本来の予定時刻から遅れること八分……。
身支度を終えたマシロ・ヴァレンシュタインは自室の扉を開けた。
格好はラフなもので、防具の類は付けていない。
冒険者の性故かベルトに短刀は刺しているがその程度だ。この軽装を見ただけでも、彼の目的地がダンジョンではない事が推測できる。
マシロは軽やかな足取りで廊下を突き進み、本拠地の玄関を目指した。
しかし階段を下り、いざ玄関ホールに踏み入ったその瞬間、盛大に顔を顰める事になる。
外へと繋がる扉。
その一枚板の前に、複数の団員が立っていたのだ。
まるで、自分を待ち伏せするかのように……。
実際そんな意図はなかったのかも知れないが、マシロにはその様に感じられた。
唯一、彼の外出予定を知る主神が、一団の中に含まれていたからだ。
「おお、マシロ~。これからかぁ?」
ロキの快活な声がホールに響く。
いち早くこちらに気付き片手をブンブン振り回す神の他には、副団長のリヴェリア・リヨス・アールヴと、団長のフィン・ディムナ……そして意外な事に、【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインの姿もあった。
普段自分とコンタクトを取らない実姉の存在に、本当に彼らは別の用件でこの場に居合わせただけなのかも知れないと思い直す。
すると、団長の落ち着いた声音が耳朶を叩いた。
「おはよう、マシロ。遊びに行くそうだね」
「……ああ」
『遊びに行く』。
その表現を若干不服に思いつつも、それ以外に妥当な表現も見つからないので素直に肯定しておく。
「今日はお前の誕生日だったか……。こんな日ぐらい羽目を外して来ると良い」
「……」
マシロはリヴェリアに胡乱な瞳を向けた。
その表情だけで、ママは彼の言いたい事を察した様だ。形の良い唇から朗々と心理を言い当てられる。
「『……そんな事を言う為だけにお前達はここに来たのか?』とでも言いたげだな。いや、『流石に用事のついでか』とも思っている様だが……」
「怖ぇよ。エスパーかテメェは……」
ほぼほぼ間違いなく言い当てて来たハイエルフに、マシロは堪らず唸り声を上げる。そして、彼女のセリフは次の様に続いた。
「残念ながら後者の予想は外れだ。我々の用はお前だよ、マシロ」
「……土産なら買わねぇぞ」
「馬鹿者。年長者の我々が最年少のお前に物をせびる訳がないだろう」
「説得力がねぇな。ロキを省いて出直したらどうだ?」
「どういう意味や、マシロこら⁉」
あんまりな言い草に抗議の声を上げるロキだが、眷属達は一様にソレを無視してやり取りを続けた。
「ハハハ、特別な理由なんてなくても見送りぐらいするさ。家族だからね。ま、僕らも忙しい身だから毎回は無理だけど……」
フィンの発言にマシロは沈黙を返す。
そんな、ともすれば無礼だと受け取られかねない彼の態度に一切の嫌悪感を示すことなく、【勇者】は柔らかな笑みを浮かべ続ける。
圧倒的な包容力で、反抗的な態度を取る自分を包み込むファミリアの長に、マシロはバツが悪くなり目を逸らした。
瞬間、クスリと笑うフィンの声が鼓膜を撫で、やはり彼が自分より一枚も二枚も、三枚も上手である事を思い知らされる。
「そういえば、アイズも今から出掛けるんだったね」
「……う、うん」
「ほう、どこへ行くかは決めているのか?」
「ううん」
リヴェリアの問いにアイズは首を横に振る。
今度はロキがマシロに訊いてきた。
「自分はどこに行くとか決めとんの?」
「……いや」
特には決めていない。
適当にブラついてその時々の気分で店に入ろうと思っていた。
偽る理由もないので素直に答えたマシロだが、同時に嫌な予感も覚え始める。
そして、それは的中した。
リヴェリアが頓狂な提案を口にしたのだ。
「なら、一緒に行って来たらどうだ? アイズ、マシロ」
「……行かない」
即答する。
が、マシロの返事など聞こえていなかったかのように、ロキは「おお! ええやん!」と盛り上がった。
フィンも頷いて賛同してくる。
「それは名案だ。どうだいマシロ? 荷物持ちにでも一つ」
「何が名案だ。ふざけてんのかテメェら? まさか、こんな事をする為に待ち伏せしてた訳じゃねぇだろうな……?」
「まさか。言っただろう? 僕らは忙しい身なんだ」
「……ッ」
飄々と躱す小人族の勇者。
彼に抗議した所で無意味と悟ったマシロは、矛先を他二人に向けた。
「大体、俺達は仲が悪いんだ。知ってんだろ? 休日に一緒に出掛けるような仲じゃねぇ」
「仲の悪い他人なら確かにそうだが、お前等は姉弟だろう? 関係値が低くとも共にいる理由には足りると思うが?」
「……ッ! そもそも、最初に口を利かなくなったのはソイツだ! 一緒に出掛けたくないのはソイツも同じだろう!」
リヴェリアにも言い負かされたマシロは切り口を変える。
アイズだって俺と一緒は不服だろう・と。
しかし、彼等は焦る素振り一つ見せず、【剣姫】の肩に手を置いた主神が余裕綽々とした声音を響かせた。
「ほうほう。じゃあ、アイズが嫌じゃなければ構わんちゅう事やなぁ? いや~、自分の事だけじゃなく相手の事まで考えとるなんて、ホンマ優しい子やでマシロたん。ウチ嬉しぃ」
「……オイ、いつまでおちょくるつもりだ。いい加減不愉快だぞ」
一段階トーンを下げるマシロに、フィンは苦笑しながら弁明する。
「ゴメンゴメン。そんなつもりはなかったけど、気に障ったなら謝るよ」
「どちらにせよ、アイズの許可を取れという事だな? どうだ、アイズ。マシロと一緒に出掛ける気はないか?」
そう姉に話を振るリヴェリアを、マシロはギョッとしながら見上げた。
アイズが首を縦に振る訳がない。
誰が好き好んで嫌いな相手と休日を過ごしたいと言うのだ。
どういう意図があって、ロキ達がこんな計画を立てたのかは分からないが、とにかくこれで今回の話は御破算だ。
流石に当事者二人に断られては強行突破も出来まい。
マシロはその様に考えて胸を撫でおろす。
ただ一つ、気になる事があるとすれば、それは【勇者】の存在だ。
あの狡猾な小人がいて、こんな杜撰な展開にするだろうか……?
そんな事を思っていると、次の瞬間、マシロの耳に予想だにしない一言が飛びこんで来た。
「別に良いよ……。一緒に行っても」
「……⁉」
余りの衝撃に咄嗟に、マシロは声を出す事が出来なかった。
アイズに視線を向けるが、その鉄仮面からは何の表情も意図も読み取れない。
そして、こちらの動揺などお構いなしと言わんばかりに話が進む。
「そうか、なら早速出かけて来ると良い。仲良くするんだぞ、お前達」
まるで最初から答えが分かっていたかの様な手際の良さで接近し、マシロをグイグイ押し出していくリヴェリア。
扉は既に開いており、外に放り出された瞬間、ドアノブを持って笑顔を作っているフィンの姿が目に入った。
「……ッ!」
憎たらしい程の連係プレーに自然と顔が歪む。
扉は既に締まり始ており、ある意味で締め出しを喰らっている様な感覚だ。
そして、ヒョイと頭を出したロキの「いってらー」という声を最後に、黄昏の館の扉は完璧に閉ざされた。
ここまで光景を、マシロはスローモーションの様に見て尻餅を付く。
そして、数秒遅れでスッと綺麗な細指が差し出された。
アイズ・ヴァレンシュタインが中腰になりながら無表情で手を寄越して来ている。
だが、その手をマシロが取る事はなかった。
助け起こされる形になるのが癪だったからだ。
自力で起き上り、ズボンに付いた砂を払いのけ、そして、訊く。
「どういう風の吹きまわしだ……?」
手を貸そうとしてくれた事に対してではない。
何故、自分と出掛ける事を了承したのか・と言う意味だ。
「……別に」
しかし、案の定彼女の返答は素っ気ないモノだった。
返事ではあるが答えには成っていない。
まるで、『必要以上のコミュニケーションを取るつもりはない』と暗に告げられているかの様だった。
そしてその予想を肯定するかの様に、アイズは無言で歩き出す。
「……」
こちらを一切顧みないその態度に、このまま姿を眩ませても問題ないのではと思った。
仮に、気付かれたとしても、わざわざ追ってきはしないだろうとも……。
だが結局、逡巡の末マシロは彼女の後を追いかける事にした。
何故そうしようと思ったのかは、自分でもよく分からなかったが……。
: :
暫く歩くとメインストリートに出た。
ここまで来ると流石に人で賑わっており、至る所から喧騒が聞こえて来る。
子供の笑い声や商人の接客、神々の下劣な会話なども街の活気を付けるのに一役買っている。
マシロは本来そう言った物を煩わしく感じる質だが、今回ばかりは有難く思った。
原因は隣を歩く姉にある。
今も無表情で歩き続けている姉、アイズ・ヴァレンシュタイン。
彼女は自ら同行の意思を示してここにいるにも関わらず、これまでの道中一切口を開かなかったのだ。
マシロとて普段の姉と自分の関係性を鑑みて、会話が弾むとは思っていなかったが、流石に無言を貫かれては居心地が悪い。
大体、何か用件があるから一緒に歩いているのではないのか……?
こんな事なら、『一緒に出掛ける』等と言う縛りなんて設けず、別々に出発すれば良かったではないか。
それなら、沈黙に耳を傷める事もなかったというのに……。
だからだ。
だから、今だけはこのくらい喧騒が丁度良い。
気を抜くと、一人で来ていると錯覚してしまいそうになるから……。
マシロは右隣にいる筈の姉を見上げる。
向こうには悟られない様最小の動きで。
「……?」
けれど、マシロの視線がアイズを捉える事はなかった。
先程まで直ぐ傍にいた筈の姉は、忽然と姿を消している。
辺りを見渡すが、その特徴的な金髪はどこにも見付けられなかった。
「……そう…か」
マシロは何かを察した様に呟いた。
そこそこの人混みだ。
単純に逸れてしまった可能性もあるだろう。
だが、マシロの脳裏にその可能性が浮かぶことはなかった。
それよりも、もっと現実的な予測が思い浮かんでしまったからだ。
恐らく、自分の用事を済ませに行ったのだろう。
本拠地では、ロキやリヴェリアの手前気を使った・という事だ。
彼女らを立てる為にあの場では「一緒に行く」と宣言し、メインストリートに着くまでは足並みを合わせていた。
別にマシロに用があった訳でも、気まぐれが働いた訳でもない。
元々、ここからは別行動を取るつもりだったのだろう。
思い至ってしまえば何てことない。
至極当然の行動である。
そうと分かればこの場に留まる理由はない。
せっかく一人になったのだ。自由に気の向くままに今日と言う日を満喫するとしよう。
そう気持ちを切り替えて、マシロはオラリオの街を歩き始めた。
姉が隣にいると言う不安要素がなくなり、つっかかりが消えた筈の胸に一抹の靄を感じながら。
その影響だろうか……。
心なしか、少し足が重くなった様な気がする。
まるで、この場から離れたたくないと、足が駄々をこねているかの様に。
何故こんな事になっているのかは分からなかったが、次の瞬間ーーーマシロは、自身の身体が後ろに引っ張られる感覚を味わう。
それは比喩でも何でもなく……強制的に足を止めさせられた彼は、自分の左肩に白い手が乗っているのを見た。
その雪の様に綺麗な手の主は、姿を消したはずの姉、アイズ・ヴァレンシュタインで……。
アイズはいつも通り無感情ながら、若干の焦りを感じさせる声音を発する。
「どこ行くの? 勝手に……」
『勝手に……』の部分にマシロはムッとした。
「こっちの台詞だ。勝手にいなくなったのはお前だろうが」
すると、アイズは一瞬目を丸くした。
そして「あ」と、小さく息を漏らしたかと思うと、おもむろに小さな紙袋を見せてくる。
「違う……。コレを買いに行ってたの」
「なんだそれ」
「ジャガ丸くん」
「……」
姉の言葉通り、紙袋からは『ジャガ丸くん』なるジャンクフードの香ばしい香りが漂っていた。美味しそうな匂いである。
朝食を摂らずに出てきたマシロの口の中に、大量の唾液が溢れた。
気を抜けば腹の虫も鳴ってしまいそうだった。
「そうか。だが、行くなら行くで―――」
一言断ってから行け。
そう、注意しようとしたマシロだったが……。
「……ん」
アイズにジャガ丸くんを差し出された事によって、中断させられてしまう。
反射的に受け取ったソレをマシロは突き返そうとするが、既にジャガ丸くんに夢中な姉は取り合ってくれない。
けれど、視線は感じたらしく、何を思ったのか見当違いな質問をしてきた。
「……小豆クリーム味が良かった?」
「……いや、プレーンで良いが。てか、なんだその胃もたれしそうな組み合わせは……」
「おいしいよ?」
「どうでも良い。そんな事より、俺は買ってくれなんて頼んだ覚えはねぇぞ」
そもそも、買いに行くと言われてもない訳だが……。
しかし、アイズはキョトンと小首を傾げるばかりだった。
「嫌いだった?」
「嫌いじゃ……ない」
「そう……」
「……」
確かにマシロはジャガ丸くんは嫌いではない。寧ろ好物の部類だ。
けれど、施しを受けるのは癪だった。
そういうプライドが邪魔をして口を付けられない。
しかしーーー。
グゥゥゥゥゥゥゥウ……。
そんな物など下らないと言わんばかりに、腹の虫が産声を上げた。
「……」
アイズの視線がマシロの腹に向く。
俯いた状態でもソレが分かり、彼は自分の顔が、カァァァっと熱くなるのを感じた。
チラッと上目で姉の反応を伺うも、特に何か言ってくる様子はない。
全くの無言……。
突っ込まれるのも嫌だが、無反応なのもそれはそれで居た堪れなかった。
けれど、やはり何かを言われる方が羞恥心で憤死する気もして……。
故に、マシロはジャガ丸にかぶり付いた。
恥ずかしさを喰らい尽くすかの様に、素直に食べたのだから文句はないだろうと、だから何も言うなと、暗にそう伝える為に……。
その念がこの天然姉に伝わったかどうかは分からないが、ともかく彼女の意識を腹の音から逸らす事には成功したようだった。
「わぁ、凄いね」
感嘆すら含まれたアイズの感想はある意味で当然のものだったのかも知れない。
何故なら、マシロはあの一瞬でもうジャガ丸くんを平らげてしまったのだから。
きっかけこそ羞恥心に後押しされた形ではあったが、いざ食してみると口一杯に広がる優しい香りと、サクサクホクホクの食感に完全敗北。
そもそも空腹状態であった事も手伝って、先んじて半分ほど食べ終えていたアイズを簡単に抜き去ってしまったのだ。
「おいしかった?」
アイズは首を傾げて訊いて来る。
自分の好物に好反応を示された事が余程嬉しかったのか、些か饒舌になっている様だ。
相変わらず表情筋の殆どが死んでいるが、此方の顔を覗き込みながらそう訊いて来るさまは、さながら『おやつを食べてはしゃいだ子供を微笑ましく見詰めるお姉さん』の様だった。
実際の所はしゃいでいた訳ではないのだが、そう勘違いされても仕方ない行動を取ってしまったのは事実である。
だから、マシロは大声で強く反発出来ず、されど素直に旨かったとも伝えられず……。
「……うるさい。黙れ……」
そう、悪態をつく事しか出来なかった。
「そっか」
けれど、アイズは反抗的な態度さえも、どこか穏やかな表情で受け止める。
それが酷く居た堪れなくて、空気を換える為にマシロは話題を変えた。
「喉渇いた……」
芋の塊を一気食いしたのだから当然だ。事実、喉の渇きを感じてマシロはそう呟く。
「なんか買ってくる」
「ん、私も行く」
残ったジャガ丸くんを胃袋に収めながら、アイズは当然の様に言ってきた。
まるで、『姉弟なのだから一緒に行動するのが普通』だと言わんばかりの自然さである。
自分達は、全く普通の姉弟ではない筈なのに……。
会話なんて何年もしてなかった筈なのに……。
だと言うのに、今日のコイツは何なんだ。と、マシロは困惑した。
確かに言葉は素っ気ない。
会話もお互いの質問への返答ばかりだし、そもそも無言でいる時間の方が多いだろう。
だが、それでもこの会話量は、既に異常の域なのだ。
ここ数年の平均の会話時間を大きく更新しているに違いない。
その上でジャガ丸くんを一緒に食べるというイベントも熟している。なんと、これからは飲み物を買いに行くそうだ。
こんな事になるなど、一体誰が想像した? 少なくとも、昨日の自分は思いもしなかった。
だと言うのに、一体どうして……。
悉く疑問は尽きなかったが、当然マシロに答えを知る術はなく……。
だからこうして、当惑しつつも姉と共に歩いている。
人混みを利用すれば振り切る事も出来た筈なのに、何故かマシロはそうしたいとは思わなかった。
「何飲むの?」
「……お茶」
「じゃあ、私もソレで……」
飲み物を中心に売っている露天が見え、徐に話し始めるヴァレンシュタイン姉弟。
「金は俺が出す。それでチャラだ」
「……?」
「分かれよ。さっきのジャガ丸くんの分だ」
「……別に良いのに」
まるで普通の姉弟の様に、姉とやり取りを繰り返す。
マシロはその事に妙な感覚を覚えながら、とある事に気が付いた。
ついさっき、アイズが無言でジャガ丸くんを買いに行った時、胸に感じた謎の靄。それが、いつの間にか晴れていたのだ。
結局何だったのか分からない程の小さなモヤモヤだったが、一体いつから感じなくなっていたのだろうか……? 思い返してみれば、かなり前……そう、それこそアイズが戻ってきた時にはもう気にならなくなっていた気もする……。
「…………」
マシロはジャガ丸くんを食べたからだと結論付けた。
恐らくあの靄は空腹感の一種で、小腹を満たした事で解消されたのだろう。
どうやら自分は思った以上に食い意地が張っていて、あの時は想像以上に空腹状態だったらしい。
……そう思う事にして、アイズの弟は早々にこの思考を打ち切った。
「……飲み物、二個も買ったの?」
「……悪いかよ」
まるで、これ以上考えるのは危険だと、本能が察したかのように。
お読み頂きありがとうございました。
終わり方で察している事とは思いますが後編へ続きます。もし、良ければ後編もよろしくお願い致します。