──苦しい。
噛みつかれて出血した。押さえつけられて骨が折れた。殴られて声も出せなくなった。
──痛い。
身体を引き千切られた。指を一本ずつ折られて、千切られて、骨がまるごと引き抜かれた。それを笑いながら目の前で食べられた。
──死にたい。
喰われた。食べられた。千切られた。折られた。捥がれた。腕を、足を、指を、首を、内臓を、生殖器を、心臓を。生きたまま、死んでも、喰われて喰われて喰われた。
逃げて走り回った。どこにもいない場所を探して足を動かした。誰も、何も俺以外の存在が居ない空間を求めて。
でも駄目だった。
どこに行っても『怪物』が居た。
森を住処に、木を住処に、平原を住処に、山を住処に。生息地域なんて言葉が通用しない程に、まるで
餌としか思われなかったのか、それとも他の意図があったのか。
一撃で俺の首を圧し折る怪物もいれば、弄ぶように末端から削っていく怪物も居た。
五周目あたりまで、全身が震えっぱなしだった。すぐにでも逃げ出したかった。
膝が嗤って、走る事すらできなかった。怖くて怖くて堪らなかった。あの痛みと苦しみに耐えれる気がしなかった。元に戻るたびに嘔吐し涙と涎、いろんな液体で顔がぐちゃぐちゃになった。
その刺激臭がまた不愉快で、たまらず吐いた。
どれだけ戻っても、擦っても、感覚が消えない。
千切れて潰れて折れて喰われて、あの削り取られていく感覚が抜けない。指が腕が肩が、全部全部全部。内臓が存在する、存在しないの感覚を理解できてしまった。気持ちが悪い。
首を絞めて自殺しようとした。力が足りなくて死ねなかった。死んで全部リセットすればこの不快感は消えると思った。
服を脱いで木の枝に括り付けて首を吊った。
苦しくて吐きそうだったけど、喰われるよりはマシだった。
十週目くらいで震えが気にならなくなった。
数を数えるのが面倒になったから、数字を書くのをやめた。首を吊って自殺してから自分で死ぬのに踏ん切りがついたような気がして、ボールペンで自分の喉を突き刺して死のうとした。気持ち悪さと微量な出血にイラついてとにかく何度も刺した。
痛くて気持ち悪くて辛かったからもうやることはない。けどボールペンで人が殺せることがわかった。
怪物を殺す。
殺してやる。殺されるだけの現状から変えてやる。殺す、殺す殺す殺す殺す。
殴ってでも殺す。噛みついてでも殺す。俺にやってきた苦しみ全部与えて殺す。何度殺されても元に戻って殺す。ムカつく。殺す。
腹が煮えくり返る、という言葉をこれでもかという程に実感した。
死なない、苦しいだけだ。
死なない、辛いだけだ。
ならばどうするか。
殺して俺の安全を確保する。俺が先に進むための全てを奪いとる。
水も食料も文化も文明も、全部全部俺が奪う。
自分を殺せるんだから、相手を殺せない理由がない。
俺の平穏のために、俺の終わりのために。奴らに先に
殺そうと意思を固めてから何周回か繰り返した。
全体像を観察するために、奴らの生息地域を固めた。南の方に一体で居た奴をまず殺す事にして周辺を探索、数回遭遇して喰われたがこの個体は遊ぶこと無く殺してくるからそこまで重要じゃない。
結果として縄張りという程明確に定めていない事がわかった。数日同じ場所に居ても来なかったり、たまたま来たりした。周回毎に行動が変わっているのが気になったがどうでもいいと判断した。
ただ、奴を追い掛け回しているとちょっとした湖を見つけた。
俺が飲んでも大丈夫かは知らないけど殺した暁には飲もうと思う。
一番の問題は、現状だと奴を殺す手立てがないくらいだ。いや、殺すには殺せるとは思うが……何分試行回数が足りない。
巻き戻ったら数日前まで戻るのがもどかしい。ほんの数瞬前に戻ってくれればいいのに。
もしそうだったら、最初の時点で詰んでたな。
覚悟するまでここまで時間がかかった。それでも不完全だし足りない。
落ち着け、まだ何にも達成してない。殺してない。
人のような形をしつつ、歪な体をした化け物共。
理性がないようにしか見えないのに特有のルールの範疇で動いているコイツらが気持ち悪くてしょうがない。
ああ、気持ち悪い。
観察もそこそこに、挑むことにした。
まずは正面からやる方法がないか探る。駄目なら罠を作る。少しでも知恵を絞って殺す。
初動でぶん殴られて行動不能になったのが数回、それを避けられるようになってからが本番だった。
殴った手が折れた。蹴った足が折れた。素人丸出しの力の入れ方では駄目だったようで、その直後に殺された。
力の入れ方を工夫した。
ただ真っ直ぐぶん殴るんじゃなくて緩急をつけて、隙を突く様な形にして、硬い部位や骨の部位ではなく柔らかい部分を目指した。
最初は上手く行かなかったけど順調に上手くなった。
回数は忘れた。
怪物の身体に生殖器や剥き出しの内臓は見つけられなかった。
辛うじて目とか顔の器官を狙えるくらいだった。
排泄孔も見えなかった。
本当に謎の生態だが、それ以上に俺が受けた苦しみを完全に返せない事に苛立った。
そうして、挑戦し続けて幾ばくか。
死んで、前回分の経験を頭の中で反芻しつつ移動を開始する。
直射日光を避ける為に少し木陰を挟んでいく。こうしなければ後半無駄に消耗した体力が足りなくなって動けなくなって死ぬ事が判明した。だから気を付ける。
唯一と言える武器のボールペンだが、これが役に立つ。
残念な事に殴打だけで殺せる相手では無かった。傷をつけるのにどうしても鋭利な道具が必要だった、だから利用した。俺の身体程柔らかくないが柔らかい部分は見つけたから問題ない。
憎しみを籠めて全身形が無くなるほどにぶん殴って殺してやりたい。
歩き続けて小一時間、奴の生息地域へと到着する。
ここからは少し慎重に行く。
俺の痕跡を
最初は木登りすらうまく行かなかったが、数えきれないほどやり直して慣れた。
微妙な取っ掛かりに足を掛け指を掛け、音を出さないように登る。木はそんなに高くないが葉の量がとても多く、身体を隠すのに適している。
このまま、奴が現れるまで待つ。ひたすらに、俺が死ぬまで。
周回毎に行動が違う事によって起きるデメリットがこれだった。
俺がどれだけ予測を立てても、奴の行動はある一定のパターンをぐるぐる回っている。だから仕方ない、死んでも元に戻る事を利用してそのパターンを絞って──ここが一番勝率が高いと踏んだ。
待ち続けて、大体数時間。
身体の関節が気持ち悪いくらい凝っている感覚がするけどこんなの障害にもならない。苦しくも痛くもないんだ。
そうして現れ、俺の痕跡を見て訝しんでいる怪物。
全身が真っ白で、不気味なフォルムをしたソイツ目掛けて──思いっきり、飛び込んだ。
音の以上に気が付いた怪物がこっちを認識する。
それでいい。
俺の方を
手にしたボールペンを思いっきり振りかぶり怪物の──目玉めがけて振り下ろす。
俺の力だけで足りないのなら、それ以外の力を加えればいい。一番最初に殺しに来た時のように、お前が上から降ってきたように。
わざわざ降りながら体重を乗せた振り下ろしを練習したんだ。何度か死んだが、いい経験値になった。
ズブッ! と勢いよく目玉に沈んでいくペン。
怪物の身体に巻き付くように身体を動かし、首を足でロックする。死ね、死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね……!
「──死ねよクソがぁ!!」
悶えて腕を振り回す怪物に掴まらないように手を回しながら、もう片方の目に
小指や薬指が圧し折れるのも構わずそのまま中に突き刺した。
汚くて喧しい声を上げる怪物の事を無視し、そのまま脳を破壊するために手を奥へと進める。
生暖かいような温いような、そんな気持ち悪い感覚が手を支配するが気にしない。
こんなんで終わると思うな。この程度で終わると思うな。
俺が受けた苦しみはこんなもんじゃない。生きたまま喰われる感覚をお前は知らないだろう。
ペンを離して、手を突っ込んでいる方の目に指を掛ける。
苦しんで、痛みを実感して、そのまま死んでくれ。
無理矢理穴を広げるように力を籠める。
怪物もタガが外れたのか凄まじい力で俺を殴ってくるが、痛みに慣れた俺のほうが強い。お前は痛みで反射的に身を竦めるが、俺はそうならない。力が逃げない。
指が骨に負けて痛む。
無理をしてそのまま力を入れた。
「だああああッァッッ!!」
一瞬、何かが外れたような気がした。
ガキリ、と頭の中でなった感覚。
──怪物の顔が、二つに割れた。
右目を境目に、上半分と下半分で割った。俺が、割った。
脳も剥き出しに、ピクピクと痙攣して地面に倒れ込んだ怪物に巻き込まれて俺も地面へと倒れた。
手を緩めることは無く、剥き出しになった脳髄に腕を振り下ろす。
ぐちゃりと不愉快な感覚。水っぽい、それでいでしっかりとした硬さを持つ器官だ。でもまだ死んでないかもしれない。だから殺しきる。
ビチャビチャと撒き散らされていく脳髄、いや、脳だったもの。
時々硬い部位を殴っているが気にせずに殴り続けた。
そうして殴り続けて、呼吸が続かなくなって止まった時。
怪物の動きは完全に止まり、空を仰ぐように倒れ。
顔が完全に崩壊し肉片の判断すら区別できない程に壊れたソイツは、死を迎えていた。
「……………………」
ぐら、と。
馬乗りになっている状態で、息を一つ吐いた。
完全に動かなくなっている怪物を見て少し冷静になれた。俗に言う脳内麻薬ドバドバ、って奴だろうか。ゆっくりと深呼吸をして、血や色んなモノが混ざる合った気持ち悪い臭いがする。
散々俺の事を殺してきたコイツを殺してようやく一つ成した。俺は前に進んで、殺されるだけの存在じゃ無くなった。今この瞬間ヒエラルキーが格上げされたのだ。
脳を撒き散らし、恨みの全てを押し付けていた存在が死んで抱いた感想。
「…………お前だけ死ぬなよ」
お前は死ねるのか、と。
俺は終われないのにお前は終われるのかと、思わず愚痴が零れた。
「──え?」
ふと、そんな声が聞こえた気がする。
ついに死に過ぎて幻聴が聞こえ始めたかと思い、一応後ろを振り向いた。
人だ。
こんな怪物とは違う、人間だ。ああ、そういえば俺もこんな形だったか。そうだそうだ、暫く見てなかったから忘れてた。
夢や幻覚だとしても初めて見る人だ。
黒い髪に、顔はよく見えない。右手になんか持っているがそれだけだ。
「……また、巻き戻るか」
俺の疑念はそれだけだった。
出来ればこのまま前に進みたいモノだ。それにしては腕をやられすぎたが。
願わくば、前に進めますように。