微睡のなか目を覚ます。
綿毛の様な塊が頬に触れた。
フワフワと柔らかい。
それはまるで、太陽の光をパンパンに浴びた布団であるかの様だった。
しかし、自分の持つどの寝具とも微妙に感触が違う。
今まさに頭を埋めている枕とも、身体を支えているマットとも、聖母のように包み込んで来る毛布とも。
まるで、生きている様な温もりを感じた。
とても良い。
匂いも、触り心地も、肌に感じる暖かさも。全てが、少女にとってベストだった。
ベッドに紛れ込んだ異物だが、彼女はそれを抱き寄せる。
太陽の匂いが鼻孔を擽り、更なる微睡へと落ちて行きそうになった。
しかし、もぞりと、それが動く。
顔を上げると、驚いた。
なんと寝具には顔が付いていたのだ。
否、寝具だと思っていた物は、小さな男の子だった。
あどけない顔で両目を擦っているのは、どこからどう見ても少女の『弟』で……。
弟は姉の顔を見て、花のように笑う。
「おねえちゃん、おはよ」
そして、人懐っこく擦り付いてきた。
つられて両腕を回すと、小さな小さな丸い身体が、すっぽりと胸の中に納まる。
本当に小さい。
体格的に、まだ三歳そこそこと言った所だろう。
弟は、つい最近十二歳になった筈なのに。
「これは……夢?」
きっとそうだ。
少女は、自分が十六歳であると自覚しながら、無邪気な弟を抱きしめた。
例え夢でも、大好きな弟と触れ合えるのだ。
こんな機会を棒に振るなんて勿体ない。
こんな夢を見る自分を現金だとは思いつつ、少女は彼の心臓の音に聞き入っていた。
「ねえ、シロ」
「なぁに?」
名前を呼ぶと、ズングリと丸っこい顔が上げられる。
もう本当に、いちいち仕草が可愛らしい。
自然と頬が緩むのを自覚しつつ、尋ねる。
「シロは、お姉ちゃんのこと好き?」
「すき!」
「そっか」
思った通りの返答だ。
幼い頃の彼なら、こう返してくれると確信していた。
分かってはいたとは言え、嬉しいものは嬉しい。
「おねえちゃんは、ボクのことすき?」
「大好きだよ」
当然、その様に答えた。
それ以外の返答など有り得ない。『大好き』という言葉以上の愛情表現を仕入れればその限りでもないが、現状の彼女の語彙ではそれが最上級だ。
「えへへへ」
嬉しそうに弟が笑う。
どうしてこの子はこんなにも天使なのだろうと、姉馬鹿丸出しの思考が脳内を駆け巡る。
お餅の様な頬を夢中になって揉みくちゃにしていると、不意に情景が変わった。
ふかふかのベッドの上から、固い地面に立っている。
左手には人肌が感じられた。
視線を落とすと、そこには弟の姿がある。
さっきより、少し大きい。
「ねえちゃん! 早くいこ!」
舌足らずな発声も、若干鳴りを顰めている。
多分、五歳くらい。
利発的な面が存分に表に出ていた時期。
先程とは、また別種の天使具合を発揮していた時代。
姉は、元気な弟を微笑ましく思いつつ、引かれるままに付いて行く。
「どこいくの?」
「お墓!」
「……え?」
元気いっぱいに場違いな単語を吐くものだから、なんて? と、つい聞き返しそうになってしまった。
しかし、疑問を表に表す前に、目的地に辿り着いてしまった様だ。
一瞬前まで、オラリオのメインストリートにいた筈なのに……、少女の眼前には硬い墓石が飛び込んで来た。
静謐な雰囲気と、生温いそよ風が、妙に煩い心臓を鷲掴みにする。
「し、シロ?」
「なーに?」
「どうして……お墓なんかに?」
「んー?」
この相槌を境に、また弟の声の高さが変わった。
「姉ちゃん、会いたいんでしょ?」
先程より、また少しだけ落ち着いた声音。それが弟の口から奏でられる。
彼は笑顔だ。
純粋な笑みだ。
可愛い。
天使。
の、筈なのに……少し怖いと、
「あ、会いたいって……」
誰に?
と続けようとすると、瞬きした瞬間、再び弟の姿が成長する。
もう、彼から笑顔は消え失せていた。
「ほら、
「……?」
「
彼が指差す先を見て、
「……!」
忘れる筈がない。見間違える訳がない。
そこに居たのは、弟にも並ぶ『最愛』。
「お父さん……。お母さん……」
気が付くと、アイズは駆け出していた。
ピッタリと肩をくっつけている両親の中間に飛び込む。
母と父は、十六歳の娘のタックルを優しく受け止めてくれる。頭を撫でてくれる。
暖かな掌の温もりが伝わって、アイズは泣いた。
わんわんわんと、幼子の様に。
言葉にならない声で、これまでの事を喋り出した。
それを、アリア・ヴァレンシュタイン達は、うんうんと聞いていた。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
ひとしきり泣き終えた所で、アイズは弟の存在を思い出す。
弟が物心つく前に、両親はこの世を去った。
だから、この温もりを、父と母を独り占めしてはいけないと、姉心が働いたのだ。
「おとうさん、おかあさん。あのね、シロもいるの」
そう告げながら、身を引く。
母達の視界に、弟の姿を入れる為に。
だが―――。
「シロ……?」
弟は、距離を取っていた。
離れすぎず近すぎず。
けれど、何が起きても必ず対処できる位置取り。
まるで、モンスターと対峙する時の様な重心の置き方。
「どうしたの? おかあさんたちだよ? ほら……」
そう言って視線を上げると、両親の真剣な面持ちが眼に入った。
「え?」
とても、息子との感動の再会という雰囲気ではない。
そう言えば、幼い弟は、両親とどの様に接していただろうか?
自分や母に甘えていた姿は思い出せる。
けれど、父親は?
おとうさんは、この子をどんな目で見ていた?
いつものように、足にじゃれつこうとした彼を、奴はどの様に扱った―――?
次の瞬間、父親は剣を鞘から引き抜いた。それを、あろうことかマシロに向ける。
激烈な殺気を飛ばしている。
「は?」
呆けた声が出てしまう。
理解が追い付かない。けれど、そんなアイズの事を、展開は待ってくれなかった。
「……『
弟が風を纏う。
当然だ。この様子は只事ではない。
幾ら、父親相手と言っても、身の危険を感じて当たり前。
「うおおおおおおおおおおお!!!」
けれど、その行為が父を刺激してしまったらしい。
咆哮が上がる。
最早、声そのものが破壊力を帯びている。
これが、Lv.8のイカレ振り。
「ど、どうしたの⁉ おとうさん! シロだよ⁉ わからないの⁉」
アイズは叫ぶ。
けれど、父には届かない。
聞く耳を持たず、風を纏う弟の元へ、一直線に駆けて行った。
利き手には、万の獲物を引き裂いて来た凶刃がギラついており……。
「やめて……っ!」
剛腕で、その得物が振り下ろされる。
弟の風は、空気と変わらず斬り裂かれ―――。
「やめてぇぇぇええぇぇええええ―――ッ‼‼‼」
まるで、夢の中の自分の絶叫に叩き起こされるかのように、アイズ・ヴァレンシュタインは現実で瞼を持ち上げた。
「はぁ……はぁ…はぁ……」
上体を起こして、辺りを見渡す。直ぐには状況を理解できない。
私の部屋だ。
遅まきながらそう理解すると同時に、色々と呑み込めてきた。
「夢……」
ぽつりと呟く。
同時に零れたシズクが布団を濡らす。
「今のは……なに……?」
妙にリアルな。
しかし、有り得ない父親の凶行。
クシャクシャになった顔を、アイズは両手で抑えた。
: :
アイズが食堂に着いた時、既に時刻は十一時近かった。
物凄く半端な時間だ。
朝飯には遅く、昼食には早い時間故、食事を摂っている団員は少ない。
殆どがアイズと同じ寝坊組だろう。
そんな中で、明確に彼女の視線を奪った人物がいた。
弟の、マシロ・ヴァレンシュタインである。
あんな夢を見た後だからか、彼の姿に安堵してしまった。
良かった、どこも怪我をしていないと。
彼は既に食事を終えている様で、食器を洗い場に持って行っている。
そして、出入り口のある、此方に歩いて来た。
アイズと、目が合う。
ドクンと、心臓が跳ねる。
その距離が詰まって行く。
彼の一歩一歩の小さな足音は、近づくにつれて自身の心音に掻き消された。
そして、遂に互いの距離がゼロになった。
「あ、の……」
口から言葉が出かかる。
けれど、それを意にも介さず、弟は姉の横を通り抜けた。
「……ッ」
分かっていた筈なのに。
予期できた行動の筈なのに、アイズはとても苦しかった。
あんな夢を見た所為だと、そう思う。
そして、あんな夢を見てしまったのは、自分の中で彼と触れ合いたい欲が上限に達してしまっているからだろう。
フィンは、少し様子を見るように言った。
彼の機嫌が直るまで待った方が賢明だと。
けれど、本当にそれで良いのだろうか……?
一度は納得した立場からして、疑問に思うのは筋違いかも知れないが、どうしても考えずにはいられない。
こうして、手をこまねいている間に、関係修復不可能な程、彼の心が離れてしまうのではないか。
今からでも、引き止めて、謝って、全てを打ち明けてしまった方が良いのではないか。
それとも、この感情も、単に自分が楽になりたいだけなのだろうか?
誠意という意味では、さっさと謝ってしまうにこしたことは無い筈だが……。
けれど、自分の感情をぶつけて、もし気持ち悪がられてしまったら……。
そう思うと、委縮してしまう。
無難な現状維持を選んでしまいそうになる。
けれど、それでは良くないと叫び続ける自分もいるのだ。
いい加減、フィンやリヴェリアに頼るのではなく、自分で考えて行動しろと。
他人に言われた通りにするのではなく、しっかり自分の行いに責任をもてと。
だから、アイズは一歩だけ前に踏み出した。
いや、一歩と言うには余りにも小さな一歩である。
話しかけるなんてトンデモナイ。
けれど、こっそり彼の後を付いて行く事にしたのである。
装備を見る限り、彼はこれからダンジョンに赴く筈だ。
これまで、ホーム内や街に出かける彼の様子をこっそり見守っていた事はあった。
しかし、複雑迷奇なダンジョン内は別である。
この行動に、どんな意味があるのかは分からない。
単なるストーカー紛いの行為に終わるかも知れない。
それでも、アイズ・ヴァレンシュタインは動かずにはいられなかったのだ。
: :
第一級の経験値をフルに活用し、絶対にバレないように弟の後を付ける。
彼の目的地はやはりダンジョンだった。
その穴を塞ぐ、バベルへと辿り着く。
彼は誰かを探している様だった。
キョロキョロと、小作りな顔が辺りを見渡す。
待ち合わせの相手は、女の子じゃないと良いな……。
そんな事を思いながら様子を伺っていると、一人の冒険者が弟に向かって手を振って来た。
処女雪のような髪を持った男の子だ。
随分可愛らしい顔立ちだが、体格や装備から考えても『男』で間違いないだろう。
そう安堵すると同時に、アイズは待ち合わせの相手が自分の知る人物である事にも気が付いた。
ベル・クラネル。
ひょんなことから、自分の相談を聞いてくれた心優しい男の子である。
どうして弟とベルが、と一瞬疑問に思ったが、直ぐに合点が行った。
マシロも負けず劣らず優しい男の子である。
恐らく、昨日勝手に走り去ってしまい、一人になってしまったベルに同情し、稽古の続きを付けてくれていたのだろう。
そして、意気投合し、バベルで待ち合わせする仲になったという訳だ。
アイズはそう解釈して、微笑ましいものを感じた。
弟に、男の子の友達ができるのは大歓迎である。
そして、その相手がベル・クラネルというのは願ったり叶ったりだった。
いくら男の子であっても、素行の悪い子と仲良くなるのは、お姉ちゃん的には好ましくはない。
などと思っていると、ふと、違和感に気が付いた。
合流したと言うのに、二人はいつまで経っても動き出そうとしない。
まだ、誰か待っているのだろうか。
そんな疑問に対する答えは、直ぐに現れた。
トコトコトコと、四角い物体がマシロ達の元へ近付いて行く。
ベルが、小さく手を挙げた。
マシロが少し驚いた顔をしているのが分かる。
そして、アイズにも分かった事があった。
マシロ達に合流したもう一人……それは、小さな女の子だった。
「………………………………………………」
お読み頂きありがとうございました。
不定期ですが、次回もよろしくお願いします。