川を越えた先に火山が見える。目を凝らすと火口付近が赤く点滅していた。
「わあ!ディズニーシーだ!」
あこが釣竿を振りながらはしゃぎ出す。あれはただの火山ではない。千葉県にある夢の国の火山だ。私達がいる岸は東京、この川を越えれば千葉、そんな県境を私達は歩いていた。
テーマパークに来た訳では無い。私達の格好は動きやすい長袖長ズボンにキャップ帽、そして各々一つずつ釣竿を持っている。こんな格好で夢の国に行こうものなら入場口で止められてしまうだろう。そもそも電車で降りる駅が一つ後だ。
そう、私達は釣りをしに来たのだ。旧江戸川の河口付近を中心に探っていく予定である。
ちなみに私達Roseliaに釣りの経験者はいない。みんなは今日初めて竿を握ったのだ。
驚く事に、メンバーを釣りに誘ってきたのは友希那だ。彼女と一緒にいる事が多かった私だが、これには目が飛び出そうになった。普段の友希那は音楽以外には一切興味を示さないのに…。たぶん何かが取り憑いているのかもしれない。
友希那はこの間の練習後、突然私達に「今度の週末に釣りしたい」と言い出した。あまりにも珍しかったので私達はその場で二つ返事である。沙夜だけ少し嫌そうだったが。友希那が他の物事にも興味を持ってくれるのは、とても嬉しい。
「それで湊さん、ポイントはどこかしら?」
「あっちよ、あの橋の下」
線路が敷かれてあるのでうるさいが、あそこなら直射日光から身を守れる。魚もたくさんいそうだ。
「みんな、今日はシーバスを狙うわよ」
「シーバスってスズキかー。アタシあんな大きなの釣れる気がしないよ」
「でもどうぶつの森ではたくさん釣れますよね。初心者でも割と簡単なのかも?」
「それはどうかしら?まあ釣れなかったら、この『サビキ』で小魚を狙ってもいいわね」
友希那は左手に持っているビニール袋を軽く上げた。あの中には上州屋で買った仕掛けや餌がたくさん入っている。私達が持っている竿もそこで買ったものだ。一人当たりの費用は、竿代や餌代も合わせて3000円程度だろう。初心者セットを買えば安く済む。
それにしても今日の友希那はノリノリだ。
まず、釣り初心者が挫折しやすいのはこの準備だ。
リールから道糸を伸ばし、仕掛けと結ばなければいけない。この結び方が独特なのだ。
「おかしいわね。上手く結べないわ」
友希那は首を傾げながら道糸で輪っかを作っている。本人曰く釣りの基本は理解していると言っていたが、既に雲行きが怪しい。
自慢ではないが、私はこういう細かい作業が得意だ。ネットで結び方を調べ、友希那や他のメンバーに教えてあげた。
次に仕掛けに餌をつけるのだが、これはあまり問題無かった。虫やゴカイはみんな嫌だったので、人工餌のパワーイソメを針へと通した。ちょっと手が臭くなるのが嫌だったが後で洗えば大丈夫だろう。
私と紗夜はサビキで釣る事にし、カゴの中にひき肉みたいになったオキアミを絞り出した。サビキは女性人気が高い釣り方らしいがなるほど、手が一切汚れない上に仕掛けが簡単だからか。
やっと仕掛けのセッティングができた私達は、思い思いに仕掛けを飛ばした。
「ああー、引っかかっちゃった…」
仕掛けを投げて5分後、あこがつまらなさそうに釣竿を上下に振り回している。
初心者が一番挫折しやすいポイント。それは根掛かりである。釣りをしていると、針が岩などに引っかかってしまうのだ。
竿を振って直れば良いのだが、大抵は糸を切らざるをえない。仕掛けと餌が無駄になるわ、また一から仕掛けを作らなくてはいけないわで、非常に萎える。
「ハサミが私のバッグに入ってるからそれを使って」
友希那は自分のバッグをあこへ渡した。
こうして私達Roseliaの釣りが始まったのである。
なんとなくリールを巻き、私は仕掛けの様子を確認した。針がカゴに絡まっていたので直すために仕掛けを一度陸へ上げる。
釣りを開始してから一時間。私たちは何も釣れず、紗夜とあこはもう飽きてコンクリートに腰を下ろしていた。今日はジーパンだからか、堂々と両膝を伸ばしスマホをいじっている。傍から見ればただの不良だ。
友希那はどうだろう?彼女の横顔を覗いてみると、海鳥のように海面をじっと睨みつけていた。良かった、まだ飽きていないみたいだ。
「あー!28日からフラワーパークが安くなるってー!」
あこはそう言うと、私達にスマホの画面を見せた。
フラワーパークは今年の夏休みにみんなで旅行に行こうと思っていた観光地の一つだ。私達は長野県で三泊四日の旅行を計画していたが、そういえば具体的な話をまだ何もしていない。夏休みまであと一ヶ月もないのに。
「そろそろ旅行計画を考えないといけないわね」
紗夜は私の思いを代弁した。
「まず宿を決めないとね。あんま高くないとこ」
「ああそれなんだけど・・・。今井さんが宿の予約取ってくれないかしら?ほら、あなたが一番そういうの得意そうだし・・・」
「いいよ。リクエストある?」
「安くて綺麗で、朝ごはんが付いている所が良いです」
燐子は険しい顔つきでこちらを見ずにそう言った。竿をブンブンと動かしているので、たぶんまた根がかりでもしたのだろう。
「ほか」
「海の近くー!」
「宇多川さんは地理を勉強しなさい」
「友希那は何かある?」
「・・・綺麗な場所が良いわね」
宿に対してみんなこだわりはないらしい。なら燐子が言っていたように『安くて綺麗で朝食付き』を条件に調べてみたほうがよさそうだ。あ、できるだけ駅に近い場所の方が観光をする際に便利かも。それも考慮しておこう。
「フラワーパーク以外にどこへ行こうかしら」
「はいはーい、アタシ温泉街行きたい」
「渋温泉ね。フラワーパークから近いし良いじゃない」
紗夜はスマホをいじり渋温泉を調べ始めた。
「近くにいっぱい観光地があるのね。地獄谷は聞いたことあるわ」
根がかりの処理を終えた燐子は再び竿を振って仕掛けを海へ投げた。彼女は何か思い出そうとしているのかブツブツと呟く。
「そうだ。渋温泉街に『千と千尋の神隠し』の舞台のモデルになった宿屋があるんですよ。行ってみたいですね」
「へぇー。めっちゃ幻想的なんだろうなー」
友希那は竿の先から一切視線を動かさずに話し出す。
「アニメ?私は知らないわね」
「あはは。友希那ジブリ見た事ないんだ」
「話の途中で申し訳ないのだけれど…湊さん、エサ…」
苦虫を潰したような顔をした紗夜は友希那が使っていた釣り餌に指を差した。視線を向けてみると、彼女のパワーイソメをどこから湧いてきたのか3匹のフナムシがムシャムシャと頬張っていたのだ。
「ヒッ」
友希那は息を吸った小さな悲鳴をあげ体勢を崩した。
「おおー、エサを長時間放置すると食べられちゃうんだね」
あこはうんうんと頭を上下に動かす。関心している場合かと私は心の中でツッこんだ。
結局気が動転した友希那はバケツの中の水をパワーイソメごとぶっかけてフナムシを退散させたのだった。フナムシに怖がっていて今後釣りなんてできるのだろうか。
「みてみて!大漁大漁!」
あこのバケツにはおびただしい数のカニが積まれていた。釣りに飽きてしまったあこと紗夜のために友希那が穴釣りを教えてあげたのだ。
仕掛けは簡単で短くした竿の先に道糸と針と餌を付けるだけだ。これを岩の穴場に落とし込むと小さなカニやハゼがたくさん釣れる。初心者にとって何も釣れないよりは楽しいものだ。
「釣れたわ!宇多川さん取ってくれない?」
最初は嫌がっていた紗夜も楽しそうにしている。ただ魚は触らないらしい。
あこの手から紗夜のバケツへ小さな魚が放たれた。ハゼのような魚だ。
「可愛らしいお魚ですね。マハゼでしょうか?」
珍しそうに私と燐子はバケツの中を覗く。魚は水底にくっつきながら口とエラをパクパクしていた。ハゼの仲間は酸素が少なくても簡単に死なないらしいので大丈夫だろう。
「うーん、ハゼってこんな黒かったっけ?」
「実は私、魚図鑑のアプリ入れてきたんですよ。これで調べてみますね」
燐子は謎のハゼっぽい魚の写真を撮り、スマホをタップした。
「出ました。チチブという魚です」
「聞いたことない魚ね。毒とかないの?」
「ありませんよ」
サビキじゃ釣れないし、穴釣りやってみようかなぁ。
私はそんな事を考えていると、ふと友希那に視線が止まった。もう2時間も海面と睨めっこをしているが、飽きないのだろうか。
「友希那は穴釣りやらないの?」
「まだシーバスを諦めてないわ」
大した気力である。ホントなんで急に釣りに目覚めたのだろう。
「2人とも聞いて頂戴。白金さんと宇田川さんが次のライブの曲名を『チチブ』にしたいとか言っているの」
「『ci ci bu ♡』だよ!」
紗夜は眉をハの字にして頭を抱えた。
「ナニナニ、次は釣りをテーマにするの?」
「釣りは関係ないんですけど、チチブの語呂が良いから歌詞に入れようと話していたんです」
「ci〜ci bu ♡ foo!ci〜ci bu ♡ foo!みたいな感じ!foo!の所でこうやって腕上げるんだよ」
あこはそう言って右手を空高く上げた。
「あーなるほど。コールする感じね」
チチブは置いといて、お客さんと一緒に特徴的なコールでライブを盛り上げるのはアリだ。パスパレなんかはよくやっている。
私達にはそういう曲が少ないので、割と名案かもしれない。チチブはどうかと思うが。
「次のライブまで時間があるし、考えてみても良いかもしれないわね。でもチチブじゃなくて『sea 〜 bass ! 』がいいわ」
「湊さんまで…」
「あぁ、でもシーバスって言いづらいわね。スズキにしようかしら」
「会場に鈴木さんが居たら複雑な気持ちになるでしょう」
「『sea 〜 bass ! 』で良い事思いつきました」
燐子は楽しそうに私の方へ振り向いた。なんだか嫌な予感がする。
「リサちゃんが両手を上で叩きながらそうコールするんです。それでステージを右往左往します」
「なんでアタシなのさ…」
「seaとsee、バスとベースをかけるんですよ。シーバスとシー・ベース(ベースを見て!)です」
「燐子、あなた天才ね。決まりだわ。リサも頑張りなさい」
「ちょちょちょ!そんな無茶な〜」
この日一番ご満悦な友希那である。
責任重大なのは胃が重いが、確かに燐子の案をこのままボツにするのはもったいない。ライブもとても盛り上がりそうだ。
「ライブ、いつだっけ?」
「9月16日よ。まだ2ヶ月以上あるわ」
「じゃあまあ、やるよ」
こうして私は『sea 〜 bass ! 』コールを担当する事になってしまった。
不意に私のスマホがブルッと振動した。釣りを開始して3時間、もはや私も飽きていたので、気分転換にスマホをいじる。
高校の進路指導の人からメールが来ていた。卒業後の進路について面談をしたいとの事だ。
そういえば、大学に行くか就職するか、ちゃんと決めていなかったなぁ。うーん、面倒くさい。
「あら、リサも学校から連絡が来たのね。私もこの間来たわ」
「友希那は進路どうするか決めたの?」
「進路?卒業したら決めるわ」
「あれ?進路を早く決めろーっていうメールが来たんじゃないの?」
「私は卒業したいかどうかの連絡が来たわ」
卒業したいかどうかなんて、できるなら誰だってするだろう。そんな事わざわざメールで聞くだろうか。
友希那からメールを見せてもらい、私はため息をついた。
「友希那、コレ卒業したいかどうかじゃなくて、卒業できるかどうか怪しいって事だよ。選べる立場じゃないよ。進路以前の問題だよ」
「何ですって」
「このままだと成績が足りないんだと思う」
「そんな…」
カニ釣りから帰ってきたあこが私達の話を聞いた。
「じゃあ来年、友希那さんは私の一つ上の先輩になるんだね。蘭ちゃん達と一緒にもう一回修学旅行行けるから楽しそう!」
無邪気な彼女の笑顔がさらに友希那を焦らせた。
「美竹さんだけには、私のそんな姿見せられないわ…。彼女だけ別の学校に移ってもらえないかしら」
「いやそれは蘭が可哀想過ぎるでしょ!?」
不貞腐れたのか、友希那はうっぷんを晴らすように竿を投げた。不幸な事に、ものの数秒で根がかりをしてしまう。
「クソ…」
「まあまあ。今回のテストと最後のテストで赤点取らなければ大丈夫だって。またアタシが教えてあげるからさ、ね?」
友希那はゆっくり頷くと、ピーンと張った糸をハサミでちょん切った。
「燐子と紗夜は進路どうするの?」
2人は顔を見合わせた。
「私は大学を考えています。できれば、英應入試で…」
「私も進学するつもりよ」
やはり2人とも大学を目指すらしい。かく言う私も一応受験勉強はしているが、どうしても行きたい大学が無く、イマイチやる気が出ないのだ。
「私はこれといって行きたい大学が無いんだよなぁ。でもいきなり社会人は怖いし…。うーん…」
「それなら音大とかいいんじゃないですか?今まで通り音楽を学べますし。それに試験もあまり難しくないとか…」
「確かに音楽はやりたいけど、バンドは人が集まればいつでもできるからねー。何かこう、新しいものを学びたいというか」
ふと紗夜は私の隣に座った。
「今井さんの気持ちわかるわよ。私もそうなの」
「じゃあ、なんで進学しようとしてるの?」
「自分のやりたい事を見つけるためよ。大学は勉強もやるけど、視野をとても広げる事ができるの。色んなものが見えてくれば、自然とやりたい事が見つかるかもしれないじゃない?」
さすが委員長。大学についてしっかりと考えておられる。
「へー。正直大学ってさ、社会人から逃げて合法的に遊ぶために行くものかと思ってた」
「最低限の勉強は大切だと思うけど、それでも良いんじゃないかしら。趣味や遊びやサークルだって、色んな人と触れ合うし、色んな体験をするもの。様々な事に挑戦すれば視野も広がりやすいわ。むしろ机に向かってただ勉強するだけの大学生活の方がもったいないわよ」
「アタシ決めた、大学行くよ」
「即決ですね」
近くにいた燐子はクスクスと笑った。
自分探し、か。それは楽しそうだ。
「Roseliaだって、私達が好きでやってきました。おかげで色んな経験を積めたし、ちょっと世界が広くなった気がしませんか?積極的に興味あるものを取り組んでいけば、視野だって広がりますよ」
「なるほどねー。2人とも深いなぁ」
要するに、大学では視野を広げるために色んな事をやってみよう、という事だろうか。
2人のおかげで進学への意欲も湧いてきた。今度の面接で話してみようかな。
「ねぇ燐子」
友希那は釣竿を上下に動かしながら話しかけた。
「音大について詳しく教えてくれないかしら」
スマホで時計を確認すると、もう16時を過ぎていた。太陽もだいぶ傾いている。
そろそろ帰らない?と私が言ってから30分が過ぎていた。
「友希那さん、もう終わりにしませんか?」
「ええ、そうね」
残念そうに友希那はリールを巻き始めた。
結局、カニやチチブ以外の釣果はゼロ。友希那が狙っていたシーバスどころか、魚1匹釣り上げる事もできなかった。釣り人の間ではこれをボウズというらしい。
「おかしいわね、ちゃんと調べたのに…」
「そんなものだよ」
「…それもそうね」
フフッと友希那は笑った。私も連られて笑う。
髪の毛が潮風でボサボサのベタベタになっていた。これから電車に乗るのが恥ずかしい。こんな姿になってまで4時間以上粘ったのに、1匹も釣れないのは悲しいものだ。
「ねえ、これからスーパー銭湯行かない?近くにあるんだよ」
「ええ、行きましょう。サッパリしたいわ」
するとあこが右手を前に伸ばし、ストップのポーズをとる。
「いやちょっと待って!そこの銭湯今日休みだよ」
「えぇー」
私と紗夜はガックリと肩を落とす。
ホント、そんなものだよね。
「近くのファミレスで夕飯を食べてから帰らない?お腹が減ったわ」
結局友希那の提案になることになった。またファミレスかよ、と内心思ったが、私もお腹減っているし安く済むしすぐに納得した。
旅行とかライブとか進路とか、これから楽しい事も面倒臭い事もたくさんあるだろう。どれもこんな感じで、なんとなく終わってしまうのかもしれない。
でもまあ、ベタベタのボサボサになったRoseliaのメンバーを見ていると、それはそれで悪くないなと思った。
『今井リサと7日間』はこれで終わりです。
読んで下さった方はありがとうございました。