仲良くなっても良いし、相手に好意を示しても良い。今までそれを禁じていたのは自分たち自身ではあったが、その枷が外れてからというもの、ロゼはマリエールへの遠慮を少しやめたように思う。
そしてマリエールの目の前で頭を下げたロゼは言った。
「お願いします、付き合ってください!
――――テスト勉強に!」
破滅を本当に防ぐためには、周りの人間への根回しと、こちらの弱みを見せず、周囲に力を見せ付けることが有効である。本来王家とも繋がりのある公爵家の令嬢を、ただ気に入らないというだけで失脚させるなんてことができるだろうか?
他人を追い落とすためには相応の説得力や権力がいるはず。そういう仕組みの世界だとしても一人ひとり別の考えを持つ人々により支えられている以上、火の無いところに煙を立たせることはできない。
逆に小さな火種が寄り集まって大炎上ということも考えられるので、極力弱みを見せず最大限の努力と根回しをして今がある。
マリエールには10年間考える時間と準備期間があった。ロゼにはそれが無かった。そして一週間後には試験がある。
「こんな長い呪文暗記するの無理ですよぉ……」
「貴女、光の属性魔法は高位魔法もサラっと使っておいて、闇の属性魔法は本当に駄目ですのね……」
試験勉強だ。3日ほど前に1人歩いているところをロゼに捕まり、恥もプライドも捨てて拝み倒されて教師役をすることになった。
ロゼは一番苦手な属性魔法の筆記項目を前に萎れている。
「光は、なんかこうフワッとしてぽわっとさせておけばなんとかなりますもん!」
手を良く分からない形に動かすロゼ。どうやら魔法の表現のようである。
「それ、筆記試験はどうしてますの……?」
「選択肢は消去法でなんとか、記述問題は実際に使ってみて分かったことから書いてます……」
「……とりあえず、光属性は一番最後ですわね」
完全に感覚に頼った、光魔法の天才を前にマリエールはため息をついたのであった。
「ぬううううう、詰め込めば詰め込むだけ端から抜けていっている様な気がする……」
机に向かって2時間、筆記対策を真面目にしていたロゼが机に突っ伏した。心なしかその頭を飾るリボンも萎れているように見える。
突っ伏したままくぐもった声でロゼは唸った。
「マリエールさんはすごいです……せつめいの順番も内容も分かりやすいのに、それでも覚えきれない自分の頭にはがっかりです……」
「魔法理論はどうしても暗記になりがちですものね。覚えてしまえばどうとでもなるのだけれど」
ロゼは馬鹿ではない。地頭も発想も良い。この部分を乗り越えてしまえばその自由な発想から得意な属性であれば研究の第一人者にもなれるかもしれない。それでも今は魔道学園の1年生として相応に苦しんでいた。
「どうしたらマリエールさんのようになれるんですか?」
「そうね、属性への得意不得意もあるとは思うのだけれど、わたくしは10年前には
「10年……」
むうと唸るそのロゼの声には後悔のようなものがにじんでいたが、そこは自分たちにはどうしようもないことだ。マリエールは知ってからというもの、破滅を回避することを第一目標として生きてきた。その為に自分の立場に気を配る必要があり、それはそれで楽しくやってきたとは思うものの、知らなかったロゼをうらやましく思う気持ちも無くはない。
「わたくしにはその時間があっただけのことですわ。それに公爵家の娘としても皇太子殿下の婚約者としてもたどるべき道は明白だった。
貴女は知らされていなかった。でも知らなかったからこその夢や経験があったでしょう?わたくしはそれが悪いことだとは思いませんわ」
しばらく考えたロゼは懐かしそうに話す。
「……その頃のわたしは騎士になるのが夢でしたね。木の棒振り回して幼馴染に勝ってみたり、自分のことぼく、なんて呼んでみたりして。結局、すぐに現実的な夢じゃないって気がついて、魔法士を目指してこの学園に入って、それで……」
それで、この世界のこと、
「確かに、そのときに知っていたら、そんな夢も持たなかったかもしれません」
目を伏せて諦めたように言うロゼに、マリエールはふむと口に手を当てた。
悪役令嬢としてのマリエールのこの世界での役割は学園での
一方ヒロインとしての役割としては学園での攻略対象の精神的な癒し、
元々この国フローラリアは魔王を封印した初代聖女の下作られており、初代聖女の固有魔法が『花を咲かせる』だったからか、植物関係の固有魔法を持つ人間が多く生まれた。近隣国との戦争も無い平和な国でこの王立魔道学園と王立騎士養成学院の両方で戦闘技術を磨かせるのは魔王復活に向けてのことでもある。
ロゼはヒロインとして、次期聖女への資格、光属性への強い素質と『何も無いところから花を出す』という固有魔法を持っていた。
マリエールの役割が学園卒業までで終わるのに対して、ロゼの役割は学園を卒業してからも続くのであった。
「別に諦めなくても良いのではなくて?騎士になる夢」
しかし、とマリエールは考える。
聖女になってもロゼは持ち前の明るさで楽しく生きていくとは思う。だがそれが一番輝くのは自分でその道を選んだときだ。どうせなら
「10年前は女性で騎士なんて現実的ではなかったようですが、今は職業選択の自由がうたわれる時代ですわ。光の魔法騎士、なんてかっこいいのじゃありませんこと?」
物語の主軸は学園にある。伝説の木の下での告白が最後の分岐点となり、その後は
マリエールが至極軽く言った言葉に、ロゼの瞳もまた輝き出した。
「じゃあ、もし騎士になれたらマリエールさん主人になってくださいよ!」
違う道を見出せる可能性に楽しそう言うロゼをマリエールはちらりと見る。
「どうしようかしら」
「たきつけておいて酷い言い草です……」
提案をすげなく流され、ロゼは大げさに肩を落とした。
気分転換も済んだところで、手を叩いてロゼを促す。
「その為にも今は試験を越えるのでしょう?早く手を動かしなさいな」
「はーい先生」
数日間の試験期間を終え、マリエールは貼り出された結果を見に行くことにした。掲示板の近くまで行くと、同じく貼り出されたものを見に来たたくさんの生徒たちの後ろのほうでぴょこぴょこと飛び跳ねている姿が見える。
「ごきげんよう、ロゼさん。結果の方どうでしたの?」
「あっ、マリエールさん!」
ロゼはそのままの勢いでマリエールに抱きついて嬉しそうに言った。
「やりました!全科目20位くらい順位上がりましたよ!」
「よかったですわね。今回はわたくしも良い復習になりましたわ」
思わずといった風にはしゃぐロゼに、目を見開いていたマリエールも頬を緩ませて答えた。
マリエールから離れたロゼはそのままぺこりとお辞儀をした後、教室の方へ駆け出した。
「ありがとうございました先生!次からもよろしくお願いします先生!」
走りながらなにやら聞き捨てならない言葉が聞こえる。
「それは聞いてないですわよ!」
「今言いましたー!」
そのまま言い逃げしていったロゼをマナー教師もするべきかしらとその場で見送りつつ、
「もう……」
仕方なさそうにそうつぶやくマリエールの、その口元は楽しそうに綻んでいたのだった。