咲-Saki- 天元の雀士   作:古葉鍵

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東場 第二局 九本場

悪い予想は当たるものだ。

そんな感慨を抱く一方で、心のどこかでこの事態を歓迎する自分がいることに気付き、胸中で苦笑する。

ギフトの覚醒を終えた透華の表面上に際立った変化はなく、むしろ誰よりも落ち着き、静穏な佇まいでいる。

――いや、良く見たら瞳が別物に変わっているな。これは……龍眼、か?

龍眼とは、名の示す通り龍の瞳のことだ。伝承では龍の血を引く人間、人間に変身した龍などにその外見的特徴が語られていたりする。透華が真実、龍の血を引く系譜かどうかはともかくとして。

一種の魔眼であるが、浄眼のように特定的な能力を備えているわけではない。単に外見的な一要素でしかないようだ。

しかしそれは、霊視能力を持たない者には捉えられない変化であり特徴だ。俺から見た透華の瞳はまるで蛇のように瞳孔が縦に裂けているが、この場にいる他の者には人間の瞳に見えていることだろう。

龍眼より、むしろ驚くべきなのは内面の変化だ。感情のオーラがまるで澄んだ水のように透徹した無色になってる。

こんなオーラ初めて見た。明鏡止水ってレベルじゃねーぞこれ。ノンレム睡眠時でもここまで無色にはならない。強いて言うなら限りなく無機質な感情、といったところか?

というか人間離れしすぎててぶっちゃけ怖いんですけど。

 

「トーカ……?」

 

透華の変容に気付いたのだろう。衣が訝しむような眼差しを透華へと向ける。

しかし透華は衣の声が聞こえていないかのように、何の反応も示さない。

 

「もしかして、冷たい透華……なの?」

 

智紀の背後で、顔をやや険しくしたはじめが躊躇いがちに呟いた。

確かに態度は冷たいが、口ぶりからしてそういう意味ではないのだろう。

はじめの隣にいた純が、「えっ」という顔をしてはじめに話しかける。

 

「ソレ、前に国広くんが言ってた、去年インハイ準決時の透華のこと?」

「うん。あのときと様子が似てるんだ」

 

二人の会話は透華にも聞こえているはずだが、表情筋をピクリとも動かさず完全スルーだ。極度の集中によるものとも取れるが、それにしたってこれは度が過ぎている。

天理浄眼で得られた内容にもそういった情報はなかった。しかし原因がギフト覚醒にあるのは間違いない。推測するに、人格変化はギフトの副作用といったところか。

まあ体調や精神に悪影響を及ぼすものではない、ハズ。

とりあえず話がこじれて対局が中断される前にフォローしとくか。

 

「どうやら私や天江さんのような特殊能力に目覚めて、精神に影響が出ているようです」

「それはフジキの見鬼によるものか?」

 

透華から俺へと視線を移し、衣はこれまでになく真剣な表情で訊ねた。

 

「ええ。対局が終われば元に戻るでしょう」

「……そうか」

 

俺の言葉を信用したのか、ほっとしたように表情を明るくする衣。

 

「多分ですが」

「「「えぇーっ」」」

 

俺の余計な一言に皆がガクッと脱力した。

 

「すみません、冗談です。察するに以前も一度、この状態になって元に戻ったんでしょう? であれば前例もあるし大丈夫ですよ」

 

悪びれない笑顔で弁解すると、周囲から恨めしげな視線が突き刺さった。

 

「イイ性格してるぜホント……」

「はぁ……感心して損したよ」

「……絶対に許さない」

 

純とはじめが呆れた様子で文句を言い、智紀が無表情でこちらを睨む。

衣だけが「フジキは面白いな!」と暢気に笑っていた。

 

 

 

そんなこんなで、透華の様子に皆が一抹の存念を抱きつつも対局が再開された。

俺の予想通り、対局が再開してからこちら、透華はきちんと配牌や理牌を行っている。一言も喋らず、表情が平坦なのは変わらずだが。

感情のオーラ色が見えないだけに、淡々と手だけ動かす様はひどく機械的で、正直不気味だ。

個性的ではないギフトなんぞ存在しないが、その中でも透華のギフトは特殊すぎる。無論超常系だ。

対局者4人中3人が超常系ギフトの持ち主とか、通常の範疇を逸脱して麻雀の体裁を成した超能力バトルになりかねない。まあ一番ヤバイ超能力使ってる俺にそれを危惧する資格はないが。

それはさておき、ギフトを発動させた透華からは対局者を圧倒するようなオーラが感じられない。そのせいか、衣は透華の脅威を正しく認識してなさそうだ。

治水龍眼(ちすいのれいがん)》と名付けた透華のギフトは既に効果を発揮している。

 

【手牌】{五①②④⑥⑧2東西白発発中} {二} ドラ指標牌:{⑥}

 

……これはひどい。

五向聴なのもそうだが、出力全開じゃないとはいえ元始開闢込で三元牌が4つしか来ないとは。

治水龍眼によって元始開闢の支配力が侵食された結果だ。

治水龍眼の能力は支配系と妨害系の2種類。

 

支配系は”場を静穏に保つ”能力。十全に機能すれば誰も副露できなくなる。

いささか地味な印象だが、支配が破られる(鳴かれる)と効果が反転する上に支配力が極大化するという、厄介な副次効果もあるので軽視はできない。

治水が破れ、決壊した大河(支配力)の激流はまさしく龍の逆鱗に触れたが如し、といったところか。

ただそうなった場合、代償にしばらく支配力が極端に低下するようだ。

妨害系はいささかシンプルな効果で、他者の支配力を無効化するというもの。効力程度は対局者が河に捨てた牌の数に依存するが、配牌時点で既に相当な影響を受けているように感じる。

総評すると、治水龍眼は応用力にやや欠けるものの、元始開闢の支配に対抗できるほど総合的な能力強度が優れていると言える。

 

ふと思ったが、透華って雀姫の天敵ではないだろうか。鳴かないと真価を発揮できない雀姫の求鳳吹鳴(ギフト)では治水龍眼と相性最悪だろう。

そう考えると、雀姫ほどじゃないが咲も相性悪いな。個人戦はともかく、団体戦では透華が大将じゃないといいが。

 

元始開闢が機能不全に陥っているとはいえ、天理浄眼がある限り俺のアドバンテージは揺るがない。

いざとなれば元始開闢の出力を全開にしたり、天理浄眼で能力封印すれば万が一の敗北もないと思うが、ある意味それをしたら負けである。

 

透華の覚醒というイレギュラーにどう対応すべきか少々迷ったが、初志貫徹することに決めた。つまりは様子見だ。

確実な勝利の為にもう一度連荘して衣との点差を縮めておきたいが、治水龍眼の特性を考えるとそれはいささか不味い。

何が不味いかと言えば、和がる為に鳴いてしまうと治水龍眼の副次効果により透華が一時的にパワーアップ、そして次局以降、治水龍眼が機能不全に陥ることだ。それでは観察の意味がない。

それなら副露せずに和がればいいだけの話だが、それだと透華が先に和がってしまいそうだ。

副露不可ということは、鳴いてツモ順をずらすといった妨害もできなくなるから手の打ちようがない。

要するに今局は和了を諦めて傍観に徹するしかないというわけだ。

まあトップの衣との差は約一万点、この程度なら1、2回の和了で逆転可能な範囲。なんとかなるだろう、多分。

 

あまりにも起伏に欠ける内容だったので過程の説明は省くが、結果だけ言うと透華が8巡目でダマテンからツモ和がりを決めて終わった。

 

「ツモ。1400・2700」

 

抑揚の欠けた声で簡潔に和了宣言をする透華の印象は、ギフト覚醒前の彼女とはまるで別人だった。

 

【和了:龍門渕透華】{五六七②③③③④⑥⑦456} {⑧(ツモ)} ドラ指標牌:{⑥}

 

■門前清自摸和:20符4翻 5500

白兎:28000(- 2700)=25300

智紀:11900(- 1400)=10500

衣 :43300(- 1400)=41900

透華:16800(+ 5500)=22300

 

 

リーチをかけて和がれば満貫以上にできただろうが、そうしない理由は治水龍眼の制限ゆえだ。それは満貫以下の役でしか和がれないというもの。下手にリーチして裏ドラが乗ってしまうと、跳満以上の役になりかねない。その場合代償として次局以降支配力が激減してしまう。

高い役を狙えないのはいかにも厳しい制約だが、逆に言えば基本性能がそれだけ強力なギフトだという証左に他ならない。照さんの照魔鏡がそうであるように、制限が厳しいギフトほど恩恵も大きいのだから。

 

「……大丈夫そうだね」

「この面子相手に速攻とか、やるなあ」

 

はじめと純がそれぞれ安堵と感心の表情で言った。透華への危惧は今の一局でほぼ消えただろう。

観客の反応はともかく、対局者としては別の意味で透華に対する危惧を抱くところだが、衣はニコニコ上機嫌だし智紀は一番ピンチなくせにイマイチ危機感がなさそうだ。

 

 

 

南場第二局。

14巡目、透華がまたしてもダマテンからツモ和がりして終わった。

 

【和了:龍門渕透華】{九九④④1234赤56789} {九(ツモ)} ドラ指標牌:{東}

 

■門前清自摸和:30符4翻 2000・3900

白兎:25300(- 2000)=23300

智紀:10500(- 3900)= 6600

衣 :41900(- 2000)=39900

透華:22300(+ 7900)=30200

 

 

対局内容は前局と同じく、和了までの道程が平坦すぎて語るべき点があまりない。誰も鳴かない、鳴けないから、淡々と牌をツモって捨てるだけの対局になる。

強いて特筆するなら、総合的な支配力の綱引きで俺に負けているにも関わらず、治水龍眼がそれなりに効果を及ぼせている点だ。まあ僅差の優勢だし、影響を完全に排除できないのは仕方ないのかもしれない。

 

今局は俺が先に和了る事もできたが、透華の観察に徹した。そうした理由は、透華の配牌や山牌の配列がイマイチで、前局より長く観察できそうだったからだ。

ちなみに衣は俺どころか透華にもギフトの支配力で劣っているので、半ば完封状態である。せめて今が満月の夜であれば話は違ったかもしれないが。智紀は……言っちゃ悪いが蚊帳の外だ。

ギフトホルダーとしてはルーキーもいいとこなのに、思いのほか透華が手強い。というか、ギフトの恩恵を抜きにしても、人格変貌前より今の方が素で強い。性格の良し悪しはともかく、実力で見るならまさに一皮むけた状態だ。いっそSEED覚醒透華と呼んでやろう。

 

冗談はさておき、これ以上の様子見は許容できない。点数的に智紀が再びハコテンの危機だし、トップ()との倍満ほどの点差を埋めるにはチャンス1回では確実性に欠ける。

次局はきっちり和がり、残り二局で勝負を終わらせることを決めた。

 

 

 

透華の連続和了によって、治水龍眼の支配力は元始開闢に拮抗するほど高まっている。

おかげで配牌がすこぶる悪い。

 

【手牌】{一四六九②⑤458北発中中} ドラ指標牌:{⑧}

 

またしても配牌で五向聴とか、淡との対局を彷彿とさせる。もっとも、淡のギフトは治水龍眼よりもっと直接的な影響を配牌へと及ぼすが。

まあ多少配牌が悪かろうと和了自体は容易である。問題なのは、この手牌からではどう頑張っても安手にしかならないことだ。

流局直前まで打てるなら満貫以上も可能だが、恐らくその前に透華が和がってしまうだろう。火力と速度が両立する範囲で打たなければならない。

そしてそれ以上に重要なのが、鳴いて治水龍眼の支配を破ることだ。

その場合、治水龍眼のスペックが一時的に上がってしまうが、オーラスで透華をほぼ無力化できる。

 

天理浄眼で盤面の状況を把握・考察しつつ慎重に打つ。とはいえ手を止めて長考するほどではない。

4巡目で衣が{中}を河に捨てる。当然俺はそれを狙っていた。

 

「ポン」

「!」

 

俺の宣言に、初めて透華の表情に動揺のような感情が一瞬浮かんだ。

一見、何の工夫も変哲もない副露。しかし元始開闢の干渉なくしてこの結果はなかったと断言できる。治水龍眼の妨害効果は強烈だが、元始開闢の支配力を完全に凌げるものではない。

 

「……報いを」

 

小さな声だが、はっきりとした口調で透華が呟いた。

ギフト覚醒後、透華が初めて対局に関わる以外の発言をしたことに驚き、皆が目を丸くした瞬間。

透華の龍眼に霊光のスパークが迸った。纏うオーラが爆発的に膨れ上がり、波濤の如く卓上を覆い尽くす。

 

「「「!!」」」

 

俺が元始開闢を開放した時と同じ――

いや、その時以上のプレッシャーを受け、皆の顔に戦慄が走る。

俺だけは表面上動じずにいられたが、事態を予測していなければ思わず眉を顰めるくらいはしてただろう。

 

「ち、今度は何が起こりやがった……!?」

 

皆の心境を代弁するように、純が真っ先に疑問を口にした。

 

「……フジキが、トーカの逆鱗に触れた」

 

透華へと厳しい眼差しを向け、衣が答えるように言った。

「何……?」と、純が訝しむような声で聞き返し、俺と透華を交互に見やる。

まさしく透華の状態は衣の指摘した通りであり、俺のような能力(天理浄眼)なしに一瞬でそれを見抜いたのは慧眼としか言いようがない。

とはいえ流石に詳細全てを理解できたはずもなく、衣はそれきり口を噤んだ。

見解の投げっ放しだったが、純はそれ以上追求せず微妙に納得のいかない表情のまま観戦に戻る。一局が終わった合間ならまだしも、対局中に会話を求めるマナー違反を弁えているからだろう。

実際、動揺や困惑から回復した智紀と衣の視線は卓上へと戻り、僅かな停滞を経て対局が再開されていた。

 

至極当然のことだが、対局中に支配力が増大したからとて、その途端に手牌や山牌の配列までが一変するわけではない。

ギフトやセンスがいくら超能力じみてるとはいえ、触れもせず牌の位置を入れ替えるような超常現象は起こせない。

無論それは天理浄眼で全ての牌が視えているからこそ言えることだが、もし俺という観測者がいなければそういった不条理が起こり得るかもしれない、と考えたことはある。

量子力学の思考実験《シュレーディンガーの猫》で有名な”自我を持つ者に観測されていない状態であれば、あらゆる可能性が偏在する”というやつだ。

しかしながら俺は別の仮説も立てている。

超常能力は時間を遡って対局に干渉し結果を成立させる、という考え方で、《因果可逆現象》と名付けている。

具体的には、対局中に超常能力が発動ないし支配力の天秤が大きく傾いた場合、局開始時点にまで時間を遡って影響し結果を変えてしまう、というもの。

要するに限定的な過去改変であり、リーディング○シュタイナー(自意識時空超越能力)でも備えてなければ認識も証明も出来ないわけだが。

 

俺の仮説が正しいかどうかはさておくにせよ、真実本気を出した透華の力は凄まじいの一言に尽きる。

全開でないとはいえ、元始開闢の支配力が完全に押し負けるのは初めての経験だ。これを上回るにはこちらも本気で支配力を開放する必要がある。

妨害系能力も含み評価すれば、限定的ながら治水龍眼のスペックは元始開闢に匹敵しているかもしれなかった。

 

さて、これからどうなるか……。

支配力の綱引きで負けても、天理浄眼がある限り俺の有利は動かない。少なくとも、今局に関しては俺の方が2巡ほど先に和了できる見込みだ。

もっともそれはあくまで予測であり、他対局者の出方や透華の行動次第で覆せる可能性はある。

しかしそのためには未来視の如き精度の読みが必要となる。天理浄眼のような能力もなしに実現できるとは思えないが……。

しかし透華にこれといった動きはなく、対局が静かに進む。

――何も仕掛けてこないつもりか?

そう訝しんだ頃。7巡目に智紀が対子落としで{南}を捨てた。

 

「ポン」

 

待ってましたとばかりに透華がそれを河から掬い上げた。

ちっ、予想より崩すのが早い……!

配牌の時点で場風牌を2枚所持していれば、狙う役との兼ね合いにもよるが、普通は刻子に揃えることを視野に入れて持ち続ける場合が多い。

今回は透華と智紀が配牌時から{南}を2枚ずつ所持していたので、どちらが先に捨てるかという一種のチキンレース状態だった。

智紀の手牌やデジタルな打ち筋から見て、3枚目を手に入れられる可能性に見切りをつける場合は早くて9巡目以降だと推測していた。しかし見事に予想は外れた。

この歯車の狂いは、果たして透華によって引き起こされた事態だと考えるべきか、否か。

自身の判断を過剰に正当化するつもりはないが、治水龍眼の影響だと考えた方が無難だな。

透華は未だ二向聴だが、油断は出来ない。

 

【透華】{二三①①②③⑤⑧⑨⑨} {南横南南}

 

警戒心を高めつつ山牌に手を伸ばし、掴んだ牌を一顧だにせず河に捨てる。不要な牌だったからだが、透華が鳴かなければ8巡目で俺がテンパイするはずだった。

この程度の齟齬は往々にして起こり得るが、これも透華の企図した結果だと考えるべきだ。

それならそれでこちらにも打つ手はある。

 

【手牌】{四六⑤⑥445688} {中横中中}

 

「ポン」

 

直後に智紀の捨てた{8}を手に入れ、雀頭予定の対子を刻子にする。三色狙いを崩し、河に{六}を捨てる。

三色同順は比較的成立しやすい役だが、必要な牌が限定される分、狙いが窮屈になる。予定していた牌を取り逃した以上、三色に固執するのは逆にデメリットが多い。

透華がピンズ染めの混一色(ホンイツ)を狙っており、衣や智紀からもソウズの放出が多い。透華を牽制する目的も兼ねて俺はソウズ染め混一色へと狙いを切り替えた。

 

「チー」

 

しかし敵もさるもの。9巡目、今度は透華が衣の捨てた{⑦}を鳴き、{⑤}を場に捨てた。

マンズを捨てない、か。俺の狙いを警戒して混一色の組み立てを止めた可能性があるな。

その予測を裏付けるように、透華の攻勢が続く。

 

「チー」

 

俺のソウズ染めと透華のピンズ染めを警戒したのだろう、10巡目に衣が{一}を捨て、透華が拾い上げる。

透華が河に捨てた{①}を見て、俺は意表を突かれた思いで目を細めた。

両面待ちを捨てて{⑨}単騎待ちか……。

ドラを重視するなら、鳴かずに対子のままにしておいた方が雀頭や刻子も狙えたし手広かったはずだ。

そう考えるといささか場当たり的というか、ちぐはぐな感がある。

しかも、{⑨}は序盤で既に1枚捨てられているので、残るはラスト1枚。打ち筋の根拠を感性に頼るギフトホルダーにとって、合理性はさほど必要としないが、決して無意味というわけでもない。

残る山牌に{⑨}が存在するのは天理浄眼で確認済みだが、位置は生憎次ツモと直後で、つまり俺に入る。いくらソウズ染めを狙ってるとはいえ、俺が捨てるはずも――いや、違う!

 

「ポンっ」

 

俺が可能性に思い至ったのと、衣が副露宣言をしたのはほぼ同時だった。

{①①②③③}と、一盃口狙いと思われた衣がそれを崩して鳴いたのだ。

なるほど、{②}は既に俺が1枚捨ててるし、ギフトホルダーである衣なら別の可能性を感じ取って一盃口を捨ててもおかしくはない。それとも、支配力がもたらした必然と見るべきか。

俺は素直に今局の敗北を認め、手牌全てを伏せるように倒した。対面の衣が不審そうな表情をするのと同時、透華の声が被る。

 

「――ツモ。3000・6000」

 

【和了:龍門渕透華】{①②③⑨} {(ツモ)} {横一二三} {横⑦⑧⑨} {南横南南} ドラ指標牌:{⑧}

 

■自摸和:30符6翻 跳満 3000・6000

白兎:23300(- 3000)=20300

智紀: 6600(- 3000)= 3600

衣 :39900(- 6000)=33900

透華:30200(+12000)=42200

 

 

「おおー」と皆から感嘆の声が上がった。俺だけは無言だったが、胸中は悔しさではなく新鮮な驚きに満ちていた。

お見事、という他はない。ギフトがオーバーブースト(限界突破)していたとはいえ、一時的にでも俺を上回るとは。手加減しても勝てるなどと侮っていた傲慢を認めなければなるまい。

だがしかし”元始開闢は全開しない”縛りを止めるつもりはない。

それはそれ、これはこれだ。何より今更全力出しますってカッコワルイしなあ。

誰へともなく内心で言い訳してると、ほどなくして透華のオーラが急激に薄まり、虚空に融けるように霧散してゆく。

逆鱗時間(エンペラータイム)が終わったか……。

僅かな疲労感を覚えつつ、俺は点棒を透華の近くに置く。同様に衣と智紀も点棒を差し出したが、透華は茫洋とした眼差しを卓中央へ向けるばかりで一向に仕舞おうとしなかった。

 

「……トーカ?」

 

訝しんだ衣の声が切っ掛けとなったか、ぱちくりと透華が瞬いた。

 

「ハ……ッ!!」

 

まるで悪夢の眠りから目覚めた直後のようなしかめっつらで、透華が正気づいた。

見れば龍眼の瞳相が消え失せており、目に意志の光彩が宿っている。

ギフト休眠に伴い、人格も元に戻ったのだろう。

 

「わ、わたくし……一体何を……してましたの?」

「透華……元に戻ったの……?」

 

もしやギフト覚醒中の記憶がないのだろうか。

惚けた発言をした透華に、はじめが心配して声をかけた。

 

「元に……? 一体何の事ですの?」

 

自身に異常が起きていたという自覚がないのか、透華は眉を顰め不思議そうに問い返した。

しかし返答を待つ暇もなく、透華はハッとした表情になって俯き、自問するかのように呟く。

 

「いえ、それよりも……まさか私、対局中に居眠りして、夢を……?」

 

俺は狼狽する透華の内面状況を概ね察した。どうやら、ギフト覚醒中の記憶を夢という形で認識・記憶しているらしい。

俯いたまま「まさか私に限ってそんなこと……ありえませんわ……」などとぶつぶつ呟いている透華の様子に、はじめたちは困惑して声をかけるのを躊躇っているようだった。

見かねた俺が理解しやすいように説明する。

 

「夢じゃないですよ。龍門渕さんは集中の余りトランス状態に陥り、そのまま打ってたんです。記憶が曖昧なのはそのせいですよ」

 

俺が声をかけると、透華はゆっくりと顔を上げ、縋るような眼差しを向けてくる。

 

「で、でしたら、夢の中の出来事のようにぼんやりとした対局の記憶は……」

「現実に起きたことです」

「そう……ですの……」

 

対局中に居眠りという、雀士にあるまじき失態を犯したわけではないと知って安心したのか、透華は気が抜けた様子で「ほーっ」と深く息を吐いた。

 

「それにしても、自分の事とはいえ一体どうしてこんなことに……」

 

完全に落ち着きを取り戻した透華が、頭頂部のアホ毛をぐんにょりとヘタらせて呻くように言った。

透華の半ば愚痴のような発言に、衣がニヤリと笑って反応する。

 

「トーカはフジキという常ならざる勁敵と相まみえたことで悟りを開いた」

「さ、悟りですの!?」

 

衣の言った内容は概ね正鵠を射ていたが、言い回しが無駄に難解でインパクトもあり、透華は再び混乱したようだった。

 

「いやいや。悟り違うし。むしろ超能力だし」

「「「超能力!!?」」」

 

思わず素で突っ込んだら、言葉尻に予想外の反響が。

失言を悟った俺は慌ててフォローする。

 

「あー、ええとですね。物のたとえというヤツです。運がやたら良いとか、なんとなく欲しい牌がどこにあるか分かるとか、そういう類の能力を指して言いました」

 

流石に誰も、電撃放ったりテレポートしたりするいかにもな超能力の存在を本気で信じるはずはない。

俺が釈明すると皆は脱力したように肩を落とした。

いち早く気を取り直した純が腕を組み、やや気取った態度で言う。

 

「ま、それはあるよな、確かに」

「うん。特に衣とかそうだよね」

 

はじめが同意してうんうんと頷くと、衣が二人の方へ勢いよく顔を向けて憤懣を露わにする。

 

「神通力なんかと一緒にするなっ。衣は少し特別なだけだっ」

 

や、ギフトは純然たる超能力ですから。しかも麻雀限定じゃないですから。実際、自慢じゃないけど天理浄眼とかエクソシストや陰陽師も真っ青なレベルで退魔除霊が可能だったりするし。

センス程度なら「人よりちょっぴり勘が良いだけ」なんて言い訳もできるんだけどな。

 

「他人の能力(ちから)が解るという藤木さんの能力も、つまりはそういうことですの?」

 

自分も関わりがあるためか、興味深そうな面持ちで訊ねてくる透華に俺は可能な範囲で回答する。

 

「ん? ええ。そうですよ。あまり詳しくは語れませんが、人並み外れた洞察力のようなものだと考えていただければ」

「なるほど……。では、私のはどういった類の能力だとお見受けされたんですの?」

「そうですね……多分に感覚的な把握なので言葉にしづらいですが、強いて言うなら”治める能力”です」

「治める……?」

 

言葉が端的過ぎてピンとこないのか、透華は頭を傾げた。

まあ「言葉にしづらい」というのは嘘で、もっと具体的に説明しようと思えばできる。

ただそうすると己のギフト(治水龍眼)への理解が進み、透華が大化けする可能性が高いんだよな……。

県予選優勝の為とはいえ、何ともせせこましい悩みだ。個人的な動機で言えば、同世代の強敵となり得る透華には強くなってもらいたい。

結局、利他と利己の中間点で妥協することにした。要するにもう少しだけ詳しく説明してもいいかな、という判断。

あまりに詳細すぎても「いくらなんでもそこまで解るのはおかしい」と逆に胡散臭く思われそうだし。

 

「別の言い方をすれば、”静かな対局を強制する能力”でしょうか」

 

今度はまだしも理解しやすかったのか、透華は折り曲げた指を口元に当てる仕草で考え込む。

 

「……何となくは理解できましたわ。具体的にはさっぱりですけれど」

 

言葉の咀嚼に数秒ほど時間を費やしてから、透華は微妙な表情を浮かべて言った。

具体的にさっぱりなのを理解できたとは言わないと思うが、細かいことに突っ込むのは野暮ってものだろう。とりあえず自分に特殊な能力があると自覚できればそれでいい。

理解し活用したいという意志があれば、いずれ自在に使えるようになるだろう。多分。

とはいえ、正直なところ透華のギフトは特殊すぎて扱いに多大な難があるように思えてならない。

いくらなんでもギフトを使う度に管制人格? に切り替わるのは不便というか弊害がありすぎる。

二重人格能力とか、中二病的にはワクッと来る要素なんだがなあ。

 

「ま、こういった能力はおしなべて”考えるな、感じろ”ですから、深く悩む必要はないかと」

「そんな適当な認識で良いんですの……?」

「大丈夫だ、問題ない」

 

やや呆れた様子でジト目を向けてくる透華に対し、俺はキリッとした顔で請け負った。

 

 

 

南場第四局、いわゆるオーラス。親である透華が和がっても、恐らく連荘せず終局を希望するだろうからほぼ間違いなく最後の一局となる。

透華が素面(しらふ)に戻り、卓上の支配権は再び元始開闢が掌握している。

衣の晦冥月姫(ギフト)とて無力ではないが、治水龍眼のような爆発力がないので脅威とまではいかない。ギフトホルダー以外なら無双できそうな能力ではあるが。

問題があるとすれば点差だ。1位の透華をまくるためには跳満以上の直撃か、倍満以上でツモ和がりしなくてはならない。

配牌が終わり、半ば無意識の手つきで理牌しながら方策を思案する。

 

【手牌】{二三八九九1白白発発発中中} ドラ指標牌:{三}

 

三元牌が揃っているが、元始開闢の制限解除条件を満たしていないので大三元は作れない。天理浄眼を併用すればなんとかなるが、制限を破ると反動(ペナルティ)が恐ろしいことになるのでやらない。

ここは”大が無理なら小でいいじゃなーい”作戦で行くか。

 

静かな緊張感を孕みながら、対局は粛々と進む。

高目を狙わなければならない為、いつものように序盤で速攻和了とはいかない。

一方、トップの透華は安手でも和がりさえすれば勝利なのに、見たところ手を高めようと苦心している。

察するに、ギフト覚醒中に成した結果に納得がいってないからだろう。透華にしてみれば別人が代打ちして点を稼いでくれたようなもの。そんな経緯で勝てても、嬉しいどころかプライドを損ねるに違いない。

誇れる勝利を目指す透華の姿勢は非常に好感が持てたが、心映えや努力が必ずしも報われるとは限らない。

衣のギフトが悪さをしているのか、透華と智紀の手は伸び悩み、中盤頃から一向聴のまま進展しなかった。

 

13巡目、作戦におおよその目処が立った俺は、余り牌として残しておいた{赤⑤}を場に捨てる。

 

「ポンっ!」

 

待ってましたとばかりに勢いよく衣が副露を宣言した。

衣が確実にトップを取る為には30符四翻以上でツモるか、跳満以上で栄和する必要がある。

9巡目からタンヤオドラ1でテンパイしていた衣は、ドラを増やし海底撈月で和がることを選択したようだ。

俺が企図して利敵したのは、衣の出方を確認し誘導するためで()あった。

衣が鳴いた直後、ツモ牌を掴んだ透華がアホ毛をピーンと垂直に立たせたかと思うと、くわっと顔をいからせた。

 

「リーチですわっ!」

「!」

 

透華の宣告に、衣は意表を突かれたような表情で僅かな動揺を示した。

それは恐らく、トップを守るだけで十分勝機のある透華が、オーラスの終盤に差し掛かってわざわざリスクを犯すとは思ってなかったからだろう。常考すればそれは正しい判断であり認識と言える。

だが俺は、透華の”自分の力で勝ちたい”というモチベーションを重視していた。とはいえ俺も正直、透華がリーチしてまで高目を狙う確率は低いと見積もっていたが、個人的にはこちらの方が好都合である。

付け加えれば、透華が衣の支配から抜け出してテンパイできたのは俺の仕込みである。まあ単に衣が鳴くように仕向けてツモ順をずらしただけだが。

俺の見立てでは透華の和がれる可能性は皆無と言って良く、衣の支配から抜け出せない智紀は一向聴のままツモ切りに汲々としている。

手の内を完成させた衣は、予想外の行動を取った透華にほのかな警戒心を向けながらも、海底牌に向けて流し打つのみだった。

打牌する衣の淀みない手つきには一片の迷いも感じられない。俺はその自信に溢れた所作を冷徹な眼差しで眺めながら、胸の裡で独りごちる。

 

――衣よ。己が感覚を盲信するあまり、自ら打ち筋を狭めているのがお前の弱点だ。ギフトに依存して打つだけでは、ギフトホルダーとして二流だと知れ。

 

「カン」

「っ!?」

 

17巡目、衣の捨て牌に俺が副露(ミンカン)を宣告すると、衣は打牌後未だ卓上に伸ばしたままの右腕をびくりと硬直させ、驚愕に顔を歪めた。

衣が一巡後の勝利をほぼ確信した直後のどんでん返し。これで衣は海底コース(牌獲得)から脱線した。

徐々に焦燥へと表情を変える衣からは内心の激しい動揺が伝わってくる。もはや形勢を変えられる余地がないことを理解できたのだろう。

見た目幼女の衣が苦汁を噛み締めている様子に一抹の罪悪感を抱かぬでもないが、敗北の味を教えることも先人の務め。

衣の打ち筋を知っている透華や智紀も海底成立の可能性は考慮していただろう。それが土壇場であっさり覆されて少なからず驚いたようだった。

俺の打ち込んだ楔を誰も抜けないまま、手番はぐるりと一周する。

海底牌を掴みとった透華が、一縷の希望を絶たれてがっくりと肩を落とした。当たり牌ではなかったためだ。

俺が鳴いたことでツモ順がずれたが、海底牌もカンによって別牌になっている。仮に海底牌を得たのが衣だったとしても、海底撈月を和がれはしなかっただろう。

 

「流局ですわね……」

 

気の抜けた表情で呟いた透華は、力なく海底牌を河に置く。

波乱万丈な対局の最後は、何とも締まりのない幕切れに終わった。

 

――と、俺を除く全員が思ったことだろう。

 

 

「ロン」

 

 

刹那、時間が切り取られたかのように全てが停止した。

空気すらも凍りついたような静寂を破り、俺は宣言する。

 

 

「小三元、混一色(ホンイツ)、役牌2、混全帯九公(チャンタ)、ドラ3、河底撈魚(ホーテイラオユイ)……24000です」

 

 

【和了:発中白兎(藤木)】{二三白白発発発中中中} {(ロン)} {九横九九九} ドラ指標牌:{三白}

 

■栄和:60符11翻 三倍満 24000

白兎:20300(+24000)=44300

智紀: 3600

衣 :33900

透華:42200(-24000)=18200

 

 

 

劇的とも言える終局に、全員が揃って呆けたような顔をしている。

成立役が多数に及んだため、俺は役の一つ一つを読み上げて点数を告げた。

その間に理解が浸透したのか、ようやく部室内に音が戻る。

 

「はぁーっ……降参ですわ」

 

深いため息をついて、透華が観念したように言った。

俺はフッと表情を緩めて、

 

「勝負は私の勝ちですね」

 

嫌味にならない程度に勝ち誇った。

透華から点棒を受け取った俺は、多少の疲労を感じて椅子の背もたれに体重を預ける。

 

「負けたけど、フジキとの麻雀は楽しかったぞ!」

 

晴れ晴れとした笑顔で衣が言うと、触発されてか他の者たちもワッと騒ぎ出す。

 

「まるで衣のお株を奪うような打ち回し――。お見事でしたわ」

「……完敗」

「おまえ、底が知れなさすぎだろ」

「途中の透華も凄かったけど、藤木さんも大概非常識だね……」

 

皆の賞賛めいた発言に俺は控えめな微笑で応じる。

褒められるのは素直に気分がいい。女装シチュでなければ、お嬢様方の尊敬と好感を勝ち得たのに惜しいことだ。

 

 

 

2回の対局を経て、一定の敬意と友情を勝ち得た俺は皆としばし歓談を楽しんだ。

といっても内容はほとんど対局に関した話題だったが。

透華がギフト覚醒中に打った牌譜を読んで「こんなの私じゃありませんわッ!! 却下ですわっ!」と憤慨したり、半荘オーラスで河底を和がれた理由を訊かれて「神の声に従ったまでです」と真面目な顔で言ったら滑って唖然とされたりと、なかなか盛り上がった。

とっつきにくそうな個性が揃っている割には、打ち解けてみると気のいいお嬢様たちだと知った。

気を使ってくれたのか、俺の正体を詮索するような質問や話題はほとんど出なかったが、思わぬ縁から危うい話題になったりもした。

 

 

 

「僅かな時間とはいえ、友誼を交わした方の名も知らぬまま、というのは寂しいですわ。仮初のものでも構いませんから、貴女の証となるお名前を教えていただけませんこと?」

 

雑談も落ち着いた頃、透華はやや切なげな口調でそう切り出した。

透華の意見は至極もっともで、抱いて当然の希望だった。

しかし、名前、名前か……。白姫は語呂が悪くて使えないしな……。

逡巡して黙り込む俺の態度を、気分を害した為だと誤解したのか、透華が少し焦ったように補足する。

 

「もちろん、藤木さんの事情は理解しておりますし、今更詮索する意図はありませんわ」

 

透華の勘違いが可笑しくて、俺は思わずククッと含み笑う。

この場限りの偽名に悩むのは虚しいと気付いた俺は、本名を明かせぬ申し訳なさを感じながら告げる。

 

「名前は、白子(しろこ)。藤木白子です」

 

とりあえず思いついたのは、我ながら安直すぎる名前だった。

偽名だということは弁えているだろうが、それでも透華は嬉しそうに顔を綻ばせた。

 

「白子さんですわね。覚えておきま……あら? その名前、最近どこかで……」

 

台詞の途中で何かが引っかかったのか、透華は怪訝な表情を浮かべた。口元に手を当て、思案顔で何やらぶつぶつ呟き出す。

 

「白子……しろこ……しろ、こ……」

 

いきなり内面に没頭し始めた透華を呆気に取られて眺めていると、透華は唐突にがばっと顔を上げた。

 

「藤木さん、つかぬことをお聞きしますけれど、ネット麻雀をご存知でして!?」

「は? え、ええ、はい。存じてますし、実際にプレイもしてますが」

 

鬼気迫る表情で訊ねてくる透華。その勢いに呑まれ、俺は深く考えず素直に答えた。答えてしまった。

 

「で、でしたら! 《しろっこ》というプレイヤー名に心当たりはないですの!?」

「え”」

 

ちょ、なぜ透華がその名前を……!?

真実の一面を抉る質問に硬直する俺。自分では解らないが、顔には「ギクッ」という擬音が大文字で書いてあっただろう。

後になって省みれば、このときの俺は油断していたというか、気を抜きすぎていた。友好的な空気に中てられて、すっかり警戒心が緩んでしまっていたのだ。

透華が《ネット麻雀》という単語を出してきた時点で警戒し、「知らない」と興味なさげに答えておけば何もなく終わったのに……。

しまった、と気付いた時には既に手遅れだった。

 

「やはり心当たりがおありですのね。わたくし、”白子”という名前でピンときましたわ。もしや白子さんは、ネット麻雀界の旗手・しろっこさんと関わりのある方ではないかと!」

 

慎ましい胸を張り、己の推理を得意げに語る透華。

まさか《ネット雀士しろっこ》のネームバリューがこんなところにまで浸透してるとは。嬉しくはあるが、素直に喜べないな。

 

「……それさ、関わりがあるというか、ぶっちゃけ本人なんじゃないか?」

 

透華をジト目で見やりながら、純が呆れたような口調で指摘した。

ポンと右拳を左掌に落とし、はじめが純の意見に同調する。

 

「言われてみれば名前がほとんどそのままだよね」

「そうですわね。もちろん私もしろっこさんご本人ではないかと考えておりましたわ」

 

透華もまた、両腕を組んでうんうんと頷いた。

――偶然知り合った人がお忍び外出中の有名人であることに気付いてしまった、みたいな感じなのかなあ。

まるで他人事のようにそんなことを考えてしまうのは、一種の現実逃避かもしれなかった。

 

「――それで、実際のところどうですの?」

「あー、それはですね……」

 

わくわくとした表情で訊ねてくる透華から視線を逸らし、俺は口篭った。

さて、どうするべきか。背中にじっとりと嫌な汗をかきながら、俺は高速で思考を巡らせる。

露骨に反応しておいて「無関係です」は流石に無理がある。それで押し通すのは不可能じゃないが、お互い気まずい思いをするのは必定。まあ、性別も名前も偽ってるのに今更といえば今更だが。

しろっこと同一人物であることを肯定した場合、問題なのは性別を怪しまれることだ。

ネット雀士しろっこの性別が男であることは知れ渡っている。であれば、当然今の姿としろっこの性別の齟齬に着目されるだろう。それだけは避けたい。

しかし、だ。

俺の態度や名前の相似から、確信とまではいかずとも、透華の疑惑はそれなりに深いと予想される。不自然を承知で無理に関連を否定すると、そこに”後ろ暗い事情”があると勘付かれかねない。

結局、肯定しようが否定しようがどちらもリスクはある。ならば俺の選択は――

 

「隠しても仕方ないので白状しますが、多分その本人です」

 

ぶっちゃけた。

性別の件を言及されたら、適当に理由をこじつけて笑って話せばいい。変に隠そうとしたり焦ったりしなければ、必要以上に疑われることはないはずだ。

 

「――やっぱりですの!」

「へえ、珍しく透華の勘が当たったな」

「流石にびっくりだよね」

「……なんという偶然」

 

しろっこ本人だと認めたことで、透華たちがわっと黄色い声をあげて盛り上がった。

しかし衣だけは《しろっこ》の話題についていけてないようで、きょとんとした顔をしている。そんな衣と目が合った。

 

「フジキ、”しろっこ”とは何だ?」

「ああ、パソコンを使っていろんな人と麻雀が打てるんです。そこで私の使ってる名前が《しろっこ》」

「ふーん、そうなのか」

 

衣はネット麻雀にあまり興味なさそうだ。

 

「衣はパソコン自体、使わないですものね。ネット麻雀を知らないのも無理ないですわ」

「というか、昔衣にパソコン使わせたら速攻で壊したから、それ以来使わせないようにしてるだけだけどな」

 

透華が苦笑気味に衣をフォローするも、即座に純が真相を暴露したせいで台無しになる。

そういや衣のギフトって電化製品と相性悪いんだっけか。

 

「まったく、純は口が減りませんわね」

 

呆れ顔で純を非難した透華がはぁ、とため息をついた。それから気分を切り替えたのか、機嫌の良い声で訊ねてくる。

 

「ところで、私も《Touka》という名前でプレイしておりますの。ご存知ありません?」

 

ご存知あります。

Toukaはネット麻雀で良く対局するランキング上位プレイヤーだ。名前が一致してるし、透華がToukaなことに疑う余地はない。

しかしそれだけに、チャットで自分のことを”おじさん”と連呼していたしろっこの印象を良く覚えてそうだ。

女装している(こんな)状況でなければ、この偶然の出会いを素直に驚き、喜ぶことも出来たんだが。

 

「ええ、知ってますよ。何度も対局してますし。最近のレートは1800台前半くらいでしたよね?」

「そうですの。なかなかそこからは上に行けなくて――」

 

いつ性別の話題を切り出されるか戦々恐々しつつ、透華が振ってくる話題に「へー、そうなんですかー」などと適当な相槌を打って話を合わせる。

結局、しろっこの話題が収束するまでに性別の件を指摘されることはなかった。

まあ、ネット上で性別や性格を偽るのは割と良くあることだし、しろっこの性格が痛いものなだけに、気が付いてても触れなかっただけかもしれない。

 

 

 

――という一幕があり、この場所を訪れて以来最も危機感を抱いた時間だった。

会話が落ち着いたところでふと外に視線を巡らせれば、とうに陽は落ちて真っ暗になっている。時刻は19時を過ぎたところだった。

恐らく俺がいなければとっくに帰宅し、夕食も終えているだろう時間帯だ。

流石にこれ以上の長居は迷惑だと思い、遅い時間なことを理由に別れを告げて立ち上がる。遠回しに引き止められたが、丁重に断った。

踵を返し、一歩を踏み出そうとしたところで、制服上着の背中の裾をくい、と引かれるような抵抗を感じて足を止める。

何事かと振り向けば、そこには悄然とした様子で腰辺りの裾を掴んでいる衣が。

 

「……フジキ、お前にはもう会えないのか?」

「それは……」

 

微かに潤んだ瞳と切なげな表情で俺を見上げながらそう聞いてくる衣の様子に、俺はかけてやる言葉に詰まった。

事情が事情ゆえに、再会を約束できないのが辛い。

たった一度の対局と、僅かな言葉を交わしただけなのに、なぜか衣には随分と懐かれてしまった。

しばし悩んだ末、俺は衣の頭にぽん、と右掌を乗せる。

 

「いつかまた会えますよ」

「……ほんとか?」

「はい。そのときはまた打ちましょう」

 

俺は嘘を承知で再会を請け負った。

藤木という”女性”として二度と会うことはないだろう。それがわかっていても、純真な衣の願いを無碍にしたくなかったからだ。

真意を測るようにじっと俺の顔を見つめた衣は、やがて納得したのかコクリと頷いた。そして片手で涙を拭い、スン、と小さく鼻を啜る。

 

「うん……そのときは、お前の本当の名を教えてくれ」

「……約束しましょう」

「ありがとう。それと……」

 

台詞の途中で口を噤んだ衣は床へと視線を落として、続きを言うべきか迷っているようだった。

そんな煮え切らない態度に苦笑し、俺はぐしぐしとやや乱暴に衣の頭を撫でた。

「ひゃっ!?」と声を漏らして吃驚する衣。

 

「この際だから言いたいことは全部言いなさい」

「うー……わかった」

「よろしい。それで、お姫様のご希望は?」

 

俺の年上ぶった態度に衣はいささか不満そうだったが、それでも素直に胸の裡を語り出す。

 

「フジキ……次に会ったときは、衣と友達になってくれないか?」

「何……?」

 

衣の申し出が意外だったため、つい硬い声が出てしまった。

そんな俺の反応を否定的な意思表示と見たのか、衣の顔がくしゃりと歪む。

 

「嫌か……?」

「いえ、少し驚いただけですよ。友達になってくれだなんて、正直今更かなーと」

 

俺は衣に悪戯っぽく微笑いかけた。

意図が通じなかったのか、衣はぽかんと口を開けて目を丸くする。

 

「私と天江さんはもう、一緒に卓を囲んだ友達じゃないんですか?」

 

俺はしゃがみこみ、衣と視点を同じくしてそう告げた。

 

「あ……」

「違います?」

「ち、違わない! 衣とフジキはもう友達だ!」

 

愁眉を開いた衣が嬉しそうにぱあっと顔をほころばせる。

うん、可愛い笑顔だ。別れる前にこの表情が見れて良かった。

いささか気障な自己満足に浸っていると、それまで黙って見守っていた透華らが声をかけてくる。

 

「お前……なんつーか、男前な性格してるよなぁ……」

「藤木さんって何気にお茶目だし、フランクだよね。この部屋の中で一番お嬢様っぽいのに」

「……ふれんどりー」

「遠慮なくまたいつでもいらしてくださいですわ」

「ええ、ありがとうございます」

 

俺は立ち上がり、皆の顔をぐるりと見渡してから礼を言って軽く頭を下げた。

いきなり不法侵入者なことがバレたときはどうなることかと思ったが、終わってみればなかなか楽しいミッション(任務)だった。

とはいえ、必要以上に仲良くなってしまったために、今更ながら偵察という本来の動機が後ろめたく感じている。

 

「それではまた、どこかの卓でお会いしましょう」

 

もやもやとした感情に見切りをつけるようにさっと身を翻し、俺は龍門渕高校麻雀部の部室を後にした。

 




東場 第二局 はこれにて終了です。
東場 第三局 は合宿編の予定。割と短いかも。

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