女になった日、女にされた日   作:餡穀

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女になった日
6:30 AM


 

 

 

 これは俺が女になった日の話である。

 

 

 

「は……?」

 

 それは自分の口からつい零れた言葉だった。誰に向けてというわけでないそれは、視覚から入ってきた情報に呆気となったことが原因である。

 いつものように目覚ましアラームをセットした携帯から鳴る音で目を覚ます。しかし、起きた途端に何か違和感があった。どうも身体がいつもとは違うような、ぎこちなさを感じたのだ。その違和感から部屋にある姿見の前に立ってみたら、そこには知らない女が立っていたというわけである。

 全く知らないというわけではない。初めは知らない誰かが部屋にいるのかと思った。しかし良く見るとその女の格好は自分の寝間着用のシャツとハーパンで、前髪は自分と同じように目が隠れるまで伸ばしていた。

 ただしシャツはサイズが合っておらず、寄れた襟ぐりから右肩が露出した状態。ブラをしていないのか二つの突起がくっきりとシャツに浮かんでいた。ハーフパンツの裾の位置は自分が履いた場合は膝が覗いていたが、この女の場合は膝が隠れるほどに低い。

 この不思議な現象に対して既に頭の中では一つの仮説が出来上がっている。

 違ってくれと心の中で神に拝みながら恐る恐る手を振る。目の前の女も同じように手を振り返した。寝る前はぴったりだったのに、何故かサイズが合わなく腰履きになっている自分のハーパンを引き上げる。女も当然のように同じ動きをした。

 

(いやいやいや、なんで!? あり得るのかこんなこと!?)

 

 身体を見下ろす。そんな意識して確認したことはないが見えていた記憶のあるつま先が、シャツにある見慣れない膨らみによって見えなくなっている。手掴みすれば触れている感覚が、それは自分の身体の一部であると教えてくれた。

 それでも違ってくれと信じたくない一心でシャツを脱ぐ。そこには柔らかな双丘が胸にくっついているのが目に入り、現実を嫌でも理解させられた。ゆっくりと股の間に手を伸ばせばいつもはぶら下がっているはずのナニも無くなっている。

 

「俺、女になってる……」

 

 身体から力が抜けて思わずその場にヘタリ込む。TSという非現実的な現象が起きたこと自体信じられない。元の容姿の時から変わらない長く伸ばした前髪をくしゃりと握ってしまう。

 分からない、まったくもってTSの理由も理屈も分からない。先程からなんで、どうしてという困惑ばかりが頭の中を反復している。

 

(しかもなんでこのタイミングなんだ……)

 

 脳裏に浮かび上がる昨日の出来事。学校からの帰路の途中に立ち寄った本屋で、商品である小説を片手に親友が真剣な顔で口にした一言。

 

『TSっ娘のメス堕ちって良いよね』

 

 その余りにも神妙な面持ちと雰囲気にこいつマジか……などと若干引きながら話に付き合った記憶。

 

『男の自意識を持った娘が徐々に絆されるのが良いよね』

『思考まで女の子に染めたい』

『自分は女の子だと快楽で分からせてあげたい』

 

 だんだんと熱が入り、早口で語るその様にアイツの性的嗜好の拗れ具合を心配した。そして俺にはTSの良さは分からないので今回は相槌を打ちながら曖昧に笑っていたのを覚えている。

 アイツがアニメやマンガの話で度々暴走することはある。ただし俺もモノによっては反対側の立場になる。そのため興味のない話題だからといって適当に遇らいはしなかった。

 そして、そのおかげで今の状況から無視できないことを口にしていたことまで記憶に残っている。

 

『仮にTSっ娘と現実で出会ったら堕とすのか?』

 

 茶化すような口調でそう聞いた。あからさまにボケを要求するフリだ。こういう場合『当たり前だろ!舐め回したいに決まってるよなぁ!』とか、わざと変態的な言葉を選んで応えるのがいつものノリだった。

 

 しかし……

 

『……勿論興味はある。ただ、もし堕とすなら気心の知れた親友とかが良いな』

 

 その時の反応は明らかに素が出ていた。何より声に笑いが含まれていなかった。

 このガチっぽい反応じゃなければ「じゃあTSしたらおっぱいぐらい揉ませてやるよ」ぐらいのジョークは言っただろう。そうしたらいつものアイツなら「やったぜ」と笑いながら返しそうだ。

 そして、数秒の間どちらも口を開かず気不味い間が出来た。アイツも自分が原因で出来た沈黙と察すれば『お前がTSしたら胸揉ませてくれよ』と、戯けた調子で言って場の空気を戻していた。

 

(最初にアイツと会うのは止めよう)

 

 正直こんな身体になってから最初に相談する相手は家族でなくアイツを考えていた。自分と家族との間に信頼がないわけではない(一人を除く)が、こんな非現実的な現象をすぐに飲み込めるほど頭と心に柔軟性があるとは思えなかったからだ。

 親しい間柄にしか分からない情報を話しても信じてくれるだろうか。秘密を聞いた上でも、本人からの伝聞でなんとでもなるという理由で家から追い出される可能性が十分にある。必死な説得が「知らない人物が知らない間に家に忍び込んでいた」という不信感に勝るかどうか怪しい。

 その点アニメやマンガで脳みそがゆるゆるなアイツなら共有している思い出話でもすれば信じてくれそうなところはある。

 だから頼りたかった。家族に打ち明ける前に今の自分の存在を証明してくれる味方が欲しかったからだ。

 しかしタイミングが悪すぎる。アイツがTSに興味があるのを知ったのは昨日が初めて。この事実を前にどのくらい冷静でいられるかの探りも入れられない。

 結局、どうすれば良いか云々と悩むが一向に良い案が出てこない。鉢合わせしないよう家族が気付かないうちに外に出るべきか。

 それとも一か八か打ち明けてみるか。仮に打ち明けるとするなら正面から言うべきか。もう一度布団に潜って寝たふりをしてから起こして貰い、敢えて向こうからアクションを起こさせる。そして『自分も目が覚めて気付いたら女になってました』としらを切ることで後の先を取る作戦とか……

 しかし、時間は経てどもそれ以上の新しいアイデアなど生まれることはない。あーでもないこーでもないと、ぐるぐると同じことを考えるばかり。そんな膠着状態に限界を感じたこともあり、今後への不安を一旦横へ置き自分の容姿へと興味を移す。

 姿見に写った姿を観察する。前髪の長さに変化はないが後ろ髪は背中まで伸びている。

 シャツを脱いで丸出し状態になっている胸に目がいく。人生で女の子の生の胸など見たことはない。そのため見ること自体に恥ずかしさを感じたり抵抗があるかと思った。しかし自分の身体の一部という感覚があるのかそう言った感情は湧かない。

 大きさは比較対象がないので主観だが、小さいとは思わないが大きいとも思わない。ちょうど手の平に収まるぐらいで、実物を知らない自分が何となくで想像した胸の大きさそのままという感じだろうか。

 姿見に顔を近づけると中に居る自分と目が合う。

 睫毛が若干長くなっただろうか。薄かった唇も多少厚くなり、肌は元々荒れては居なかったが男の時と比較すると質感の違いがすぐに分かる。それぐらい綺麗になっていた。髪質も同様で前と比べるまでもない。軽く指を通してみたが毛先まで引っ掛かることはないし、とても気持ちの良い触り心地だった。顔の形も輪郭が丸くなったように感じる。

 元々自分の容貌は優れてるとまでは言えないが最低限整っているとは思っていた。それが女になったことでより洗練されたのだろうか。

 もうこれでもかと、不躾な視線を向け続けた。ここまで食い入るように見られれば、女の子は不快感に顕にするかもしれないが自分自身なので罪悪感はなければ不快になる相手も居ない。

 つまり、美少女見放題で堪能できるわけである。

 わけではあるのだが……

 

(なんか勿体無いな……)

 

 ふと、そんな言葉が頭の中を過ぎる。

 目の前にいる少女の容姿は優れているが完璧とは言えない。服装や髪の手入れなど細かな理由もあるのだが、最大の理由が表情である。

 自惚れかも知れないが今の自分はとてもかわいいのだろう。しかし表情のせいで元来の根暗で陰気な性格が顔に出てるのが残念である。

 

(折角の美少女ならもっと自信を持った笑顔が良いよな)

 

 手で頬を揉んで表情筋をほぐす。息を大きく吸ってから吐き出し、呼吸を整える。まばらに散って目を隠しているカーテンのような前髪を中心に集めて顔がよく見えるようにする。鏡の中の美少女はやや困惑気味だ。しかし、覚悟を決めて心の中でカウントダウンを始める。

 自分が好きなマンガのヒロインの姿を想像する。明るくて笑顔の似合う素敵な女の子。その子の魅力が発揮されたポーズと言えば、両頬にピンと伸ばした人差し指の先をくっ付けた状態での笑顔だ。あざとさを感じさせるぐらいなポーズと、にこりとはにかむ笑顔がこの顔には良く似合う。

 

(あの娘になり切るつもりでやるんだ。恥ずかしがって中途半端になるな……)

 

 頭の中で描いたビジョンを自分の身体に反映させる。人差し指は自然と頬へと向かい、口角を押し上げる。鏡へ向けて今の自分が出来る精一杯の笑顔を作っーーーー

 

 ガチャリ

 

 不意に耳へ届いた音。その聴き慣れた音は部屋の扉が開かれる時に生じる音だ。自分は鏡の前でポーズを取っている最中。ドアノブに手が触れることなど決してあり得ない。

 部屋の中に一人しか居ないということはつまり外側から誰かが開けたということになるわけで……

 

「母さんが朝飯出来てるから早く降りて来いって……呼んでる……けど……」

 

 来訪者は目が合うと言葉が徐々に尻すぼみになっていく。

 部屋の扉を開けたのは大地(だいち)だった。以前までは同じ部屋で過ごしていたが、大地が中学2年で成長期に入ると図体がでかくなり流石に男二人で共有するには狭いと今年の春に部屋を分けた。

 そのためこの部屋に対しては入室時にノックをする習慣がまだ完全ではなかった。今日のようにノックせず入ってくることがしばしばある。

 

「……」

「……」

 

 互いに口を開くことなく、部屋の中はまるで時が止まったような静寂に包まれている。

 弟の表情からまるで信じられないものを見ているという思いがありありと伝わってくる。それもそうだろう。

 兄を起こしに行ったらその部屋に知らない女が居て姿見の前でキメ顔しているのだ。しかも部屋の主人が不在での状況のため、紛れもない不審人物として目に写っている筈だ。

 突然のTSという事態で気が回らなかったが、大地が部屋に呼びに来たということは朝の7:00は過ぎている。既に家族は起床しており、それぞれ職場や学校へ行くための支度をする時間だ。

 

(はっず!!うっわ、うっっっわ!!もう、恥ずかっシッッッ!!!!ああああああああああっ!!!!ぐうううううぅぅぅぅぅ!!!!)

 

 心の中で絶叫。指で押し上げた口角がさらに不自然に引きつっているのが分かる。この状況を上手く打開する手立てが思い浮かばないし、全力のキメ顔を見られた羞恥にも襲われている。

 普段は意識しても分からない顔に血が通っている感覚を理解出来るぐらいの熱を感じていた。少し目を逸らして姿見を見れば、顔は熟れたトマトのように真っ赤に染まっていた。

 とにかく一刻も早く誤解を解かなければいけない。しかし頭の中で考えが纏まらず、あー……とか、うー……とか言葉にならない呻き声を漏らすことしか出来なかった。

 

 ガチャリ

 

 遠くから扉を開ける音が聞こえる。大地は目の前に居るし、母さんは朝食の支度をしている。父さんはもう家を出てる時間だ。つまり当てはまる人物は一人しかいない。

 

「ブスの部屋の前で何やってんの大地」

 

 心臓が冷や水をかけられたかのように跳ねる。止まった時間は動き出し、今度は早送りされたかの如く素早い動作で前髪を目元が隠れる乱雑な状態に戻した。

 この不機嫌そうな声で当たり前のように俺を貶す台詞を発するのは妹の海実(うみ)だ。俺に対して割増で発揮される口の悪さには正直思うところがあるが、自分の方が家庭内ヒエラルキーが低いので強く出れない。

 それはさて置きこの場に海実が来ても、余計話がややこしくなるだけでこれっぽっちも良くなるとは思えない。廊下を歩く足音が近づき数秒後、大地の後ろから部屋の中へ視線だけを向ける海実。

 その顔は俺と害虫相手専用と言っても良いであろういつもの嫌悪感を滲ませた表情だった。

 

「ハァ……? なんで上半身裸なままで固まってるワケ。さっさと隠すか上ぐらい着たら?」

 

 海実の指摘で自分が上半身裸だったことに気付くが、ある違和感の前にそんなものは彼方へと追いやられる。今の俺の姿はどこからどう見ても女だ。それは上半身裸で隠してない胸が証明してくれる。

 しかし、海実の態度は初対面の相手は見せるものではなく、いつも通り俺への嫌悪感に溢れたものだった。

 悪態をつくにしても得体の知れない女に対して最初にこちらの正体を探らないのは疑わしい。

 何か嫌な予感を察知すれば背中に汗が浮かんできた。

 

「大地も早く朝ごはん食べにいったら。ブスのために時間を使うなんて勿体ないでしょ」

「……あー、時間がないのはそうだから分かったよ。けど」

「それとあんたのために言っておくけどブスの胸見過ぎ」

「見てねーし!!!!」

「学校じゃ視線に気を付けなよ。アンタまでキモくなるのは止めてよね。思春期だからって一応ブスも家族なんだし姉の裸でその反応は引くから」

 

「……ぇ」

 

 妹の口から信じられない言葉を耳にした。今確かに海実は俺のことを指して姉と言った。

 

(姉……? いや、兄じゃなくて姉!? ぇえ!!?)

 

 不審者扱いされて追い出されなかったことは嬉しい誤算だ。しかしそれ以上に家族から自分へ対する性別の認識が変わっている衝撃でそんな安心は吹き飛ぶ。

 ふと、あることに思い当たる。受け止めきれない現実に打ちのめされながら、ふらふらと覚束ない足取りでタンスへと向かう。辿り着くとその引き出しの中を確認する。目的は一瞬で達成された。

 嫌な予感は的中しており、自分の下着類が軒並み女性用に変わっていた。視線を辺りに巡らせると壁のハンガーにかけてある制服が女子用のブレザーだ。

 

(つまり俺は元々女として生まれていることになっていて、俺の男としての記憶や記録はどうやら存在しなくて……)

 

「俺が姉……?」

 

 ポロリと溢れた心の声。それは確かに音となって、その場にいた2人の耳に届いた。

 

「え、それが何。なんかあった?」

「うっわ、その痛い一人称いつまで使うつもりなの?」

 

 女になった俺をしっかり家族として認識した上で心配してくる大地。今まで男として過ごしただろう記憶はそのまま、性別だけ女として上書きされたのだろうか。俺という一人称に対して罵声を浴びせてくる海実。

 どちらもいつも通りの対応だったのだが、故に受け止めきれなかった。怒涛の情報量は頭のキャパを超え、そしてパンクする。

 意識が遠退くような浮遊感が訪れると目の前が真っ暗になった。


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