剣姫の弟の二つ名は【リトル・アイズ】   作:ぶたやま

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第三十話

 

 【剣姫】と雇用主(白兎)の主神が退出し、病室の扉がバタンと閉まる。2人の足音が遠のいていく。気配も離れる。リリルカがその様に認識したタイミングで、【リトル・アイズ】が小さく口を開いた。

 

 

「外に響くような大声は出すなよ」

 

 

 『第二級冒険者』の鋭い眼光に思わず喉が閉まる。雇用主(ベル・クラネル)は「え、うん?」と、とりあえずの返事をしたが、雇用者(リリルカ・アーデ)は彼の忠告の意図を正確に読み取っていた。否、正確にではない。正直、人払いをするとは思わなかった。マシロの目的(・・)を考えれば、少なくとも女神ヘスティアを追い出す理由は無い筈だからだ。そんなリリルカの思考とは裏腹に、彼はベルにこんな忠告をする。

 

 

「お前の主神はともかく、アイズに本気で聞き耳を立てられたら察知できないからな」

 

「えっと……、神様やアイズさんに聞かれたら不味い話ってこと?」

 

「ああ」

 

 

 ここでようやく兎の表情に緊張が滲む。恐らく彼の事だからマシロが何を話そうとしているのか、まだ具体的には分かっていないだろう。だが、それでも物々しい雰囲気から、どういう系統の話題なのかは感じ取ったらしい。

 

 そう。

 恐らくこれから始まるのは、血も涙もない魔女裁判だ。

 陰惨かつ物騒で、身の毛もよだつような吊し上げ。

 リリルカ・アーデにとって、絶対に口にさせてはいけない議題である。

 

 なのに、唇が動かない。

 妙に腹も座っている。

 どうしてか、それ(・・)を受け入れている自分がいるのだ。

 ヤダヤダと駄々を捏ねる自分も居るというのに。

 

 

 

 

「今後、俺はパーティーから抜ける。だからその前にハッキリさせておきたい」

 

「何を……?」と白兎が尋ねるより早く、銀の少年が瞳を細めた。その双眸が捉えるのは栗毛のサポーターただひとり。次の瞬間、想像通りの言葉が、想像をなぞる様に放たれる。

 

 

「リリルカ・アーデ。お前がベルの味方なのか、敵なのかをだ」

 

 

 ◇ ◇

 

 

 敵ですよ〜、と。

 本来なら答えるべきなのだろう。

 

 事実、リリルカはベルの稼ぎを吸い上げる目的で近づき、契約を交わした。生来の人の良さを見通し、数多の新米冒険者(選択肢)の中から彼を選んだ。結果、大正解だった。不要な上級冒険者が付属してしまった事を除いて。なんなら、底の見えない『お人好し度』に若干ドン引いたぐらいである。

 

 加えて、駆け出しには分不相応な業物ナイフの所持。正に、鴨が葱を背負って来るような状況だった。あれさえ奪い取れれば、【リトル・アイズ】の監視を加味してもおつりが来る。なんの躊躇もなく、冒険者嫌いのサポーターは件のナイフを奪い取る方向に舵を切った。

 

 

 別に薄情だとは思わない。

 

 心も痛まない。

 

 空気を吸うのに。

 

 水を飲むのに。

 

 申し訳ないと思う人間がいないのと同じように。

 リリルカ・アーデという少女にとって、それは単なる日常の1ページだったから。

 

 

 だからこういう時、口にするべき回答(こたえ)は決まっている。偽りの笑顔を張り付け、(へりくだ)った表情を浮かべて、言ってやるのだ。

 

 嫌だなぁ、【リトル・アイズ様】……

 

 

「そんなの味方に―――」

 

「な、何言ってるのさ、マシロ!? リリは仲間じゃないか!?」

 

 

 瞬間、言葉を遮って雇用主が叫ぶ。

 曇りなき眼というのはこういう物を言うのだろう。ベル・クラネルはいまだに彼女の事を信じ切っている。対してマシロ・ヴァレンシュタインは、彼の発言内容には言及せず、ただ、声量だけを咎めた。

 

 

「でかい声を出すな。それとも主神の判断を仰ぎたいのか?」

 

「……!」

 

 

 ヒュっとベルの喉が鳴る。

 ベル・クラネルは正真正銘『愚者』だ。性善説とやらの信奉者。だから、下界の住民の嘘を見破る神々の介入を、雇用者(リリルカ)の潔白を信じて促す可能性だってあっただろう。

 

 しかし、同時に物事を冷静に俯瞰する目も持っていた様だ。女神ヘスティアが、どれだけマシロ・ヴァレンシュタインを気に入っているかを理解している。考えてみれば当然だ。彼女にとって【リトル・アイズ】は、己の眷属の命の恩人に近い相手なのだから。そんな人物から疑念を向けられているという事実が知られれば、ロリ神のリリに対する心証は地に落ちるだろう。

 

 ヘスティアが騒ぎを聞きつけ、戻ってきた時点でゲームオーバー。少なくとも、リリルカを信じてあげたいと願っている少年にとっては望ましい展開ではない。

 

 要するに、今この状況は【リトル・アイズ】の温情なのだ。

 彼は部外者を排除する事で、リリルカ・アーデに対する疑惑や問題を、この3人(当事者)の間だけで清算して(片付けて)しまえる状況を創り出したのである。

 そして、【リトル・アイズ】は兎に語り出す。

 

 

「ベル。理由は省くが、俺は最初からリリルカ・アーデを疑っていた。お前をカモろうとしてる悪質なサポーターなんじゃないかとな」

 

「え?」

 

「疑念が確信に変わったのは、パーティーを組んだその日の探索だ。真面目にサポーターとしての働きを見せつける一方で、そいつは常にお前を下の階層に向かわせようとしていた」

 

「それは……っ」

 

 

 ベルの顔が曇る。心当たりがあったのだろう。実際、誘導していたのだから当然だ。

 けれど、【リトル・アイズ】の介入で早々にそれは断念している。以降、別段怪しまれるような行動はしていない。少なくともベルの目には、効率的に魔石を集め、時には敵の出現を即座に伝え、献身的に支援してきたように映った筈だ。ベルの収入を増やし、受け取れる分け前を増やそうという思惑があったとも知らずに。

 

 しかし、そんな抜け目のないリリルカも、ひとつだけ決定的な『やらかし』をしていた。そして、その『やらかし』についても、マシロは容赦なく追及してくる。

 

 

「ベル。お前、最近ナイフを失くした事があっただろう? 正直俺は、まだコイツが盗んだんじゃないかと疑っている」

 

 

 瞬間、兎は弾かれた様に反論した。

 

 

「待ってよ!? あれは、小人族(パルゥム)の誰かが持ってたって、リューさんが言ってたじゃないか!? リリは犬人(シアンスロープ)だよ!?」

 

 

 そう。

 ベルが主張したその事実は、リリルカの潔白を証明する強力な手札(カード)。如何にその盗人小人族(パルゥム)犬人(リリルカ・アーデ)が瓜二つでも、『別種族』という事実が同一人物である可能性を否定する。そして、ナイフの窃盗犯が小人族(パルゥム)だという事実の証人は、あの場にいた全員だ。ベル・クラネルや『豊穣の女主人』の給仕2名はおろか、【リトル・アイズ】自身も、捕縛された只人の頭部を視認している。

 

 『窃盗犯=小人族(パルゥム)』という前提が覆らない限り、『リリルカ・アーデが犯人』という方程式は成り立たない。だから、どれだけ怪しくても、マシロ・ヴァレンシュタインはその話題を蒸し返さなかった。証拠がない以上、下手にほじくり返してもベルの心証を損ねるだけだからだ。

 

 だというのに、彼がナイフの件に言及して来たのは、自身の離脱が決定したからだろう。どうせパーティーから抜けるのだから、どれだけベルに不快に思われても同じ事。なら、少しでも危機感を覚えさせるために自爆覚悟で腹の内を晒すのは、ある意味で合理的だ。

 

 正直、この考え方は普通にすごいと思った。

 理由は知らないが、【リトル・アイズ】はベル・クラネルに相当入れ込んでいる。そんな相手に嫌われかねない言動を取っているのだ。平然と、顔色一つ変えずに、何でもない様な声色で。それは、純白兎(ベル)とはまた違った形の、ひとつ善性なのではないか。

 

 悔しいと……リリルカ・アーデは素直に思った。

 何に対して、何故そう思ったのかは良く分からなかったが。

 悔しいという感情を覚えたことは、漠然と自覚した。

 

 次の瞬間、サポーターの少女は彼女自身も意図しない言葉を放っていた。

 

 

「……響く十二時のお告げ」

 

 

「あっ」と思ったがもう遅い。

 口にしたのは彼女が習得している唯一無二の変身魔法(・・・・)『シンダー・エラ』の解除スペル。主人の命令に従い、頭部に生えていた犬人の証は無情なほどあっさり魔力の粒子となった。無論、獣人の尻尾も消滅し、残されたのは小人族(パルゥム)の見窄らしい身体のみである。

 

 雇用主の深紅(ルベライト)がまん丸く見開かれている。【リトル・アイズ】も一瞬動揺を覗かせたが、直ぐに納得した様子で瞳を細めた。

 

 

「変身魔法か……。成程な。確かにそれなら、酒場のエルフの証言にも頷ける。その魔法で種族を偽っていた訳か」

 

「そ、そんな……。嘘だよね? リリ……」

 

「………」

 

「リリ……!」

 

 

 ベル・クラネルの懇願が、動揺が、少女の胸に突き刺さる。

 多分、ここで嘘だと答えれば、この兎は騙されてくれるのだろう。他でもない、彼自身がそれを望んでいるから。彼の望む現実は、依然としてリリルカ・アーデの潔白だから。

 

 ………まだ、誤魔化せる。

 

 

「嘘じゃないですよ。見ての通り、リリは小人族(パルゥム)です。そして、【リトル・アイズ】様の見立て通り、貴方のナイフを盗んだ犯人でもあります」

 

「な……っ」

 

 

 まだ、誤魔化せた……筈なのに。

 どうしてかリリルカは、馬鹿正直に真実を自白していた。

 絶句する兎の代わりに、マシロ・ヴァレンシュタインが質問を重ねる。

 

 

「……何故、ベルを狙った?」

 

「チョロそうだったからです」

 

「盗みを働く目的は?」

 

「お金の為ですね。大体皆そうでしょう?」

 

「稼いだ金は何に使う?」

 

「……そんな事が気になるんですか? 貴方はリリに個人的な興味は無いと思っていましたが……」

 

 

 自身の理解不能な行動に、半ばヤケクソでそれらの詰問に答えていたリリだったが、流石に最後の踏み込んだ質問には違和感を覚えて聞き返した。けれど、彼は厳しい態度を崩さず、毅然とした口調で言葉を紡ぐ。

 

 

「黙秘できる立場だと思うのか? さっさと答えろ。少なくとも、ベルにはそれを聞く権利がある」

 

 

 それはそうだ。リリはすんなり納得した。

 この場における被害者はベル・クラネルで、加害者はリリルカ・アーデ。その論法でいくとマシロ・ヴァレンシュタインは席を外すべきだとも思うが、まあ彼も全くの無関係では無い。

 

 

「【ファミリア】から抜ける為です」

 

「………なに?」

 

「えっと、リリが所属してるのって……」

 

「【ソーマ・ファミリア】です」

 

 

 瞬間、マシロの眉が僅かに歪んだ。派閥の名前を出しただけでこの反応……。流石と言うべきか、自分達のファミリアの悪評はバッチリ都市全土に轟いているらしい。その事実を再認識しつつ、最早事情の7割程度は察していそうな【リトル・アイズ】と、頭上に?マークを浮かばせるベル・クラネルに、ソーマ派閥の悲惨な内情を暴露した。

 

 構成員の皆が、主神ソーマの作る『神酒』に溺れ、求め、それにありつく為に躍起になっている事。我先にと仲間同士で蹴落とし合いを演じる眷属たちを見限り、主神がファミリアの運営を放棄している事。実質的に派閥を取り仕切っている団長の独裁により、劣悪な環境が出来上がっている事。そして、派閥を抜けるのにも金が必要になる事。

 

 粗方話し終えると、ゴクリと、喉を鳴らす音が聞こえる。発生源は当然ベルだった。その青い顔色は、まるで彼自身がリリと同じ境遇に置かれている様である。喉を震わせながら、どうにか兎は言葉を発した。

 

 

「ひどい……」

 

 

 勿論それは、リリルカ・アーデに対する非難ではないだろう。リリを取り巻く壮絶な環境への感想であり、決して彼女を責めている訳ではない。寧ろ可哀想とすら思っている筈だ。けれど、ここにいるのは優しい少年だけではない。

 

 

「……お前の境遇には同情しよう。だが、それが全ての悪行を帳消にするわけじゃない」

 

 

 マシロ・ヴァレンシュタイン。

最早、『リリルカ・アーデ=ソーマ派閥の被害者』という図式が成立しそうな空気が流れる中で、彼は意にも介さず事実のみを口にした。

 

 

「【ソーマ・ファミリア】が、酒造の資金繰りの為に作られたファミリアだという事は知っている。神ソーマが造る『神酒』の価値もな」

 

「………」

 

「脱退金なんて制度があるのも、酒造費の足しにする為だろう。つまり、眷属達から集めている普段の献金じゃ、全く足りないって事だ。そんな状態で、脱退金がマトモな額な訳がねぇ」

 

 

 ここで一度言葉を切り、第二級冒険者の鋭い視線に射抜かれる。

 

 

「標的にしたのはベルだけじゃ無いだろう。お前からの窃盗被害に遭った人数は、それそこ両手両足の指じゃ足らない筈だ」

 

 

 その通りだった。

 【リトル・アイズ】の推測は正しい。誰も彼も、ベル・クラネルの様に分け前を等分にしてくれる訳ではない。良くて2割。1割どころか踏み倒される事だってザラだ。その上で、そもそもの稼ぎが寂し事も多い。必然的に、カモにする冒険者の数は膨れ上がっていく。

 

 チラリと、リリは白兎を見遣る。

 此方を覗う彼の瞳には、未だ侮蔑の色すら浮かんでいない。

 多分、まだ巻き返せる。口八丁で、この純朴な新米冒険者は味方にできる。

 

 …………でも。

 もう、いいかな。と、彼女は思ってしまった。

 

 疲れてしまったのだ。

 これ以上、人畜無害な兎を騙し続ける事に。

 心が痛むのだ。

 

 彼の馬鹿みたいな甘さに触れてから。

 ミノタウロスから命懸けで逃がされてから。

 どうしようもなく、彼を謀る事が苦しい。

 最初は偽善と唾棄していた彼の善性が、今では自身の良心を際限なく蝕む毒となっている。

 多分、柄にもなく、あの真っ直ぐな魂に当てられてしまったのだろう。

 

  だから、断罪を受ける覚悟が決まった。

やってくれと、栗毛の小人族(パルゥム)は銀の冒険者に目配せをする。

 きっと、ベル・クラネルは、リリルカを罰したりはしない。だから、非情な判断を下せる冷徹な冒険者に、代わりに裁いて貰うとしよう。きっと、彼なら躊躇する事もない。

 

 

 

 しかし、マシロの返答は思いもよらぬものだった。

 

 

「………勘違いするな。俺は今回、これ以上出しゃ張る気はねぇ」

 

「………え?」

 

 

 言葉の意味を図りかねているリリを尻目に、第二級冒険者はベルへと視線を移す。

 

 

「コイツをどうするかは、お前が決めろ。ベル」

 

「ちょ、ちょっと待って下さい! 【リトル・アイズ】様が裁いてくれるのではないのですか!? ベル様じゃ―――」

 

「うるせぇぞ、当然だろ。お前と契約を交わした雇用主は誰だ? お前にカモられる所だった被害者は?」

 

「それは……」

 

 

 ぐうの音も出ない正論に、リリは押し黙る。確かに、直接の被害者はベルだ。リリルカの処遇はベルが決めるのが筋。だから、あんなにも踏み入った質問を繰り返していたのだろう。少女の動機と実際の犯行。そして、そうするに至った経緯と背景を事細かに暴露させ、ベルが判断材料に困らない様に計らったのである。

 

 

―――だったら、あの事を(・・・・)

 

 

 未遂……というか、リリルカがしり込みしている間に相手が痺れを切らしてしまい、未履行となったあの作戦……今回マシロを襲った『狂人』結ぼうとしていた『【リトル・アイズ】にモンスターをけしかけ、その機に乗じてベル・クラネルのナイフを奪い取る』という契約を話してしまおうと考えた。

 

 正直に言うと、それを告げた所で何も変わらない。リリルカはあくまでも作戦を持ち掛けられた側(・・・・・・・・)であり、自ら立案した訳ではないからだ。しかも、即決せずに考える時間を貰う形で、実質実行を先延ばしにさせている。これは見方によっては普通にファインプレーと言える。その上で、『マシロに傷つける行為を良心が咎めた』と解釈する事も出来だろう。事実、ベルならそう考える筈だ。

 

 けれど、断罪されたくて必死なリリルカは、その事に気付かない。気付かずに、意図せず自身の心証を良くしかねない証言をしようとしたその瞬間―――。

 

 

 コンコン、と。

 

 

 控えめなノックが聞こえた。

 曲がりなりにも内緒話をしている一同は、そのささやかな異音にもビクリと肩を揺らす。リリ達は顔を見合わせ、ひとまず話を中断する事に決めた。

 

コンコン。

 

 催促のように再び叩かれた扉を、ベルが慌てて開ける。

 

 そこに居たのはアイズ・ヴァレンシュタイン………でも、女神ヘスティアでもなく、兎よりも小柄な冒険者だった。手入れの行き届いた黒髪を背中に流した色白の少女である。小作りな鼻と、大きな双眸。そして桜色の唇。『可憐』と表現して何ひとつ過大ではない女の子。身に着けた衣服は女性的とも男性的とも取れるが、逆にそれが彼女の純朴な印象を強めている。多分、神々なら『大和撫子だぁ!』と騒ぐだろう。

 

「えっと、どなた……ですかっ?」

 

 ベル緊張気味にが尋ねると、少女は花のようにニコリと微笑んだ。

瞬間、兎の耳がカッと赤くなる。確かに彼は、こういう『女の子らしい女の子』には弱いだろう。リリルカがそんな事を思っていると、美しい少女は恭しく告げた。

 

「【ロキ・ファミリア】の者です。マシロが目覚めたと聞いて、お見舞いに来ました」

 

 

 

 

◇ ◇

 

 

 

 

「こーら、聞き耳なんか立てるんじゃない。何の為にマシロ君がボク等を追い出したと思ってるんだい!」

 

「でも……」

 

 気配を殺して扉に耳をビタ付けしたアイズ・ヴァレンシュタインの腕を、炉の女神が引っ張る。マシロに退出を懇願され、実際に部屋を後にした直後の事だ。トボトボと扉から離れたブラコン少女を攫いつつ、女神は座れるスペースを探して治療院の廊下を練り歩く。

 

 正直ヘスティアには、どんな意図を持ってマシロが自分達を除け者にしたのかは分かっていた。大方、きな臭いサポーターの処遇を隠れて決めてしまおうという魂胆なのだろう。

 

 無論、勝手なことを……と思わなくはない。ヘスティアはベルの主神なのだ。しかし、彼女は広い心でその不満を飲み込んだ。それはある種、マシロへの信頼の表れに他ならない。彼が、イタズラに誰かを傷つける事が出来ない気質の少年である事を、女神は会った瞬間に見抜いていた。

 

 そんなマシロが、こういう形を取ったのだ。恐らく、リリルカ・アーデを無害だと判断したのだろう。実際、ヘスティアも対面して、そのしおらしさに拍子抜けしたぐらいだ。無論、だからと言って彼女を全面的に信用する訳ではないが、ひとまずは眷属の決断に身を委ねるのも悪くない。

 

 能天気な顔からは想像もできない思考をバチ決めしつつ、グータラ幼女神は天性の嗅覚で休憩所を見つけ出した。丸テーブルの周りに置かれた椅子の1つに腰を下ろし、たわわな双丘を震わせながら着席する。金の少女も静かに対面の席に座った。

 

 女神も裸足で逃げ出す絶世の美少女が、ヘスティアの正面でソワソワと廊下に眼を向けている。否、正確には廊下ではなく、『廊下の先にある病室』にだろう。その心配に顔を曇らせた姿は、とても百戦錬磨の『第一級冒険者』とは思えない。内心「分かりやす過ぎるだろう……」と呆れつつ、炉の女神は言葉を投げる。

 

 

「そんなにベル君達の会話が気になるのかい?」

 

「えっと、はい……」

 

 

 嘘だな。

 まるで図星かのように肩が揺れたが、ヘスティアは視線が泳いだのを見逃さなかった。

 無論、会話内容に全く関心が無い訳ではないだろう。だが、彼女が真に気にしているのは、マシロ・ヴァレンシュタインの安全だけだ。今こうしている間も、彼が心配で仕方がないのだろう。

 

「不安かい? 自分の視界からマシロ君が外れるのが」

 

「はい……」

 

 本心だろう。これは間違いなく。

 常に弟の無事な姿を隣……若しくは手の届く範囲で確認していないと安心できない。少々、病的過ぎるとも感じてしまうが、今は無理もないだろう。彼女の弟が死にかけたのはつい先日の出来事なのだから。

 

 

「ま、気持ちは分かるけどね。でも大丈夫だよ。こんな白昼堂々襲撃してくる刺客なんていやしないさ。ここは冒険者の出入りも多いし、騒ぎを起こそうものなら一瞬でお縄だろう?」

 

 そもそも、この規模の治療院だ。どう考えても凄腕の用心棒を複数人雇っている。それ以前に【ディアンケヒト・ファミリア】内にだって、Lv.2やLv.3の眷属ぐらい居るだろう。幾ら医療系派閥と言ってもディアンケヒトの所はそのレベルの派閥だ。仮に良からぬ事を考える輩が院内に紛れ込んでいたとしても、些細な挙動から怪しまれ動き出しで取り押さえられるに違いない。

 

 故に間違いが起こるとすれば、善意でお見舞いに来た患者の友人や家族の凶行だが……。

 

 

「それにキミだって、まさかベル君達がマシロ君を襲うだなんて思ってないだろう?」

 

「それは、………そうです、けど」

 

 

 声色を聞く限り、これは若干警戒していた様だ。

 確かに可能性は0ではない。勿論、ベルが悪いとかではなく、この世に『有り得ない』事など存在しないという意味で。例え0.0001%しかない事でも、それは『起こり得る事象』なのである。

 

 けれど、それでもヘスティア的には良い気はしない。ベル・クラネルという少年の本質を理解し、信頼しているからだ。故に、ベルが間違いを起こさない前提で話を進める。

 

 

「万が一病室が襲撃されてもベル君がいるし大丈夫だよ。あの子ならキミが駆けつけるまでの時間稼ぎぐらいは出来るさ。腐っても上級冒険者だしね」

 

 

 実際問題、Lv.3のマシロを襲おうという輩に対して、Lv.2のベルは無力だろう。もし本当に襲撃があればヘスティアとて大切な眷属を失う危険性がある。だが、やはりどう考えても襲撃者(仮)側の、リスクとリターンが合わないのだ。マシロ・ヴァレンシュタインに危害を加えるという事は、即ち『【ロキ・ファミリア】を敵に回す』という事。そんな目に見えた地雷を踏みに行く奴はそうそう居ない。

 

 アイズを安心させる為。そして、親バカ的な思想から眷属を自慢する意味もあって告げた内容だったが、金の少女は思いの外驚いているようだった。

 

「上級冒険者……? 誰が?」

 

 そして、その質問にヘスティアも驚く。

 

「誰がって、ベル君だよ。まさか知らなかったのかい? ボクが言うのも何だけど、世界最速兎(レコードホルダー)とか言って、今めちゃくちゃ騒がれるじゃないか??」

 

「私、ずっと病室にいたので……」

 

「ずっとって……面会時間中はずっとって事かい? いや、でも、それにしたって外の情報は入ってくるだろう。ココに来る時や本拠(ホーム)に帰る時には街中(まちなか)を歩くんだからさ」

 

 冗談抜きで今のオラリオでは、自身の眷属(ベル・クラネル)は『時の人』だ。それ程、ベルが達成した偉業は凄い。というかヤバイ。今この瞬間であれば下手な第一級冒険者よりも話題性があるだろう。誇張抜きに、人のいる所でベルの名前を聞かない方が難しい。けれど、金の少女は言い辛そうにこう告げた。

 

「その、アミッド……治療院の人にお願いして本当にずっとここに居て……。殆ど外に出てないんです……」

 

「!!?」

 

 そのイカレた告白に、ヘスティアは空色の瞳をギョッと見開く。

 当然だ。ベルがランクアップしたのは例の騒動の翌日である。当日は治療に専念していた為、ステイタスの更新自体が次の日になったからだ。そして、ギルドに報告し、正式に発表があったのが、そのまた翌日。

つまり………。

 

 

「え? じゃあ何かい? もう軽く1週間以上ここに泊まってるって事かい?」

 

 コクっと【剣姫】の小さな頭が前方に傾いた。

 ヘスティアは信じられない物を見た気分である。

 

「最初はシロが目覚めるまでって事だったんですけど、目覚めた後も暫く入院しなくちゃいけないみたいだったので、結構わがまま言って……」

 

「はあぁぁ。弟好きもここまで来ると……ねぇ?」

 

「………?」

 

 

 含みのある視線を向けるが、案の定、アイズは理解できていない様だった。本当にこの少女は天然というか、無邪気というか、お子ちゃまというか……。今の話が事実なら、目覚めてこの方、マシロは『ひとりの時間が無い』という事になる。勿論、本当の意味で24時間引っ付いている訳ではないのだろう。『第一級冒険者』と言えども人間である以上生理現象には襲われるし、衛生面的観点からもシャワーぐらいは浴びる様に治療院側から言われている筈だ。

 

 しかし、ベルのランクアップを知らなかった事から、移動は周囲の会話が耳に入らない程の速力で。シャワーなども可能な限り速やかに済ませているに違いない。それらをLv.6の規格で行われたら、マシロに与えられるプライベート時間は微々たるものだろう。恐らく、平均して1日90分もない。年頃の少年にとっては中々に窮屈な空間ではないだろうか。

 

 

「やっぱり、あんまりベタベタしてると嫌がられちゃいますか……?」

 

 

 恐る恐るといったふうに、アイズが尋ねて来た。

 どうやら介抱を名目に少々引っ付き過ぎている自覚はあるらしい。

 ヘスティアは少々頭を捻る。普通に答えるのならば、返事はこう(・・)だ。

 

 

「……まあ、ベタベタし過ぎないのがベターだとは思うけどねぇ。キミだって、ロキに毎日ベッタリされたら嫌だろう?」

 

「う……ッ」

 

 

 痛い所を突かれたと言わんばかりに金の少女が押し黙る。対照的に脳内でワーギャー騒ぐロキを黙殺し、ヘスティアは自分に置き換えて考えてみた。仮に、ベルが大怪我をして入院したら、ヴァレン何某と同じ様な行動を取らない自信は正直ない。寧ろ『神だからいつだって清潔なままだ』なんて暴論を振りかざして、より眷属との時間を捻出しに掛かるだろう。ヘスティアは、自分がそういう神だと知っている。

 

 だから、アイズ・ヴァレンシュタインに対して『嫌われたくなければベタベタするな』と上から物申す資格はないだろう。けれど、同時に『年頃の少年と接するには距離感が大事』という持論も間違えとは思えない。ヘスティアは腕を組みながら、恐らくロキや【ロキ・ファミリア】の面々では踏み込めない『ぶっちゃけ』を解禁した。

 

 

「正味な話さぁ、今はある程度ベッタリでも大丈夫だとは思うんだよね。マシロ君も九死に一生を得たばかりな訳だし、以前より人が恋しいんだと思う。実際、結構満更でもなさそうだ」

 

「えへへへ。あの子、私の『あーん』でちゃんとご飯食べてくれるんですよ?」

 

「そりゃ、今、両手怪我して使えないからだろ……」

 

「しかも照れちゃうんです」

 

「はいはい」

 

 

 コイツめっちゃ惚気て来るじゃん。

 と、若干引きつつヘスティアは続ける。

 

 

「今ならマシロ君のガードが緩い。でも、それにかまけて調子に乗るキミの姿も簡単に想像できる」

 

 瞬間、サッと少女が目を逸らした。

 

「それでね。これはちょっと言いづらいんだけど……」

 

「…………?」

 

「キミ……ぶっちゃけ手綱を握っておかないと一線超えそうで、怖い」

 

 

「………………………………………………………………………………?」

 

 

 【剣姫】は、キョトンと小首を傾げた。

 どうやら、ここで言う『一線』の意味が分かっていない様だ。多分だが、性知識を殆ど仕入れずにここまで育ったのだろう。16歳という年齢を考えれば天然記念物にも等しい希少性である。女神は、小さくため息を零して、耳元で具体的に告げ直した。『クチビル同士のチュー』とか『恋人や、お父さんとお母さんがする事』みたいな子供にも分かる表現で。

 

 そして、そこまでして、彼女はようやく意味を理解したらしい。

 バン! 両手をテーブルにつきながら、勢いよく立ち上がった。少女の顔は真赤……ではなく真っ青で、グルグルと回った瞳は『とんでもない』と猛抗議している。「ち、ちが……っ」と呻く口は呂律が回っていない。

 

 弟を性的に襲いそう……みたいな指摘を受けたのだから当然の反応だろう。動揺するアイズに対し、ヘスティアは『大丈夫だから』と手で制した。

 

 

「分かってるよ。キミにそんな気がないって事は。純粋に、マシロ君が可愛くて仕方ないだけんだろう?」

 

 

 コクコクコクコクと、食い気味に首が縦に振られた。

 

 

「でも、外からの見え方はそうなんだ」

 

「…………」

 

「実際キミ、仮にマシロ君と『そういう行為』に及ぶ事になったとして、嫌悪感を抱けないんじゃないかい?」

 

 

 金の少女からの返事はない。けれど、その表情が雄弁に『確かに』と言っている。なんなら『ギク』という擬音すら聞こえた。

 

 

「積極的に行為に及ぶつもりは無いし、及びたいとも思わない。けれど、及んでしまったなら仕方がない。心の何処かでそんな風に考えているだろう?」

 

「…………」

 

 

 返事はない。しかし、ジトーッと見詰めてやると【剣姫】は分かり易く顔を逸らした。それも、滝の様な冷や汗のオマケつきで。

 

 

「はあ………」

 

 

 バツの悪そうな金の少女の横顔にため息を漏らしつつ、ヘスティアは推測する。

 例の4年の空白期間………それがあったとしても、普通はこんな状態にはならない。本能的に人間は、肉親に恋愛感情を抱かない様に出来ている。無論、触れ合えない時間が、弟への感情や執着をより強める結果にはなったのだろうが、根本的にこんな方向性(・・・・・・)には行かない筈だ。だから、これはアイズが生来より持っていた『歪み(バグ)』なのだろう。

 

 恐らく、ロキ達も薄々気づいていたのだ。姉弟仲を修復させてやりたいと思う一方で、無意識の内に離れている状態に安堵を覚えていた。そうでなければ、あの食えない女神がこうも後手に回る訳がない。

 

 

「勘違いしないでおくれ。だから『キミは異常者なんだ』って、そんな攻め方をする気は毛頭ない。ボクが言いたいのはそんな事じゃないんだ」

 

「………?」

 

 

 再び此方に向いた【剣姫】の顔。その金の瞳を見つめ返し、女神は告げる。

 

 

「問題は、一線超えそうで怖いなって思うのは、ボクだけ(・・・・)じゃない(・・・・)だろうって事なんだよ」

 

「………! 周りの人にも私がシロを襲おうとしているって思われるって事ですか?」

 

「それだけじゃない」

 

「え?」

 

「マシロくんだって、そう思うかも知れないのさ」

 

「!!!??」

 

 

 ギョッと、【剣姫】は肩を揺らし、大きく目を見開いた。

 

 

「まあ、あの子はだいぶ自己肯定感が低いから今すぐ勘違いするって事はないと思う。事が事だしね。でも、これから何年もベッタリされ続けたら分からないよ」

 

「……………」

 

「もし、マシロ君に気持ち悪がられたり、怖がられたら、キミ、耐えられるかい?」

 

 

 ブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブン!!!!

 アイズが首を横に振り始めた瞬間、ヘスティアの顔面に強烈な風が激突した。「殺人扇風機か!」と暴風に晒されながらも辛うじて突っ込みつつ、身が……とうか顔が持たないので少女の頭部へと手を伸ばす。身をテーブルに乗り出し、巨峰を卓上に押し付けてどうにか両頬を両手で挟み込む事に成功した。動きを止めた扇風機もといアイズの顔は、それはそれはグチャグチャで……。

 

 

「わ、わわわ、私……どうすれば………!?」

 

 

 大真面目に問うている彼女には悪いが、ヘスティアはクスリと微笑んでしまった。頬から手を放し、ポンポンと金の頭を叩く。

 

 

「キミのしたいようにすれば良いさ」

 

「え??」

 

「むずかしく考えすぎだよ。今のキミ達は前とは違う。ちゃんと、意思疎通が取れるんだ」

 

「!」

 

 

 以前なら、仮にアイズが我慢できず『行き過ぎた行為』をしてしまった場合、マシロはドン引きしてそれっきりになっていただろう。けれど今ならトライ&エラーが可能。そもそも最初から『距離感バグってるけどイケナイ感情はないからね!』と伝えておくという手段も取れる。とにかく、やりようは幾らでもあるのだ。要するに、『ちゃんとマシロと話して、引き際を理解しろ』という事である。

 

 この鈍感な少女にも此方の真意は伝わったらしい。

 顔色が良くなった。考えが纏まったのかは分からない。

 しかし、迷いは消えた様だ。

 

 

「ありがとうございます。ヘスティア様」

 

 

 控えめな会釈を残して、アイズは席をたった。

 マシロの病室に戻るのだろう。チラリと時計を見遣る。思ったより時間は経っているが、話し合いも終わっているかは微妙なラインだろう。そう判断し、ヘスティアは慌ててアイズの後を追った。

 

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