冒険者ギルドホルアド支部、その二階奥の一室。静まり返った室内で、遠藤浩介だけが落ち着きなく歩き回っていた。
「……浩介、少しは落ち着け」
腕を組んだメルドが、低く声を掛ける。
「でも、落ち着けないですよっ」
遠藤は思わず声を荒げた。
「先生と清水は囚われてるって言うし、檜山達を何とかしないと、皆が危ないんですよっ」
「分かっている……分かっているんだ」
メルドの声は静かだったが、そこには不甲斐無さによる悔しさが入り交じっていた。
「だが、俺達だけじゃ何もできないのも、分かっているだろう」
「それは……そうですけど……」
遠藤は言葉を詰まらせ、唇を噛む。
「だったら、今はユウキ達と合流することが最優先だ」
メルドは視線を扉に向けたまま、続けた。
「その気合は、後に取っておけよ」
「……っ」
遠藤は返事をせず、拳を握りしめた。
――その時。
廊下の奥から、確かな足音が、迷いのない一定の歩調で近づいてくる。遠藤の動きが止まった。そして、扉が開いた。
「すまない、少し遅れた」
そうして、姿を現したのは天津悠姫。その半歩後ろにはティオが続いている。
「……よかった……」
遠藤の口から、思わず安堵の声が零れ落ちた。
「やっと来たか」
メルドもまた、短くそう言って息を吐く。その声音には、遠藤に負けず劣らずの安堵が滲んでいた。
悠姫は軽く会釈し、室内を見渡す。騎士が二人。見覚えのある顔。初対面の顔。
そして――部屋の一角、静かに腰掛けていた、身なりの整った可憐な少女がいた。
「……うん? 貴方は確か」
悠姫は一瞬、記憶を辿るように目を細める。少女は静かに立ち上がり、丁寧に一礼した。
「お久しぶりです。えっと……天津さん、でよろしいのでしょうか?」
落ち着いた、品のある声音。
「愛子さんや優花さんから、天津さんと南雲さんの生存は伺っていました。それに、お姉さまからも」
「―――リリアーナ王女、だったか」
「はい」
その少女は、ハイリヒ王国第二王女リリアーナ・S・B・ハイリヒ、その人だった。リリアーナは、遠藤やメルドと同じように心底ホッとした様子で話し始める。
「お姉さまや、香織、雫から……色々とお話は伺っていました。正直に言えば、信じられないような話ばかりでしたが……」
そう言って、リリアーナは小さく苦笑する。対し、悠姫は少し考えるように眉を寄せた。
「……そんなに、変なことばかり言ってたのか?」
疑問半分、困惑半分の声音。
「前に香織と雫から聞いた限りでは、じゃがな。召喚される前の主の話を聞くに、あながち嘘とも言い切れんと思うぞ。たった二人で敵の本拠地に乗り込んだりは、普通は考えられないのじゃ」
「いや、それは否定できないが……」
「……ふふ」
悠姫は、露骨に嫌そうな声を漏らし、それを見てリリアーナは再び小さく笑いを零す。場の空気が、ほんの少しだけ和らいだところで、リリアーナは姿勢を正した。
「では、改めてお話しします。私が、ここにいるまでの経緯について」
リリアーナは、一度だけ小さく息を整えた。
「王宮の様子に違和感を覚えたのは……少し前からです」
語り口はまだ落ち着いている。だが、慎重に言葉を選んでいるのが伝わってくる。
「父は、以前にも増して聖教教会に傾倒するようになりました。それに伴って、宰相や重臣達も、同じ方向へと引きずられていきました」
そこで、ほんの僅かに言葉が途切れる。
「それから……騎士や兵士の中に、どこか生気を感じられない者が、目につくようになったのです」
「全員ではありません。ですが、以前とは明らかに違いました」
視線が、わずかに揺れる。
「その後、王都で会議が開かれました。ウルの町での一件についての報告と、今後の対応を協議する場です」
ここまでは、まだ整理された記憶だった。
「その場では、功績や状況を考慮すべきだという意見も出ました」
だが、と続ける声に力がこもる。
「結論は、その場では出されませんでした……その二日後です」
その一言で、空気が変わった。
「改めて通達が出され、悠姫さん達が異端者として扱われることが、正式に決定されました」
「当然、愛子さんは何度も異議を唱えていました。ですが……すべて退けられました」
指先が、無意識に握られる。
「私は、その決定が下された後、父に抗議しました」
ここで、声がわずかに震える。
「ですが、父は……考えを改める様子はなく……それどころか、私に対しても『信仰心が足りない』などと言い始めたのです」
息を吐く音が、はっきりと聞こえた。
「まるで敵を見ているかのようで、その目を見た時……私は父を恐ろしいと思いました」
「私は、その場では理解したふりをして退きました」
「そして、王宮の異変について、愛子さんに相談しようとしたのですが……」
首を、ゆっくりと横に振る。
「その時にはもう、愛子さんと清水さんの姿は見当たりませんでした」
声が、少し早くなる。
「少し前に、私は偶然……お二人が、銀髪の修道服を着た女性と話しているのを見ています」
「言い争いではありませんでした。ですが……雰囲気は、決して穏やかではありませんでした」
「その後、愛子さんと清水さんは、その女性の後を付いて行き……戻ってきませんでした。そして、私は相談できる相手を失いました」
「私を敵のように見る父がいると思うと戻ることもできず、数日間……見つからないように、身を潜めて過ごしました」
焦りが、言葉の端に滲み始める。
「その間、ずっと考えていました。このまま王宮にいても、何も出来ないと。そこで、思い出したのです。王都にはいないけれど、信頼できる友人、香織と雫のことを」
「そして、その二人と共に旅をしている悠姫さん達のことを」
リリアーナや遠藤達の視線が、悠姫に向けられる。
「私は……王族のみが知る隠し通路を使い王都を出ました。本来は、アンカジ公国を目指すつもりでした。アンカジであれば、王都の異変が届かないゼンゲン公の助力を得ることが出来るかも知れない。それに、悠姫さん達と会うことができる可能性も高いと思いました」
「ですが、途中で……遠藤さんとメルド団長達に出会いました」
少しだけ、肩の力が抜ける。
「事情を話し合い、遠藤さん達から悠姫さんが王都に来るという事を聞いて、私も同行させて頂くことを選びました」
「――これが、私がここにいるまでの経緯です」
「……なるほど。経緯は把握した」
悠姫はそう言って、短く息を吐いた。
「まず、リリアーナ王女が言った。『銀髪の修道女服の女』だが……俺達は、そいつを知っている」
リリアーナ達が驚愕して目を見開いた。
「……知っている、とは?」
リリアーナの問いに、悠姫は即答しなかった。一度、記憶をなぞるように視線を落とし、静かに口を開く。
「ウルの町の一件でな。その時、俺とティオはそいつと戦っている」
そう言ってから、悠姫はちらりと隣を見る。視線を受けたティオは、無言で頷いた。
「その時は修道女服じゃなかった。だが、リリアーナ王女が話した畑山教諭と清水の反応を聞く限り、同一人物だと考えていいだろう」
一拍置き、悠姫は続けた。
「ノイント。“真の神の使徒”と呼ばれる存在の一体だ」
その名が落ちた瞬間、室内の空気がはっきりと張り詰めた。
「……真の、とはどういう意味ですか?」
リリアーナの口からは慎重に選ばれた言葉が零れた。
悠姫は即答しなかった。否、即答できなかった。代わりに、ゆっくりと視線を上げた。
「……その説明をするためには、一つの話をしなければならない」
悠姫はそう前置いてから、静かに続ける。
「だが、この話はトータスという世界の歴史、君達が信じてきたエヒト神、そして聖教教会の信仰。その全ての根幹に触れることになる」
「それは、遥か昔から続いてきた異端者、あるいは異教徒、反逆者と呼ばれてきた者達の話だ」
「……それでも、聞くか?」
ゴクリと、誰かの喉が鳴った。
しばしの沈黙の後、最初に口を開いたのはリリアーナだった。
「わ、私は……」
言葉を探すように、震えを押し殺すように、一度息を吸う。
「今の父が、教会が……恐ろしく感じます。正直、何を信じればいいのか……それすら、分かりません」
それでも、と顔を上げる。
「だから、私は……私が見たものを、信じたいです」
その決意を受けるように、メルドが低く頷いた。
「俺も、リリアーナ様と同じだ。今の教会を無条件で信じることはできない」
一拍置いて、悠姫を見る。
「だがな、ユウキ。前にも言ったが、俺はお前のことなら信じられる」
遠藤と騎士達も、無言のまま視線を向ける。誰一人、否定の言葉を発する者はいなかった。悠姫は、その様子を見てゆっくりと息を吐く。
「……分かった」
そして、静かに告げる。
「なら、話そう。このトータスという世界の真実を」
フューレンと王都を繋ぐ街道を、一台の馬車が進んでいた。
「……王都は久しぶりね。母上やリリィ、ランデルは元気にしてるかしら」
シェリアは窓の外を見たまま、ぽつりと零した。懐かしむというより、確かめるような口調だった。
「近くに行っても、王都に入ることはなかったですから」
アヤメは“陛下は含めないんですか”という言葉を喉元で飲み込み、馬車の揺れに身を任せて改めて答えた。
「俺はそもそも王都には寄らんからな。いくらアーティファクトで亜人族であることを隠せても、あの空気は苦手だ。その点、アヤメには関心する。魔人族なのによく王宮に居られる」
ディルグの言い方には、冗談とも本音とも取れる響きがあった。
「ふふ、そうですか? まあ、私はシェリア第一王女の従者として振舞っているだけなので」
「でも、隊長達が召喚された頃は私は帝国にいたけど、アヤメは王宮にいたじゃない」
「ええ。近頃、隊長が召喚されるからと、シェリア第一王女に命じられましたから」
わざわざ第一王女と呼ぶその言い方に、シェリアはわずかに肩をすくめる。
「……ほんと、仲がいいね、あんたら」
すると、御者席から女性が呆れたように口を挟んだ。その女性の名はカトレア。オルクス大迷宮で天之河光輝達を襲撃し、そして悠姫達に倒された魔人族の女性だ。
悠姫と同盟を結んだあとはシェリアとアヤメの旅に同行し、カティ・ミラーと偽名を使っている。今は、こうして御者を務めることがほとんどだった。
「あら? 羨ましいかしら」
シェリアは楽しげに微笑みながら、そう返した。
「そんなんじゃないさ。あんたは人間族、アヤメ様は魔人族。戦争してる種族同士なのに、よくそんなに当たり前みたいに話せるもんだって思ってるだけさ」
「……そう、そう見えてるのね、私たちは。良かったわ」
シェリアは、ほんの僅かだけホッとしたような表情を浮かべた。その様子に、
「どういう意味だい?」
「私達は昔からの仲間であり同士。そんな絆があるから、種族が違うくらいで仲が悪くなるわけじゃないの」
シェリアはそこで言葉を切り、少しだけ視線を巡らせる。
「でも、周囲の人々はそう思わない。人間族の私、魔人族のアヤメ、亜人族のディルグ。戦争してる敵同士だったり、奴隷だったり……このトータスでは、種族間なんて碌な関係じゃないもの」
馬車の中に、短い沈黙が落ちた。揺れる車体と、規則正しい蹄の音だけが続く。
「だから、仲良く見えてるなら、とっても嬉しいわ。今はアヤメもディルグも、そして
「その時に改めて、私達の仲を皆に見てほしいわ。それがいつか、種族間の差別がなくなってくれると信じてるから」
「……そうかい」
カトレアは、それ以上は何も言わなかった。
「……そんな時が来れば、
ディルグの呟きに、シェリアは迷いなく頷く。
「ええ、絶対に。だから、必ずそんな未来を掴みましょう」
馬車はそのまま、王都へと続く街道を進んでいく。
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