オルクス大迷宮深部にて繰り広げられる最後の戦いは、その場の全員の視線を釘付けにしていた。それには驚愕があり、羨望があり、そして恐怖が入り交じる。
その観客達を一瞥した審判者は、悠姫との死闘を演じながら周囲へ言い聞かせるように口を開いた。
「この世界に召喚された私は、正直深く失望した。地球とトータス世界が、変わろうとも人間は全く変わらないと」
火花を散らしながら剣戟を交わす。
星辰光、不死身、性能。どの線から見ても、戦況は審判者が圧倒的に不利だ。いくら審判者の慧眼をもってしても、絶体絶命の一言に尽きるだろう。
それでも知らぬ存ぜぬと、審判者は言葉を紡ぐ。
「だが同時に、素晴らしいものも見た。不毛の地で飢えに苦しみ、寒さに震える彼女達魔人族は、そのような過酷な状況においても希望を捨てずに抗っている」
悠姫もまた応えるように口を開く。
「だから魔人族に付いていると?」
それはダインスレイフに聞いた問いかけと似たようなもの。しかし返ってくるであろう応えは想像がつく。
「勿論それも一つの理由ではあるが、極楽浄土に種族の垣根など必要ない」
そう、審判者が目指す極楽浄土にあるのは個人単位の優劣思想。人間族、魔人族、亜人族という種族差など一切関係ないのだから。
「そういえば、ダインスレイフが魔人族の繁栄を願う本気の男がいると言っていたが」
「そうだ。彼こそ、魔人族を導く英雄に他ならないッ!」
それを待っていたと言わんばかりに、審判者は昂りながら剛剣を振るう。そして審判者は語り始めた。己の夢、新西暦で実現できなかった偽りなき理想の世界を。
「世界とは嘆かわしい程に正しく生きる者が身を削ることで成立するもの。そして、その正道を往く者はとても少ない。なぜなら、正道を往くよりも悪道を行く方が人間とは楽に生きることができるからだ。正道ほど見合う輝きが返ってこない生き方はない」
「これは、歴史という足跡が示す純然たる事実である。群衆の為に身を削って生きる聖者ほど痩せ細り、死んでいく。逆に、肥え太るのは他者の利得を貪り食う、悪道を往く醜悪な塵屑ばかり」
「しかし、それが今ある世界の真実。ならば私が創り上げよう。正しき者が評価され間違った者が罰を受ける、正道こそ真に報われる理想郷をッ!」
熱を帯びる言葉が紡ぐ世界像は、所謂物語の悪役が望むような暴虐の限りを尽くす支配世界などではない。心から人の世を憂い、今より良い世界にしたいという正義が夢見る世界だった。
「そしてその為にも、完璧に公平な、一切の恣意が介入する余地のない人間の評価システムが必要なのだ。善き行いは加点され、一定に達すればそれに見合う報奨を得る。逆に、悪しき行いは減点されそれに伴う刑罰を受ける」
「そうすればはっきりと証明できる。どちらが上でどちらが下か。どちらの方が素晴らしく、どちらの方が醜悪か」
つまり因果応報、信賞必罰。究極的には、誰かの為に生きる英雄が溢れる理想郷が完成する。
「正しき道を往く者に、それに見合いし幸福あれッ! それこそ私の願い、ギルベルト・ハーヴェスというつまらない男の夢であるッ!」
審判者が目指す極楽浄土の姿がオルクス大迷宮へと響き渡る。
何も間違ったことは言っていない。楽園の守護者が語ったその在り方は紛れもなく――
「――正義の…味方?」
誰かが呟いた一言が全員の心に浸透する。審判者が語った極楽浄土を否定する語句は一切浮かばない。
事実、完全無欠だと思った光輝達は正義の味方の夢に慄き、尊敬の念すら浮かび始めている。
しかし、その理想の影に隠された現実を知る者は心底から嫌悪しながら否定する。
「ふざけるな」
炸裂した地面を踏み拉き、流れるような悠姫のカウンターが審判者へと叩き込まれた。審判者の肩部を僅かに削ぐ程度ではあったものの、それは優勢が悠姫へと傾き始めた証拠でもあった。
「お前、一体クリスから何を学んだ?」
嚇怒の炎を両眼に宿し、悠姫は音と空気を引き裂きながら斬空真剣で審判者を斬り刻む。至近距離からの間合いを無視した攻撃は回避行動の一切を許さない。
「確かに正道ほど見合う輝きが返ってこない生き方はないし、悪道ほど楽な生き方もないだろう。なぜなら、正しいことは痛いのだから」
辛く険しい道を苦しみながら進むくらいなら、苦しみを我慢するくらいなら、怠惰を選び諦めてしまった方がずっと楽になれる。だから最終的に悪を選択するものは多いのだ。
「常に誰かの為にあれ、輝く希望を胸に抱き、雄々しく前へ進むのだって…素晴らしいと言いたいのは山々なんだがさ……阿呆かよ。そんな世界で生きられる奴なんて俺達のような破綻者だけだ。全人類の過半数は生きられない、不可能なんだよそんな世界の実現は」
しかし、この極楽浄土が切り捨てるのは、正しくない全ての存在だ。悪に墜ちた者は言わずもがな、善でも悪でもない中間も切り捨てられる全てに当てはまる。そして、この中間が全人類の大部分を占めていると言っても過言ではない。
正しいことは痛いのだから。だが弱音を吐くことも、諦めることも、嫌な事から目を逸らすことも一切の弱さが許されない光の楽園。人類の滅びは避けられない未来だ。
「いいや、可能だ。弛まぬ努力は如何なる不可能も突破する。越えられざる困難が訪れた、それがどうした? 頑張りさえすれば出来るのだよ。なぜ言い切れるか、なぜなら、それを実現した存在を私は知っている! 貴方達が教えてくれたのだッ!」
「それが希少例だと言ってるんだよ! もう一度言うぞ、一体クリスから何を学んだ? ああ、でもそれよりさ……」
更に問い詰めようとした悠姫だがある可能性が頭を過り、それゆえにこれ以上何を言っても無駄だと悟った。
滅亡剣を含めて超強化されているという点を除いて、この審判者には一つの謎が残っている。
それは新西暦で、優劣を絶対至上とする男が極楽浄土を否定されながら敗北し、それでも全く同じ極楽浄土を掲げているということ。
地球とは異なる世界だからという理由なのかは定かではないものの、一切の改善も行われないのはあまりにも不可解だ。
加え魔人族側に付く理由もよく解らない。
英雄と呼ぶべき男の力になりたい。それは理解できる。
正しき者が評価される極楽浄土を創りたい。それも理解しよう。
しかしそのために人間族との戦争に協力し、且つ魔人族を勝利に導く?
極楽浄土に種族の垣根はないと言っておきながら?
個人価値が絶対の世界を掲げながら集団を尊重しているなど、それでは理想郷の法則に反している。
あのギルベルト・ハーヴェスにしては、余りにもちぐはぐなのだ。
結果、それらから導き出される答えは――
「だれだお前?」
――これはギルベルト・ハーヴェスではないということ。
「いや、違うな。俺が先に勘違いしていたんだ。お前はある意味、正しく人造惑星だったというところか」
つまり審判者という個体ではあるが、ギルベルト・ハーヴェスという個人ではないのだろうと悠姫は判断した。
人造惑星。通称、魔星と呼ばれる兵器は大きく二つの出自に分かれる。
一つは完全人造型。天津悠姫という少年が存在していた西暦末期、日本国にて製造されたアストラル運用決戦兵器であり、基本的に迦具土神壱型とその兄弟機が該当する。
もう一つが、人間を素体としたもの。その内の最初期に製造された殆どが死者を素体としたものであり、先程討伐された氷河姫と殺塵鬼の再現元が該当する。
その死者を素体とした人造惑星の特徴に、生前の衝動に強く引き攣られるというものがある。血統主義であり、殺人衝動であり、弱者篭絡であり、そして英雄信者であり。
だが、いくら厭離穢土を謳おうと極楽浄土に至ることは不可能。なぜなら先には生前に縛られた死者が溢れる地獄しか存在しないのだから。
星環境変性――
――〝殲嵐の齎す終焉に、光は無く〟
左手を上に上げると悠姫の背後に広がるように、星辰体が次々と収束されていく。夜空に浮かぶ星々を彷彿させるそれは範囲攻撃を目的としたものに違いはないだろうが、その矛先は一人に対して向けられている。
そして、後にハジメが〝王の〇宝〟と表現したそれらが――
「消えろよ、動く死体。お前に英雄賛歌は謡えない。
〝殲滅光流星雨〟――降り注げ」
――振り下ろされた悠姫の左手を号令に、容赦なく審判者一人へと放たれた。
一発一発が小威力の天霆の殲滅光。一掠りでも動きを縛るほどの激痛が走り、直撃すれば最低でも致命傷となることは避けられない。
「ぐぅ……ッ! いや、まだだッ!」
しかし、審判者の本質は光の亡者、致命を受けた程度で止まるはずもない。むしろ、咄嗟に床面を剥がし衝撃多重を組み合わせて壁とし、更に壁だけでは足りぬと片腕を生贄にすることで幾発と喰らいながらも致命傷に抑えた判断と力量こそ、審判者という個体の優秀さを物語っているだろう。
そして、光の亡者だからこそ理想を否定された程度では止まるはずもない。
「分かっているはずだ、否、知っているはずだッ! このまま往けば、貴方は世界に喰い潰される。だからこそ、――」
「――だからこそ、託された希望の光を世界に見せつけなければならないんだよ」
悠姫のような英雄こそ報われる世界を創らなければならない。そんな審判者の想いを遮り、悠姫は宣言する。
「これは逆襲劇だ。神を恨み、憎み、天空の座から引き摺り下ろす敗北者の祈り。つまり負犬の願いだ」
「まさか、貴方は……」
そう、反逆者達は敗北者なのだ。それは逆立ちしようが変わらない事実であり、変えることができない歴史だ。しかし、未来を変えることはできる。
「それでも、彼女達の願いは決して間違ったものではない。そして、彼女達に託された以上、俺はこの旅路を貫かなければならない。いや、俺自身がこの旅路を貫きたいと思うのだから」
「人々の希望、幸福、未来、輝き。守り抜き、そして切り拓かんと願う限り俺は無敵だ。かかってくるがいい。明日の光は奪わせない、勝つのは俺だッ!」
煌めいた剣閃が審判者の首へと吸い込まれるように叩き込まれた。対する審判者は一歩遅く、両断される前に剣を弾き返したものの頸動脈に深く入り込み、誰が見ても即死レベルの傷を負った。
しかし、当の本人は致命傷にすら一切気にすることなく、悠姫が選択した旅路も果てにある結末を読み取って呆然としている。
嘶きを上げる暴馬のように荒れ狂う殲嵐が、巨人の目の如く悠姫の頭上へと収束されていく。誇張なく一国を削る暴風圏が密閉空間に形成され――
「ああ、ならば喝采しよう。貴方の末路はやはり英雄だよ」
「…是非もない。そうしなければならないのなら」
――審判者を肉片残さず葬り去った。