ストパン世界に転生したけどモブとしてクルロスを見守ろうと思ってただけなのに… 作:まったりばーん
談笑。
意味もなく、目的もなく、喋る事。
それ自体が理由となる時間の浪費。
俺と伯爵の二人の時間は語学の勉強を除いては、大抵ソレで占められていた。
コーヒーを片手に何気ない世間話を褐色の魔女と交える。
今が戦時下である事を忘れる様な時間。
人との交流が極端に少なくなった俺にとって、このぼんやりとした曖昧な時の流れが一番の楽しみになっていた。
ぼーっとして、指の事も、故郷の事も、戦争の事も、金銭の事も、家族の事も、この世界の真実の事も…忘れられる。
たまに話題に上る事はあるけれど。
だが、そんな安穏の中で、ふと口寂しさを感じた。
見ると手元のコーヒーカップに注がれた黒い液体を知らず知らずの内に飲み干してた様だ。
カップは空になっていて、白磁の底には残ったコーヒーカスが乾いている。
「もう一杯飲む?淹れてあげようか?ボクもお代わりが欲しいんだ。」
俺がカップの底に視線を注いでいると、相対するクルピンスキー中尉がコーヒーのお代わりを勧めてきた。
当たり前の事だが今の指ではコーヒーを淹れる事などできないから、俺は家主でありながら客人をもてなす事ができない。
そればかりか、数瞬の苦味を嗜好するのにも客人である彼女の助けが必要だった。
自分で自分のコーヒーを淹れる事すら、今の俺にはできないのである。
だからこのカフェインを楽しめるのは彼女がやってくる日だけ…。
「いえ…もう頂き物の豆が無くなりそうなのでご遠慮させて頂きます。中尉がお飲みになりたいのでしたらどうぞ。」
そう答え首を横に振り、もういらないのジェスチャー。
本当はもう一杯、コーヒーを飲みたかった。
でも、退院の時に看護婦からもらった新大陸の豆の残りが少ないと思うと憚られる。
戦争中の現在、コーヒー豆は貴重品であった。
何よりも眼前の中尉の手をこれ以上、患わせたくはなかったし、どうせ残り少ないのならそれはクルピンスキー中尉に味わって欲しい。
日頃の感謝もある。
コーヒー一杯で返せる債務ではないけれど。
「そう、じゃあボクは有り難く貰っちゃおうかな?何だか悪いねキミの頂き物なのに。」
「コーヒーを淹れてくれるのは中尉です。結局、中尉がいらっしゃる時しか自分も飲めません。ぜひそうして下さい。これだけ色々してもらっても、貴女に何一つ恩返しできていませんから。」
「ふふっ実はボクがここに来る理由の一つにこのコーヒーがあるんだ。ペテルブルグ基地じゃ中々飲めないからね。」
中尉はそう言って缶からコーヒー豆を取り出すと、グラインダーに放り込み褐色の指でハンドルを回す。
ゴリゴリゴリと固い豆が粉砕されていく音が二人の鼓膜を刺激した。
「前に代用コーヒーって言って麦を焙煎したのを飲んでみたんだけどあんまり美味しくなかったね。」
会話を続けながら彼女は挽かれた黒い粉末を、カップの上に広げたコーヒーフィルターに落とす。
「タンポポを使うのもあるんですよね?」
「よく知ってるじゃないの。でも、あんまり美味しくないみたい。まぁ、ペテルブルグじゃタンポポも生えないから、ボクも飲んだ事は無いけど。」
中尉はそのままコーヒーフィルターに敷き詰められたコーヒー粉に魔法瓶からお湯を注いだ。
遅くなく、速くもなく、焦らず丁寧に手首を回してお湯で円を描く。
忽ちカップの中は良い匂いのする褐色の液体で満たされた。
「ふふーん、じゃあ頂きます。」
「どうぞ。」
中尉は湯気たてるカップに唇を付け、瞼を閉じて喉を鳴らす。
コーヒーの最初の一口を味わう時は目を閉じて…。
それが彼女の癖らしい。
これは公式ファンブックにも載っていなかった新たな発見だった。
「ねぇ、扶桑でもコーヒーって飲むの?」
カップから口を話すと、伯爵は片方だけ目を開き急にそんな事を聴いてきた。
「自分の故郷では飲みませんでした。でも、都会じゃ喫茶店もあって手軽な値段で飲めますよ。だけど大抵お茶の方が好きですね。周りの人間は皆そうでした。」
俺は当たり前だが第二の故郷の話をする。
扶桑は良くも悪くもモデルとなった最初の祖国と瓜二つで、それは文化も同様だった。
本当の故郷の数十年前と同じ様に、扶桑は地方と都会で文化水準が天と地程離れており、都会で普及しているからといって、田舎で出回っているとは限らない。
この世界で初めて都会に出た時に、"珈琲"という看板を目にして「ちゃんとコーヒーの概念があるんだな」と驚いたのはもう十年位前になる。
その日は財布が空になって、胃が痛くなるまでブラックのコーヒーを味わった。
「ふーん、そうなんだ。キミはどうなの?」
「自分ですか?」
「そう、フジキくんはどっちが好き?お茶とこっち。」
クルピンスキー中尉は、まだ湯気の立つ飲みかけのコーヒーを指差す。
「そうですね、コーヒーでしょうか?」
「へぇ、どうして?」
「コーヒーが好きだからでは駄目ですか?」
「うーん、ダメじゃないけど、どうしてコーヒーが好きなの?
だって故郷にはないんでしょ?普通、人って郷土のモノを好む物だと思うんだけど。」
「それは…」
どうしてだろう?
でも、間違いなくそれは前世の記憶に由来する。
俺の本当の故郷は下手したら水と同じ位にコーヒーが身近だった。
コンビニでも自販機でもコーヒーが大量に販売されていたし、在来線の駅ナカにはコーヒーショップがいくつもあった。
眠気を覚ます時も、仕事合間にリフレッシュする時も、いつでもコーヒーが手に入る環境が整っていた。
今思えば過剰とも思える位に。
だから間違いなくコーヒーは異国の物ではあったけど、異質な物ではなかったのだ。
そんな日常で俺の一番のお気に入りはペットボトルに入った無糖のアイスコーヒーだったし、家にもコーヒー粉を常備していた。
インスタントじゃないちゃんとしたのを缶に入れて。
でも、その事を彼女に…クルピンスキー中尉に説明する事は勿論できなかった。
どう、説明したらいいものか?
「…異質だからですかね?」
「異質?」
俺は誤魔化す事にした。
上手い言い訳も思い付かなかったから。
「はい、自分は異質だったんです。だから回りの人間とは嗜好がズレてたんだと思います。」
だって考えが90年は違うのだから。
ズレない方がおかしい。
前世では当たり前の事がこの世界では不自由する。
そんな環境に身を置けば嫌でもズレてしまう。
多分、軍を志願したのだって本当はそれが理由なのだろう。
確かに生きたキャラクターを見たいという情熱はあったが、それ以上に…この価値観のズレが致命的だった。
だから国を飛び出した。
最近になってその事を解り始めた自分がいる。
「へぇー異質ねぇー?…それがコーヒーが好きな理由なの?」
俺の言ったことをどう捉えたのかは解らない。
でも、中尉は理解したかの様に応答した。
心持ち、口角をうっすら釣り上げて。
「じゃあ、これあげるよ。」
そして、彼女はその手に持っていた、飲みかけのコーヒーカップを俺の方へと差し出した。
「はい?」
「だからコーヒー好きなんでしょ?なら、これあげるよ。半分こだね。」
「いえ、でも…」
これは貴女の飲みかけで…。
「キミってば遠慮して、自分は飲まずにボクにコーヒーくれるもんだから、こうするしかないじゃないのさ。ほら、飲みなよ。言っとくけどボクはもう飲まないよ?」
そう言葉を続けて、褐色のウィッチは再度、純白の陶磁をこちらへと突き出した。
褐色の少女が口を付けた漆黒の嗜好品。
彼女は気にしないのだろうか?
気にしないのだろう。
多分、本当に善意で俺に飲み残しのコーヒーをくれている。
少女の視線が陶器と手袋に包まれた俺の指へ注がれているのが解った。
心が見透かされている。
俺だって本心では、もっとこの黒い液体を味わいたい。
「ありがとうございます。」
その考えに帰結すると、中尉の飲み残しを指の少なくなった掌で器用に包んで、食道へ送り込んだ。
途端に胃袋が暖まる。
とっても、とっても、旨かった。
「もう遠慮しちゃダメだよ?」
「はい…。」
俺は胃袋から蒸せかえる様なコーヒーの香りを、鼻腔で感じて首を縦に振る。
なんだか、上品な苦味の中にクルピンスキー中尉の西洋人特有の濃い薫りを感じた気がした。
───
「じゃあ、もう行くね。」
長身の少女がふと声を上げた。
「もう時間ですか?」
扶桑の歩兵が聞き返す。
少し声の音を暗くして。
「うーん、本当はもっと余裕あるんだけど今日は寄る所があるからさ、また来週になる前には来るよ。」
腕時計を睨むカールスラントの少女も、異国の兵士の心情が解ったのか、宥める様に喉を震わせた。
「解りました。お見送りします。」
「もう、一々いいのに…鍵はちゃんとボクが閉めていくよ?それともボクって信用ないかな?」
「いえ、自分がしたいからそうするんです。ここまでしてくれてお見送りをしないのは申し訳ないですから。」
「いいんだよボクが好きでやってるんだからさ、…でも、そう言ってくれると嬉しいかも。」
会話を続けながら、カールスラントの魔女は外套架けに吊るしてあったトレンチコートと帽子を手に取って身支度を整える。
そして、名残惜しそうに玄関口へと移動した。
「では、今日もありがとうございました。」
「うん、またね。フジキくん。」
扉の閉まる音。
そして伯爵はコートのポケットから合鍵を取り出し、黙って独り暮らしの部屋に鍵をかけた。
だが、扉越しにはまだ彼の気配を感じ、目の前のドアスコープからは此方を見詰める視線が解った。
(全く、ボクの事好き過ぎでしょ…?)
そんな木製の扉越しに伝わる彼の感覚に、クルピンスキーは苦笑した。
まるで別れを惜しむ飼い犬の様な青年。
あれで自分より歳上の筈である。
身長は同じ位だけど。
だがそう考えるも、クルピンスキー自身、その注がれる感情に不快感は感じなかった。
むしろ、愛しさすら感じる。
自分という存在をここまで愚直に求めるのだから。
女性経験の多い、褐色の伯爵でもこの手のタイプは初めてだった。
彼が初めてこんなにも私生活に突っ込んだ男だったが、男性がここまで女々しい物だとは予想もしていなかった。
いや、男というよりこのフジキカズヤという人間がそういう風なだけかもしれないけれど…。
ともあれ、ここ数週間、こうやって異性に己の存在が求められるのに悪い気はしなかった。
彼はパウラ…彼女の憧れの女性がくれない物を補ってくれる存在だ。
いや、厳密には今は違うかもしれないが、近い将来もしかしたらそうなり得る可能性を秘めている。
(で、あるなら…)
彼にあの真実を伝えてはいけないとクルピンスキーは考えている。
もし、あんなにも、おそらく障害のせいで脆弱になってしまったフジキに、彼の妹の事など伝えよう物ならその先は想像に難くない。
きっとポキリと音を立てて、崩れ落ちてしまうだろう。
それは彼の為にも、そして彼について必要以上の責任を感じている先生の為にもならない。
だから、彼女は今日寄るべき場所へと脚を運ぶ必要があるのだ。
…頭の中でフジキとパウラの事について考えながら、石畳を踏みつける。
そんなブーツと地面とがぶつかる音がある施設の手前で止まった。
旅券売り場…と言えば理解できるだろう。
そんな売り場の、少し年季の入った扉を押し開ける。
それと同時にドアベルがカランコロンと音を鳴らして、己の存在を主張した。
「えーっと、"ブリタニア行き"のチケットですね?」
フロントには先客が居たようで、店番の男性はその家族連れに対し注文の復唱を行っている所であった。
彼女が先客の家族連れを見ると、大きなボストンバックを人数分、父親らしき人物が抱えていた。
もしかしなくても大陸からの脱出希望者である。
「"ブリタニア行きの直通便"、四名まとめて…どうぞこちらです。出港日は明後日の朝10:00お忘れなく。」
初老の男性はチケットに判子をポンポンと四回印字すると封筒に入れて、四人家族に引き渡した。
チケットを購入した家族連れはそそくさとフロントを後にする。
…カランコロン
ドアベルが音をたてた。
フロントには店番とクルピンスキーの二人だけになる。
「やぁ、久し振り。」
クルピンスキーは努めて友好的に右手を挙げて、店番に近寄った。
「どうも、中尉殿!お久し振りです!」
店番は彼女の事を知っている様だ。
それも口振りからこのカールスラントの伯爵を戦争映画や新聞欄で知ったわけではないという事が推察できる。
「いやーちゃんと約束守ってくれてるみたいで良かったよ!」
「はいっ!そりゃもう、あの扶桑人にチケットを売らなければ良いんですよね!しっかり守らせて貰ってます。」
店番は歯を剥き出しにして嗤いながら首を縦に振った。
「うん、じゃあこっちも約束を守らなきゃね…はい、今月分。」
クルピンスキーも微笑しながら黒のコートの胸ポケットから紙ペラを一枚取り出した。
そしてそれを店番に差し出す。
「…!はい確かに!頂戴しました。ありがとうございます。」
店番はそれを受け取り、確認をすると大事そうにその紙切れを近場にあった封筒へと包む。
その正体は小切手。
ヴァルトルート・クルピンスキーのサインが書かれた、たった一マルクの小切手だった。
経済的には殆ど価値のない筈の紙切れをまるで株券でも取り扱うかの様に店番は厳重に封をした。
ヴァルトルート・クルピンスキー…彼女位の著名人になると最早小切手に書かれた金額はその意味をなさない。
そこに記された直筆のサインだけで、小切手以上の価値を有するアイテムになってしまう。
それを伯爵は知っていた。
以前、これを乱発しロスマンに怒られたのは良い思い出だが、彼を守る為ならば文句は無いだろう。
ともあれ、店番との取引は成立だ。
「じゃあ、ボクはここに長居するといけないからもういくね。また約束の日になったらっ!」
取引が終わるとクルピンスキーはすぐに踵を返し、チケット売り場を後にする。
…カランコロン
またドアベルが音を鳴らした。