剣姫の弟の二つ名は【リトル・アイズ】   作:ぶたやま

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一応、本編最後の平和回(?)です。
よろしくお願いします。


第三十三話

 

「ん………」

 

 アイズ・ヴァレンシュタインは薄暗い部屋で目を覚ました。

 今日も今日とて弟の看病をする名目で病室に泊まり込んでいたが、いつの間にか寝オチしてしまっていたらしい。 

 

 ちゃんと彼が寝るのを見届けられただろうか? ちゃんと『おやすみ』を言えていただろうか? 朧げにそんな事を考えながら顔を上げると、アイズは大きな違和感を覚えた。

 

 ここは、病室ではない。

 マシロの泊っている・という意味では無く、文字通り病室そのものですらない様だった。窓も無く、中央にベッドが置かれているだけの無機質なその部屋は、とても病人や怪我人が安心して過ごせる造りではない。

 

 そして、ベッドだと思っていたソレも、よくよく見れば別物である事が分かる。いや、正式名称は知らないし、これもベッドと言えばベッドなのだろうが……もっとこう、ただ物を寝かせておく台のような印象を受けるのだ。

 

 硬そうなマットと、薄すぎる毛布のせいだろうか? そもそも、いくら薄いとは言っても、爪先から顔まですっぽり覆い被せてしまったら息が苦しいだろうに……。

 

 

「………………………………え?」

 

 

 ポツンと、アイズの口から声が漏れた。

 寝台の上に置かれているのは、長細い小さな物体。

 中身は、無地の布の所為で分からない。

 分からない、けれど……。

 

 

「はぁ……はぁ………」

 

 

 アイズは、自分の動悸が早くなってゆくのを感じた。

 脳裏にイヤな映像がこびり付く。

 

 

「そんな……嘘……だよね……」

 

 

 掠れた声が出る。

金の少女は、己の意志に反して、手を布へと伸ばしていた。

 捲りたくないのに。中身を視たくないのに。その正体を知りたくないのに。

 手はアッサリと、布を持ち上げる。

 

 

「――――――――」

 

 

 

 

 冷たくなったマシロ・ヴァレンシュタインがそこにいた。

 

 

 

 

「いや……いや……。なんで………」

 

 

 眩暈がする。

 大地が、世界がグラつく。

 

 だって、だってだってだって、マシロは助かって……、目を覚まして、もう大丈夫だってお墨付きも貰って。なのに……なのになのにななのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのに―――。

 

 

「やだよ……シロ、おきてよ………っ」

 

 

 あんなに元気になったのに……。

 いっぱいお話もして、ふれあって、あーんだってしたのに。

 

 アイズの脳内に、マシロが目覚めてからの幸せな記憶が蘇る。

 蘇って、蘇って、蘇っては消えた―――。

 

 

 

 

 ほんとうに?

 

 

 

 

 ほんとうにこの記憶は、実際に起こった出来事なのだろうか?

 全部、アイズ自身が創り出した都合の良い妄想だったのではないのか?

 事実、マシロは都市最高の治癒師(ヒーラー)が匙を投げるほどの状態だったのだ。これまでの全てが、弟の死を受け入れられなかった自分の空想である可能性を、どうして否定できる?

 

 途端、アイズの脳内に溢れて出したのは、順当にマシロが息を引き取り、彼の遺体に縋りついた挙句、どうしようもない怒りと悲しみを罵倒という形で聖女にぶつける己の醜い姿だった。最初は神視点から眺めていたその映像は、1秒後には妄想ではなく実体験から成る記憶としか思えなくなっていく。

 

 そうだ。

 あの溶けるような幸せな時間は嘘だったんだ。

 ほんとうは、マシロはもう―――。

 

 

「ぁ……ああああぁぁぁぁぁぁあああぁああああああぁああああああ――――!!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「うるせぇ!!」

 

「あうっ!?」

 

 

 頭部に衝撃を受けて、アイズの発狂は強制終了した。

 目を開けると(・・・・・・)、そこには弟の顔があった。

 物言わぬ屍ではなく、ちゃんと血が通い、瞳を開けた最愛の顔が。

 

 

「朝っぱらから騒ぐんじゃねぇよ……またアミッドの説教に巻き込まれるだろうが、俺が!」

 

「シロ………」

 

「あ?」

 

「シロぉ………!!」

 

 

 ガバッと、全身を包み込む様に姉は弟を抱きしめた。肌から伝わる彼の体温を思い切り噛み締める。まるで、それが現実である事を確認するかのように。

 

 

「よかった……よかった……!」

 

「なんだよ、急に……」

 

 

 突然、起き抜けにこんな事をしたのだから、聞こえてくるマシロの声には困惑が混じっている。もはや前触れのない抱擁など珍しくもなんともないが、流石に『涙目』+『縋りつかれる』のコンボはかってが違うらしい。

 

 しかし、そんなマシロの反応さえ、今のアイズには安心材料だった。姉は弟の澄んだ瞳を見つめて謝罪する。

 

 

「ゴメン。あのね、お姉ちゃん、シロが助からなかった夢を見ちゃって……」

 

「……今更かよ」

 

「生きてるよね?? 夢じゃないよね?」

 

「当たり前だ。てか、どんな質問だ」

 

 

 一抹の不安を拭いきれずにいるアイズの頬に、マシロの手が伸びた。

 つい先日包帯が取れ、動かせるようになった左手の指が、柔らかい肉をむにゅっと摘まむ。

 

 

「どうだ?」

 

「えへへ、いたい」

 

 

 そう口にしながらも、金の少女は銀の少年の指に自分の手を重ねた。それはそれは愛おしそうに、頬へ手の平を押し当てる。

 彼女は目を細めてこれからの未来について話し始めた。

 

 

「ねえ、シロ。退院したら、また一緒に『でーと(お出かけ)』しようね」

 

「ああ」

 

「どこか行きたい所はある?」

 

「……いや、別に。正直どんな店があるのか良くわからん」

 

「そっか。私もだよ」

 

ダンジョンの虫(お前)と同列は釈然としないが、冒険者なんて基本昼はダンジョンだからな」

 

「でも、レフィーヤ達は色んなお店を知ってるんだよ? この服もティオネと出かけた時に買ったの」

 

「ティオネが? あいつまともな服選べたんだな……」

 

 

 マシロの視線が改めて姉の身体に突き刺さる。まあ、身体というか服にだが。現在、彼女が身に纏っているのは【剣姫】としての戦闘服(バトルクロス)ではなく、16歳の生娘然としたワンピースである。白い布地のそれは、アイズの透けるような肌や、案外ティオネや何処ぞの善神にも劣らない巨峰をすっぽりと覆い隠していた。

 

 なるほど確かに、普段あれだけ布面積の少ない服を愛用している人物のコーディネートとは思えないかも知れない。なんて考えていると、アイズは妙案を思いつく。

 

 

「そうだ。じゃあ、お洋服を見て回ろう? 私がシロに似合うのを選んであげる」

 

「却下で」

 

「な、なんで……!?」

 

 

 余りにも無情かつ早すぎる拒絶にアイズは泡を食う。

 話の流れ的に完璧な提案だろうと内心ほくそ笑んでいただけに、その衝撃は尋常ではなかった。

 

 

「だって、お前ジャガ丸くん描いてあるシャツとか選びそうだし」

 

「え、選ばないよ!?」

 

「どうしてもって言うなら、他の奴らも連れて―――」

 

「ダメ! 2人っきりで行くの!」

 

「お、おう……?」

 

 

 血迷った事を言うマシロに、2人っきりを強調するアイズ。折角のお出かけ(デート)に第三者の同伴などあり得ない。それに、アイズの知る『服選びのエキスパート』は、先も名前が挙がったティオネ、ティオナ、レフィーヤ等と言った女の子達である。弟とのデートに他の女を連れて行く? これを許す姉がこの世にいるのだろうか? いや、いない。

 

 

「大丈夫。シロを今よりもっと『いけめん』にしてあげるからね?」

 

「お前、イケメンの意味分かってんのか?」

 

「えっと、フィンが良く言われてる言葉だから……可愛い?」

 

「違ぇよ。てか、絶対フィンにその認識バラすなよ? 16の小娘に可愛い認定とか、アイツしばらく寝込むぞ」

 

「う、うん……? じゃあ、いけめんってどんな意味?」

 

「……どんなって、そりゃ、カッコいいとか?」

 

「カッコいい……」

 

 

 イマイチ釈然としていないアイズに、マシロが具体例を出した。

 

 

「フィン以外だと、ベート辺りはちょくちょく言われてんだろ。あと、ヘルメス様とかも」

 

「フィンにベートさんに、ヘルメス様……。なんだか、あんまり共通点がないような……」

 

「まあ、確かに……」

 

 

 挙げられた名前に対し、アイズが率直な感想を述べる。同意見だったのか、マシロも自信を失くした様に頷いた。

 

 小さいが頼りになって物腰柔らかなフィン。

 背が高く筋肉質で粗暴なベート。

 柔和な優男だがどこか胡散臭いヘルメス。

 

 こうして並べてみても、何を持って彼らがイケメン認定されているのか分からない。体格も、性格も、顔立ちも何もかもが違うのだ。

 

 

「あ、そういえば、最近ベルもイケメンって騒がれてるな」

 

「………」

 

 

 弟の口から思い出したかの様にその名前が出てきた瞬間、姉の顔から表情が消えた。

 

 

「また、あの子……」

 

「え?」

 

 

 アイズの呟きには、様々な感情が込められていた。

 まず大前提として、アイズはベル・クラネルの事を嫌っている訳ではない。

 

 そもそも、ベルは彼女が逃してしまったミノタウロスに襲われた被害者であるし、弟の相談に乗ってもらった恩もある。内密に稽古をつけるという形でお返しはしたが、それだって白兎の異様な成長速度の秘密を知りたいという打算がなかった訳ではない。何より彼は、弟の友人だ。本来、アイズからすれば好感を持つ要素しか無い筈である。

 

 けれど実際問題、少女はマシロの口から少年の話題が飛び出す度にモヤモヤしていた。無論、彼に、弟の怪我の責任はない事は分かっている。分かっているのだが、不満の感情が抑えられない。

 

 このままでは良くない事を口走ってしまいそうなので、アイズは話題を変える事にした。

 

 

 

「ジャガ丸くんの屋台巡りもしようね?」

 

「え、あ、ああ」

 

 

 若干戸惑いつつもマシロが相槌を返す。

 それを良いことに、アイズはこの方向で押し進めた。

 

 

「シロは何味のジャガ丸くんのが好き?」

 

「何だかんだ言ってプレーン……。いや、やっぱチーズ? あ、この前売ってた肉入り奴も旨かったな」

 

「お肉……むぅ」

 

「なんだその『これだから素人は……』とでも言いたげな顔は」

 

「これだから素人は……」

 

「うるせぇよ。じゃあ、お前のオススメはなん―――」

 

「小豆クリーム味! もちろん、小豆マシマシ、クリーム多めで!」

 

「………前々から思ってたんだが、そんなにウマいのか? 蒸かしたジャガイモに甘味の組み合わせって普通に意味分からないんだが」

 

「え、そう?」

 

 

 マシロの指摘に姉は目を丸くする。

 言われてみれば確かに、ジャガイモに小豆と生クリームというのは、一般的にはポピュラーではないかも知れない。少なくとも、アイズ自身もジャガ丸くん以外で目にした記憶はなかった。しかし、それでも、胸を張って言える。

 

 

「とってもおいしいよ? 寧ろ、ジャガ丸くんにお肉を混ぜる最近の流れの方が不可解……邪道」

 

「いや、絶対そっちのが王道だろ」

 

「むう、シロのいじわる……」

 

 

 アイズはプクッと頬を膨らませた。

 普段の彼女なら、ここから表情を緩め、『じゃあ、私が食べさせてあげる』とか『あーんしてあげる』とか続けていただろう。けれど、今回ばかりは少し出来心が働いた。先程の話題の影響もあるのかも知れない。

 

 

「そんなこと言うならもう知らない、ぷい」

 

 

 そう言って、マシロから顔を背けてみたのだ。

 無論、アイズは全くこれっぽっちも怒っていない。確かに、『ジャガ丸くんに肉は邪道』という持論を曲げるつもりはないし、『小豆クリーム味が至高』という認識も改めるつもりはない。というか本来なら特大の地雷。仮に、他の誰かに言われていたら、著しいマイナス査定となっていただろう。

 

 けれど、マシロだけは例外だ。そもそも、『弟との会話している事実』そのものを楽しんでいるアイズが、この程度で気分を害する訳がない。

 

 故に、弟発言は基本的に全て受け入れる体制(スタンス)なのだが、だからと言って彼女も別にロボットではないのだ。偶には違う反応をして、それに対するリアクションを見てみたいという欲も沸く。所謂、『好きな子ほどイジメちゃう』とか、『押してダメなら引いてみる』的な心理である。

 

 だからこそ、ヘタクソな演技を試みたのだが……。

 

 

 不意に、弱々しい力で、ギュッと右腕の裾を掴まれた。

 

 

 無論、掴んでいるのはマシロだ。少々想定外ではあるが、彼が初めて見せる可愛らしい反応でもある。まさか、あの演技を本気にしたというのか? だとしたら、かなり庇護欲を唆られる。アイズは今直ぐにでも、「嘘だよ、怒ってないよ」とネタバラシをしたい衝動に襲われた。思いの外不安がってしまった弟を抱きしめて安心させてあげようと。

 

 しかし、そこまで楽観視できる事態ではないと、彼女は直ぐ思い知ることになる。

 

 

 震えているのだ。

 マシロの左手が。そして、掴まれた袖越しにその震えがどんどん大きくなっていく。

 

 

「し、シロ………?」

 

「……ごめん」

 

 

 伏せられた彼の口から放たれたのは、今にも泣き出してしまいそうなぐらいの掠れ声だった。

 

 

「え?」

 

「ごめんなさい」

 

「えっと、シロ。あのね?」

 

「ジャガ丸くん……肉合わないから……だからっ」

 

 

 俯いていたマシロが顔を上げる。

 顕になった銀色の瞳は揺れており、そこには明らかに恐怖の感情があった。

 

 しかし、何を恐れているのかが、アイズには分からない。

 まさか、本気で怒られると思ったのだろうか?

 そうだとしても、怖がり方が異常だ。

 

 あまり喜べた事ではないが、自ら死地に飛び込み瀕死の重傷を負う程の胆力があるマシロが、高だかアイズに怒られるぐらいで、ここまで精神(メンタル)をガタつかせるとは思えない。

 

 

 

 

「…………………………いかないで」

 

 

 

「………!!?」

 

 

 

 

 

 やっとアイズは理解する。

 ただのじゃれ合いと認識していた一連のやり取り……。それは、弟にとってトラウマを刺激するものだったのだ。無論、ジャガ丸くん云々は関係ない。『喧嘩別れ』を想起させる展開そのものが、マシロにとっての大きな地雷。この4年間で根付いてしまった、簡単には癒えない心の傷なのだろう。

 

 アイズは己の罪を再確認し、力強く弟の左手を包み込んだ。決して放さないという意思を込めて。

 

 

「ごめんね。でも、私は君の前からいなくなったりしないから大丈夫だよ」

 

「ほんと……?」

 

「ほんとう」

 

 

 優しい声色で頷いて、空いている手を背中に回す。

 ゆっくり、何度も、マシロの鼓動に寄り添うように、摩り続けた。

 

 

「おこってない?」

 

「うん。全然」

 

「きらいにならない……?」

 

「ならないならない」

 

「ぜったい?」

 

「ぜーったい」

 

 

 根気強く肯定を続けていると、ようやく弟の全身から緊張が抜け始めた。完全に不安が晴れた……という訳ではないだろうが、少なくとも心に一定の平穏は訪れたらしい。正直、アイズからすれば自分がマシロに愛想を尽かすなど考えられず、取り越し苦労もいい所だが。

 

 しかし、直近で4年間もそう捉えられても仕方のない態度を取り続けていたのだから、弟が怖がるのも無理はないだろう。これに関しては、完全に自分で撒いた種なので受け入れるしかない。

 

 

 まあ、怯えてるマシロも歳相応な感じで可愛いし。これはこれで役得……。

 

 

 等とあまり褒められない事を考えていると、不意に彼女は手を引っ張られた。見ると、どうやらマシロが腕を絡ませて、グイグイ自分の方へと引き寄せているらしい。そのらしくない姿に、アイズは思わず笑みが溢れる。

 

 

「今日のシロは、とっても甘えん坊さんだね」

 

「うるさい」

 

 

 ギューっと腕にしがみついて離す気配のないマシロに、嫌悪感は微塵も浮かばなかった。ただただ愛おしく、甘えてくれる事が嬉しい。普段は圧倒的にこっちからアクションをかける事が多いだけに、向こうから仕掛けてくるのは新鮮だ。大人っぽく振る舞っているマシロも可愛いが、こういう弱々しい姿も庇護欲を唆るというもの。

 

 

「……あれ?」

 

 

 ここで、アイズは窓の外の薄暗さに気がついた。

 そして、異様に眠い。

 時間を確認すると、なんとまだ朝の4時である。

 

 

「シロ、大丈夫? 眠くない?」

 

「んー………」

 

「眠そうだね」

 

 

 明確な返答ではなかったが、流石に睡魔がない訳では無さそうだ。

 落ち着きを取り戻した影響もあるのだろう。先程とは一転して、眠気と格闘を始めたマシロを、アイズはそっと横たえた。頭を乗せる枕の位置を整え、肩までしっかりと布団をかける。

 

 

「まだ早いし、一緒におねんねしよう?」

 

「ん……」

 

「お姉ちゃんが手を握っててあげるからね」

 

 

 姿勢を低くし、今にも微睡みに絡め取られそうな弟の顔を覗き込んだアイズは、頭を撫でながら彼の手を握った。それが止めになったのか、マシロから寝息が聞こえ出す。

 

 

「寝ちゃった……」

 

 

 少年の寝顔を慈愛に満ちた眼差しで見つめながら、その銀の髪をもうひと撫でしつつ、金の少女は耳元で呟くのだった。

 

 

「おやすみ、シロ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?」

 

 

 そんな呟きを、アイズはバベルの中で落とした。

 それを拾い上げたのは、隣を歩くリヴェリアである。

 

 

「どうした、アイズ?」

 

「え? あれ? 私、何で?」

 

 

 しかし、アイズはその問いには答えない。

というか、答える余裕がない。

 

 だって、アイズには自らの意思でここに来た記憶が無かったからだ。さっきまで自分は、マシロの病室で一緒に寝ていた筈。だが、この身体の疲労度や装備の損傷具合からして、探索を終えたという推測が立てられる。まさか、弟をおっぽり出して、無自覚にダンジョンに潜っていたとでも言うのか……? 

 

 あんな事があった直後だと言うのに……もしそうなら、アイズは己の身勝手さに失望するしかない。

 

 いや、流石にそんな訳はないだろう。

 大前提として、自分はマシロの側を離れる事を望んでいないし、流石に無意識でダンジョン探索なんか出来る訳がない。仮に、潜れる事までは出来たとても、生還を果たすのはまず無理だ。

 

「リヴェリアがいたからじゃないか?」という意見には、「そもそも意識ないのに誰かを誘える訳ないだろう」と正論を返させて頂く。

 

 等と、思考の沼に嵌るアイズ。

 そんな少女の耳に、切羽詰まった感じの足音が聞こえてきた。

 振り返ると、見覚えのある少年少女が、命からがらと言った様子で駆けていた。ダンジョンは怪物の住処だ。別にこんな光景は珍しくなく、周囲の冒険者達も奇異の視線を向けるだけで、手を差し伸べようとはしない。

 

 

「お前たち、大丈夫か?」

 

 

 ただひとり、リヴェリアを除いて。

 彼女はボロボロの2人……即ち、兎のような少年(ベル・クラネル)犬人の少女(リリルカ・アーデ)に近づいて行った。

 

 離れていく王族(ハイ・エルフ)の背中を眺めながら、アイズはボンヤリと考える。

 そう言えば、どうしてマシロがいないんだろう?

 あの子はこの子達とパーティーを組んでいる筈なのに。

 

 

 ………いや、違う。弟は今、治療院のベッドの上だ。彼らとダンジョンになんか、潜っている訳がない。

 

 

 でも、おかしい。

 頭では、そう分かっているのに。

 分かっている筈なのに、この違和感は何だ? 何故、こんなにも不安感を覚えている?

 

 

 リヴェリアがポーションを差し出すと、それに気付いた栗毛の少女が狼狽え出した。

 

 

「ロ、【ロキ・ファミリア】……!?」

 

「あ、ああ、そうだが……?」

 

「………」

 

 

 彼女のとても言いづらそうな様子に、嫌な感覚が増大する。

 気がつくと、アイズは尋ねていた。

 

 

「シロは?」

 

「……え?」

 

 

 リリルカ・アーデは目を丸くして顔を上げる。こちらを見る表情は、怯えと恐怖に染まっていた。が、姉は構わず問いただす。

 

「マシロ・ヴァレンシュタインはどこにいるの?」

 

 

 少女の唇が震えた。

知らない。若しくは、病室でしょ。と、答えて欲しかったけれど……。

 

 

 

 彼女は、9階層の、とある地点を口にする。

 

 

 

 瞬間、アイズは一陣の風となった。

 即座に9階層に辿り着き、正規ルートを駆け抜ける。幸い、上層域の正規ルートはぼぼ頭に入っていたので迷うことは無かった。モンスター達も、進路上にいる個体以外は無視する。そんな、【剣姫】らしからぬ大爆進の末に辿り着いた、教えられたルームには……。

 

 

 命の灯火を鎖された、最愛の姿があった。

 

 

 穢らわしい猛牛が、銀の少年の頭部を握り潰したのだ。

 

 

 グシャリ

 

 ドサッ

 

 

 呆気なく鳴り響いた擬音。

 地面に落ち、血の海に沈んでいく小さな肉体。

 怪物の掌からは、止めどなく真っ赤な鉄の香りが滴り落ちている。

 粉々の頭蓋。

 飛び散った脳漿。

 転がる片目。

 

 アイズは、目の前の光景に現実味を抱けなかった。

 

 けれど、腹の底から湧き上がる溶岩(マグマ)のような怨嗟が、それを現実だと突き付けてくる。

 

 

「―――ぁああああぁぁぁぁああああああぁ………ッッ!!?」

 

 

 マシロを殺したミノタウロスは、即刻、アイズの手によって屠り返された。意識の外から魔石を砕かれた猛牛は、断末魔を上げる間もなく灰になる。

 

 残されたのは、頭部を失い絶命した弟と。その亡骸を抱き寄せて泣きじゃくる姉のみだった。脅威(モンスター)が去り、平穏を取り戻した筈のルームに、金の少女の慟哭が響き渡る。

 

 

 当然、大声で居場所を教え続ける彼女の元には、直ぐに別のモンスター達が集結した。けれど、その全てが一定の距離を保って近寄ってこない。怪物達の生存本能が叫んでいるのだ。これ以上踏み込んだら死ぬ・と。

 

 

「アイズ……」

 

 

 そんな少女に声をかけたのは、リヴェリアだった。

 親代わりのエルフの背後には、ベル・クラネルとリリルカ・アーデの姿もあって。

 

 

「なんで……?」

 

 

 アイズは、彼らに尋ねずにはいられなかった。

 

 

「なんで、シロだけ置いて逃げたの?」

 

 

 どうして、そんな酷いことが出来たのだろう? モンスター蔓延るダンジョンに、こんな小さな男の子を置き去りにする正当な理由があるというのか……。もしあるのならば教えて欲しい。

 

 そんな素朴な疑問に応えるように、青い顔でリリルカ・アーデが口を開く。

 

 

「そ、それは、マシロ様がそうしろと……」

 

「シロはまだ12歳だったんだよ?」

 

 

 しかし、折角の説明を、姉は食い気味に遮った。

 

 

「アイズさ―――」

 

「うるさい、この人殺し!!」

 

 

 そして、ベル・クラネルの放ったオロオロとした声に、アイズはとうとう爆発する。そして、そうなってしまえば、もう感情の制御など効かなかった。

 

 

「『吹き荒れろ(ニゼル)』……!!!」

 

 

 アイズは黒い暴風を纏いながら立ち上がった。まさにそれは、魔王の起立であり、死の行進である。

 

 

「待て! 落ち着け、アイ―――」

 

 

 リヴェリアの静止すら振り払って、【剣姫】は全ての憎悪を2人の下級冒険者に叩き込んだ。デスぺレートの不壊の鋒が、ベルとリリルカの肉を容易く穿つ。彼らは悲鳴を上げる間もなく絶命した。けれど、蹂躙は終わらない。

 

 

「死ね! 死んでよ! 代わりに死んで、シロを返して!!」

 

 

 とっくに肉片と化した彼らを、【剣姫】は口汚く罵り続けた。まるで、不倶戴天の敵を睨みつけるが如く、「人殺し」「人でなし」「臆病者」「屑」「人格破綻者」「外道」と、何度も地団駄を踏む。

 

 

 金の少女は狂ってしまった。

 

 自ら手に掛けた死体を執拗にいたぶり、壊れた人形の様に呪詛を吐き出す美しい少女。側から見れば、彼女こそが人格破綻者の殺人鬼だろう。

 

 事実、大口を開けながら泣き笑いを続けるアイズの胸中には、『怒り』と『不満』しか存在しなかった。そして、その対象は最早特定の個人だけではない。

 

 

 全てだ。

 

 

 モンスターも、神々も、人も、世界も。

 この時を以てして、アイズの憎悪の対象はこの世の全てとなった。

 

 

 まずは手始めにオラリオ中の人間を皆殺しにしよう。冒険者も一般市民も、大人や子供も、赤子や老人すらも関係ない。

 

 

 全部平等にコロスんだ。

 

 だって、マシロが死んだんだから。

 

 他のニンゲンが生きてるなんて不平等だもん。

 

 

 ………イヤ、やっぱり歳が近い男の子を優先してコロそう。コロス前に、ちゃんとマシロと仲良くしてくれるようにオネガイしなくちゃ。

 

 

「ふふふ」

 

 

 笑みを漏らしながらアイズはマシロの亡骸を抱きしめた。

 

 瞼が裏返る程まん丸く見開かれた金の双眸に、三日月の形に釣り上がった口角。まるで狂人を思わせる風貌だが、弟を見つめる表情だけはどこまでも慈愛に満ちていた。

 

 けれど、一度(ひとたび)マシロの死体から視線を外せば、その金眼に宿っているのは際限なき『怒り』である。ギョロっとした目元の所為で、白磁のような白い肌も、血色の悪い死人の肌の様に視えた。

 

 最早、今の彼女をアイズ・ヴァレンシュタインだと認識してできる者はいないだろう。

 

 美しく儚げで優しかった嘗ての少女は見る影もない。

 弟の亡骸を大事そうに抱える蠱惑的な『鬼』が、ただただ愉しげに嗤っているだけだった。

 

 

 

「ふふ、アハハ? しろ〜〜? 今からオトモダチをいーぱい送ってアゲルからネ〜〜??」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――はっ!?」

 

 

 病室の窓から差し込む太陽光に擽られて、アイズは弾ける様に目を覚ました。途端に、言いようのない嫌悪感が身体を貫く。

 

 気持ちが悪い。

 呼吸が乱れる。

 脂汗で肌ベタつき、服がくっついてくる。

 止めどなく流れる涙のせいで、前も碌に見えやしない。

 

 けれど、浅い呼吸を繰り返しながら、金の少女は縋るように手を伸ばした。直ぐに、何かが指先に触れる。その何かに両手を沿わせ、輪郭を確かめた。腰、足、お腹、胸、腕、肩、首。そして、頭も………ある。

 

 自然と、アイズの唇が綻んだ。

 そして、顔をベタベタと触りながら、鼻の位置に当たりをつけた。

 手をかざし、掌に意識を集中させる。息も、している。

 

 金の少女の拳が小さく握られた。

 いよいよ、涙でボヤけていま視界がマトモになる。

 そこには、今まさに、目を覚ました様子の弟の顔があった。

 

 

「ん……? なんか今、めちゃくちゃ顔触って……」

 

「シロぉ……!」

 

 

 情けない声を出しながら【剣姫】はマシロの頭部を抱きしめた。夢の中ではミノタウロスに握りつぶされてしまった小さな頭を労る様に撫でまわす。起き掛けの抱擁など珍しくもなんともない為、最初は弟も流していたが、直ぐに姉の異変に気付いた様だった。

 

 

「え? お前また泣いてんの……?」

 

「ごめんね……また怖い夢みちゃって……」

 

「マジか……災難だったな」

 

「シロの頭がミノタウロスに潰されちゃって……」

 

「いや、グロすぎるわ……てか、また俺死んだのかよ?」 

 

「よかったよぉ、シロぉ……っ!」

 

「あぁもう、引っ付くな! 鼻水が顔につくだろうが!?」

 

 

 こうしてアイズは、ドロドロの顔面でマシロに頬擦りをするのだった。しかし、日に2度も悪夢を見るなど、ツイていない事もあるものである。当然、アイズも偶然だと思っていた。なんなら『二度あることは三度ある』とも言うし、もう1回ぐらいは見るかも・と。

 

 その予想は、部分的には当たっていた。

 翌日も、アイズはマシロが死んだ夢を見たのだ。

 

 そして、その翌日も。そのまた翌日も。

 

 

 アイズは、悪夢を見続ける事となる。

 

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