軍艦好きの少年と、彼と出会ったよくわからない女の子の話。

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さよなら、私の司令官

 

「ふぅ……ふぅ……」

 

 いつもお母さんからは口をすっぱくして「海軍さんの基地には近寄っちゃダメ」と言われてる。なんでもお国がそう言ってるって。中を覗くのなんかもっての外だって。

 でもぼくは海軍が、というか海軍の船が好きだったから、基地を見に行くことが多かった。コンクリート塀をよじ登ると倉庫越しにちょっとだけ見える軍艦、それだけのためにね。たとえすぐに警備の兵隊さんが来て、ぼくを塀から引き剥がしてこっぴどく叱るにしても。(たまにげんこつを落とすのはちょっとやめてほしい)

 それでもぼくは軍艦が好きなのだ。

 

 だから、塀に穴が空いていたら、つい魔が差してしまってもしょうがないことでは?

 

「げっほ……ハァ……」

 

 なんでかはわからないけど、塀に少し穴が空いていて、それを交差させた木の板で雑に塞いであったのだ。残念ながらまだ小さな子どもの身体をもってすれば、わずかな隙間でもなんとか通り抜けることができたってわけなんだけど。

 

「そこで足音が聞こえて、むちゃくちゃに逃げることになるなんて、思わなかったよ……」

 

 だって、仕方ないじゃないか? いつもは塀越しに見てるだけでがみがみ怒られるのだ。海軍の機密がどうのって。

 なら反射的に逃げるのは、当然だと思わない? いや歩いて来てたのは兵隊さんじゃないかもしれないけど。

 しかし、つい入ってきてしまったけど、軍艦を間近で見るどころか普通のアパートのようなものが沢山建っている場所に来てしまった。これじゃあわざわざ侵入……いや見学にきた意味がないよ。

 せめて一目、戦艦の1隻でも見て帰りたい……。

 

「……行こうか」

 

 ここで隠れていてもきっといつか見つかって追い出されるだけだ。さあ行くぞぼく、男の見せどころだ。

 身を隠しているゴミ箱(らしきもの)から周りを確認して、いなければ一気に行くぞ。どっちに行けばいいかなんてわかんないけど、とにかく行こう。

 意を決して隠れていた物陰から顔を出し、辺りを見渡す。

 体格のいい、黄土色の軍服と軍帽に黒い革ブーツといった格好で帯刀している男が2人見える。その腕には白地に赤色の憲兵腕章。

 そしてその2人の視線は、バッチリぼくを射抜いていた。というか目が合っていた。

 

「……あっ」

 

 次の瞬間ぼくは回れ右をして駆け出した。当然後ろからは怒号が聞こえてくる。

 

「おい! 待ちなさい!」

 

 待てと言われて待つものはうんたら。とにかく逃げるしかない。捕まってたまるか。

 しかしさっきがむしゃらに走ったのもあって、すぐに息が切れ、心臓が大きく脈を打っているのがわかる。脇腹もひきつるように痛い。

 体格差は残酷だ、さっき振り向いたときにはもう目と鼻の先だった、捕まったら今度こそただじゃ済まないだろう。

 しかし周りを見ても、おんなじようなアパートが建っているばかりで隠れられそうなところなんてない。どうしよう、もう逃げられない。

 捕まったときに受ける仕打ちは想像するだけで身が震える。しかし現実にその時は迫っているのだ。動悸が激しくなってきた。

 

「待たんかクソガキ!」

「今日という今日はただでは済まさんぞ!」

 

 しかも悪いことに、どうも顔見知りみたいだ。誰か助けてくれ。

 悲鳴を上げそうな気持ちで宿舎の裏へ逃げ込んだ。

 すると次の瞬間腕を引っ張られ、天と地がひっくり返った。頭をはじめとしたからだ全体に鈍い痛み。

 

「っごぁ!?」

 

 倒れ込んだ体の上に冷たくて濡れた何かをバサバサと積まれて身動きが取れなくなる。まさかもう1人憲兵がいたのか。こんなところで捕まるわけにはいかない。

 

「ちょっと、おとなしくしててねぇ~」

 

 海軍基地には似つかわしくない、甘ったるい女性の声が頭上から聞こえた。ぼくは困惑して動きを止めた。なんだろう。女性兵士なんて海軍にいたのか。

 するとドタドタと、足音が聞こえてくる。追ってきた憲兵だ。ぼくはそれらの疑問を一先ずおいて息を潜める。幸い積まれた何かしらで、ぼくはすっぽりと覆われている。

 

「これは、荒潮殿」

「ご苦労さまぁ、憲兵さん」

「気遣い痛み入ります」

 

 "殿"だって。するとこの頭上の声は、偉い人なのだろうか。

 ぼくの疑問符で覆い尽くされる脳内をよそに、憲兵は話を続ける。

 

「今、ここに中学生ほどの子供が来ませんでしたか」

 

 心臓が跳ねる。荒潮殿とかいうらしい頭上の声に、ぼくのことを伝えられたらおしまいだ。そうなったら逃げ出すつもりで、ぼくは足と腕に力を入れた。

 

「あぁ、それならあっちに走ってったわよ~、大分疲れてたみたいだし、すぐに捕まるんじゃなぁい~?」

「はっ! 了解しました! では、小官はこれにて失礼します」

「ご協力に感謝します、荒潮殿」

「いいのよぉ、頑張ってねぇ~」

 

 それを最後に、足音は遠く離れていった。ぼくは大きく息を吐き出した。あわや捕まるところだったのだ。荒潮殿? には感謝の言葉もない。とにかくお礼を言おう。助けてくれたのかは知らないけど、憲兵に嘘を教えたってことは少なくともすぐに彼らに突き出されるってことはないだろう。

 起き上がると、ぼくの体にのせられてたらしきものがバラバラとコンクリートの地面に落ちる。頭の上にも何やら薄いのが乗ってるので、引っ掴んで見てみる。

 

「あらぁ、私のスカート、そんなに気になるかしら?」

 

 ぼくが鷲掴みにしてたのは、黒いスカートだった。裾に付いたレースがなかなかオシャレ。下に散らばってるのは他にもスカートやらブラウスやら。どうやらぼくは洗濯物を上から被せられていたらしい。

 

「……って違うよ! これは、そ、そういうんじゃなく……て……」

 

 慌てて手を離し、弁明しようとして声の方へ顔を向けたが、言葉はそこで途切れた。

 声の主、荒潮殿は思ったより若く、というか幼く、ぼくとほぼ変わらない年に見えた。

 つやのある茶色の長髪を揺らし、白磁のような手を頬に当てて上品にうふふ、なんて笑っている。その姿に目を奪われて、ぼくは言葉を失った。顔が燃えるように熱い気がする。色々と弁明しなきゃいけないのに、声が出ない。

 

「……あらぁ?大丈夫?」

「っ!? だ、大丈夫、大丈夫だから!」

 

 そのまま固まっていると、彼女はきょとんとした顔でぼくの顔を窺う。目を奪われた美貌が眼前に迫ってきて、ぼくは慌てて後退りした。まだ体にかかっていたらしき洗濯物が宙を舞った。

 

「あー、ごめんなさい? あなたを隠せそうなものが、これしかなかったから」

 

 それに気づいた彼女は、またうふふ、と笑うと手に持っていた大きな竹籠を揺らす。

 どうやらその中にあったものをぼくにぶちまけて隠してくれたらしい。ずいぶんと豪快な隠蔽方法だ。

 

「……ど、どうして助けてくれたのさ?」

「んー」

 

 唇に指を当てて考え込む荒潮殿。艶のある唇に視線が吸い寄せられるような錯覚すら覚えるその仕草から目を離せない。またぼくの心臓が大きく脈を打った。さっきから顔が熱くて仕方ない。

 

「気まぐれかしら?」

「き、気まぐれって……」

 

 そこそこ長く考え込んで、出てきたのは気まぐれ、という答え。なんだそれは、と思ったけど、なんだか彼女らしいなと、まだちゃんと名前すら知らないのに納得してしまった。

 

「あ、そうだわ。私はねぇ、荒潮っていうの。貴方は?」

 

 あんまりに唐突に聞くものだから、それがぼくの名前を聞いているのだと理解するのに少し時間がかかった。

 

「えーと、ぼくは――」

「あ、この洗濯物、汚れちゃったわねえ。また洗い直さないとかしら」

 

 自分から聞いておいて、荒潮は答えを聞かずに地面の洗濯物を集め始めた。これにはちょっと唖然としたぼくだったが、洗濯物が汚れたのはぼくのせいなので、とりあえず黙ってそれを手伝う。

 

「あらぁ、優しいのね。ありがとう」

「……べつに」

 

 微笑してお礼を言ってくる荒潮に目を合わせられなくて、そっぽを向いてそっけない対応をせざるを得なかった。

 

「でも、私のスカートはあげないわよ?」

「欲しくて手伝ってるんじゃないよ!」

 

 

 

 

 

「ところであなた、どぉして憲兵さんに追われてたの?」

 

 ぼくは荒潮の部屋に案内され(彼女はここに住み込みで働いているらしい。そう言ってた)、洗濯機に服を放り込んで戻ってきた荒潮に出されたお茶を飲んでいた。

 そうしてお互い一息ついたころ、荒潮が話を切り出した。

 

「……えーと、その」

「ダメじゃなぁい、勝手に鎮守府に入ってきたら」

「はい……え?」

 

 なんで知ってるんだと彼女を見ると、彼女は悪戯が成功したとばかりに微笑んでいた。

 なるほど、かまをかけられたらしい。

 

「あらぁ、ほんとにそうだったの」

「……そうだよ。軍艦が見たかったんだ」

 

 ぼくはまんまと引っ掛かった悔しさから、やや拗ね気味に答えた。すると彼女はにやにや笑いを引っ込めて、きょとんとした顔になった。

 

「……あら、それだけかしら?」

「……それだけだけど」

 

 今度はぼくが首をかしげる番だった。なにかおかしなことを言っただろうか。

 

「ああいう風に憲兵さんに追われること、知らないワケないわよねぇ」

「知ってるよ。塀越しに見てたらガツンとやられたことだってある」

 

 拳骨をつくって頭をゴン、とやる仕草もしてやる。

 しばらくは鳩が豆鉄砲に撃たれたような顔のままだった荒潮だが、しばらくするとさっきまでの上品な笑いではなく、年相応に無邪気に笑い始めた。

 

「あっ、あはははははは! あなた、それだけで、それだけでこんな機密がたぁくさんある鎮守府に入ってきたの? こんな、憲兵さんに捕まるかもしれないのに!あっはははは!」

「……女子にはわかんないかなあ」

 

 学校でも、男子が長門だ赤城だと盛り上がる中、冷めた目でこっちを見てくる女子も一定数いたことを思い出す。

 荒潮もその類いの女の子なんだろうか。聞いてみると、しかしそうではなかった。

 

「やーねぇ、私だって戦艦や空母はすごいと思うわよ」

「じゃあ、なんでさ」

「だってぇ、私はもう見慣れてるもの」

「見慣れてるって……」

 

 そういえば、ここに彼女は住み込みで働いていると言っていた。入港してくる軍艦なんて、いつもの光景なんだろうか。

 

「……なにそれ、羨ましい。ぼくも住み込みで働きたいな」

「あらぁ、それは無理ねぇ」

「なんでさ。どんな仕事なの」

「あらあらぁ? 知りたいの?」

 

 そりゃ知りたいよ。きみにできる仕事なら、同じくらいの年齢だ、ぼくにだってできるはずだ。

 そう言うと、彼女はあらあら~とまた上品に笑うと、唇の前に人差し指を持ってくる。

 

「ナ・イ・ショ」

 

 ウインクしながら言う彼女に、そりゃないぜ、と反論しようとするぼくだが、その前にぼくの口もとに荒潮の白く細い指が伸びた。そうされるとぼくの反論も萎びたし、それを知ってか荒潮もにっこりと笑った。また心臓が跳ねる。そしてぼくはまた熱くなってきた顔を隠すように彼女に背を向けた。

 しかし、背を向ける直前、彼女の微笑みが少し悲しげに見えたような気がしたことだけが、すこし引っ掛かった。

 でも荒潮の次の言葉に、そんな引っ掛かりなどどこかへ吹き飛んでしまった。

 

「じゃあ、行くわよ」

「行くって、どこにさ」

「決まってるじゃなぁい? 港に艦を見に行くんでしょ?」

 

 その言葉に、ぼくは火照った顔を隠すことも忘れて彼女に向き直って大喜びした。それはもう、跳ね回るほどに。

 すると玄関の扉が開き、荒潮を呼ぶ声がする。また女の子の声だ。もしやこのアパートはこの鎮守府で働く女の子の寮とかだったりするんだろうか。

 

「荒潮? 今戻ったけど、何をそんなに暴れて――」

 

 そうして居間までたどり着いた来訪者と、ぼくはばっちり目が合った。

 荒潮に抱きつかんばかりの体勢だったところで。

 ははん、今日はよく視線が合う日だな。

 来訪者は濡れ羽色の髪を肩ほどで切り揃えた、これまたぼくと同じくらいの少女だった。身長は荒潮より少し小さいくらいかな?

 凛とした佇まいに、キリッとした青い目。そこから放たれる視線はまさしく瞬く間に鋭さを増し──あ、これはまずいやつだな。

 

「――誰だお前は!」

「ひぃ!?」

 

 のんきに彼女を観察していたぼくの目を覚ますように、彼女はその体躯からは信じられないような跳躍力を以てぼくに襲いかかってきた。

 

「あらぁ、大変だわぁ」

 

 荒潮はここでも微笑を崩さずにこにこしている。せめて誤解を解いてほしい。あ、待ってめちゃちからつよいねくびはだめしぬ──

 

 

 

 

 

「申し訳ありません! まさか司令のご子息だとは……。この朝潮、どんな償いも厭うことはありません……!」

 

 彼女がぼくの首を絞めにかかったあたりでようやく荒潮がストップをかけ、ぼくはなんとか一命をとりとめた。

 本気になった女の子ってのはあんなに強くて怖いものなのか……。学校の女子を怒らせないことをぼくは心に誓った。

 そして荒潮はぼくのことをこの鎮守府の司令官の息子ということにしたらしく、濡れ羽色の髪をした来訪者(正確にはぼくが来訪者だし、なんなら侵入者だ)はそれこそ床に頭を擦り付ける勢いで謝罪してきた。

 ……ものすごい罪悪感がぼくを襲う。というか荒潮、そんな嘘ついちゃって、バレたらクビになっちゃうんじゃないの。

 荒潮に視線をやると、何時もの通りうふふと微笑んでいる。ほんとに大丈夫なんだろうか。

 

「ちょ、そんなに謝らないで、結果的にケガはしてないし……ほら! ぴんぴんしてるよ!」

 

 幸い殴る蹴るでなく関節技をかけられる寸前だったので、身体には傷1つない。その場でぴょんぴょん跳ねてみせても、朝潮というらしい彼女は頭を上げない。

 

「命に代えても、この償いは……!」

「わー!? 首に縄はダメだってば!?」

「……憲兵さんの息子くらいにしとくべきだったかしらぁ」

 

 あらあら、なんてやってる場合じゃないよ!

 

 

 

 

 

「しかし司令にはご子息がいらっしゃったのですね。まだケッコンはしてなかったと朝潮は記憶していましたが」

 

 ようやく朝潮を落ち着かせ、また荒潮の淹れたお茶で一息つく。そして朝潮はしげしげとぼくの顔を眺めながら言った。

 なんだか結婚が妙に片言だったけど、発音が苦手な単語なのか、若干の恥じらいがあったのか。失礼ながらどうにも武闘派っぽい彼女にそのような恥じらう感じはなさそうだけど。

 

「……」

「ひぃ!?」

 

 視線が! 視線が! まだ何も言ってないぞぼくは!

 

「まぁまぁいいじゃない。ただ、息子さんが鎮守府に遊びに来た。それだけじゃなぁい?」

「まあ、そうね。言われてみると面影があるような気も。しかしなぜ朝潮型の部屋に?」

「私が案内を頼まれたのよ。それと、今日はお忍びって話だから、これは内密にねぇ」

「わかったわ」

 

 よくもまあぺらぺらと。荒潮という少女はずいぶんと口が達者みたいだ。あと朝潮、面影はたぶん気のせいだと思うよ。

 しかし朝潮"型"の部屋とは、へんな呼び方をする子だなあ。

 

「あらぁ、そういえばまだ紹介してなかったわよねぇ。彼女は私の姉の――」

「――朝潮です。司令官にはいつもお世話になっています」

「う、うん……」

 

 やっぱり騙してるってのはこう、罪悪感というか、むず痒い気持ちになる。

 しかし基地司令と面識がありそうな口振りだけど、本当に彼女たちは一体どんな仕事をしているんだろうか?

 

「さて、じゃあ朝潮姉さん、私たちは埠頭の方へ行ってくるわねぇ」

「埠頭に?」

「そうよぉ、息子さんが視察したいそうなのよ」

「なるほど、朝潮、納得しました。では、行ってらっしゃいませ!」

「う、うん、行ってきます……」

 

 悪い子じゃないのは間違いないんだろう。すっごく素直だし。悪い人に騙されないか心配なくらいだよ。

 現に荒潮にころりと騙されちゃってるし。

 胡乱げな視線を向けると、その荒潮とばっちり目が合った。まだ人生を長くは生きてないが、今日より多く視線を交わす日は生涯においてもそうそうないんじゃないだろうか。

 

「なぁに? 私が悪い人だって言いたいのお?」

「ぜ、ぜんぜん……」

 

 なんできみたちはそうやって簡単に人の考えてることを読み取っちゃうのさ?

 あと荒潮、顔がその、近いです。

 

「ふぅん、まあいいわぁ」

 

 微笑を絶やさずに(いや目は笑ってなかったけど)、とにかく微笑んだまま荒潮は離れていった。

 

「……どうされました? 顔が赤いようですけど」

「なんでもないよ!」

 

 全く、なんてこと言うんだ。荒潮がさっさと外に出てなかったらどうなってたことか。

 決意も新たに、ぼくも玄関をくぐって外に出る。玄関先に、荒潮は長髪を風に流して立っていた。

 

「さぁ、行こうかしら」

「行くって、どこに」

「埠頭に決まってるじゃない。なにかしら、行きたくなかった?」

「いやいやいや行きます行きます行きます!」

 

 慌てて否定すると、また荒潮はころころと笑って言う。

 

「それじゃ、行きましょう?」

 

 その笑顔にまた見とれてしまいそうになって、しかしここで惚けると今度こそ置いていかれかねない。ぼくはかぶりを振って、さっさと歩き出した。

 

 

 

 

 

「それで、誰が見たいの」

「誰?」

「だから、艦の名前よ」

 

 そういえば、とにかく軍艦を一目見ようと侵入したはいいが、具体的にどの艦が見たいのだろう。とりあえずでっかい艦がいい。

 それをそのまま伝えると、荒潮はちょっと不機嫌そうな顔をした。

 

「ふうん。男の子って、大きいもの好きよねぇ」

「そりゃあ、うん。大きいことはいいことだ」

「なによぉ、根拠もなしに。小さくたってできることはたくさんあるんだから」

 

 どうも荒潮はぼくがでっかい艦を見たがるのが気にくわないらしい。これまでの余裕が見える振る舞いに反して、これに関してはやけに張り合う。

 

「戦艦が砲撃するためには、まず空母の艦載機をなんとかしないといけないのよ。その艦隊防空の主力はもちろん空母かもしれないけど、軽巡の人たちやもちろん駆逐艦の力だって大きなものなのよー?」

 

 く、くわしいね。そんな言葉が口内でもごもごと出てきそうになって消えた。なんせ先のせりふをくどくどと言いながら荒潮がだいぶ近づいて来たから。ぼくとしては気が気じゃない。もうちょっと離れてくれないと心臓がどうにかなりそうだ。

 

「そもそも魚雷があったら、そんな戦艦や空母とだって戦えるんだから。私だって、戦艦と戦ったことあるわよ?」

「いや、私ってそれはないでしょ」

 

 とりあえず荒潮がだいぶ駆逐艦に肩入れしているのはよくわかった。出会ってからの、いつもふわふわしてるような印象からすればかなりびっくりした。乗組員の人と仲がよかったりするのかな。

 

「なによ、私じゃだめなの?」

「いやいや、きみは海に出るの?」

「なによ……」

 

 それまでの様子から急に押し黙るものだからぼくとしても急に不安になるものだが、そのお陰か少し距離を取ってくれたので心は落ち着いた。どうも荒潮といると彼女のペースにはまるとかそれ以前に落ちつかないような気がする。

 

「……そうね、普通の女の子は出ないのよね」

 

 やっと口を開いたかと思ったら、さっきまでの様子が嘘みたいにしっとりした声だった。そんなに落ち込むことかな?

 

「少なくともぼくはそう思うけど……荒潮は海に出たいの?」

 

 考えられるとすれば荒潮も海軍に入って艦で働きたいけどまだ出られないとか、そういうことかなとぼくなりに考えた末の答えだったんだけど、また少し静かになったあとに、返ってきた彼女の反応的にはそうでもないみたいだ。やっぱり女の子のことはよくわからない。それに、たぶんだけど荒潮は普通の女の子よりもっと難しい。そんな気がする。

 

「……私は、あんまり出たくないわ」

「あれ? そうなの」

「だって、危ないじゃない。海の上じゃ私も、仲間も、危ないわ」

「まあたしかに、海は危険だから遊びに行かないようにとは学校でもよく言われるけど」

 

 不思議なもので、川の遊びはOKでも海はダメらしい。そもそもかいすいよくじょう?(昔はそこで家族で海遊びをしたりしたらしい)は柵が立ってて、警備の人がいるから入れないし。これもお国がそうしてるからって、担任の先生は言ってた。社会の先生は政府のインボーだとか秘密の実験だとか言ってたっけ。

 

「うん。でもぼくもその方がいいと思う」

「……駆逐艦だから?」

「いや今はその話じゃなくて」

 

 今は軍艦じゃなくて荒潮の話をしたいのに、駆逐艦好きだねきみ。荒潮の駆逐艦ひいきはなかなかだ。友達の戦艦ひいきと張り合えそう。

 

「ぼくは海のこと詳しく知らないけど、危ないのは知ってる。それなら、荒潮はいかなくてもいいと思うよ。だって荒潮が危ないめに遭うのはなんか……その」

 

 よくない。そう言えたらよかったけど、結局ぼくの口はそこまで言えずにもごついてしまった。なんだか恥ずかしくてそこまで言えなかった。そんなぼくに対して荒潮は笑いもせずにじっと見つめてくる。な、なんだよ。ちょっとださいとは思ったけど。

 

「うふふ。そう。じゃあ、もし私が普通の女の子で、海にいて危ないめに遭ってるとしたら、助けてくれるかしら?」

 

 荒潮の琥珀色の目がまっすぐぼくを見つめる。吸い込まれそうな、めまいすら感じた気がしたけど、不思議と今度は口はスムーズに動いた。何を言おうとしたのかわからないし、何をいったかも言った先から抜けてくような。それでもたしかに言葉を伝えたかった。

 

「ぼくにできることがあるなら、なんだってする。助けにいきたいと思う」

「あらあら」

 

 けっこう大事なこと言ったと思ったけど、荒潮にはぷいっとそっぽを向かれてしまった。もうなに言ったかぜんぜんわからないが、なにかまずいことを言っただろうか。

 結局そのあとしばらく、何度呼び掛けてもこっちを向いてくれなかった。

 

「ごめんなさい、荒潮、仕事を思い出しちゃったわ。もう案内する時間がないの」

 

 しかも、ようやくこっちを向いてくれたかと思ったらこれだ。よっぽど機嫌を損ねたのだろうか。憲兵に見つからないルートは知ってるから案内するわ、と言われ踵を返したその道中に聞いてみても、にこりと笑ってこういうのだ。

 

「いいえ? そんなことないわよ。私いまとってもご機嫌なのよ?」

 

 とてもそんな風には思えないが、そういうことらしい。やっぱり女の子のことはよくわからないし、荒潮は特別わからない。

 

「ごめんなさいね。でもきっと、あなたはそのほうがいいわ」

「どういうことさ」

「なんでもよ」

 よっぽど先の言葉が腹に据えかねたのか。そう聞くと彼女は、もう何度見ただろうか、ふわりと微笑んでこう言った。

 

「うふふ。そうねえ。そうなのかも。私あれで我慢できなくなっちゃったもの。だから、これ以上あなたとは一緒にいられないわ」

「そ、そんなに……」

 

 落ち込むことしきりなぼくだったが、下を向いた僕の顔を、荒潮の白い手が優しく、思いの外冷たいその手が包んだ。

 

「でもね、私はあなたのこと好きよ。これ以上貴方と話してると私、お仕事ができなくなっちゃいそうだもの」

 

 突然のそんな言葉に固まるぼくをよそに、ぼくが潜って抜けてきた塀の穴の前で荒潮は手を振った。

 

「ぼ、僕は──」

 

 その先を荒潮に伝えることはできなかった。今度はぼくの口が動かなかったんじゃない、動かせなかったのだ。荒潮の人差し指がそれを止めていた。

 

「だめよ。言ったじゃない。あなたとこれ以上話してたらだめだって。私、普通の女の子が羨ましくなっちゃうわ」

 

 よくわからないことを言われているのと、唇に感じる人差し指に頭をぐちゃぐちゃにされたぼくはもうなにがなんだかわからなくなって、ただ立っていた。待ってほしい。僕はまだ、名前すら君に──

 

「さあ、行って。もう口を開いたらだめ。次は大声で憲兵さん呼んじゃうわよ」

 

 背中を押されて、僕はついに穴の隙間に身体を滑り込ませ、いくつか擦り傷を作りつつ外に出た。夕焼けが差し込み始めたあたりはにわかに人通りも増え始めており、門に立つ憲兵の視線も通行人に隠れて、出てきた僕は見えてないらしい。

 

「さよなら、私の司令官」

 

 はっと振り向くと、そこにはもう誰の姿もなく、潮風に揺れる規制線とさっき潜り抜けた穴が崩れて舞った砂埃しかなかった。

 呆然と立ち尽くす僕に通行人が怪訝な目を向けていたのが記憶にある最後で、そこからどうやって家に帰ったかはよく覚えていない。

 

 

 

 

 




贔屓がコロナでヤバくて吐きそうなので気を紛らすために書いた。

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