ストパン世界に転生したけどモブとしてクルロスを見守ろうと思ってただけなのに… 作:まったりばーん
ペテルブルグ基地の居住区。
石壁の冷たさを感じながら、ヴァルトルート・クルピンスキーはエディータ・ロスマンの私室の扉を押し開けた。
「ただいま、先生」
「お帰りなさい、彼はどうだった?」
「うん、いつも通り安定してたよ。幻肢痛もなかったし、今週もお酒は我慢できてるね。」
部屋に入るなり話題に上がるのは例の扶桑人。
ここ最近、二人の会話の中心は彼である事が多かった。
鈍色の魔女が扶桑の歩兵について尋ね、金色の魔女が見てきた事を伝える。
この一連の流れはここ数週間で確立されたルーチンだ。
「やっぱり、彼の生活の為にカールスラント語を勉強させたのは正解だったわね。習得が速いわ、勉強熱心なのかしら?」
ロスマンは伯爵から渡された自作テストの結果を手に取りそう呟く。
ペンを片手に答案の添削をする彼女の姿勢はまるで本物の教師の様であった。
「ボク達が勉強をさせる前から少しは理解できてたみたいだね。どうも戦場でウチの兵器を使う機会が多くて説明書とかを解読する必要があったんだって。それに、カールスラントの兵士と39年に一緒に戦ってたらしいよ。」
「だとしても凄いわよ…」
語学教師でないにしろ、カールスラント語を話すネイティブである二人。
そんな彼女達から見て、フジキカズヤの上達には目を見張る物があった。
確かにまだ子供の方が上手に読み書きができるであろうが、今の彼ならごく簡単な日常会話位はできそうなレベルだ。
このペースでいくならば一月後が楽しみ。
そんな期待を彼には持てた。
「それにしても、よくそんな事知ってるわね?」
「うん、フジキ君に教えて貰ったんだ。カールスラント防衛戦に従事していたらしいし、もしかしたらボク達と同じ戦場にいたかもしれないよ?」
「そう…」
そう答えて、少し…少しだけロスマンの声は弱くなる。
それは同室するクルピンスキーにも悟られない程の些細な変化だった。
彼に教えて貰った。
この言葉を耳にする度、ロスマンは少し複雑な感情になってしまう。
クルピンスキーの口からこの言葉を聞くのは何度目か解らない。
だが、一度や二度という事はなかった。
乃ち、この陽気な同僚と自分の命の恩人とが親交を深めているという事を意味している。
それは良い事に違いない。
医者の話では彼を悩ます後遺症は、誰かが側にいて支える事により改善されるそうだ。
ならば、外出を自粛している自分に代わってクルピンスキーが彼の側に仲良く寄り添うのなら、これ以上に良い事はない筈なのだ。
でも…なんだか胸の辺りがモヤモヤする。
伯爵から彼の事を聞く度に、金髪の魔女から彼の過去を聞く度に、あの寒村の一室でクルピンスキーと彼が言葉を交えている風景を想像する度に…胸に燻った様な感覚を覚える。
誰かが側にいれば幻肢痛が和らぐという情報も、彼にそうお礼を言われたクルピンスキーから聴いた事。
ロスマンが直接彼から聞いた分けではないし、彼から感謝の言葉を貰ったのは勿論伯爵だ。
そして、気づくと彼と対面した回数は、この背の高い伯爵の方が自分の回数よりも多くなっている。
どうして、彼の側にいるのが自分ではないのだろう?
どうして、彼に恩返しができないのだろう?
どうして、クルピンスキーはそれができるのだろう?
鈍色の少女はそう思う。
思えば、小柄な魔女はフジキカズヤの事を何も知らない。
知っているのは出身と年齢位な物。
それなのに、自分より後に知り合ったクルピンスキーの方が彼について詳しく知っていた。
妹が居た事も、コーヒーが好きな事も、音楽の趣味も、かつてカールスラントの戦場に居た事も…伯爵だけが直接聞いた。
ロスマンは何も知らないのに。
いや、もしかしたら彼と初めて会ったあの日に…彼が身の上話をしていた時に聴いていたのかもしれない。
だが、覚えていないのだ。
だって寒すぎたのだから。
彼の話は殆んど頭に入ってこなかった。
あの寒空の下、寒さに凍えながら聞き流していた青年の経歴をもっとちゃんと聞いていればと後悔している。
フジキカズヤとは知り合ってまだ幾日も経っていないというのに…。
何故か自分が彼について無知であるという事を自覚すると、何とも言えない心持ちになってしまうのだ。
「せんせい?話聞いてる?」
ふと、クルピンスキーの声がロスマンの二つの耳を刺激した。
「あれっ?えっ何かしら?」
それが、一人考え込むあまり上の空になっていたからだと彼女が解るのに時間はかからなかった。
「だから、次の課題の内容お願いしてもいいかな?」
どうやらクルピンスキーの声かけは、授業に対する要求だったらしい。
彼へと施される授業の内容はいつもロスマンが一から考え、作成していた。
人に何かを教えるのが得意。
それは自他供に認めるロスマン一番の長所である。
でもやっぱり、この労働のお礼を彼から直接聞いた事はない…。
お礼を言われるのはいつもこの
「えっ!あぁ勿論よ、次は何日後に彼の所へ?」
そんな考えを頭の片隅に押し込んで、ロスマンは課題を作る事に思考を切り替えた。
クルピンスキーが次に寒村へと脚を運ぶ迄に次回の内容を完成させなければならないのだ。
「外出届けが通れば三日後かな?」
「えっ?」
すぐさまそう答えるクルピンスキー。
彼女の応答にロスマンは怪訝な顔になった。
「三日後?前から思ってたのだけれど、貴女そんなに通って注意されないの?」
「注意…?いや、特には…ないけど?」
ロスマンの指摘に心当たりはないのか、クルピンスキーは首を傾げた。
「貴女、私が彼に会いにいけない理由知ってるわよね?」
「うん、外出のし過ぎだからってラル隊長に注意されたんだよね?」
「…そうよ。」
そもそもの、この件の当事者であるロスマンが彼に会いに行けない理由。
それは先生の度重なる外出に一部の兵士から批判の声が上がったからだ。
しかし、自分と遜色ない頻度で一等兵の元へと訪ねるクルピンスキーには、その外出が咎められる様子が一切ない。
自分の時とはえらい違いである。
前々から気になってはいたが、ここまでくると流石に引っ掛かった。
本当にそんな頻度で外出できるのだろうか?
「貴女は隊長から何かお小言は貰ってないの?」
「そう言えば…」
「そう言えば?」
「ボク、ラル隊長から何も言われてないよ。呼び出されてもいないし誰かを経由しての注意もない…。」
思い返してみればという伯爵の口振り。
その態度から、ロスマンに指摘されるまで気に留めた事もなかった様だ。
「本当に?」
「本当だよ。外出許可を提出する度に隊長とは顔を合わせてるけど特に注意どころか、外出理由もろくに聞かれてないかもしれない。というか、外出自粛を要請されたのって先生だけじゃないかな?」
「えぇっ…?」
ロスマンは声を上ずらせる。
「直ちゃんも、ニパちゃんも、ひかりちゃん、ジョゼちゃんや下原ちゃんにサーシャちゃん…最近戻ってきた雁淵ちゃんだって皆、いつもと変わらず外出申請が許可されてる筈さ。」
「じゃあ、わたしだけ?」
「多分…?何でだろう?」
自分だけが注意を受けた。
ほかのウィッチはいつも通りに外出を楽しんでいるのに。
その事実が明らかになると、銀髪の少女の脳内はいよいよ混迷した状態になっていく。
なぜ?どうして?
思考は忽ち、この二つの単語で埋め尽くされる。
だが、彼女の出した結論は早かった。
「少し隊長の所へ行ってみます。」
───
「入れ」
木製の扉に拳の打ち付けられる音が響くと、502統合戦闘団指揮官グンドュラ・ラルはすぐに声を上げた。
「失礼します。」
入室するロスマン。
そこにはラル以外にもアレクサンドラ・イワノブナ・ポクルイーシキンが分厚い紙束片手に立っていた。
恐らく戦闘隊長であるサーシャが戦闘詳報の提出と報告を行っていたのだろう。
「ロスマン先生?」
ロスマンの纏う雰囲気がいつものそれと違ったからか、サーシャは若干目を見開いて喉を震わせた。
「すみませんサーシャさん。お邪魔してしまいましたか?」
「いえ…丁度今、報告が完了した所ですけど…。」
可愛らしい声でそう言うと、綺麗な青い瞳をラルへと目配せする。
───帰ってもいいですか?
サファイアの如き紺碧の碧眼はラルにそう訴えていた。
「…もう、戻っていいぞ。」
サーシャの退室してもよいかという無言の主張を汲み取り、ラルは短く反応する。
できる指揮官は部下の考えを瞬時に読み取る物なのだ。
「…失礼します!」
ラルから許可を貰うと、オラーシャの魔女は足早にその場から消えた。
心持ち、扉が閉まる音がいつもより小さいのは気のせいだ。
…とラルは思うことにした。
「流石、戦闘隊長…空気を読むのが上手いな。」
「何か仰いましたか?」
「気のせいだ先生。で、何か用か?」
「わたしの外出の件でお聞きしたい事が。」
「そうか、そろそろ月も変わるからな…そろそろ外出したいとかそういう話か?」
「それもありますが、もっと根本的な事です。」
「根本的?」
「はい、わたしが外出を自粛する原因となった輸送組の不満の件です…」
ロスマンは静かに、だが確実に力を込めて言葉を紡ぐ。
「クレームは本当にあったのですか?」
「どういう意味だ先生?」
「そのままの意味です。ウィッチで外出を自粛しているのは自分だけだと今更ながら気づいたので。」
言葉を続ける鈍色の魔女。
そして瞳の照準を真っ直ぐとラルの翡翠色の眼球に合わせた。
下手な誤魔化しは通用しない。
先生の茶色がかった二つの瞳は、上官であるラルにそう思わせるのに十分な迫力が備わっていた。
「…白状する。」
根負け気味にラルは視線を逸らす。
「そういう話はなかった。そもそも、一般の兵士がウィッチの外出に不満を持つなんて話はある訳ない。自分で言うのも何だが救国の英雄だぞ?先生の疑問通りだ。」
「…やっぱり」
彼女の応答は銀髪の魔女が想定していた物だったらしい。
殊更、驚いた様子は見せなかった。
「ではなぜ、私が外出するのを制限したんですか?」
「…」
小柄な部下の追求にラルは何も言えない。
決して感情的な物ではないロスマンの声音。
それでもラルは自分よりも階級も身長も低い少女に明確な答えを返す事ができなった。
「怒っているのか?」
数瞬の間を置いてラルは声帯を弱く震わせた。
「理由によります。」
ロスマンは端的に返す。
依然その眼光は鋭い。
「…先生の為だ。」
一拍の間を置いて、重々しく口を開くコルセットの魔女。
「私の為?」
全く予想していなかった物が飛び出たからだろう。
その一言で、先程までロスマンの纏っていた鋭い圧は霧散した。
「…元々は軍医からの相談だ。先生がどうも負傷除隊した兵士の事を気に病んで、精神的に追い詰められている傾向があると報告があった。先生が必要以上の責任を感じているとな…だから、彼から遠ざけようと思ったんだ。」
ラルはバツの悪い顔になりながらも、舌を動かし続ける。
「それに軍医の報告を抜きにしても、あの時の先生は私から見て不安定に見えた。顔色も悪かったし落ち着きもなかった。心ここに在らず、自分で自分を追い込んでる…そんな風に。先生も彼の事を気にし過ぎだ。歩兵がウィッチの為に戦場で犠牲になる。そんなの、悪い物言いになるが"良くある事"。ヒスパニアからの古参である先生にも全く覚えがない訳じゃない筈だ。そんな"ありふれた"悲劇の為に、貴女の時間を浪費するのは勿体ない…解ってくれ先生。」
「けどっだからと言ってっ…!」
心の底を吐露するラル。
そんな上司の本心に触れロスマンは思わず声を上げた。
「だから、ヴァルトルートが彼に会いに行くのは認めているだろっ!」
だが、それと張り合う位の気迫を持ってラルも肺を震わせる。
「では先生があの男にその時間を費やして、ひかりへの教練を怠ったらどうなる!?彼女の教育を一番効率良くできるのはパウラ、貴女だ!貴女にはこの小康状態を利用して、ひかりの訓練に付き合って貰わなくては困る!でないと彼女はいつか死ぬぞ?この間のグレゴーリの件で判った筈だ!彼女はまだヒヨッコだ!」
そして最後に威圧する様に机を一度、ドンッと叩いた。
「…それが、本音?グンドュラ?」
「あぁ、そうだ。貴女とひかりの為だ。先生の精神を安定させ、ひかりの練度を高める為だ。自分を庇って負傷した歩兵に憐憫の情を感じるのは構わないが程度を弁えろ。件の彼も考えている筈だ。怪我をした自分に構わず責務を全うしてくれと…私もそうだったからな。」
「…」
──その貴女の価値ある時間をもっと有意義な事に…
ラルのそこ言葉で、ロスマンはかつて黒髪の青年から言われた言葉を連想した。
そう言えば彼も似た様な事を言っていた。
もしかして…
(もしかして、わたしは彼から必要とされていないの?)
「不服か?」
押し黙る小さな少女とコルセットを嵌めた上官。
ペテルブルグ基地指揮官室は今までにない静けさに包まれた。
「ええっとっても不服よ、グンドュラ。」
そんな静かな冬の様な部屋で銀髪の魔女は低く声を震わせた。
但し、今度は誰にでも解る程度の怒りの感情を織り混ぜて。
「失礼しました。」
次にラルの鼓膜を刺激したのは扉の閉まる音だった。
部屋の主である橙色の少女が一人取り残される。
「全く…どうしたものか。」
誰に言うでもなくそう呟く。
なんだか腰の辺りに強い痛みを感じた。
日をあけてしまった…