剣姫の弟の二つ名は【リトル・アイズ】   作:ぶたやま

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番外編 第二話

 

 不意に、何か温かい物が顔面に触れた。

 

 それは奇妙なまでに柔らかかった。

 

 巨大なマシュマロに顔を埋めたとしたら、きっとこんな感触に包まれるのだろう。いや、お菓子特有の甘ったるい匂いやベタつきが無い分、それよりも数段上等だとも言える。所々に見られる白い泡の様な物も、別に生クリームという訳ではないらしい。それは『泡の様』ではなく、正しく泡である様で、マシュマロの肌にツルツルとした質感が加わっている。

 

 ある意味『ヌメリ』とも取れる肌触りだったが、不思議と不快な感じはしなかった。何処からともなく漂ってくる石鹼の心地よい香りが、そういった感覚を打ち消してくれているのかも知れない。

 

 これはなんだ? 

 どういう状況だと、顔を持ち上げる。

 

 すると、まん丸い月と目が合った。

 いや、違う。月ではない。これは目玉焼きだ。黄色い真円の周辺を純白色の白身が取り囲んでいる。何故皿の上ではなく宙に浮いているのかはわからない。

 

 だが、それにしても不味そうな目玉焼きだ。

 二つある黄身は両方とも淵と中心部が焼け焦げており、不自然に射し込んでいる光は夜空に輝く星屑のようだった。まるで硬い宝石か何かである。黄身の色自体も何処かくすんでいて、『黄』というよりは『金』に近い。コレで食欲が湧くような奴は、きっと偏食家か何かだろう。

 

 しかも極め付けは、この目玉焼き、ギョロギョロと生き物の様に動くのだ。

 中央の黒点が胎動する様に大小を変化させるのだから気味が悪い。その内、白身の中を我が物顔で泳ぎ始めそうな雰囲気すら放っている。

 

 目玉焼きの癖に、いったい何を勘違いしているのか……。これでは『目玉焼き』ではなく、『目玉』では―――。

 

 

「………………………………………………は?」

 

 

 現実逃避のような思考を巡らせていたマシロ・ヴァレンシュタインは、ここでようやく自身の視野と聴覚の拡がりを感じ取った。

 

 不自然な程に眼前の『目玉』しか捉えていなかった彼の視界は、『小造りな鼻』、『桜色に染まった雪色の頬』、『艶やかに濡れた唇』、『金の絹糸の垂れた額』等といった、人間の女の部位と思しき器官を次々と認識していく。

 

 鼓膜の方も同様だ。それまで完璧にボイコットを決め込んでいた分際で、何が引き金になったのか、急に働き者となったそいつは周囲の雑踏をつぶさに拾い始めた。

 

「え? ちょ、ヤダ、あの子、男の子じゃない?」

 

「なんで、ここにいんのっ?」

 

「というか、アイズちゃん抱き付かれてない?」

 

 聞こえてきたのは、動揺と困惑を孕んだとよめき声である。

 加えて、その全てが女性の喉から生み出された物らしく、間違っても男の無理な高音には聞こえない。

 

 この場にいる者、全てが女。

 そして、男がいる事が非常識であるという風な反応。

 湿気が異常に高く、常に湯気が充満している特異な場所。

 

「おい、まさか……」

 

 ……そんな条件に該当する所など、マシロは一つしか思い浮かばなかった。

 

 けれど。

 だからこそ、彼はまんじりとも動けない。

 身体が、脳が、その予測を認める事を拒否している。頭の何処かで、『即刻逃亡』が最適解である事を理解しながらも、マシロは目の前に佇む『少女の素肌』から視線を外すことが出来なかった。

 

 銀の瞳が、眼前の景色を映すだけの鏡に成り下がる。生々しすぎる肌色の身体が、何も纏わずにそこにある。いや、泡は纏っている。頬で触れた時は大きく感じた双丘は、こうして俯瞰で見ると中々貧相な物だ。まあ、目の前で固まっている少女の年齢を考えれば、これが普通―――。

 

 

「アイズから離れろ、このドヘンタイがぁぁああ!!」

 

「…………!!?」

 

 突如、獣のような咆哮と、『バシャーン』という爆音が轟いた。途端に、途轍もない威圧感が発生する。物理的に重力でも発生しているのかと勘違いするほどの圧力だ。それを一身に受け、マシロは比喩でも何でもなく、己の『死』を直感する。

 

肉体に住み着く生存本能の全てが、宿主を生かそうと警鐘を鳴らした。最早、悠長に現実逃避をしている猶予はない。直ぐにでも状況把握に移らなければ、冗談抜きで死ぬ。

 

 目を背けたい衝動を必死に抑え込み、マシロは強大な圧を感じる方へと顔を向けた。そして、そこに広がっていたのは予想通り(・・・・)の光景だった。

 

 同時に、理解できない光景でもある。

 

 視線の先には立派な湯船があった。そこまでは予想通りだ。

 

 しかし、天にさえ届く、この湯の柱は何だと言うのか……。

 

 湯船から荒々しく隆起するお湯の姿は、いっそ火山の噴火さえ想起させる。神々しいまでの圧倒的質量は『柱』というより寧ろ『壁』と形容した方が良いかも知れない。

 

 天井に激突した壁は、轟音と共に『雨』へと変わる。残りのお湯は湯船から逃げ出すかの如く床に這い出て、浅い海を作っていた。

 

 温かな雨に打たれ、足元を湯に包み込まれる。だというのに、マシロは自身の肉体が冷え込んでいくのを感じていた。

 

 無理もない事である。

 何故ならマシロは、『湯の壁』の中に、自分に向けられた濃密な『怒気』を感じ取っていたのだから……。

 

 マグマという物体の核を、職人の手によって幾重にも濃縮させたかのような、圧倒的な死の香り。最早ここまで来ると『殺気』と言い換えても差し支えないだろうそれが、複数……そこにいる。

 

 『液体』を、こんな規模で持ち上げることが出来る化物が、一人以上、確実に・だ。Lv.3の自分にも恐らくこんな芸当は難しい。余程『力』に特化したステイタスの持ち主か、それともLv.4以上の怪物なのか。どちらにしても、あの中にいるのは、生半可な相手ではないだろう。

 

 次の瞬間、殺気が一段と濃くなった。そして、分厚かろう湯の壁に、ハッキリと人影が現れる。まずは、二人。

 

 先陣をきるように、顔立ちのよく似たアマゾネスの少女が二人、湯の中から姿を現した。マシロよりは大きいというだけの小柄な体躯ではあるが、立ち姿や佇まいの端々から、彼女らの実力が如実に伝わって来る。恐らくは自分と同等(Lv.3)かそれ以上の力を有しているだろう。

 

 この時点でLv.3同士の二対一だ。既に勝ち目がない。だというのに……。

 

 まだ絶望は終わらない。

 続々とお湯の壁をぶち破りながら、血気盛んな連中が歩き出て来た。誰も彼も凄まじい形相をしている。最早、個別に憤りの大きさを推し量る事など叶わない。莫大な怒りがうねり混ざって、一つの巨大な生命体に成ったかの様だ。

 

 言うまでもないだろうが、この殺気の主は全員『女性』である。それも、皆例外なく『生まれたままの格好』だ。エルフだろうが、獣人だろうが、ヒューマンだろうが、関係なく一律に。

 

 別に、彼女らを痴女集団と言うつもりはない。

 ここでは、それが当然だ。正装と言っても良い。

 入浴の際に、服を着たままでいる奇特な奴は居ないだろう。

 

 そう、ここは風呂なのだ。そして、女湯なのだ。

 

「………」

 

 だから、彼女らは男であるマシロの存在に憤っている。女湯に出没したのだ。ボコボコにされる正当な理由が、マシロにはある。

 

 無論、自らの意志でこの場に乱入した訳ではないが、彼女らからすればそんな事はどうでもいいだろう。ここで重要なのは、不可抗力とはいえ、大勢の女性の裸を見てしまったという事実だ。

 

 けれどだからと言って、はいすみませんでした。と、自ら首を差し出す訳にはいかない。こんな理不尽に痛めつけられてたまるものか。女湯を覗く意思が一ミリでもあったと言うなら仕方ないが、そんな事実は一ミクロンも無いのだから。

 

 すると、不意にアマゾネスの片割れの声が聞こえて来た。

 

「ちょっとオイタが過ぎたかなぁ? ほら、早くその子から離れてあげて」

 

 彼女に関してはそこまでキレている・という感じはしない。だが、決して瞳が笑っていないのもまた事実だ。察するに、自分の裸を見られた事でよりも、マシロに抱きつかれる形になってしまった金髪の少女の事を想って怒っているのだろう。

 

 そして、そんな彼女の意見に同調する様に沢山のヤジが飛んでくる。

 

「そうよそうよ!」

 

「アイズちゃんが嫌がってるでしょ!」

 

「このヘンタイ!」 

 

「エロガキ!」

 

「ドスケベ!」

 

「は? あっ、いや」

 

ここまでボロクソに言われてようやく、マシロは自分が未だ、金髪の少女に密着している状態である事を思い出した。此方は服を着ているので肌同士が触れ合っているという訳ではないが、同年代の女の子に抱きついている時点で大問題だろう。

 

 マシロは大慌てで、身体を離す。気恥ずかしさとバツの悪さから、少女の顔など当然見れない。裸体を見てしまっただけでなく、不躾に身体を触ってしまったのだ。この場における最大の被害者は間違いなく彼女で間違いない。

 

 故に、彼女にだけは流石に謝罪が必要だ。

 如何にマシロの意思ではないとはいえ、流石にコレを不可抗力だと言い張るのは無理がある。いや、不可抗力ではあるのだが、最早やらかしの内容が重過ぎて、そんな事では相殺できない。

 

 だが、謝ろうとした次の瞬間、エルフが一人、ゆっくりと此方は近づいて来た。顔は伏せられている為、表情は良く見えない。だが、とても綺麗な薄い栗色の髪を持っている。その物腰からも、殆どの者は柔和な印象を受けるだろう。御多分に漏れず、マシロもそうだ。だからこそ、この剣呑な雰囲気が恐ろしい。

 

 そして、こんな風に怒りを露にする、普段は温厚なエルフを、マシロは知っていた。

 

 

「……………貴方、齢は?」

 

「………あ?」

 

 出し抜けに放たれた質問に、マシロは直ぐに反応できなかった。ただ、脳内で、この声の主と、頭に浮かんでいる者の声が一致する。瞬間、マシロは二つの意味で嫌な汗をかいた。

 

「齢は?」

 

 だが、そんなマシロの心の内など知らぬとばかりに無機質な質問が繰り返される。

 

「………十二だが」

 

「そうですか……十二歳。まだ子供ですね」

 

 

 年齢を告げた途端、エルフの声色が柔らかくなった。

 そして、上げられた顔には慈愛に満ち満ちた微笑が浮かんでいる。

 

 その顔を、その微笑みを、マシロは知っていた。

 アリシア・フォレストライト。

 【ロキ・ファミリア】に所属する第二軍の実力者。つまりは、同僚だ。

 

 どう見ても本人にしか見えないが、本物ならわざわざ歳を確認する必要はない。仮に正確には分からなかったとしても、同じファミリアなのだから、流石に大まかな見当くらいは付けられる筈だ。

 

 つまり、彼女は極端にアリシア酷似したそっくりさんという事になる。が、同時にこんなに似通った人物が存在するのかとも思う。顔だけではない。声も、所作も、雰囲気も、何もかもがアリシアそのものだ。

 

 普段から彼女ともっと親密にしている者からすれば相違点など一目瞭然なのかも知れないが、少なくとも、マシロの関わり程度ではそれを見付ける事など出来なかった。

 

 故に、彼の中では彼女はアリシアだ。

 幾ら違うと頭で分かっていても、心の何処かで彼女とであると判断してしまう。

 

 だから、マシロはこのアリシア似のエルフの、アリシアにしか見えない微笑が恐ろしかった。対した交流など無くとも、【ロキ・ファミリア】の同志なら誰でも知っている。

 

 こういう笑い方をする時のこのエルフは、爆発寸前であるとーーー。

 

「乙女の湯あみを覗くなんて恥を知りなさい! 子供のイタズラでは済まされませんよッ!!」

 

「……………ッ!!」

 

 まさしく怒髪天。

 予想通り、目を見開き、柳眉を吊り上げ、アリシア似のエルフは怒りの丈をぶち撒けた。

 瞬間、ビリビリと、電気でも走っているかのように、肌もひりつく。エルフの中でも特に潔癖な彼女の爆発を合図に、場のボルテージが鰻登りになったのをマシロは感じ取った。

 

「…………チィッ!」

 

 脇目も振らず、マシロは脱衣所へと駆け出す。

 

 『奴等を刺激しない様に、行動には最新の注意を払わなくてはならない』……等という保守的な思考は、遥か彼方にぶん投げる。

 

 今のマシロは、服こそ着ているモノの、全裸で猛獣の檻に入れられている様なものだ。最早、話し合って奴らの留飲を下げる等という選択肢は論外。そんな悠長に事を構えていたら、即刻食い殺される。

 

 背後で「逃げたわよ!」「追え!」「逃がすな!」「直ぐに捕らえて殺すわよ!」等という物騒な雄叫びが聞こえて来た。幸いそれらに背中を押される形となって、直ぐに最高速度(トップスピード)に到達する事が出来たのだが……。

 

「ふぐ……ッ⁉」

 

 次の瞬間、唐突に視界が急下降する。

 したたかに顔面を床に打ち付けた時にはもう、マシロは自分が転倒した事に気付いていた。足を取られたのだ。泡に。

 

 風呂場なのだから十分にあり得る現象だ。故に、マシロは一割だけでも意識を自身の足元に割いておくべきだった。それをしなかったのは、明確に彼の落ち度ではあるが、駆け抜ける事以外に気をかけている余裕がなかったのもまた事実である。

 

 故にマシロは体中の痛みも無視して、むくりと起き上った。鼻孔の中が鉄臭い。完璧に出血している様だが、無論、構っている暇などなかった。

 

「は、ははははは、鼻血をそんな大量に……なんて汚らわしいッ!」

 

 すると、頭上からそんな罵声が降ってくる。

 同時に、自分の身体と床に影が差す。上空から飛びかかってきているという事は分かったが、マシロは顔を上げて敵との距離を測る前に、そこから飛び退いた。自身に被さる影の大きさから、そうしないければ避け切れないと判断したからだ。

 

 はたして、その推測は正しかった。影の範囲から逃れる事一秒後、それ迄自身が存在していた場所に、栗毛のエルフが降って来たのである。碌に体重なんてないだろうに、エルフの蹂躙した床は、見るも無残な姿になっていた。

 

 湯気と共に立ち上がりながら、彼女は喚声をぶつけて来る。

 

「いったい我らの肢体で何を考えていたのですか!? やはり下賤な覗き魔……子供と言っても、中身は野獣と変わらないようですね!!」

 

 器用に胸と腰回りを腕で隠しながら激昂するアリシア似のエルフ。

『今転んだの見てなかったのか』とか『お前魔導士の癖になに率先して突っ込んで来てんだ』とか色々と突っ込みたい所はあったが、そんな事に熱を出しても状況が好転するとも思えない。喋る分のエネルギーさえ惜しんで、マシロはグッと口を噤む。

 

 そして、その瞬間、エルフの背から素早い影が飛び出して来た。褐色の影だった。それが二つ。左右から挟撃する様に此方に突っ込んで来る。褐色の影の正体は、おそらく姉妹であろうアマゾネスの少女達だった。

 

「おら! 死に晒せぇ!」

 

「大人しく捕まんなよぉ」

 

 まるで舞でも踊っているかの様に張り付きながら攻撃してくる二人。そのコンビネーションは見事の一言で、マシロはあっと言う間に劣勢に立たされる。

 

 そして、同時にその動きに強い既視感を覚えていた。

 

―――こいつら、まさか、ティオナとティオネか……!?

 

 その思考に至った途端、急速に少女達の姿がヒリュテ姉妹の姿と重なる。が、マシロは二人の双撃を捌きながら瞬時にその考えを否定した。

 

―――何馬鹿な事考えてやがる……奴等はこんなガキじゃねぇだろ!

 

「考え事かよ? 余裕じゃねぇか」

 

 瞬間、ドスの効いた声が耳元で響いた。

 

「―――!」

 

 気が付いた時には、既にティオネの面影を持つアマゾネスの拳が、頭蓋に迫っていて―――。寸での所で躱すと、今度はティオナ似の少女が溝内目掛けて片足を振り上げていた。

 

「く……ッ」

 

 避けられない。

 速度的にも、体勢的にも。

 

 そう理解したマシロは、観念した(・・・・)

 観念して、使った(・・・)

 

「『目覚めよ(テンペスト)』」

 

 瞬間、小さな暴風がマシロの周りに発生する。自身と姉だけが扱える風のエンチャント魔法。その圧倒的な風量に、張り付いていたアマゾネス達が成す術なく吹き飛んだ。近くにいたエルフも飛ばされない様に踏ん張るのが精一杯の様相だ。

 

 煩わしい邪魔者共は無力化した。これで、短い間だが、進路を阻む者は誰もいない。このまま脱衣所まで逃げ切れる。

 

 マシロは、そんな風に考えた。

 別に自分に都合の良い解釈をしていたつもりはない。風を纏った時の自身の速度。脱衣所までの距離。敵勢力との距離を総合的に考えて、客観的判断を下したまでだ。

 

 しかし、そう言った物に対し、神々は嬉々として唾を吐きかけるのだろう。『それは、死亡フラグだ』と笑い転げながら。

 

 次の瞬間、マシロの身を包む精霊の風。

 それが、そよ風に感じられる程の、暴力的な熱量が浴室内に発生した。

 

「なっ!?」

 

 驚き、振り返ったマシロが見た物は―――魔法陣(マジックサークル)だった。

 それも一つや二つではない。

 エルフは勿論の事、魔法を使えるそれ以外の種族達の物も交え、視界を埋め尽くす程の無数の魔法陣が出現していた。この場にいる魔導士のほぼ全てが隊列を組み、短文から中文の詠唱で完成する放出系魔法を一斉掃射しようとしている。

 

 しかも、魔力を読む限り、『風魔法』には『炎魔法』。『水魔法』には『雷魔法』を複合させる等、それぞれに相乗効果をもたらす二組をセットで放とうとしている様だ。

 無論、一つ一つの威力は風の鎧を貫通する程ではないだろうが、こうも効果的に組合されればその限りではない。というか、そもそもそんな効率的な使い方をしなくても、これだけの膨大な数の魔法に晒されれば、それこそマシロの風など容易く霧散してしまうだろう。

 

 完全に、オーバーキルだ。

 

「撃ちなさい、魔導士達!!」

 

 直撃すれば普通に死にかねない馬鹿火力。

それが、今、小さな浴室内にて乱射された。アリシア似のエルフによる、なんの躊躇いもない号令によって。

 

 死が。

 確実な死が、轟音を伴なって此方に迫って来る。

 最早回避不可能な圧倒的数の魔法群。

 それを目前に、マシロの思考は停止した。

 

―――ちょっと待て……、コレ、俺が避けたらとんでもない事に……。

 

 いや、状況の打開を放棄したというべきだろう。

 それ程までに、『無理』な状況だった。だからつい、する必要のない、この建物の被害にまで考えが及んでしまう。

 

 『エアリエル』の出力を最大まで高めれば、もしかすると耐えきれるかも知れない。

 だが、それをすれば、マシロは自分の魔法によって内部からズタズタにされる事になる。奴らの魔法を凌いだとして、結局動けなくなるなら、その後の追撃に対応できない。

 

 終わりだ。

 まさか、覗き魔の汚名をきせられ処刑される事になるとは思わなかった。

 無論、こんな最期は不本意だが、今の自分ではどうすることもできない。

 

 マシロは目を瞑った。

 身を固くして衝撃に備える。自身の肉体は悉く打ち滅ぼす強豪たる暴力に。

 

 

 ………………だが、一向に終わりは訪れなかった。

 

 

 魔法とは別の轟音が前方で轟いた音は聞こえたが、それが此方に飛び火する気配は全くない。どころか、死を感じさせる魔法の圧力が一切合切消えていた。

 

 マシロは、恐る恐る瞼を開く。

 まず、視界に飛びこんできたのは、金色の髪だった。

 周囲に満ち満ちている乱気流のような風に弄ばれている金糸は、主の白い背中を隠す役割を放棄している様である。

 

 信じ難い事だが状況を見る限り、彼女があの夥しい魔法の群れを相殺してくれたらしい。少女の遥か向こう側で、自身と同じ様に驚愕している魔導士達の顔が目に入る。いや、驚愕というよりは、少し怯えているような……。

 

 そんな感想を抱いていると、不意に、少女の顔が此方に向いた。金色の瞳と目が合った瞬間、マシロは無意識に呟いていた。

 

「……あ、アイズ………?」

 

 知らず知らずの内に漏れ出た言葉に、マシロは直ぐに首を振る。

 確かにこの少女は、どこか姉と似ている。しかし、ヒリュテ姉妹と同じだ。面影はある。だが、彼女はこんな小さな子供ではないのだ。

 

「大丈夫? 怪我してない?」

 

 姉の声をそのまま幼くしたような音が、少女の口から放たれた。

 

「あ、ああ……」

 

 警戒しつつ、肯定の意を伝える。すると彼女は無遠慮に顔を近付け、つぶさにマシロの全身を確認し始めた。

 

「ちょ、アイズ!?」

 

 すかさずアマゾネス達から制止の声がかかるが、少女は聞く耳を持っていないらしかった。まるで聞こえていないかのように無視をして、両手でマシロの肌に触れ始める。どうやら、視覚だけでなく触覚でも怪我の有無を確かめるつもりらしい。

 

 それはまさしく異様な光景だった。

 突如女風呂に出現した駆逐対象()の身体を、本来狩人でなければいけない被害者(女性)の方が率先して触りにいっているのだから。

 

 だが、そんな周囲の空気を歯牙にもかけず、やがて少女は満足気に微笑んだ。そして、小さな掌をマシロの頭に乗せ、撫で始める。

 

「うん。ほんとうに怪我はないみたい。よかった」

 

 少女の言葉に偽りはないようで、本当に心の底から安心した・という心情が伝わって来た。それ程迄の柔らかな微笑に、マシロは文句の言葉を引っ込める。どこまでも慈愛に満ちた眼差しは、まるで息子か弟を見ている様だった。当然、この少女とは面識など無い筈なのに……。

 

 等と思っていると、次の瞬間、少女から底冷えする様な空気が放たれた。ついに豹変したか・と一瞬身構えたマシロだったが、どうやらそれは背後のエルフ達対して向けられた物らしい。少女は其方に振り返り、冷たい言葉を放つ。

 

「鼻以外は」

 

 ゾワリ……。

 マシロは全身が凍り付くような錯覚を覚えた。

 別に怒鳴られた訳でも、睨まれた訳でもないのに、エルフ達のこれまでの怒りが嘘だったと思うほどの瞋恚をこの少女から感じる。

 そして、当然アマゾネスやエルフ達の当惑も相当な物の様だった。

 

「え、ちょ、アイズ? なんで怒ってるのさ?」

 

「そ、そうよ。そいつは覗き魔なのよ? ちょっとぐらい怪我しても自業自得じゃない」

 

「…………ちょっと?」

 

 ティオネ似のアマゾネスがそう口走った途端……目に見えて金の少女の纏う雰囲気が変わる。既にこれ以上ない程の怒りを放っていたというのにまだ上があるのかと、マシロは隣りで困惑する事しかできなかった。

 

 その折、金髪少女に身体を引かれる。背後から抱き抱えられる形で、改めてアマゾネス達の前に鼻血に染まった顔面を晒す事となった。そして、耳元で……。

 

「これが?」

 

 という声が聞こえて来た。

 囁き声と言っても差し支えない声量だというのに、少女の言葉はこの場にいる物全員の耳に入っていた。

 

 少女の圧力に飲まれたのか、『ちょっと』では済まない出血量に怯んだのか。そのどちらなのかは分からないが、エルフ達の威勢が目に見えて萎んでいったのは事実だった。

 

「いや、でもその鼻血はその子が勝手に転んだから……」

 

「ティオナ達が凄い顔で襲いかからなかったら転ばなかったと思う。それを勝手にって言うの?」

 

「う……」

 

 最早こいつ無敵なんじゃないのか……。

 そう思えるぐらい、この姉に似た少女は、この場において強者だった。彼女が味方をしてくれている以上、もう襲われることはなさそうだが、どうしてこんなにも味方をしてくれるのかは、相も変わらず見当もつかない。

 

 あれだけ怒り狂っていたアリシア似のエルフでさえ、しおらしく頭を下げて来る。

 

「そ、それについてはごめんなさい。確かに、少し過剰でした……」

 

 だが、全面的に非を認めている訳ではないらしく、「ですが」と食い下がり始めた。

 

「ですが、最初に女風呂に入って来たのは其方です。アイズ、貴女だって急に抱き着かれて怖かったでしょう?」

 

 マシロも、コレに関しては全力で非を認めざるを得ない。確かに、気が付いたら少女の胸に抱かれていたという、此方では回避不能の状態ではあったが、それでも大きな恐怖心を与えてしまったのは確かだろう。だからこそ、この少女からの友好的な態度が理解できない。よもや、余りの衝撃的な状況にバグってしまったのではないかと心配になる程だ。

 

「Lv.4だからと言って強がる必要はありません。赤の他人に抱き付かれたのだから、それが普通です」

 

 これも正論だろう。

 こういう事に関して、レベルが高かろうが低かろうが関係ない。本能的に女性は恐怖を感じるモノだ。いや、状況をもう少し苛烈に煮詰めれば男だって怖がる者も出て来るだろう。それくらいデリケートな問題。

 

 故に、これだけ丁寧に諭されれば、この少女も心変わりしてしまうかも知れない。若しくは、本当に思考がショートした故の行動だった場合正気に戻って敵対される可能性もある。彼女が向こうサイドにつけば、蹂躙が再開されるのは時間の問題だろう。

 

「赤の……他人?」

 

 不意に、少女の肩が震えだす。ワナワナと、小刻みに・だ。

 マズイ。マシロはそう直感し、身構える。

 

 これが怒りからくる震えだとしたら、その矛先は間違いなく自分だろう。アリシア似のエルフが放った台詞に、少女が憤りを覚える要素などなかったからだ。

 

 が、結果から言うと、その心配は杞憂に終わった。

 マシロがその異変に気付いたのは、彼女の瞳に滲んだ涙を見た時だった。それなりに距離が離れている事と、湿度の高さから発生している湯気によって他の者達は気が付いていない様だが……。

 

「ひどい……アリシア……なんて事言うの……ッ」

 

「え? え? いや、しかし……」

 

 震えている姉似の少女の声。それに対し、エルフ達は困惑するしかないようだった。彼女らからすれば、急に涙声が聞こえて来たのだから当然だろう。特にアリシア似のエルフの動揺が大きい。セリフを聞く限りでは自分の発言が原因であると読み取れるので無理もないだろう。

 

 若干栗毛のエルフに同情心さえ芽生えて来た。

 そんな折、マシロは突然、金髪少女の手により顔を抱かれる形で耳を塞がれる。何事かと身構えた瞬間には、慈愛に満ちた励ましが耳元で囁かれた。

 

「聞かなくて良いからね。大丈夫……気にする必要ないからね」

 

 それは、まるで心ない暴言から幼子を守っているかのようだった。

 本来なら、まるで母か姉のように振る舞うこの少女に対し、羞恥心から悪態の一つでも吐く筈なのだが、今回ばかりはなんの反応も示せない。意味不明過ぎて、脳がショートしていたからだ。

 

 そんな中、ティオネの面影を持つ少女が恐る恐るという体で、当然の疑問をぶつけた。

 

「ね、ねえ、アイズ? その子が他人じゃないってどういう事?」

 

 その問いに対し、金の少女はあっけらかんと答える。

 

「だって、この子、シロだもん」

 

 『シロだもん』

 その回答に、半ば無意識で周囲のやり取りを聞いていたマシロは、完璧に正気を取り戻した。そして、脳内に様々な疑問と憶測が飛び交う。

 

 『シロ』。

 自分の事をそう呼ぶのは、自身の知る限りでは『姉』のみだ。そして、この金の少女は、姉とよく似た容姿をしている。というより、そのまま『数年前の姉の姿』と形容して良いだろう。それは、姿だけではない。声も、仕草も、喋り方も……少なくともマシロには『在りし日の姉』と重なる。

 

 まさか、こいつは本当に、昔の姉なのではないか。

 

 等という、馬鹿げた想像が脳内浮かび上がる。しかし、有り得ないとは思いつつも、これまで感じた既視感が、完全否定を拒むのだ。

 

 アリシア似のエルフに、ヒリュテ姉妹の面影を持つアマゾネス。そして、アイズ・ヴァレンシュタインに酷似した少女。

 

 ここまで都合よく、瓜二つの人間が存在し、あまつ一か所に集まるものなのか。大体、コイツ等は互いのことを「アリシア」「ティオネ」「ティオナ」「アイズ」と、呼び合っている。

 

 よくよく後方に待機している奴らを見てみると、彼女らにも【ロキ・ファミリア】の団員の面影を感じる事が出来た。

 

 流石にここまでの類似点があるなら、彼女らを記憶の中に人物と同一人物と考える方が自然なのではないのか……。

 

 そんな風に思い始めたタイミングで、目が覚めるような絶叫が浴室に響いた。それは、ティオナ似のアマゾネスの物だった。

 

「え、えええ!? いや、違うでしょ! 弟くん、そんな大きくないじゃん!」

 

「そうよ! まあ、こいつも相当チンチクリンだけど、あの子はそれ以下よ!? 大体、顔立ちは確かに似てるけど、顔付きがまるで違うじゃない!」

 

「シロだよ。私がこの子を間違えるわけない」

 

「いや、でも……」

 

「私、間違えないよ。お姉ちゃんだから」

 

「……」

 

 全く論理的な回答ではないのに、何故こうも言い負かしてしまうのだろう。

 否、別に言い負かしている訳ではないか。ただ単に、有無を言わせぬ圧力で、問答無用に黙らせているだけの事。

 

 誰しもが少女の迫力に負け、更なる追及の手をこまねいていると……。

 

 不意に、ドタドタと此方へと迫って来る足音が、脱衣所の方から聞こえて来た。足音の主はかなり慌てている様で、浴室へと続く引き戸の曇りガラスに人影が写ったかと思うと、些かの間も空けずに開け放たれる。

 

 瞬間的に入り込んだ冷たい外気が肌を突き刺す。冷気と共に飛びこんで来たのは、マシロも良く知る王族のエルフだった。彼女に関しては『似ている』とか『面影がある』とか、そんな次元ではない。

 仮に記憶の中の彼女と、今、目の前にいる彼女を小一時間見比べた所で、マシロには違いなど見つけられなかっただろう。

 

「リ、リヴェリア様……⁉」

 

「一体なんの騒ぎだ⁉ 凄まじい轟音と魔力を感じたぞ!」

 

「そ、それは……」

 

 アリシア似の少女を筆頭に、目に見えて顔を青くするエルフ達。そんな彼女らの様子と、浴室の惨状……そして、マシロの姿を見て、聡明なエルフの王は何かを察したらしい。

 

「……どうやら、面倒な事態になっているようだな」

 

 

 一つ溜息を吐いて、団長室へ来るよう、この場の者達全員に指示を出したのだった。

 

 

 

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