ありふれない怪物は、やがて英雄へ   作:シロマダラ

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 遅くなりましたが、第八十一話です。


第八十一話 貴方の末路は―――

 

 突如として出現したおびただしい数の船団と人々が、悠姫と香織を戦争の渦へと落としてから約三十分ほどが経過した。

 

 既に何百隻と存在していた二陣営の大艦隊は殲滅され、周囲の景色は元の岩礁地帯へと戻っている。

 

「ごめ……ううん、ありがとう。そろそろ大丈夫だよ」

 

「無理は、してなさそうだな。だけど精神的には参っているだろう。あれには俺も気持ち悪いと思ったからな」

 

 近くの岩場に腰掛けて、二人は〝宝物庫〟から取り出した飲み物で気を落ち着かせている。考えるのは、先ほどまで二人が渦中にいた大海戦について。

 

 

 

 まず二人を襲ったのは、無数に飛び交う魔法の応酬だった。中には二人への直撃コースを辿るものもあり、悠姫は斬空真剣を振るい向かってくる魔法を両断する。

 

 別方向からも魔法が飛んできた時は、香織が光系初級防御魔法〝光絶〟を使い、展開された障壁が一発残らず防ぎきる。

 

 次いで二人に襲い掛かってきたのは、血走った眼に絶叫を上げる兵士の一団。その狂気に気圧されて香織は竦み上がり身体を強張らせるが、悠姫が一団を両断する。

 

 すると不思議な事に一団は死体になることはなく、淡い光となって霧散していった。思わず目を丸くする悠姫だったが、直ぐに光の正体を把握して納得する。同時に、周囲が突如として戦場へと変わった正体にも感づいた。

 

 魔法、恐らくは神代魔法で再現された過去の戦争なのだろう。その時代にいない筈の二人を認識して襲い掛かってきたり、その二人が魔法や兵士を倒せたりと再現の一言で片付くことではないが、大筋は間違っていないだろう。

 

 そこからの悠姫の判断と行動は早かった。香織を横抱きにすると、乗っていた船のマストを駆け上がり、物見台へと身を躍らせた。

 

 下方では、狂気に彩られた兵士達が一人残らず血走った目で悠姫達を見上げている。その兵士達は二つの勢力に分かれ、それぞれ異なる神の名を絶叫していた。

 

 その光景から、これは信仰を巡る宗教戦争――神代の時代に起きた悲劇の再現なのだと察せられる。

 

 唯一神を信仰する彼等にとっての、異教徒を滅ぼす為の正義の戦争。だが、今の彼等にはそのような理屈も情も残っていないのだろう。神の名を口にするだけの狂気に染まっている。

 

 一瞬前まで相対して殺し合っていた兵士たちが突然動きを止めると、一転して同じ方向――悠姫と香織へと向き直る。そして、理性の欠片もない血走った瞳が二人を射抜き、狂気と殺意だけを宿して群がってくる。

 

 その様子に香織は短い悲鳴を漏らし恐怖に身体を震わせる。しかし悠姫は冷静に、斬空真剣から星辰(ほし)を切り替えた。

 

星環境変性(オルタレーション)――

 ――〝冥界へ、響けよ我らの死想恋歌(S i l v e r i o V e n d e t t a)〟」

 

 悠姫が黄泉へ導く冥界の詩を謳った瞬間、星辰(ほし)の波動が奔った。悠姫を中心に、戦場の狂気を飲み込みながら広がっていく。

 

 星辰体(魔力)に直接干渉するというこの能力は、兵士達に絶大な効力を発揮した。波動に振れた兵士達は敵味方の区別なく次々と淡い光となって霧散していく。そして僅か十秒足らずで、幽霊船が大量に生産されていった。

 

 次の瞬間、別の方向から新たな砲撃が二人に向かって飛んでくる。悠姫は香織を抱きかかえ、マストを伝って他の船へと乗り移る。

 

 今度は香織が超高範囲型回復魔法を使い、悠姫と同じように戦艦を幽霊船にしていく。

 

 そしてそのまま二人は戦闘を続けていった。その後、たった二人の人間によって二国の大艦隊は殲滅されたのだった。

 

 

 

 

 

 そして現在に至る。

 

「ねぇ、悠姫くん。あれは何だったのかな?」

 

「おそらく、トータスで過去に起きた戦争を再現したんだろう。迷宮の挑戦者に襲い掛かるようにはなっているみたいだがな。まあ、それがこの迷宮のコンセプトということだろう」

 

「乗り越えるべき課題、ってことだよね。ということは…狂った神がもたらすものの悲惨さをしれ…なのかな」

 

「ああ、大体はそんな感じだろうな」

 

 悠姫の肯定を聞き、香織は先程までの光景を思い出す。そして再び、体を震わせながら顔を青褪めさせた。

 

 あの戦場を一言で表すならば、“狂気”だ。

 

 体中から血を噴き出しながら哄笑し続ける者、死期を悟った瞬間に自らの心臓を抉り出して神に捧げようと天に掲げる者、敵を弟ごと刺し貫こうとした兄と、それを誇らしげに笑う弟。

 

 香織は()()()()()()()()。夢という形ではあるが、ユキ・ロスリックという男の人生を見てきた彼女は、ユキの辿った戦いを知っている。その中には狂気に駆られた者だっていたし、平気で残虐な行為に手を染める外道だって見たこともある。

 

 それでも、先程の戦場は桁外れに狂っていた、余りにも悲惨だった。

 

 口元を抑えて俯く香織の肩を、悠姫はそっと抱き寄せた。

 

「―――ありがとう、悠姫くん。私、頑張るよ。だって、悠姫くんや雫ちゃん達と一緒にいたいから。だから、あんな光景になんて負けないから………悠姫くん?」

 

 香織は突然に抱き寄せられた事に驚くが、静かに瞼を閉じて感謝と決意の言葉を口にする。けれど返事がない。不安になって見上げると、悠姫は香織を抱いたまま、ほんの少しだけ視線を遠くへ向けていた。伝えるべき内容を口にするために言葉を選んでいる、そんな表情。

 

「……一つ念のため言っておくが、進んだ先で遭遇するのは、先程の大艦隊戦の再現とは“質が違う”と思っておいた方がいい」

 

「…えっと。どういうことなの?」

 

 香織が聞き返すと、悠姫は一拍を置いて再び口を開いた。

 

「過去の再現という大筋は変わらないだろうが、どうやら七大迷宮には、()()()()()が別に存在しているようなんだ」

 

 【オルクス大迷宮】クリストファー・ヴァルゼライドを再現したホムンクルス。

 

 【ライセン大峡谷】トータス最初の星辰奏者(エスペラント)にして解放者、システィ・ライセン。

 

 【グリューエン大火山】ユキ・ロスリックの異名である最強の怪物、テュポエウス。

 

 どれもが悠姫に関連し、悠姫を意識したとしか思えないものばかりなのは明らかだ。

 

「ハジメ達はヒュドラやミレディといった別の相手をしていた。なら、これまでの三つが俺に向けた試練なのは……まぁ見ての通りだな」

 

 ならば当然、この【メリュジーヌ海底遺跡】にも、他全ての大迷宮に悠姫用の試練が用意されていることは想像に難くない。

 

 香織は納得したように頷き、そしてふと思い出したように口を開いた。

 

「そっか……そう言えばガイアさんは――」

 

「ああ、解放者の一人だったからな。ミレディやシスティ、オスカーのように、あの面々が怪物(おれ)という存在を把握していても不思議じゃない」

 

 

 

 

 

 会話を終えると、二人は一番遠くに鎮座する最大級の帆船へと歩みを進めた。

 

 そして岩礁地帯の向こうで姿を現したのは、全長三百メートル以上の巨大な帆船だった。地上に見える部分だけでも十階建ての構造で、いたるところに荘厳な装飾が施されている。

 

 悠姫は香織を抱きかかえると、朽ちた外壁のひび割れを足場にして甲板まで跳び上がった。

 

 永い間、何者も足を踏み入れることはなかったのだろう。着地の衝撃で巻き上がった埃が海風に攫われ、すぐに静寂が戻る。広大な甲板に落ちる気配は、二人のものだけだった。

 

 悠姫は香織をそっと下ろし、周囲を確認するように視線を巡らせる。しかし動きがないと確認すると、香織へ短く声をかける。

 

「…様子を見ながら進む。警戒は怠るな」

 

 香織は緊張を帯びた面持ちで頷き、悠姫の後ろに寄り添った。二人は、慎重に甲板の中央へと歩みを進めていく。

 

 そして中央付近に到達した途端、周囲の空間が歪み始める。

 

 揺らいだのは景色よりも先に、音だった。

 

 甲板全体を震わせるような、怒号にも似た英雄賛歌が一斉に押し寄せてくる。

 

『おお、我らが勇者にして、至大至高の英雄よ―――!』

『勝利を授けたまえ―――!』

『我らに繁栄と栄光を与えたまえ―――!』

 

 圧のある声が幾重にも重なり、鼓膜の奥を震わせる。その熱量は、歓声というよりも“狂信の叫び”に近かった。

 

「……すごい……こんなに人が……」

 

 香織が思わず呟く。

 

 視界に広がるのは、甲板を埋め尽くすほどの民衆。手すりからマストの根元、見張り台の影に至るまで、隙間がないほどの群衆が押し寄せていた。

 

 悠姫は無言のまま、その異様な密度を見渡す。本来なら到底この帆船に載り得ない人数なのだが、これだけの群衆が乗っていたのは事実なのだろう。甲板全体に施された装飾や構造の頑強さを見る限り、当時は何らかの特殊素材か魔法による補強があったのかもしれない。

 

 もっとも、民衆の海の中にあっても――なぜか悠姫と香織の周囲だけは、わずかに人影が避けられていた。押し寄せる熱狂の中に、ぽっかりと二人分の空白が残されている。

 

「……船が、人で埋まってる……」

 

 香織はその密度に圧倒されながら、ぎゅっと悠姫の腕に寄り添った。

 

 悠姫は短く頷くだけで応じ、再び視線を民衆の渦へ戻す。

 

 あらためて目を凝らすと、この熱狂に満ちた民衆は一つの種族だけではなかった。

 

 人間族の男女、獣耳を持つ亜人族、赤い髪や浅黒い肌の魔人族――様々な種族が並び、皆一様に英雄へ賛歌を捧げていた。

 

 普段なら相容れない種族同士が、今は同じ方向を見つめ、同じ祈りを叫んでいる。熱狂がそれほどまでに“英雄”という存在へ収束しているということでもある。

 

 そして次の瞬間――甲板の最奥、ひときわ高い位置に英雄が姿を現した。

 

 白金の鎧は陽光を受けて眩く輝き、深紅のマントが大きく翻る。手にした大剣は紋様が光を放ち、見る者を圧倒する存在感を放っている。

 

 誰が見ても、疑いようのない“英雄”。

 

 そして英雄の一歩後ろには、数人の仲間と見られる者たちが控えていた。

 

 人間族の剣士。

 魔人族の魔法使い。

 亜人族の弓兵。

 

 彼らは英雄の背中を守るように並び、凛とした佇まいで民衆の熱を受け止めている。英雄に負けず劣らずの気迫をまとい、戦場を共に越えてきた者らしい落ち着きを備えていた。

 

 民衆は英雄達の姿を見た瞬間、さらに熱を孕んだ声を上げた。

 

『英雄様!!』

『光の御使いよ!!』

『世界を救い給え!!』

 

「……これが、昔に存在していた“英雄”……」

 

 香織の声は震えていた。

 

 英雄は民衆からの賛歌を静かに受け止め、大剣を胸の前に立てる。凛々しい笑みを浮かべ、澄んだ声で宣言を放った。

 

「――我が力は、皆を護るためにある。

 我が剣は、皆の敵を打ち滅ぼすためにある。

 我が勝利は、皆の繁栄のためにある」

 

 その一言ごとに、甲板が揺れるほどの歓声が返ってくる。

 

『英雄様ぁぁぁ!!』

『勝利を!! 栄光を!!』

 

 そして英雄は大剣の切っ先を天へと向け、断言した。

 

「――我は必ず神に勝ち、皆に自由を与えよう!」

 

 その瞬間、賛歌は狂気すら孕んだ熱狂へと跳ね上がった。声の海が甲板を飲み込み、空気が震え、圧力のように感情が押し寄せる。

 

 香織は胸元を押さえ、息を詰める。

 

 悠姫はただ静かに、群衆と英雄を見つめていた。

 

 その瞳は冷静で、揺らぎなく、その奥底に――わずかな違和感と警戒が沈んでいる。

 

 香織は甲板を埋め尽くす民衆の姿を見渡し、そっと胸元へ手を当てた。

 

「……こんな時代も、あったんだね……」

 

 驚嘆とも哀しみともつかぬ声が漏れる。だがすぐに、彼女の表情に強い陰が落ちた。

 

「……でも……みんなの顔……なんか、すごく怖い……」

 

 群衆は皆が歓声を上げている。讃え、祈り、崇めている。けれどその目には、熱だけが宿り、理性の影がどこにもなかった。

 

 悠姫はわずかに頷く。

 

「努力とか、信念とか……そういう次元じゃない。ただ、英雄の“カリスマ”に呑まれている顔だ」

 

「それって、つまり…」

 

「俺がクリスに憧れたのと似ているな。方向性が違うだけだよ」

 

 悠姫は暴漢に襲われた時、クリストファー・ヴァルゼライドに救われた。その背があまりにも輝いていて、格好良くて、憧れた。だからこそ、あんなふうになりたいと追いかけた。

 

 ならばこの民衆は―――。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そんな所だろう。ありふれた感情だ。ただ、あの英雄のカリスマが凄まじいから、こんな狂気じみた状態になっているんだがな」

 

 息を呑んだ香織が言葉を探した、その瞬間だった。

 

 甲板に満ちていた熱狂が、ふと切り落とされたように途絶える。声が消え、風が止み、世界の色が沈む。

 

「……えっ……?」

 

 景色がぐにゃりと歪み始めた。

 

 英雄の姿も、仲間たちも、民衆の海も――すべてが、溶けて混ざるように暗転していく。

 

 

 

 ――まず、最初に聞こえてきたのは、音だった。

 

 それは歓声ではない。祈りでも賛美でもない。

 

 怒声。

 

 憤怒、怨嗟、絶望、憎悪――この世のあらゆる悪意だけを抽出して凝縮したかのような、濁り切った闇の塊のような声が、世界の底から湧き上がってくる。

 

 景色が形を取り戻したとき、そこにあったのは―――処刑場だった。

 

「っ……!」

 

 香織が喉の奥で息を詰まらせる。

 

 英雄たちは、殺されていた。

 

 白金の鎧は粉々に砕け散り、深紅のマントはよりどす黒い血に濡れ、四肢は無惨にも欠損し、裂かれた腹から腸が垂れ落ちている。

 

 そこに()()のは、もう英雄とは呼べる姿ではなかった。

 

 石を投げつけられ、槍で串刺しにされ、剣や棍棒で何度も叩き潰された痕跡が残っている。

 

 かろうじて人型を留めているだけ。

 

 背後の仲間達も同様だった。

 

 人間族の剣士も、魔人族の魔法使いも、亜人族の弓兵も―――誰ひとり例外なく磔にされ、身体の原型を失うほどの暴力を受けていた。

 

「っ……ひ……っ……うぷ……っ」

 

 香織の口から声にならない悲鳴が漏れる。目に映る光景が、恐怖ではなく“拒絶”を呼び起こす。

 

 口元を押さえ、再びこみ上げてくる吐き気に耐え切れず、その場に蹲る。

 

 悠姫は蹲る香織の背中をさすりながら、表情だけは冷静に保っていた。だがその顔は、苦虫を噛み潰したように強く歪んでいた。

 

 静かに、深く息を吸い込み、まるで“この醜悪さを見届ける覚悟”を決めるように、目を逸らさずに英雄達の末路を見つめている。

 

 その眼差しは静かだが、その奥に沈んでいる怒りだけは隠しようがなかった。

 

「貴方の末路はやはり英雄だ、か」

 

 ポツリと、自然と悠姫の口から零れ落ちる。それは、【オルクス大迷宮】の深部で審判者(ラダマンテュス)に告げられた言葉。その時、悠姫はこう応えた。

 

『…是非もない。そうしなければならないのなら』

 

 ならばやはり、この光景が天津悠姫という男の―――

 

「――これが貴方達の末路です、光狂い」

 

 その言葉が悠姫にかけられた瞬間、英雄達への私刑は一斉に動きを止める。どうやら再現された光景そのものが、時間を止めたらしい。

 

 悠姫は声の主の方へと振り返る。

 

 そこには深いローブをまとい、顔の見えない女性が立っていた。足元には影が濃く沈み、静止した世界の中で、その存在だけが静かに揺らめいている。

 

「貴方は、それでも歩みますか?」

 

 香織が顔を上げて女性を見る。しかし、女性の視線は香織には向いておらず、最初から悠姫だけを真っすぐに射貫いていた。

 

「これが英雄と呼ばれた者の末路。讃えられ、崇められ、光を目指した者達の結末。民の希望となり、民に殺され、民に嘲られ、最後に残るのは、この朽ち果てた骸だけ」

 

 淡々とした声が、不思議と冷たく響き渡る。

 

「貴方の骸を越えた先に、民の繁栄などは訪れません。無駄死にするだけ。それなのに貴方は、未来を目指すのですか?」

 

「当然だろう」

 

 対し、悠姫は即答する。瞳に一切の迷いはない。悠姫は女性を真っすぐ見据えながら告げる。

 

「要はこう言いたいんだろう。目指した未来の果てに待っているのが破滅である。だから無意味で、無価値。誰にも感謝されず、誰も覚えていない。ゆえに無駄、徒労であると―――()()()()()()()

 

 悠姫の返答に、女性はローブの奥で目を大きく開いて驚いた。

 

「人生の道程で、夢の果てを知れば諦めると? そんな奴が夢など元から叶えられるものかよ。もしあれが俺の末路なら、知った上で踏み越えよう。かつて俺がそうしたように」

 

 声色は低く、静かに、決して揺れず。

 

「俺の光狂い(おろかさ)を見くびるなよ」

 

 女性はしばしの間、言葉を失っていた。ローブの奥に潜む気配が、驚愕から静かな溜息へと変わっていく。

 

「……なるほど。――私の負けね。見事に喝破されたわね」

 

 その声音は、先ほどまでの冷ややかさを失っていた。どこか柔らかく、呆れと感心が入り混じったような響き。

 

ガイア(かあさん)から聞いていたわ。“とんでもない男が一人来る”と。……ええ、本当にその通りだわ」

 

 そう言って女性は、初めて香織へと視線を向ける。静止した処刑場の只中で、その優しい眼差しだけが鮮やかに動いた。

 

「――しっかり見張っておきなさい。この手の輩は、絶対に止まらないもの。倒れても、嘲られても、何を失っても……歩くことだけはやめないわ」

 

 香織はぽかんと目を丸くした。だがすぐに、くすりと小さく笑う。

 

「……うん。そうだね。止められないよね、悠姫くんは」

 

 そして、迷いのない瞳で女性へ告げる。

 

「でも、止まらないなら――()()が支えるよ。だって、最後に勝つのはいつだって悠姫くんなんだから」

 

 香織の言葉に、悠姫がわずかに目を瞬かせる。女性は小さく肩をすくめた。

 

「……まったく。あなた達は決して“弱く”ないのですね」

 

 その声には、微笑の気配すら滲んでいた。

 

 女性の言葉に重なるようにして、止まっていた処刑場の景色が、ゆっくりと歪み始めた。

 

 英雄たちの骸も、荒れ果てた甲板も、憎悪の声すら残さず、まるで深い水底へ沈んでいくように淡く溶けていく。

 

 やがて視界を覆う白い靄が晴れると、二人が立っていたのは――元の朽ちた帆船の甲板だった。

 

 ローブの女性だけが、その中心に残っている。

 

「さあ、進みなさい。この先が、迷宮が示す“次の道”よ」

 

 女性が指し示した先には、淡く光を放つ魔法陣が静かに浮かんでいた。

 

 それは朽ちた船の甲板には似つかわしくないほど精緻で、まるで別世界への門のようにも見える。

 

 女性の輪郭はすでに淡く揺らぎはじめていた。試練の役目を終え、消滅に向かっているのだろう。

 

 その姿に向けて、悠姫ははっきりと言葉を放った。

 

「――俺がトータスに、必ず新しい世界を示してみせる」

 

 女性の揺らぐ姿が、そこでぴたりと止まった。

 

 そして、微笑む気配とともに小さく頷く。

 

「……ええ。期待しているわ。解放者達(わたしたち)の、最後の英雄」

 

 その声音は、柔らかく、穏やかで――まるで母が子へ未来を託すような響きを帯びていた。

 

 次の瞬間、女性は光の粒となり、風に溶けるように消えていく。

 

 静寂が落ちた。

 

 香織はそっと悠姫の袖を掴み、魔法陣へと視線を向ける。

 

「……行こ、悠姫くん」

 

「ああ」

 

 二人は並んで魔法陣へ歩み寄り、光の中へ踏み込んだ。




 年内中には王都編に行きたいッ!
 頑張ります。

 良ければ感想、アドバイスなどいただけると嬉しいです。
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