剣姫の弟の二つ名は【リトル・アイズ】   作:ぶたやま

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第十七話

 

あるところに、ひとりの男の子がおりました。

 

 

それはそれは、とても小さな男の子でした。

 

 

 同年代の子供達と比べても、彼ほど小柄な童はそうは居ないでしょう。未熟児と称しても、最早問題視されない程なのです。

 

 そんな弱々しい男の子でしたので、周囲からは長くは生きられないだろうと見られておりました。心苦しくはありますが、私自身も、三つの誕生日を迎えられるかどうかという見解を立てていたくらいです。

 けれど、それら世間の声に反骨するように、彼はすくすくと成長していきました。

 

 肉体こそひ弱な少年でしたが、その代わり、周りの人間に恵まれる才能はピカイチだったのです。そもそも、この両親に産んで貰ったという事自体が、弁舌しくし難い幸運であったと僻まずにはおれません。

 

 男の子の父は、雄々しく精悍な第一級冒険者でした。

 男の子の母は、この世の者とは思えぬ美貌を備えた、やはり第一級の冒険者でございます。

 

 容姿も人望も、実力も富も名声も。全てを欲しいままにしてきた男女の間に生まれた子供。そんなもの、勝ち組と言わざるを得ないでしょう。生活に困窮する道理などなく、寧ろ親の七光りで贅沢三昧が約束されています。どれだけ身体を悪くしても、財力にモノを言わせた最高の医療を受けられるでしょう。

 もしかしたらその代償に、丈夫な肉体を取り上げられてしまったのかも知れません。

 

 とにかく、この童は非常に尊い愛情を注ぎこまれました。まるで壊れ物のように優しく扱われ、当たり前のことができただけでも、過剰に褒められ、撫でられ、抱擁されたのです。

 

 何かに失敗した時も同じです。誤って皿を割れば「怪我はないか」と血相を変えられ、転んで膝を擦りむけば丁寧に応急処置が施され、泣いて帰ってくればどんな作業を中断してでも慰めて貰えました。

 

 風邪なんて引いた日にはもう一大事です。家にある最も高価な薬を引っ張り出してきて、腕のいい医者を呼びつけてと、てんやわんやでございます。

 

 とにかく、彼は大事に大事に丁重に育てられました。寧ろ、ここまでされたのですから、すくすく育たない方が異常というものです。無事に大きくなっていく彼に、両親はとても喜びました。しかし、それより遥かに大きな喜びを感じていた者が、一人だけ居たのです。

 

 それは、金の長髪と金の瞳を持った女の子でした。

 

 とても綺麗な女の子です。

 まだ子供ながら、『可愛い』より『美しい』という印象が勝ってしまう程の美貌を備えておりました。日中などは無邪気な笑顔を咲かせていますので、まだ辛うじて年相応に見えるのですが、表情の無い寝顔などを一たび目にすると、その妖艶な雪肌に容易に吸い込まれそうになってしまいます。

 

 しかし、それも仕方のない事象でございましょう。

 何故ならこの金髪金目の少女、『この世の者とは思えぬ美貌を備えた少年の母』と瓜二つな容姿しているのですから。まさに生き写しとは彼女の為にあるような言葉でございます。  

『天女の子供』。若しくは『子供の天女』。

 どちらでも構いませんが、とにかく美の化身たる彼女にとって異性を惑わすなど朝飯前なのでございます。

 

 では、そんな彼女は何者なのか? 答えは実に明解です。

『娘』です。天女のような母の。

 つまり、ひ弱な少年の『姉』にあたる存在なのでございます。

 

 そして彼女は、容姿だけに留まらず、気性までも母親を写し取ったような性格をしておりました。普通、この年頃の幼い姉弟ともなると、親の関心を奪われた姉が弟を敵認定するというのが一般的なのですが、この少女に関してはその様なイジワルは一切行わなかったのです。それどころか、率先して小さな弟を可愛がりました。

 

 最初は両親に良い恰好をしようという目論見があるのかとも勘ぐりましたが、どうもそういう訳ではないようなのです。親の目の無い所でもベッタリですし、そもそも彼らが弟に構っていると『私の子を取らないで』と言わんばかりに取り返して抱きしめるのですから、流石に勘違いではありません。正直、弟が乳幼児期を過ぎた辺りからは、どちらが母親なのか分からなくなっておりました。

 

 姉が弟をべらぼうに可愛がる。

 それ自体は良い事です。微笑ましい事です。母親としても育児の負担が減って、幾分楽が出来るでしょう。しかし……。

 

 今でも忘れられません。

 幼い息子との触れ合いを、愛娘の手によって妨害され続ける両親の、あの何とも形容できない表情を……。

 

 けれど、そんな父母の憂いとは裏腹に、少年は幸せだったに違いありません。当然です。こんなに可愛いお姉ちゃんに、誰よりも愛され可愛がられているのですから。これで幸せではないと宣うものなら、全てを敵に回しましょう。

 

 実際、彼の顔から笑顔が絶えた日はありませんでした。

 雨の日も晴れの日も、寒い日も暑い日も。家でも外でも、朝でも夜でも。いつでもどこでも彼は太陽のように笑っておりました。それは、怪我をした時、落ち込んだ時、風邪を引いた時も例外ではありません。

 

 家族は……特に姉は、そんな彼の姿を見て心を痛めました。そして、何て優しい子なんだと誇らしくも思いました。辛い時でも、家族に心配を掛けまいと笑顔を浮かべる。その健気さに彼らは心を打たれたのです。

 

 でも、私は知っています。知っているのです。

 彼らは騙されているのです。

 

 きっと、少年は分かっていたと、私は思うのです。

 何を? と問われれば、すなわち『どういう時に、どうやって振舞えば、好感度が上がるのか』を・でございます。

 

 彼は動物のように生きています。難しいことは思考できません。けれど、自分に利する事柄なら話は別でありましょう。彼はその持ち前の狡猾さで、自分の振る舞いを決めていたのです。

 

 何故私がそう思うのか? その答えは簡単です。

 だって、家族とはいえ、あんなに美しい母と姉なのですから。好かれたいと考えるのが道理に違いありません。そして、好かれる為には、『健気な良い子』を演じるのが一番でございます。

 

 非常に卑しい思惑ですが、その目論見は成功を収めていたと言えるでしょう。

 まさかこんなに幼い子供が、そんな策略を巡らせているだなんて夢にも思わないでしょうし、そもそも彼女らは、少年の肉親になるには清い心を持ち過ぎていたのです。

 

 

 けれど、罰が当たったのでしょう。

 卑しい少年の幸せな日常は、ある日、音を立てて崩れ落ちました。

 

 

 両親が、いなくなったのです。

 それは突然の出来事でした……。

 

 

 いや、厳密には『突然』ではなかったのでしょう。

 あの優しい父と母が、何も言わずに幼い姉弟を置いて行くはずがありません。

 なので、きっと、少年が思い出せないだけなのです。

 当時の彼の年齢を考えれば仕方のない事ですが、日頃から少しでも脳みそを動かして鍛えていれば記憶に残す事も出来たかもしれませんので、やはり少年の怠慢だと言わざるを得ないでしょう。

 

 彼の記憶が定まったのは、【ロキ・ファミリア】という迷宮都市きっての大派閥に引き取られた後でした。その間の記憶は曖昧なので、正直どういう経緯なのかは彼の知る所ではございません。

 

 ただ、両親の『死』については、その時には既に胸の中に入っておりましたので、多分、引き取られる以前に、誰かしらに教えられていたのでしょう。

 

 当時の彼は、悲しみでいっぱいでした。

 雨の日も晴れの日も、寒い日も暑い日も。家でも外でも、朝でも夜でも。いつでもどこでも太陽のように笑っていた少年は、一転して毎日滂沱の雨を瞳から流しました。そんな少年を、ファミリアの者達はいつも励ましておりました。

 

 家族でもないのに、まるで本当の家族の様に……。ここでも彼は、人に恵まれる才能を発揮したのです。

 

 そして、特に熱心に少年の心に寄り添っていたのは―――やはり彼の、姉でした。

 

 目頭が熱くなりそうです。

 だって、彼女も同じく両親を亡くしている立場なのですから。自分だって辛いハズなのに、それを押しのけて泣きじゃくる弟に胸を貸しているのです。こんなの、胸が締め付けられない訳がないじゃありませんか。

 

 こんな時でさえ弟を優先する彼女の優しさに、私は必然、心を撃たれました。そして、それに懲りずに甘え続ける少年に嫌悪感さえ湧いて来たのです。けれど、今の私には何もできません。彼を叱りつける事も、姉をふんわりと抱き寄せてやる事も叶わないのです。

 私は自身の無力さに打ちのめされながら、少年の蛮行と少女の慈悲を幾日も目に焼き付けるしかありませんでした。

 

 そんな自若たる日々も、やがて終わりを迎えます。

 

 姉と、その他の団員達の努力が実り、少年は次第に活気を取り戻して行きました。

 ようやく、彼の心に降り続けた雨は止んだのです。

 

 しかし、それは対岸の太陽が天に戻ったというだけでした。対となる陸の大地は、相も変わらず大雨に地表を抉られています。癒えたのは弟の心の傷のみ。その立役者たる姉の心は、全くと言って良いほどに手つかずでした。

 

 主神や首脳陣の細かなフォローのお陰で壊れはしませんでしたが、彼女の心に巣食った闇が晴れた訳ではございません。愚かな少年がその事に気付いたのは、様子を見る限り、彼が【ロキ・ファミリア】の事を第二の家族と認識し始めた頃と言えるでしょう。

 

 ちょうどその時期に、彼の姉は神ロキから恩恵を授かりました。それはつまり、モンスターと戦う力を得たという事です。当然、まだ幼すぎるとロキ達は反対しましたが、最終的には彼女の熱意と頑固さに押し切られる形となりました。

 

 恩恵を得た姉は、来る日も来る日も、何かに憑りつかれた様にダンジョンに潜り続けました。この尋常ではない様子に、流石の彼も察します。自分達の両親を殺したのは、モンスターなのだと。だから、姉は毎日モンスターを殺しに出かけているのだと。

 

 モンスターが親の仇。

 それを理解した少年ですが、臆病な彼の闘争心に火は点きませんでした。寧ろ、あんなに強かった両親でも敵わなかった怪物だと、更に恐怖が刷り込まれる体たらくです。彼は、もう姉さえ無事でいてくれたらそれで良かったのです。だから、彼は姉が帰って来るまで、絶対に寝ないようにしました。

 

 本当は冒険者なんてやめてくれと言いたかったのですが、自分には決して向けられないあの鬼気迫る無表情を見ると、どうしてもその言葉を口にできないのです。

 

 そうこうしている内に、年月はあっさりと経過していきました。

 

 既に姉は十二歳。Lv.4になっておりました。冒険者として独り立ちどころか、実力の上ではベテラン層にさえ名を連ねております。当然、既に一人でダンジョンに潜っており、実質的な門限もありません。故に、八歳の子供()が起きているには深すぎる時刻まで潜っている事もザラになりました。

 

 それでも、少年はめげません。もはや意地です。

毎日、根性で、眠気を追い払って、姉の帰りを待っていました。

 

 そんなある日の夜、いつもの様に姉が帰ってきました。

 コンコンと、ノック音の聞こえ方で姉の帰還だと知った少年は、躊躇いなくドアへと駆け出します。

 開かれた扉の隙間からは、綺麗な金髪と、心地の良い香りが漂ってきます。戸が開け放たれると同時に顕わになったのは、やはり姉でした。直前までは無表情でしたが、駆け寄る少年を認めた瞬間、微笑を孕んだ様子でございます。

 

 何度か頭を撫でて貰った後、少年は彼女をソファーまで引っ張って行きました。そして、横暴にも膝に座らせてもらい、さも当然の様に雑談を始めるのです。

 

 幾ばくか言葉を交わすと、姉は、内緒だよ? と微笑みました。

ふっくらとした小振りな唇に人差し指を当てて、教えてくれます。どんな事だろうと能天気に考えていたのですが、次の瞬間、その思考は跡形もなく吹き飛んでしまいました。

 

 なんと、姉は今日、モンスターに吹き飛ばされたというのです。幸い怪我はしていないらしいですが、少年は気が気じゃありません。そういう危険な目にあったという告白は、これまであまりされた事がなかったからです。

 

 故に少年は訊いてしまいました。それは、姉にとっては聞かれるまでもない事だったでしょう。

 

「ねえ、まだモンスター嫌い?」

 

「……シロは嫌だ? 私がダンジョンに行くの」

 

 少年が尋ね返された質問に頷くと、少女は困った様に笑って続けます。

 

「駄目だよ。モンスターはお父さんとお母さんの仇だから。この世に存在してちゃいけないものだから」

 

 やっぱり、姉はそういう理由でダンジョンに潜っている様でした。予想は出来ていましたが、いざ本人の口から明言されると重みが違います。親の仇を討ちたい。その心の流動は真っ当なものですし、少年にも理解が出来ます。しかし、彼は悲しそうな顔を作りました。

 

 きっと、自分との時間を削ってでも、姉が敵討ち果たそうとしている事に納得がいかないのでしょう。親ときょうだいでは、親の方が大事でも仕方がない筈なのに。どうやら彼は、実の両親相手でも、姉の一番は自分でなければ気が済まない様です。悍ましい独占欲でございます。

 

 それを証明するような言葉を、ポロッと、少年は漏らしてしまいました。

 

「……僕、姉ちゃんが死んじゃう方が嫌だ」

 

 瞬間、沈黙が生まれます。

 

「あ、お母さんたちが死んで良かったって言ってるんじゃなくて……」

 

 そして、ハッとした少年は、即座に訂正しました。ですが、もう遅いです。少年はしっかりと言ってしまったのです。親の仇を討つ事なんかより、姉の方が大切だと。

つまりそれは、実の親のことなんかどうでも良いと言っているのと同義でございます。

 

 この発言に姉である少女はショックを受けた事でしょう。弟は自分とは志を異にしている。彼はあの二人の子供には相応しくないのだと。自分の弟には相応しくないのだと。

 それが分かって、急激に冷めた筈です。大好きな両親を軽視する奴など、大嫌いだと、心の底から思った事でしょう。

 

「分かってるよ」

 

「うん」

 

 その返答を聞いて、単細胞な少年はすっかりホッとした様子です。彼女の声のトーンの若干の変化にも気付かずに、安心しきった顔で眠りに落ちました。

 

 少女は今すぐにでも、自身の腕で眠る少年を振り払いたかったに違いありません。しかし、優しすぎる彼女には、そんな事さえ出来ませんでした。何故か彼の寝顔を愛おしそうに眺めていた気がしましたが、それは流石に私の見間違えでございましょう。何故なら……。

 

 

 この金髪金目の少女は、次の日から弟とまったく口を利かなくなったのですから―――。

 

 

 後日、異変に気付いた少年は困惑しました。混乱しました。そして……理解しました。

自分が放ってしまった言葉が持つ意味を。姉の地雷を盛大に踏み抜いてしまったという事を……。

 

 その瞬間、彼の目の前は闇に包まれました。

 まるで、自身の銀目に墨を塗られたかの様な景色でした。加えて、体内には鉛が入れこまれてしまった様でございます。異様に重く怠い肉体は、まったく自分の物とは思えませんでした。脳内には『嫌われた』という単語が警鐘の様に鳴り響いており、とても周囲の音を拾う事など叶いません。

 

 そんなふうな絶望を体現したような表情で、少年は立ち尽くしていました。白い肌や銀色の頭髪はいつも通りの筈なのに、色素の薄いそれらは彼の無力さを引き立たせます。

 

 少年は動けませんでした。

 その場から、という意味ではございません。

 

 直ぐに姉を追いかけて謝罪をするという選択を実行に移せなかったのです。理由は明快。怖かったからです。謝って、罵倒されるのが怖かったのです。親を軽視するという自分の発言を考慮すれば、怒鳴られる事など仕方がない結果でしょう。

 

 しかし、少年にとっての姉は、いつでも自分を全肯定してくれる優しい存在でした。そんな相手に責め苦を立たされる等、彼に耐えられる筈もなりません。

 

 結局、少年は逃げました。目を背けました。

 原因が自分にあるのだから、嫌われても仕方がないだろうと、そう開き直る事にしました。

 

 そして、姉のこと等どうでも良い。とも思い込むようにもしました。最初から嫌われても良い相手だった。最初から好きでも何でもなかった。そういうことにして、自分を欺き切れるのであれば、傷つく事もないからです。

 

 弱いですね。

 本当に、どうしようもない奴です。憐れみすら覚えます。

 

 純粋な疑問なのですが、一体前世でどんな得を積めば、こんな屑があの両親の元に生まれて来るのでしょうか? 

 

 彼を産み落としてしまった事が、アリア・ヴァレンシュタイン唯一の失敗だと言えるでしょう。彼女は確かに完璧な女性でしたが、そりゃあ人間ですもの。失敗だってします。

 

 けれど、この失敗だけは頂けない。

 一時期でも、アリアの清い子宮の中にコイツがいたと考えるだけで、吐き気が込み上げてきます。

 

 結果として、アイズ(愛娘)に要らぬ足枷を残してしまった訳ですし、やはり説教は必要でしょう。けれど、怒ってばかりではいけません。罪を許し合えなくて、どうして家族と言えましょうか?

 

 認めたくはありませんが、奴は私の家族でもあります。だから、家族の一員として()にはアレをどうにかする義務があるんです。

 

 

 だから、アイズ。

 もう少し待っていて。

 もう少ししたら、目障りなそいつを消してあげられるから。

 

 

 君の、臆病で愚劣で自分勝手で弱虫で泣き虫な愚弟を。

 

 マシロ・ヴァレンシュタインを、もう少しで始末してあげるから。

 

 

 迎えにいくのが遅くなってしまってごめんよ。また、一緒に暮らそうね。

 

 

 

 

 

 僕の、親愛なる――――

 

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