8:00 AM
ピピピピ ピピピピ ピピピピ
(うるさっ……ねむ……)
耳を通して規則的な電子音が頭の中に響く。寝起きの頭にとって不快なそれを止めるべく、枕元にあるであろうスマホに手を伸ばした。まだ目を開くことすら億劫のため手探りで探れば、1回、2回と空振りして台の上を叩いた後、ようやく見つける。
まずはアラームを止める。そして寝過ごし防止設定を解除。顔の前に持ってきた画面の中を覗くと、時間は朝の8:00を示していた。何故こんな時間にアラームセットしたのか、寝惚けた頭で考える。しかし、そんな思考時間もたったの数秒。身体測定時の上体起こしのような機敏さで身体を起こせば、その速さを殺さず後頭部へと手を持っていく。
(髪、長い)
続いて胸
(胸、ある)
次は股間
(ちんこ、ない)
ベッドから飛び退き、姿見の前に立つ。鏡の中に映った人物を頭の先から爪先まで舐めるように観察する。確認のため自分の顔をペタペタと触れば、鏡の中の"女の子"も同じように動いた。
「よし!」
自分の身体が昨日のまま、女の身体であることの確認が取れたため安堵する。
(いやいやいや、『よし!』じゃないだろ。男に戻ってた方が良いに決まってるっての! 今の『よし!』はバカに昨日やられた分の仕返しができる手段が残ってたからそういう意味の……そう、企み的な『よし!』で女の身体のままで嬉しいとかそういう他意はない!)
自分で自分を否定したものの信じられないような行動、思考にジッとしてられなくなる。昨日の名残だろうか。くッ、思い出すな……っ!心の中で渦巻くぶつけようのない謎のジレンマを発散したくて出した答え。それは、その場でシャドウを行うことだった。
左ストレートからの右肘。テンポよくワンツーを決めれば、エルボーで加えた上体の捻りともう一歩踏み込んだ右脚を軸に半回転。そして、仮想敵のアホ面目掛けてとどめの上段後ろ回し蹴rーーーー
ビキッ
「あ゛っ゛」
脚を大きく上げた際に、ガラスにヒビが入った時のような嫌な音を錯覚。続いて股関節から内ももにかけての筋に痛みが奔る。身体が安静を求め、堪らずベッドへと倒れ込んだ。痛みのあまり、患部を手で抑えながらプルプルと震えることしか出来ない。
コンコン
「メモ見たから来たけど起きてんの? 起きてるなら入るけど」
ノックの後に入室の許可を求める声がする。ドアの向こうにいるのが海実ということは分かるし、朝から部屋を訪ねてくる理由も知っている。しかし、こんな悶絶した情けない姿を晒すのは流石に忍びない。正直落ち着くまで待って欲しい。
「ぅ……う゛ぅ゛……」
しかし、苦しみによってろくな返事すら出来ない。呻き声で何とか存在をアピールしたのだが、それが却って起きてるから部屋に入って良いアピールと勘違いしたのだろう。こちらの思いを裏切って海実は入室してきた。
「……何してんの?」
やっとの思いで顔を上げる。視界は涙で滲みボヤけ気味だが、呆れ顔の妹と目が合ったことは分かった。結局、筋の痛みが落ち着くまでに10分近く費やす。やっと動けるようになると、まずは朝食を摂るため1階へ向かう。
リビングに着けば既に起きていた母さんがテレビを見ながら寛いでいた。母さんは俺と海実に気付くと、テレビからこちらに顔を向けてくる。
「おはよう」
「おはよう」
父さんはまだ部屋で寝てるのだろう。土日は疲れを取るために10:00ぐらいまで寝ていることが多い。大地の方は部活だろう。土日は学校のグラウンドではなく、市営の良いグラウンドを使用する。そのため9:00開始に合わせて結構早くに家を出る。
そして、大地に合わせて母さんが朝食を作っているため、この時間に起きれば朝食は食べるだけの状態になっている。
「とりあえず顔洗ってうがいしなよ。特に海実、顔のむくみすごいことなってるから」
「知ってるから言わなくて良いし」
海実は反抗期であり、父さんより母さんに対してその態度は顕著である。それでも俺に対してより幾分か対応が柔らかいという。ちゃんとお母さんと呼ぶし、俺への塩対応と比べればかわいいものだ。海実は母さん相手に追及されたくないことを言われたのもあり、不機嫌な声音で返事した。若干眉も顰めている。
「泣き疲れて寝るなんて子供だねぇ」
「うっさいな、もう!」
母さんは海実が挨拶を返さず、気遣いからの言葉へ不躾な態度をとったことへの意趣返しだろう。海実にとっては蒸し返されたくない話を持ち出す。泣き疲れて寝た、というのは昨夜の出来事。俺は晴樹が帰った後、幽鬼のような姿に変わり果てた妹とリビングで出会した。
俺は昨日散々世話になったのもあり、放って逃げるわけにもいかないという気持ちから何をするわけでもないがリビングに残った。しばらくの間、大地からの報告があったように虚な表情のまま同じ言葉を繰り返すことしかしない海実。それが途中からグスっ、グスっ、と鼻をすするような音が混ざり始める。
それまで視線は他所に外したまま、意識だけを海実へ向けていた。しかし、様子が変わったことに気付き海実の方へと視線をやれば口は一文字に結び、目には大粒の涙を溜めていた。そんな妹のいたたまれない姿に上の兄弟として見過ごすことは出来ない。俺は昔、海実が泣いた時にしたように頭を撫でてあやした。
海実も最初は我慢していたようだが、頭を胸に寄せてそっと抱きしめてあげると堰を切ったように大声を出して泣き始めた。妹に対して「よしよし」なんて言いながらあやすのはいつぶりだっただろうか。昔は転んだり、野良猫に不用意に近づいて引っ掻かれたり何かと怪我の多かった海実。そうして泣きべそをかいた時は俺が落ち着くまでこうして面倒をみたものだ。それがまさか高校生になってからもやるとは想像にもなかったが。
結局、海実は30分近く声を出して泣き続けていた。流石に疲れて静かになったが、その後も中々顔を胸に埋めたまま離れず。そして気が付けば海実はそのまま寝息を立て始めた。体勢を変えることも出来ず、どうしようかと悩んでいたところで母さんが帰宅。お洒落した俺と、その俺の胸に顔を突っ伏させたまま寝る海実という光景に理解が追い付いていなかった。
だが俺が少々困っていることにはすぐ気付いてくれたため、大地と共に海実を起こさないようソファに寝かすことが出来た。母さんは色々と聞きたそうだったが、事情が複雑なため説明はほぼ全部省いた。簡単に「友達が家に来た」とだけ伝えただけ。
その後、海実の涙やらでブラウスが濡れて下着が透けてることを母さんから指摘される。俺は気付かなかったが実は大地がこっそり横目で見てたことを大地が居ないタイミングで聞かされた。その上で思春期の男には気を遣えと母さんから注意される。
そういえばアイツも色を知る年齢か、と俺は感慨深い気持ちになった。それと同時に同情した。こんなの母親にエロ本とかAV見てるところを目撃される並みに辛いやつだと、自分の立場に置き換えて容易に想像出来たからだ。今度意図を伏せた上で何かお詫びすることを誓う。弟の視線を気にする日が来るとは人生わからないものである。
朝食は特に会話もなく黙々と食べるといういつもとそんなに大差ない風景となった。俺は食べ終わると自分の使った食器を流しまで運んで洗う。少し遅れて海実も自分が使った食器を運んでくる。
「洗い終わったらすぐ支度始めるから」
「了解」
海実は俺の書き置きしたメモで俺の今日の予定を大体把握しているようだった。あの後で海実を起こすわけにもいかないため、自分の起床時間と協力を求むと記したメモを置いといた。女の支度は時間がかかるというのはよく耳にするため、それを踏まえて早くにアラームをセットしたが正解だったようだ。
晴樹とは昨晩のうちにラインで何時に待ち合わせするか決めてある。昼の12時に駅前の広場。新幹線が停まることもあり、駅周辺は田舎なりに栄えてる。駅ビルの中には飯屋や行きつけの本屋があるし、少し移動したところにゲームセンター、カラオケ、映画館などの娯楽施設が密集している。
逆に言えば駅周辺以外にこの近辺で遊ぶのに目ぼしい場所はない。大手自動車メーカーの本社がある影響か、他の街よりも自動車社会が根付いている。私鉄や市バスもあるが、駅に向かう以外だと若干使い難い。
ちなみにバスなら乗り換えながら2時間以上揺られればいける水族館。私鉄で1時間北上して行く自然公園があったりする。まあ、どちらも正午からの待ち合わせで行くには楽しむ時間が足りない。今日もいつものように駅周辺で遊ぶのだろう。
食器を洗い終われば、真っ直ぐ海実の部屋へと向かう。そして、部屋に到着次第で始まる俺のコーディネート。今日は昨日より攻めると決めているので、その旨を海実に伝える。すると、まずは足を出すという提案をされる。余分の肉が付いてない長い足は武器だから活かせという進言を貰う。そのため短いキュロットというものを勧められた。昨日俺がスカートを渋ったのを覚えていたようで「これなら短くても問題ないでしょ」と言われる。
しかし、キュロットは見た目はスカートだが股下のある短パンだ。そのネタがバレれば晴樹からチキったと思われる可能性がある。弱みを見せないために俺は自ら短いスカートを選択する。海実は「ふーん」という言葉とともに意味有り気な笑みを浮かべたあと、ミニ丈のスカートを差し出した。
上はニット素材の袖なしタートルネック。昨日から足はやけに出すよう言う割に、胸元やデコルテのガードが硬い。そのことを聞けば胸がないわけじゃないけど足に関しては文句のつけようがないのだから、足を目立たせろとのこと。つまり、苦手で競わず持ち味を活かせと言うことだ。そして、上着としてシャツジャケットを手渡されたので羽織る。
「何というか落ち着いた色だな」
ワインレッドのミニスカートにブラックのノースリーブでタートルネックのニット、アイボリーのシャツジャケットという組み合わせだ。昨日が清涼感のある色味に対して、今日は落ち着いたシックな配色になる。
早速、上までジャケットのボタンを止めたので鏡の前で確認する。しかし、海実が姿見と俺の間に割って入る。
「前に立つと確認出来ないんだけど……」
「違う、そうじゃない」
突然の割り込みに困惑気味の俺に海実は短く返すと、せっかく止めたボタンを外し始める。着た時の逆再生のように上から外されていくボタンは上の3つが外れたところで動きが止まる。そして俺の両肩に手が置かれたと思えば、ズルッと上着が下ろされて肩が露出する。その突飛な行動にびっくりして身体を守るように両手を前でクロスしてしまった。
「私がやりたかったのはこれ。肩落としでその華奢な体型を活かしていく」
どうやら、この上着を半分脱いだ着方が狙いだったようだ。確かに、こうした方がオシャレな感じがある。大変ふわっとした意見だが、オシャレ初心者なので許して欲しい。というかSNSでこういう着方をした女の子のイラスト見たことあるぞ。あれは良かったな。つまりこれで合っていると思って間違いない。
改めて姿見でファッションを確認すれば、文句なしの服装で実に満足だ。時計を確認すれば9:50。コーディネートを始めてからまだ1時間経った程度で待ち合わせ時間まで全然余裕がある。この後昨日みたいに髪を弄ってというのを加味してもゆっくりする時間はありそうだ。
流石にこの格好で自転車漕ぐのも嫌だし、バスで移動して15分。で、確か20分に一本出るはずだから……11:25のやつに乗って11:40に到着。その後、広場まで歩いて5分って感じだから丁度良い時間になるし。
「時間余っちゃったけど、どうしよっか」
「今日はメイクもするし、下着もまだ決めてないから時間なんてないっての」
そう言えば、昨日そんなこと言ってたなと思い出す。メイクは初めてだな。
「じゃあ、メイクで時間はかかるとして、下着はまあ昨日と同じ感じで良いんじゃないか?」
「昨日見せたんだから、昨日と同じようじゃダメ。今日はもっと攻めたやつでいくべき!」
ぐっ、やめろッ、そういう失敗した時の思い出はその瞬間より後からジワジワ来るんだよ! スカートが捲れたことに気付かず下着を見せてしまった記憶が蘇る。昨日はやべーなぐらいだったのにすっげー恥ずかしくなってきた……っ。なあああ、高々下着見られた程度なんだ! そんなことより元の目的に話を戻せ!
そう、俺は昨日の俺を超えなければいけないんだ。ならば下着からパワーアップするというのも考えとしておかしくない。海実も昨日言っていた。見えないところにも気を使うことで力が付くと。
よかろう、俺も男。ならば覚悟を決めてやる。昨日の自分に勝つため、何よりムカつくあん畜生に勝つため穿いてやろうではないか。俺の覚悟が言葉でなく態度で伝わったのだろう。海実は頷くとタンスから幾つか下着を持ってきた。
「じゃあ、これなんてどう?」
そう言うと、海実はレースの多い真っ黒な下着を見せてきた。
「いや、いやいや! これはちょっと!?」
不意を突かれる形で投げられた豪速球。俺は当然の如く、勢い良く首を左右へ振った。いや、そんなスケスケじゃ、通気性良すぎてずっと気になっちゃうから! 穿いただけで意識が全部下着に持ってかれて何も出来なくなるから!
ていうか布ちっさ、面積ちっさ、シーランドかよ! まだスカート穿いてる時、風に内ももを撫でられる感覚に慣れてないんだよ。そんな状態でそのちっさいスケスケを穿いたら取り返しのつかないナニカに目覚めてしまいそうだ。
というか、海実がめっちゃニヤニヤしてる。コイツ、兄をおちょくって楽しんでるな? 初心者を煽って楽しむ行為は格ゲープレイヤーとして看過できない。抗議の視線を送ると「ごめんごめん」と言って謝ってきた。
そして、海実は次から次へと下着を見せてきた。しかし、どれも穿く勇気が湧かないものばかり。というか、際どいんだよなぁ……横が紐になってたりレースでスケスケだったり。
「選り好みしすぎじゃ?」
「いや、判断俺に任せるの酷じゃない?」
中々時間をかけてしまった影響で海実は早く決めろオーラを出している。この後、化粧も控えているのだ。そう考えると下着の選考で使える時間はもうない。とりあえず、今まで出された中から決めなければとは思っているのだが難しい……
「自分で決めれないなら、晴樹さんの好みとかに合わせりゃ良いじゃん」
半ば投げやりな感じに海実は問いかけてきた。しかし、その言葉で俺の脳裏に電流が奔る。
「じゃあ、白」
「は……?」
なる程、自分で決めれないなら相手で選べば良い。ポケモンのジム戦だって相手の苦手を突くように手持ちポケモンを選抜する。つまり晴樹の弱点を突けば良いのだ。流石は我が妹。俺と違って女子力を磨き続けていることはある。
躊躇いはあるが選択肢が一つだけに絞られたなら覚悟を決めよう。選抜された下着の中から白色の下着へと手を伸ばす。腰の辺りの布が布というより紐になってるのが気になるが、腹を括るんだ俺!
「……ちょっと待った」
「なに?」
しかし、下着へと伸ばされた手は海実に腕を掴まれることによって阻まれる。いや、なんで邪魔するんだよ。そっちが提示した条件に合わせて選んだんだから文句ないだろ。
「……好きな下着の色をなんで知ってんの?」
「いや、普通に話すだろ」
好きな女子の下着の色は互いに話した記憶がある。というか野郎同士でその手の話をするなら初歩も初歩だ。アイツは清潔感やらうんたらで『王道を征く白』と語っていた。俺は淡い色なら何でも良い。派手なのは見た時にビックリする。
「なんであんたらそれで付き合ってないわけ……?」
「友達だから」
「そう……」
なんか、妹の視線から呆れというか、哀れみというか微妙な感情が伝わってきた。解せぬ。しかし、この下着本当にエロいな。もし、昨日みたいに見られたら下着だけじゃなくて、横からはみ出てる尻まで見られるんじゃねーか?
昨日は下着を見た時に何ともないような態度取ってたけど、本当はどう思ってたんだろうか。その後の態度を見る感じ、実は興奮してたり……
「ニヤけてないで決めたなら次はメイク。早く動く!」
「に、ニヤけてなーし!!!」
慌てて反論したが噛んでしまう。別になんともないから、たかが噛んだだけで変な勘違いすんなよ!? そっちこそ、そのニヤけた顔を止めろ! そのあと、ずっと顔に熱を感じながらメイクを施して貰うのだった。