剣姫の弟の二つ名は【リトル・アイズ】   作:ぶたやま

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第二十六話

 

 分からない。

 分かりたくもない。

 なんだ、これは。

 いったい何が起きている?

 

 

 とても自分の物とは思えぬ咆哮が、口から出た。

 いや、自分どころか人の物とも思えない。あれだけ憎み恨んできた怪物種を彷彿とさせる大絶叫。不倶戴天のそれらと同列に堕ちてしまうような錯覚さえ感じられたが、最早どうでも良かった。そんな事が些事と思える程の『絶望』が目の前に広がっていたから。

 

 あかアカ赤緋朱紅赫―――。

 目を見張るほど綺麗な銀色が、目を背けたくなるぐらい醜悪な(アカ)色に染まっている。まるで良くないモノに憑りつかれてしまったかの様に、冗談みたいな量の血が()の身体から抜け出していた。

 

 

 身体の熱は8割方失われ、呼吸はアイズ自身の轟声が呑み込んでしまっている。手足に力はなく、こうして抱き抱えていなければ地面と抱擁を交わすだろう。半開きの銀目に光が灯る気配はない。血の気の引いた白い顔には、特に口元周辺にベッタリと血の化粧が施されている。

 

 

 …………素人でも分かる。

 物心ついた程度の幼子に見せても、きっと同じ事を言うだろう。

 

 

 

 

 

 

   『もう、この子は助からない』。

 

      『弟が』

 

 

 『マシロ・ヴァレンシュタインがここで死ぬ』

 

 

 

 

 

 

「ぁあぁああぁぁああああああぁあああぁぁああぁぁあああああぁぁああぁぁああああああああああぁあああああぁぁあぁぁぁぁ」

 

「落ち着け、アイズ! 早くポーションをかけろ! 私も直ぐに回復魔法を―――」

 

「もうやってる! やってるけど、塞がらないの!!」

 

「なに……!?」

 

 絶叫を掻い潜って届いたリヴェリアの指示に、金の少女アイズ・ヴァレンシュタインは取り乱しながら被り振る。そんな事は、この惨状と対面した瞬間に既に試した。けれど、効果が表れない。万能薬(エリクサー)からハイ・ポーション。数の暴力を成せる通常のポーションに至るまで、手持の全てを消費したというのに、弾かれたように銀の子供の肌を滑り落てしまう。まるで、治療されるのを拒んでいるかの様に。

 

「【隷属演陣(スレイブ・アクト)】を使ったのか……!? くそ! 丸一日治療できんぞ!?」

 

 呪いの様な事実を口にする副団長(リヴェリア)

 聞きたくなかった……否、向き合いたくなかった現実を直接鼓膜に捻じ込まれて、ついにアイズは限界を迎えた。一瞬で彼女の纏う風が黒く変色し、苛烈なまでの『絶望』と『憎悪』が外界へと牙を剥く。

 

「……ッ! 誰がッ!!」

 

 自分とほぼ同時にこの場所へ辿り着いた王族(ハイ・エルフ)を除く全員に、純然たる殺意を向けた。少し離れた所で直立しながら微動だにしない白髪の少年に、実弟を背負って逃げまどっていた犬人(シアンスロープ)の少女に、そして、その少女ごと自身の『最愛』に飛びかかっていた黒髪の男を吹き飛ばした方角を順番に睨みつけ、叫ぶ。

 

「誰がこんな酷い事を!? 絶対に許さない……! よくも私の弟を……っ」

 

 犬人(シアンスロープ)の喉から短い悲鳴が漏れた。完全に怯えている。その委縮したきった様子からは、とてもマシロ(Lv.3)を殺せるようなポテンシャルは感じられない。恐らくは潔白。けれど、知った事か。可能性がゼロでない限り全員敵だ。

 

 同じ理由で向こうで立ち尽くしているヒューマン(ベル・クラネル)にも殺気を飛ばす。正直に白状するなら、一番怪しいのは断トツで最初に吹き飛ばした異形の男なのだが、アイズはこの場に最初からいた訳ではないのだ。状況を正しく把握しきれない以上は全員が容疑者。砂粒程度の可能性とて、絶対に逃がしはしない。

 

「あ、あの……今、あなたが吹き飛ばした………」

 

 恐る恐るといった声色で、栗毛の少女が崩落した壁を指し示す。つまりは、一番怪しかった黒髪の冒険者が、順当に犯人だったという訳だ。

 

「………そう」

 

 アイズは、少女と少年への殺気を消す。

 消して、とある一点に全ての瞋恚を集中させた。《デスペレート》の柄を握り直し、最初に攻撃を加えた相手に止めを刺しにいく。だが、あろうことか、味方に制止をかけられた。

 

「待て、アイズ!」

 

「止めないでリヴェリア。あの男だけは、この手で殺す」

 

「奴ならもう死んでいる! 出会い頭にお前の不意打ちをモロに喰らったんだぞ!? 良くて重傷だ! 放っておいても直に息絶える!」

 

 何を言っているんだ、リヴェリアは。だから、急いで止めを刺すんじゃないか。確実に、この手で……最も痛みを、苦痛を、後悔を、絶望を与えられる場所を抉って殺すのではないか。絶対に、このまま楽に逝かせてやるものか。マシロ(あの子)に手を挙げておいて、そんな生ぬるい最期が許されてたまるか。神が許しても、私が許さない。私が―――。

 

「言った筈だ! お前だけはあの子の事を諦めるなと! マシロはまだ死んでいない! 今も必死に! 生きるために心臓を動かしている!」

 

「―――!」

 

「上級冒険者の生命力に賭ける場面だろう! こんな無駄な時間で、僅かに繋がっている希望の糸を切るつもりか!?」

 

「………!」

 

「走れアイズ! 私も後から追いつく……お前の全力で、マシロをアミッドの元へ届けろ!」

 

「リヴェリア……ごめん!」

 

 我に返ったアイズは、マシロを抱き抱えたまま、地上へ向けて驀進を始めた。風はもう黒くない。外界への怒りが、実弟への想いで上書きされたからだ。そして、早々に諦めた己を唾棄する。冒険者としての歴が長い弊害だろう。傷の状態を見れば、助かるか助からないかの凡その見当は付けられる。今回は完全に後者だったから、無意識の内に『敵討ち』を優先してしまった。まだ、弟は死んでいないのに。

 

「ごめんね、シロ……っ。こんな時まで……、こんな、馬鹿なお姉ちゃんで……っ」

 

 本当に自分は我儘で子供だと思う。簡単に黒い感情に囚われる。最期の時まで彼と一緒に居てあげるべきなのに。どれだけ絶望的でも、助けるために尽力すべきなのに。けれど、両親が死んだあの時より時間の止まった彼女は、直ぐに癇癪を起してしまう。心の傷に堪えられず、周りにあたり散らしてしまう。ほんの一時でも苦しさから逃れる為だけに……。

 

 アイズは、思い切り下唇を噛んだ。

 柔らかな唇は第一級冒険者の咬合力に些細な拮抗すら出来ず、艶やかな薄い肌に鮮血が咲く。滲んだ血は、涙と混ざってボタボタ落ちる。赤い雫が際限なくマシロの頬に着地し、悉くその肌を滑った。そして、流れ着いた先は―――。

 

 

: :

 

 

「痛いよぉお、アイズお姉ちゃぁぁああん!!? なんで、いきなり攻撃するのぉぉお!!?」

 

 風を切り、足を地面にめり込ませる勢いで戻って来たその男は、言葉を選ばなければかなり毒々しい風貌をしていた。血走った赤黒い眼球に、唇の削ぎ落された口回りだけでも中々ショッキングだと言うのに、それらの不気味さを助長する様に肌の色は当然の如く悪い。

 

 けれど、小作りの鼻や、女の様に手入れを施された小綺麗な黒髪。そして、成人男性の領域内には収まっているものの何処か華奢な印象を受ける身体つきが、この男が本来中性的な顔つきをしていたであろう事実を伝えて来る。

 

 そういったアンバランスさが、印象の気持ち悪さを際立たせているのだろう。確認するまでもなく、この亡霊の様な男がマシロを殺そうとした張本人に違いない。リヴェリアは腹の底から湧き上がる怒りを抑えつけ、口を開いた。

 

「貴様は何者だ? 何故マシロを狙った?」

 

「なんで『ソレ』を連れて行くのさぁぁあ!? 『ソレ』を食べなきゃ、僕たちはホントの家族にはなれないんだよぉ!? そりゃあ、気持ちの上じゃもう家族だけどさぁぁあ!!」

 

「………おい」

 

「そもそも感動の再開シーンじゃないか!! あんな半死人ほっといて()を抱きしめて下さいよぉぉォォ………」

 

「おい!」

 

「なんですか!? うっさいよ、おばさん!!」

 

「貴様………っ」

 

 一人で興奮し、勝手に逆上してくる男に対し、リヴェリアの心証がどん底を突き破る。怒気を一層込めた視線を送ると、奴はようやく此方と会話をする気になったようだった。

 

「アレレ? もしかして、『おばさん』は禁句だった? エルフは年齢感が他種族(ほか)とズレていていけないね……。でもお姉ちゃんは烏滸がましいし、お母さん?」

 

「黙れ。私は貴様の姉でも母でもない。そして、アイズもお前の姉などではない」

 

 アイズの弟はマシロただひとりだ。

 どういう意図で奴がアイズの事を『お姉ちゃん』と呼んでいるのかは知らないが、その一点だけは訂正しておかなければならない。

 

「もう一度訊く。貴様は何者だ? 何故マシロを襲った? 自分の意思か、それとも誰かの命令か?」

 

 一方的に質問をぶつけながら、しかしリヴェリアは適切な距離を保ち続けた。【剣姫】の殺す気の一撃を喰らって生きている相手だ。全身血みどろではあるが、見た目ほど堪えている様子もない。確実に『第一級冒険(Lv.5以上)者』の強者だろう。如何にリヴェリア・リヨス(Lv.6)・アールヴと言えども、決して油断できない相手だ。けれど、『都市最強の魔導士』の警戒を余所に、男は緊張感のない台詞ばかり吐き紡ぐ。

 

「まったく、君といいリリちゃんといい、どうして僕を疑うのさ? 『アレ』をボロボロにしたのは僕じゃない。私だってビックリしたんですよ。『まだ食べるつもりなかったのに死にかけてる!? 急いで食べなきゃっ』て」

 

「………食べる、だと?」

 

「そーだよ~」

 

 男は丸い目をこれでもかと細めながら微笑んで、自身の口の中に片手を突っ込んだ。唾液でぬらぬら濡れた指が、何かを摘まんでいる。一見ではそれが何か分からなかったが、直ぐに奴が『回答』を告げて来た。それはそれは愉悦に歪んだ表情で。

 

「コレ、『アレ』の指」

 

「―――」

 

 【九魔姫】の脳が停止した。

 奴のいう『アレ』がマシロであることは疑いようがない。『アレ』の指とはつまり、マシロの指。要するに、『食べる』という発言は比喩でも何かの隠語でもなく……実際に、マシロの(肉体)を嚙み千切ったという事。

 

「ふざけるな……、ふざけるなよ貴様! どうしてマシロを狙う!? アイズを姉と呼んだ事といい……貴様はいったい何者なんだ!?」

 

「ちょ、なんでそんなに怒ってるの? ああ、そうか、自己紹介が遅れて怒っているんですね! 失礼しました、リヴェリアさん! 僕の名前はねぇ……」

 

 舐めた態度で見当違いの認識を顕わにする狂気の男。リヴェリアは会話が成立しない事に嫌気が差しつつも、僅かでも素性を探ろうと返答を待った。しかし……。

 

「名前……名前、は……。あれ……? なまえは、えっと。『僕』の……『私』の……え??」

 

 唐突に、頭を抱えて混乱し始める。その様子に作為的な気配は認められず、素で自分の名前が分からない印象を受けた。「うぅ…うぅ……」と苦しそうに呻く男は、数秒そうしていたかと思うと、唐突に天を仰ぐ。次に口が開かれた時には、混乱()収まった様だった。

 

「でもでもでもでも、アイズお姉ちゃんも酷いよね。まだ指しか食べてないのに連れてっちゃうんだもん。何の為に『アレ』を産ませたのか、親から聞いてないのかなぁ。ちゃんと伝える様に、『兄さん』に頼んでおいたのに……」

 

 短期記憶が無いのかと疑う程の豹変ぶりに、リヴェリアは怒りよりも困惑が勝った。明らかに第三者に理解させるつもりのない、不親切な講釈。それを、半ば(ほう)けながら聞いていると、次第に弁に熱が籠り始める。

 

「兄さんなんて嫌いだよッ。僕の方が先に好きだったのに、姉さんを……アリア(・・・)を横取りするし……! そんな姉さんと瓜二つのアイズちゃ……アイズお姉ちゃんとも中々合わせてくれないし……!私は、こんなに好きなのに! 僕も○○になりたかっただけなのに!」

 

「き、貴様、さっきから何を言って―――」

 

「ああああああぁぁぁぁぁああああ!! 好き好き好き好き、大好き! アリアお母さんもアイズも大大大好き! 笑顔が好き! 声が好き! 仕草が好き! 髪が好き! 匂いが好き! 目が好き! 優しい所が好き! 鼻が好き! 歯が好き! 天然な所が好き! 口が好き! 家族思いな所が好き! 指が好き! まつ毛が好き! 耳が好き! ちょっと意地っ張りな所も好き! 首が好き! 鎖骨が好き! 肌が好き! 皮膚が好き! 胸が好き! 太ももが好き! 腕が好き! 眉毛が好き! くびれが好き! 爪が好き! 腰が好き! 足が好き! お尻が好き! 身長が好き! 手が好き! ウェストが好き! おへそが好き! 息遣いが好き! 肩が好き! 舌が好き! 唾液が好き! 鼻孔が好き! ほっぺが好き! 骨格が好き! 眼窩が好き! ふくらはぎが好き! 血液が好き! 天使! 絶世の美少女! アリアとアイズお姉ちゃんの前じゃ、美の女神なんて塵も同然! フレイヤだって凡夫に成り下がる!! だから、()は! 僕も(私も)! 私だって!(僕だって!)、アリア姉さんやアイズちゃんと同じになりたいんだぁ! そう言ったじゃないか兄貴ィイ! もう()の邪魔しないで下さいよぉぉぉぉぉお⁉」

 

「………ッ!」

 

「く、狂ってる……」

 

 ボソッと呟かれた犬人(シアンスロープ)の少女の言葉に、流石のリヴェリアも同調せざるを得なかった。発狂から始まり恍惚とした笑みで好き好き連呼したかと思えば、唐突に美の女神達に喧嘩を売り、眷属達に聞かれたら大惨事になりかねない暴言さえ吐き、最後は呪詛の籠った涙声で天を仰ぐ。

 

 控えめに言って気が触れているとしか思えなかった。

 常人ではない。その風貌どおり『狂人』の域に達している。既に色々と壊れているのだろう。一人称や、人名の呼び方、口調がつぶさに切り替わるのが良い証拠だ。きっと、この男は自分の立ち位置(・・・・)すら分かっていない。

 

 こんな破綻者相手に、『マシロを喰う理由』を問い質しても答えが返って来るとは思えなかった。仮に返って来たとしても、信憑性に欠ける。そもそもここはダンジョンだ。階層域を鑑みれば考えづらいが、シンプルにモンスターにやられただけという可能性も無くはない。

 

 それに、精霊の血を宿す(・・・・・・・)マシロを喰う理由など、深く考えずとも想像は付く(・・・・・)。本当にこの推測が正しかった場合、目の前に男は稀代の夢想家という事になるが、何せ奴は破綻者だ。正常な思想を求める方がどうかしている。

 

「もう良い。貴様と話して得られる物は何も無いと知れた」

 

「あれ? まさかおばさん、僕と戦うつもり? リヴェリアさんは生粋の魔導士でしょう? 長ったらしい詠唱してる内にお腹かっ捌いちゃうよぉ? 平行詠唱もLv.5の私の前で易々できるとは思わない事です。白兵戦なら僕の方が強いんじゃない?」

 

 流石に臨戦態勢に入ったLv.6を前に狂ってはいられないのか、奴は発狂をピタリと止めて舌を回した。けれど、興奮は収まっていないらしく、酷く早口だ。聴力に優れたリヴェリアでさえ、言葉の半分も聞き取れなかった。が、要点は理解する。つまりは、『魔導士が一人で戦えると思うのか』と嘲笑っているのだ。確かに、その主張は一部理解出来る。基本的には、後衛は前衛に守られながら一撃必殺の砲撃を放つ役職だ。【九魔姫】は、純粋な後衛魔導士に分類される。如何に『都市最強の魔導士』と言えど、その前提からは逃れられない。

 

「あまり舐めてくれるな、小僧。貴様如きを往なす程度、私ひとりで造作もない」

 

「……随分大きく出るんだねぇ。もっと謙虚な方だと思っていましたよ……。僕に倒される前振りとしては、十分ですね」

 

 丸い目がギラついたかと思うと、男は肩まで伸ばした黒髪を後ろになびかせ、怪我人とは思えぬスピードで迫って来た。まるで影の中から現れたかの様に、ヌッと視界の中に入って来る。恐らく、奴が同じレベル(Lv.6)だったなら、リヴェリアはそのまま腹を斬られていただろう。だが、今回ばかりは相手が悪い。

 

「成程、確かに機敏だな」

 

 そう嘯きながら、『都市最強の魔導士』は軽々と男の斬撃を躱した。速い事には速い。そして、地形や薄暗さを利用して、敵の目に留まりにくい動きで攻めて来る。多少大袈裟ではあるが、時間が飛んだような錯覚さえ覚える為、かなり戦い辛いと言えるだろう。

 

 しかし、リヴェリアには通用しなかった。

 蝶のように舞い、髪にすら刃先を引っ掛けずに、踊るように回避を続ける。そこに無駄な動きはなく、消耗する気配すらない。このまま小一時間踊り続けた所で、【九魔姫】は息一つ乱さないだろう。

 

「くそ! なんで……!?」

 

 ブンブンと得物を振りかざす男の呟きに答える気すら起こらない。単純に身体能力が違いすぎるのだ。その上で彼女は冷静に全体を視ている。敵対する冒険者を見失わぬ様に、目を凝らしたりはしていない。常に俯瞰的な視点で動きを追っている為、惑わされる事がない。正直、奢りでも何でもなく、リヴェリアにはこの相手に負けるビジョンが視えなかった。それ程までに、年季が違う。

 

「【終末の前触れよ、白き雪よ。黄昏を前に(うず)を巻け―――】」

 

「―――!!?」

 

 詠唱を諳んじ始めた瞬間、目に見えて男の動揺が伝わった。撤退するか、このまま攻めて来るかは分からない。けれど、リヴェリアからすればどちらでも構わなかった。攻めて来るならこのまま詠唱を完成させ、魔法で蹂躙する。撤退するなら深追いはせず、立ったまま気絶しているらしい白髪のヒューマンと、そこで腰を抜かしているサポーターの少女を連れて地上に帰還する。とにかく、始末できなくともマシロから遠ざければいい。考えたくはないが、恐らくこれがアイズとマシロの最後の時間となる筈だ。たとえそれが僅かな時間だったとしても、絶対に邪魔はさせない。

 

「【閉ざされる光、凍てつく大地―――】」

 

「くっそ……!」

 

 煌めく凶刃が、一瞬前までリヴェリアの頭部のあった場所を突き刺した。空を切った刃を横目で見ながら、一層激しさを増した攻撃を難なく避ける。『継戦か……』と、胸の内で呟いて、王族妖精はいよいよ詠唱を完成させようとした。その瞬間―――。

 

「がッ!?」

 

 

 翡翠色の麗人が、赤色に染まった。

 

 

 男が唐突に自身の左手首に得物を突き刺したのだ。その返り血を浴びて、リヴェリアは染まった。余りの事態に、流石の彼女も詠唱を中断し、身構える。

 

「いきなり何を―――」

 

「ふ、ふざけるな……! こんな時に出て―――」

 

 どんな企みかと思えば、男は恨めしそうな言葉を吐いた。しかし、それは敵対者に向けられたものではない。彼の視線は自分にも、サポーターの少女にも、白髪のヒューマンにも向いていない。では一体誰に対してなのか……。その答えは、直ぐに察せられる事となった。

 

 

 

 

 

「逸るな。お前では【九魔姫】には勝てない」

 

 

 

 

 

『狂人』だった筈の存在が、『賢人』を思わせる声色を奏でる。声質は先程までと同じなのに、まるで異なった印象を受けた。それこそ、他人の声だと錯覚する程に……。『なんだ、お前は?』。そう口を挟む前に、『狂人』の言葉が男の口から発せられる。

 

「そんな事ありません! 見ていなさい、今にでもリヴェリアさんの首を!」

 

「黙れ。彼我の差も理解出来ん若造がピーピー喚くな」

 

「何を……ッ!」

 

「事実だろう」

 

 それは、実に不思議な光景だった。

 男は『狂人』と『賢人』を行ったり来たりしている。まるで、同一の身体に二つの精神が宿っているかの様だ。思わずそう認識してしまう程、目の前では自然な会話が成立していた。普通に考えれば『狂人』故の一人芝居にしか思えないが、それにしては『賢人』の瞳に知性が宿り過ぎている。もし仮にコレが演技であるならば、この男は『冒険者』ではなく『役者』に転職した方が良いだろう。

 

「なんなんだ、貴様()は……」

 

 リヴェリアは、そう呟いてしまった。『貴様』ではなく『貴様ら』と漏らしてしまったのは、完全に無意識である。それに反応したのは『賢人』の方だった。

 

「ああ、すまないな【九魔姫】。直ぐに消えるから、数々の無礼は水に流してくれ」

 

「………逃がすと、思うのか?」

 

「思うさ。そもそも、お前に深追いする気はないだろう?」

 

「…………」

 

 心理を見透かされている。

 やはり、先程までとは別人だ。比喩抜きで人が変わったとしか思えない。あれだけ不気味だった容姿が、今では『変わり者の学者』のようにさえ見える。本当に、印象が360度変わってしまった。

 

「そうだ、【九魔姫】。アイズとマシロ(・・・)の世話を焼いてくれているそうだな。礼を言わせてくれ。これからも(・・・・・)2人を(・・・)よろしく頼む(・・・・・・)

 

「―――!!」

 

 『ソレ』や『アレ』ではなく、急にマシロを名前で呼び始めた『男』の言葉に、リヴェリアは弾かれた様に目を見開いた。そして、直ぐに表情を歪め、『賢人』と化した男を睨みつける。

 

「なんの当て付けだ……? マシロは……もう」

 

「あいつは死なないぞ」

 

「………!?」

 

 さも当然の様に断言する男に、リヴェリアは瞠目した。どうしてか、『この男がそう言うのなら、そうなのではないか』と考えてしまう。そうさせるだけに力が、今の彼にはあった。

 

 けれど、そんな訳はないのだ。常識的に考えて助かる訳がない。何故なら、スキルの効果で治療行為そのものが始められないからだ。それでもアイズを治療院に奔らせたのは、彼女に後悔をさせない為である。『最後まで弟を救おうと奔走した』という事実は、今後の彼女の大きな心の支えになる筈だから。

 

「まあ、お前達が現れなければ死んでいたがな。アイズが近くにいるのなら、マシロは死なない。というより、それで死ぬならよほどの藪医者に当たったという事だ」

 

「アイズがいれば……だと? 何を言っている? あの子は回復魔法など使えない……。そもそも、今のマシロに治療行為は―――」

 

()は事実を述べているが……信じられないのならそれで良い。ここで幾ら語り合った所で、結果は変わらない」

 

「………!」

 

「俺に噛みつく暇があるなら、さっさと地上に戻れ。その方がよほど建設的だろう」

 

 反論できなかった。

 その通りだと、【九魔姫】をして思ってしまったから。

 俯いていると、男の足音が耳に付く。遠ざかっている。本当に撤退するらしい。視線を上げると、既に奴の背中は小さくなっていた。目の錯覚ではない。気配も実際に離れていく。とても何かを企んでいる人間の足取りには見えなかった。

 

『賢人』の消えたダンジョンの一角で、リヴェリアは肺から深い息を吐きだした。頬に伝った冷や汗と共に―――。

 

 

:  :

 

 

 

「…………な……にを、言ってるの……アミッド?」

 

「…………………手遅れだと、申し上げています」

 

「……………………………………」

 

 

【ディアンケヒト・ファミリア】の運営する治療院。その数ある緊急処置室の中の一室で、迷宮都市最高峰の治癒師(ヒーラー)が、金の少女に残酷な現実を突きつけていた。打ちひしがれながら沈黙する【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインに対し、アミッド・テアサナーレは目を伏せながらも説明を始める。

 

「重症には違いありませんが、外傷一つ一つは上級冒険者の生命を脅かすものではありません。偶然か意図的か……急所への攻撃は極力避けられている印象を受けます。腹部の鬱血と内臓へのダメージは流石に看過できませんが、それも我々が命を繋げられない程ではないでしょう」

 

 そう、傷の程は問題ではなかった。

【ディアンケヒト・ファミリア】所属の優秀な治癒師(ヒーラー)達なら、悪戦苦闘はしても、十分完治まで持っていけるレベルだろう。無論、新人や能力に劣る者ならその限りではないが、この状態の重傷患者にそんな未熟者が付く事など有り得ない。故に、成立しない仮定だ。

 

「ですが、血を失い過ぎている。その影響で肉体の衰弱具合いが尋常ではありません。おまけに、傷口が塞がらない為、今こうしている間にも血液が減り続けているのが現状です」

 

 聖女は自若たる思いで薄い唇を噛んだ。回復魔法や万能薬(エリクサー)を使用しても一向に良くならない傷口を仇敵のように見つめる。真っ赤な顔で泣き腫らした金の少女(アイズ)が言うには、この少年は『どんな状態でも動けるようになる代わりに、一切傷が治らなくなるスキル』を使ったらしい。

 まさしく、治癒師(ヒーラー)泣かせのスキルである。『全ての傷を癒す』という信念のもと、蘇生一歩手前の治療さえ可能にしてしまう【戦場の聖女(デア・セイント)】の荒唐無稽な治癒能力すらも通用しない。どれだけ高度な治療行為も、今のマシロの前では等しく無力だった。

 

 唯一、物理的に傷口を縛って血を止める方法なら効果はありそうだが、それも焼け石に水。留めておくのにも限界があるし、何より、縛りようの無い切り傷からは容赦なく血が逃げていく。

 

「正直、まだ息がある事自体が奇跡のようなものです。アイズさんの仰ったスキルの効果に偽りがないのなら、彼の傷はあと23時間以上塞がらないという事……。とても、持たせられません」

 

「……………アミッド、でも?」

 

 ポツリと落とされたか細い呟きに聖女は瞑目するしかなかった。が、心を鬼にし、更なる絶望を唇に乗せる。

 

「予想できる死因は、何も出血死だけではありません」

 

「……」

 

「彼の体力が尽きたらそれ迄です。内臓に蓄積したダメージが原因で衰弱が早まるかも知れません。いつ心肺機能に支障が現れるとも知れませんし、身も蓋もない話ですが、今この瞬間にショック死する可能性だって十分あります」

 

 加えて、塞がらない傷口からは細菌が入り放題だ。流石に、治療院内(ここ)で感染する可能性は低いだろうが、この少年はダンジョンで傷をこさえて来た。正直、既に何らかの細菌に蝕まれていても不思議ではない。

 

「…………」

 

「………アイズさん。酷な提案を致します」

 

「………………………………………………………………………………………………はい」

 

 返事は無いと思った。

 けれど、彼女は確かに掠れ声で応答した。

 恐らく、これから何を言われるか、予測が付いているのだろう。【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインは天然だなんだと言われているが、愚鈍ではない。この状況で治癒師(ヒーラー)が口にしなければならない言葉など分かっている。ただ、聞きたくないだけで……。

 

「“外部からの一切の治療を受け付けない”。ならば、患者自身の自然治癒力を向上させる方法なら通用する可能性があります」

 

「ほんと―――」

 

 そう告げた途端、一瞬で金の瞳に希望の光が灯った。しかし、【戦場の聖女(デア・セイント)】は硬い面持ちのまま、前のめりになった少年の姉を目で制す。聡い彼女は、それだけで全てを察したのだろう。今度こそ、その端正な顔が絶望に染まった。都市最高の治癒師(ヒーラー)は、派閥に団長としての仮面を貼り付けながら、酷薄に事実のみを伝える。

 

「しかし、この方法では爆発的な治療効果は望めません。強引に自然治癒能力を引き上げたとしても、これほどの傷を生存可能ラインまで癒すとなると法外な体力を消耗させる事になります。既に衰弱しきっている彼が耐えられる保証はありません」

 

「そんな………」

 

 という呟きが、微かに、だが確かに鼓膜を突いた。

 改めて【剣姫】の顔を見る。横になって目を瞑れば死体と見紛う。そう確信する程、彼女は蒼白だった。

 

「選択肢は2つ。このまま何もせずに“最期”を待つか、1%にも満たない可能性に懸けて治療を行うか……」

 

「…………」

 

 『治療を行う』。

 そんな言い方をしてしまった自分に腹が立つ。生き繋げる確率が限りなくゼロに近いと断言しておいて……。こんなもの、二択と言いつつ一択だ。結局、治療をしようがしまいが、マシロの行き着く先が『死』である事には変わりない。

 

 アミッドは、寝台の上で死んだように目を瞑る患者の顔を静かに見遣る。マシロ・ヴァレンシュタイン。特別親密な関係ではなかったが、決して知らない間柄でもない。【ロキ・ファミリア】は【ディアンケヒト・ファミリア】のお得意様だ。顔を合わせる機会も、言葉を交わす機会だって、それなりにはあった。

 

それこそ、【神の恩恵(ファルナ)】を授かるまで、彼はファミリアの者達に連れられてよく買い物に来ていたのだ。自分よりも若く背丈も低い希少な同族(ヒューマン)を相手にお姉さん風を吹かせた事は、一度や二度ではない。

 

「………輸血も、ダメ……なの?」

 

 過去を懐古していると、アイズの弱々しい質問に、現実に戻される。

アミッドは密かに息を吐いた。その類の質問が飛んでくると、予想できていたからだ。ここで、出来ないと偽る(・・)のは簡単である。単純に、血のストックが無いと、そう嘘を伝えれば良い。しかし、聖女は敢えて本当のことを語った。それは、弟を助けてあげられない事に対する、ほんの少しの罪滅ぼしだった。

 

「傷を塞げない以上は、輸血をしても最終的に体外に流れ出てしまいます。無論、入れた傍から直通で、という訳ではないので一時凌ぎにはなるでしょう。ストックしてある血を全て使えば、スキルの効力が切れるまで持たせられるかも知れない(・・・・・・)

 

「だ、だったら……!」

 

「ですが、持たないかも知れない。いえ、その可能性の方が遥かに高い。仮に持ったとしても、そこから治療して間に合う保証は何処にもない。一命をとりとめたとしても、その後急変して命を落とすかも知れない」

 

「………!」

 

「もう……そういう段階なのです。徒労に終わる可能性が高い以上、輸血は出来ません。血液のストックは、そう簡単には貯まりませんから……」

 

 その血があれば救える患者が、これから運び込まれてくるかも知れないのだ。たらればではあるが、決してあり得ない話ではない。ならば治癒師(ヒーラー)として、残酷な判断もしよう。例え、それで【剣姫】に恨まれる事になったとしても、1人でも多くの命を救う事が、自分に課せられた責務なのだから……。そんな覚悟と共に、アミッドは友人からの言葉(罵倒)を待った。けれど―――。

 

「だったら、私の血を使って」

 

「え?」

 

 悪魔だなんだと罵られる想定をしていた聖女は、予想外の要望に反射的に声を漏らす。すると、それが呼び水になってしまった様に、アイズが肩を掴んで来た。まるで、取っ組み合いでもしようかという勢いで、Lv.2の身の上ではとても抗えない。

 

「私とシロは同じ血液型だから……! 私の血、全部使って良いから! お願いだからマシロを助けて!!」

 

「…………!」

 

 気圧される。いっそ、恐怖さえ覚える。

 それ程までの必死の懇願だった。

 歴の浅い治癒師(ヒーラー)なら、心を打たれ、彼女の意を汲んでしまう者も出てくるかも知れない。その気持ちは理解出来るし、人として正しいとも思う。けれど、アミッドは心を殺した。人形の様な精緻な顔に一切の同情を乗せず、同じく人形の様に美しい少女の願いを斬り捨てる。

 

「出来ません。アイズさん1人分の輸血では焼け石に水です。それに、実際に移せる血の量はもっと少ない」

 

「だから、全部あげて良いって―――」

 

「ですから!」

 

「―――!」

 

「無理なんです……。分かってください。彼はもう助からない」

 

「―――」

 

 瞬間、アイズの唇が小さく震えた。肩も、瞳も……。二筋の涙が頬を伝う。

 

 やってしまったと、アミッドは己の未熟を呪った。無力感に蝕まれ、足下がグラつく。傷心の親族相手に声を荒げて、メンタルケアどころか我儘を言うなと黙らせるなど治癒師(ヒーラー)としてあるまじき行いだ。医療に従事する者として、こんな対応はあり得ない。最後の最後まで手を尽くして欲しいと思うのは、遺族として当然の事なのに。合理的かどうかなんて、考えてもいられないのに……。

 

 だと言うのにあろう事か、自分は他の患者の命を優先している。まだ現れてすらいない、架空の重症者の命を。

 

「あ……ぁぁあ……」

 

 まるで何かに操られているかのように、金の少女はよろめきながら寝台へと向き直った。そして、両膝を床に付きながら、死人のように眠る弟を抱きしめる。まるで温度を感じ取ろうとしているかの様に何度も頬を擦りつけて、子供の様に泣きじゃくった。

 

「シロ……シロ…………いやぁ、死んじゃいや……」

 

「………………他でもない貴女に、そこまで想って貰えて彼も幸せでしょう。最期の時は、おふたりで―――」

 

 アミッドは慇懃に腰を折る。

 けれど、退出しようと顔を上げた瞬間、その瞳に信じられない光景が映り込んだ。

 

「…………………え?」

 

 真っ赤なのだ。

 金の少女が。別に、全身という訳ではないが、視線の殆どを奪う程度には、その色が目立っている。室内を満たしていた薬品の匂いも、みるみる内に鉄臭さに汚染されていく。【剣姫】の足元では、彼女の愛剣《デスぺレート》が鮮血に濡れていて―――。

 

「アイズさん!!」

 

 アミッドはようやく、アイズが自傷行為に走ったのだと理解した。

 両腕から流れる血を弟の傷口に注ぎ込もうとしている。しかし、専用機器も無しに上手くいく筈もない。大量の血が容赦なく寝台の色を変えていく。

 

「何をしているんですアイズさん!? そんな事したら貴女が!」

 

「だって! だって……! もう、こうするしか……! アミッドが助けてくれないなら……こうするしかないじゃない!」

 

「落ち着いてください! それが無意味な事だと分からない貴女では―――」

 

「邪魔しないで!!」

 

 取り抑えようとするが、手負いとは思えぬ力で振り払われ、聖女は成す術なく尻餅を付いた。その状態で【剣姫】の狂気を目撃する。

 

「大丈夫だからね、シロ。お姉ちゃんが助けてあげるから……何も怖がる必要ないからね?」

 

 実弟に寄り添うアイズのその姿は、慈愛に満ち満ちた天女にも、人を堕落させる狡猾な魔女にも、親しみやすい柔らかな生娘にも見えた。相反する印象に何度も殴りつけられるが、同性の自分(アミッド)でさえ息を呑む妖艶さを誇っている事だけは共通していた。

 あんなに蠱惑的に微笑まれ、脳さえ蕩けかねない肉声で囁かれたら、例え肉親であろうと容易に落ちてしまうのではないだろうか……。それこそ、『美の女神』達の扱う“魅了”が、同性(女性)や神々にすら通用してしまうのと同じように。

 

【剣姫】の纏う現実感のない雰囲気に、聖女はしばらく放心していた。もしかしたら、畏怖の念すら抱いていたのかも知れない。彼女は自分と同じヒューマンの筈なのに、もっと高次元の存在に思えてならない。ともかくアミッドはアイズに声を掛けられなかった。

 

 

 

 治癒師(ヒーラー)としての嗅覚が、『死の香り』の陰りを感じ取るまでは―――。

 

 

 

「………ぇ?」

 

 喉が弱々しい声を発したのと、無意識の内に立ち上がったのは、ほぼ同時。

 恐れ知らずに失意の姫を押しのけ、患者(マシロ)の状態を確認すると、聖女は困惑した。

 

「嘘……傷が、塞がっている?」

 

 そんな事はあり得ない。

 なんの治療も施さずに、こんな一瞬で塞がる傷など存在しない。そんなもの、浅く小さな切り傷だって不可能だ。だというのに、腹部の化膿も、手足の傷も、指の断面も―――。完璧とは言わないまでも、ひとりでに塞がり始めている。

 

「どいて、アミッド! このままじゃ、シロ……が……?」

 

 アイズも直ぐに、弟の異変に気が付いた様だった。

 何度も、何度も血色の良くなった彼の頬を摩りながら、困惑の面持ちで口端を綻ばせる。

 

「なんで……アミッドが治してくれたの?」

 

「わ、私は何も……アイズさんが何かしたのでは……?」

 

 この様子を見るにそんな訳はないのだろうが、そう尋ねずにはいられなかった。だって、直前まで彼に触れていたのは彼女なのだから。

 

「呼吸も、脈も正常……。傷も塞がり、出血も止まった……。只の重傷患者に戻っている……」

 

 アミッドは瞠目しながら、咄嗟に治癒魔法を行使した。相変わらず、効果は弾かれる。つまり、スキルの効力は継続中だ。にも拘わらず、状態が回復した。それはつまり……。

 

「奇跡が……起こったと言うのですか? 天が彼を助けたと……」

 

 そう呟いて、聖女は即座に否定する。

 違う。そんな運天賦の出来事ではない。奇跡とは、最大限の努力の末に、必然の結果として起きるものだ。なんの死力も尽くさずに引き起こせるものでは決してない。治療行為自体を諦めていたのに、それが起こる道理はない。

 

 ならば、奇跡を起こしたのは―――。

 

「アイズさんの……『血』?」

 

 勿論、彼女の血に治癒能力が含まれているなんて話は聞いた事がない。第一、本当にそんな力があったとして、それは外部からの治療行為だ。スキルに邪魔をされない説明が付かない。けれど、他に考えられる要因は無かった。

 

「アイズさん、貴女はいったい―――」

 

「良かった………」

 

「え?」

 

「良かった……生きてる……シロが、生きてる………!」

 

「………!」

 

 心の底から漏れ出た呟きに触れて、アミッドも心を解きほぐす。奇跡を起こした要因は気になる。しかし、追及は後で良い。少なくとも、今は少年の回復を喜ぶべきだと思った。

 依然として治癒魔法は意味を成さないが、この状態なら助けられる。無論、体内の血液は枯渇したままなので、油断は禁物だ。しかし、傷が閉じられた今、輸血は絶大な効果を発揮するだろう。血液さえ足りていれば、まず間違いは起きない。そして、あと約23時間を持ちこたえてくれたなら、自分()の命に代えても生き永らえさせて見せよう。

 

 それが、『都市最高の治癒師(ヒーラー)』としての……そして、一度は見殺しにしようとしてしまった者の責務だと、アミッドは気を引き締める。

 

 

 

 

 結論から述べれば、マシロ・ヴァレンシュタインは助かった。

 彼が目を覚ましたのは、今日より1週間後の事である―――。

 

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