『クレイドルのユウさん、アリサさん。ブラッドのヒロさん、ジュリウスさんは、至急第三訓練場に集まって下さい。繰り返します────』
アナグラに響くヒバリのアナウンスに、エントランス二階でボーっとしていたユウがビクッと肩を跳ねさせた。
なんか、何をするのかよく分からない面子だなぁ……と胸中で零しつつ、うんしょと腰を上げた。
目指すは訓練場であるが、アナウンスで神機の持ち込みは言われていない。そうなると、ユウには何をするのか見当も付かなかった。
(サカキ博士の実験なんだろうけど……何をやるんだろう?)
そう思った後で、いや、と考えを改める。
何故ならば、サカキ博士が今この時もシアンの治療に全力を注いでいる事を、ユウも知っていたからだ。ソーマも研究室に籠りっぱなしで、第二のノヴァのときの様な無茶をしないか、空いた時間を見つけてはソーマの様子を見に行っていて、多少の事情を把握しているつもりでもある。
何の実験をするのか、その大体の予想がついたところで、ユウはエレベーターに乗り込んでボタンを押す。ゲートが締まり切ろうとする直前に、白い腕がぐいっと割り込んできて、ユウが慌てて開くボタンを押した。
「す、すみません、急用で……って、ユウ?」
「間に合って良かったね、アリサ」
割り込んだ手の主、アリサに微笑みかけると、ようやくユウを脳内で認識したのか、わぁっと満面の笑みを返した。
「ちょうど良かったです! 一緒に行きましょう!」
ユウの隣に並んで立って、扉が閉まる。
すると、ユウはさりげない動作でアリサの腕と絡ませると、ビクッと驚くアリサをよそにして、ギュッと引き寄せた。
自然な流れかの如く繋がれた手を見れば分かりきった事だとは思うが、二人はれっきとした恋人同士で、それも、つい最近交際を始めたばかりだった。
いつぞやのアーテル・カリギュラ戦の後、約三年にも及ぶ長い両片思い状態に決着がついた二人は、元々の夫婦っぷりが加速し、極東のあちこちで砂糖を振りまいている。その雰囲気にあてられて、極東中でカップルが増えている……らしい。
問題を上げるなら……ユウの恋愛強者さと、アリサの奥手さが目立つ事くらいか。現に、ユウはサラッと手を握っていて、アリサは顔をかぁっと赤くしたまま俯きがちになっている。
何事においても大体完璧なユウであるから、さり気ない心遣いはお手の物。
それが出来て、どうして恋愛に鈍感なのかというのは、極東における永遠の謎である。
ただ、一つ言える事は。
(アリサが可愛過ぎて辛い)
ユウもまた、一人の男の子であるという事だった。
尊みとか、わかりみとかいう言葉がふわふわと浮かんできて、顔が緩んでしまう。
極東の英雄などと呼ばれてはいるが、中身は実直な青年なので、性欲は人並み以上に持ち合わせているし、アリサとの初対面の時はガン見しかけたまである。
(付き合ってまだ一ヶ月だけど……本当に持つのかな、僕の理性)
ユウのユウが苛立つのを全力で阻止している横で、益々顔を紅潮させていくアリサ。空いた左手が赤のベレー帽に宛てがわれ、顔を覆っていた。もうほぼ顔が見えていない。
そこまですれば、ぽわぽわしていたユウも異変に気が付く。
(……なんか、悶えてる?)
バッ! と盛大に顔を横に逸らされた。なんか可愛い……とユウが思えば、アリサの頭が直角に俯いた。腕を絡ませながらも、ユウから顔を背け、帽子で顔を覆って地面を見ている。
見たくないものを目撃したみたいな構図になっていた。
「……えっと、アリサ?」
返事は無い。だが、代わりに。
(……ユウ。あの……さっきからダダ漏れです)
「え?」
脳内に響く明瞭な声。未だにアリサの顔はベレー帽で覆われている。
……全てを察したユウの顔が真っ赤に染め上がった。
(嘘でしょ?)
(……ユウのばぁ〜か。ばぁ〜かっ)
ユウの顔から、血の気がサァっと引いた。
今まで呟いてきた心の声を思えば当然の反応か。
──〝感応現象〟
そう。この二人、なんと知らず知らずに感応現象を引き起こしていた。
身体の接触がトリガーとなってごく稀に引き起こされる、第二世代神機使い以降に見られる現象だ。記憶と感情といったものが相互に共有されてしまう。
ごく稀とは言えど、起きる時は起きるので、第二世代の神機使いの間では、同じ世代同士で握手をする事は、つまりお互いに心を許した親密な関係の証であるのだとか。逆に、
だが、感応現象の兆候が無かったが故に、ユウは油断しきっていた。その結果がこの通りだ。
(……本当に、恥ずかしかったんですよ? 可愛い可愛いって……心臓バクバクしてましたし、ユウに私の声が聞こえないように、必死で抑えてたんですからね!)
(な、なんで抑えてるの……?)
(だって私の声聞いたら、ユウにドン引きされます! あ、あんな……早く襲ってくれないかなって…………あっ)
アリサも無事に自爆した。感応現象で会話すれば、当たり前ながら想像してた事も垂れ流しになる。
(襲ってくれって、まさか、僕とアリサがセッ──)
「心で会話するのはもうやめましょうねっ!!」
これ以上の醜態を晒してお互いが自爆しないよう、アリサがユウを押し退けた。あのまま聞いていたら、またも自爆していたことだろう。
「ご、ごめんっ」
「あと! ユウも垂れ流しにならないように、少しは気を付けて下さい!」
「あ、いや……感応現象を抑えるって、どうやってやるの?」
「そんなの気合いです!」
「気合い!?」
ムスッと、腕を組んでそっぽを向いたまま根性論で押し返された。
心の問題が関わる以上、根性論でもどうにかするしかないので、アリサの言ってることは意外と正しかったりする。但し、かなり抽象的すぎるが。
もう口を利きません! と頑なにユウを拒絶する姿勢を見せる。頭を掻いて、「参ったなぁ……」と気まずそうに漏らした。
「あー……すみません、俺、乗ってもいいですかね」
「え?」
「……え?」
無意識らしい、アリサが気の抜けた声に続いて、目の前でおずおずとそう尋ねる神機使いらしき男性に、ユウも驚きと共に間抜け声が漏れ出た。
実は、ユウ達があれこれ羞恥に悶えている間に、ポーンという音が鳴って、エレベーターが階の到着を告げていたのだ。
その宣告も虚しく、そのまま他の階に着いてしまっており……
目の前の男性は、痴話喧嘩の最中、ずっとエレベーターに乗りあぐねていたのだ。
エレベーター、ずっと停めていいのかな……とも思いつつ。
結局、二人は男性に謝り倒し、羞恥に顔を埋めながら、もう一度同じ階のボタンを押す羽目になった。
尚、その間も男性が気まずい思いをしたのは言うまでもない。
◯ ✖️ △ ◆
「「すみません、遅れました……」」
『おっ、ようやく来たようだね』
中々冷めてくれない顔をそのままに、恐々と入った来た二人に、サカキ博士の声が出迎えた。
訓練場の真ん中では、二つのベッドを中央に、ありとあらゆる機材が複雑に絡み合っていて、その中に、コードで接続された二振りの神機──アリサのアヴェンジャーと、ユウのクレメンサーも確認できる。
そのすぐ側には、やはりというべきか、ユウ達よりも早く来ていたジュリウスとヒロが控えていた。
「ご無沙汰しております、神薙大尉」
「あー……僕が極東に戻ったばかりの頃に一度お会いして以来でしたっけ。久し振りですね、ジュリウス隊長」
ジュリウスがユウと握手を交わし、次いでアリサとも。
続いて、アリサが視線を移して、ヒロとも挨拶を交わす。
「ヒロさんは最近の任務でも一緒でしたね。あれから身体の具合の方は大丈夫ですか?」
「たぶん、大丈夫です。最近持ち直し始めたので」
「それなら良いんですけど……」
ユウにも似た気配や面立ちをしたヒロであるから、アリサ個人として少し気になってしまうのもある。
シアンの一件が、ヒロに深く影を落としている事は自明であったから、アリサも詮索しようとはしていない。
まだ心の整理がついていない様子のヒロを気にかけるも、博士の声がその意識を遮った。
『挨拶は済んだかな? 大丈夫なら、今回四人に集まって貰った理由を説明しよう』
ユウ達が観察室を見上げると、サカキ博士はマイク越しで一通りの説明する。
とは言っても、長ったらしい説明で段々ちんぷんかんぷんになるだろう事は、サカキ博士でも想定していたので、軽い説明を更に端的に纏めて結論を述べた。
『とどのつまり、シアン君は、普通の感応現象では影響を及ぼせない深層意識に潜り込んでしまった為に、更なる段階の感応現象──〝高次感応現象〟を用いて彼女自身の意識と接触し、説得しなくてはならなくなった。ここまではいいかな?』
全員が頷くと、サカキ博士は続けた。
『そして、今回の実験は、その〝高次感応現象〟への唯一のアプローチである〝感応領域〟への潜行を目的としている。ヒロ君とジュリウス君の〝血の力〟を借りる事によって、ユウ君をアリサ君の意識の中に送り込む、という訳だね。 此度の〝感応領域〟の調査が成功すれば、シアン君の〝感応領域〟潜行を安全に行えるはずだよ』
どういう原理かを省いてやる事を説明すれば、本当にこれだけである。
説明はあったものの、意識への潜行という話になると、一同はあまり釈然としていない様子だった。
「私の記憶の中……実感が湧くような、湧かないような……?」
「なんなら、僕は一度アリサの過去を見たり、リンドウさんの中の追憶に飛び込んだりしてるからなあ……」
まあ分からんでもない、という第二世代に対し、第三世代はそもそも分からないようで、頻りに首を傾げていた。
「うーん。相手の記憶や意識が流れ込んでくる感応現象か……俺は一度も起きた事ないですね」
「俺も、血の力を除けば、そういった感応現象に経験は無い。既存の偏食因子ではない事が、恐らく関係しているのか……」
想像もつかないと腕を組んだり、首を傾げたりするヒロとジュリウスに、ユウとアリサは「!?」という無音の驚きを露わにする。
特に起こしやすいのが二人であり、ユウに至ってはアネットやフェデリコとも感応現象を起こしているので、身近でない事が信じられなかったらしい。
『ほう……それは気になるね。だけど、一先ずそれは置いといて、早速実験の方を始めたい。皆、準備はいいかな?』
「「「「はい!」」」」
威勢のいい返事にサカキ博士は鷹揚に頷いて、指示を出していく。
ユウとアリサが頭に機器を取り付けてベッドで並び、その間にヒロとジュリウスが立って全員が互いに手を繋ぎ合うと、機械が駆動し始めた。
『ヒロ君、ジュリウス君。血の力を発動してみてくれ』
「了解!」「了解した」
ヒロの〝喚起〟とジュリウスの〝統制〟が、ユウとアリサの感応能力を飛躍的に上昇させていく。
『80……90……100。よし、アリサ君の〝感応領域〟の特定、及び仮想化は完了した。これから接続シーケンスに入るから、二人は目を瞑るように。──じゃあ、いくよ?』
サカキ博士の合図に合わせて、ユウが目を閉じると、感覚がふっと消えて、身体から意識が引っ張られていくような虚脱感を覚えた。
身体が無いという変な心地を感じつつ、ユウは更なる暗闇へと誘われる。深い深い、どこかに落ちていく。
「……へ?」
ユウが声を漏らした時、そこには別の光景が広がっていて、足が地面を踏み締めていた。
手には自分のクレメンサーが。隣には、同じく何が何だか分かっていないアリサがアヴェンジャーを構えていた。
「……ここが、博士の言ってた〝感応領域〟?」
「ちょっと殺伐としてる見た目だけど、そうだろうね。そこら中にアリサの記憶の一部が浮かんでるし」
「えっ……あ、本当ですね……うう、ちょっと恥ずかしいです。出来れば見ないでおいて下さい……」
「昔も、あれはあれで可愛かったけどなぁ」
「かわっ……!? なな、何言うんですかぁ!! あの時はどうかしてただけなんですって!」
アリサにとっては黒歴史のオンパレードに等しい空間ゆえに、今すぐにでも顔を覆いたい……が、調査の為に来ているので、目を逸らす訳にはいかない……というジレンマが、一層の羞恥を与えていた。
『……ちなみに、私も居るよ?』
「「サカキ博士!」」
『おおっ、ちゃんと聞こえているようだね。調査の為に〝感応領域〟内での会話は録音されてるから、私語は程々で頼むよ』
脳内に直接語り掛けてくるサカキ博士の言う、〝私語〟という二文字が何を指すのか……察するまでもない。
「う、ぅ〜〜〜〜!! ドン引きですっ!! 人のイチャイチャを見て揶揄うとか、有り得ません!」
『いや、別にそんな気はないとも。ただ、気を付けないと録音されるよ? って言ってるだけだよ』
「そういうのを意地悪って言うんです!」
『すまないね。だが、今回ばかりは許してくれ。これは、シアン君を助ける事に繋がるんだ。そういった意味でも、我慢してくれると嬉しい』
「あ……」
赤々と染まっていた顔から、血の気が引いていく。
アリサにも、シアンがほぼ死亡状態にあることを聞かされており、その有効な回復方法をソーマ達が模索しているという話も知っている。
(一人ではしゃいで、馬鹿みたい……)
後悔の念がアリサを支配する。一人だけ能天気になっていたと思うと、申し訳なくて仕方がなかった。
だが、同時に気が引き締まる。シアンを助ける為に、この実験は何としても成功させなくてはならない。
心配そうに顔を覗くユウに、かぶりを振って大丈夫と答えた。
「すみません、続けて下さい」
『それじゃあ、辺りの様子を事細かに説明してくれるかい?』
「はい」
虚空の中にポツンと浮かぶ、灰のような地面の孤島。その周りを取り囲むように、アリサの記憶の一部が切り抜かれたものが、ふよふよと浮かんでいる。
その島の中央には、クローゼットがポツンと一つ。
『ほう……クローゼットかい?』
「多分、私の昔の記憶のせいです。クローゼットの中で隠れんぼをしていたら、アラガミが現れて……両親を食べてしまった。かつて、私の大きなトラウマでした」
『なるほど。こちらからは、仮想化されて簡易的にマッピングが施されているだけだから、よく分からなかったけど……アリサ君の口述から推測するに、その場所はアリサ君の根幹を成す、無意識の奥深く……〝感応領域〟の深層だろうね。本来は、もっと浅い部分から探索を行う予定だったから、これは予想外だったよ』
予想外という言葉に、アリサがビクッと身体を硬直させる。
「じゃあ、これって失敗……なんですか?」
『そうとも言えるね。ただ、望外の結果でもある。最初から結論が解れば、そこに至るまでの過程で暗中模索する必要が無くなるだろう? 尤も、深い〝感応領域〟への潜行に関しては、お互いの感応同期率を際限なく上昇させていけば良いという推測で間違い無いだろう。心配は要らないよ』
まあ要するに、調査の時間が短縮されたと考えればいいよ、というサカキ博士の言葉に、胸を撫で下ろす。
もし失敗なんて事になれば、限りの少ない猶予を減らすことになる。
シアンの死まで、日数はあまり残されていない。失敗を繰り返して、取り返しのつかない事になれば……そう考えると、心中穏やかでない。
また、自分達のせいで、シオの時と同じ犠牲を払うことになるのは、何としてでも避けなくてはならない。
『調査を続行しよう。では、そのクローゼットに向かってみてくれ』
博士の指示に追従し、孤島中央にある、木調のクローゼットへやってくる。
何の変哲もないクローゼット。だが、アリサにとっては、この内側が自分の世界であった。
「……全ては、ここから始まったんです」
「……そうだね。あの記憶は……ショックが強くて、今でも忘れられないや」
「……すみません。私が見せてしまったばかりに」
「いいよ。それでアリサが目覚めてくれたんだから」
「……う」
事も無げに、慈愛に満ちた微笑でそんな事を言ってのけられては、アリサも返す言葉が無い。
というか、恥ずかしくなっていた。
(浮かれないようにって、さっき気を引き締めたばっかなのに……!)
ユウの破壊力は、易々とアリサの心理障壁を貫くらしい。火照る顔も冷めやらない。
『……コホン。いいかな?』
「「は、はいっ」」
段々、声音が冷めてきている気がする博士に、イチャイチャモードが強制解除され、背筋が正される。
さて、調査できそうなものは、このクローゼットただ一つのみだ。アリサがクローゼットの把手に手を掛けて、一思いに開く。
すると……
「……何もないですね」
「何か居たらびっくりだよ。元々、アリサが入ってたクローゼットなんだから」
「……そうですよね!」
(もう、居るわけないですよね……)
肩を落として、あからさまに落胆したアリサを、後ろから不思議そうにユウが見る。
一体、何に期待していたのか。それとなく聞いてみようと、ユウが声を掛ける、その寸前に……
何かの影が、ユウの前を横切った。
「なっ──!」
速い。少なくとも、ユウの目には過ぎ去った何かを視認する事は敵わなかった。
何が、と神機を構えたユウだが、直ぐにその影らしきものを見つけて、硬直した。
「そいやっさー!」
「──ひやぁっ!?」
その人の影は、古き良きルパ◯ダイブを彷彿とさせる大ジャンプを見せると、アリサの背中へ思い切り、ガバチョ! と抱きついた。
しかも、アリサのクレイドルの制服に手を突っ込み、下から豊満なそれをまさぐり始めた。
ユウが固まった理由である。
「ぐへへ、久々のアリサっぱいだぜ〜! ええのんか? ここがええのんか〜?」
「やんっ!? や、やめっ──ぁん」
嬌声が響くそこから、全力で目を背けたユウは、次に耳を指で塞いで外界の情報を完全シャットアウト。あの状態のアリサを助けに行くのは、少々無理があったようだ。
「い、いきなり何ですか!? ドン引きです!」
「ドン引きされた!? いや、感動の再会にこれするのはどうかなって、自分自身ちょっとドン引きしてたけどね!」
ちょいやっ! と、これまた奇妙な掛け声でアリサから飛び退いた人影。アリサは乱れた制服を直してから、胸を覆うように自分を抱きしめると、赤い顔で恨みがましく後ろを見やる。
「もうね、その下乳見るとね、つい揉みたくなっちゃうんだわ〜! これはもう、私の魂に刻まれた行動原理だから、自分でも止められないんだよ!」
「何を力説してるんですか……」
金褐色のポニーテールを振り回し、ズビシッとアリサに指を突き立てる。
「つまり、これは私と運命の赤い糸で繋がれているという証拠な訳だよ、アリサ君!」
「それは違うと思います」
「ええっ!? 違うの!? って言うかアリサ、前より辛辣になってない……?」
「それは単に、私がちょっぴり成長したからですよ、オレーシャ」
記憶の中だからか、変わらない懐かしい姿に、アリサの顔がほころぶ。
大胆なオフショルダーが見せる日焼けした小麦色の肌が眩しい、翡翠の瞳を持つ、その少女。
──オレーシャ・ユーリエヴナ・バザロヴァ*1
かつてアリサが失くした、唯一無二の親友。
太陽の様な笑顔も、快活でお茶目な行動も、時々、心におっさんを飼っているみたいな言動も、何も変わりはしない。
「ほほ〜う? ちょっぴりと言うには、バストのカップがDからEに……」
「そこの話じゃないですから! というか、居るなら言って下さいよ!」
「いやねー? ほら、三年ぶりの生アリサを遠目から観察したくて、こうチラチラッ! ってしてた訳よ。そしたら、急にユウといちゃいちゃイチャイチャと……食べる物がないここで最初に味わった物が砂糖だとは、流石の私でも思わなかったわよ」
コーヒー飲みたい……と口をもにょもにょさせながら呟くと、アリサは神機をほっぽり、頭を抱えてしゃがみ込んだ。
親友に、ここでのやり取りの全てを見られていた。恋人と乳繰りあう自分の一部始終の、その全てが筒抜けになっていたとなれば、恥ずかしい以外の何ものでもない。
すると、ニヤニヤしたオレーシャが、アリサに近づき、その耳元でそっと囁く。
「まあ、何ならずっと前から砂糖ガブ飲みしてるけどねぇ。アリサが自分の部屋でユウを押し倒して告白してからというものの、もうホント毎日が甘ったるくて……」
「うわああっ!! ぜ、全部見てたんですかぁぁぁ!! ドン引きどころじゃ済みませんよ! 趣味が悪いにも程がありますって!!」
というより、否応なしに記憶の流れ込む〝感応領域〟に居るオレーシャの場合、アリサが見聞きした情報は全て自分にもインプットされてしまうのだ。
さぞ辛かったに違いない。
アリサがオレーシャを掴み、前後に揺らして反抗していると、視覚と聴覚をシャットアウトしていたユウが、チラリとアリサの方を見て、危ない状態でないことを確認すると、その場に立ち上がった。
「……あ、もう終わった感じ?」
「お、ユウが復活したみたいね……
快活、という言葉が一番似合いそうなその少女を見て、ユウも遠慮がちに手を伸ばし、握手を交わす。
「ええっと……君は、あのオレーシャでいいんだよね? リディアさんの妹の……」
「そう言えば、ちょっと前にリディア姉*2に会ってたもんね」
それは、第二回目の欧州遠征にユウとリンドウ、ツバキが再び駆り出された時のこと。
リディアも行き先であるドイツ支部で医師として派遣されることになり、護衛も兼ねてヘリコプターで移動したのだ。
……その際に、当時は未知のアラガミだったキュウビにヘリを撃ち落とされて、アリサ達が迎えに行くという事態が発生していたりするのだが、そこは割愛する。
「直接会えて嬉しいよ。アリサからも、唯一無二の親友だって聞いてたし」
「んまぁっ! またまたお上手なんだからぁ〜」
近所のおばさんみたいな反応に、ユウも些かの戸惑いを見せながら手を放すと、空を見上げ、あーあー、と声を上げた。
「サカキ博士、聞こえてますか?」
『ああ、問題ないよ。先程の会話も、きちんと記録されているから安心してくれたまえ』
「一言も安心できる要素がないんですけど……」
アリサがボソッと呟いた。さっきから、自分達の惚気の記録ばかりになっているような気がしてならないような……
「ところで、何これ、天の声?」
『いやいや、そんな大層なものじゃないよ。私はペイラー・榊。極東支部長で、ちょっとした研究者さ。アリサ君とユウ君をここに送り込んだのも、私の仕業という訳さ』
「ほほぉー……ま、よろしくね、博士!」
『こちらこそ、よろしく頼むよ』
こうして、予想外の遭遇はあったが、オレーシャを仲間に入れて調査を続行することになる。
とはいえ、ここは狭い孤島。 クローゼットのみがポツンと真ん中に残されている以外に、特に代わり映えもない風景が広がるだけだが……
「あの、オレーシャ……あの赤くて靄がかった人型みたいなの、いきなり襲ってきたりしませんよね?」
知らぬ間に、辺りには四人がバラバラと立っていた。一歩も動く様子の無い人型達は、ぼやけた輪郭をしている。
神機を銃形態にして、不安げに距離を取るアリサの反応に、オレーシャはきょとんと首を傾げた。
「ほぇ? アリサモドキのこと?」
「あれって私なんですか!?」
「えっ。どこからどう見てもアリサだよ。ほら、特にこの胸! 絶対アリサだって!」
「ひ、人を胸で判断しないで下さい! ……って、ユウ?」
胸がアリサだと豪語するオレーシャに軽く引くと、何を思ったユウが人型に近付き始めた。
「う〜ん……確かにアリサっぽいね。触れたりするのかなぁ」
「あ、ちょっとユウ!」
アリサの制止もなんのその、ユウが不用心にも人型に触れると、それは流れ込んできた。
『いやっ! いや! いや! やめて! こないで! 開けないで! いやぁぁぁぁっ!』
『やだっ! いやっ! やめて! やめて! 来ちゃいやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!』
刹那の間に聞こえた絶叫に、ユウが放心する。
「……今のは、一体……?」
目の前にいた筈の人型は、砂のように散り散りになって、その姿を消していた。
あれは、女の子の声だった。何もかもを拒絶する、悲痛な叫び。
しかも聞いたのは、ユウだけでは無かった。
「び、ビックリしたぁ……軽くホラーだよ!」
「……まさか、今のって」
うぎゃあー! と頭を押さえるオレーシャはともかくとして、隣のアリサは様子が変になっていた。
肌寒い部屋。お世辞にも綺麗とは言えない、罅割れの目立つ病院の一室。
毛布を被る自分の姿。そこから怯えながら顔を出して、閉ざされた部屋で一人、居もしないアラガミから身を守って……
「大丈夫?」
「……問題はありません。ただ、今の声に聞き覚えがあって」
駆け寄ってくれたユウに、アリサも相好を崩したが、直ぐに思案顔になる。
あれは、間違いなく昔の自分の声。
両親が殺されて、全てを拒んだ幼い頃だ。
『……うん? これは……そっちで何かあったのかい?』
遅れて異常に気が付いたサカキ博士の声が事情を尋ねる。
「ユウが私の姿形をした人型に触れた途端、頭の中に声が聞こえてきたんです。それも……昔の自分の声でした」
『なるほど。解析が難航する原因は、このアリサ君の記憶の断片……いや、これは寧ろ結節というべきか……一先ず置いておこう。私が考えるに、その人型に接触することが、〝感応領域〟の探索に必要だ。引き続き、他の人型にも触れてみてくれるかな?』
「は、はい」
辺りを見渡し、近くにもう一体が居ることを確認すると、アリサが歩いていって、オレーシャとユウがそれを追う。
「……私があのクローゼットから見つかった事は知ってますよね。そんな私は、ずっとクローゼットの中で縮こまっていて……でもリディア先生が私に気付いて、助けてくれたんです」
そうして助けられたアリサだったが、両親を殺されたショックで、閉ざされた世界だけが彼女の安寧になっていた。一度扉や窓が開かれようものなら、あまりの恐怖に狂乱した。
「しかもねぇ〜、リディア姉ってば、そんなアリサのトラウマを、窓から押し入って癒したんだよ!」
「……えっと、どういうこと?」
「まあまあ、本人に聞けば分かるって。私も詳しく知ってる訳じゃないし」
「あれは……なんというか、リディア先生の名誉*3にも関わりますからね……あはは」
「な、何があったんだろうね……」
しかし、そのリディアの名誉と引き換えに、アリサは次第に心を許すようになり、普通に会話することも出来るようになった。
「ええと、それじゃあこっちに触れてみてもいいですか?」
「じゃあ、よろしく頼むわね」
アリサが人型に手を伸ばすと、声が聞こえてくる……
『私はね、お医者さんになりたいの』
『えっ?』
『それも、できれば全部治してあげられるようなお医者さんに』
『全部の病気……ですか?』
『病気ももちろん、ケガなんかもね。でも、それだけじゃない』
『他に、何かあるんですか?』
『……心臓?』
『くすっ。そうね、心臓も大事だわ。でもね、もっと大事なものがあるわ』
『もっと、大事な……?』
『何よりもね……アリサちゃんは、希望なの』
『希……望?』
『そう、希望』
『アリサちゃんを見つけた場所でね、私は一度絶望しそうになったの』
『こんな時代だから絶望はいつだって、私たちのすぐ隣にあるわ。でも私は、そんな絶望に負けたくなくて、ずっと抗ってきたの。お医者さんになろうと思ったのも、そのためよ』
『……絶望の中で、でも、アリサちゃんは生きていてくれた』
『だから、アリサちゃんは希望なの。私の、そして、この絶望だらけの世界の』
『この世界は辛く残酷だけど、きっとアリサちゃんは何かを見つけられる……この部屋を出て、外の世界で』
『アリサちゃんの未来……それが、私の希望』
人型が風になびいて、サラサラと消えた。
「……リディア先生」
「うっひゃ〜、懐かしい……リディア姉がお医者さんになる前ってことは、もう十年くらい前になるのかな」
あの頃は、よく喧嘩したなぁ……と、目を閉じてうむうむと頷いている。
「でも、その後にリディア姉は医師になる為の勉強を始めて、アリサと会う機会も少なかったんだよね」
「ええまあ……でも、何回も会ってくれましたよ。先生の通ってた所からはとても遠かったのに」
「愛されてるねぇ〜。いやーズルいわー! お姉ちゃんの愛を一身に受けてるなんて、この欲張りさんめー!」
さらっとアリサに抱き着いて、にゅふふと笑顔になったオレーシャ。しかし、アリサの顔には翳りが見えていた。
およ? と、異変を敏くも感じたオレーシャは、アリサの顔を覗き込んだ。
「……そう、ですね。だから、昔はオレーシャには嫌われてると思ってたんです。あなたの姉を奪っているみたいで……」
「え? じゃあ、もしかして、アリサが神機使いになるまで会ったことなかったのって……」
「私が、会わないようにしてたんですよ」
「うそぉ!?」
衝撃の事実。アリサの記憶の中のオレーシャとて、アリサの過去の記憶は覗けなかったようで、そんな風に思われてたの!? と顎が外れている。
「じゃあ、三人目に触れますね」
「え、ちょっとそこんところ詳しい話を……」
オレーシャを体に引っ付けたまま、アリサが触れた。
『……私はやっぱり、あの人が理解できません』
『オレーシャが? 姉の私が言うのもなんだけど、かなりわかりやすい子だと思うけど』
『全然わかりませんっ!』
『私は、あの人に我慢ならないんです。いつもニヤニヤヘラヘラと軽い調子で、真剣さがまるでありません。あんな人がアラガミを滅ぼすことがゴッドイーターであるなんて、間違っています』
『アラガミを憎んで何がいけないんですか? アラガミを殺し尽くして何がいけないんですか? 大切な人を奪われたというのに、あの人はどうして憎みもせずに、ただ軽薄に笑っていられるんですか? あんなの……あんなの……』
『あんなの……本物のゴッドイーターじゃありません……』
「ぐほぁっ」
「お、オレーシャ!?」
地面に倒れ込み、徐に三角座りになる。ズーン……という効果音が今にも聞こえてきそうだ。
「……アリサのさりげない本音に、私は傷付いたよ……」
「いや、昔の話ですからね!? 今はもう親友ですから!」
「あ、アリサぁぁぁ……!」
何故だかハグを交わし合い、よしよしとする二人。雰囲気も、なんとか和やかになる。
あの記憶の頃のアリサと言えば、必要も無いほどアラガミを残虐なまでに切り刻んで殺していて、その戦いぶりから支部内でも腫れ物扱いされていた。
一方で、同じ部隊でゴッドイーターとして活動していたオレーシャは、支部内だろうと任務中だろうと明るげな雰囲気を絶やさなかった為、マスコット的な人気があったのだが、その事がアリサにはふざけているとしか思えなかったのだ。
「今のって、もうオレーシャに会って結構経った頃なんだよね?」
「……そうです。当時、私は防衛班に居て、オレーシャともそこで出会いました。でも、あんな快活な性格だから、当時の私とは反りが合わなくて……一方的に嫌ってたんですよ」
その時のアリサは、無視を決め込むのは当たり前。内心辟易しながら、仕方なしに関わって、陽気な彼女に振り回されていた。
「凄かったよ……いつ何時も、胸を揉もうが尻を鷲掴みしようが、ほっとんど無反応だったからね。仲良くなるのは時間が掛かったな〜」
「──えっ」
「……あれ? ユウ? ユウく〜ん? あの、ドン引きしないで?」
「あのですね。誰でもドン引きしますよ、そんな事する人は。私もそうでしたし」
「!?」
今度は四つん這いになった。ファーストコンタクトや、会う度会う度に過剰なスキンシップをぶちかます事が、如何に異常であるかを思い知ったようだ。生前に知っていて欲しかった〝常識〟である。
アリサがしゃがんで、オレーシャの首根っこを掴みながら、諭すような口調になる。
「ほら、何回も落ち込んでてもしょうがないですし、元気出して下さい。それに、そんなこと今更じゃないですか」
「ひどい! アリサが優しくないよう!」
オレーシャを地面に立たせて、最後に残った四人目に近付き、アリサがそれに触れた。
そして、声が響く。
『まったく……やーっとわかったよ』
『何が……わかったんっていうんですか……!』
『リディア姉が言ってた。アリサは六年前からずっと、あの薄暗いクローゼットの中に『閉じこもってる』って』
『なんの……ことですか……』
『リディア姉もあたしも、あんたは終わりのない悲しみの中で、《アラガミ》を憎んでるんだと思ってた。でも──違った』
『アリサ、あんたは……』
『や……』
『あんたはずっと……』
『やめ……』
『ずっと、自分を憎んでいたんだ。両親を殺したのは、《アラガミ》じゃなくて、自分自身だって……!』
『やめてえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!』
『……っ!』
『いつつつつ……まあ、一発は一発だし、しゃーないか』
『ハア、ハア……』
『今思ってみれば、アリサの戦い方は異常だったもんね。いつもいつも誰にも頼らず、ひとりで突っ込んでいっちゃってさ』
『まったく、死にたがりなんて、なんつータチの悪い』
『何が……悪いんですか……』
『私のせいでパパとママは死んだんです……そうですよ、私が殺したんですよ! それだったら、私も死ぬべきじゃないですか……! 《アラガミ》を殺して殺して殺し抜いて、最後には私が死ねば、それでいいじゃないですか! そうよ、どのみち《ゴッドイーター》だって《アラガミ》みたいなものじゃない! やっぱり、私が死ぬべきなんだ!』
『そおい……やあっ!』
『がぐっ!』
『子供みたいに駄々こねて、戦うんじゃないっ! 自分を……せっかくパパとママからもらった命を、粗末にするんじゃないってえの!』
『私が私の命をどう扱おうと……あなたには関係ないでしょう!』
『かふっ!』
『私には……私にはもう、こうすることしかできないんです! あなたやリディア先生とは違う! もう、そんな悲しみには堪えられないの!』
『ずっとずっと闇の中なの! 目を閉じたらその瞬間に、パパとママが《アラガミ》に食べられてしまうの! もう、そんなのはイヤなの! ずっと、そんな地獄にいるくらいなら、死んだ方がマシよ!』
『だったら!』
『……いいかげん、『そこ』から出てきなさいよ』
『どうしようもない世界かもしれないけど、そんな世界でも希望を見出して生きてる人だっているんだよ?』
『……………………』
『きっと『そこ』より、この世界は明るいと思うな』
『だから、おいで──』
『そしてさ、悲しみなんか、飲み干しちゃおうよ』
『ひとりでダメなら、あたしも手伝う。リディア姉だっている。ううん、それだけじゃない。他にもきっと、いてくれる』
『悲しみを飲み干して、そして、笑おうよ。誰かが、悲しみに飲み込まれないように』
『あたしたちはきっと、悲しみに、負けない』
『『はじめまして』……アリサ』
『『はじめまして』……オレーシャ』
声が途絶えて、砂のようになったアリサモドキが崩れゆく。
「あ……」
大切な思い出の、その一片。
名残惜しそうに、アリサの手が空を切る。
オレーシャと本気で喧嘩して、本気で殴り合って、手を取ったあの日の記憶が、過ぎ去るように胸の中に消えた。
でも、ちゃんと、思い出はここにある。
その事実が、アリサの心を暖めてくれた。
「ふぅ……じゃあ、次は……って、オレーシャ?」
「う、うう……っ」
アリサが気が付くと、オレーシャが頭を押さえて、ぶんぶんと振り回すという奇行をしており、果たして声を掛けたものか逡巡した。
しかし、本当に何かあったらいけないので、アリサがおずおずと口を開こうとして……
「にゃ────っ!! 恥ずかし────っ!! やめてぇ、今更ながらに思い返すと駄目だ、恥ずかし過ぎるわ!!」
「え、えぇ……?」
いきなり大声を上げて、床を転がり始めたものだから、アリサが胡乱げにオレーシャを見遣った。
しかし、錯乱するのも無理もない。
アリサからすれば、美化されにされまくったこの記憶に恥じる部分など欠片も無いが、色々と言いまくった方であるオレーシャには、過去の言葉を掘り返されるのは堪え難いものがある。
それと同様に、アリサにも掘り返されたくないものはある訳で。というか、オレーシャ以上に掘り返されたくないものだらけである。
そう、それは例えば……
「あはは……あるよね、そういうこと。アリサも昔の言動を恥ずかしがっててさ。ほら、『旧型は旧型なりの仕事を──』*4」
「わぁ──っ!! やめて下さい、それ言うの!」
「あー……ロシア支部でも極東支部でも、まったく同じこと言ってたわね。これが黒歴史って奴か……」
カオスな様相を呈し始めた〝感応領域〟内。収拾がつかなくなりそうな雰囲気となっていたそこに、申し訳なさげに声が挟まった。
『あー、あー。聞こえているかい、皆』
「……? 博士、どうかしたんですか?」
『少し、問題が起きたようでね。このままではまずいかもしれない』
「ありゃまぁ……で、具体的に何が起きたの?」
『うむ。簡潔に言うと、アリサ君の〝感応領域〟に、何らかの大きな歪みが発生している為に、接続が不安定な状態になっている。これを解消しないことには、完全な感応同期が達成できないだろうね。今、そこに何かしらの異常は見られないかい?』
三人の現在位置は、孤島の南西の端。そこから見渡すと、島の中央ぐらいしか目が向かなかったが……
「……あれ、ですよね」
「だと思うよ?」
「え、でもアレってさ、アリサモドキじゃない? さっきまであったっけ?」
木調のクローゼットの前に立つ人型。
四体に触れて、居なくなったと思われていたそれは、いつの間にか増えていたようだ。
『君達の言う人型……〝アリサモドキ〟君についてだけど、あれがアリサ君の〝感応領域〟に歪みを生じさせている要因の一つではないか、と私は考えている。実際に、人型と接触する度、二人の間に感応同期率の上昇と共に、解析の進行を確認した。三人の行動は正しかったという事だね』
「なんというか、過去を振り返ってただけですけどね……」
……そういうものである以上、メタな事は言えまい。
『しかし、人型──便宜上、これらを〝記憶の結節〟と呼ばせてもらうけど、君達が触れてきたものは、歪みのごく僅かに過ぎないんだ。他に感応同期の障害となる、大きな結節が存在しているに違いない。それがどのような形で現れるかは不明だが、十分に気を付けてほしい。……オレーシャ君も、 くれぐれも重傷は負わないようにね?』
「ほいさ! まだまだアリサの中に居たいからね〜。無茶だけはしないよ」
『よろしい。……では、頼んだよ、アリサ君』
「はい!」
中央の〝記憶の結節〟に触れる寸前、これが、記憶の最後になるであろう事を悟っていたが……
ふと、隣の彼女に顔を向けた。突然見てきたものだから、オレーシャとて一瞬キョトンとする。
しかし、そんなアリサの意図さえ、太陽の如き笑みを浮かべて、分かっていた。
「最後じゃないよ、きっと。また会えたんだし」
「……ですかね?」
「やろうと思えば、何度だってここに来れるじゃない。なんなら、あのアラガミっ娘のシアンちゃんに身体を用意して貰って、そこに乗り移ってやるわ! ふはははっ!」
「え、ええ……!?」
「って事で、えいっ」
アリサの手を引っ張って、結節に触れて……
「「「……!?」」」
〝記憶〟が流れ込む。
『……オレーシャ?』
ヴァジュラと戦っていたのに、彼女の姿だけがない。
『オレーシャ? どこですか、オレーシャ!?』
いつもの明るい調子の声は返ってこなかった。
では、この、赤く広がる巨大な──血だまりはなんだ?
『……………………』
血の跡をたどった先……焼け焦げた森林の、ひらけたその場所に、《ヴァジュラ》はうずくまっていて。
ゆっくりと、顔がこちらに向く。
転がっていた。刀身から真っ二つにされた《神機》が。砕かれた骨が。どこかの肉片が。ブヨブヨしている内臓が。
アリサを暗い場所から引っ張り出してくれた手が。
アリサと共に駆けた足が。
いつもアリサに笑いかけてくれた顔の左半分だけが。
全て、あの時と同じ光景だった。
何もできない自分の前で、大切な人がいなくなる。
『……………………が』
ああ、また自分は。
『が、かあ……』
大事な人を殺してしまったのだ──
『がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁっ!』
それからは、ただただ語り尽くせないような、惨憺たる戦いだった。
アリサは獣の様に、暴風の様に、《ヴァジュラ》を傷付け、その手の《神機》で貪り尽くした。
『……あは』
そして、誰もいないこの場所で、ただひとり、哄笑を上げるのだ。
『あはは、ははは、あははははははははははははははははははははははははははははは』
そうして、アリサの心は砕け散った。
全てを諦め、溢れる悲しみに飲みこまれて。
扉は、再び閉ざされた。
(これが……アリサの、気持ち)
深い悲しみ。深い絶望。深い虚無感。
深い深い、怒り。
その感情の全てを、ユウも味わった。
大切な人が自分のせいで死ぬ、その気持ちを。
──ぴとん
「……あれ」
地面を見ると、そこに暗い斑点が一つ。
二つ、三つ。
「…………泣いてる?」
そう自覚して、頬を拭う。手の甲一面が濡れていて、溢れでんばかりの量が伝っていく。
どうして、とは思わなかった。寧ろ当然の結果とも言える。
「……あはは、私も、ちょっと、まずいかなぁ……」
ユウの不透明な世界の向こう側に、自分と同じように、げしげしと頬を拭っているオレーシャが。
やはり……悲しかったのだ。
こんな思いをしているのに、それでも戦っている。
そんなアリサを思うと、ひどく悲しかった。
「…………アリサ、ごめん。僕まで、泣いちゃって」
「もう……本当に。ユウまで泣いて、どうするんですか」
そう言う彼女にも、涙が滲んでいた。
「本当に、本当に……目の前が真っ暗になるみたいで。踏ん切りを付けて飲み干しても、悲しいものは悲しいんです……こればっかりは、いつまで経っても慣れません」
今でも、たまに夢に見るんですよ? と、苦しげに笑う。
そんな様子に耐え切れず、オレーシャがアリサに抱き着いた。
「うっ……馬鹿、私の馬鹿っ。アリサがこんな思いをしてるのに……生前の私に代わって、謝らせて。……ごめんね」
「……ほんとですよ、〝オレーシャ〟の馬鹿。私を置いて、勝手にヴァジュラに挑んで……」
「うぐぅ……!!」
ストレートな言葉のパンチを浴びせられて、即ノックアウトした。
アリサにも、そういう思う所はあった。自分が悪いのは明白だとしても、親友に置いていかれて、取り残された自分がどんな思いだったのか……たとえ、彼女が記憶の虚像だとしても、分かって欲しいのだと、そんな気持ちを押し付けて。
そんな一方で、アリサは、オレーシャに感謝を伝えたかった。
「でも、貴女が繋いでくれたから、今の私がいるんです。それに、ユウと一緒に居られるのも、貴女が気付かせてくれたお蔭なんです」
「……私が?」
「〝オレーシャ〟じゃない、
「…………あー、う〜!」
つい、お門違いにも責めてしまったのは、アリサの中で燻っていた本音が溢れてしまったから。
生前の〝オレーシャ〟とオレーシャは違う。それを、アリサは分かっているし、それはオレーシャが、アリサに分かって欲しかった事実だ。
しかし、オレーシャにとって、生前の自分もまた自分であるので、責められるのは当然……という、矛盾する、複雑な思いが根底にあって、どうにも言葉に詰まる。
オロオロとするオレーシャに、ユウがその頭を撫でながら、感謝を伝えた。
「僕は、生前の〝オレーシャ〟をよく知らないけれど……君が、アリサの扉を開けてくれたから、僕達はここにいるんだ。これは僕から、言わせて欲しい……ありがとう、オレーシャ」
「……あ、え、えーと……どういたしまして?」
小首を傾げて、取り敢えず返さないと、みたいに言ったからか、アリサがくすりと笑った。
「素直に受け取れば良いんですよ。オレーシャは変なところで受け身なんですから」
「そ、そんな事無いし! ほら、カモン! 今ならアリサの愛を百倍返しにするよ!! ヘイ、カモーン!」
「いきなり何言ってるんですか……」
調子を明後日の方向にやってしまったらしい。呆れた目でオレーシャを見ると、でも、明るい笑顔にどうしようもなく絆されて、ぎゅうっと抱き締める。
その隣にはユウが居て、アリサとオレーシャを囲むように、大きく手を広げて包み込んだ。
なんて幸せだろう。
幸せだから……幸せだからこそ。
自分は、その幸せをこれからも守り抜く為に、この力を振るうのだ。
「……本当に、往生際が悪いですね」
アリサがクローゼットに目を向けると、異変が起こる。
クローゼットが砂と化して、周りの白い灰と溶け合い、混ざり合う。やがて、竜巻の形に収斂して出来たそれは、かつて仇だったもの。
「……既に乗り越えた過去に負けるつもりなんて、毛頭ありません」
愛する仲間から手を放して、神機を手に取る。
この三人ならば、負ける気はしない。
「……オレーシャ、ユウ」
「うん」
「いつでもオッケーだよ」
自分のと鏡合わせのような、青い
「グルルルァ……!」
黒き帝王──ディアウス・ピター。
それを模した、白き虚像が立ち塞がる。
なのに、不思議と高揚感を感じて、力がみなぎっていく。
ユウを、そしてオレーシャとも目を合わせあって、
「それでは……行きますっ!」
アリサの掛け声で、三人が各々の方向から突撃した。
『オマエハ両親ヲ見殺シニシタ。クローゼットノ隙間カラ、震エルダケデ何モ出来ナカッタ』
「ええ……あの時、私は絶望しました。怖くて、クローゼットから飛び出せませんでした」
翼を生やしたピターが咆哮すると、左に回ろうとしたオレーシャに幾つもの紅雷が走った。
「おおっと!? あっぶないねー、こんにゃろー!」
それを間一髪で回避し、クレイモア改を振りかざす。
垂直の一撃を顔面に見舞うと、ヒットアンドアウェイの要領で退避。そこに、ピターの翼の一撃が行くが、当然空振りに終わった。
「今だっ!」
「はい!」
正面から走るアリサは、翼の一撃をスライディングして回避し、その勢いのまま捕食形態でピターの腹に喰らいついた。
──プレデタースタイル『鮫牙』
遅れて、ユウがピターの頭上に現れた。神機を突き立てるように持つと、頭上から思いきり『パニッシャー』で喰らえば、ピターが大きく身を震わせて怯んだ。
『ドウシテオマエダケガ生キテイル。オマエガ死ネバ良カッタノニ!』
「そう考えていた時もありました。でも……両親から折角貰った命を粗末にするなって、殴られちゃいましたからね」
バースト化しつつ、ピターの背後に抜け出したアリサは、ステップと共に再度『ゼクスホルン』で喰らいつき、追加のバレットを入手してから、離脱を図る。
そして、僅か一秒で銃形態に変形させると、正面でピターの相手をしてくれているオレーシャに向かって銃口を向けた。
「オレーシャ、受け取って!」
「おっ、キタキタこれ! バースト最大! 派手にやっちゃうよ〜!」
翼による左右連続斬りを大きく飛び上がって躱したオレーシャが、空中でチャージクラッシュを溜めて、大きく振りかぶって、巨大なオラクルの刀身を叩き付けた。
しかし、直前になって、翼が上を覆うように遮って、オレーシャの手に硬質な感覚が響いた。
「うっそぉ!? ──ふぎゃっ!!」
「オレーシャ!!」
アリサが急いで前に回り込んだが、ピターがバックステップしつつ放った落雷がオレーシャを襲い、地面で磔にされた。
ぷすぷすと黒煙が立ち上るオレーシャの下に駆け寄り、回復球を使って回復させる。
『オマエガ弱カッタカラ、オレーシャハ死ンダ。両親ト同ジヨウニ……オマエノセイダ、オマエノセイナンダ!!』
「勿論、私が弱かったんです。親友、オレーシャを殺してしまったのは、私なんです」
「アリサ……」
「いきなり正面切って戦うなんて、命知らずにも程がありますよ」
「へへ、ごめんなさい……」
雷の痺れから回復したオレーシャの手を引っ張って立たせると、飛んできた紅い雷球を装甲で防ぎ、前傾姿勢になる。
「でも……私は、守るべき人達の為に、戦うと決めたんです。悲しみだって飲み干して、前に進むって。それがオレーシャとの、大切な約束ですから」
そして、ユウと目を合わせた。
ピターの翼をジャストガードで防いだユウが微笑んで、刹那の間アリサと見つめ合う。
「ユウも、一緒に手伝ってくれますか?」
「当たり前だよ。大切な恋人のお願いなら、尚更ね」
アリサが頬を染めて反応すると、アリサは右脚に力を集中させて、一気に飛び出した。
「行きますよ、ユウ!」
「アリサも、遅れないでね!」
その時、二人の間に、不思議な力が行き交い……それは発動した。
神機がフルバースト状態となり、そして、まるで互いに一つになったような一体感と、湧き上がる凄まじい力。
「こ、この感じ……もしかして、ユウの……?」
「……うん。凄く、暖かいよ、アリサ」
「……ふぇ!? なっ、は、恥ずかしい事言わないで下さいよ!! ドン引きです!」
軽口を叩き合いながらも、ユウとアリサは巧みな連携で前衛後衛を交互に替えて、ピターを圧倒していく。
「アリサ!」
「はい!」
活性化と同時に、翼が赤い光を伴って拡張し、薙ぎ払われると、アリサが飛び出した。
その尽くをジャストガードで受け切ると、赤い光を神機から発せさせた。
刀身が蒼白く染まり、少しの距離が空いているにも関わらず、水平に斬り払う。
すると青い光は飛刃となり、ピターに幾つも殺到して、その目を結合崩壊させた。
──地上□攻撃
アリサがヒロとの特訓の末、身に付けたブラッドアーツだ。
そして、その隙を突かないユウではない。
「はぁぁっ!!」
インパルスエッジのエネルギーで加速したユウが、ピターの顔面に神機を突き刺し、チャージ捕食で顔ごと喰らった。
藻掻くピターだが、視界はとっくに無くなっていて、無様に暴れるのみ。
アリサ、ユウと来て、一人……取り残されていた者が、アリサの背後から、神速で駆け抜けてきた。
「親友に戦力外通告受けて、分かってはいたけどハブにされた私の恨みぃ、ここで晴らすっ!! ──うっおりゃぁっ!!」
オレーシャが、怒りのままに神機を振り回して……その先にあったピターの首を、一刀のもとに斬り伏せた。
ユウの神機に取り込まれる生首。そして、コアを失った白のピターは、現れた時と同じように塵となって、消えていった。
「う、うはぁー……倒したね!」
「エンゲージのお蔭かな。すっごい戦いやすかったよ」
「そうですね。前に、エイジスでユウと戦った時のより、全然楽でした」
「えっ。二人とも、嘘でしょ……? これが極東の余裕ってことなの……?」
一人戦慄するオレーシャを、二人が不思議そうな目で見る。極東という魔境で生きてきたからか、どちらも完全に感性が麻痺していた。
オレーシャは、そっと片手で目を伏せる。もう、二人は取り返しのつかない所へ行ってしまったのだ……
そこに、サカキ博士の声が挟まった。
『三人とも、よくやってくれた。感応同期率が限界を超えたことで、アリサ君の〝感応領域〟の解析があらかた完了したよ。いやはや、予想以上の成果に、私も興奮冷めやらなくてね。更に解析したいから、出来ることなら、もう少しそのままでいてくれないかい?』
「はい、勿論です」
『ありがとう。切断シーケンスは60秒後を予定しているよ。その間、是非ともゆっくりしてくれたまえ』
一分。
それが経てば、オレーシャとはしばらく会えなくなってしまうという事実が、アリサの心を掻き乱す。
でも、最後は笑って終わりたいとも思っていた。
どこかプンスカした様子のオレーシャの手をアリサが取るも、オレーシャがぷいっと顔を背けた。
「まったくぅ。これ見よがしにイチャイチャして……確かに幸せになってとは言ったけどさぁ! 独り身の私に文句でもあるのかってぐらいイチャイチャするじゃん!」
「うっ……ご、ごめんなさい」
「でも、私の結婚先はアリサだけだから安心してね! っていうか好き、結婚して!」
「…………ごめんなさい」
「マジトーンで言うのやめて、それは私に効く」
そんなノリがおかしくて、お互いに手を繋ぎながらプフッと吹き出して、笑った。
残り、四十秒。
時間は刻々と迫っている。
「……でも、ほんと良かったわ」
「? 良かった……って言うのは?」
「アリサとユウのこと。私さ、二人がエイジスでディアウス・ピターと戦う前に、感応現象を通じて、一度ユウと話してたんだよね。いや、もう本当にこの鈍感ヘタレ男がさ〜」
ユウをジトーっと、半目で睨む。すると、ユウが肩を竦めて、胸の前に持ってった手を振る。
「あの時は仕方なかったんだよ。僕だって、まだアリサが好きだって気付いてなかったから、その……ね?」
「そのね? じゃないやい! 三年もアリサを待たせて、しかもシアンちゃんが居なかったら、二人は付き合ってなかったかもしれないんだよ!? ああ、なぜだか二十過ぎても未だ恋人無しのアリサが頭に浮かぶような……*5」
「ひ、酷いですよオレーシャ!」
残り、十秒。
「だからね。二人が幸せになってくれて、良かったって思ってる。私はずっとここにいるだけだし、それなら、アリサが幸せな方が嬉しいわ」
さっきまでの冗談っぽさは微塵もなくて、オレーシャがはにかむように笑っていた。
その時、アリサとユウの体に不思議な浮遊感が現れた。
遂に切断シーケンスが開始されたのだ。
「……シアンちゃんが戻ってきたら、二人ともお礼言ってあげてね。あと、アリサはリディア姉にはちゃんと連絡入れるように! ついでにユウも紹介しなきゃダメだから!」
「ま、待ってオレーシャ────」
──バイバイ。また会おうね、アリサ。
その言葉が聴こえたと同時に、意識が闇に吸い込まれた。
(──また、会いましょうね。約束ですよ)
◯ ✖️ △ ◆
sideヒロ
「気分はどうだ? ヒロ」
「すみません……だいぶ楽になりました……」
体をぐったりとさせながら、辛うじて返事をした。
隊長と空母跡地での任務で、相手はサリエルだったのに、大ポカをやらかしてしまった。
まさか、鱗粉攻撃を直に食らうとは……新人だった時を思い出す。
「昨日の今日だ。そうなるのも無理もない」
「そういう隊長は、凄く元気そうですよね……」
「フッ……年季の差だ。俺はおまえより、ずっと前から訓練をしている。おまえがあれ程長時間の使用で疲れていないとなれば、ブラッドの隊長としての面子が丸潰れになっていた所だ」
それくらいは許してくれ、とジュリウスが肩を竦めた。
……昨日、というのは、サカキ博士が行った実験があった日である。
〝感応領域〟というゴッドイーター特有の深層意識に突入するという未知の試みであったが、結果は上々。アリサさんの〝感応領域〟で高次感応現象が引き起こされ、更なるエンゲージの段階を引き出したという。
お蔭で、アリサさんとユウさんは、一緒に戦っていると、そのエンゲージを発動させられるようになったらしい。
そして今回の実験により、心の奥底で閉じこもったままのシアンに接触する手立てを確立できるようになったのだが……
俺はその実験の間、ずっと血の力を使い続けたからか、終わった頃にはとにかく疲労困憊で、今朝もよく寝てしまった記憶がある。
やっぱり、隊長は凄いよなぁ……
「なあ、ヒロ……ブラッドに来た日のこと、覚えているか?」
「へ?」
崩れた道路の縁に座り込んでいると、突然、そんな事を言われて、真横を見上げた。
「……はい。覚えてますよ」
「そうか……あの日から、ずいぶん経ったな……」
思えば、もう半年以上は経っている。
あまり実感が湧いてなかったが、ようやく時の流れを実感した。
「ブラッドは、最初……俺一人だった。来る日も来る日も、ラケル先生のもとで訓練を続けた」
「何年かそんな日々が続いたあと、ロミオがやって来た。最初は正直慣れなかった……よくしゃべるやつだな、と」
常に一人のジュリウス隊長には、あのノリには困惑する所が大きかったんだろう。
ロミオ先輩からすれば、ジュリウスはちょっとズレている天然、というイメージだったらしいけど。
「だけどいつだったかな……あいつの声がフライア中に響いても、うるさいと感じなくなったのは」
「そして……おまえとナナが配属された」
「あの時ロミオがいて、本当に助かった……あいつが、お前達と俺を繋いでくれたから……」
いつの間にか、俺は立ち上がって隊長の話を聞いていた。
先輩が、俺達みんなのムードメーカーでいてくれたから、肩肘張らずに自然体でいられたし、ブラッドがこうして一つになれた。その功績は、語り切れないほどたくさんある。
それくらい、ブラッドに無くてはならない存在だ。
「ギルとシエルが来ると、おまえは副隊長としてよくやってくれたな。ギルとロミオの橋渡しとしても、シエルの良き理解者……いや、友人としても。俺には出来なかったことだ」
「今では、トウカが新人で配属されて、ブラッドもすっかり大所帯になった。それを束ねられているのも、皆が血の力に目覚めてくれていったのも……間違いなくおまえのお蔭だ。今日は、これを伝えておきたかったんだ……ありがとう」
そう言われ、俺はピシリと固まった。
隊長がこんな直接的な感謝を伝えてきた事は一度も無かった。大体『助かる』や『すまないな』みたいな言葉しか言わないので、『ありがとう』と言われたのは、これが初めての事だった。
「……なんというか……き、恐縮です」
「引けているな、おまえは」
神機を地面に突き刺すと、その手を俺に差し出してくる。
「これからも、よろしく頼む。副隊長」
「……はい。まだまだ未熟者ですけど、できるだけやってみます」
やっぱり、気は引けたままだったけど……ジュリウスの手を握り返しながら、頷いた。
「……ところで、ヒロ。おまえもシアンと仲が良さそうだが」
「……俺とあいつが、ですか?」
「少なくとも、ヒロが気安く『あいつ』呼ばわりするような相手を他に知らないが……違ったか?」
「な、仲が良いだなんて……寧ろ、最初は俺が一方的に不審がってましたし、その流れで、お互い遠慮しなくなっただけですよ」
「そうか……シエルに良い報告ができそうだ」
「え? シエル?」
「いや、何でもない。帰投準備を始めるぞ」
「あ、あの……? シエルって……?」
次回、『記憶≫シアン #1』
その後、一部始終を見ていた町の住人から、ピンクの姉ちゃんと言われたり言われなかったり。
小説版『アリサ・イン・アンダーワールド』と『ノッキン・オン・ヘブンズドア』&ちょろっとだけ、漫画版『the undercover』より
次話は、よほどの何かが無い限りは来年になると思われ……
(訳:受験戦争って怖い)