プロローグ
「シ、シロ……くん。いる……?」
とある一室の扉に、控えめに声をかける少女がいた。
金の長髪に金の瞳を持つ、オラリオ随一の有名人……同ファミリア内でもアイドル的な人気を誇る、Lv.5の第一級冒険者『アイズ・ヴァレンシュタイン』である。
来訪者が彼女と知れば、大概の団員達は飛び起きて扉を開けるだろう。
主神のロキや【千の妖精】ならば、それこそ秒速で彼女の前に姿を晒す筈だ。
けれども、この扉はいっそ不遜な程に微動だにしなかった。
アイズは躊躇いつつ、もう一度室内に声を届けた。
「シロくん……?」
しかし、やはり返って来るのは沈黙のみ。
無情な返答に肩を落としていると、廊下の奥から聞き慣れた声が届く。
「アレ、どったん? アイズたん」
見ると、主神が不思議そうな顔をしながら近づいて来ていた。
朱色の髪に糸目と似非関西弁なる物を操る神・ロキ。
「ここ男子部屋の区画やん。アイズたんが来るなんて珍しいなぁ」
主神は何の他意もなく、ただ思った事を口にしているといった感じだったが、次の瞬間ハッとした顔になる。
そして、馬鹿げた妄想を口走った。
「まさか、夜這いッ! 嘘や、ウチのアイズたんが―――」
「違います」
ロキの戯言は、物理的な拳と否定の言葉によって一刀両断される。
殴られて尚嬉しそうな神は「スマンスマン」と片手をヒラヒラさせつつ、アイズが誰の部屋の前に立っているのかを見て、納得した様子をみせた。
「あー、成程、マシロたんかぁ。今朝出掛けてくの見たで。多分ダンジョンちゃう?」
「え? まだ朝の六時だよ……?」
「アイズが来るの察して早めに出たんちゃうん?」
冗談半分で笑うロキに、アイズの表情が露骨に曇った。
それこそ「がーん」と肉声が聞こえてきそうな程の落胆具合に、女神は大慌てでフォローを始める。
「ジョークやジョーク! てか、アイズたん『風』使えば居場所分かるやろ?」
「……分かるけど、使ったらシロくんにバレる。スキルを使ってまで探してたのがバレたらきっと嫌われる……」
……いや、嫌われへんやろ。
という感想を口にするより先に、ロキはもっと気になる事を尋ねた。
「てか、『くん』って。弟やろ? なんでくん付け?」
その一見真っ当に思える疑問に、アイズは不満げな表情で頬を膨らませる。
「シロくらいの年頃の男の子は、姉にベタベタされるの嫌がるって、ロキが」
「いや、確かに言ったけども……」
ロキはアイズの思惑を理解する。
と、同時に頭を抱えた。
つまり、くん付けで無理矢理に『ベタベタ感』を消しているという事なのだ。
確かに親し気な感じは消せている。
消せてはいるが……、それ以上に違和感がトンデモナイ事になっていることには気づいていないらしい。
「あのなぁ、アイズたん。それはあくまで、必要以上に頭撫でたり抱きしめたり子供扱いしたりして構いすぎるなっちゅー事や。弟にくん付けなんて普通に考えて変やろ?」
「そ、そう……なの?」
青天の霹靂のように目を見開くアイズ。
「そ・う・や! まあ、逆に弟をとことん甘やかす『ダダ甘系お姉ちゃん』やったらソレもアリやけど……」
「……? とことん甘やかすなら出来るよ、私」
「せやろうなぁ! けど、ゴッツ嫌われるで? マシロは子供扱いされるん虫唾が走る程嫌いやからなぁ」
「……そう」
希望を見出したかのように瞳を輝かせたアイズだが、その輝きは一瞬で潰えた。
そもそも、構いすぎて嫌われる可能性を回避する為に『くん付け』で上澄みだけでも素っ気なさを演出していたのだ。
なのに、『くん付け』の違和感を拭う為『ダダ甘姉』を採用しては本末転倒だろう。
―――このぐらいの事、普段のアイズなら分かりそうなモンやけど……。
どうも弟の事となるとポンコツ具合の加速する姉に、ロキは総括する様に告げた。
「とにかくや! マシロに対する態度は今のままで良い! 呼び方だけ変える! これでファイナルアンサーや!」
その宣言に、アイズは少し考える素振りを見せる。
「……じゃあ、シロちゃんで」
「子供扱いはアカン言うとるやろ! 『ちゃん付け』なんて一発アウトや!」
「じゃ、じゃあどうしたら……」
オロオロする自分の眷属に、ロキは思わず声を荒げてしまった。
「普通に呼び捨てで良いやろ!」
「……! 成程……!」
「天然通り越してアホなんか、アイズたん!」
画期的提案を聞いたと言わんばかりの顔をする眷属に対し、流石のロキも強い言葉で突っ込まざるを得なかった。
「……で、そもそもこんな時間にどんな用だったんや?」
「今日、あの子の誕生日だから……。お祝いの言葉をと思って……」
「ははーん?」と、ロキは悪い顔を作った。
「なるほどなるほど、普段嫌われん様極力接触控えとるけど、今日くらいは誕生日をダシに会いに来たって訳か」
「言い方……」
プクーっと膨れるアイズに対し、先程迄のお返しだと言わんばかりに揶揄いの言葉が重ねられる。
「まったくぅ、アイズたんがもうちょっと器用だったら、普段から程よく触れ合えたんやけどなぁ。特別な日ィ狙って接触するなんて、回りくどい事せんでも良かったのにぃ」
アイズが更に膨れる。
その頬を指で突いていると、次の瞬間衝撃の事実が眷属の口から告げられた。
「いいもん。たまにあの子の部屋に忍び込んで一緒に寝てるから」
ムスッとそう告げるアイズ。
「……へ?」
余りにも予想外すぎる発言に、ロキは神の脳を持ってしても直ぐにその意味を理解する事が出来なかった。
そして、主神が問題発言を咀嚼する前に、アイズは更なる爆弾を投下する。
「寝てる時のあの子は何しても起きないから、あんな事やそんな事しても全然大丈夫だもん」
「あ、あ、あんな事やそんな事やとォオオ⁉」
そして、驚愕し発狂するロキを尻目に、アイズはスタスタと歩いて行ってしまった。
「ちょっ、ちょっと待てぃアイズたん! 一体マシロに何を……⁉ まさか、マジで夜這いしてるんとちゃうやろな⁉」
焦りに焦ったロキの声は恐らくアイズに届いている。
しかし彼女は歩みを止めず、そして否定も肯定もせずに遂に見えなくなってしまった。
一人廊下に取り残されたロキ。
彼女は冷や汗を流しながら薄目を開けて呟くのだった。
「こりゃ、一度ママに問い質して貰った方が良いかも知れへんなぁ……」
午前六時、ダンジョン6階層。
ベル・クラネルがその光景を目にしたのは只の偶然だった。
銀色の流星が舞い、一条に延びる剣閃に触れた傍からウォーシャドウが消滅していく。
行われているのは冒険者とモンスターの群れとの戦闘の筈なのに、どこか華麗で、まるで優雅な舞を見ている様だった。
「凄い……」
ベルは迂闊にも目を奪われる。
ダンジョンの、それもモンスターのいる空間で武器も構えずにいるなど自殺行為だ。担当アドバイザーに知られれば即雷が落とされる事だろう。
しかし、ベルはその事を承知しながらも魅入ってしまった。
自分と同じ冒険者。
けれども格も、そもそもの技量も違うその戦闘に、羨望の眼差しを向けずにはいられない。
いったいどれほどの鍛錬と死線をくぐれば、ここまで洗練された剣技と体裁きを獲得出来るのだろう。
ベルは、時折ウォーシャドウの陰から除く銀色の髪の冒険者の動きを注視する。
少しでも何か盗める物はないモノかと、高速乱戦を続ける彼に意識を集中させる。
身体の重心は何処か。
どのタイミングで攻撃を避けているのか。
剣の振るい方は?
攻撃の往なし方は?
視線は何処を向いている……?
その殆どがモンスターの体躯によって見えないが、ベルは必至で凝視を続けた。
だからこそ、ベルは気づかなかったのだ。
自身の背後の岩肌から生まれた怪物の存在に……。
彼がそれ気付いたのは、新たに生まれたモンスターが無機質な雄たけびを上げ、漆黒の腕を振り上げた瞬間だった。
殺気を感じて振り返る。
「……! ウォーシャドウ⁉ しま―――」
防御は間に合わない。
そう判断したベルは、身を固くして衝撃に備える。
けれど次の瞬間、ウォーシャドウは途轍もないスピードで吹っ飛んでしまった。側面の壁に衝突し、轟音が轟く。
「えっ⁉ 何が……?」
戸惑いの最中にいるベルが事態を把握したのは、煙が晴れ、ウォーシャドウの姿が視界に収まった時だった。
剣が生えている。
いや、刺さっている……。
壁際に追いやられたモンスターの胸は、一振りの長剣に貫かれていた。
どこからか投擲された剣にひと思いに貫かれた。
そう解釈した瞬間、黒いモンスターは呆気なく消滅する。
ベルは、ゴクリと生唾を呑んだ。
流石に、この剣がどこから投げられたのかのぐらいの検討は付く。
再び銀髪の冒険者の戦闘に目をやると、既に彼の周りを取り巻くウォーシャドウは数体程度になっていた。
その為、より鮮明に姿を視認する事が出来る。
銀髪銀目、そしてまだ幼い子供と形容してよい彼……いや、彼女だろうか? この距離からでは性別までは判別できない。少なくともそれくらいには中性的な容姿をした冒険者。
そんな冒険者の手には、やはり武器はなかった。
全くの丸腰だ。
やはり、彼……若しくは彼女が剣を投擲し、自分を危機から救ってくれたのだろう。
そう判断したベルは、歯噛みしながら大地を蹴った。
このままではあの冒険者がやられてしまう。
自分を助ける為、武器を投げ出してくれた所為で。
そんな事があって良い筈がなかった。
けれど、その行動が全く無駄なものであると、ベル・クラネルは直ぐに知る事となる。
全力をとして急接近していたからこそ、鼓膜が拾う事が出来たのだ。
彼女……いや、『彼』の唱えた詠唱式を。
「『
次の瞬間、ベルの視界が暴風に染まった。
身体に衝撃が来ない事を不思議に思いつつ、吹き飛ばされない様に全力で踏ん張る。それしか出来ない。目を開けるなど、夢のまた夢だ。
「ぐ……ッ! ぐうううううう……ッ⁉」
必死に耐える事数秒。
ベル本人は分単位に感じていたが、実際は数秒だ。
その短い時間で、突如発生した暴風は収まった。
ベルは恐る恐る目を開ける。
当然、モンスターの姿はない。影も形も、その一切が消失している。
残ったのは、あの風を発生させたと思しき冒険者の少年ただ一人。
ウォーシャドウの群れを、ベル・クラネルを守りつつ討滅した銀髪銀目の少年。
彼に目立った外傷はなかった。
少なくともベルの見れる範囲には傷を負う事なく、あの状況を切り抜けたという事だ。
確実にLv.2以上の冒険者だろう。
明らかにベルよりずっと年下であるにも関わらずだ。
そんな無茶苦茶な存在が、ベルの方へ歩き出した。
「あ、あの助けてくれて、あ、あり―――」
『ありがとう』か『ありがとうございました』か……どう言うべきか逡巡しているベルの横を、銀髪の少年は無言で通り過ぎる。
「え、あの……」
首を回して視線で彼を追うと、どうやら壁に刺さった剣を回収しに行っている様だった。
少年は剣を引き抜き、美しい所作で鞘に納め……そして―――。
「ダンジョン内で気を抜くな」
「……!」
痛い言葉が放たれる。他でもないベル自身に。
「見た所新米の冒険者か。それとも、自殺志願者か? でなければ、ここに来るのは少し早い様だが……」
「そ、それは……すみません……」
ベルは何も言い返せずに俯く。口調も敬語を選んでしまう。
「……お前が無様を晒すのは構わん。だが、状況次第では他の冒険者も巻き込む事になる。分かるな?」
「……はい」
ベルは、ただただ頷く事しか出来なかった。
自分がたった一人の時に気を抜いて殺される分には別に良い。誰にも迷惑をかけていない。
けれど、例えば誰かとパーティーを組んでいた時。
また、近くに他の冒険者がいる時に同じことをしてみたらどうだ。
パーティメンバーは確実に危険に晒し、近くの冒険者も此方を救おうとしてくれれば巻き添えにしてしまう事になる。
無論、自分を置いて逃げるという選択肢を取る者も多いだろうが、全員が全員ではないだろう。
少なくとも、この少年はそうだった。
少年は言っているのだ。もしそうなった時、お前を助けようとした者が死んだらどうするつもりだ、と。
ベルは、自分の迂闊さに腹を立てて唇を噛むしかなかった。
そんな最中、少年の声が耳に届く。
「なら良い」
そして足音が聞こえ始めた。
彼はただ一言、それだけ言って、この場から立ち去ろうとしている様だ。
ベルは堪えられずに顔を上げ、口を開いた。
「あ、あの! 貴方の名前は……⁉」
けれど、その問いに少年が足を止める事も、答える事もなかった。
結局少年は一度も振り返る事なく姿を消す。
ベルは彼の消えて行った先に、短く頭を下げたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
今後小説内で上手く説明しきれない可能性のある設定を先にここに書いておきます。
アイズ:既にベル君とは邂逅済み。原作同様の印象を受ける。今後も純朴な白兎と触れ合いたいとか、傷つけてしまって謝りたい等と言った感情を持っている。
弟とはあまり仲が良くない。数年前、『年頃の弟に構いすぎると嫌われる』と忠告を受けて以降極力構わない様にしている為。ただ、加減を分かっていないので傍からはメチャクチャ冷めた姉弟にしか見えない。弟が思春期を抜けるまでこの対応を続けるつもりだが、最近ボロが出始めている。
ベル:既にアイズとは邂逅済み。しっかり頭から血を被る。【憧憬一途】発現済み。酒屋でベートに笑い話にされるのはもう少し後。なのにもうウォーシャドウとバトる。この辺りは多分原作と時系列違っちゃってます。すいません。
弟:Lv.3。12歳。身長はフィンに辛勝するがヘスティアに大敗するくらい。
基本的な戦闘力は大幅な劣化アイズだが、風の出力だけはアイズ以上。今回はベル君にやたらデカい顔で来てますがその内ブチ抜かれると思います。思春期に突入する段階でロキのアシストがあった為、アイズに対する不満は特になし。だが、本人は額面通り冷めた姉弟仲だと受け取っている。