甘やかな法と暴力のリアルが支配する隔絶された世界。
その世界に、彼女はいた。
風野灯織。
彼女は確かに、そこにいた。
「ねえねえ、この動画見た?」
「ああそれ?見たよ。ていうかYouTubeにもめっちゃ転載されてるし」
「やっぱり?私も昨日YouTubeで見たんだけどさ……これってウチの女子の制服だよね!?ほら、こっちの女の子の方!」
「そう見えなくもない……かな?画質悪くて顔もよくわかんないけど……」
「でも、本当にすごいよね!だってこの子、自分より大きい相手を倒しちゃうんだもん!」
朝のホームルーム前の教室の片隅に集まって話す女子のグループ。その中の一人の手に握られているスマホに移っているのは、「格闘家の男と素手で渡り合う女子高生」の動画だった。いわゆるストリートファイトというやつだ。二日前に渋谷で撮影されたらしく、SNSで拡散され、すっかり話題の動画になっていた。
「ねえ、めぐる、ボクシングやってるんでしょ?やっぱこの子って強いの?」
「うーん……」
そのグループの一人、めぐると呼ばれた金髪の少女は動画を何度も巻き戻しながら、集中した面持ちで動画内の少女の動きを見つめる。画質が荒いうえに、かなり遠くから望遠で撮影されたものなのだろう。見づらいことこの上ないが、大まかな動きを把握するくらいはできる。そうして動画を一通り見終えためぐるは、昨日、自宅のパソコンで同じ動画を見たときの高揚を思い出し、しかしそれを表に出すことなく結論を告げる。
「……メチャクチャ強いよ。この子。相手も最初は油断してたっぽいけど、この体格差で対等に戦えるなんてどう考えても普通じゃない」
めぐるが一番最初に注目したのは、少女と男の対格差だった。少女と向かい合っている男は190センチはありそうな巨漢で、その体は太くたくましい。そして動きからわかる通り、確かに素人ではない。察するに総合格闘技かなにかの経験者なのだろう。対する少女は細身で、身長も150台中盤といったところだろうか。両者の身長差は約40センチ。体重差は考えたくもないが、二倍近く離れていてもおかしくない。少女に不利な要素しかない戦いだ。しかし少女は素早いフットワークでヒットアンドアウェイを繰り返し、的確に打撃を与えていく。男の打撃はかすりもしない。少女の体を掴もうとする男の腕も空を切る。全てギリギリのところで躱されてしまう。
そうこうしているうちに、男の腿へ蹴りが入る。もろにくらった男はたまらず膝をついてしまい、ちょうどいい位置へと下がった顔面へ間髪入れずのワンツーが叩き込まれる。そうして男が放心した隙に少女は踵を返して逃走を始める。スマホで撮影しているであろう撮影者の手も動いて画面内に少女を収めようとするが、間に合わない。そのまま少女がカメラ外まで走り抜けたところで動画は終了となる。
「特にストレートの鋭さ、はっきり言って私と同じくらいだと思う」
「まじ?めぐると同じって、全国レベルってことじゃん!」
「うん。でないとこんなに体格差のある相手に上手く打撃を効かせることはできないよ」
めぐるは先ほどの動画の少女を脳内に思い浮かべる。身長は多分150台前半から中盤くらい。体つきはかなり細い。顔はわからなかったけど、髪は結構長かった。さっきの動画からわかる外見上の特徴はこのくらいだろうか。
だとしたら、大体あんな感じか。
めぐるは教室の窓際一番後ろの席へ視線を向ける。そこに座っているのは、めぐると同じクラスの女子・風野灯織である。めぐるはクラス全員の顔と名前を憶えているが、このクラスの半分くらいは彼女の下の名前を知らないのではないだろうか。そのくらい彼女は目立たない。友達もいないようで、めぐるは彼女が誰かと談笑しているところを一度も見たことがない。ひとりでいる時間を邪魔されたくないのだろうか。普段は本を読んでいるか、イヤホンで音楽を聴いていることが多い。見た目はかわいらしいのにもったいない、と思わなくもない。
「そっかあ。すごいんだね、この子」
「一般人にしかみえないのに……」
「ウチの高校にいるんでしょ?サインもらえないかなあ」
「こんだけ強いんだしボクシング部の誰かじゃないの?」
友人たちも少女の正体が気になるようだ。やはりボクシング部か、そのあたりを疑うのが当然の思考だろう。しかし部活動に所属している人間が喧嘩沙汰を起こすのは、部全体の大会出場停止のリスクがつきまとう。単独行動をしている人間の方が喧嘩に対する精神的なハードルは低いはず。となれば無所属の人間か。めぐるは数舜悩んだのち、そういえば風野さんは部活に入っていなかった、ということに思いあたった。めぐるは一度思い込むと、そのことをずっと気にしてしまうという癖がある。灯織と動画の少女を結び付けようとして、ありもしない証拠を探そうとしてしまっている。というか、あの程度の外見的特徴であれば、条件に当てはまる人はこの学校内だけでも無数にいる。めぐるが灯織だけを特別に気にする理由はない。
「ねえ、めぐる?」
「あっ……ああ、いや、ボクシング部は違うんじゃないかなあ?」
「そう?まあ、めぐるはジム通いだからわかんないよね」
「あっはは……そうそう」
でも。あの動画の少女は身長と比べて手足が長かったように見えた。そして風野さんも、実は身長のわりに手足が長かったりする。もし風野さんがストレートを打ったとして。もしも風野さんがまっすぐ手を伸ばしたら、大体あんな感じなんじゃないか。考えすぎかな。考えすぎだろうな。そもそも、あんなに真面目で大人しい風野さんがストリートファイトなんて想像できないし。
自分の中でそう結論付けためぐるは友人たちの輪から離れ、自分の席に戻っていく。すると視界の隅に、青白い顔で席を立つ灯織が見えた。めぐるは驚いて思わず声をかける。
「風野さん大丈夫!?もしかして貧血!?肩貸そうか?それとも……」
「あ、八宮さん……私は大丈夫だから……」
「でも……!」
「大丈夫だから!今は放っておいて……!」
「あ、ごめん……」
めぐるの静止を振り切り、灯織はそのまま教室を出ていってしまう。
無理やりにでもついていけばよかったかもしれない。しかし、あんな切羽詰まった顔を見せられてはそうすることもはばかられる。心配になって廊下を覗いてみるが、灯織の背中はもう見えなくなっていた。
「風野さん、本当に大丈夫かな……」
「めぐるー!今日の宿題やってくるの忘れちゃったー!見せて―!」
「ええ!?ちゃんと家でやってきなよー」
「お願いします!ジュース買ってあげるから!」
「しょうがないなあ、今日だけだからね」
「やったー!ありがとう!めぐる様っ!」
「もー……」
風野さんも大丈夫だよね。休み時間とか、帰る時に話しかけてみようかな。
「めぐる様ー!はやく見せて―!」
「わかってるよー!」
登校してくる生徒で、教室や廊下もあわただしくなってきた。その喧騒に負けない大声で友人の呼びかけに答えながら、めぐるは教室へと戻っていった。
「まずい……どうしよう……!」
灯織はトイレの個室でスマホを握りしめ、叫びだしたくなる衝動を必死に抑えながら震えていた。その画面に開かれているのはTwitterであり、二日前の自分の愚行が何度もリピート再生され続けている。
「まさかあの喧嘩が拡散されるなんて……普通思わないじゃん……!」
ただ一つの救いと言えば、遠くから望遠で撮影されていた上に画質が悪すぎて、顔が全く判別できないということだ。動画の画質を良くする機械とかに通されれば身バレしてしまうかもしれないが(そもそもそういう機械があるとすればの話だが)、この動画だけではせいぜい髪の長さと制服くらいしかわからないはずだ。でも警察ならわかっちゃうかも。警察が来たらどうしよう。いきなり退学なんてことになったら最悪だ。でもそんなことにはならないと思う。いままで勉強も真面目にやって来た。情状酌量の余地はある。いや、そもそも仕掛けてきたのは向こうだ。こちらが被害者であることに変わりはない。あの場には櫻木さんという証人も居たわけだし。少なくともこっちが100%悪いなんてことには絶対にならない。絶対にならない。絶対ならないはずだ。
「そのはずなんだけど……何かあったらどうしよう……お父さんごめんなさい……」
灯織は不安で押しつぶされそうになり、力なく頭を下げる。その拍子にTwitterのリプライ欄が目に飛び込んできた。
・なにこれ特撮?
・これガチのストリートファイトだったの?なんかの撮影だと思って素通りしてたわ
↑オレ最後まで見てたけどマジでやばかった。女の子高校生?制服着てたし
↑結構かわいいよな
↑わかる 俺かなりタイプ
↑ロリコンか?キモいぞ
↑画質悪すぎで顔全く見えないんですが
↑いやこの子は絶対可愛い 俺にはわかる
↑オレ現地にいたけどすげえ可愛かったぞ 連れの子も可愛かった
↑おじさんきもいよ!
↑俺も不良になればJKに殴ってもらえる……?
↑最後逃げたの正解だったと思うわ あれ以上続いてたらどうなってたかわからん
↑男の方が?
↑やめたれwwwww
↑死体蹴りはNG
↑わかる。動画見る限り戦闘スタイル完全に空手パイロットアルファだしな
↑ちょうどあの子くらいの世代だし影響受けてるのかもしれませんね
↑アルファのストーリーはゴミ デザインは過去最高
↑動き方がアルファのスーアクみたいってことか 確かに似てるな
↑かわしまくってカウンターするやつだろ?言われてみればそれっぽいな
↑こんだけ体重差あんだからそれしかないだろ
↑逆にそれ以外無理そう
・男の攻撃全然当たってなくて草
・街中でこんなんやって大丈夫?逮捕とかされない?
↑警察来たの30分後とかだし事件性ないとみなされたんかね?
↑ありえる 通報理由騒音だしな
↑そこにいたやつら全員喧嘩見てて通報しなかっただけだろ
↑女の子の方は中学か高校っぽいし大丈夫だろ 男の方は知らん
↑男の方に仲間いたし正当防衛じゃね 法律とかよくわからんけど
・ちょっとカッコよくね?俺も今日から筋トレするわ
↑俺も始めようかな
・男の身長190くらいか?結構でかいな
↑ちなみに女の子の方は映りこんでる自販機の高さから考えると多分150ちょい
↑身長差えげつなッ!
↑身長差40センチとかもう大人と子どもじゃん
・体格差ありすぎてかわいそうだと思ってたら女の子の方がダウンとって勝ち逃げとか草
・年下の子にあんなんされるとか男が可哀想すぎてもうね……
・これ男の方気絶してんの?
↑オレ戦ってるとこ生で見てたけど完全な気絶じゃない 軽い脳震盪っぽかった
↑パンチがアゴに入ったとかそういう感じか
↑ええ……大丈夫なんすかねえ
↑アレは男が100パー悪かったから
↑最初から見てたんなら助けてやれよ
↑仲間来てたし大丈夫だろ
・だれも言わないけど男の方もかなり強そうじゃないか?
↑(年下の身長差40センチの女子に負ける男の強さに価値なんて)ないです
↑やめたげてよお!
↑多分男の方も総合かなんかやってる
・この子ジム行けよ 絶対強くなるぞ
↑おそらくキック経験者説濃厚
↑でも女の子のローすげえ軽くなかった?
↑こんだけ体格差あったら女の子の攻撃全部豆鉄砲なんですがそれは……
↑そのあとのワンツー速すぎてビビった
↑同士
↑ちゃんと効いてるからセーフ
↑ローキック使ったってだけだろ 総合とかムエタイの可能性もある
↑逃げるときのダッシュかなり速かったから陸上かも
・次もどこかでバトルあったら見てえな
・これは都市伝説待ったなし
「こんなに広まっちゃうなんて……だって、あの時はこうするしかなかったから……!」
あの時の灯織はとにかく必死で、周りのことを気にしている余裕なんてなかった。高校生になってから初めての友達ができて、浮かれていた。そのせいで友達に怖い思いをさせてしまった。
「櫻木さんに謝らないと……あ、授業遅れちゃう……」
ドア一枚隔てて鳴り響く予鈴の音を聞き、灯織はようやく重い腰を上げる。
「八宮さんにも心配かけちゃったな……はあ、どうしていつも私って、ほんと……」
普段は心の中だけで済ませる一人反省会も全て口に出さないとやっていられないくらいに灯織は疲れていた。そして念のため水を流し、灯織はとぼとぼと女子トイレを後にする。その表情はまるで世界の終わりに直面したかのように重く、暗い。
「逮捕されるのは嫌だなあ……」
灯織は教室へと歩を進めながら、自分のストリートファイトが拡散されてしまった忌まわしき日のことを思い出していた。
よろしくお願いします。