打ち合わせと反省会が終わり、各々が帰る支度をしていた時のこと。
彩はライブハウスの外に出るとすぐに戻ってきた。困った顔でキョロキョロしている。
「彩?何かあった?」
「リサちゃん。それがね…私の自転車に昨日と同じチェーンがかかってるの」
「またイタズラ!?」
明日はパステルパレット中心の合同ライブ当日で、同じアイドルバンドで事務所の先輩であるプライズ、そしてゲストとして私達Roseliaの3組が参加する。今週はそれの合同予行練習に追われていた。そんな中、昨日の練習後に彩の自転車へチェーンがかけられる事件が起きていたのだ。当時は自転車が古くて買い換えるつもりだから大丈夫、と彩は笑っていた。そして今朝新しい自転車を購入したらしい。
そして今日、再び彼女の自転車にチェーンがかけられていたのだ。せっかく自転車を買い替えたのにまたイタズラされては、彩もたまったものでは無い。
「また自転車にチェーンを掛けられたの?」
近くにいた千聖も話に加わった。
3人でライブハウスの外に出る。裏口のすぐ側に彩の自転車とプライズの理子さんの自転車が止められていた。彩の自転車には昨日と全く同じチェーンが掛けられている。
「酷い…。警察に連絡しましょ」
「い、いや、明日本番だもん。みんなに迷惑かけたくないよ」
確かに、今はみんな明日に向けて意識が高まっている。彩のイタズラを話せば犯人探しが始まってしまうかもしれない。
「でもチェーンはどうしようか…。これじゃあ彩が家に帰れないじゃん」
「ホームセンターで強力なペンチを買うから大丈夫だよ」
「アタシもついて行く」
「私も行くよ」
私はスマホで近くにホームセンターが無いか調べた。ここから歩いて10分もかからない場所に店があるみたいだ。私達はその店で大きなペンチを購入しなんとかチェーンを切った。
私達が帰る頃には辺りは真っ暗になっていた。
誰が彩にイタズラをしているのだろう。合同ライブのメンバーなのかスタッフなのか全く関係ない一般人なのか。とても気になるが、ライブ本番が目前に迫っていた私は深く考えることができなかった。
彩は自分が一週間かけて作ったシメの挨拶を言い終わると歓声がドッと湧き上がった。汗が吹き出るほど熱気に包まれているライブハウスがさらに熱くなる。観客達の声は私達が舞台裏に戻ってもなかなか止まなかった。
ライブは大成功だ。今日の打ち上げは楽しくなりそうだなと、私はスタッフの人が用意してくれた水を飲みながら考えていた。
「今日はみなさんお疲れ様でした!」
片付けが終わった会場にパスパレ、プライズ、Roseliaのメンバーが集まった。彩は舞台に立ちペコペコと祝いの言葉を並べている。これも事前に考えていたのだろうか。
「今回のライブが成功したのは私だけの力ではありません。パスパレのみんな、そしてプライズさん、Roseliaの協力があって成し得たものです。だから、そのぉ、えーっと・・・。一人はみんなのためにというか・・・、協調性があって・・・。ま、まあ、私はみなさんにすごい感謝しています!このライブに協力して下さったみなさん、ありがとうございます!」
笑い声の混じった拍手がライブハウスに響いた。失敗してしまったが彼女なりに何か上手い事を言うつもりだったらしい。そんなちょっと抜けているのが彩のチャーミングポイントでもあるのだ。
「ではプライズさんとRoseliaの各リーダーからも一言お願いします!」
私の隣にいた友希那へ彩からマイクが向けられる。とても小さな声で「えぇ・・・」と嫌がるのが聞こえたが、文句を言わずすぐに舞台へ登った。
「それぞれの方向性は違いますが、各バンドごとの個性が上手く表現された良いライブだったと思います。私も楽しかったです」
友希那は言い終わると、彩の案内でプライズの春菜さんへマイクを渡した。腰まで伸びている艶のある長い黒髪が特徴的だった。毎日セットが大変だろうなぁと思う。
「私も可愛い後輩の力になれて嬉しかったです。そしてプライズも負けていられないなって思いました。Roseliaさんとは初対面でしたが、一緒にライブできて楽しかったです。またライブに呼んで下さい」
パスパレと同じ事務所の2つ先輩だと聞いていたが、どこか彩達とは違って大人の落ち着きを感じる。頼りになりそうな先輩だ。
だがこのプライズというメンバー、正直私は苦手だ。リーダーの春菜さんとベースのヒビキさんは優しい人だ。しかしギターの理子さんはとにかく私達に無関心だし、ドラマーの桜子さんは高圧的なのだ。特に桜子さんはパスパレへの態度が悪い。彼女達の事を嫌っているのが目に見えてわかる。
ちらりと私は桜子さんを見た。口をへの字にしてスマホをいじっている。最後くらいちゃんとできないのか。
「では今日はここでお開きにします。本当に皆さんありがとうございました!あ、打ち上げはこの後近くの焼肉でやります。参加したい方は私に言って下さい」
おお、打ち上げは焼肉か。今日はガッツリ食べちゃおう。
みんながゾロゾロと動き回る中、私は彩の元へ向かった。
さあ、これから焼肉を食べに行こうと打ち上げ参加メンバーでライブハウスを出た時だ。
「やっぱり、今日もだ」
彩は落ち込んだ声でそう言う。
「な、何ですかコレ!?酷い」
摩耶は彩の自転車にかかっているチェーンに触れた。鍵穴を探しているようだ。
「今日もって、もしかして前からこんなイタズラされてたんですか?」
「ああ、うん。一昨日の練習からずっとなんだ」
「もっと早く言ってくれれば…。もしかして私達がライブに集中できるように黙っていたんですか?」
彩は黙って頷いた。
「どうしましょう…。これじゃ彩さんが自転車を使えないです…」
「それなら心配しないで!」
彩は笑ってバッグから大きなペンチを取り出した。昨日私達で購入したやつだ。
「アイドルのバッグからこんなものが!」
「笑いながら取り出すの怖いわよ…」
摩耶と千聖は意気揚々とチェーンをぶった切ろうとする彩を見るとツッコミを入れた。チェーンが硬いのか、彩が切る時に自転車がグラグラ揺れたので私は慌てて押さえた。
「でも彩さ、イタズラが続くようなら警察に相談した方がいいよ」
私が声をかけるのと同時にチェーンがボトッと地面に落ちた。
「うん、そうする。…さ、チェーンも切れたし、焼肉行こうよ!」
彩は思いやりの強い子だ。今も空気が悪くならないように明るく振る舞っているのだろう。でも本当はとても怖いはずだ。身に覚えが無いのに、イタズラのターゲットにされている。ストーカーの仕業、なんていう可能性もある。心配なので少しの間彩の様子を確認し続けよう。
「彩ちゃんの自転車の件、犯人誰なんだろうねー」
日菜はロースを頬張りながらふとそんな事を言った。
私が座るテーブルには日菜、千聖、そしてプライズの春菜さんがいた。
「ちょっと日菜、あまりその話題を大きな声で言わないの」
千聖は眉を潜めてそう言う。
「あ、ごめん…。でもみんなも感づいてるんだ」
長い髪を何重にも束ねた春菜さんはテーブルに顔を寄せた。
「彩ちゃんは2日前からイタズラを受け始めたのよね?それは私達のライブの合同練習が始まった日でもある。私は彩ちゃんのファンじゃないかと思ってるわ。ファンならライブ情報を知っているもの」
「うーん。近所の子供の仕業とは考えにくいでしょうか?」
千聖は牛タンを醤油たれにつけてパクリと食べた。
「醤油たれで食べるんだ」
「え?リサちゃんはレモン汁で食べるの?」
「牛タンはレモン汁って印象があるなー。いやまあ好きなように食べてくれて全然構わないんだけどさ」
千聖はもう一枚牛タンを取り、レモン汁につけて食べた。
「あ、こっちの方がサッパリしていいかも」
「それで近所の子供だけど。あのライブハウスの近くに住宅なんて無かったわ。ライブハウスがうるさいから近所のおじさんがイタズラした、なんて事も考えにくいと思う」
「じゃあやっぱりファンの人が…」
私は2日前のライブハウス裏の光景を思い出す。ファンの人がイタズラした、と言うには一つ不可解な事があるのだ。ただこれを言うのは正直躊躇う。
「ファンの人がやったとは限らないんじゃない?私達のメンバーの誰かがやったっていう可能性もあるし」
私が一番恐れている事を日菜は言った。
「まさか…。ありえないわ」
春菜さんは口ではそう言っていても、顔に明らかな焦りを浮かべた。
「日菜、あまりメンバーを疑うのは止めた方がいいよ」
私はロースをサンチュで巻きながらイタズラについて考えた。おそらく、日菜の言う通り犯人は私達の中にいる。たぶん彩もそれを知っているからあまり大っぴらに言わないのだ。
「でも明日からあのライブハウスには行かないし、彩もイタズラされなくなるんじゃない?」
「そ、そうよね」
千聖もうんうんと頷いた。これは予測ではなく、私達の願いである。これでイタズラが終われば、仲違いせずに日常を送れる。イタズラだって時間が経てば「あーそんな事もあったね」とか「あの時のペンチまだ持ってるよ」なんて笑い話になるだろう。
犯人はほんの出来心でイタズラしてしまった。彩に対して悪意は無く、なんとなくちょっかいを掛けたかった。そんな下らない小さな犯行理由であって欲しかった。
ライブが終わって2日後の事。
気が抜けてしまった私は勉強もベースの練習もせず、自室のベッドでスマホをいじっていた。指で窓を作り投稿者の飼い犬が鼻をその窓に入れるという、スヌートチャレンジの動画を見ていた。
ピロンと犬の目を隠すようにLINEの通知が表示される。千聖からだった。
「リサちゃんに相談したい事があるんだけど、電話してもいいかな?」
「いいよー!」
何の話かはすぐに分かった。問題なのはそれがエスカレートしているか、治っているかだ。
「もしもし?リサちゃん?」
「こんにちは。聞こえてるよ」
「突然ごめんね。彩ちゃんの件なんだけど」
「イタズラまだされてるの?」
「…ええ。それもエスカレートしている」
「そんな…。何をされたの?」
千聖は大きくため息をついた。だいぶ参っているようだ。
「昨日の朝、彩ちゃんの家のポストに紙が入ってたの。『お前の家を見つけたぞ』って書かれてたわ」
「な、なにそれ。ストーカーじゃん…」
「そして昨日くらいから、ネット上で彩ちゃんに彼氏がいるっていう噂も流れているのよ。もちろん彩ちゃん自身は否定していたわ」
「このタイミングでその噂…。それもイタズラなのかな?」
「きっとね。彼氏がいたとしても、最近はライブの練習ばかりでデートするような時間なんて無かったもの。彩が練習を休むような事も無かったわ」
「そっか。本人を信じるしかないけど…彩が今恋愛なんてやらないと思うけどなー」
あれだけアイドルバンドとしてパスパレに力を注いでいる彩だ。こんなタイミングで恋愛をするとは思えない。
「警察には言ったの?」
私は寝返りをうち横向けに寝転がる。突如千聖の大きな声が脳まで響き、思わず電話を耳から遠ざけた。
「それが聞いてよ!警察の人ひどいのよ!障害を与えられてないから動けないっていうの!」
電話ごしにドンッという大きな物音がした。
「自転車にチェーンをかけても、他人の家に怖い手紙を入れても罪にならないらしいわ。現段階では捜査ができないので様子見して下さい、だって!何かあってからじゃ遅いっていうのに!」
「ま、まあ落ち着きなよ…」
私はスマホをベッドの上に置きスピーカーモードにした。
「熱くなりすぎたわ、ごめんなさい…。でも警察もこんな感じだから、私が犯人を見つけ出そうと思ってるの。それで…」
千聖は少し間を置いてから話し出した。
「リサちゃんも手伝ってくれたら嬉しいなって思って…。私1人だけじゃ限界があるし」
「なるほど。アタシは全然良いよ。むしろ頼ってくれて嬉しい」
「ありがとうリサちゃん」
ただ私は所詮素人だ。犯人なんて探せるだろうか。そもそもなんで千聖は私に相談したのだろう。
「でも何でアタシなの?日菜の方が頭柔らかいと思うし」
「あまりみんなを疑いたくないんだけど…。他の子に嫉妬して嫌がらせを、なんてアイドルではよくある話だから…。相談するならRoseliaの誰かにしようって思ったの」
「アイドルって息が詰まるような世界なんだなぁ」
「一部だけよ」
アイドルバンドは歌やパフォーマンスだけでなく、自分のキャクターも売らなくてはいけない。しかも事務所との関係もある。ベースを弾いていれば良い私とは違い、色んな事を気にかけないといけないのだ。
「千聖は犯人の目星ついてるの?」
「ええ。私はプライズの桜子さんだと思うわ」
彼女は確か、パスパレを良く思っていない人だ。一昨日の彩の言葉を聞き流していた光景を思い出す。
「あー確かに、一番怪しいね」
「桜子さんは普段から私達に嫌味を言ってくるの。後輩グループに先を越されて気に食わないのよ」
「でもそれだけで犯人って決めつけるのもアレじゃない?」
「桜子さん練習中に何度か席を外してたじゃない?予行練習の日に私がトイレから戻った時、ライブハウスの外から戻ってきた桜子さんとバッタリ会ったの。挨拶をしたら逃げるようにトイレへ向かっていったのよ」
桜子さんは駅から徒歩でライブハウスに来ていたはずだ。練習中に外に出る理由なんてあるだろうか。外の空気が吸いたかったとしても、千聖から逃げる意味なんて無いはずだ。
「何か買い物とかしていた?」
「いえ、彼女は手ぶらよ。怪しいでしょう」
千聖は言い切ると小さなくしゃみをした。
「どうしたの?風邪?」
「それが1週間前から鼻詰まりが酷いの。花粉症かも」
ティッシュで鼻をすする音が聞こえた。
「リサちゃんは犯人誰だと思う?」
この前の焼肉では言わないようにしていたが、状況が状況だ。これ以上エスカレートしないために情報共有はしておきたい。
「プライズとパスパレの誰か、としかわからないよ」
「ファンの人やスタッフの人がやった可能性もゼロではないでしょう」
「それは考えにくいと思う。だって外には彩の自転車と理子さんの自転車があったもん。ファンやスタッフの人、あとはRoseliaのメンバーが犯人だとしたら、2人の自転車の区別なんてつかない」
「でも合同練習と当日合わせて3日あったのよ。その期間に彩の自転車を見分ける事もできたでしょう?」
「彩の自転車は合同練習初日からイタズラされていた。彩が来るまでライブハウスの裏を見張らないとできないよ」
「確かにそうね…。やっぱり犯人は理子さんと彩ちゃんの自転車を判別できる人間か」
そうなると、一番怪しいのは千聖が言っていた桜子さんである。だが今ある情報だけで彼女を犯人だと決めつけるのも良くない。
一度プライズのメンバーと話してみる必要があると思った。
アイドルバンドとは言え、バンドはバンドだ。プライズの練習風景を見学させて貰ったが、Roselia以上の高度なテクニックを駆使し演奏をしていた。歌が入るタイミングもバッチリだ。
私達と違ったのはメンバーの雰囲気が緩い事だ。友希那はあーだこーだと細かく厳しく練習をする。プライズは終始メンバーが笑い合い時に冗談を交えながら練習に取り組んでいた。大学のサークルに近い雰囲気だ。
「リサちゃんも弾いてみる?」
パイプ椅子に座る私へヒビキさんが近づいた。彼女はプライズのベース担当をしている。大人しい性格だが積極性のある人だ。フレンドリーになった燐子みたいな感じだろうか。
「ヒビキさんと比べると劣っちゃいますけど…。せっかくなのでやってみます」
ヒビキさんの黄色のベースは私のより重い。良いの使ってるんだろうなぁ。さすが社会人だ。
「お!じゃあドラムやるよ」
桜子さんは膝を叩いてドラムの椅子に座る。パスパレに対しては愛想が悪いがそれ以外の人には優しかった。頼れる姉貴といった雰囲気だ。今回の見学で一番印象が変わった人でもある。本当にイタズラの犯人なのだろうか。
「じゃあ私もやるか」
ギターを肩にかけたのは理子さんだ。自分達のバンド以外には興味が無いようで、パスパレにも私にも愛想が無い。何か嫌な事をしてくる訳ではないが、上辺だけの付き合いを感じてしまう人だ。
「あらみんなやるの。じゃあ私は疲れたし見学してるわ」
そしてプライズのボーカル兼リーダーである春菜さん。面倒見が良くノリも良い。場の雰囲気を悪くしたりもしないし、ポジティブな人だ。リーダーとして完璧だろう。
私はベースを弾きながらプライズのメンバーを横目で見る。今日一日、千聖経由でプライズの練習見学をさせて貰ったが、彩にイタズラをするような人には誰も思えない。一番怪しかった桜子さんでさえ、今はノリノリで私と演奏をしている。
「リサちゃんすごい上手!」
演奏が終わるとヒビキさんが私の元へやってきた。
「ヒビキより上手いんじゃねー?」
「私も負けてられないね」
ゲラゲラ笑う桜子さんにヒビキさんはウインクをした。
「まだ学生なのにこれ程とは…。Roseliaもやるわねー」
春菜さんは拍手をし、スポーツドリンクを飲む。
桜子さんも喉が渇いたのか、テーブルに置いてある自分のバッグを漁った。彼女が黄色いラベルが目立つスポーツ飲料を取り出した時だ。ペッドボトルと一緒に細長いプラスチック製の何かが飛び出した。
「あ、やべ」
桜子さんはソレを素早くバッグにしまったが春菜さんは見ていたようだ。
「練習には持ってこないって言ってたじゃない」
「いやー、終わった後に吸いたくなるんだよねーどうしても」
「できるだけファンに見られないようにね」
「へいへーい」
桜子さんのバッグから出てきた物はライターだ。もしかして…。
「桜子さんってタバコ吸うんですか?」
「あーしまった、リサちゃんにもバレちゃったなぁ…。他の子には絶対秘密だよ」
桜子さんは人差し指を口元に立ててしーっのポーズをする。
彼女は20を超えている社会人だ。タバコを吸っていたって何の問題も無い。ただアイドルバンドという立場上、喫煙がイメージの悪化に繋がる可能性もある。それを気にして人前では吸わないようにしていたのかもしれない。
突然私の頭の中に千聖の話が思い浮かんだ。
「この前の合同練習の時も吸ってました?ライブハウスの裏で」
「え!?何で知ってるの!?あ、もしかして千聖か!」
そうか。千聖が疑っていた桜子さんの不審な行動。あれは彩へのイタズラなんかじゃなかったんだ。
「千聖は桜子さんの喫煙に気付いてないですよ。ただ怪しそうにしてたっていうだけです」
「なんだ、良かったぁー。アイツらにはバレたくないしな…」
あの時、我慢できなくなった桜子さんはライブハウスの裏でタバコを吸っていた。練習に戻ろうとした時にトイレから出てきた千聖と会ってしまったんだ。慌てた桜子さんはトイレで臭いを消そうとした。千聖がタバコの臭いに気が付かなかったのは鼻詰まりが原因だろう。
待てよ。桜子さんがライブハウスの裏に行ったのなら、彩の自転車を見ているはずだ。
「合同練習で桜子さんがたばこを吸った時、彩の自転車にチェーンはかかっていましたか?」
「ああそれがさ。かかってなかったんだよ。私が吸ったのは5時頃だから、犯人は夕方から夜の間にチェーンをかけたんだろうなぁ」
「夕方、ですか」
5時から練習が終わる7時までの間、会場から退出した人間は千聖と桜子さんの2人だけだ。会場から退出する主な理由はお手洗いだが、この時間帯では千聖しか向かっていないはず。喫煙も桜子さん以外はいないようだ。
という事は、今回の事件ではみんなアリバイがあることになる。千聖と桜子さんが嘘をついているようにも思えない。
彩のイタズラ事件についての収穫はあった。しかし犯人が結局誰なのか、私はわからなくなってしまった。
私はライブハウスから300メートルほど離れた場所にホームセンターを見つけた。ライブハウスから一番近い店舗である。次に近いホームセンターは4キロ先だ。
店舗を捜索し自転車のコーナーへ。スマホの写真と照らし合わせながら、あのチェーンを探す。
「見つけた」
彩ちゃんの自転車にかかっていたモノと全く同じだ。犯人はこのホームセンターに訪れていた可能性が高い。
「すみません、防犯カメラの交渉をお願いできますか?」
私は背後に立っているサングラスをかけた黒服姿の女性に声をかける。私にはこんなエージェントらしいエージェントのお付なんていない。一般家庭の生まれである。
彼女は私の友人、こころちゃんの親が経営する財団の職員、らしい。こころちゃんに財団の力を貸して欲しいと頼んでみた所、快く了解してくれた。正直胡散臭いが・・・。
「かしこまりました。少々お待ちください」
エージェントさんはレジへと向かい、店員と話をした後何か手帳のようなものを見せた。すると店員は小走りで店の奥へと向かい、すぐに戻ってきた。とても慌てた様子である。
「白鷺さん、防犯カメラの許可をもらいました」
良かった、うまくいった。則巻財団の力は本物らしい。私が彼らに協力を頼んだのは、ホームセンターの防犯カメラを確認するためだ。私一人で趣いても見せてくれないと思ったのだ。
店舗の奥へ進みスタッフルームへ案内してもらう。防犯カメラの録画データを再生してもらい、合同練習の初日を伝える。
「その日、このチェーンを購入した人は一人だけですよ。その時間を再生してみましょうか?」
「はい。お願いします」
私は逸る気持ちを抑え、レジの前で財布を取り出す人間を見つめる。黒いTシャツを着た背の高い男だ。年齢は30歳くらい。見覚えのない人間である。
他の合同練習日とライブ当日も確認した所、やはりその男はチェーンをもって現れた。時刻はどれも午後6時頃。コイツが犯人だろうか。
私はその動画データを貰い、男の顔をスマホのカメラで撮影した。
麻耶ちゃんから招集の連絡があったのはそのすぐ後のことだった。
「あ、彩さん。その、あまり言いたくないんですが・・・。本当に男性と付き合ってないんですか?」
麻耶ちゃんは私達をファミレスに集めると突然そんなことを言った。つい強めの口調で私は言い返してしまう。
「ちょっと。彩ちゃんを信じてないの?」
「信じたいです。でも、見ちゃったんですよ。彩さんが他の男性と一緒にいる写真を」
「私は本当に恋愛なんてしてないって!写真は合成だよ!」
彩ちゃんは涙目になりながら首を横へ振った。彼女への不気味な手紙や無言電話は今でも続いている。そんな中自分自身の根も葉もない噂が広まっているのだ。精神的に辛いだろう。
「実はプライズのヒビキさんが見せてくれたんです。パスパレのためにも見せなくちゃいけないと言って、わざわざ私に今日会ってくれたんですよ」
「なんでヒビキさんがそんな写真持ってたんだろうねー?」
日菜ちゃんはコーラを飲みながらそう言った。麻耶ちゃんは腕を組みしばらく考え込む。
「ネットから拾ってきたような写真ではなかったです。出回っていない写真でした」
突然「あ!」と声を上げたのはイヴちゃんだ。
「ヒビキさんはバンド雑誌の編集者と仲が良いって聞きました」
「編集者の人が入手した資料だとしたら、その写真は本物なんじゃない?」
「違うって絶対!」
泣きそうになっている彩ちゃんの肩を持ちながら私も考えた。プライズのヒビキさんは私達に良くしてくれる先輩だ。桜子さんと違い優しく接してくれる。そんな彼女が彩を陥れるためにフェイク写真を作ったとは考えにくい。
「実は今日、彩ちゃんのチェーンについて調べていたの」
私はテーブルの上にスマホを置き、あの男の写真を表示する。
「この間のライブハウス近くにあったホームセンターの防犯カメラの写真。合同練習のあった日の午後6時頃にこの男が決まってチェーンを買いにきたそうなの。彩ちゃん、この男知らない?」
「ええ?知らない・・・」
「そ、それって犯人じゃないですか!?」
麻耶ちゃんは思わず声を上げ、辺りを見回して恥ずかしそうに声を小さくする。
「警察にもう一回言いましょうよ」
「いいえ、また追い返されるだけよ。この男の正体を私は探ってみるわ」
今日は疲れた。防犯カメラの調査に麻耶ちゃんの緊急招集。色んな事があったが事件の核心に近づいている気がする。
シャワーを浴びて自室へもどる。その時だ。
私のスマホが鳴ったので手に取ってみると、画面には非通知の文字が。何かとてつもなく嫌な予感がしたが、受電ボタンを押しおそるおそる耳に当てる。
「もしもし?」
「・・・」
電話の向こうの人間は話さない。だが微かに呼吸音は聞こえた。
私の背筋に冷たいものが走る。
「誰ですか?」
プツン。私は手汗で湿ったスマホを机の上に置き、急いで窓から外を覗いた。呼吸を荒くしながら辺りを見回すが、街灯に照らされたうす暗い住宅街が広がるだけ。すぐにカーテンを締め、再びスマホを手に取る。
シャワーの後のイタズラ電話。偶然だと思いたいが、彩ちゃんのイタズラ事件について調べたあとだ。事件関係者が私をどこかで監視し電話をかけてきた可能性がある。
なぜ私の電話番号と住所がバレているのか気になる所だが、今はそれを調べる心の余裕なんて無い。
私は震える指でスマホをタップし彩ちゃんへ電話をかけた。
「もしもし、千聖ちゃんどうしたの?」
「ききき聞いて。今、電話が。無言電話が」
「お、落ち着いて!無言電話があったの?」
千聖と彩はカフェテリアの前に立っていた。私が一番ノリかと思っていたが、2人はさらに早く到着していたようだ。
「おはよう。二人とも調子はどう?」
「最悪よ」
千聖はプイとそっぷを向いた。
昨日の夜、彼女の家にもイタズラ電話がかけられたらしい。彩のイタズラに関わるな、という警告だろうか。
「彩は昨日どうだったの?」
「何も来なかったよ。毎日何かイタズラされてたんだけど…」
犯人は彩ではなく、事件を調べていた千聖に標的を移したのだろうか。
「あ、桜子さん…」
「おす」
彩はあわあわとぎこちない動作で頭を下げた。場に緊張が走るのを感じる。
「で、私は何すれば良いわけ?」
桜子さんはギロリと彩を睨みつける。ロボットみたいな動きになった彼女に見かねて、千聖が説明した。
「写真を見てもらいたいんです。顔に見覚えがあるかないか、それだけ教えて頂ければ結構です」
桜子さんは私が誘った。彼女はプライズのメンバーだが、犯人である可能性が低い人間でもある。それに千聖が調べた防犯カメラに映った男性の正体を知っているかもしれない。プライズの誰かがその男性と連絡を取り、イタズラしている可能性を探るために呼んだのだ。
店員さんに案内された席に私達は座る。私の横に桜子さんが座った。
「ご注文はどうしますか?」
「じゃ、じゃあアイスティーで」
「アタシはアイスコーヒーでお願いします」
「私もアイスティーで。桜子さんは?」
「カフェオレで。自分の分しか払わねーぞ」
店員さんが去ると、早速千聖はスマホを取り出した。
レジの前で財布を取り出す男の写真が表示される。
「この人です」
「こいつは…。前に私達の取材をしたバンド雑誌の編集者だな。プライズの記事をよく書いてくれるんだ。名前は岡崎さんだ」
「編集者?」
千聖は眉をひそめた。
この男が一番怪しいのだが彩にイタズラをする理由が不明だ。彩はこの男と面識がないしトラブルがあったようにも思えない。
「イヴちゃんが昨日言っていた人のことかしら?」
「昨日パスパレで話し合った時に編集者の話が出てきたの?」
「イヴちゃんがヒビキさんと仲が良い編集者がいる、って言ってたの。それがこの人かも知れない」
私は頬杖をつく桜子さんに問いかけてみた。
「この人とヒビキさんは本当に仲が良いんですか?」
「仲が良いのかどうかはわからんけど、時々取材の連絡を取り合っているな。そもそも岡崎さんはプライズが結成される前からヒビキと知り合いだったみたいだ」
店員さんが再び私達の元へ訪れテーブルに4つのカップを置いた。
私は目の前に置かれたアイスコーヒーに砂糖とミルクを混ぜ一口飲む。思っていたよりも苦い。
彩と桜子さんもカップに口をつけていた。しかし千聖だけはスマホの写真をジッと見つめている。
「麻耶ちゃんが見たっていう彩の合成写真。あれもヒビキさんが見せたものよね。しかも写真元はこの編集者、岡崎さんの可能性があるわ」
私はアイスコーヒーをソーサーに置く。千聖のアイスティーに波紋が走った。
テーブルを見回すとみんな浮かない顔をしている。私だって信じたくないがそれでも口を動かした。
「ヒビキさんと岡崎さんが犯人かも」
3人とも黙って頷いた。
プライズの見学をした日、あんなに私に優しくしてくれたのに。パスパレの事も心配していたのに。それらは全部ウソだったのだろうか。
「私、ヒビキさんに何かしちゃったのかな・・・。今から謝って、寄りを戻すことはできないかな・・・」
悪質なイタズラを受けても彩はヒビキさんと和解したいらしい。優しい子だ。
「チェーンを掛けたのは間違いなく岡崎さんだと思う。千聖が調べてくれた防犯カメラの時間帯がマッチするし、練習中その時間帯はトイレ休憩が無かったからバンドメンバーみんなにアリバイがある」
「私もそう思うわ。ヒビキさんがあの時間帯にトイレに行く事なんて一度も無かったし」
「でも私の事件にヒビキさんが絡んでいる証拠ってあるのかな?ヒビキさんって岡崎さんと仲良いだけだよね?」
「アタシは、ヒビキさんも共犯とは断言できないけど可能性は高いと思う」
「ど、どうして?」
「自転車だよ。岡崎さんだけじゃ、彩の自転車を特定できないはずだもん」
現場には彩の自転車の他に理子さんの自転車もあった。誰かが岡崎さんに彩の自転車を教えなければ犯行はできなかったはずだ。
「岡崎さんはプライズの取材をよくしていたし、理子さんの自転車もわかるんじゃない?」
「いや、それはない」
今までへの口をして黙っていた桜子さんが話しだした。
「理子は普段の練習では電車でやってくる。楽器が重いから自転車を使いたくないそうでな。岡崎さんが取材に来るのは決まって練習の時だから、彼は理子の自転車を一度も見た事がないはずだ」
彼女は一度カフェオレの泡部分だけを飲むと再び話し出す。
「ちなみに私達は理子の自転車を知っているぞ。プライベートで何度も見ているからな」
私は小さく手を挙げて質問した。
「岡崎さんの連絡先を知っているのはヒビキさん以外にいますか?」
「いないな。ヒビキ以外は彼とあまり話さないんだ」
となると、やはりヒビキさんは岡崎さんの協力をしていた可能性が高いと言える。
しかし岡崎さんが彩にイタズラする理由もわからないし、ヒビキさんがそれに協力する理由もわからない。なぜ2人は、ここまで執拗に彩へ嫌がらせをしてきたのだろうか。
「許せない。今晩会って話をつけてやるわ」
低く震えた声で千聖はスマホを手にした。
「彩ちゃんに何でそんな事したのか、きっちり理由も聞かせてもらう。土下座もさせてやる」
「ま、待ってって!明日の夜にしようよ。色々準備とか必要だし」
「・・・じゃあ、あの女に明日の8時に会おうって連絡しておくわ」
桜子さんはため息をつくと席を立った。私を見ると彼女はお腹をさする。
「ちょっとトイレ行ってくる」
「お腹痛いんですか?」
「だいぶ痛い」
私は店内を見回しトイレの場所を確認した。平日の昼間ということもあって店内には数人の客しかいない。
桜子さんの後ろ姿を心配そうに彩は眺めていた。
「桜子さん大丈夫かな。あとで市販の整腸剤渡してあげよう」
「彩ちゃん薬持ってるの?」
「私も最近お腹の調子が悪くて・・・。持ち歩いてるんだー」
「たぶんそれ、ストレスのせいよ」
あはははと彩は苦笑いした。
私は残りのアイスコーヒーを全て飲み干しメニューを手に取る。なんだか甘いものを食べたくなったのだ。いちごパフェなんてどうだろう。
「デザート食べる人ー」
彩と千聖は手を挙げた。
「モンブランで」
「ショートケーキお願いしまーす」
私は店員を呼び止め追加オーダーを伝えた。
「結局、二人の真意はわからなかったわね」
「明日になればわかるよ」
少しして桜子さんが戻ってきた。お腹をもうさすっていない。
私は眉をひそめて隣に座った彼女に話しかけた。
「大丈夫でした?」
「大丈夫じゃなかった。けどお腹はもう平気だ」
桜子さんは私の持っていたメニューをちらりと見る。
「デザート頼んだの?私も頼むわ」
それを聞いた千聖は呆れたように質問する。
「お腹に悪いんじゃないですか?」
「良いんだ。お腹はもう平気って言ったろ」
その後桜子さんはこの店で一番高いブラウニーのパフェを頼んだ。さすが社会人、お金使いが豪快だ。
住宅街から少し離れた公園。遊具やベンチは錆び付いておりあまり管理がされていないようだ。
公園を照らすのはたった一つの街灯だ。羽虫が数匹たかり、その影が地面に映し出される。
「こんな夜に呼び出しちゃってごめんなさい」
「いいよ、気にしないで。何か相談事でもあるの?」
私とヒビキさんは街灯より少し離れた場所に立っていた。光に近づきすぎると、虫が付きそうで嫌だったからだ。
「彩ちゃんのイタズラ、ヒビキさんと岡崎さんが犯人ですか?」
「へぇ、そこまでもう知ってるんだ」
悪びれる様子も焦る様子もなく、彼女は平然とした態度を取っていた。それが私をイラつかせた。
「理由を説明してください」
ヒビキさんは腕を組み、口元を緩ませながら街灯の近くまで移動した。
「理由?だってあの子器じゃないんだもん」
「は?器?」
「パスパレは確かにすごいバンドだよ。でもリーダーである彩ちゃんがクソだね。リーダーっていうのはもっとしっかりしてなきゃいけないでしょ」
思わず私は笑ってしまった。この女は何も分かっていないようだ。
「パスパレは彩ちゃんのおかげでこんなに成長したのよ。あなた何言ってるの?」
「彩ちゃんをみんながサポートしたから何とかここまで来たんでしょ。あの子自身はタダの無能。お荷物だよ」
「何だと?」
「私達より人気なアイドルバンドのリーダーが無能だなんて、存在が許せないじゃん。私達の方がみんなしっかりしているのに」
「脳みそがミミズでできているようね。じゃあ岡崎さんは何なの?」
「彼は私が協力させた。ちゃんと報酬だってある」
ヒビキは街灯の真下まで歩く。私はまるで誘導させられているように彼女の後を追った。
「こんな女に使われるなんて、その男も哀れだこと」
「男も使えない女に言われたくないわね」
何だとビッチが、なんて言葉が頭に浮かんだがここは押さえる。事件をちゃんと明らかにしなくては。
「練習前、あなたがみんなに交通手段を聞いたわね。彩ちゃんが自転車で来ることを知って岡崎さんに連絡。理子さんと間違えないようにチェーンのイタズラを頼んだ」
これで済めば良かったが、その後もこの女の嫌がらせは続いた。
「練習後、あなたは岡崎さんに彩ちゃんの電話番号を教えた。一方、練習初日の帰りに岡崎さんが彩ちゃんを尾行して住所を特定した。初日はまだペンチを持っていなかったから、彩ちゃんは歩いて帰ったもの。これでライブ後もあなた達は彩ちゃんに嫌がらせができた」
「うん、当たってる」
ヘラヘラしているヒビキを睨みつけながら、私は話を続けた。
「ネットで変な噂を流したのは二人でやったのかしら。噂を確かにするために、あなたは岡崎さんに彩ちゃんの合成写真を作らせた。それを麻耶ちゃんに見せて、パスパレ内で彩ちゃんを疑わせようとした。でもこれは失敗ね」
「ふんふん。ちなみに麻耶ちゃんに見せた後、集まるよう促したのは私だよ。麻耶ちゃんに尾行してパスパレの会議を覗き見てた」
「じゃあ私へのイタズラは・・・」
「パスパレの会議中、あなたが一番私達を調べていたからね。面白半分でやったの。千聖ちゃんめっちゃビビってて面白かったよ」
「こんの・・・!」
思わず私は一歩踏みしめた。拳を固く握り締める。
「でも彩ちゃんの方が面白かったな。あの子みんなの前ではずっとニコニコしてるじゃない?でも家ではずっと暗い顔してた。相当私達の嫌がらせが精神に来てたんでしょうね」
瞬間私の頭の中で何かが切れた。プツン、とはまさにこんな状況を指すのだろう。この女を殺してやりたいと本気で思った。
私は彼女の襟元を両手で掴む。周りのことなど気にせずよくわからない日本語を叫んだ。
それでもヒビキは平然としていた。
「あなた達がいなければなぁ。あの子は病んで人生終わっちゃう所まで行けたかもしれないのに」
「その醜いアヒル口を閉じろ!」
「無能は無能らしく、引きこもって人生終わっちゃえば良いんだよ。無能は一生辛い思いだけしていろ」
ヒビキは笑っていた。私の右手が襟元から離れ強く握り締められる。この腐った卵みたいな顔を砕いてやろうと私は拳を振り上げた。
しかし公園に響いたのは人を殴った音ではなく、女性の声。
声が聞こえた方向を向くと、公園の側にある茂みに岡崎さんとリサちゃんが立っていたのだ。
「岡崎さん、カメラと録音機出して」
私は浮かない顔をしている彼に吐き捨てるようにそう言った。少しの間、ヒビキさんの方を見ていたがすぐに目を反らし高そうなカメラと録音機を地面に置いた。
「ちょっと何やってるの!?」
叫んだのはヒビキさんだった。初めて彼女の顔に動揺が映し出された。
「千聖、もういいよ。だから落ち着いて」
「ええ・・・。本気で殴っちゃいそうだったわ」
千聖はヒビキさんの襟元から手を離し、落ち着かせるよう自分の胸に手を置いた。友人をあんな言い方されれば誰だってキレるだろう。千聖はよく我慢出来たと思う。
「あなた達は彩を陥れるために犯行した?嘘つかないでよ。パスパレそのものを陥れるためでしょ」
私はカメラと録音機を拾い上げ、ヒビキさんに近付いた。よく見ると彼女の髪の毛に羽虫がくっついている。
「麻耶に写真を見せたのは、確かにパスパレを混乱させる目的もあったかもしれない。事件についてどれだけ情報を持っているか確かめたかったかもしれない。でも本当の目的は違う」
彼女の前で私は立ち止まった。ヒビキさんは目をピクピクしていたが、それでも私は目を逸らさない。
「犯人を自分だとわからせるためだ。そしてパスパレの誰かに自分を殴らせて、その瞬間を岡崎さんが撮影し、スキャンダルを起こさせようとしたんだ」
ヒビキさんは一瞬体を震わせ、私から一歩後ずさった。
「パスパレを混乱させたいなら、ネットに写真を投稿するだけで十分だよね。あえてそれをしなかったのは、自分と岡崎さんを関連付けたかったから。他にも合成写真であることがすぐにバレちゃうから、もあるかな」
本来ならあのパスパレ会議では自分の存在を匂わす程度の予定だったはずだ。そして徐々にヒントを増やしていき時間をかけて自分が犯人だと伝えるつもりだった。
しかしあの時点で、千聖が防犯カメラを調べたことにより彼女らは岡崎さんの存在を知っていた。だからヒビキさんが怪しい事もすぐにわかってしまった。それで急遽予定をすっとばし、自分を殴らせるターゲットを千聖にしたのだ。千聖へのイタズラは挑発のつもりだろう。
ある意味ヒビキさん達にとっても、計画が早く進んだので好都合だったかもしれない。
「くっ。でもそのカメラの中に、千聖が私の襟元を掴んでいる写真があるはずだ。録音だってしてある。今そのカメラを私達が取り返せば、パスパレは間違いなくスキャンダルが起きるぞ」
「スキャンダルが起きるのはあなただよ」
私はスマホをポケットから取り出した。ライブラリをスクロールしていき、一枚の写真をヒビキさんに見せる。
「昨日、私達を盗み聞きしていたでしょ。あの後ヒビキさんを尾行していたんだ。そしたらこんなものが撮れちゃった」
写真に映し出されているのはラブホテル。扉の前にいる男女はヒビキさんと岡崎さんだった。
「あああんた!」
ヒビキさんは叫ぶと、その場で頭を抱えてしゃがみこんでしまった。
「今まで尾行される事が多かったから、もしかしたら今回もされているかも、って思ってたんだ。桜子さんと協力して、ずっと店内を探していたんだよ」
「まさか、桜子がトイレに行った時!?」
「そう。怪しい人を見つけたら桜子さんがトイレに行くフリをして、ヒビキさんかどうか確かめる事になってたんだ。クロなら『大丈夫じゃない』、シロなら『大丈夫』ってね。桜子さん曰く、靴でわかったらしいよ」
千聖はため息をつき、しゃがみこんでいるヒビキさんを見下した。本当は拳の一発でも入れてやりたいのだろう。
「自分の体を売って陥れようとしていたとは・・・。そんなに私達が気に食わなかったの?」
「当たり前でしょ?どれだけ私達が苦労してきたと思っているの?あんなクソみたいな業界で、どれだけ足掻いたと思っているの?せっかく頑張ってきた私達の地位を、大した経験もしていないようなメス共に全部奪われたのよ。どんな手を使ってでもパスパレを終わらせてやる」
まるで亡霊のような声だった。ここまで人は恐ろしくなれるのだろうか。
「次パスパレに何かしたら、この写真を提出するから。週刊文春に」
私はスマホをポケットにしまい千聖にアイコンタクトをする。こんな場所からさっさと帰ろう、という意味だ。
「カメラと録音機は、データを全部削除した後に返しますね」
私はそう言い、公園を後にした。
街灯に照らされた道を歩みながら、ふいに千聖が話しかけてきた。
「リサちゃんは、人をあんなに恨んだ事ある?」
「アタシ?んー、無いかなぁ」
街灯の下に一匹の三毛猫がいた。首輪がないので野良だろう。ここに友希那がいれば撫でていたかもしれない。
「恨みは、心に余裕が無い時に生まれるんじゃないかな?アタシはーほらっ、楽観的だからさ・・・」
「ふふふ。確かに」
「報われなくたって、やり直せば良いだけだよ。新しい事を始めても良いしね」
「ええ。そうね。私もそう思うわ」
私は首にかけているカメラを、なんとなく触れたのだった。