しかけてきた。

 

「無理に否定する必要はありませんわ。わたくしも同様の経験がありますから、貴女の辛さはよく理解できますわ。大方、実力もないのに態度とプライドだけは無駄に大きい意地悪な先輩方がいて、貴女の大会出場を認めなかったのでしょう? 挙句の果てにはガードの固いわたくしどもの学校に、使い捨ての如く単身偵察を強要するなど…… 雀士の風上にもおけませんわ!」

 

ズコー!!

 

超脱力した。

椅子からずり落ちなかった自分を褒めてやりたい。

悩んで損した。やっぱり透華は透華()だった。俺の驚愕を返せ。

透華は何やら義憤めいた怒りの感情を吐露しつつ、腕を組んでぷんぷんと怒っている。おお、しかも頭頂部のアホ毛らしきものが垂直に立ってるぞ。妖怪レーダー()みたいでかっこいい。

アホな感想はともかく、一体どこから出てきたんだその謎解釈。しかも何やら同情されてる?

 

「い、いあ、それは、」

「安心してくださいまし、わたくしは貴女の味方ですわ」

 

極端な脱力の影響で一時的に滑舌が悪いだけなのだが、俺が言い難そうにしているとでも勘違いしたのだろう、透華はますます自分の推理に確信を深めた様子で、辛いことはみなまで言う必要はないといわんばかりの態度で俺の発言を遮り、斜め上の独自解釈を更に垂れ流す。

 

「実力があればあるほど上の者から妬まれ、疎まれる……さぞ風当たりが強かろうことは容易に想像できますわ。いっそのこと、そんな狭量な連中ばかりの学校など見限って、龍門渕(うち)に転校してきませんこと? 貴女でしたら諸手を挙げて歓迎しますわ」

 

止める者がいない(ブレーキ不在の)まま、透華の暴走はエスカレートしていき、遂には転校を勧められるまでに至った。

「私超良いこと言った!」と自己満足に浸ってそうな透華のドヤ顔が痛々しい。

いいぜ てめえが何でも思い通りに出来るってなら まずはそのふざけた幻想をぶち殺す!!

わけにもいかないか。さてどこから突っ込もう。女性(透華)相手に突っ込むって発言は何だかえろいな。いやむしろ思春期の中学生みたいな感想を抱いた自分にまず突っ込むべきか。下ネタ自重。

 

「とりあえず帰っていいですか?」

「いきなり帰らないでくださいまし!?」

 

いかん、めんどくささMAXでつい本音がぽろっと。

話の流れを完全にぶった切る俺の発言に、透華が慌てたように椅子から腰を浮かす。

 

「出て行くのはどうぞご自由にってさっき言ってたじゃないですか……」

「それはそうですけれど……じゃなくて、わたくしの話、ちゃんと聞いてたんですの!?」

 

不満げに俺が言うと、透華は一瞬だけ声のトーンを落として事実を認め、そしてすぐさま眦を吊り上げて激昂した。

短い間に驚いたり沈んだり怒ったり、なかなか情緒不安定なお嬢様だな。俺のせいだけど。

 

「大会出場とか意地悪な先輩の話でしたよね。えーと、大会には一応出ますし、偵察に来たのは自分の企画であって、先輩に命じられたからではありません。誤解を招く言動や態度がこちらにあったのなら謝罪します。これで納得していただけますか?」

 

要点を簡潔に、畳み掛けるように話す。

多少言葉足らずだがこの説明に嘘はない。大会は男子の方だが個人戦に出るし、偵察も自分の発案だ。

 

「……あら、そうでしたの? これはとんだ失礼をいたしましたわ。わたくしはてっきり、貴女ほどの実力者が他校の偵察などという姑息な真似をするからには、それなりの事情があったのではとつい勘繰ってしまったのですわ」

 

釈明の内容が余程意外だったのか、透華はしばしきょとん、とした表情で黙り込み、それから俺の言葉が少しずつ頭に浸透していくにつれ、自分が誤解していたことを理解したようだった。

それにしても、多分悪意はないんだろうが、謝罪の台詞に「姑息な真似を」とかナチュラルに侮蔑を混ぜてくるってどうなの。

万事がこの調子なら、透華の第一印象「友達少なそうだな」は決して的外れな認識ではあるまい。

 

「透華はちょっと思い込み激しいとこあるよね」

「だよなァ…… ま、それも透華らしいっちゃ、らしいトコだけどな」

 

両手を頭の後ろで組んだはじめが苦笑しながら透華へのフォローとも、揶揄とも受け取れる発言をし、純が呆れ笑いのような表情を浮かべてそれに同意する。

二人の透華に対しての親愛の情が窺えるやりとりだったが、当の本人は友人たちの評価に不満があるようで、唇を”へ”の字に曲げて言い訳を試みる。

 

「そ、そんな悪癖、私にはありませんわ! 今回は……そう、少しだけ予想を外してしまっただけですわ!」

 

いやいや、”少しだけ”とかいうレベルじゃないから。事実に掠りもしてない大暴投だから。

説得力の”せ”の字もない透華の主張に激しく突っ込みたくなる衝動に駆られながらも、そろそろ引き際かと頭の冷静な部分で考える。

透華たちの警戒心が薄れ、俺がここの空気に馴染んできたきたせいか、徐々にお互いが気安くなってきてるし、そういう状況で長居をするのは女装バレのリスクが大きい。

天江衣に会えなかったのは残念だが、透華のギフト所有の件を知り得たのは大きな成果だ。偵察に来た甲斐はあったと満足して去るべきだろう。

 

「どうやら誤解も解けたようですし、私はそろそろお暇させていただきます。今日はありがとうございました。それではまた、どこかの卓でお会いしましょう」

 

口を挟む暇を与えぬよう、若干の早口で一息に告げて立ち上がり、両手を腰の前で組んでぺこりと一礼する。

 

「慌しいですのね。もう少しゆっくりしていっても構いませんのに」

「藤木さんにも予定があるだろうし、あまり引き止めるのは悪いよ透華」

 

意外にも気に入られていたのか、眉根を寄せ、控えめな口調で別れを惜しむ透華を、はじめが少し苦い顔をして言い咎める。もしかしたら、はじめも本音では別れ難く思ってくれているのかもしれない。

 

「それもそうですわね。――では藤木さん、ごきげんようですわ」

「お前との対局、なかなか楽しかったぜ。暇があったらまた遊びに来いよ。じゃあな」

「ボクも楽しかったよ。どこかでまた会えるといいね」

 

諭されて素直に意見を翻した透華を始め、それぞれが口許や眼差しに一抹の寂寥を滲ませた表情で頷いてくれた。

いずれは敵同士、馴れ合いすぎても後が辛くなるしな。君子の交わりは淡きこと水の如し。ちょっと使いどころ違うか。

雀卓から1歩離れ、部室の出入口へと振り返った俺の視界に、ずっと同じ位置で控えていたハギヨシの顔が映る。

彼の表情と気配からはもはや警戒心は微塵も窺えず、それどころかむしろ優しげと言っていい穏やかな印象を受ける。透華たちとの対局や会話を観察して、俺が犯罪者のような危険人物ではないと評価を改めてくれたのかもしれない。

彼にも最初、迷惑をかけたよな……

友好的なハギヨシの態度に感化され、急に彼に対する申し訳なさが募ってしまった俺は、横切る際にちらりと精一杯の謝意を篭めた目配せして通り過ぎる。

察しの良いハギヨシのことだから、きっと俺の謝罪と感謝の意を汲んでくれただろう。

出入口に向かって歩いてゆく俺の背に、ほとんど聞き覚えのない声が届く。

 

「あ、あの! 気をつけてお帰りください!」

「さようなら……」

 

前者の声はおそらくメイド姿の子、あゆむで、小動物っぽい雰囲気が声にもよく表れている。

後者の声は小さくて聞き取り辛かったが多分智紀だろう。次の機会があれば彼女とも是非対局したいものだ。

出入口の両開き扉の前に着いた俺は、ドアノブに手を伸ばしたところで、後ろ髪を引かれるような微かな気がかりを覚える。

僅か1時間足らずの滞在でも、場所への愛着は生まれるものだな、などと感傷めいた感慨を抱きながらドアを引き開けた途端――

 

ぼふっ

 

ドアの向こう側から小さな何かがぶつかってきて、胸元に軽い衝撃を受ける。同時にやや下方から発せられた「わぷっ」という奇妙な声を聴覚が拾う。

誰かと衝突したのだと瞬間的に状況を把握した俺は、後ろによろめいて倒れようとしていた小柄な影を半ば反射的に両腕で抱き留める。我ながらGJな反射神経&早業だった。

大事に至らなくて良かったと、ほっと一息ついた俺は、腕の中にいる誰かに声をかけようと視線を下げる。そこにいたのは……

 

「――子供?」

 

頭に大きなカチューシャリボンをつけた、10歳くらいの愛らしい少女だった。

なぜこんなところに小学生のような子供がいる……?

不自然な状況に意表をつかれた俺が、少女を見下ろし、抱きしめた格好のまま硬直した直後。

腕の中の少女が僅かに身じろぎして顔を上げ、俺と目がばっちり合う。そして、瑞々しく可憐な唇を小さく開いたかと思うと、スウッと大きく息を吸い込み――

 

 

「子供じゃない、こ()もだっ!」

 




衣vs白兎戦は次回に持ち越し。
龍門渕潜入編は前後編の予定だったのにどうしてこうなった……
言い訳その①:透華・純・はじめたちの出番を用意したかった
言い訳その②:衣様出陣を盛り上げる為の溜め
言い訳その③:場当たり的に書いていたから

詳細描写を伴う対局戦は次話をお待ちください(汗)

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