音の発生源へと向かうことを決めた俺たちは、道中を出来るだけ静かに移動していた。
その途中で未探索だった教室などは、そっと出入り口から覗き込んで中を確認するだけに留める。
早鐘の様に鳴り響く胸の鼓動に釣られて息が荒くなり始めるのを必死に堪えながら……件の教室の前へと、たどり着いた。
「俺が中の様子を確認する。瀬川はその間に後ろを見ていてくれ」
「分かった」
出来るだけ小声でやり取りを交わすと、中を覗こうとした。その時。
「やっと見つけた」
ここ数日ですっかり耳に聞き馴染んだ声が聞こえた。
声のした方へ直ぐに顔を向ける。そこには。
血みどろの静葉が、壁にもたれ掛かる様にこちらを見ていた。
あまりの衝撃的な姿に冷静さを失いかけたが、なんとか踏みとどまる。しかし。
「静葉ちゃ……っ!!」
声に気が付いた瀬川は、静葉の凄惨な姿を目の当たりにして、微かながら───悲鳴を上げてしまった。
その悲鳴の後、教室の内から聞こえていた物音の変化に気付く。
それが、瀬川の悲鳴に反応したムジナの足音だということに、俺はすぐに考えが至った。
「こちらへ、早くっ!!」
即座に言い放たれた静葉の言葉に、半ば弾かれるように俺は行動を起こす。
「瀬川、ごめん!!」
「え───キャッ!?」
言うより行動に移した方が早いと自分に断じ、瀬川の手を引いて静葉の元へと走り出す。
教室の出入り口を二人で横切った、その一瞬後。
グガァァァァァァァァァ!!!
グルァァァァァァァァ!!!
足が竦む様な恐ろしい雄たけびを発したムジナが、俺達の後ろに躍り出てきた。
間一髪それを避けた俺達は、未だ立ち止まったままの静葉の脇を通り抜ける。
「静葉ッ!?」
「私がコイツを足止めするわ!! その間にあなた達は6年3組の教室へ行きなさい!! 急いでっ!!」
明らかに弱っている静葉の後姿を見た俺は、それでも今は静葉を信じて頼るしかないとすぐに決断する。
「必ず助けに戻るッ!!」
「待っててね、静葉ちゃん!!」
そう叫ぶように返事を返すと、俺は瀬川の手を引いてまっすぐ走って行った。
◆ side:静葉 ◆
勇ましく『助けに戻る』なんて叫びながら走り去っていった二人を背に、私は眼前の『オオムジナ』へ対峙する。
全く、愉快な子たちね。自分が物語の主人公だとでも思ってるのかしら?
「グルルルル……」
オオムジナは『よくも邪魔をしてくれたな』と言わんばかりの恨めしげな眼で睨みつけてきたけど、私はそれに付き合うことなく静かに構えた。
上体を上げ、二本足で立ちあがるオオムジナの両の瞳は怒りに染まっていて、揺らぐことなく私を見定めている。
「随分とお怒りのようね? 私に『狩り』を邪魔されたのが、そんなに気に食わないのかしら」
挑発するように笑って見せ、睨み返す。
同時に、これまでの出来事を振り返った。
このオオムジナは、つい最近になってこの学校のある街へと流れ込んできた個体だろう。
それまでこの個体が出没したという話を耳にしていない為、これはほぼ確定事項とみていい。
となれば、この街に現れた理由は餌となる人間を狩りに来たためと見て間違いない。
二ホンアナグマのような外見をしている『ムジナ』は、外見に違わず動物の持つ習性を有していて、基本的には人間を避ける傾向にある。
分布域が広く様々な場所に住処を作るけど、人を避ける傾向故にそのどれもが山野に巣を構えるため、人間との遭遇率はそれほど高くはない。
本来『ムジナ』と呼ばれる個体自体がそこまで強力なものではなく、自ら進んで害をなす存在でもない。
妖怪や化生などと呼ばれる生粋の『埒外の存在』ではあるものの、実際は人畜無害な畜生でしかないのだ。
けど稀に、何かが切っ掛けとなって人の血肉の味を覚えてしまい、狂暴化する個体が出てきてしまう事がある。
その個体の事を『オオムジナ』と呼び、人を襲って捕食を繰り返した個体は、見た目に則した食性である雑食から肉食へと変わり、見る見るうちにその体躯を巨大化させていく。
成熟した通常のムジナが直立した際の身長が160cm前後であるのに対し、捕食を幾度も繰り返した末のオオムジナが直立した際の大きさは、およそ3mにも達すると言われている。
オオムジナへと変貌してしまった個体は、そのまま放置しているとその近辺に住む人間を残らず捕食してしまうため、発生が確認でき次第誅滅隊が派遣されるのが、これら『妖(あやかし)』達との関わりのある者らの間では普通の認識となる。
しかし……
(どうやらコイツは、その誅滅隊を全滅させて喰らったみたいね)
じりじりと間を詰めてくるオオムジナを警戒しつつ、チラリと教室の中───オオムジナの食事場を見やる。
視界に映る食い散らかされた人間の遺体の数から推察するに、既に数十名は犠牲になっているだろう。
本来は清潔家なムジナが、ここまで変貌するとは……
「誅滅を急いだ方が良さそうね」
この異界への誘引は、つい先ほど私が断った。
『外』への出口を6年3組の教室の中に作ってあるから、あの子たちならきっと、それが何なのかを理解して飛び込んでくれるでしょう。
先に放り込んだ男子二人も無事に目を覚ましている頃合いでしょうね。
後は、コイツとの決着をつけるだけ。
先ほどは後れを取って、手痛い一撃を貰いはしたけれど───
「さぁ、覚悟なさい。私は他の奴らと違って甘くないわよ」
───この程度の手傷なら、問題なく誅滅を完了できる。