絶対にだれにも理解できない領域。
無形の文章、形のない物語。
現実の中にある非現実こそが、彼らの『活きる』本来の世界。
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赤に支配された世界。見慣れた光景に穿たれた不和に思わず目をしかめる。
ここは昨日見た夢の中の教室で間違いはないだろう。
となれば、今ここに居ることそれ自体も、俺が見ている夢の中での出来事という事になるのだろうか。
そうだとしたなら……
「怖がることも、ないのかな」
所詮は夢の中での出来事。そう思うと気持ちが随分と楽になってくる。
その影響なのか、前回は冷静に見ることができなかった周囲の状況が見えてきた。
───どうやらここは、俺の通っている学校の校舎であるようだった。
何故そう確信したかというと、見覚えがあり、とりわけ印象に強く残る名前が棚に書かれていたからだ。
相津秀昌、瀬川晴美、竹内拓斗に……
「時崎創英」
背後から不意に、俺のフルネームが聞こえてくる。
およそ誰もいないであろう校舎に木霊する女の子の声。
大人びているような気配を感じさせるその声に、俺は聞き覚えがあった。
「こんばんはで、合ってるのかな」
着物のような服を着た、俺と同じくらいの年に見える女の子。
鮮明にとは行かずともそのやり取りは思い出せる───この少女は、昨日見た夢の中で、不安に押しつぶされそうになっていた俺を助けようとしてくれた子だ。
「その様子から察するに、もうこの状況に慣れたのね」
静かにそう言葉を発した彼女の口元はやはり見ることはできなかったが、今回はそのだらりと垂れ下がった前髪越しであっても表情が伺えた気がした。
驚いている……そう感じたのだ。
「慣れたというよりは、あんまり怖いと思わなくなったって感じかな。これって俺が見ている夢なんだろうし」
彼女から驚いたというような雰囲気が消え失せる。
同時に彼女から伺えた雰囲気は……呆れ、だろうか?
「そう……なら、即刻ここから立ち退きなさい」
そっと視線を外した少女は、そこから踵を返して何処かへと行こうとする。
それを俺は慌てて引き留めた。
「ま、まって!! いくら夢の中とは言え、独りぼっちは流石に怖い!!」
そういう俺にあからさまに面倒くさいといった態度を表した彼女は、一つため息をつくと同時に俺の手を握る。
「よく聞いて。これから先、再び同じ状況に陥った時にそんな調子のままじゃあ、いつか痛い目を見るわよ」
「いや、でも、これは俺の夢の中の出来事だし……」
「夢ではないわ」
ぴしゃり。
俺の言葉を遮るように言い放ったその一言が、赤に染まった教室内に響く。
「たとえこれが夢であったとしても、間違いなくあなたが見ている夢ではない」
「それってどういう……」
「あなたは魅入られかけているのよ」
「みい……?」
「悪さをする奴にイタズラされそうになっていると思いなさい」
そう告げる彼女の言葉によると、どうやら俺は良くないモノに悪さをされかけているようで、本来ならとっくにソレの餌食になっていた筈が、俺自身の気? の強さ故に手籠めにし損ねている状況なのだとか。
二夜にわたって同じ状況に陥っているのもその影響らしい。
今のこの状況も彼女に言わせてみれば夢ではないらしく、異常な空間と化した夜の校舎に意識だけが身体から引きずり出されて惹き付けられているのだという。
だとすれば、昨日俺がちゃんと身体に戻れたのはこの子のおかげという事になる訳だ。
それが、今晩もまた同じ状況に陥ったとなると……
「これ、相当不味い状況だよね」
「ようやく事の深刻さが伝わったようね」
薄れていた不安や恐怖がぶり返してきた俺の様子を見て、彼女はまたため息をつく。
「私はこの異界化した……いえ、おかしくなってしまった校舎の悪者を退治しに来たの。昨日とは違って、今夜は悪者の気配を強く感じられるから、もしかしたら居場所を突き止められるかもしれない」
しきりに周囲を見渡す仕草をする彼女。
昨晩のような余裕は今の彼女からは感じられない。
つられて俺も周りを見渡すが、そこで夕方頃に起きたことを思い出した。
「そういえば、夕方頃にでっかい動物が校舎の中に入ってきたんだよ」
「……でっかい動物?」
何とはなしに話しだした事に、彼女が静かに反応する。
「うん、でっかいの。立った時の大きさが俺よりも大きかった。最初クマかと思ったんだけどどうも違うように見えたし、第一ここって街中だからクマが出るとかありえないというか……」
「先細った鼻先に、赤い瞳。それに、茶色の体毛だった?」
「そうそう、そんな感じの……え?」
話そうとしていた内容を突然口に出され思わず彼女を注視する。
当の彼女は、そんな俺を見つめながら困惑した表情を浮かべていた。
「あなたの言う、そのクマみたいな動物こそ……今まさに私が追っている悪者よ」
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真っ赤に染まった廊下を二人で歩く。
当たり前だが人の気配はなく、俺たちの足音だけが不気味に木霊する。
彼女───静葉という名前らしい───は、時折気になる場所に立ち止まるとその場で何か小声でブツブツとつぶやき始める。
その間俺は暇になる訳だが、その行動が頻繁に続くために何をしているのかと静葉に話しかけると邪魔をしないでと怒られた。
いよいよ手持無沙汰となった俺は、彼女から離れすぎない程度に周囲を歩き回って散策しながら時間を潰す。
───そろそろ彼女の方も例の行動が終わるだろうか。
開かない窓の留め具を弄り回しながらぼんやりとそう思い、振り返った。
「ん?」
首をひねって視界をぐるりと動かしたその時、横に流れる景色の中に違和感を覚えるものを見つける。
気になってそちらへと視線を戻すと、一つの引き戸が目に留まった。
いや、正確に言えば、その戸が閉じている様子が目に留まったのだ。
この場の探索を静葉としてきた中で、各学年の教室を含め閉じている戸はここが初めてだった。
傍に歩み寄ってきた静葉も俺の視線の先を見て何かを察したようだった。
「怪しいよな」
「怪しいわね」
二人そろって同じ意見を口にし、顔を見合わせると静かに頷く。
俺の後ろに静かに構える静葉。それに対し、姿を晒さないように身を隠しながらゆっくりと引き戸を開いた。
「間に合わなかったか……」
開かれ、露わになった室内を見た静葉は、そう呟いてそっと目を背けた。
気になった俺はその反応に釣られるように室内を覗き込み───直後、激しく後悔した。
「人が倒れて……あれは、血……なのか? てことは、もしかして死んで……っ!?」
思考が一つの結論に行きつき、尻もちをつく。
足がガクガクと震えだし、叫びだしそうになるのを必死にこらえる。
室内に広がっていた光景。それは。
血だまりの中に沈む、仰向けに倒れた人の成れの果てだった。
顔が判別できないほどに潰されたそれは、体格からして大人のようだった。
差し込む赤い光の中において尚も鮮烈な色味を放つ血に濡れて真っ赤に染まってしまったワイシャツが、ここで起きたであろう出来事の凄惨さを物語っている。
一体何が起きればこんなことになってしまうのか。
そんなのは、もう考えるまでもなく想像がついてしまう。
「け、警察に……」
「無駄よ。ここは現実の世界ではないのだから、誰もこの人を見つけられない。私と、あなた以外には」
腰が抜けて立てない俺の横を抜けて、死体に歩み寄る静葉。
静かに片膝をついて様子をじっと見ると、まるで検分でもして居るかのように呟き始めた。
「頭蓋がひしゃげて変形している様子からして、頭部への一撃が致命傷になったようね。裂傷……ええと、鋭い何かで引き裂かれたような傷も見られるわね。きっと、前足で叩かれたんでしょう」
「そんなの知らないし、聞きたくもないよ」
そうやって耳をふさごうとした俺に、静葉は静かに立ち上がってこちらへ戻り、手を差し伸べる。
「覚えておくといいわ。こういった手合い……いえ、相手が残す痕跡は、後を追うにも、身を守るにも重要な手掛かりになるわ。この人のような事になりたくないのなら、恐怖に負けない事よ。いま私たちがいる場所では、真実はいつだって恐怖で覆い隠されているものだからね」
ただ……と、小さく息をつきつつ、更に言葉を紡ぐ。
「目先で起きている事をすべて理解しようとはしない事。あれらを相手にそんな事はまず出来ないだろうけど、下手をすればあなたも、こちら側の住人になってしまうかも知れないからね」
逆光になった彼女の表情は伺えなかったが、声色から察せてしまう。
彼女はきっと、何かを悔いている。
心配して語ってくれる言葉の端々に、何らかの思いを感じる。
手を握り立ち上がると、そんな雰囲気は彼女から消え失せていた。
「そろそろ時間のようね」
そう言いながら周囲を見渡す静葉。
同じように俺も見回してみれば、見渡す視界の至る所が不規則に揺らいでいるのが見えた。
「私の手を握って。外まで連れて行ってあげるから」
昨晩の時と同じセリフを言う静葉に、何とも言えない感情を抱く。
きっとこの子は、さっきの様な光景を幾度も見てきたんだろう。
ずっと一人でいるのだろうか。現実では何をしているんだろうか。
似たような考えが頭の中をぐるぐると巡るが、今は……
「うん、わかった」
今は、帰ろう。
縁が続くなら、この先もきっと出会えると思うから。