ストパン世界に転生したけどモブとしてクルロスを見守ろうと思ってただけなのに… 作:まったりばーん
「もうキミの髭を剃るのも慣れた物だねぇ。」
「毎度、ありがとうございます。」
「いいんだけどさ、ボクが始めた事だから。でも、その内代わりにやってくれる人でも見つけるんだよ?」
そう言って、"いつも"の様にクルピンスキー中尉は剃刀を流し場に置いた。
薄暗い室内で泡にまみれた白刃がキラリと光る。
中尉に心を救われたあの日以来、彼女は家に来る度にこのだらしない髭を整えてくれている。
けれど、流石にこれ以上は彼女に甘ったれる訳にもいかないだろう。
「そうですね。いつまでも中尉のお手を患わせては申し訳ないですし、理髪店にでも通います。」
「…そういう意味で言ったんじゃないけどさ。」
「えっどういう意味です?」
何か裏の意味がありそうな伯爵の口振り。
だが、その含意が解らない。
カールスラント特有の言い回しだろうか?
俺に床屋へ通って欲しかった訳ではなさそうだ。
「何でもないよ。それで、扶桑には帰れそう?」
でも、彼女は俺の疑問に答えてくれない。
そればかりか、話題転換とばかりに、今一番触れて欲しくない話題を振ってくる。
俺の帰路に関する話題。
その話はあまりしたくなかった。
嫌な事を思い出しながら俺は舌を動かす。
「それが、今週も駄目でした。またネウロイの攻撃があったとかでチケットを売ってくれないんです。」
「ふーん、そうなんだ。」
あれから数度、あの旅券売り場に脚を運んだ。
だが、何度言ってもチケットが買えない。
おっさんは何かと理由を付けては俺にブリタニア行きのチケットを売ってくれないのだ。
「そんなにネウロイの攻撃は凄いんですか?グレゴーリは破壊したんですよね?」
フロントの店番の話だと、ネウロイの攻撃が激しくなり船の本数が極端に減ったという事だった。
だが暇な時に海を眺めていてもそんな様子は感じられなかったし、今でもこの街からブリタニアへと向かおうと身支度をするご近所さんは珍しくない。
本当にネウロイはその羽をここまで広げているのか?
不思議に思う。
今は軍を離れているのでその実態が掴めない。
だから、クルピンスキー中尉なら現場の人間として現下の状況に詳しいだろう。
そう思い、問い掛けた。
「うん、全盛期程じゃないんだけどね。確かにここ最近ネウロイが輸送路の攻撃を行っているよ。彼等も全面的な攻勢は諦めて、通商破壊っていういやらしい戦法取ってるみたい。まぁ、民間は船出したくはないと思うな。」
整った顔を険くする伯爵。
嘘はついていなさそうだ。
成る程、彼女がそう言うのなら間違いないのだろう。
話が本当なら扶桑はおろかブリタニアの土を踏める日も相当先になりそうだ。
どうやら漆黒の怪異はどこまでも俺の家路を邪魔したいらしい。
「はぁ、いつになったら帰れる事やら…」
思わずため息を吐いた。
早く扶桑に帰りたい。
…別にそれは郷愁の念からではなく、そろそろ生活が厳しくなって来た事が主な理由なのだが。
というのも、今の俺は軍を抜けて無職人間。
僅かな貯金を食い潰している身の上だ。
当然、衣食住の保証もない。
傷痍軍人として扶桑から軍人年金が払われる手筈にはなっているが、受け取りには扶桑に帰って手続きをする必要がある。
収入0で支出は増える。
ここ数日、目減りしていく蓄えに苛まれる日々を送っていた。
本当はこんな筈じゃなかったのに…。
「そんなに焦らなくてもいいんじゃないかな?」
だが、クルピンスキー中尉は俺の懐事情を知らないらしくそんな呑気な事を言う。
「そうは言ってもですね…」
生活費が…
「フジキ君さぁ…」
そうやって、俺が現在の藤木政府の財政状況を説明しようとした途端、相殺するかの様に褐色の魔女は声帯を震わせた。
「キミが中々、故郷に帰れなくて焦る気持ちは解るよ?けど、ボクだってカールスラントがネウロイに支配されていて、帰るべき家が無いんだ。いつ帰れるかも解らない。ずっと頑張ってるけどね。だからさ、のんびりやろうよ?家に帰れない似た者同士。ボクがちゃんと側に居てあげるからさ?ねっ?」
喋りながら、彼女は洗面台の鏡に向かって座る俺の後ろに回り、肩に自分の手を置く。
まるで子供を落ち着かせる様な母親の行動。
俺を安心させたいのだろうか?
「…ですが」
「ですがじゃないって、ゆっくりしようよ?」
「…」
クルピンスキー中尉の狙い通り、確かな安らぎを肩に置かれた手に感じてしまう俺。
中尉の女性にしては大きな手がとても温かく感じた。
「ボクだけじゃない先生もいる。ボクが心の支えになったから痛みも少し収まったって、お礼を言ってくれたのはキミ自身だよね?だから、まだ一緒に居てあげる。キミはもう少しここにいてもいいと思うな。」
「中尉…。」
視線は自然と、手袋で隠された己の掌に移動していた。
そうなのだ。
俺の幻肢痛の症状は改善している。
伯爵が最初に家に来た時から、幻肢痛に襲われる頻度も痛みの度合いも大分軽くなっていた。
魔法にかけられたみたいに。
この事を一度、医者に聞いてみた。
すると確かに因果関係は不明だが、孤独な状態よりも誰かが心の支えとなって、患者に安心感を与えている状況の方が幻肢痛が和らぐという報告があるらしい。
だから、これは中尉のお陰。
本当に感謝してもしきれなかった。
…拙いな。
クルピンスキー中尉が藤木和也の心の支えになっている。
もう何日も前からこの事実に気づいてしまった。
乃ちそれは、俺が彼女に"依存"している。
そういう事を意味している。
本当は俺なんかよりもロスマン曹長との時間を大切にしたい筈なのに。
中尉を俺というモブキャラに縛り付けてしまっているという事を意味していた。
しかも、クルピンスキー中尉が俺の面倒を見てくれている理由は彼女の愛するロスマン曹長の恩人だからという物。
直接的な関係がないのに心の支えとして側にいてくれている。
これでは、一方的に彼女の優しさに甘えているだけだ。
(どこまで中尉に…ヴァルトルート・クルピンスキーに迷惑をかければいいんだ?俺は?)
だが、心では解っていても。
「ありがとうございます。そうですね、もう少しのんびりしてみます。」
俺はクルピンスキー中尉の厚意を拒絶できない。
「…うんっそれが良いと思うよ。」
それどころか進んで求めている自分がいる。
だって、俺が彼女が側に居てくれる事にとてつもない安心感を感じてしまっているから。
どんなに理性が引き返せと悲鳴を上げても、中尉とこうやって何気ない会話をするだけで充足感を感じてしまう。
良くないなぁ、こういうのは…
この世界に来てから、あれだけ魔女と交流するのは避けていたというのに。
あれだけこの世界の本筋に関わらないと決めいたのに。
遠くからかつて熱狂したキャラクターをながめるだけで満足だと思っていた筈なのに。
初志貫徹ができていない。
前の世界でもそうだった。
そうやって、まるで風船みたいにすぐ回りの状況に流されて生きていた。
それで失敗した事もある。
いつか自立しよう。
そう思っているのに結局他人に甘えてしまう。
最低だ俺って…。
「ねぇ、聞いてる?」
俺がそんな自己嫌悪に耽っていると、鏡に写る伯爵の顔が不機嫌な物へと変わっていた。
いけない、考え込むあまりに上の空で魔女の話を聞き流してしまっていたらしい。
「はい?」
俺はすかさず喉を震わせた。
伯爵は何を俺に語りかけていたのだろう。
「だからぁ…いっその事、そのままココに住んじゃえば?自然豊かだし、物価も安いし、大きな病院もある。療養生活を送るには扶桑よりよっぽどしっかりしていると思うな。」
「え?」
とんでもない提案が彼女の口からサラッと流れていた。
欧州に住むだって?
ここに?
寒村の?
言葉も通じにくい?
東洋人が?
流石にそれは俺もごめん被る。
…でも、何て事はない、こんなぶっ飛んだ提案はきっといつもの彼女の冗談で…
「そうだ、カールスラントが解放されたらカールスラントに住むのもアリだね。」
だが、俺の考えを他所に、彼女はその端正な顔を俺の耳許に寄せ付け、そう囁いた。
唇と耳は殆んど距離が離れていない。
伯爵の吐息が俺の耳を誘うように擽る。
冗談なのか?これは?
「ははっ…中尉、流石に冗談でもそれは笑えませんよ。」
「…冗談じゃ…いや、そうだよね!ごめんハハッ!」
俺は彼女の提案を質の悪い冗談という事にしてその場を凌いだ。
クルピンスキー中尉の笑い声がやけにわざとらしいのもきっと質の悪い冗談だったからだ。
今になって自分でとんでもない事を言っているのに気づいたのだろう。
…そういう事にしておこう。
鏡に写るヴァルトルート・クルピンスキーの意味深な視線はきっと鏡の屈折だ。
───
「じゃあ今日も始めようか?」
「はい、先生。」
「うーん、そう言われるとむず痒いなぁ…。まっいっか?手帳開いて。」
中尉の宣言と供に俺はいくつかのカールスラント語の単語が書かれた手帳を開く。
「まずは前回の復習だね。最初は…」
俺は中尉の淹れてくれたコーヒーを飲みながら、彼女の発音に耳を傾ける。
ウィッチの奏でる発音は完璧な中尉の母国語のアクセント。
伯爵の提案で始まったカールスラント語の勉強時間である。
…カールスラント語を勉強してみない?キミも全く読めない訳じゃないでしょ?じゃあマスターしちゃおうよ。ここにいる間に。ボクが教えて上げるからさ。お金を稼ぐ手段にもなると思うな、翻訳とかで。故郷に帰ったら妹ちゃんにも教えられるし、悪い事ではないと思うんだけど。どうかな?
二度目の来訪時、そう言って中尉は分厚い辞書を片手にやって来た。
どうして急にそんな話を持ってきたのかは解らない。
でも、伯爵の言う事は尤もな事であったし、欧州の生活で僅かながらカールスラント語も理解できたので、有り難く中尉に教えを請う事にした。
何よりもお金を稼ぐ手段になる。
その言葉は非常に魅力的に俺の鼓膜を刺激した。
この時代の扶桑は農業国家。
国民の八割が農家である。
鍬も鋤も鎌も握る事ができなくなった俺は、名実供に異端者となってしまった。
これでは家業の農業に従事する事もできず、文字通りで自分の手で自分の口を塞ぐ事ができないのだ。
だから他の仕事を選択しなければならない。
仕事の為にと考えれば、自然と単語や発音を覚える事に熱が入る。
鉛筆が握れないので書いて覚える事はできない。
でも、生活がかかるとなると人間真剣になる物だ。
勉強など嫌いで、前の世界でもこの世界でも学校の試験など一夜漬けだったのだが、ここに来て猛烈な学習欲に取りつかれていた。
時間はあっという間に過ぎていく。
「結構上達してきてるね。凄いじゃないのさ。」
俺と中尉の二人きりのレッスンは、最後にその日のまとめテストで締め括られる。
これはロスマン曹長がそのつど作成しているらしい。
先生と形容されるだけの事はあって戦闘教練以外でも、白髪の少女の教育者としての素質を垣間見た。
戦争が終われば本当に先生を目指せそう。
「そうですか?」
「うん、この調子なら大丈夫だと思うよ。まぁ、それでも幼稚園児の方が上手く話せると思うけどね。」
中尉は俺の上達に素直に驚いている様子。
カールスラント製の武器の説明書を雪原で、辞書片手になんとか解読していたのが今になって功を奏したのだろう。
カールスラント軍は不親切な物で、供与する兵器にブリタニア語やイラストなどの解説を一切付けてはくれず、新兵器が配備される度に無い頭を絞りながら説明書を解読したのは苦い記憶だ。
特に対ネウロイ兵器として、試験段階の物を実地評価だからと渡された日には堪らない。
特にフリーガーファウストとかいう対空ロケット。
あれは酷かった。
結局、カールスラントの技術士官が現場に到着するまで、遂には使い方を解読できなかったのだ。
今ならあの説明書も読む事ができるのだろうか?
まぁ、読めた所でもう使う機会はないんだけどな。
「これなら…ノイエカールスラントでも…」
俺のテスト結果を手に取りながら何かを呟く中尉。
その言葉は、普段会話で使っているブリタニア語ではなく、カールスラント語。
だが、俺とは比べ物にならない位の完璧な発音で、まだまだ未熟な二つの耳では発音を拾いきれなかった。
「中尉?」
「っ!いや、何でもないよ!頑張ったじゃない!頭の一つでも撫でてあげようか?」
その呟きは中尉の無意識による物だったらしい。
いそいで聞き返したが、すぐにいつものブリタニア語ではぐらかされてしまった。
「よーしっよーしっ頑張ったねぇ、えらいえらい!」
そしてわざとらしく俺の頭を撫で始める。
何だか今日、はぐらかされてばかりだな…。
そんな不信感を胸に抱きながら、俺は犬みたいに中尉に撫で上げられる事に満足していた。