シャイニーランド   作:じてんしゃ

2 / 2
 


第二話:風野灯織②

結局、灯織は一限が始まる直前に戻ってきた。しかし具合の悪さは相変わらずのようで、教室を出ていったときの暗い雰囲気は元に戻っていない。めぐるが授業中に灯織の席を盗み見しても、窓の外を眺めてぼんやりしているかと思えばいきなり頭を抱えてうなだれたり、シャーペンの芯を無意味に出し入れしたりしてどこか所在なさげだ。そして休み時間になるたびにスマホを眺めては表情をしかめ、かと思えば顔を赤くしたり青白くしたりと大忙しだ。いつものように文庫本を取り出したりイヤホンで音楽を聴いたりはしないようだ。

 

「……いや、所在なさげというより挙動不審?」

「どうしたのさめぐる」

「いや、なんでもないよ」

「そんなことより食堂行こうよ。早くしないと混んじゃうよ?」

「うーん……」

「めぐる?」

 

 昼休みになってようやく灯織は動き出した。ちょうど昼休み開始から三分ほど経ったころだった。頭を抱えて机に突っ伏した姿勢をゆっくりと解いた灯織はスマホを制服のポケットにしまうと、ランチクロスに包まれた弁当と文庫本を持って席を立つ。そして、そのまま何かを決意したような硬い表情で教室を出ていった。誰も灯織のその行動を気にも留めていないようだった。めぐる自身灯織と特に仲がいいわけではなく、昼休みになるといつも友人に食堂へ誘われるため全く気にしたことがなかったが、他のクラスに友人がいるとかだろうか。普通に考えればその通りなのだが、あれが友達に会いに行くときの表情とは思えない。

 

「風野さん、どうしたんだろ……?」

「めぐる?みんな待ってるし、私先に行っちゃうからね!」

「あ……待ってよー!」

 

 めぐるは一瞬灯織の後をつけようと考えたが、あの表情を見るからにただ友達と昼ご飯を食べるとか、そういうものではないのだろう。きっと興味本位で着いていっていいものではないのだ。廊下のはるか遠くに見える灯織の小さな背中が階段へ向かう曲がり角に消えていく。後ろ髪をひかれる思いをしながらめぐるは食堂へ向かう友人の後を追った。

 

 

 

 

 

午後の授業が始まっても灯織が元気を取り戻すことはなかった。何度話しかけようと思っても直前でためらってしまい、やっとめぐるが灯織に話しかけることができたのは放課後になってからだった。校門を出たところで灯織の力ない背中が遠くを歩いているのを見かけためぐるは一瞬の逡巡の後、思い切って声をかけることにした。

 

「風野さーん!」

「ひゃいっ!って、八宮さん……?」

「ごめんね、驚かせちゃった?」

「大丈夫だから……」

「ならよかった!そういえば風野さん、この後ヒマ?」

「う、うん。ヒマだけど」

「じゃあさ、一緒にクレープ食べに行こ!」

「ええっ?」

 

 めぐるは灯織の手を引っ張って走り出した。めぐるが掴んだそれは、とても人を殴っているとは思えないくらいに細くてきれいな手だった。

 

 

 

 

 

 灯織とめぐるの二人は、公園のベンチでクレープを食べていた。

 

「クレープ屋って意外と並ぶんだね……」

「強引に連れてきちゃってごめんね。もしかして甘いもの嫌いだった?」

「いや、そんなこと……」

「体調とか大丈夫?」

「た、体調?」

「うん。朝、具合悪そうにしてたから」

「そうかな……」

 

ずいっと詰め寄るめぐるの圧に、灯織は思わずたじろぐ。

 

「今日一日、落ち着かないみたいだったけどなにかあったの?」

「……心配してくれるのは嬉しいけど、八宮さんには関係ないでしょ」

「あはは……そうだよね、ごめん」

「あっ……いや、その……」

 

 灯織はなんとか場を取り繕おうとして口をもごもごさせるが、上手い言葉が出てこない。そのまま灯織は口をつぐんでしまい、気まずい沈黙が二人を覆う。どれくらいそうしていただろうか。根を上げためぐるが灯織に話しかけようとしたとき、二人の目の前にいきなり人影が現れた。

 

「おっ、いたぞ。こいつだな」

「こんなちんちくりんが……?」

「おい、本当にこいつがあの動画の女なのかよ」

 

 目が痛いくらいの金髪の男とサングラスの男。そして帽子を被った赤いシャツの男の三人だ。三人ともその顔に下品な笑いを浮かべている。高校生だか大学生だかわからないが、不良に類するガラの悪い連中だということは分かる。

 

「行こう、八宮さん」

「う、うん」

「おーっと、逃がすと思ったか?」

 

 ベンチから立ち上がった二人を不良達はじりじりと追いつめるように取り囲んでいき、めぐると灯織はついに公園の端まで追い詰められてしまう。さっきまで公園で遊んでいた子供やその保護者たちはもういない。この不良三人組が来た時に逃げてしまったのだろう。薄情だと思わずにはいられないが、自分が同じ立場だったらどうしているかわからない。めぐるが現実逃避のようにそんなことを考えていると、灯織が男たちの方を向いたまま話しかけてきた。

 

「落ち着いて、私の後ろに隠れて」

 

 めぐるは灯織の後ろに身を隠す。そうすると少しだけ冷静さをとり戻したような気分になった。相手は右に一人、左に一人、正面に一人だ。後ろは生垣でふさがれている。逃げ場はなさそうだ。

 

「どうしよう、囲まれちゃったよ……」

「……やるしかない」

「え?」

「……スタンスは肩幅の約1.5倍、そのまま右足を軸に左側へ腰から上を2/3回転……膝を楽に曲げてかかとを少し浮かせる……」

 

 灯織が小さな声で何かを言っているが、めぐるにはよく聞き取れなかった。しかし、それを見た瞬間めぐるは息を飲んだ。灯織の動きの手順が、めぐるにとっては非常に見慣れたものだったからだ。

 

「拳を軽く握って右拳を顎の右側、左拳は顎から20センチくらいの位置……そして左肩を顎方向に少し入れる……!」

 

 それはボクシングの構えだった。最後に灯織は深呼吸をして、後ろに立つめぐるに小さな声で語り掛ける。

 

「……目の前に立ってる赤いシャツぶっ飛ばして逃げるよ。私のそばから絶対に離れないで」

「ははっ!こいつ、いっちょ前に構えてやがるよ!」

「あの野郎、こんな奴にやられたってのか?一発殴ればおとなしくなりそうじゃねえか」

「あんなに酷くやられた動画が拡散されたんじゃ恥ずかしくて街も歩けねえよなあ!?」

 

 男たちの挑発を意に介すことなく、灯織は男たちに問いかける。

 

「あなたたち、あの人の仲間なんですか」

「はあ!?仲間なんかじゃねえよ!俺たちがアイツを使ってやってるんだ」

「……そうですか」

 

 めぐるには、灯織と不良が何のことを話しているのかわからない。しかし不良は灯織を狙っていて、灯織はこのような状況に慣れているらしいということだけはわかった。リーダー格と思しき赤いシャツの不良と灯織は微動だにせずにらみ合っている。他の二人は動こうとしないで、逃げ道をふさぐように立っているだけだ。時間にしてほんの十秒後くらいだったと思う。根負けしたのか、灯織たちの正面に立っている赤シャツ不良が一歩踏み出した。その踏み出した足に合わせて灯織も飛び込んだ。灯織の左手が消え、ひゅん、ぱぱん、という音と共に赤シャツ不良がものすごい勢いでのけぞった。めぐるがそう認識したときにはもう終わっていた。

 

「うそ……」

 

 灯織が人を殴った。淀みない動作で、自分に絡んできた不良を殴った。なんだか現実離れした光景だった。鼻血を出して倒れこんだ男と灯織の右手のフォロースルーを見て「あれはボクシングのワンツーだ」とぼんやりする頭でかろうじて理解しようとした瞬間、灯織に右手首をぎゅっと掴まれた。腕も指も細いのに見た目以上に力強い手だった。

 

「走って!」

 

 我に返っためぐるは灯織に手を引かれて走り出す。振り返ってみても男たちが追いかけてくる気配はない。灯織に殴られた仲間を見て追いかける気をなくしたか。ともかく、灯織のおかげでなんとか助かったようだ。

 

「危なかった……」

 

 走りながら灯織は安堵したようにつぶやいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人は駅前の広場まで全力で走り続けた。ちょうど人々が帰宅し始める時間帯だったため駅構内の人通りはかなりのものだ。少なくともここにいればいきなり襲われることはないだろう。そう判断した二人は手ごろなベンチに腰を落ち着ける。

 

「……ここなら一人でも大丈夫そうだし、何か飲み物でも買ってくるよ」

「あっ……」

「ちょっと待ってて」

 

 座って早々に、灯織はめぐるをベンチに残して人ごみの中へ消えていく。引き留めようとしたがめぐるは何も話せなかった。息が上がっているということもあるが、それ以上に先ほどの喧嘩が衝撃的すぎて、まだ現実から帰ってきていないかのような妙な浮遊感がめぐるの心を包んでいたからだ。落ち着きを取り戻そうとめぐるは先ほどの喧嘩の内容を思い出す。灯織とクレープを食べていたら三人の不良が現れた。三人は明らかに灯織を狙っていた。灯織はそれを見て少し怯んだようだったがすぐに平静を取り戻し、ボクシングの右構えをとった。そして一歩踏み出した不良に向かってワンツーのコンビネーションを繰り出した。気が動転していたうえに速すぎてよくわからなかったが、あれは多分左ジャブと右ストレートだったと思う。それで不良をぶっ飛ばして逃げた。そういえば逃げるときに灯織が何か言っていた。たしか……

 

「八宮さん、お待たせ」

「えっ、ああ、ありがとう」

 

 すると、飲み物を買いに行っていた灯織が戻ってきた。灯織からペットボトルの麦茶を受け取っためぐるはそれを半分ほど一気に飲んでしまう。やはり灯織が隣にいると安心感が段違いだ。それに、喉を潤すと気分も落ち着いてきたようだ。緊張から解き放たれためぐるは、沈黙の時間を塗りつぶすように灯織に話しかけた。

 

「それにしても、さっきの喧嘩ほんとうに……」

 

 言いかけて、背中がぞわりとした。

 

 危なかった。逃げ出す際の灯織の何気ない一言を思い出し、めぐるはようやく、目の前で喧嘩が始まって終わったのだということに気が付いた。足元がふわふわする感覚が消え去って、嫌な汗が全身から噴き出るのを感じた。アレは喧嘩だったんだ。めぐるには灯織の一方的な展開に見えたけど、灯織にとっては危なかった喧嘩。めぐるが見た限りでは灯織はずっと冷静だった。かなり喧嘩慣れしているように見えたけど、実はさっきのはかなりギリギリの状況だったのではないか。もし灯織が負けていたらどうなっていただろうか。

 

「……ッ!」

 

 想像しようとして、やめた。あの不良達はめぐるが初めて対峙した「悪意を持って暴力を振るおうとする人間」だった。いくらめぐるがボクシングをやっているとはいえ、あのような状況では満足に動けるわけがない。試合を止めてくれる審判も、安全に配慮されたルールもない。常人ならばそれだけで体がすくみ上ってしまうだろう。

 

「八宮さん、大丈夫?」

「へ……?」

「いや、手が……」

「あっ!ああ、ごめん!」

 

 いつのまにか灯織の服のすそを強く握っていたようだ。慌てて離そうとするが握りこんだ指がうまく広がらない。灯織もそれを察したのか、それ以上何も言ってこなかった。めぐるが落ち着いたのを確認して灯織もペットボトルを開け、麦茶を飲み始める。こうしているとただの高校生にしか見えないのに、あれだけの技を持っているなんて。そしてその素晴らしい技術を喧嘩に使っているだなんて。背も大きくなくて、服の下はわからないが筋肉も細いように見える。こんな子があの動画の子と被って見えるだなんて、どう考えてもありえない。でも、どこか引っかかることがあるのも事実だ。意を決して、めぐるは鎌をかけて見ることにした。

 

「あのさ、やっぱりさっきの喧嘩って危なかったの……?」

「うん。三人には勝てない。相手が喧嘩慣れしてなくて助かったよ」

「あの渋谷で戦ってた大きい人とは互角だったのに?」

「いや、あれは一対一だったし向こうが油断してたから……あっ」

 

 灯織が一瞬だけ出した尻尾をめぐるは見逃さなかった。昨日から実はそうなんじゃないかと思っていた。公園で灯織のワンツーを直に見て、めぐるの疑念が確信に変わった。あんな速度のワンツーを放つことのできる人間はボクシング経験者の中でもめったにいない。あそこまで鍛え上げられた技術を何の躊躇もなく喧嘩に使うことのできる人間がいたとするならば、あの動画の少女以外には考えられない。めぐるは灯織にスマホの画面を見せる。そこに映っているのは例の、渋谷での喧嘩の動画だ。

 

「これ、風野さんだよね……?」

「ッ……!」

 

 灯織の表情が驚愕で塗りつぶされる。どうやら当たりだったみたいだ。

 

「なんでこんなことしたの?」

「こんなこと……って?」

「喧嘩のことだよっ!こんな大きな人と戦うなんて危ないよ!怪我どころじゃすまないよ……!」

 

 灯織は気まずそうにうつむく。そして、重苦しそうに口を開いた。

 

「それは、友達を守るために……」

「友達?」

「うん。櫻木さんっていう……」

「櫻木さんって、私たちと同じクラスの?」

「そう。その櫻木さん」

「風野さんって櫻木さんと仲良かったんだ。知らなかった」

 

 たしか、櫻木真乃……だったか。真乃も灯織と同じで、あまり目立つようなタイプではない。だからか、めぐるにとって二人が友達ということにさほど違和感はなかった。でも、目立たない二人がどうなったらあの渋谷の喧嘩に巻き込まれるんだろう。もしかして巻き込まれたんじゃなくてあの二人が原因なのか。そういえばやけに喧嘩慣れしてるみたいだったけど、どういうことなのだろうか。ていうか、そもそもあのワンツーの鋭さは何なんだ。聞きたいことがありすぎて固まってしまうめぐるをよそに、灯織はベンチから立ち上がる。

 

「……今日はもう遅いから送っていくよ」

「え、あ、ありがとう」

 

 灯織の言葉に有無を言わせないような気迫が見て取れためぐるは聞きたかったことを飲み込んで立ち上がる。そうして駅を後にした二人は、なるべく人の多い場所を選びながら、すっかり暗くなった夜道を歩いた。灯織はこちらに一瞥もくれずに黙々と歩き続けている。いつも友達と並んで話しながら帰るめぐるにとってこれは少しつらいものがあったが、灯織は何とも思っていないようだった。しかしあんな出来事に巻き込まれた後だということもあり、たとえ口を開いたとしても何を話したらいいのかめぐるにはよくわからなかった。前だけ向いて黙って歩き続ける灯織と、その少し後ろをうつむきがちに歩くめぐる。結局、家に着くまで二人の間で会話が交わされることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「……今日はごめん。麦茶のお金は気にしなくていいから」

「そんな、悪いよ」

「いいから。今日の迷惑料ってことで」

「……わかった。ありがと」

「じゃあ、私はこれで」

「あ!ちょっと待って!」

 

 めぐるの家に着くや否や立ち去ろうとする灯織に、めぐるはほとんど反射的に声をかける。灯織が振り向いた。表情は夜の闇に紛れてよく見えない。それがなんだかこちらを急かしているようだった。聞きたいことはたくさんあるが、あまり長く引き留めるのも悪い。少し迷い、めぐるは灯織に一番聞きたかったことを口にした。

 

「あのさ、風野さん、大丈夫……なんだよね」

「私は大丈夫。八宮さんは自分の心配をした方がいいと思う。私の仲間って思われたかも」

「……うん。心配してくれてありがとう」

「じゃあ、私もう帰るね。八宮さんも、これから夜道を歩くときは気を付けて」

 

 それだけ言うと灯織はまた歩き出してしまう。今までめぐるの歩く速さに合わせてくれていたのだろう。早歩きをする灯織の背中はどんどん小さくなっていく。夜の闇に溶けるように遠ざかっていく灯織を見て自分でもよくわからない衝動に駆られためぐるは、その背中に向かって叫んでいた。

 

「風野さん!明日、お昼一緒に食べよう!」

「……へえっ!?」

 

 今日一日振り回されたお返しだとばかりにめぐるは満面の笑みを灯織に向ける。こちらからは振り向いた灯織の顔は見えない。しかし灯織の上ずった返事を聞けば、向こうがどんな表情をしているかなんて想像に難くない。

 

「じゃあまた明日、学校でね!」

 

 めぐるは灯織の返事を待たずに、我が家の玄関をくぐった。

 

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。