時は遡り、ハジメが愛子にその決意を示した頃、北の山脈地帯。
ティオと遭遇した場所から、三つほど山を越えた場所で、天津悠姫とファヴニル・ダインスレイフは戦っていた。既に通常の星辰奏者という枠組みを超えている二人は、その化物染みた性能を遺憾なく発揮している。
「天昇せよ、我が守護星──鋼の恒星を掲げるがため」
そこに轟き渡る人外特有の起動詠唱。凶兆と破壊の咆哮は、あらゆる無機物を支配下に置く。
「美しい――見渡す限りの財宝よ。父を殺して奪った宝石、真紅に濡れる金貨の山は、どうして此れほど艶めきながら、心を捉えて離さぬのか。
煌びやかな輝き以外、もはや瞳に映りもしない。誰にも渡さぬ、己のものだ。
毒の吐息を吹き付けて、狂える竜は悦に浸る」
奏でられるのは悪意に満ちた祝詞。謳い上げるは歪に歪を重ねた英雄賛歌。あの日、この目に焼きついた、二人の英雄の背中。その片割れがトータスにいる。ならば是非も無し、その全てを奪い尽くそう。
戦乙女も、英雄の仲間も、そして人間族の国も、魔剣に滴る血となるがいい。
「その幸福ごと乾きを穿ち、鱗を切り裂く鋼の剣。
巣穴に轟く断末魔。邪悪な魔性は露と散り、英雄譚が幕開けた」
ゆえに英雄よ、その輝きを魅せてくれ。悪しき邪竜は此処にいる、破滅へ導く魔剣は此処に在る。ならば、貴様が辿る結末はただ一つ。
「恐れを知らぬ不死身の勇者よ。認めよう、貴様は人の至宝であり、我が黄金に他ならぬと。壮麗な威光を前に溢れんばかりの欲望が朽ちた屍肉を蘇らせる。
故に必ず喰らうのみ。誰にも渡さぬ。己のものだ。滅びと終わりを告げるべく、その背に魔剣を突き立てよう」
この男こそ、邪竜にして魔剣、魔剣にして邪竜――最強の人造機竜。欲望の赴くままに此処に暴力を具現する。
Her den Ring!
Her den Ring!
「超新星──〝邪竜戦記、英雄殺しの滅亡剣〟ッ!!」
無機物の支配者による大号令は、無数の剣鱗と竜爪の具象として表れた。視界を埋め尽くす剣鱗は立ちはだかる全てを喰い殺さんと、必殺の波動を放っている。しかし、
「無駄だ!」
星環境変性――
――〝殲嵐の齎す終焉に、光は無く〟
悠姫は、世界を終わりへ導く、殲嵐の怪物を呼び起こす。
今、邪竜の前に立ちはだかるのは、英雄に並び立つ、不滅の怪物。ならば、悠姫が邪竜に敗北する理由も道理もある筈がない。
「クハハハハッ、ヒャハハハハハッ!」
しかしその程度は、邪竜にとって絶対不変の法則の一つに過ぎない。英雄は朽ちぬ、怪物は死なぬ。たとえ世界から消滅しようとも、必ず何らかの方法で蘇り、英雄譚は紡がれる。
「そう、この今のようになあぁッ!」
新西暦で消滅したユキ・ロスリックは、トータスにて見事に復活を遂げた。最高じゃないか、血が滾る。
悠姫の一振りにて発生した嵐壁は、触れた剣鱗を文字通り削り取る。ダインスレイフは、その一切を微塵と化す殲嵐に自ら飛び込み、本気で殲嵐を踏み拉く。
「――そらそらどうしたッ! 邪竜はまだまだ健在だぞ!」
「黙れよッ、この規格外が!」
「おいおい、それはお互い様ってやつだろうがぁ!」
身体の数割が削り取られるが、その程度。飛び込んだ勢いのまま、籠手剣を悠姫に突き立てる。心臓を寄越せ、すべてを寄こせ、強欲竜はここだと、狂気を宿して叫ぶ。
しかしこの戦場において、狂気は邪竜の専売特許ではない。悠姫は、無限の狂気を乗り越えた男。その技量も精神も、通常の枠には納まらない。竜体化したティオの竜鱗すら貫くほどの破壊力を持つその竜爪を、流れるように太刀を割り込ませ、ただの技術で衝撃を全身に拡散させつつ受け止めた。
嵐の中心で、二体の怪物は互いの武器を軋らせながら睨み合う。そして、ダインスレイフの血肉が蠢きながら接合し合い、傷が塞がっていく様子を見て、心底気持ち悪そうに吐き捨てる。
「――噂には聞いていたが、本当に気持ち悪い肉体だなそれは。人間やめるとか、やめないとか、そういう次元を超えてるぞ」
「それを言うならお前もじゃないか、英雄。身体が文字通り消し飛んでも、超純度の結晶体に包まれたかと思えば、完全復活。お伽噺にもなかなかいねえぞそんな奴!」
「チッ!」
悠姫の足元から竜爪が生え、下がって避けようとすれば、執拗にダインスレイフが肉薄しながら籠手剣を振りかぶる。
ゆえに、悠姫は自ら腕を引き千切って前方へ、つまりダインスレイフの後方へ投げ飛ばした。ダインスレイフはその腕に一瞬だけ気を逸らしたが、そのまま悠姫の肉体を切り刻んだ。さらに地面から竜爪が、周囲から竜鱗が飛来して、悠姫を嬲り殺す。
足が千切れ胴を削がれ、眼球を貫き左脳が消し飛び――身体が硝子のように砕け散った。
そしてダインスレイフが聴いたのは、後方で何かが生える音と、大地を踏みしめた人の足音。振り返った先にいるのは、五体満足で無傷の悠姫だった。
「――なるほどな、砕けてから生えてきた。同じ部分は同時に存在出来ねえと言ったところか」
「ご名答、と言っておこう。無駄に頭の回転は速いな」
「本気で考えりゃなんとやらってな。そういや、あれか。カンタベリーの頭は不老不死で、何百年も陰から支配してる、なんて噂を耳にしたことはあるが……」
「極東黄金教の総本山、プラーガの議事堂と炉の存在、そして日本人であるお前とその力……クハハッ! なんだなんだ、そういうことかよ! 面白そうな宝を見逃しちまってたのかもしんねえなあッ!」
哄笑するダインスレイフ。まさかあれだけの情報で、そこまで答えを出すとは…と悠姫はダインスレイフの導き出した答えに舌を巻く。
この二人が新西暦にいた頃、カンタベリー聖教皇国には、教皇スメラギと呼ばれる少年と、騎士団総代騎士グレンファルト・フォン・ヴェラチュールがトップに君臨していた。この二人の男と、あと女性二人を加えた四人が神祖と呼ばれ、カンタベリー聖教皇国を建国、旧暦では星辰体研究チームに所属していた、千年を生きる日本人だ。
つまり、実験体と研究者、アドラーとカンタベリーなど、他にも色々な部分は異なっているが、太源的には同じ、大破壊に巻き込まれた日本人。ゆえに、悠姫が神祖と同じ系統の能力を保有していても、何も不思議ではない。
しかし、断片的な情報だけで正解に辿り着く、ダインスレイフの頭脳と勘の良さは、凄まじい。だからこそ、不可解だ。
「お前、どうして魔人族側に付いた?」
「人間族の敵と言うのは、そんなに不満かい?」
「別に。人間族、魔人族、そして亜人族。あれこれ言われてはいるが、結局全部同じじゃないか」
「ああ、まったくその通りだ。神を名乗る奴の玩具でしかねえ」
そうだ。仮にもこのダインスレイフは、氷雪洞窟を攻略している。ならば、世界の歴史というものを知ったのだろう。
それでも、この男は魔人族側として戦争に参加している。自ら、神の玩具として振舞っている。
「で? お前なら、第三勢力として巧く立ち回ると思ったが?」
「なに、本気の男を見たんでな。あいつは本気で、魔人族の繁栄を願っている。磨けば輝く原石で、戦争やお前等が手っ取り早い研磨剤だ。それに、なあ!」
ダインスレイフは再び籠手剣を振るう。死なぬ殺せぬ、知ったことか、その背に魔剣を突き立てよう。壮絶な暴力を悠姫に叩き付けながら、怒りと歓喜を込めて咆哮した。
「天之河光輝はつまらねえ奴だった。世界の為とほざいていながら、結局は聖剣振り回して遊ぶガキだ! 本気で世界を救いたいというのなら、一体どうして迷宮なんかにとどまっている!」
自分こそ正義、自分こそ勇者、だから悪を倒して世界を救うと、字面だけなら典型的なヒーローだ。だが、本気で生きぬ天之河光輝が英雄など、ダインスレイフは認めない。紛い物如きが英雄を語るな、ふざけんじゃねえと、怒りによって壁を超える。
「それに比べりゃ、あの戦乙女達は実に良いッ! お前の背中を追おうと、本気で足掻いている! なにやら面白い物にも目覚めたみたいだしなあ!」
悠姫こそ英雄、私達の希望、だから貴方に尽くしますと、典型的なヒロインだ。それでも守られるだけではないのだと、本気で己を錬磨している。二人がテルスで覚醒した瞬間を思い出し、感極まったダインスレイフはまた一段階覚醒する。
「つまりは、利害の一致だ。魔人族は人間族と戦いてえ、俺は奴らがが本気で生きるところが見てえ。それだけだァッ! だから存分に魅せてくれ、我が麗しの英雄ォォッ!」
ダインスレイフを中心に剣鱗と竜爪が再度展開される。雑木林の如く乱立され、コンマ一秒でも判断が遅れれば、その雑木林を彩る紅き血の華となるのは必然だが、
「いい加減、見飽きたんだよ!」
星環境変性――
――〝神罰覿面、神敵粉砕、豪放磊落。神威を此処に〟
“宝物庫”から取り出した大槌を、筋力強化の星辰を使って、地面に叩き付ける。一種の爆弾にも匹敵する強大な一撃は地面を砕き、剣鱗と竜爪を破壊する。
そして大槌と星辰を太刀と殲嵐に切り替え、獣の如き咆哮と共に、幾度目かダインスレイフと衝突する。
「ウオオオオォォッ――!」
「シャアアアァァッ――!」
戦闘開始から、既に数時間。本来なら、単純な能力値と手数の差によって、決着はついている筈だった。
だが、異常な精神力、そして神代魔法によって、維持性などという限界は遥か遠くに捨てられている。
そして、都合三十六回の覚醒を果たしたダインスレイフは、たった今三十七回の限界を超え、ついにダインスレイフの身に変化が起きた。
悠姫の一太刀がダインスレイフを肩口から斜めに両断する。擦り落ちる右半身、絶死不可避の致命を受けて――
「――読んでるんだよその程度ォッ!」
――だが、この程度は想定済み。自身に放った竜爪で無理やり繋ぎ合わせて籠手剣を振るう。
悠姫も悠姫で、何かとんでもないことを仕出かすだろうとは思っていたので、冷静に飛ばされてきた剣鱗を切り落とし、籠手剣を弾く。が、
「――ッ、ぐォ!」
空いた脇に、鞭のようにしなやかで、しかし凄まじい重量感のある何かが、背後から襲いかかった。
油断はしていなかった。限界まで特化した干渉性は、かの死想恋歌のように星辰体に直接干渉することはできないまでも、その流れを感じ取ることはできる。そのため、たとえどの方向から剣麟を射出しようとも、それこそ大地が邪竜の顎門と化そうとも、その初動を見逃すことはありえない。しかし、今回の一撃は、その流れが読めなかった。
何かに殴り飛ばされた先で体制を整え、その何かの正体を見据えたとき、悠姫は思わず呆然と呟いた。
「――尻尾?」
まるで地面から生える触手ように、根本が太い紫紺の尻尾が、ゆらゆらと揺れている。あの形をした尻尾を、悠姫は見たことがある。つい数時間前、ティオ・クラルスという竜人族が、竜化した姿の尻尾と同じ形で……。
まさか、と悠姫はダインスレイフを見る。不敵に嗤うダインスレイフは、なぜかその位置から全く動かない。悠姫は咄嗟に、ダインスレイフの首を落とそうと突貫し――
「――一手遅いぜ」
ダインスレイフの背から生えた竜翼が起こした暴風に、悠姫は再び吹き飛ばされた。そして――
――周囲数十メートル規模の大地が一斉に隆起する。
「さあ、もっとだ。もっと、もっともっともっともっと!!」
『もっと楽しもうぜ! 英雄ォォ!!』
まるで膨張するかのように巨躯へと変わる。籠手剣や腕は、鋭き爪を持つ腕へと変わり、その巨体を支える逞しき剛足が、そして胴が顔が、黄金を求めし強欲の化身へと変成する。
「…おいおい…本気かよ」
邪竜狂乱。
僅かながら面影を残し、ファヴニル・ダインスレイフは正真正銘、邪竜へと変貌した。