剣姫の弟の二つ名は【リトル・アイズ】   作:ぶたやま

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ようやく話がちょっとは進みそうです……。
よろしくお願いします。


第二十一話

 

 大地を一歩踏みしめるだけで、『ちゃぷっ』という音が鼓膜を突いた。

 

 水気のない階層で。

 雨など降る筈のない、迷宮で。

 

 いとも容易くブーツが濡れる。ドス黒い赤色に。

 

「………」

 

 それはまるで、ここまでの道のりの道筋を描いている様だった。

 無残に斬り捨てられた怪物達の残骸。それが、血に濡れた地面に点々と転がっている。数秒遅れで跡形もなく霧散する無数の亡骸は、自身の生きた証である『魔石』を血の池のカーペットに落としていく。

 

 そんな置き土産を拾い上げつつ、リヴェリアは金の長髪を振り乱す団員に話しかけた。

 

「………もう十分だろう。引き返すぞ、アイズ」

 

「まだ……。もっと」

 

 しかし、金の少女の口から漏れる返答は、独り言とも取れる曖昧な呟きだった。ただひとつ言えるのは、彼女に未だ帰還の意思はないという事。

 

 ここは、ダンジョンの下層域。中層までとは格の違うモンスター共の生息域である。

 けれど、そこで行われているのは、怪物達による凄惨な蹂躙劇ではなく、【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインによる壮絶な八つ当たりだった。

 

 リヴェリアは、もう何枚目になるとも知れない魔石収納用の麻袋を用意する。同時に役目を終える程いっぱいになった麻袋の群れを見眇(みすが)め、思わず溜息を零しそうになった。このパンパンに膨らんだ袋の数こそが、【剣姫】の不満の大きさの証明だ。中に入っている魔石の数だけ、下層産の魔物が屠られている計算になる。

 

 馬鹿げた話だ。

 だが、それを成せる程の荒唐無稽な力を、視線の先の華奢な少女は持っている。『第一級冒険者』とはそういう生物だ。

 

 しかし、だとしても………今、彼女が行っている“憂さ晴らし”は、異常の一言に尽きる。

 

「アイズ……」

 

「私は……私が許せないから……」

 

 怨嗟を感じさせる声色。

 荒い吐息と共に発せられたそれは、物理的に灼熱を帯びているかの様だった。仮にも只のヒューマンでしかない筈の小娘が、まるで『竜』を思わせる気迫を放っている。

 

 原因は、マシロ(実弟)との接触になるのだろう。

 一昨日の夜、アイズは弟と話した。彼の部屋を訪ね、自分の気持ちの全てを伝えた筈だ。

 

 その結果がコレである。

 昨日の朝から、アイズはかつてない程ダンジョンに入り浸る様になってしまった。もう、この事実だけで結果が芳しくなかった事が窺えるが、未だ詳しい話は聞けていない。とても尋ねられる雰囲気ではないし、訊いても口を割らない事は明らかだったからだ。

 

 鬼気迫る様子でモンスター共を魔石に……時はそれごと塵の藻屑に変えるアイズ。

 まるで『何か』から目を背けるように剣先を打ち込む【剣姫】の姿は、かつて【神の恩恵(ファルナ)】を授かったばかりの彼女を見ているようだった。

 

 つまり、スキル【復讐姫】の補正値が最も高かった頃(・・・・・・・)のアイズを。

 

 それは、危うさの具現化だ。

 今の【剣姫(アイズ)】はいつ崩れてもおかしくない。

 幾らLv.5の第一級冒険者といえども、乱れた心で生き残れる程、迷宮(ダンジョン)は甘くないのだ。

 

 けれど、そんな常識的な言葉は、今の彼女の耳には入らないだろう。

 アイズの心に巣くう、怪物種に対する苛烈なまでの復讐心。それを根本から取り除くには、悲願を遂げるしかない。だから、アイズ・ヴァレンシュタインは何処まで行っても『強さ』を求め続ける。

 

 寧ろ、ここ数年が異常だったのだ。

 意識の大半を『弟』が埋めていたお陰で、強さへの渇望が薄れていた。

 

 けれど、なにがあったのか、今のアイズは以前の【戦姫】に……【人形姫】と呼ばれていた時に逆戻りしている。

 

 もう、こうなっては気が済むまでやらせるしかないだろう。一時的にでも気が晴れるまで暴れさせて、詳細を聞き出せれば御の字。例え聞き出せなくとも、目の届く場所で爆発してくれた方が気が楽だ。

 

 

 リヴェリアは嘗て、自分達がアイズ()に行ったアドバイスを恨めしく思いつつ、『子育て』という物の難しさを改めて痛感するのだった。

 

 

 

: :

 

 

 

 もう潮時だ。

 決断するしかない。

 これ以上は引き延ばせない。

 

 

 午前8時50分。

 集合時間の10分前。集合場所であるバベル前に差し掛かりながら、リリルカ・アーデはとある事柄を熟考していた。

 彼女の頭をもたげるのは、例のフードの冒険者の提案。

 

 あの妙な男の力を借りるかどうかについて思考を回している。

 

 保留にしていたのだ。

 奴と初めて接触した時、リリルカは甘言に乗せられその場で了承してしまいそうになった。しかし、寸での所で思い止まって、一か八か考える時間を要求したのである。幸いな事に、男はそれを飲んでくれた。

 

 別に、日和って保留にした訳ではない。

 ベル・クラネルに情が沸いた訳でもない。

 

 その証拠に、昨日、単独でベルからナイフを盗み出している。紆余曲折あって、結局持ち主の元に戻ってしまったが、リリルカは未だ、あのナイフに一攫千金を夢見ているのだ。

 

 だというのに、フード男の誘いに即座に乗らなかったのは、偏に奴が余りにも怪しかったからである。顔を隠しているという外聞的要素も勿論あるが、それ以上にリリルカの嗅覚が告げていたのだ。この男と関わっても碌な事にはならないと。

 

 冒険者を忌み嫌い、唾棄し、視続けてきた彼女だからこそ分かる肌感。男の纏うステレオタイプの気持ち悪さに、信用の置けない人種だと身体中の細胞が警鐘を鳴らしている。

 

 だから、奴を頼るのは本当に最終手段だ。

 手を借りずにナイフを盗んでしまうのが一番良い。そして、さっさとファミリアから脱退し、知らんぷりしてしまうのだ。

 

 そう思って、いたのだが……。

 

「はぁ……」

 

 リリルカは大きなため息を吐く。

 もう、そんな悠長な事を言っていられる状況ではなくなった。昨日のしくじり(・・・・)で、『手を借りる前に奪ってしまう』という選択肢が完全に潰れたのだ。

 

 あの一件で、マシロ・ヴァレンシュタインの警戒心は最大限まで引き上げられただろう。レベル差が2つもあるが故の慢心も、もう有って無いようなもの。

 

 ベル・クラネルについても同様だ。彼が底抜けの世間知らずで……お人好しである事は、流石にもう分かっている。その一点を疑う事の不毛さは、これまでの迷宮探索で嫌という程に思い知った。

 

 けれど、それでも警戒されているだろう。

 あの後直ぐ、追いかけて来て……、

 

『マシロは素直になれないだけなんだ。ホントはリリを犯人だなんて思ってないし、寧ろ仲良くしたいって……』

 

 等と、意味不明な弁明を垂れていたが、流石に状況が状況だ。如何にベル・クラネルといえど、ヴァレンシュタインの入れ知恵で此方の警戒を解くための演技をしていたとしても驚かない。

 

 仮に、心優しい彼が本心で自分と【リトル・アイズ】の仲を取り持とうとしていたとしても、一晩冷静に考えれてみれば、流石に不信感を覚える筈だ。

 

 Lv.3の冒険者と、Lv.1だが既に同レベル帯最強格の冒険者。

 どちらも格上だ。圧倒的に、リリルカよりも強い。

 そんな連中に警戒される中、独力でナイフを奪い取る等もはや不可能に近い。

 

 正直、トンズラを決め込んでも良いぐらいだ。

 ベルの持つ、この世に二つとないであろう【神聖文字(ヒエログリフ)】の刻まれた業物ナイフ。それをみすみす見逃す事になるのは癪だが、欲を出し、盗んだ瞬間を抑えられては目も当てられない。

 

 彼らの事だ。恐らく腹いせにモンスターの群れに放り投げる……なんて凶行には及ばないだろう。だが、同時に見逃しもしない筈だ。仮にベル・クラネルが穏便に済ませようとしてくれても、マシロ・ヴァレンシュタインは必ずギルドに突き出すだろう。

 

 だったら、ここは我が身可愛さに手を引くのも一つの手。

 だというのに、相も変わらずあのパーティーの元に向かおうとしているのは、昨日のベルのしつこいくらいの説得が効いているのか、一攫千金を狙えるナイフに未練があるのか、それとも―――。

 

「………ッ」

 

 最後に脳裏に過った推測に、リリルカは思考の渦から弾き出された。そして、それを脳が完全に理解するより早く、ブンブンと首を振って思考の残滓を体内から追い出す。

 

 パン! と、頬を叩き、強制的に意識を切り替えた。

 

「とにかく、今日……この探索で決めるんです。手を引くか……奴を頼るか……」

 

 雑踏の中、誰にも聞こえない様な声量で、しかし自身の耳には届くように、器用に決意の言葉を舌で転がす。そんな微調整に僅かでも神経を割いていたからだろう。いや、冒険者がごった返すこの場で、それ(・・)に気付くこと自体が、そもそも不可能だったのかも知れない。

 

 

 リリルカ・アーデは今、遠方より、『何者か』に視られている。

 

 

 そして、彼女には預かり知らぬ事ではあったが、その視線の主は……ベル達がパーティーを組んでダンジョン探索を始める丁度前日―――

 

 

 

 ―――ベル・クラネルに視線を注いでいた者と同一の存在だった。

 

 

 

 : :

 

 

 ………重苦しい空気というのは、こういうのを言うのだろう。

 

 マシロ・ヴァレンシュタインは平静を装いながら、しかしハッキリとパーティーの不和を感じ取っていた。

 

 正確に言うなら、ベルに関してはいつも通りだ。

 しかし、サポーターである犬人、リリルカ・アーデについては、明らかに昨日までと態度が違う。

 

 当然だろう。信頼関係などハナからない相手ではあったが、表面上は一応協力関係となっていた。そんな相手に対し、マシロは昨日『信用していない』と受け取られるような発言をしてしまったのだから。

 

 正直な話、リリルカ本人はなんのショックも受けていないだろう。所詮、彼女にとってマシロはどうでも良い相手。というか、邪魔な存在だ。寧ろ、ベルからの同情を引けると、内心ほくそ笑んでいるに違いない。

 

 『自分はパーティーメンバーから疑われていた可哀そうなサポーターなんです。とてもショックです』と、そんな空気を周囲に……いや、ベルに向けて放っている。そうする事で、マシロを除け者にしようとしているのだ。恐らくは。

 

 そして、現状その作戦は功を奏している。

 純粋なベルは、ものの見事に犬人(シアンスロープ)の狡猾な策略に嵌り、リリルカの纏う雰囲気に居心地を悪そうにしていた。険悪な空気を敏感に察知し、どうにかしたいが、かける言葉を見つけあぐねている。彼の心情はそんな所であろう。

 

 今はまだ中立の立場を保っているが、今後もこの空気が続けば、流石に向こうへ傾きかねない。少々大袈裟ではあるが、今のマシロとリリルカは『加害者』と『被害者』の関係だ。どちらに同情が集まりやすいかは、火を見るより明らかだろう。

 

「……………」

 

 いっそ、この場で昨日の非礼を詫びておくか……。

 

 そんな選択肢が、マシロの脳裏を過る。

 一見すると妥当な一手である様にも見える。心にもないが、『謝罪』という形を示しておけば、奴も頑なに今の空気を放ち続けることは出来ないだろう。

 

 というより、ベルがいの一番に食いついて、必死に互いの仲を取り持とうとしてくる筈だ。あの白兎に引っ掻き回されて、全く態度を軟化させないとは考えづらい。本気で傷ついているのならともかく、十中八九、リリルカも演技なのだから。

 

 しかし、無視できない問題点も内包している。

 形だけとは言え謝罪をしてしまえば、それはつまり自身の非を認めるという事だ。『リリルカ・アーデをナイフ窃盗の犯人だと思っていた』という考えを、自ら否定する事になってしまう。

 

 そうなれば、ベルは大いに喜ぶだろう。

 そして同時に、胸の中に僅かでもあった『リリルカへの猜疑心』さえ完全に消え失せてしまうに違いない。見事に『偏屈な冒険者に疑われた、可哀そうな無実の少女』という認識が出来上がる訳だ。

 

 流石にそれはマズイ。

 仮にマシロ(自分)を省いて、彼らだけでダンジョンに行くような間柄まで関係性が発生した場合、警戒心ゼロのベルがリリルカに嵌められないとも限らない。

 

 この如何にも『わたし落ち込んでます』という空気はどうにかしたい。しかし、ベルの中の猜疑心も消す訳にはいかない。

 

 どうしたものか……。

 そう頭を抱えていると、不意にリリルカが雑談を振って来た。

 

「そういえば、お二人はどうしてパーティーを組んでいらっしゃるんですか?」

 

「え?」

 

 まさかそんな質問が飛んでくるとは思っていなかった……。そんな風な顔で、ベルが反応する。

 

「ああ、いえ。そういえば、お聞きしていなかったなと思いまして……。ほら、お二人は、レベルも歳も派閥も違うじゃないですか? しかも、ベル様は『新興ファミリア』で【リトル・アイズ】様は、あの【ロキ・ファミリア】。正直、知り合われた経緯すら想像がつかなくて」

 

 まあ、そういう疑問は確かに幾らでも湧いて来るだろう。

 マシロ自身、もし当事者でなければ首を傾げている自信がある。

 

 本来であれば、教える義理はない。

 だが、今は空気軟化の突破号にさせて貰う方が合理的だろう。

 とは言え流石に事細かに語るには少々面倒な説明もしなければならいので、うまく要点のみ伝える必要がある。

 

 等と考えていると、先にベルが口を開いた。

 

「えーっと、アイ……じゃない。マシロのお姉……も、まずいかな。えーと……」

 

「…………」

 

 個人名を出さない気遣いをしてくれるのは有難いが、どうやらベルのこういうアドリブ力は自分以下の様だ。マシロはため息を吐きながら、白兎の説明を攫った。

 

「ウチの身内がコイツに少し無礼を働いてな。その穴埋めだ」

 

「ほお、それは相当な事をされたんですねぇ。わざわざ何日もパーティーを組むくらいですし……」

 

「ああ、いや。別に僕は何もされてなんか……っ。寧ろ僕の方が非常識なお願いをしていたというか……」

 

「……?」

 

 ベルの釈明のリリルカが小首を傾げる。

 まあ、確かに、何日も【ロキ・ファミリア】の団員を拘束できる程のやらかしではない。

 

「元々は俺も一日だけのつもりだった。今もパーティーを組んでるのは、コイツの誘いに乗ったからだ」

 

 親指でベルを差しながらそう告げると、リリルカは大きな目を見開いた。

 

「成程、では今は単なる善意(・・)でパーティーを?」

 

「…………そう、なるな」

 

 『単なる善意』というワードを否定しない事に若干罪悪感を覚えるが、間違っても『お前を監視する為だ』とは言えないので素直に肯定しておく。

 

 すると、一瞬、リリルカの瞳が胡散臭い物を見る形へと変わった。

 

「お優しいですね、【リトル・アイズ】様!」

 

「………笑顔が固いぞ。思ってもないのが丸わかりだ」

 

「いやいや、そんな事ないですよ。本当にお優しい方だって、本心でそう思ってます!」

 

「くどい。俺がそんな奴じゃない事ぐらい、これまでの態度で分かっている筈だろう」

 

「またまたご謙遜を。だって、貴方には義理(・・)が無いじゃないですか」

 

「…………なに?」

 

 その指摘に、何故か、マシロの時が一瞬止まった。

 次の主張を聞きたくないと、そう思うが、リリルカの弧を描いた唇は止まらない。

 

「身内の無礼に対する義理は、初日に果たしているのでしょう? 二日目以降は貴方の独断。それにしては、少々ベル様への指導が熱心でした」

 

「…………」

 

「リリを警戒していたのもその所為ですよね? リリはどこの馬とも知れぬ未知のサポーター。見ての通り、人畜無害そうなチンチクリンですが、腹の中では何を考えているか分からない」

 

「…………」

 

「だから念の為、一線を引いていた。間違っても、ベル様を危険な目に遭わせない為に……」

 

「……………」

 

「義理も責務もない相手にそこまでするなんて、よほどベル様を気に入ったか、底抜けのお人好し以外ありえません」

 

「そ、そうなんだよ、リリ! マシロはとっても優しくて―――」

 

「黙ってろ、ベル」

 

 何故か自分の事の様に嬉しそうに入って来る白兎を一喝する。シュンとする彼の姿に少々苛立つ。けれど確かに、リリルカの指摘通りだとも思った。

 

 どうして、自分はベルに対しこんなにも過保護になっていたのだろう。

 

 そこまで考えて、昨日の夕方、『豊穣の女主人』に務める鈍色の髪のヒューマンにも、似たような指摘を受けた事を思い出した。

 そして、彼女の声が鮮明に、脳内に再生される。

 

 

 

『ベルさんはとっても気持ちの良い方ですから。だから、彼の為に何かをしてあげると、凄く良い事をした気分になれるんですよね』

 

 

 

 違う。

 そんな理由じゃない。

 そんな情けない理由で、ベルとパーティーを組んでいた訳じゃない。

 

 必死にあのウェイトレスの言葉を否定しようとするが、追い打ちをかけるように、現実でリリルカの声が聞こえて来る。

 

「どうして否定するのですか? 良い事ではないですか。優しいという評価は決して悪いものではないでしょう?」

 

 やめろ。

 分かっている。お前が本心で言っていないことくらい。

 煽る目的で、優しいと連呼していることくらい。

 

 お前は優しくもなんともない。酷く利己的な理由でベルに親切にしている。ただ、自分が気持ちよくなる為だけに。

 

 そう、暗に言いたいのだろう?

 

 ふざけるな。

 見当違いも甚だしい。

 

 俺がベルを目にかけた理由は―――。

 

 

「……………ぁ」

 

 

 その理由を考えて、マシロは『理由が無い』事を理解した。

 正確に言うなら『無い』ではなく、『分からない』だ。マシロ本人にも分かっていない。それは、空っぽである事と同義だった。

 

 

 ……明確な理由が無いのであれば、彼女らの言うように、本当に利己的な感情でベルに手を貸していたのかも知れない。その可能性は否定できない。

 

 心のどこかで、俺は―――。

 

「もう一度言います。貴方は『優しい』」

 

「おれ……は…」

 

 決して非難でも罵倒でもない、やさしい(・・・・)リリルカの賞賛に、マシロは掠れた声を出した。隣でベルが困惑している気配がする。どうしてコイツは褒められているのに消沈しているのだろうと、きっとそう思っているのだろう。

 

 ベル・クラネルは、リリルカ・アーデの台詞をそのまま受け取っているに違いない。なんの疑いもなく。その純朴さが疎ましく……そして、少しだけ羨ましく感じた。

 

 

「えっと……マシ―――」

 

 

 

 

 場に激震が走ったのは、その時だ。

 『緊張』ではなく『激震』。

 文字通り、地面が、『揺れた』。

 

 

 

 

 

 

 

『オオォオオオォォォオオオォオオォオオオオォオオオオ‼‼』

 

 

 

 

 

 

 

 そして、程なくして『咆哮』が大気を揺らす。

 凄まじい勢いで近づいて来ていた『揺れ』が『足音』だと気付いた時には、既にそいつの巨体(・・・・・・)は雄叫びと共に姿を現していた。

 

 捻じり曲がった二対の大きな角が頭部から生えている。二足歩行で強靭な腕があり、一見すると人型だが、それは明らかに人ではない。体格も、肌も、顔も、口も、耳も、目も。何もかもが、只の怪物。モンスターだ。

 

 しかも、そいつは本来、この階層にいる筈のない化物。雄牛型の荒くれ者。

 『ミノタウロス』。

 

「な、なんでミノタウロスがこんな所に……。し、しかも、大きい」

 

 恐怖で足を震わせるサポーターの発言通り、この個体は通常より強靭な肉体を有している様だ。本来であれば、ミノタウロスの推定レベルは『2』。Lv.3のマシロなら、問題なく倒せる程度の相手だ。

 しかし―――。

 

「……………ッ」

 

 目の前の個体から放たれる圧は、通常のそれではない。確実にLv.2からは逸脱している。恐らくはLv.3。マシロと同格。Lv.1(お荷物)を二人も抱えた状態では分の悪い相手……。

 

「リ、【リトル・アイズ】様……! どうにか―――」

 

 して下さい!

 そう続けようとしたであろうリリルカの叫びが、ミノタウロスを刺激してしまったらしい。姿を現し、此方を吟味していたモンスターは短く雄叫びをあげると共に、犬人(シアンスロープ)の少女に特攻(アタック)を仕掛けた。

 

 だが、その数瞬前に、マシロは動く。

 サポーターと化物の間に割って入り、武器の腹で、ミノタウロスの突進を受け止めた。

 

 我に返ったらしいベルが、震えた声を出す。

 

「ま、マシ…ロ……?」

 

「……ッ。呆けてんじゃねぇ! 死にたくないなら、アーデを連れてとっとと失せろ!」

 

「で、でも……ッ⁉」

 

「このミノタウロスは強化種だ! お前等を守りながら戦える保証はない!」

 

「………ッ」

 

「分かったら、行―――」

 

 『分かったら、行け!』。

 そう叫ぼうとした瞬間だった。

 目の前の、この唾競り合いを続けているミノタウロスとは比較にもならない程の轟音と衝撃……それが、マシロの全身を右側方から襲った。

 

 

 ミノタウロスと会敵したのは、十字路だ。

 右側からの物理的な衝撃に、マシロは左側の通路へと吹き飛ぶ。それも、途轍もない速度で、途方もない距離を。

 

「が……あ…ッ」

 

 通路の壁に激突し、漸く止まる。

 身体中の空気を肺から吐き出し、暫く呼吸すらままならない中で、その足音が、鼓膜に届く。同時に、『何者か』の気配を感じた。

 

 どうにか息を整え、四つん這いになりながらも顔を上げる。

 まず目に入ったのは、黒い二本の細い棒だった。それが人の足だと気付くのに、そう時間はかからない。

 

 そのまま身体を起こし、前方にいる『襲撃者』の顔を確認して―――マシロは戦慄した。

 

 

 

「お、まえ……は」

 

 

 

 ウソだ。

 うそだ、うそだうそだ。

 

 ありえない。

 意味が分からない。

 

 なんで。

 

 

 そんな感情が、悉く脳を支配する。

 

 

 マシロの銀目が捉えたのは、全身黒い装備を纏った細身の男だった。身長もそこまで高くはない。無論、マシロに比べれば圧倒的に長身だが、屈強な男の冒険者たちの平均身長と比較すれば『小柄』と言わざるを得ないだろう。

 

 顔は、目元を隠す面に殆どを隠されている。だが、そんな程度の隠蔽で『彼』の素性を見誤る者など、このオラリオには存在しない。

 

 

 

「……どうして、お前が……ここにいる………」

 

 

 

 漆の様に黒い髪。

 そこから生える、猫人(キャットピープル)の証たる耳。

 右手に握られた、身の丈程の長さの銀の槍。

 

 

 

「なぜ、お前が邪魔を……しやがる?」

 

 

 

 それは、迷宮都市オラリオに於いても、数える程しかいない冒険者の頂点。

 【ロキ・ファミリア】の“幹部陣”よりも格上であり、“首脳陣”と同格の『規格外』。

 

 

 

 

 

「【女神の戦車(ヴァナ・フレイア)】………!」

 

 

 

 

 

 あのベートを差し置いて、『都市最速』の称号を手にしているLv.6の第一級冒険者。

【ロキ・ファミリア】と双璧を成すもう一つの最大派閥……【フレイヤ・ファミリア】の幹部。

 

 

 

 アレン・フローメルが、そこにいた―――。

 

 





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