ストパン世界に転生したけどモブとしてクルロスを見守ろうと思ってただけなのに… 作:まったりばーん
「手紙かい?まぁいいけど、勿論ボクは扶桑語は書けないよ?」
向かいあって座るクルピンスキー中尉は不思議そうな顔をして俺にそう念押しする。
伯爵に髭を剃って貰った後、他に何か要望(炊事洗濯掃除以外)はないかと尋ねる彼女に俺が依頼した事。
それは手紙の代筆だった。
この指になってから、習慣であった故郷へ送る手紙を書くことができなくなっていたのだ。
まぁ、いくらリハビリを重ねても出来ないものは出来ないし、文字を書こうという生産的な気力もなかった。
そんなんだから、今のこの無様な状態を伝える事もできていないし、軍を抜けた事も知らせていない。
だから、誰かに代筆をしてもらおうと機会を伺っていたのだ。
「それでもお願いします。カールスラント語でも構いません。ただ自分から送られた物だと解ればそれで満足です。」
「んーっそう…で内容は?」
彼女は俺の願いを了承すると、差し出した便箋を受けとり、懐から万年筆を取り出す。
手に握られたそのペンは漆黒の色合いに金地の装飾が施されており一見して高級な物であることが想像できた。
この時代では筆記の主役はシャーペンやボールペンではなく、未だ万年筆…もとい懐中筆なのだ。
「はいっ、それでは…」
俺は簡潔に凍傷で指を失った事、それに伴い軍を除隊した事、そして近々扶桑に戻る事。
それらを書いて貰うように中尉に頼んだ。
「ふむふむ…」
伯爵は俺の言動に耳を傾けるとスラスラとその指を動かす。
流れる様に書いているにも関わらず、書き損じもない綺麗な筆記体で白地の便箋に黒いインクを刻んでいった。
「こんな感じで良いかな?」
手を動かして数分。
出来上がった物を俺に見せてくれるクルピンスキー中尉。
にわかではあるがカールスラント語の解る俺には彼女が俺の意図通りの内容を書き下してくれている事が判別できた。
まぁ、正確には半分程度しか読めていないのだが…。
それにしても中尉の文字。
何と達筆な事だろう。
「ありがとうございます!それにしても達筆ですね。伯爵を自称するだけはある。」
「ふふんっ…褒めたって何にも出ないよ?まぁ先生の方が綺麗かな?字は。今度頼む時は先生に頼んでみれば?」
中尉は字が綺麗だと褒められ事が嬉しかったのか、少し嬉しそうに口元を緩ませた。
そして、当たり前の様にこの場にいないロスマン曹長の賛辞を口にする。
どんだけ好きなんだよこの人。
「曹長にですか…?」
「そうだよ、先生もキミの役に立てる事ができるから喜ぶと思うよ?最近の先生は口を開けばいっつもキミへの心配事だもの。」
「うーん、でも大丈夫かもしれません。多分、代筆を依頼するのは中尉が最初で最後だと思います。」
「えっ何で?」
「次に手紙を書くときまでには扶桑に帰っていると思うので。」
「あぁ…それもそうだね。じゃあボクが最初で最後の
にんまりと笑って含みのある言い方をする中尉。
本当にこの手の冗談が好きな伯爵だ。
「変な言い方辞めて下さいよ…」
「アッハハ、冗談だって、そんな事言ったら彼女さんにも失礼だしね?」
「彼女?」
「そうだよ、キミも国に帰るまで浮気しちゃあ駄目だよ?たまにはそういう夜のお店は行っても良いけどね。」
「ハァ?」
伯爵の口から唐突に飛び出した彼女という単語に俺は疑問符を隠せない。
何処から出てきた?
というか何か会話が噛み合ってない。
何を言っているんだ?
この人?
「…?この手紙の宛先彼女さんじゃないの?」
俺の困惑の眼差しに気づいたのかクルピンスキー中尉も疑問符を持って反応する。
彼女が褐色の指を向けるのは、自らが執筆を代行した手紙の宛名。
そこに書かれているのは扶桑では一般的な女性の名前だ。
Yumikoとアルファベットで書かれている。
「ユミコ…あぁ、それ妹です。妹。彼女なんかじゃありませんよ。年齢=彼女いない歴です。」
「妹?」
「えぇ、妹です。藤木由美子。今は丁度、16歳位かな?もう五年は会っていないので正確な年齢は忘れてしまいしたけど。」
藤木由美子。
多分扶桑で同姓同名の女の子を集めたら一個大隊位はできそうな名前だ。
この世界の両親には前世の記憶の事もあり、あまり家族とは感じなかったが、由美子だけは前の世界に妹がいなかった事もあって素直に肉親だと思える唯一の人物だった。
多分、宛名を書いてもらう時に中尉に苗字を言わなかったから恋人か何かだと勘違いしたに違いない。
というか俺には恋人はいないのだ。
さっきも言ったけど年齢=彼女いない歴。
無論、前の世界も含めての数字である。
…あれ、もしかして五十年は彼女いないのか?俺?
自分で言ってて悲しくなってきた。
「なぁ~んだ、妹さんだったの…情熱的な文体にしなきゃ良かったな…」
頭をポリポリと掻く伯爵。
こっちがカールスラント語があやふやな事を良い事にある事ない事を脚色したらしい。
…そういうキャラクターだもんなクルピンスキーって。
「まぁ、大丈夫ですよ多分。カールスラント語の勉強してるけど…多分。」
「へぇ、ウチの国の言葉を?」
中尉は意外そうに目を丸くした。
「えぇ、由美子の奴、将来医者になりたいとか言っててカールスラント語の勉強をしてるんですよ。だから中尉に代筆をお願いしたんです。アイツの勉強にもなると思って。」
「お医者さんに!じゃあ頭が良いんだ。」
「はい、そりゃあもう贔屓目を抜いても。神童なんて言われてました。」
由美子はとても優秀だ。
この世界での俺の妹はデキの悪い俺と違って大変頭が良い。
この時代の女性では珍しく高等教育を受け、進路として女子大学を目指しているのだ。
さらに幼い頃から将来の夢はお医者さんで、その夢を叶える為にカールスラント語を勉強していた。
この世界で医療と言えばカールスラントなのである。
洋の東西問わず、名医は必ずと言って良いほどカールスラントに留学する。
まぁカールスラントのモデルの国を考えれば当たり前だが…。
「じゃあもし、カールスラントに留学でもしてくるなら面倒見て上げるよ。」
「中尉がですか?」
意外な事を提案する彼女。
「うんっ女の子の面倒見るなら喜んで。それで可愛いの…ユミコちゃんは?」
中尉はそう言葉を続け、目を爛々と輝かせた。
う~ん、こんな下心見え透いた相手には、かわいい妹任せたくないかな…?
───
「あぁ、良かった直ちゃん頼みたい事があるんだ。」
「あ~ん、何だよ伯爵?」
国境の寒村からペテルブルグ基地に帰還したクルピンスキーは廊下ですれ違った直枝を捕まえた。
クルピンスキーは直枝に何やら用があるようだ。
「これ訳してくれないかな?カールスラント語でもブリタニア語でもいいから。」
そう言って長身の魔女は小さな魔女に一通の封筒を差し出す。
それには郵便番号が刻まれ、切手が貼られておりすぐに郵便物だという事が小さい方には解った。
クルピンスキーと直枝。
二人が並ぶとまるで親子の様な身長差がある。
だから、クルピンスキーが直枝に封筒に渡す時、自然とクルピンスキーは両膝を折り目線を下げる格好となった。
まるで子犬ちゃんにおやつを上げるみたい。
大きい方がこの時考えた事を口にしていれば小さい方はすかさず握り拳をデカイのにお見舞いしただろう。
子犬にも爪はあるのだ。
「これって…手紙?扶桑にも伯爵のファンがいるんだな。」
「いいや、ボクへのファンレターじゃないよ?」
ウィッチはその見た目の麗しさからアイドル的な扱いを受ける事も多い。
てっきり直枝は扶桑にいる伯爵のファンが彼女に手紙を送った物と考えたが、どうやら違うらしい。
「宛名は藤木和也…誰だ?」
宛名を見て訝しむ扶桑のウィッチ。
宛名がクルピンスキーの物ではなかったから当然だ。
しかも彼女には"見覚え"がない。
「前にこの基地にいた扶桑陸軍の歩兵だよ。彼がまだここにいると思って妹さんが手紙を送っちゃったみたいでね。さっき郵便物の保管庫から引っ張ってきたんだ。速く受け取らないと一ヶ月やそこらで捨てられちゃうからボクが回収したんだ。」
これは昼間、クルピンスキーが彼の手紙を代筆した時に思い付いた事。
指を失ってから手紙を出していないという事は当然、由美子はまだ哀れな一等兵がこの基地にいると思っているに違いない。
その予想は的中し、配達不能の保管庫の中に彼女の手紙は埋もれていた。
「ふーん…でも、何で訳して欲しいんだ?他人の手紙なんか見て趣味悪いぜ伯爵?」
「うーん、何となく?」
黒髪のウィッチから当たり前の事を指摘され、伯爵は目を泳がせた。
どうやら彼女にもこれと言って理由がないらしい。
多分、気まぐれで…昼間、話に上がった極東の歩兵の妹の事が気になった。
そんな軽い感覚だったに違いない。
「…何で、疑問形何だよ?」
「まぁっ良いじゃない?」
「そーは言ってもなぁ、社会倫理に反するだろう?」
「これ上げるからさ!駄目かな?」
クルピンスキーはビール色の瞳を片方閉じてウインクすると、直枝の胸ポケットに板状の甘味を捻り込む。
中身は勿論チョコレート。
丁度この前、直枝、ニパ、ひかりの三人で賭けをやっていた時期に支給された物だ。
「うーしっ!うーしっ!流石、伯爵だ!話が早いぜ!ちょっと待ってろっ!すぐに完璧にカールスラント語に訳してやるから!」
褐色の甘味はすぐに直枝の社会通念を吹き飛ばし、内封された手紙を手に取る事に最早躊躇いはなかった。
この小柄なウィッチはこの欧州での生活で、いくつかの言語を読み書きできるまでには成長している。
やっぱり世界の名作と呼ばれる作品は原語で読みたくなってしまう。
それが文学少女という生き物だった。
「うーん…何々…」
「頼もしいね直ちゃん。これ使って。」
直枝はクルピンスキーから漆色の万年筆を受けとると、封筒の裏にカールスラント語に訳した物を書き下ろし始めた。
どんなものかとそれを覗く。
見ると、所々違和感を感じるものの、カールスラント人であるクルピンスキーにもちゃんと理解できる程度の文章が出来上がっていくのが見て取れた。
やはり直枝に頼んで正解だった
本人には悪いがひかりだったらカールスラント語は勿論、ブリタニア語を書けるかも怪しいし、真面目な下原や孝美ではそもそも他人の手紙の翻訳など取り合ってはくれないだろう。
これは聡明とやんちゃ心を併せ持つ直枝だからできる事。
「…っとできたぜ?」
そこまでの思考に小麦色の伯爵が至った所で、直枝が万年筆を動かす指を止めた。
直枝はカールスラント語訳の書かれた封筒を、指に挟んでヒラヒラさせながら宣言する。
どうやら完成したらしい。
「ありがとう直ちゃん。」
「いいって事よ!」
「お礼がしたいな…そうだっ直ちゃん、どうだい?今日の夜ベッドの上でも…熱い一夜w」
「うっせー、ロスマン先生に言いつけるぞ?」
褐色のウィッチがセクハラを全部言い終わる前に直枝は握り拳を作って見せる。
「おっと、それはご勘弁。」
「でもこの藤木って奴大分、苦労人だな…やっぱ良くないぜ、こういうのは。訳して後悔した。」
「どうして?」
ちょっと暗い雰囲気になる文学少女。
その訳は手紙を受け取ってすぐ、クルピンスキーにも理解できた。
───
「っ!びっくりした。何で貴女が私の部屋にいるのよ?」
部屋に鳥の音の様な声が反響した。
ここはエディータ・ロスマン曹長の寝室。
その部屋の中でクルピンスキーがまるで自室の様に、ロスマンのベッドに腰をかけているのだから驚きの声を上げるのは仕方がない。
「遅かったね…先生。」
そんな目を見開くロスマンにクルピンスキーは鈍く反応した。
自分のせいで彼女が驚いているにもかかわらず、どこか他人事の様な応答だった。
「えぇ…ひかりさんの指導に熱が入った物だから…。」
「…ははっ、外出れないからってひかりちゃん苛めちゃだめじゃない…?」
「…そんな事ないわ。彼女はまだ未熟です。そんな事より貴女…どうしたの?」
ロスマンは伯爵の珍しく塩らしい態度に圧せられる。
普段なら無断で自室に居よう物なら、張り手の一つでも食らわせているのに…何だかそんな気にならない。
それほどまでに目の前のクルピンスキーには覇気が無かった。
「いいや、ボクは何ともないんだ。元気だよ。でも今日会った彼にね…」
「まさかっフジキ一等兵に何かあったの…!」
「…本当に彼の事が心配なんだね先生。」
「当たり前よっ!それで何が!?」
身を乗り出すロスマンをクルピンスキーは手を前に突き出し制する。
「まぁ、彼も結構な状態だったけど。違う。そうじゃないんだ…ボクが話したいのは…。」
「一体どうしたのヴァルトルート…?」
思わずクルピンスキーの事をそう呼んでしまう。
いつもの陽気な彼女からは想像できない位、身に纏う雰囲気は陰鬱だ。
そして伯爵は俯いたまま口を開いた。
「ねぇ、先生、彼…フジキ君ね。妹さんがいたんだ。17歳の。名前はユミコちゃん。」
「そう…でも貴女がどうしてそれを?」
「今日、彼から聞いたんだ。…それで、実はペテルブルグ基地に彼宛ての手紙が来ててね。それを直ちゃんに頼んで訳して貰ったの。」
「まさか盗み見したの?」
ロスマンはその白い眉をつり上げる。
「…ごめん。」
「貴女ねぇ…!」
「後悔してるよ。本当に…もうしないって。」
「そういう話じゃっ!貴女、常識っても…」
非常識だとクルピンスキーを非難しようとする鈍色の魔女。
「死んだんだ。」
だが、それは褐色の魔女の一言で中断された。
「…え」
「死んじゃったんだよ。彼の妹さん。ユミコちゃん…二週間も前に。事故だって…手紙にそう書いてあった。」
「…そんな」
伯爵から語られる事実にロスマンは言葉を失った。
「ねぇ、先生、彼を扶桑に帰さないように出来ないかな?」
クルピンスキーは重々しく言葉を紡ぐ。
「あんな状態になって、それに妹さんまで失ったら彼…きっと…きっと…」
ロスマンの部屋に伯爵の嗚咽が木霊した。