ありふれない怪物は、やがて英雄へ   作:シロマダラ

104 / 106
第九十三話 勇者たちの戦線

 ヘルヴァルド・ティルフィング。魔人族の民草の中で彼女のことを聞けば、誰もがこう答えるだろう。()()と。

 

 傭兵団「ファブニル」に所属する彼女の名は、魔国ガーランドで生きる者達で知らない者がいないほどに知れ渡っている。

 

 戦場に立てば敵は震え、帰還すれば民は歓声を上げる。

 

 傷ついた兵に自ら手を差し伸べ、功を立てた者を称え、敗者を嘲らない。

 

 アルブ神を敬い、その教えを体現するかのような振る舞い。

 

 穏やかな微笑みと、分け隔てのない優しさ。

 

 老若男女を問わず慕われ、その美貌は男女を問わず人を惹きつけた。

 

 新たな魔法を幾つも生み出し、ただでさえ魔法に優れた才能を有する魔人族の魔法分野を押し上げた才覚。

 

 戦闘力においても、全魔人族の中で頂点の一人に数えられる実力。

 

 将軍であるフリード・バグアーとヴィクトル・ドラングレイグに並んで名を連ねる存在。

 

 魔王陛下を支える三柱に比肩すると評されるほどの影響力。

 

 力も、知も、徳も備えた理想像。

 

 それが、ヘルヴァルド・ティルフィングという女であった。

 

 しかし―――

 

 

 

 

 

「ヒィィ、ヤッハァァァアア!」

 

 ―――今の彼女に、聖女と呼ばれるような雰囲気は微塵もない。喜悦に歪んだ笑みを浮かべながら、大哄笑するヘルヴァルドが星光の恩恵を宿して疾走する。

 

 踏み込んだ瞬間、大地が爆ぜる。地を蹴るというより、踏み砕いたというが正しく、衝撃が広場を震わせ、瓦礫が浮き上がる。

 

 同時、ヘルヴァルドの姿が四人の視界から掻き消えた。彼女の狂剣が最初に選んだのは、ディルグだった。

 

 振り下ろされようとしている剣に気が付き、ディルグが槍を構えて受け止めるが。

 

「ヌッ、ぐぉォッ」

 

 先程より重く、速く、躊躇が一切ない。槍から伝わる衝撃が、先程までの十数倍にも感じる程だ。

 

「ケヒッ――――ヒヒ」

 

 完全な奇襲にも等しい一撃を防がれ、ヘルヴァルドは嬉しそうに嗤う。そして、剣を槍柄に滑らせてディルグの懐に潜り込み、その腹部へ金属爪を突き刺した。

 

 抉るのではなく探るように、血が溢れ肉が裂ける。ディルグが己の自壊を無視した質量を増やして耐えようとするが、それでも衝撃は止まらない。内臓が揺れ、喉奥に鉄の味が広がる。

 

「ぃぃぃいいいたいわねえッ!」

 

 傷を負っているのはディルグの筈なのに、歓喜の叫びを上げているのはヘルヴァルドの方だった。

 

 次瞬、横合いから光が閃く。シェリアの光熱を纏った光刃が、ディルグの腹を抉る金属爪ごと薙ぐように迫る。

 

 ヘルヴァルドが一気に左手を引き抜く。おまけに血と内臓片が僅かに零れ落ちるがお構いなしに、ヘルヴァルドはその勢いのまま左手を振り払う。

 

 光刃と金属爪が正面からぶつかり合う。甲高い音と主に灼熱の余波が爆ぜた。

 

 刃そのものを弾いたのは金属だが、刃が纏う光熱までは受け切れない。ヘルヴァルドの左手の甲が焼け、皮膚が焦げ、煙が上がる。

 

「ヒヒッ―――――いいわよ!」

 

 しかし、ヘルヴァルドは痛みに顔を歪める所か、興奮するかのように口元を吊り上げる。

 

 シェリアは勢いを殺すことなく死角に滑り込み、次いだ二撃目がヘルヴァルドの脇腹を深く抉った。

 

 肉を裂き、熱で焼き、血肉が一瞬で焦げる。焦臭が広がり、確かな手応えを感じていた。

 

 それでも、ヘルヴァルドは止まらない。裂けた脇腹から流れる血を振りまきながら、距離を取るどころか逆に踏み込んでシェリアとの距離を詰める。

 

 焼けた傷口を気にも留めず、剣を振り下ろす。シェリアは双曲剣を交差させて受け止めるが、別の衝撃がシェリアを襲う。

 

「ごっ……うぐうッ」

 

 刹那の間に視界の端に捉えたのは、ヘルヴァルドの蹴りが己の脇腹を粉砕する光景。潰れた骨と内臓がかき混ざりながら、シェリアは地面を滑るように転がった。

 

 転がるシェリアへ追撃を入れることなく、ヘルヴァルドは即座に踵を返す。狙いは、立て直そうとしていたディルグだ。

 

 腹を抉られ内臓の一部を零しながらも立とうとするその姿に、彼女は嬉しそうに喉を鳴らす。

 

「壊れない男は最高よォ!」

 

 次瞬、漆黒の魔力の鎖が、蛇のようにうねりながらヘルヴァルドの四肢へと絡みつく。清水幸利が使う闇術の一つ、〝縛闇鎖〟だ。

 

 幸利の星辰光(アステリズム)による恩恵を受け、過去最高の硬度となったそれはヘルヴァルドを完全に拘束していた。

 

 その隙を逃さず、アヤメが滑り込んだ。死角から迫る旋根(トンファー)、鎖に縛られた今なら確実に入る。

 

 だが。

 

「いいわ、縛るのも縛られるのも、私は大好きよッ!」

 

 鎖が内側から弾け飛び、爆ぜた闇片が宙に舞う。

 

 同時、アヤメの旋根(トンファー)が止まる。ヘルヴァルドの左手が、真正面からそれを受け止めていた。

 

「軽いのよッ!」

 

 焼け焦げた手で掴んだそれを力任せに弾き、体勢を崩したアヤメの腕を掴み上げる。そして、そのまま一直線に幸利の方へと振り抜いた。

 

 迫る人間大の砲弾に幸利は目を見開いて驚く。しかし、直ぐに新たな驚きで上書された。

 

 地面から闇が走る。清水の足元を絡め取る、漆黒の魔力の鎖が彼自身を縛り上げる。

 

「な―――」

 

 見覚えのある拘束、だがその制御は自分のものではない。足首から膝、腰へ胴へと闇鎖が巻き付いて、幸利の身動きを奪っていく。

 

 空中ではアヤメの身体が一直線に迫るが、腕まで固定された幸利では受け止めることさえ不可能だった。

 

 鈍い衝突音を奏でながら二人の身体が一つに重なる。その瞬間、ヘルヴァルドの右手が掲げられた。手の平に魔力が凝縮される。

 

「プレゼントよ、受け取りなさいッ!」

 

 次瞬、閃光が走る。上級爆発魔法が二人に直撃し、轟音が広場を揺らす。衝撃波はディルグやシェリアも薙ぎ払い、さらには愛子達にも余波が届いていた。

 

「清水君ッ! 皆さんッ!」

 

 爆心地から二つの影が吹き飛んでくる。意識を飛ばしたりしている訳ではないようで、四人は己が武器を杖代わりに立ち上がろうとしている。

 

 焼け焦げた装備の匂いと煙が立ち込めている。爆炎の揺らめきの向こうで、ヘルヴァルドは愉しそうに嗤っていた。

 

 

 

 

 

 乙女の狂笑が広場を震わせる頃、もう一つの戦場では別種の咆哮が響いていた。

 

 光と鱗が交錯する中、聖剣が閃く。

 

「シャァァァァアアアアアッ!!」

 

 その姿は、もはや人とも竜とも言い難い。

 

 半身に紫紺の竜鱗が生え、肩から胸、腹へと鱗が侵食するように覆い、鈍く光を反射していた。

 

 左腕は完全に竜のそれへと変貌している。膨れ上がった筋肉と、筋骨立った竜腕。四本の指先には金属質の爪が伸び、握るというより潰すための形状をしていた。

 

 背には片側だけ大きく張り出した竜翼、尾が地を擦り削り取る。

 

 顔もまた、左半分が変質している。頬から顎にかけて鱗が走り、片眼は縦に裂けた爬虫類の瞳へと変わっていた。

 

 しかし、右半身は人のまま。籠手剣(ジャマダハル)を握る右腕も、胸も足も未だ人の形を保っている。

 

 歪でありながら均衡している異形は物理的な半竜半人だ。

 

 その姿はウルの町でハジメ達と戦った時に見せた、紫紺の邪竜とは明らかに異なる。

 

 あの時のダインスレイフは、人という枠組みそのものを捨てた完全な御伽噺の竜そのものだった。

 

 だが今は違う。肉体の大半は人のまま、左半身のみが竜へと侵食されるように変質した姿に過ぎない。人の姿を保ったままの竜化、明らかに不完全な状態。

 

 しかし、これを弱体化と断ずるのは早計である。

 

 確かに、身体のサイズは戦闘力に関わる重要な要素の一つだ。質量、膂力、破壊力。巨体には巨体の優位が存在するのは間違いない。

 

 ならば、この半竜体が劣る形態なのかと問えば、それは否と言える。全てに本気で挑む男が、()()()()()()()()である男が、自ら戦闘力を削るような愚を犯すはずがない。

 

 つまりこれは、竜と人その双方の力を最大限に引き出すために、ダインスレイフ自身が試行錯誤(トライアンドエラー)を繰り返している途中の形態に過ぎない。

 

 邪竜(ファヴニル)英雄殺しの滅亡剣(ダインスレイフ)が組み合わさった形で完成した時、どれほどの存在へと昇華されるのか、どんな戦記を物語るのか……少なくとも、常識的な範疇に収まらないことは想像に難くない。

 

 だが、中途半端な状態の現在(いま)でも人間(天之河光輝)一人を斃すことなど造作もない。

 

 爬虫類の瞳が光輝を射貫く。地面が裂け、紫紺の鱗を思わせる剣麟が次々と芽吹く。

 

 槍のように尖ったそれが、光輝の足元から一斉に突き上がった。

 

 光輝は咄嗟に横に飛び、着地と同時に聖剣を振り抜いて迫る剣麟を薙ぎ払う。

 

 砕けた破片が宙を舞うが、しかし破片は空中で形を変え、竜牙となって襲い掛かる。

 

「―――〝天翔裂破〟ッ!」

 

 無数の光刃で周囲を切り裂き、再形成された岩刃を粉砕する。

 

「ガラ空きなんだよォ!」

 

 閃光が収まるより早く、影が踏み込んでいた。半竜の巨躯が距離を潰す。

 

 突き出された右の籠手剣(ジャマダハル)を、光輝は聖剣を盾にして受け止めるが、走る衝撃が腕を痺れさせる。

 

 そこに、間髪入れず左の竜腕が振り下ろされた。純粋な質量と膂力の一撃に身を捻るも肩口を掠める。

 

「―――ッ!」

 

 さらに、光輝が体勢を立て直す間もなく、死角から尾の追撃が迫る。

 

 しかし、

 

「やらせんよ」

 

 割り込んだギルベルトが尾を受け止める。鈍い音を鳴らし地面が陥没する―――次瞬、不可視の衝撃が尾を叩きその軌道を端へ飛ばす。

 

 その隙を光輝は逃さず、踏み込み聖剣に光魔力を籠めて放つ。

 

「〝天翔閃〟!」

 

 白光が一直線に迸り、ダインスレイフの左半身を捉える。鱗が砕け、鮮血が飛ぶ。

 

 だが、その程度でこの男が退くことは決してありえない。

 

「クハッ! いいぞ勇者(イアソン)、その輝きをもっと邪竜(おれ)に見せてみろッ!」

 

 宝をよこせ、全てをよこせと、強欲な半竜は白光を浴び焼かれながらも一歩踏み込み、彼我の距離を強引に潰してきた。

 

 光輝は舌打ちを飲み込みながら聖剣を引き戻す。だが、ダインスレイフの方が一手速く、籠手剣(ジャマダハル)が光を引き裂くように突き出される。

 

 聖剣を横に滑らせるようにしてそれを受け流し、返す刃で斜めに深く斬り裂く。その瞬間、光輝はダインスレイフの口元の笑みが深まっていることに気が付いた。

 

「――くッ!」

 

「遅せえんだよォォッ!」

 

 咆哮と同時に、竜腕が聖剣の刃を真正面から掴み取った。

 

 爆ぜる白光で竜麟が焼け焦げるが、半竜は意にも介さず、焼ける肉の臭いを漂わせながら強引に握り締め、そのまま光輝を引き寄せるように踏み込んできた。

 

 その瞬間、右腕の籠手剣(ジャマダハル)が弧を描いた。狙いは腹部。

 

 聖剣を掴まれた状態では防御は不可能、回避は遅れる。直撃すれば、鎧ごと腹を裂かれ内臓を撒き散らすのは確実だった。

 

 次の瞬間、ギルベルトの星光がダインスレイフの足元で炸裂し、地面を粉砕する。踏み込みが僅かに浮き、籠手剣(ジャマダハル)の刃筋は腹部の芯を外して斬り裂いた。

 

 ギルベルトは崩れた重心の内側へ踏み込み、幅広の大剣を振り抜いた。刃は聖剣を掴む竜腕の手首を断ち割り、その軌道のまま身体を捻る。

 

 同時に放たれた回し蹴りがダインスレイフの腹部を蹴り上げ、半竜の巨体は十数メートル先まで弾かれるように吹き飛び、地面を削りながら転がった。

 

 光輝は聖剣を杖代わりにしてその場で膝を突く。腹部から溢れる血が鎧を濡らし、呼吸の度に焼けるような激痛が走る。しかし、まだ終わってはいないと顔を上げる。

 

 視線の先ではダインスレイフがゆっくりと立ち上がっていた。断ち切られた竜腕の手首が蠢き、肉が盛り上がり、骨が伸び、紫紺の鱗が覆う。その再生を愉しむように喉の奥で嗤っていた。

 

「クハッ……いいなァ。やっぱり、こうでなくちゃなァァッ!」

 

 戦場を支配する物質再形成の星辰光(アステリズム)の号令により、裂けた大地から物質を押し破るようにして爪が現れ、牙のような岩刃が噴き上がり、尾のような石塊が横薙ぎに走る。百を超える剣麟が槍衾となって周囲を埋め尽くした。

 

 腹の傷を抑えながら光輝が立ち上がる。目の前から迫りくるは絶望的な程に凶悪な障壁、絶命必至のそれを見据え―――

 

(怖いな)

 

 天之河光輝の胸中にまず感じたのは、恐怖だった。恐ろしいと、【オルクス大迷宮】で味わった敗北を遥かに超える絶望。しかし、()()を前にして恐怖は抱いても逃げたいとは思わなかった。

 

(俺は―――)

 

 胸元の黒星晶鋼(アキシオン)を意識すると、様々な感情が混ざる心が純白一色に染まっていく。

 

『――成ればよい、君が目指す理想の姿に』

 

(俺の、理想の姿は―――)

 

 ならばこそ―――

 

「―――〝限界突破〟ッ」

 

 ―――()()光輝に後退の二文字は存在しない。迫る剣麟を切り払い、突き上がる爪を弾き、牙を砕き、そして一歩一歩と前へと進む。

 

 それでも全てを捌ききることは出来ない。肩を裂き、腕を掠め、鎧の隙間を突く刃が血を噴き上げる。それでも光輝は止まらない。

 

 むしろ踏み込む、さらに踏み込む、剣閃が加速する。

 

「―――まだだッ!」

 

 ()()()()の叫びと共に、聖剣の軌跡はさらに鋭さを増していく。

 

 

 

 その光景を、少し離れた場所から二人の幼馴染が不安気に見つめていた。

 

 目の前で繰り広げられている戦闘へ、もう自分達が割って入れるような間隙は残っていない。

 

 二人に刻まれた傷は既に完治している。だが、圧倒的な戦闘を前に気圧されていた。

 

 剣麟の嵐の中を進む光輝を見る。血を流し、傷を増やし、それでも止まらない。

 

 纏う雰囲気は悠姫を始めとした()()()()()()()()()に近いものを感じる。

 

「……まだ、だっ」

 

 限界を超えようとするあの叫び、雫が同じように口にして全身に力を込める。

 

 だが、テルスの時のように何かが弾ける感覚は訪れない。新しい力が芽生える気配もない。

 

 当たり前だ。気合と根性、単なる決意表明の言葉で限界を当たり前のように破壊してしまうなど、人間基準で言えば頭のおかしい者達の領域なのだから。

 

 雫は小さく息を吐く。視線の先では光輝がまだ前へ進んでいる。剣麟に身体を裂かれながら、それでも「まだだ」と叫び続けて。

 

 雫の胸の奥が、わずかに軋む。

 

 一見すれば脅威を前にしても諦めず敵に立ち向かう勇者の姿に違いないのだが、()()()()を知る雫達にはあのような雄々しい姿は酷く危険なものにしか見えないのだ。

 

 彼女達が知っている天之河光輝はそんな戦い方をしていなかった筈だ。幼い頃から面倒を見てきた手のかかる弟は、自らを一切顧みない壊れてもおかしくない戦い方をするような男ではなかった筈だ。

 

 しかし、現に天之河光輝は気合と根性で限界を突破した。光に盲られた者達の領域へと足を踏み入れようとしていた。

 

 雫は視線を逸らさない。

 

「……行こう、雫ちゃん」

 

「……香織」

 

 雫の隣から香織が静かに、決意を籠めて声を掛ける。雫は一瞬だけ目を閉じ、そしてすぐに頷いた。

 

「……ええ、行きましょう」

 

 二人が踏み出そうとした、その時。

 

「―――ならば、私が君たちの援護に入ろう」

 

 落ち着いた声が二人の背後からかかる。振り向けば、そこには先ほどまで光輝と共にあの場所にいたギルベルト・ハーヴェスが立っていた。

 

 いつの間に移動していたのかは分からないが、そんなことよりも男に刻まれた大小数々の傷に二人が意識を奪われた。

 

 ()()ギルベルト・ハーヴェスが傷を負っているということ自体が驚くべきことであり、それがあの場の危険度を際立たせている。

 

「いくら大地母神の加護を授かっているとはいえ、君達だけでは力不足だろう」

 

 勇者(光輝)半竜(ダインスレイフ)が衝突している中心、光と剣麟、殺意と殺意が交錯する、あの戦場。

 

 雫と香織は一瞬だけ顔を見合わせ、そして同時に頷いた。

 

 三人は次の瞬間、同時に地を蹴っていた。

 

 その足音が戦場に溶けた、その刹那。爆炎の名残と狂笑が、再び広場を揺らした。

 

 

 

 

 

 血と煙の向こうで、ヘルヴァルド・ティルフィングが愉しそうに嗤っている。

 

 ディルグは槍を支えに呼吸を整え、シェリアは砕けた肋を庇いながらも双曲剣を握り直し、アヤメは焼けた装備を引きずるように立ち、幸利は咳き込みながらも魔法の準備をしている。

 

 全員が立っているだけで精一杯の筈なのに、誰一人として相対する彼女から視線を外さない。

 

 対するヘルヴァルドも、外見だけは負けず劣らずの悲惨さだった。脇腹に走る焦げた裂傷、焼けた左手には飾りのように剥がれた皮膚がぶら下がっている。しかし、その表情は歪んだ喜悦に満ちていた。

 

 肉体の回復、あるいは肉体を作り変える術は持っている筈なのだが、それも最低限に、右手の剣と左手の金属爪を踊らせて前に出る。攻勢を止めない、止められない、止める理由が彼女には存在しない。

 

「さあさあさあッ! まだ立てるでしょう? もっとよッ、もっと痛いのを、もっと綺麗な悲鳴をッ!」

 

 ヘルヴァルドの剣が大振りに振り下ろされる。ディルグは槍を横にして受け止め、刃と槍身が噛み合ったまま火花が散った。

 

 押し込まれる。ディルグが踏ん張る。槍身が軋む。その力比べの接触点から、左手の金属爪がするりと槍身に触れた。

 

 爪は槍の上を這うように滑り、接触点から手元へ向かって一直線に寄ってくる。指を守って握りを緩めれば受けが崩れ、受けを固めれば指先を裂かれる、嫌らしい選択を強いる攻めだった。

 

 ディルグは槍柄を捻り、爪の線を外すように角度を変える。だが角度を変えた瞬間、今度は剣が押し込まれて喉元が近くなる。

 

 その横合いから、シェリアが割り込んだ。双曲剣に纏った光熱が弧を描き、ヘルヴァルドの肩口へ噛みつく。

 

 灼熱の余波が弾け、肉が焦げる匂いが立つ。それでもヘルヴァルドは半歩も引かず、噛み合ったままの剣を押し込み続けたまま、金属爪だけを返してシェリアの腹へ伸ばす。

 

 シェリアは身を引いて致命の線だけを消す。爪が掠め、服と皮膚を薄く裂く。だがヘルヴァルドは嬉しそうに喉を鳴らし、熱で焼かれた肩をそのままに攻めの流れを切らさない。

 

「ヒヒッ……止まらないわよ、この程度ッ!」

 

 笑い声と共に、ヘルヴァルドは踏み込む。焼けた肩を晒したまま、剣を落とし、爪を伸ばし、攻めの波を切らない。

 

 アヤメが旋根で受け、横へ弾く。だが受けた衝撃が腕を通って肩まで揺らし、視界の端でディルグの膝が沈むのが見えた。

 

 このまま押し潰されると、それでもアヤメの胸中に浮かんだのは、恐怖より先に別の違和感だった。

 

 ガーランドの町。戦場の匂いから遠い場所で、ヘルヴァルドの名は、いつも柔らかい調子で語られていた。老若男女を問わず、誰もが彼女を褒め、慕い、畏れ、そして同じ言葉で呼んだ。聖女と。

 

 その印象は、魔人族の噂話としてではなく、生活の中の現実として根付いていた。負傷兵を見捨てない、弱者に手を差し伸べる、勝者の驕りを見せない――そういう“顔”が、確かにあったのだろう。

 

 だが今、目の前にいるのは。傷を増やされるたびに喜悦を深め、血が飛ぶほどに笑い声を弾ませる女だった。

 

 アヤメは息を吸い、声を張る。

 

「……ガーランドの人々は、貴方を“聖女”だと言っていた。ですがそれは、ただの仮面でしかないのですねっ」

 

 言い切った瞬間、背筋が冷える。挑発というより、確認に近い言葉だった。自分の目が見ているものを、言葉にして確かめるための。

 

 幸利は短く吐き捨てる。

 

「発言のどこを切り取っても、“聖女”とか言えるような感じじゃありませんよ、この人はッ」

 

 その言葉は、単なる悪口では終わらない。

 

 ヘルヴァルドは痛みを“受ける”ことよりも、相手に痛みを“与える”ことに反応していた。悲鳴が上がるたび、恐怖で呼吸が乱れるたび、彼女の笑みだけが鮮やかになる。

 

 それは戦闘狂の昂揚ではない。生粋のサディスト――他者の苦痛を悦びとして味わう者の顔だ。

 

 それは侮蔑でも罵倒でもない。戦場で幾度も彼女の笑いを浴び、痛みの温度を見せつけられた者にしか出せない、率直な結論だった。

 

 そして、その言葉を待っていたかのように。

 

 ヘルヴァルドは剣を振るいながら、愉しげに頷いた。焼けた肩から赤い血が流れ、左手の皮膚が剥がれていても、彼女の表情だけが満ち足りている。

 

「ええそうよッ! 私はただひたすらに、実直に、ただ純粋に」

 

 剣が落ち、爪が伸びる。致命の線だけをシェリアが消し、ディルグが槍で受け止め、アヤメが軌道を崩す――それでも攻めの流れは崩れない。

 

「殺して、(バラ)して、(コワ)してやりたいだけなのよッ!!」

 

「だからそう、あなたたちの奇麗な悲鳴(こえ)を、もっと存分に聴かせてちょうだいッ!」

 

 叫びは狂気というより、告白だった。隠す気のない、飾る気のない、ただ剥き出しの欲望。

 

 幸利の喉が無意識に鳴る。声の調子ではない。剣の角度、踏み込みの癖――どこかで見た“手順”が、ほんの一瞬だけ混ざったような気がした。自分が魔法を使う時の癖に似ていた。

 

 だが考える暇はない。

 

 ヘルヴァルドの剣がディルグの槍を叩き、爪がシェリアの喉元へ滑り、アヤメの間合いに足が入る。四人は噛み合わせる。噛み合わせ続ける。それでも押し返せない。

 

 

 

 

 

 

 広場の空気は、二つの戦いによって裂かれていた。

 

 片や、血と煙の只中で愉悦に嗤うヘルヴァルド・ティルフィング。剣と金属爪が波のように途切れず、四人の連携は噛み合っても押し返せない。

 

 片や、剣麟の槍衾と化した大地を踏み越えていく、光輝とダインスレイフの激突。白光が走れば紫紺の鱗が砕け、爪と牙と尾が応えるように物質を裂いて現れ出る。そこへ雫と香織、そしてギルベルトが踏み込み、光と殺意の中心はなお濃くなる。

 

 それでも、誰も倒れない。倒れないからこそ、戦場は少しずつ、確実に摩耗していった。

 

 愛子は息を呑んだまま、足を動かすことさえ出来ずにおり、メルドや他の生徒達も同じだった。目の前の光景は、救いの手を伸ばす余地を残さない速度で進み、誰の想定も、誰の祈りも、置き去りにしていく。

 

 ――だが。

 

 その均衡を、外側から叩き割る出来事が起きた。広場の壁が、外から突き破られたのだ。

 

 轟音と共に瓦礫が吹き上がり土煙の柱が立つ。その中心へ何かが飛来してきた。そう見えた。人影が壁を貫く勢いのまま、瓦礫へめり込む。

 

 誰もが反射的に視線を向けると、崩れた石塊の山がゆっくりと動いた。

 

 そこから立ち上がったのは、翼を背に宿した女性だった。全身は満身創痍。衣は裂け、血が流れ、呼吸は荒い。それでも背筋だけは折れていない。

 

 真の神の使徒ノイント。

 

 その名を知る者が、喉の奥で息を詰めた。

 

 そして、彼女が突き破ってきた壁の裂け目。そこから、さらに空気が変わる。

 

 天孫降臨するように、厳かに宙へ降り立つ人間がいた。

 

 天津悠姫。

 

 その姿は、激戦の只中にあってなお異質だった。血と煙と叫びが渦巻く戦場に、ただ一つだけ、澄んだ静けさが落ちる。

 

 そして、悠姫の隣へふわりと降り立つ者がいる。万人が母と呼んでしまうほどに母性に満ちた女性――ガイア。

 

 その場にいる誰もが、言葉を失った。

 

 戦場が、裏返る。

 

 誰も想定していなかった形で。

 

 誰も準備していなかった結末へ向けて。

 

 天津悠姫は遂に、()()()()()()()()()()()()()

 

「天葬せよ、我が守護星――鋼の箱庭(ウチュウ)終焉(オワリ)を宿せ」

 





 感想、アドバイスなどいただけると嬉しいです。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。