女になった日、女にされた日   作:餡穀

7 / 16
5:41 PM

「あれ、もう食べ終わっちゃった?」

 

 パタパタと階段を降りる音が聞こえたかと思えば、リビングに海実が現れる。見れば先程の服装に上着と肩掛けのカバンの装備が増えていた。

 

「メロンなら今冷やしてるだけだから、私たちもまだ食べてないよ。けどもう少ししたら食べれるかな」

「ふーん、じゃあ私はこれから出掛けるし晩ご飯の後に食べよっかな」

 

 いや、出掛けるの? それはちょっと待ってくれ。海実の出て行った後の状況を例えるならライオンと鹿を同じ檻の中に入れるのと同義だぞ。

 海実のあまりにも慈悲のない判断に焦る。思わず立ちあがりそうになったぐらいだ。

 しかし、しかしだ。これは一見ピンチだがチャンスでもないだろうか。海実がこれから出掛けるとして、時間がかかるのならその間に晴樹を家に帰してしまうことも出来る。

 仮にそれがこの後10分後だろうと海実には分からない。つまり回答次第ではこの危機的状況から脱出する一発逆転の鬼札にもなり得るわけだ。

 

「……どこまで出掛けるの? 近いの? それとも遠い?」

「近くのドラッグストアにちょっと買い物。買うものも決まってるしすぐ帰ってくるけど」

 

 目論見は失敗。ここから薬局ということは行って帰ってきても20分程度。買うものが予め決まっているなら尚更だ。つまり、その間に晴樹を帰すことは不可能である。

 玄関でのやり取りを思い出すにそんな早期に返せば確実に不興を買う。しかも今までの比ではないだろう。もしもの未来を想像しただけで少々お腹が痛くなってきた。

 しかし、海実はそれだけでなく、さらに驚くべきことを言ってきた。

 

「あ、メロン冷えるの待ってるなら、ちょっと早いけど晴樹さんに晩ご飯ご馳走したら?」

 

 ブーッ、と唾を吹き出しそうになるのをギリギリ飲み込む。

 っとに、この妹は不意打ちでぶっ込んで来るな。ぽんっと手のひらを叩いたけど、こっちからすればそんな軽い動作をしながらして良いような軽い提案じゃねえから!

 いつ爆発するか分からねえ爆弾持ってんだぞ。早く手放したいのに、それをさらに懐近くに抱え込ませようとする奴があるか! 飯まで食ったらすぐ帰ろうって感じじゃなくなるだろ!

 腹一杯でまったりした空気になって確実にその後、ゆっくり長居する流れになっちゃうでしょうが。この提案はすぐに否決せねばならない。

 

「そっ、それはお母さんとか海実以外にも聞かないとダメじゃない、かな……?」

「お母さんは遅くなるし、大地は気にしないでしょ」

 

 ぐっ、母さんが遅くなるのは正しいし、理由も俺にあるから否定できない。大地も別に海実なら丸め込めるだろうし、防波堤としての意味をあまりなさない。父さんは夜遅くになることが分かりきっているため、端から除外している。

 だったら……

 

「晴樹にも予定とか帰る時間もあるし遅くなるのは迷惑なんじゃないかな……?」

「俺は遅くなっても構わないけど。金曜だし」

 

 間髪入れず了承の返事を得る。こっちもダメ、というか今回のコイツの目的を考えればそんなホイホイ帰るわけないか……。

 というか、むしろ墓穴を掘ったのではないか? 晴樹がメロン食ってもすぐ帰らなくても良いという不要な言質を得てしまった。そんな言質要らないから、どこかに丸めて捨てたいよ。金曜日というのもタイミングが悪すぎるし……

 あー、正直返事をしたくない。しかし、逃げ道が塞がれたこの状況で長い沈黙を作るのは怪しまれる余地が出来てしまう。何をそこまで渋るのかという疑念が生まれるのだ。つまりここでの答えは沈黙ではない。

 俺に残された行動は場の空気が途切れないよう、快く了承することだけだった。

 

「その、分かったけど。あんまり期待しないでね……?」

 

 家族以外に手料理を振る舞うのは初めてだったりする。まぁ晴樹相手だし別に味をどうこう言われようが構わないのだが、しかしそれは普段の話だ。

 俺と晴樹が男同士の時なら飯の味が不味くても、馬鹿にしながら男飯ならこんなものかで笑って終わる。

 ただし今の俺は女だ。自分の勝手な女性像だが、この年頃の女の子は家事が出来ることを褒められるのは嬉しいものだと思ってる。家庭的な女子という称号は高校生男子からしても特別に感じるぐらいだし。

 つまり異性の目が気になる女子高生にとって料理のできるできないは一種のステータスであり、大事と捉えて問題ない。相手が誰だろうと同世代の男子に馬鹿にでもされたら結構ショックな筈だ

 その辺り上手く合わせて感情を表現出来るかが重要だろう。

 今回は料理の素を使ってるので味の心配はない。問題があるとすれば具材の切り方がやや大味だったり今の自分の作ったキャラとのブレがあることだ。

 まあ、育ち盛りの大地が居ることだし、弟に合わせて作ってると言うことで設定を捏造しよう。作り慣れてる感と弟思いの姉ということでお淑やかポイントを一気に稼ぐことが出来る。こういう細かな心遣いは女子っぽくないか?

 さて、一通り問題点も洗い出したことだ。行動へと移すとしよう。

 よいしょと立ち上がる。晴樹に自分の作った飯を食わせるなんて想定していなかった出来事だが、何とか対処出来そうで安心した。

 

「ん゛ん゛っ、お姉ちゃん……?」

「どうしたの、海実」

 

 海美に呼ばれたので顔を向けて反応する。わざとらしく咳をして、何かを伝えたいのだろうか。チラ、チラと何か合図を送っているのか目線も動いている。

 しかし、残念なことに俺には何のことだかさっぱり伝わってこない。このまま意思が伝わらず事故を起こしても難だし、作戦タイムじゃないがここは一旦晴樹を置いて短く打ち合わせをするべきか。送り出すために玄関へ行くだけなら一旦席を外しても不自然に映らないだろうか。

 くるりと、身体の向きを変えて向かおうとしたら、海実は溜息を吐き何かをしくじった時のように眉間を指で抑えた。

 

「お姉ちゃん……」

「え、何?」

 

 いや、海実が何についてガッカリしているのか状況がよく分からないんだけど。お前には見えないのか、兄の頭上に浮かんでいるでっかいはてなマークが。

 今は姉か……。

 

「……天」

 

 今度は現在背中を向けている晴樹から声をかけられた。顔だけ振り向くと晴樹はあらぬ方向へと顔を背け……いや、窓の外の景色を眺めているのか。

 もしや兄にも分からなかった妹の言いたいことが、お前は分かると言うのか!? 窓の外を注視するため眼を細めること数秒、こちらに視線だけ戻した晴樹と目が合う。

 

「いや、スカート」

「へ? スカーt……あっ」

 

 晴樹に言われてスカートに目をやれば、後ろの裾にシワが寄ってお尻の半ばまで布が捲れ上がっていた。

 

(ヤッッッッベ!!!!)

 

 これはヤバイと思い、すぐに捲れ上がったスカートを直したが手遅れだろう。時既にジエンド。

 最初に海実から合図を送られた時に気付いていれば防げた筈だった。

 でも、まさかこんなことになっているとは思ってもなかったんだよ!

 

「あはは、ちょっと失礼しますね……!」

 

 いつの間にか海実はすぐ隣に移動していた。そして晴樹にことわりを入れると俺の手を掴んでくる。突然のことだったが今の状況から脱出すべくそのまま手を引かれリビングを後にした。

 

「何、直パンで座ってんの……?」

「じ、直……?」

「これ綿なんだからスカート敷いて座らないと余計に折れ目ついて捲れるでしょ……?」

「綿? えっ……?」

 

 廊下に出ると色々と言葉を捲し立てられているが、その悉くの意味が分からなかった。敷くって何? 直パンとは一体? なんか布の材質によってはしちゃいけない座り方があるのか?

 いや、それをしなかったから俺はさっきみたいな間抜けを晒したのか。

 女の子が座る時の注意事項なんて足を開かないぐらいだと思ってたが浅慮だったようだ。男だった自分には未知の領域の話である。

 そんな女の子のことを上部しか分かっていない俺に海実は大きなため息をついた。

 

「あんたの学校生活が心配になってきた……」

 

 しかし、困ったことになったな。

 突然のことでロクな反応も出来てないところを晴樹に見られてしまった。

 異性にパンツをモロに見られたんだ。最低限恥ずかしがるぐらいのリアクションはあって然るべき場面の筈。

 女の子ポイントを稼ぐなら「きゃっ」とか短い悲鳴を出すとかやりようはあっただろうに。それすらも出来なかったのはかなりのマイナスだ。恥ずかしがることなく素で「あっ」って言ってしまった。

 授業中に部屋の窓閉め忘れたこと思い出した時ぐらいの恥じらいも何もないリアクションだった。

 思えばパンツなんて体育の授業で着替える時とか、目にするし見られる。態々男同士でパンツを見ようという明確な意思を以って見てくるやつなんてのも居なかった。だから男相手から見られることを恥ずかしがるという認識がなく咄嗟な反応も働かなかったのだろう。

 自然界の厳しさに身を置かず飼育されている動物の警戒心は野生と比べて低いのと同じで、普段から警戒することを知らない男だからそうなったのだろう。当然の帰結というわけか。

 しかも相手は晴樹という気心の知れた同性相手だ。今回の不意打ちに反応する方が難しい。

 どちらかと言えば女になった俺のパンツを見てアイツが慌てるのなら分かる。しかし、晴樹は結構冷静に対処していた。

 

(それはそれでちょっとイラッとするな……)

 

「ねぇ、私の話聞いてる?」

「何が? って、いたぁ……っ」

 

 話を聞いてるかと聞かれたが、完全に自分の考えに没頭してたせいで聞いてなかった。突然だったので素直に聞き返したら頭にチョップが帰って来た。

 

「今履いてるようなスカートで座る時は裾を膝の裏に持ってきてお尻に敷くようにして座る。いい?」

「わ、分かった。さっきは聞いてなくてごめん」

「ん、よろしい。それよりどうするわけ? さっきのパンモロはあんたの目的から考えると大きく後退したと思うけど」

 

 海実が言ったことは的を得ている。この歳まで女として育ったならしないだろう失態を見せてしまった。男としての匂いを漏らしたわけだ。今の出来事でアイツの中でも認識の修正が起こったと見て間違いない。

 信用というのは得るには難いが失うは易しだ。ここまで折角稼いだポイントもほぼ失くなったと考えて良いだろう。

 

「ああ言うのはサービスじゃなくて、ただ単にだらしない印象与えるだけだから。折角作ってるあんたのキャラとも相性も悪いでしょ」

「うん……」

 

 スカート歴1時間未満の赤ちゃんなんだからしょうがないじゃん。などと言えるわけがなく、海実の言葉を素直に受け止める。

 ここからどう挽回するかが重要なのだがその方法が全く思いつかない。それこそまたスキンシップを図ってみるという手が無難だ。

 しかし、さっきの失態を覆すには簡単なものでは意味がない。つまりさらに攻めた行動をしなければならない。そしてそれを実行するための場所とお膳立ても必要だ。どうすれば良い……!

 

「急遽予定を変更するわ」

 

 一向に良い考えが出ずに頭を悩ませているところへ海実から声をかけられた。

 

 

 

 

「おまたせ、待たせてごめんね?」

「ああ、別に良いよ」

 

 妹さんに廊下へと連れて行かれた天がリビングへ戻ってきた。しかし、俺はその顔をまともに見られずにいる。

 心が乱れている。いや、乱されている。全ては先程の光景が原因だ。天の履いていたスカートの後ろ側が捲れ上がり、適度に引き締まった健康的な太ももとお尻、そして丸見えになっていた下着が目に焼き付いている。純粋に男の本能を揺さぶられた。

 あのサックスブルーの鮮やかな逆三角形に惑わされる。

 ダメだ、思考力が落ちている気がする。折角俺が待ち望んでいた、天が女でなくTS娘であるという根拠になり得る情報を得たというのに。

 一方天は俺の心の中とは対照的に何事もなかったかのように、そのままキッチンへと移動する。そして食器を出したりテキパキと食事の準備を始めた。そんな調子に俺も心が平静に戻る。

 

「ご飯このくらい食べる?」

「そのぐらいかな、ありがと」

 

 案内されたダイニングテーブルに腰をかけると、天が白米を盛った茶碗を見せてくる。食べる量を聞いてきたようなので返答する。

 丁度良い量を一発で盛る辺り流石だ。よく一緒に飯へ行くだけのことはあり、俺の胃の大きさを把握してそうだ。

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 テーブルに並べられたものは白米に味噌汁、そして大皿に盛った存在感の大きい回鍋肉。食事中の会話で天が作ったと知って驚いた。

 今まで会話した中で料理が出来るなんて聞いたことがなかったからだ。しっかり味も良かったのでまた食べたいと言ったら喜んだ。

 食事が終わり一緒に食器を洗う。名目上は客と言え、その前に友達という関係がある。流石に何でもかんでもやって自分だけ寛ぐのは居心地が悪い。どうやら家事も手慣れているようで、天は手際良く食器を捌いている。

 さて、洗い物をしながらであるがここまでのTS娘ポイントのおさらいをしよう。

 まず行動はところどころ男のような癖がある。それに食事の時に使っていた食器が男物だった。箸の長さが顕著であり、茶碗も俺と変わらない大きさのものを使っていた。そして白米でお腹が膨れたのかおかずにあまり手をつけていなかった。だから皿にあった分はほとんど俺が食べた。

 思い返せばメロンを切っている時に聞こえた声もキャラにそぐわないものだった。そして、飯の前のアレはあからさまにスカートを履き慣れていないことを物語っていた。

 スカートなんて学校の制服でいつも履いているだろう。それならばあんな失態は犯さない筈だ。

 これTSゼミでやったところだ! と俺の中のTS娘センサーがビンビンに反応している。

 チラリと横にいる天へと視線を向けると、前に垂れた長い髪を鬱陶しそうにしている。長い髪に慣れて、家事も良くしているなら縛るなりして対処しないだろうか。

 ここまで状況証拠が揃っているのだが、まだ確信しきれない。それは何故か。

 話から聞いていた妹さんとの仲に致命的なズレがあるからだ。

 まず着ている服が明らかに女性的だが、それの調達方法が分からない。俺の知っている天は女友達が居なければ、身近な女性は仲が険悪の妹さんのみ。しかし、その妹さんと仲良くしている。その一点が俺の知っている天とは違うのではないかという疑念を浮かばせる。

 天が頭を下げたとして協力してくれるような存在だろうか。服どころか下着まで貸してくれるということは余程心を許していないと出来ないことだろう。さらに貸して貰えたからと言って女物の下着をこんな直ぐに履けるものなのか? 必要に迫られるようなことはあるのか?

 それに見た目は飾っていても下着は男物だったとかはTS作品でも見かける。

 何より1番俺が慎重になっている理由はもし仮に違った場合、天が女の子でこの調子が本当だった時「お前、もしかしてTS娘だったりする?」みたいなニュアンスで物を訊ねればその心を深く傷つけることだろう。

 それを踏まえると、まだ答えは出せない。

 

「手伝ってくれてありがと」

「飯食わせて貰ったからな」

 

 一通り洗い物を終えるとリビングに戻り、ソファへと腰掛ける。このまましばらくゆっくりして、妹さんとの仲を聞くとするか。それで何か齟齬か何かを見つけた時が最後。俺の勝利が確定する。

 この状況って俺が騙されてる形だし、何か1つぐらい言うこと聞かせても問題ないよね? 何をして貰おうかと夢を膨らませていると天がリビングに現れる。

 しかし、様子がおかしい。ソファに座らず立ったままでどこかそわそわと落ち着きがない。毛先を弄ったり、口を開いては閉じたり。

 どうしたのかと訝しげに観察していると、天は顔を逸らしたまま話しかけてきた。

 

「この後、リビングじゃなくて私の部屋に来てゆっくりしない?」


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